「ペルーのアマゾン」

「ペルーのアマゾン」

1.ペルーのアマゾン?
ペルーへの旅、と言えば、誰もがマチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵、チチカカ湖の3つの観光ポイントを訪れることを考えるものですよね。でも、私はマチュピチュの観光もそこそこに、アマゾン川流域へと飛んだのです。
「アマゾン川って、ブラジルでしょ?」
はい、地球の裏側に住む私たちにとって「アマゾン川=ブラジル」とのイメージはぬぐいがたいもの。しかし、実はアマゾン川はペルーやエクアドルのアンデスに源流があり、ペルーからブラジルへの国境を越える前の、つまり、河口まで3500km以上の上流でさえ、日本にはあり得ないほどの川幅を誇る大河となって、ペルーの大地を流れているのです。
それに、このアマゾン川流域の熱帯雨林は、面積にしてペルー全土の半分ほどを占めているのです。ほとんどの日本人観光客はリマから南の山岳地帯しか行かないから、とっても意外でしょ。


2.真冬のクスコから真夏のアマゾンへ
12月は南半球のペルーでは夏。でも、標高3,400mのクスコは、特に朝晩はまるで真冬のような寒さです。朝早くクスコを飛び立って、首都のリマで飛行機を乗り継ぎ、夕刻、アマゾン流域の中心都市:イキトスの空港に着いてみると、そこは熱帯の、ムッとするような湿気がまとわりつく、真夏の地でした。朝、セーターにウインドブレーカーまで着込んで出たのに、夕方にはTシャツ1枚でも暑い所にいる、という、からだの調子がおかしくなるのではないかと思う1日でした。
ホテルに着いた頃にはもう暗くなる頃で、ひと休みしてからアマゾン川沿いの公園に行ってみたけれど、川はもう真っ暗で何も見えませんでした。でも、その公園には夕涼みをするためか、町の人々がベンチに座って話していたり、子供たちを遊ばせていたり、けっこう出ていました。
060615_1.jpg(イキトス アマゾン川沿いの公園)
イキトスの街は、クスコやリマとは全く違うイメージの、いかにも熱帯の街、と感じさせる、私にとっては
フィリピンのマニラを思い出させるようなところでした。特にクスコとは同じ国か、と思えるほど、気候も建物も人々の服装も、顔つきさえも違っていました。
3.アマゾンを下ってジャングルのロッジへ
翌朝(12月7日)、ガイド氏(ルーシオLucioさん)が迎えに来て、私が2泊3日のジャングル体験ツアーを主催する会社「エスプローラマ・ツアー(EXPLORAMA TOUR)」の桟橋に連れていきました。ジャングルのロッジ「エスプローラマ・ロッジ(EXPLORAMA LODGE)」もそこまでの往復の船も、そのツアー会社が経営しているのです。
桟橋に降りる道の脇の木の上に、オオトカゲがじっとつかまっています。もう、ジャングルに入ってきたような興奮を覚えます。
アマゾンを下ってジャングルに向かう船「アマゾンクイーン」は、200人ほどもが乗れるのではないかと思えるような大きな船でした。いよいよアマゾン川の旅が始まりです。
060615_2.jpg(アマゾンを下る船「アマゾンクイーン」)
桟橋を離れた「アマゾンクイーン」はやがてイキトスの街を出て行き、アマゾン川の本流に入っていきました。それまで、本流だと思いこんでいたその巨大な川は、実は、支流に過ぎなかったんです。本流にさしかかると、川の水の色がはっきり違っていて、さらに広大な川幅のアマゾンに乗り入れていきました。
1時間半ほど下ったところで、今度は小型の高速ボートに乗り換え、ジャングルのエスプローラマ・ロッジに向かいます。
4.ジャングルの中のエスプローラマ・ロッジ
桟橋に着いて土手を上がると、そこには教室ひとつだけの小さな学校があり、横の広場では水牛が4~5頭、草をはんでいます。ガイド氏は、その広場を通り抜けて、私たちをジャングルの中の小道へと導きました。雨期になるとぬかるむのか、切り株のように木を輪切りにして敷石のようにした道が続いています。
10分ほどちょっと薄暗いジャングルの中の道を歩いていくと、エスプローラマ・ロッジが見えてきました。放し飼いにしてある、大きくて鮮やかな色のオウムたち3羽が迎えてくれました。
ロッジは思ったより大規模で、食堂の大きな建物に続いて客室が何十も並んでいます。雨期の大雨対策なのでしょうが、どれも高床式の木造の建物です。で、私が2泊3日を過ごす客室は、というと、板張りの床に板張りの壁、蚊帳の張ったベッドと、物を置く棚が2つあるだけの質素なことこの上ない部屋です。棚には手を洗うのに使うための大きな水差しと洗面器がおいてあり、水差しには川からくんだ少し濁った水が入っています。電気はなく照明はランプ。窓は、というより、壁がおなかの上ぐらいの高さまでしかなく、そこから上は屋根までなんにもない解放されただけなのです。そこに、目隠しのカーテンがかかっているだけで、蚊をはじめとする虫たちは自由に入って来られます。なんともワイルドなロッジです。天井はなくて、高い屋根だけなので、隣の部屋との間の板壁は十分高いですが、その上が開けっ放しなので、2~3軒先の部屋の人の声もよく聞こえます。トイレ・シャワーは共同。シャワーは水です。熱帯なので、昼はいいのですが、夜はスーッと涼しくなるので、暗くなってから浴びるととちょっと冷たすぎる感じでした。
