私の墓をペルーにたててください。

私の墓をペルーにたててください。


ペルーに出張がきまった時、死に場所が決まったなと思った。というのは私は極度に高地に弱く、富士山に2度のぼったときは、一度目は準備不足のためか頂上まで登ったものの高山病のため非常に苦しく、頭が割れそうにいたいのと倦怠感くらいしか覚えていない。ご来光のときも心ここにあらずで感動している余裕もなかった。
ほかの友人はピンピンしているのにこれはおかしいと思い準備万端で望んだ2度目もあえなく撃沈。高山病というのは個人の体質の問題で体力のあるなしや年齢に関わらずかかるものであるから、私は高地との戦いにはもはや参加しないぞと、そのとき心に誓ったのであった。


しかしファイブスタークラブに勤めている以上、そうはいっていられない。世界には3000Mオーバーの人気観光場所が憎たらしいほどある。ラサ(約3600M)、レー(約3500M)、黄龍(約3500M)、ウユニ(約3600M)そしてペルーのクスコ(約3300M)にチチカカ湖(約3900M)。ざっと思いつくだけでもそれくらいある。
幸運(?)なことに今回はチチカカ湖だけは免れた。注意すべきはクスコとワラス(約3100M)である。ワラスは高山に囲まれた登山の拠点となる街であるが今回、登山はしない。おそらく大丈夫だと思うが高地に1泊するのが富士山の山小屋の時を思い起こさせ不安だ。
今回のメインの訪問場所はペルー北部である。
ナスカの地上絵やチチカカ湖とくらべるとまだまだ馴染みはないが、北部はシカン文化やシパン文化などのプレ・インカの都である。
予定は下記の通りである。
11/29 成田→(飛行機)→ヒューストン→(飛行機)→リマ リマ泊
11/30 リマ→(飛行機)→クスコ→(車)→オリャンタイタンボ→(列車)→マチュピチュ マチュピチュ泊
12/1 マチュピチュ観光 マチュピチュ泊
12/2 マチュピチュ→(列車)→オリャンタイタンボ→(車)→クスコ→(飛行機)→リマ→(飛行機)→チクライヨ
12/3 チクライヨ近郊観光 チクライヨ→(車)→トルヒーヨ トルヒーヨ泊
12/4 トルヒーヨ近郊観光 トルヒーヨ泊
12/5 トルヒーヨ→(車)→ワラス ワラス泊
12/6 ワラス→(車)→カラル遺跡→(車)→リマ 機中泊
12/7 リマ→(飛行機)→ヒューストン→(飛行機)→
12/8 →成田
11月29日
コンチネンタル航空を利用、ヒューストン乗り継ぎの
リマゆきである。17時10分に出発してリマについたのが同日の23時40分なのでペ
ルーの時差14時間の時差を考慮して約21時間30分の旅路だ。
ヒューストンで日本円からドルに両替。成田でのコンチネンタル航空カウンターがおもったより混んでいたため両替の時間がとれなかったのだ。ドルでペルーは大抵通用するらしい。(ヒューストンでドルに両替するよりも日本で両替する方がレートはよかったです)
ヒューストンで日本出発前に購入したダイアモックスを4分の1サイズに割り服用。現地でも調達でいるらしいが、高山病の予防薬なので現地に入る前に飲んでおきたかった。本来は緑内障の薬なので、日本で購入すると保険が利かずめちゃくちゃ高かい。しかし私にとっては命に関わるので背に腹は変えられない。
リマに到着、リマの空港は思ったより立派だった。
入国審査を終え現地通貨ソルへ両替する。手間をケチらず米ドルからの両替がおすすめです。
10000円を両替したら220ソル。100ドルで両替すると285ソルのレートだった。
空港では日本人ガイドさんが待っていてくれた。
本日宿泊する空港近くのホテルにて今後の旅程に関してのオリエンテーションを受ける。ここで出発前の疑問を解決してしまうのがよい。
ホテルは<コスタデルソルラマダ>。
空港の出口の正面にたつ、徒歩30秒くらいにあるホテルである。到着が遅い人や、翌日の出発が早い人には大変助かるホテル。ホテルはかなり品がよく、部屋のセンスも良いし、清潔だった。ドライヤー、セーフティーボックス、ミニバー完備。バスタブもあり。宿泊者にはワンドリンクサービスがあり、ピスコサワーかミネラルウォーターが無料でふるまわれる。
やはりここで水を選ぶわけにはいかない。ピスコサワーを飲み干し、翌日の4:30起床に備えすぐにベッドイン。

11月30日
7時発の国内線にのるため4:30起床。5時に朝食(早いのでパンと飲み物しかなかった)。5:30にガイドさんと待ち合わせ、といってもチェックインのお手伝いだけなのですぐお別れ。
予定通り7時に出発、クスコには8:20に到着。
高山病もまだ大丈夫だ。朝もダイアモックスを飲んだから効いているのかもしれない。第一関門突破である。
荷物を受け取るところではなぜか民族音楽の生演奏していた。
ここでは英語ガイドさんとドライバーさんに合流。
英語ガイドさんからはオリャンタイタンボからマチュピチュまでの列車の往復チケットとマチュピチュの入場券とバスチケットを受け取る。英語ガイドさんとは別れてドライバーさんと2人でオリャンタイタンボまで2時間のドライブ。
ドライバーさんはスペイン語で喋りかけてくる。
もちろん私はスペイン語がわかるはずもなくワカラナーイという顔をして見せるのだが、それでもコミュニケーションをはかってきてくれる。優しいなぁー。そんな感じで楽しいドライブであった。

途中で車の標高を測定するメーターが3600Mを指していたときはさすがに肝が冷えた。しかし峠を越えてオリャンタイタンボなど聖なる谷と呼ばれる一帯に入ってしまえば標高が2600M前後なのでそこまですこし安心。
オリャンタイタンボに到着しドライバーさんとお別れ。
オリャンタイタンボにはお土産屋さんや外国人向けのしゃれたカフェやレストランがいくつかある。またインカ時代の用水路がいまでも残っており使われている。風景をみるだけでも楽しい街であった。

オリャンタイタンボ近くのレストランで昼食をとり、クレジットカードOKの看板がでていたのでカードを見せると、セニョールなんとかかんとか・・・と店主が言い出した。理由はわからないが、つまり現金で払ってほしいとのことだろう。現金もっていてよかったと思った。ペルーはニコニコ現金払いが喜ばれます!
列車の発車時刻20分前に駅に到着。
すでに列車がとまっており乗車券を見せて乗車。指定席のみなので問題なし。今回私が乗ったのはバックパッカーというクラスで対面式のシート配列となっている(ちなみにビスタドームの車両も見かけたので確認したところビスタドームはすべて一方方向にシートは向いていた)。私の前はアメリカ人のカップルで、ハネムーンだったのもしれない。キスばかりしているので目のやり場に困った1時間半だった。しばらくすると車内販売があり、クッキーやビール、コーヒーなどを買うことができる。
マチュピチュ駅(アグアスカリエンテス駅)に到着。
外国人観光客が一斉におりるのと、乗ろうとする観光客で駅周辺はごった返す。駅を抜けると土産物屋がのきを連ねる。道幅が狭いので、抜けるのに一苦労だった。

マチュピチュの村は標高約2000M。そのためクスコなど標高の高いところと比べ暑い!日中はTシャツ持ってくれば良かったと思うほどだった。
宿泊するホテルは(ハッチャイタワー)。
弊社でよく利用するホテルである。駅からは徒歩5分程度。土産物屋をぬけた静かな川沿いの通りに位置する。建物は比較的新しそうで、清潔。部屋も広くおしゃれで、お湯もちゃんとでるし申し分ない。ドライヤー、セーフティーボックス、ミニバー、バスタブあり。ちなみにハッチャイタワー宿泊の場合は朝食および夕食も含まれている。

明日は人数制限があるワイナピチュに登りたいので早めに就寝。
12月1日
ワイナピチュに登るため朝4時半に起床、4時半からハッチャイタワーでは朝食を食べることができるので食べてからホテルを出る(といってもパンとハムとコーヒーくらいしか準備されてなかったけど)。
外に出ると雨。ワイナピチュに登るくらいには晴れていればいいのだが・・・。
5時半前にはバス停についたがすでに長蛇の列。
雨の中じっと待つこと20分程度、何台ものバスがつぎつぎにやってくる。日本の市営バスみたいなものを想像していたが、数十台ものマイクロバスが入れかわりやってくるのでそのときのバスに乗れなくても2、3分後には後続のバスに乗れるだろう。