060615_3.jpg(エスプローラマ・ロッジの客室)
5.ジャングルの1日目
食事の用意ができた合図は、スタッフがたたくドラムの音でした。低いドンドンドンという音が聞こえると、宿泊客たちはゾロゾロ食堂に集まってきます。食事は高級ではないものの、こんなジャングルの中にしてはいろいろそろった、おいしい料理でした。
昼食を終え、最初のプログラムはジャングルトレッキングです。私と同行するのは、アメリカからやってきたご夫婦。ガイド氏と合わせて4人で出発しました。「出発した」と言っても、ロッジから一歩出れば、もうそこはジャングルです。
鬱蒼と茂る木々の間を縫う道をガイド氏に続いてゆっくり進みました。ガイド氏は、木の葉を取って見せて、頭痛に効く薬草であることを説明したり、木から木を渡って飛ぶ黒くてくちばしの黄色い鳥を指し示したりしてくれます。でも、一番の目標である猿はなかなかいません。4人は猿を探してきょろきょろ見回しながら歩いて行きました。するとガイド氏が一点を見つめて止まりました。その方を見て目を凝らすと、木々を抜けた20~30m先に枝の上で動く小さな影が見えました。猿が枝の上を飛び回っているのです。
060615_4.jpg(ジャングルトレッキング)
6.ジャングルの2目目
2日目の午前はピラニア釣りです。
ロッジの敷地にはアマゾン川に続く小さな川の桟橋があり、そこから小さなボートで出発しました。昨日と同じくアメリカ人の夫婦が一緒です。それにガイド氏、ボートを操る若いスタッフ、と5人が乗ったボートは小さな川をアマゾンに向かって進みました。川沿いには民家も何軒かが建っていて、川に来て水浴びをしたり、洗濯をしたり、魚釣りをする人がいます。
ボートがアマゾン本流に出ると、エンジンはうなりを上げ、一気にスピ-ドをアップして走り出しました。川幅が広くて大きな川の中を、小さなボートで飛ぶように走ると、なんとなく怖いような気もします。
30分も行くと、支流に入っていき、ボートはさらにその支流へと分け入って行きました。それが行き止まりの淵のようになっている所に着くと、ガイド氏はボートを川縁の木につなぎ止め、釣り竿を出してきました。いよいよピラニア釣りの始まりです。えさは、私の目にはマグロの赤身のように見える魚の肉片でした。釣り糸をたれると、ガイド氏ともうひとりのスタッフは次々とピラニアやカットフィッシュという魚を釣り上げていきますが、私とアメリカ人は、食いつきはあるものの、えさが持って行かれるばかりで、ちっとも釣れません。めげずに、ガイド氏のやり方をまねて、竿の先で水面をバシャバシャをたたいてから釣り糸をたれることを繰り返していると、やっと、カットフィッシュをいっぴき、その後、小さめのピラニアを2ひき、釣り上げることができました。ふだん釣りをやらない私としては大釣果です。でも、アメリカ人たちはとうとういっぴきも釣れず、ふてくされていました。
1時間ほども釣りを楽しんで、ボートはロッジに帰るために動き出しましたが、ガイド氏はそこで、釣り上げたピラニアのうちの最大のをナイフでさばきました。頭を取り、はらわたを出して川水で洗ってしまい込みました。これは私たちが食べるのかな、期待して眺めていましたが、ガイド氏は何も言いません。
060615_5.jpg(ピラニアを釣りました)
果たして、昼食にはこのピラニアが出されてきました。
他のお客さんたちと同じようにバイキングのメニューで昼食をとっていた私とアメリカ人夫婦のテーブルに、スタッフが焼いたピラニアを皿に載せて持ってきてくれました。塩焼きです。アメリカ人夫婦は一口ずつ味わうと顔をしかめました。「NO TASTE!」味がしない、と言うのです。しかし、私たち日本人にとっては親しみのある味です。白身で淡泊な味ですが、肉がよく締まっていて、カレイの塩焼きの身を硬くしたような感じ、と言えばよいでしょうか。お箸がほしいところでしたが、フォークとナイフでひとりで食べてしまいました。