マチュピチュについたのはちょうど入場開始の朝6時くらい。入り口はかなり混みあいサンクチュアリロッジ付近までその列が延びていた。
チケットを見せて入場。入場の時にワイナピチュにいくかと聞かれる。行く、何時にいくんだ、7:00、OK、とった具合に判がおされる。とはいっても特に7:00だとかチケットに記入されていないので7時に行かないといけないということではなさそうだ。
マチュピチュの遺跡をワイナピチュ方面に向けて突き進む。
絵はがきや写真でなんどもみたことがある風景だが、やはり実物を目にすると圧倒される。破壊されず当時のインカ時代の雰囲気がそのまま残っており、「遺跡」と表現するには極めてその形が美しいのである。山肌に沿って残る遺跡群を見渡すとその迫力に神々しささえ感じる。

インドのタージマハールが私がこれまで感動した1番の遺跡なのだがそれと同じくらい、もしくはそれ以上に感動した遺跡の1つとなった。
6:40にはワイナピチュの入り口に到着。ワイナピチュは7時から入場なのでその時間まで近くの藁葺き屋根の待合い室のような場所でまつ。
徐々に人が集まりだす。7:00になっても雨は上がらず、いざワイナピチュへ。最初に受付にて名前を記入する。
最初は意気揚々と登り始めたものの開始30分くらいでつらくなってくる。空気が薄い。また雨が本格的なものになってきており、それが視界や足場を悪くして余計神経質にさせる。正直、ワイナピチュを甘く見ていた。予想以上にきつい。毎年落ちて死人がでるとガイドブックに書いてあるが、これは脅しでなくほんとにありえる。26歳の健康優良体の私が言うのだから間違いない。
約1時間後にようやく到着。しかし、雲で視界は遮られたまま。残念な結果であった。しかたなく下山し始める。約30分でワイナピチュの入口に到着。帰りは行きの時記入した自分の名前のところにサインをする。
登頂は3番目に到着、下山は1番目に到着。仮に往復の競争であれば1着である。だからなんだってわけでもないがそれほど登る人も多くなく、視界不良とあって私は早々に引き上げてきたという訳である。
観光シーズンであれば入場制限のあるワイナピチュには早めに到着することがセオリーではあるがオフシーズン(雨期)関してはその限りではない。私はマチュピチュ村に2泊したのだが、その翌日両日とも朝は雨が降った。つまりこの時期の朝は雨が降る確率が非常に高いのである。そしてその雨はお昼頃にはあがる。晴れ渡ったマチュピチュをみるのであれば雨期は天気を見計らって12時くらいにマチュピチュに入ることをおすすめする。ワイナピチュに関しては入場制限はるがこの時期であればあまり気にするとはないように思う。私がワイナピチュに出発してから戻るまでの名簿をみると1時間半の間で総計60名の名前が記入されていた。仮にこのあとも7時から1時間半と同じペースでワイナピチュに入山する人がいたと仮定しても入山時間締め切りの13時までに240名である。制限の500人の半分にも満たない。
約3時間の観光を終え、バス停に戻る。
約3時間とマチュピチュにいたと書くと長いなぁと感じかもしれないが、ワイナピチュも登ってこの時間はかなり自分でも短い方だと思う。視界がよく雨が降ってなければ5時間くらいはいられると思う。それほどマチュピチュは広いし、かなり歩く。履きなれた靴と雨がっぱは是非お持ちいただきたい。あとは虫よけと虫さされの薬。マチュピチュの蚊はかなり手強いので。(私は最初のマチュピチュ観光の時は雨が降っていたせいか蚊に遭遇しなかったが、サンクチュアリロッジのインスペクションのアポの時間に再来したときズボンがびしょぬれだったのでハーフパンツに着替えていったらそのときやられました。)
マチュピチュ村に戻ってぶらっと市内観光。
お土産屋さんは至る所にある。ドルも使えるがソルと比べてレートはよくない。たとえば30ソルのものをドルで支払うときは13ドルくらいで請求される。一般的なレートでいうと1ドルは3ソルなので3割程度上乗せされることとなり使い勝手がいいとはいえない。またクレジットカードOKの看板を出しているところ多いが使わせてくれた試しがない。たぶん客寄せの1つでしかないんだろうと思う。
マチュピチュ村の温泉にも訪問。
入場料は10ソル。入り口から5分くらいあるいたところに荷物の預け場所や、水着とタオルを貸し出してくれるところがある(各3ソル)。温泉といっても温水プールに近い。マチュピチュでの疲れをいやそうと私は訪れたのだが、日本の温泉とは違ってぬるいので私は入場そうそう引き上げた。疲れをいやすのならマッサージ屋に行った方がよかったかもしれない。
マチュピチュのホテル紹介。(ハッチャイタワーは前述したので省く)
<サンクチュアリロッジ>
いわずと知れた、マチュピチュ遺跡を望む唯一のホテル。その分、料金も高いことで有名。ホテルに関しては一般的なデラックスホテル程度。由緒あるホテルなので古いかなと思ったが建物は新しく、高級感溢れる。ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックスあり。
<マチュピチュインティイン>
レストランや土産物屋が並ぶマチュピチュ村の中心地に位置するホテル。駅からは徒歩5分以内。建物自体はすこし古めかしい。部屋の設備は乏しい。ドライヤーはあるが、テレビやミニバー、セーフティーボックスはない。
<マチュピチュイン>
マチュピチュ村で私の一番気に入ったホテル。2008年に改築したようで部屋はすこぶるキレイで、モダンなデザイン。ロケーションもマチュピチュ村のど真ん中。駅からは徒歩5分以内。レストランや土産物屋に困ることはない。ミニバーはなし。セーフティーボックスとドライヤーはあり。テレビは薄型。

12月2日
この日も朝5時半のオリャンタイタンボ行きの列車にのるため朝4時には起床。4時半に朝食を食べてチェックアウト。
5時過ぎに駅に到着したが、早朝とあってきたときと比べ客は少な目。帰りは2時間かけてオリャンタイタンボへ。早朝だからか売り子もいなかった。
オリャンタイタンボでは来たときと同じドライバーさんが待っていてくれた。同じように2時間かけてクスコまで。
飛行機に乗る時間まで余裕があったため、少しクスコの街を車で観光。
クスコはインカ帝国の首都だった街である。飛行機で上空からみたときはこじんまりした街だなぁと感じた。高い建物がほとんどなく、屋根の色は赤茶色で統一されている。威厳があるというよりもかわいらしい街並みである。

弊社でよく使うホテルも見学。
<ロスアンデスデアメリカ>
サンフランシスコ広場とレゴシホ広場を結ぶ路地にあるホテル。市内中心でアルマス広場へは徒歩5分以内。3ツ星ホテルなので豪華さはないものの、泊まる分には不自由ない設備がそろっている。ドライヤー、ミニバーあり。
その後、リマ行きの飛行機に乗るためクスコの空港へ。
リマからはまた国内線に乗り継ぎチクラヨまで行く。
クスコからは1時間20分のフライトでリマへ。このとき隣のおじさんが臭かった。汗の染み着いた臭いだった。でもなかなか優しいひとで私が臭いを意識しないように目をつむって寝ようとしているところ、食事が来たぞと肩をたたいて知らせてくれたり、食器を下げるときは進んで私の分まで下げてくれた。国内線の短いフフライトだからよかったものの、長時間のフライトで隣の人が臭うというのは人生で体験しうる苦痛の一つだなぁと感じた。自分も今後気をつけようと気を引き締めた。
リマでは次の便まで約6時間程度あるのでリマの市内観光をしに行く。
リマの旧市街は治安が悪いらしい、ガイドブックに書いてある。特に夜、旧市街のカテドラル周辺は近づかないほうがよい、大きい荷物や高級そうな時計や首から貴重品をぶら下げていると旅行者と一目瞭然なので狙われる、らしい。うん、私はすべて条件を満たしている。でもまだお昼過ぎだし、時間を持て余しているのでせっかくだから行こう。
もちろん危険な目には会いたくないので現地日本人スタッフにどのタクシー会社がよいかを確認。空港のグリーンタクシーというタクシー会社がよいらしく、ここで帰りの足も一緒に交渉するのがよいとのことだった。ではグリーンタクシーを探しに行くと、空港内で小太りのおばさんに声をかけられる。名札を見るとグリーンタクシーだ。これ幸いと値段の交渉。ちなみにペルーのタクシーはメーターはなくすべて事前交渉である。
おばちゃんは最初往復で90ソルといってきた。
現地基準からすると安くはないだろうが、こっちもどのタクシーでもよいわけではないから、往路を40ソル、しばらく待っててくれたら帰りは50ソル出すよといって了承。
市内までは約30分。交通量が多いので時間に限りがある場合は余裕をもって行動
することをおすすめしたい。
旧市街のサンマルティン広場に到着し、おばちゃんにここに1時間半後の17:30に戻るからまっててねと確認。
サンマルティン広場とアルマス広場、この2つを結ぶラユニオン通り、このエリアがペルー旧市街の一番の繁華街であり見どころである。