午後は、またアマゾン川に「ピンク・イルカ」と呼ばれる川イルカを見に行きました。朝と同じように小さなボートに5人が乗って出かけます。川を下って走り続けると、川幅が一段と広がって湖のようにしか見えないほどの所に出ました。ガイド氏が、エクアドルから流れてきた「ナポ(Napo)川」との合流点であること、このあたりの川幅は約2.5マイル(約4km)であることを説明し、ここでボートを止めました。イルカ探しの始まりです。 みんなが押し黙って周りの川面に目をこらしました。でも10分ほどたってもイルカは顔を見せません。スタッフはボートをまた20分ほど走らせて、別の支流との合流点に止めました。イルカ探し再開です。
こちらの方がよく見つかるようで、今度はボートを漂わせたまま、ガイド氏は根気よく辺りを見回しています。すると、20分ほどで彼は川面を指さしました。ピンクイルカです。私は最初は見逃したものの、そのうちに何度も川面に頭の上辺を出すイルカを見ることができました。ほんの少ししか見えませんでしたが、確かに「ピンクイルカ」と呼ばれるにふさわしい、くすんではいますがオレンジがかったピンク色をしていました。
060615_6.jpg(ピンクイルカを探しているところ)
イルカ探しを終えた私たちは、川辺の地元の人の村を訪れました。ガイド氏は、農園で育てているマンゴやパパイヤ、やし、バナナの木を説明したあと、私たちを村の中へ導きます。みんな顔なじみのようで、家の中から笑顔で言葉を交わしています。そのうち、一軒の家に入っていきました。なんとそこはガイド氏の妹さんの嫁ぎ先の家だったのです。ちょうどその日は何かの祝日で、親戚が集まっていて、家の中にはたくさんの人がいました。小さな子供たちが遊んでいて、部屋の隅の箱の中から、飼っている小さな亀を取りだし床を歩かせて、私たちに見せてくれました。その家は商店で何か買って飲め、と言うので1ソルを出して地元のインカ・コーラを飲みましたが、冷蔵庫がないので生ぬるいものでした。
帰るとき、子供たちが川縁まで見送ってくれましたが、中には川に飛び込んで手を振る子もいました。ピラニアが棲む川なのに、地元の人たちは平気で川に浸かっています。血を出していなければ大丈夫、とガイド氏は言いますが、やっぱり私は手を浸けるのも怖い。
夕食後、こんどは「夜のジャングルの音を聞くツアー」にでかけました。
ボートで真っ暗な川を行くのです。もちろん、エンジンはかけず手こぎで進みます。空を見上げると、満天の星が、本当に「降るよう」に輝いています。すばらしくきれいな星空です。
遠くで鳥が鳴く声が聞こえますがあとは静寂の中をボートは進みます。アマゾン川の本流に出る所の手前で折り返し、私たちは木々の奥から聞こえてくる音に耳を澄ませ続けました。途中、両手を広げたほどの大きな蝶を見ましたが、あとは動くモノは見つかりませんでした。
7.ジャングルの3目目
朝食を早めに終えた私たちは、ジャングルでの最後のプログラム、原住民の「ヤグア族(Yagua)」の「パルメラス村(Parmeras)」訪問に出発しました。ロッジを出てジャングルを歩くこと10分少々、目的地に着きます。 広場があってその奥に大きな家があり、広場にたたずむ村人たちの視線を受けながら、私たちはそこに招き入れられました。ヤグア族の男たちは腰蓑だけを身に着けています。女の人は、若い子は胸にも首から蓑を垂らしていますが、年配の人は腰蓑だけの人もいるので、以前は女も腰蓑だけだったようです。彼らのうちの年寄りは100%ヤグア族だが若い人には他の部族の血が混じってきていること、言葉は独自のモノでスペイン語はしゃべらないこと、その大きな家1軒に25家族が住むことなどをガイド氏が説明しました。
そのうちに、人々が集まってきて、家の中で「狩猟で獲物を持ち帰ったときの喜びのダンス」を見せてくれました。「ダンス」と言ってもグルグル歩いて回るだけでしたが。
それが終わると、今度は外で吹き矢のデモンストレーションです。彼らの吹き矢のやじりはピラニアの歯で研ぎ、ジャングルの木の樹液から作る「クラレ」という毒を塗って、獲物を捕るそうです。数分で死ぬほどの毒なのに、その獲物を食べても安全というから不思議です。さて、吹き矢の腕前は正確で、10mほどの距離で次々小さな的に命中させていきます。
060615_7.jpg(ヤグア族の吹き矢)
ヤグア族の村に別れを告げた私たちは、ロッジに帰り、荷物を整えてエスプローラマ・ロッジとジャングルの3日間を後にしました。スピードボートと「アマゾンクイーン」を乗り継ぎ、昼下がりにはイキトスに帰り着きます。さらに夕刻の飛行機でリマに飛び、その夜のうちには日本に向け出発したのですが、機中でも、まだ、頭の中の半分ぐらいと、からだの感覚はジャングルの中にいたままのような、変な感じがしていました。
旅行期間:2005年 12月3日から12月11日までの9日間
うち、アマゾン流域に滞在したのは:2005年 12月6日から12月9日までの4日間
2005年12月 小澤

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