私はサンマルティン広場からアルマス広場まで出たあと宗教裁判所博物館で蝋人形を見学。

その後サンマルティン広場に戻ったのが17:35。5分オーバーはペルー人の許容範囲であろうと思いこんでいたがおばちゃんは不在。ペルー人は時間に厳しいのか。広場をぐるっと一周してみたがやはりいない。しかたなにし流しのタクシーに片っ端から空港まで乗せてってと頼んだが3回中3回連続で断られる。なぜだ?空港に入るライセンスか何かの問題だろうか?
少なくとも18:30には空港に着いていないチェックインに間に合わない。本格的ピンチだ、背筋冷たくなる。何か他の方法をさがさねば、そう思ってうろうろすると誰かが肩をたたく。いたー、おばちゃん!よかったよかった。なにやら警察に車を移動するようにいわれたらしい。無事に空港へ。
リマ旧市街の治安に関していえばよくはないだろうことは肌で感じた。
まず観光客が少ない。いるのかもしれないがパッとみ観光客と思われる人はほとんどいなかった。おそらく私くらいだろう。確かにリマは首都ではあるが必見の見所があるわけではない街だ。なにかしらピンチになった場合、助けてくれる人がどれくらいいるのだろうかという不安はある。あと公衆電話をガンガン叩いている人がいて警察に注意されていた。これが夜で買い物客がおらず夜だったら確かに怖い。人通りが多いお昼であれば問題はないが不用心に朝・晩と旧市街を出歩くのは賢明ではない。
リマからチクライヨのフライトは約1時間半。朝4時から活動している疲れのためか離陸前から寝ていた。
チクライヨに到着して、ガイドさんと合流。
この日のホテルは<コスタデルソル>。
街の中心のアルマス広場まで徒歩5分程度。到着時のリマの空港ホテルと同系列だがリマのと比べると建物は少し古め。一般的な3ツ星レベルのホテル。バスタブ、セーフティーボックス、ミニバー、ドライヤーあり。
疲れたので即就寝。
12月3日
朝食を食べて8時にガイドさんと合流。
この日はシカン遺跡とシカン博物館、シパン遺跡とシパン博物館の観光。それぞれチクライヨから近郊にあり、各場所には30分程度で行くことができる。
シカンとシパン、紛らわしいが、シカンは西暦900年頃から発展したチクライヨ周辺の文化の名称である。シパン文化はシカン文化の200年前、モチェ文化時代の最後の王のシパン王から取られた、その特にシパン王の時代にまつわる文化のことを指す。
まずシカン遺跡。
パタングランデと呼ばれる荒涼とした場所に、シカン文明のピラミッドがある。受付をすませ、車を走らせること5分。小高い丘が姿を表す。ぱっと見ではそれとは分からないもののこれがピラミッドらしい。このピラミッドはワカ・ロロとして知られ1991年に日本の発掘調査によって100点もの黄金の埋蔵品が発見されたという。1000年以上の時を経たため今では単なる小高い丘にしか見えないが、このワカ・ロロに登りあたりを見渡すと、ワカ・ラ・ロンディジョナなどのいくつものピラミッドが森の中から突き出ており、過去この場所に人為的なにかが存在したことを物語る、圧倒的な力強さと迫力に驚嘆させられる。
私にとってこの遺跡がマチュピチュについで今回の旅行で最も感動した遺跡である。

そしてシカン博物館。
日本の援助によってたてられたやけに立派な博物館。館内には学生達がたくさんいた。埋葬時を再現したものや黄金の埋葬品が展示されている。特に逆さで埋葬された様子を再現したものは印象的である。母胎の中にいるあかんぼうを思い起こさせる。次なる世界への誕生を願ったものであるのだろうか。

シパン博物館。
シパン遺跡から発掘された黄金や人骨などが納められている。ここにはシカン遺跡よりも沢山の黄金が飾られている。シカン遺跡も同じ傾向はあるが、人間を表現した紋様は2等身の胴長短足で愛嬌のあるものが多い。
シパン遺跡に到着してボックスの昼食。
ここで初めてインカコーラをのむ。
インカコーラとはペルーオリジナルのコーラでコカコーラと人気を二分する清涼飲料水である。蛍光色でちょっと飲むとき気が引けるが、日本人からしてもなじみのある味でひどくまずくはない(例えるならサクマドロップの香料をつけた甘い炭酸水です)。だが私にはトゥースイート・・・。
コカコーラとインカコーラはどっちが人気あるんですか、とガイドさんに聞くとインカコーラという。ペルーは暑いからみんな甘いのがすきなんじゃないのかな、なるほど~。それでもコカコーラ以上に人気がある清涼飲料水があるとはうらやましい。日本でコカコーラより人気があるものというと思いつかない、三ツ矢サイダーかなぁ~、CCレモンもうまいけどコカコーラより人気があるとは言えないなぁ。それにレモンだからちょっとオリジナリティに欠けるかな。

昼食のあとシパン遺跡を観光。
遺跡の近くには小さな博物館がある。内容はシパン博物館の方が遙かに豊富。ピラミッド近くには発掘現場がそのまま残っている(埋蔵品はすべて博物館に移されているので再現されたものが代わりに置いてある)。シカン遺跡の発掘現場は保護のため土で再度覆ってしまったがシパン遺跡はそのものを見ることができるので貴重である。
観光のあとは3時間かけてトルヒーヨへ。
ホテルは中心地のど真ん中、アルマス広場沿いの<リベルタドール>。
バスタブ、ドライヤー、セーフティーボックス、ミニバーあり。プールやジムもある。非常に洗練された雰囲気で、中庭のプールを囲むように建てられており解放感がある。
夕食を食べるために市内を散歩。
トルヒーヨはこじんまりした街であるがチクライヨよりも洗練されていて雰囲気がよい。今回のペルーの旅行でもかなり好きな街である。
夕食後、飲み物を買うためにスーパーへ。
レジに並んでいると20代前半くらいの男性が私をじっとみて、声をかけてきた。
といってもスペイン語なのでこっちはンプンカンプン。それにも関わらず一方的にしゃべりかけられる。コミュニケーションが全く成立しておらず、その男性の独り言でしかないのであるが、その猛烈ぶりには舌を巻いた。我々日本人には真似できる芸当ではない。尊敬の念すら抱いた。最後はなぜかハイタッチしてお別れ。意味不明だがこういうのも旅行の楽しみの一つであると思う。
そして就寝。
12月4日
朝9時にホテルを出発。
この日はトルヒーヨ近郊の太陽のワカ、月のワカ、カシネリ博物館、ドラゴンのワカ、チャンチャン遺跡、ワンチャコ海岸を観光した。すべて位置的に遠くないので午後2時には観光はすべて終了した。出発を早めればすべて午前中のみで観光はできるだろう。
まず太陽のワカと月のワカ。
この2つ遺跡はモチェ王国のもので、目測100メートルほどの距離をおいて隣あっている。太陽のワカは要塞、月のワカは神殿、そしてその間は居住区として使われていたという。太陽のワカは干しレンガが積み上げられたその外観しか拝むことはできないが、月のワカは内部見学可能。壁面には色鮮やかなレリーフが残っており当時を物語っている。レリーフは動物と人間の顔をモチーフにしたユーモラスなものであるが、遺跡からは生け贄の人骨が多数発掘されている。特に祭壇と思われる広場の一面の壁画は必見ある。

カシネリ博物館。
博物館という名前ではあるが地下の1室のみの小さなプライベートコレクションである。ほぼモチェ文化の壷がところせましと並んでいる。動物や人間をかたどったものや色鮮やかなものから単色の壷までバリエーションにとんだ壷を見ることができる。

ドラゴンのワカ。
チムー王国期の神殿といわれている。ドラゴンのような美しいレリーフが特徴である。本来はドラゴンではなくプーマと蛇の胴体合体したものと考えれているらしい。
チャンチャン遺跡。
1986年に世界遺産に登録されたチムー王国の首都の跡である。その広大な敷地の中の一部を見学できるようになっており、魚やペリカン、網を連想させるダイヤモンド型の繰り返されるレリーフが見事である。この近くのワンチャコ海岸がイメージの元なのだろうか。

一連の観光をすませワンチャコ海岸でシーフードのランチ。
ワンチャコ海岸では泳いでいる人もちらほらいたが本格的なシーズンになるとビーチパラソルで海岸が埋め尽くされるという。
海岸では漁師達が漁から戻ってきていた。未だモチェ文化時代から使用されているという藁の舟、トトラ舟で漁をしているらしい。

観光が終わってホテルに着いたのが午後3時前。市内の観光場所はほぼ網羅してしまったので映画館へ。リベルタドールからは徒歩3分くらいにシネコンがある。映画のタイムテーブルをチェックしようと映画館に足を運ぶが、シエスタの為クローズ。ガイドさんによると北ペルーはシエスタの習慣がある。だいたいお昼12時から16時まで閉店している多いとのこと。しかたなく16時に出直すことに。
日本でもそうだが見知らぬ土地で映画館に行くのは好きだ。暗闇の中で現地の人と共通の体験をする事で親密になる気がする。実際にインドの映画館には映画館にくる外国人が珍しいのか隣の人に噛み煙草を進められたりした。そしてそのアと医者だという男性に家に来ないかと誘われた(さすがにいかなかったけど)。日本語字幕などあるわけないので、映像と貧相なリスニング能力でもって内容を補完していく必要があるわけだけど。入場料も日本と比べるとすこぶるやすい。ここトルヒーヨでは7.50ソルであった。日本円だと大体300円で日本ではまだやっていない映画をみることができる。
映画を見て夕食を食べて就寝。
12月5日
この日は朝6時にトルヒーヨからワラスに向けて出発。移動には休憩併せて約10時間かかる。
ワラスはブランカ山群に囲まれた高原の街である。シーズンには登山客でにぎわう。
ワラスまでにはいくつかの山と谷を越えていく。当然標高も高い。一番高いポイントで約4500メートルにもなるという。もう言葉がでない。未知の体験である。
お昼は標高4000メートルほどの小さな村で魚料理とコカ茶をいただく。
ガイドさん達は砂糖を山盛り2杯いれて飲んでいた。これが初めてのコカ茶であったがなかなかおいしかった。コカ茶は高山病に効くと言われている。
高山病を心配していたが数時間で通り過ぎるためか、なにごともなかった。
さらに山道を越えすすむ。途中穴がボコボコあいた道を抜けるのでさすがにそれは疲れた。
ようやくワラスに到着したのが午後4時頃。
ホテルは<アンディーノクルブ>。
おそらくワラスで今の時点で一番よいホテル。しかし3ツ星でホテルの質もそれに準じる程度である。スイスの写真がホテルに飾られており、レストランもスイス料理を出している。中心地のアルマス広場までは徒歩15分程度。ホテルで地図を配っているのでそれをみればタクシーを使わなくともいくことができる。ドライヤー、バスタブ、セーフティーボックスあり。
しばらく休憩したあと、夕食を取るために街に繰り出す。
他の都市と同様にアルマス広場が中心となって広がっており、この周辺にレストランや銀行などが集中している。ペルーの他の街もそうだがいっそうこじんまりしている印象の街だ。市内には特に観光すべき場所はあまりなくアルマス広場の近くの考古学博物館くらい。1985年に世界遺産に登録されたワスカラン国立公園や紀元前1000年ごろの世界遺産の遺跡チャビンデワンタルなどが日帰りでいくことができる観光地であるが丸1日の時間が必要のため今回は断念。
夕食後、ホテルに戻って就寝。
明日はついにリマに戻る。
12月6日
朝6時に起きて8時にホテルをでる。
今回初めて3000メートルオーバーの高地での宿泊だったので不安だったが問題なし!最終関門突破じゃ!
(ガイドさんは、昨日頭痛かったよ、と言っていたのでやはりダイアモックスが効いたのであろうか。しかし高山病は運動量の激しさも原因の一つにあげられるので富士山と違って歩いて観光の今回の旅行はやはり富士山と比べて高山病のリスクは低いのだろうと思う)
この日はリマに車で戻る途中にカラル遺跡に立ち寄り、そのままリマの空港に戻る予定である。
ワラスから出発し5時間後にカラル遺跡に到着。
観光時、専属のガイドさんがつく。
カラル遺跡はいまから約5000年前、つまり紀元前3000年のころの建造物である。その範囲は広く66ヘクタールに渡って広がっているが現在見学できるのはその一部のみ。ピラミッドや祭壇、住居などをみることができる。祭壇には生け贄と思わしき人骨も発見されている。また日時計として使われたと思わしき石のオブジェが遺跡の中心に立っている。高度な知識をその時点で持っていたということと、おびただしい数の岩を手作業で運んだというから驚きである。
ちなみにワラスからカラル遺跡に入る場合は駐車場から入り口までがかなり遠く、1.3キロの道のりを歩かなければならない。この移動で私はかなり日焼けすることになった。

観光終了後、リマまで約3時間。
空港に着いたのは午後6時。
出発の0:50まで6時間余り。
小さな空港で過ごすのはもったいなさすぎるのでリマ市内に行ってもらうようにガイドさんにお願いする。
12月2日に行ったのは旧市街なの今度は新市街のミラフローレスに行きたい。ガイドさんもしぶしぶ了承してくれた。
ミラフローレスの中心地はケネディ公園。
この公園の周辺にレストランやショッピング街がある。ちょうど私が行ったのは日曜だったせいか大にぎわいで車も停める場所もないほど。しかたなくラルコマルで降ろしてもらい時間を決めてケネディ公園付近でピックアップしてもらうことに。
ラルコマルは海岸沿いのおしゃれなゾーン。シービューのレストランや映画館などが軒を連ねている。

ケネディ公園とラルコマルを歩いて分かるのは外国人観光客の多さ。
以前、リマの旧市街を歩いた時は観光客とみて分かる人の数が圧倒的に少ないため不安であると書いたが、新市街特にラルコマルは外国人だらけ。おそらく高級ホテルや高級レストランが多いためだろう。すでに暗い時間帯だったが治安の悪さを肌で感じることはなかった。基本的にツアーで宿泊するホテルもミラフローレス地区にあるため治安に関して無駄に不安になる必要もないだろう。
空港に到着したのは午後8時すぎ、夕食を空港で食べて9時20分過ぎにチェックイン。ガイドさんともここでお別れ。
これでペルーともお別れである。
ペルーを旅して思ったのが意外に観光の基盤がしっかりしているなぁと。ホテルも東南アジアの同等ランクのホテルと比べる質がよいし、食事も肉や魚が駄目な人でなければ十分美味しい。おしゃれなレストランも多い。お土産も豊富にあるし、センスが良い。また町並みもスペイン統治時代の建物が美しいまま残っており見応えがある。ペルーの人々も穏やかで親切だ。言葉はスペイン語が主だがホテルスタッフは英語でも通じる。物価も日本と比べて安いので居心地がよかった。英語ガイドなのでうまく説明がわかるか不安だったがガイドさんも分かりやすい単語を使ってくれていたしこちらの質問も意図をよくくみ取ってくれていた。
なににつけてもやはり遺跡のすばらしさ。
マチュピチュはもとより特にシカン遺跡は美しかったなぁ。ペルーはまさに文化遺産の宝庫!遺跡好きな人は絶対気に入る国だと思う。
高山病何事もなく旅行を楽しめて本当によかった。
みんなありがとう!
おまけ
ペルーで十分気をつけてもらいたいことベスト6(中途半端)
・ソルへの両替はドルからの方がベター
・マチュピチュでの虫よけ
・ワイナピチュは雨の時には登るな
・高地と低地で温度差が激しいので柔軟に対応できる服装を
・空港税は国内線約6ドルと国際線31ドルが出発毎に必要になるのでお金は残して置いた方がよい(いざとなればクレジットカードで引き出せますが)
・基本的にドルも使えるが割高で請求されることが多いのでソルを利用した方がおすすめ
2009年12月 橋本

中南米カテゴリの最新記事