2020年10月コロナ禍のポーランドの旅 〜クラクフ・ワルシャワ・グダンスク 〜

2020年10月コロナ禍のポーランドの旅 〜クラクフ・ワルシャワ・グダンスク 〜

コロナ禍の2020年10月にポーランドに行く機会を得ました。当然ながら世間は海外旅行の雰囲気からはほど遠く、未だ日本では帰国後14日間の待機期間を余儀なくされます。
世界の中には日本国籍の旅行者について入国させないなどの制限を設けている国もありますが、一部の国は日本人観光客に対して何の制限もなく入国を許可しています。
その国の1つがポーランドです。そこで私が実際にポーランドを旅をしてコロナ禍の海外旅行は何に気をつけるべきか?そもそも観光して楽しめるか?ということが今回の旅の目的です。

以下のような行程で旅をしました。

1日目:日本→ワルシャワ乗継ぎ→クラクフへ
2日目:アウシュビッツとヴィエリチカ岩塩坑観光
3日目:クラクフ旧市街観光、ワルシャワへ移動
4日目:ワルシャワ観光
5日目:グダンスクへ 途中マルボルク城観光
6日目:グダンスク観光 そして帰国の途へ
7日目:日本にて抗体検査と入国審査

【1日目(10/18)日本→ワルシャワ乗継ぎ→クラクフへ】
前回の海外旅行が3月だったのでおよそ半年空いての海外です。通常は1年に4回〜6回、海外に行ける生活を10数年間過ごしていたので、日本で過ごす時間はある意味貴重な体験でした。特に去年子供ができたので、この期間は私たち家族にとってはありがたい面もありました。
とは言えやはり当日になって空港にくるとテンション上がります。

<空港への移動手段>
私の住んでいる街から成田空港行きの定期バスが運行していたのですが残念ながらコロナウィルスの影響で運休。地下鉄で日比谷まで移動して、そこから銀座発の空港バスを利用しました。
東京駅や銀座発の高速バスは臨時ダイヤながらも何本か運行しているようです。

銀座から乗るバスに乗った乗客は私1人でした。3月に旅行したときは、銀座のバス停には荷物をバスに積み込む作業員の方がいたのですが、乗客が減ったためかいませんでした。
銀座駅を定刻通りに出発し、東京駅のバス停に到着。私の他に5人の乗客が乗り込みました。合計6人の乗客でバスは成田空港を目指します。

最初の到着場所、第3ターミナルでは2名降車しました。その次の第2ターミナルでは1人、最後の第1ターミナルでは私含めて3名おりました。
自分で言うのも何ですが、第1・第2ターミナルで降りる人が思いのほか多かったので、意外に海外に行く人多いのだなぁと思いました。

久しぶりの第1ターミナルは、確かに以前ほどの賑わいはないけれども、全く閑散とした雰囲気ではなく、想像していたよりはそこそこの人出はありました。と言っても海外旅行客らしい姿はなく、海外在住の家族や出張と思われる方がポツポツ見られる程度です。空港は一時期はコロナウィルスを撒き散らす場所として厳しい視線にさらされていたと思いますが、現在はさほどものものしい雰囲気は感じませんでした。

<空港内の土産物屋・両替など>
まずは現地スタッフに買って行くお土産を買おうと思い、出発フロアのショッピングエリアへ行きました。朝8時半とあって、まだ空いていないお店もありましたがほとんどのお店が無期限の臨時休業となっていました。まるで大型ショッピングモールにお客が流れた地方都市のシャッター商店街のようでした。
その中でもマクドナルド、スターバックス、無印良品、郵便局、銀行のATM、コンビニ、ドラッグストアなどいくつかのお店はオープンしていました。レストランもごく一部のみオープンしていました。私の肌感覚ですがコロナ前と比べるとお店の数は10分の1以下でしょう。


WIFIレンタルのカウンターは閉まっていた


お土産を売っているところは少ない


両替所は空いている

箱のお菓子を売っている場所がなかったので、コンビニに売っているブルボンのチョコレートの詰め合わせを数点購入しました。後から気づいたことですが、ドラッグストアや免税品店には箱詰めのお菓子が売っていました。現地の方にお土産を持って行くのであれば空港ではあまり選べないので空港に行く前に買って行ったほうがいいですね。

その後、両替所へ。見た限り休業している両替所はなかったので(それでも人を減らしての営業をしていますが)両替に関してはさほど心配する必要はなさそうです。

<ポーランド航空にチェックイン>
荷物を整えて、ポーランド航空にチェックイン。
チェックインカウンターでは事前に体温を測られる以外に特に手続きに変更はありません。PCRの陰性証明書なども提出する必要もありません。
むしろ並んでいる人が非常に少ないのでまるでエコノミークラスでもファストチェックインのようにスムーズで快適です。私はワルシャワ乗継ぎでクラクフへ向かう予定でしたので、グランドスタッフにワルシャワ空港にて荷物のピックアップをする必要があるか聞いたところ、ピックアップの必要はないそうです。


ポーランド航空カウンター

<ラウンジ>
出国手続き前に私の持っているクレジットカードで入れるラウンジがあるので行ってみました。ラウンジは一部閉まっているところもありましたが、私の使ったラウンジのようにオープンしている場所もありました。航空会社別で営業していたラウンジは他のキャリアと統合して使っているなんて話も聞きますので、よく使われる方は調べておいてもいいかもしれません。
時々満席に近いこともあるラウンジですがこの日は私含めラウンジにいたのは3名でした。いずれも男性で1人だったので、ビジネス関係での旅行と思われます。


出国前のラウンジ

<出国手続き>
出発ゲートどこだ?と探していてもなかなか見つからない、、、と思ったらありました。成田空港の第1ターミナルは自動化ゲートになっているようです。これまで空港スタッフがパスポートと搭乗券をチェックしていましたが、今は搭乗券のバーコードをかざせば入れるのでスムーズです。


出国ゲート

手荷物の検査を受けて、出国手続きへ。
出国手続きもこれまでは事前登録した一部の人しか自動化ゲートは使えませんでしたが、今は事前登録なしでも利用できるようです。出国スタンプの希望者のみ入管スタッフのカウンターに並びます。

以上、チェックインから出国手続完了まで30分かかっていないと思います。
こんなスピーディでストレスフリーなのは、海外旅行してきて初めてだと思います。エコノミークラスなのに、コロナ前のビジネスクラスでのファストレーンやファストチェックイン並みなので、なぜかなんとなく優越感があります。

<免税品店>
出国審査の後は免税店エリアへ。お酒やタバコ、化粧品など嗜好品の大型のお店は営業していますが、エルメスやコーチ、グッチなどハイブランドの店舗はいずれも臨時休業。レストランやお土産屋さんも一部しか営業していないので、これは出発フロアとさほど変わらない印象ですね。


一部は営業中ですが、ハイブランドの免税店はほぼ休業

<ポーランド航空に搭乗>
定刻通りに、搭乗手続きが開始されます。通常はビジネスクラスや上級会員の優先搭乗のアナウンスがありますが(気づかなかったのかもしれませんが)特にそういったアナウンスはありませんでした。
機内に乗っている乗客は私の目測で30人。
ポーランド航空のLO80便の配列は3−3−3なのですが、3席を1人で使ったとしても余りあるくらいの混み具合だったので、混雑率は満席が100%とすると15%前後のように思われます。
なので、特に意識しなくとも機内はソーシャルディスタンス状態です。ゆとりのあるせいか、乗務員も乗客も割とリラックスしているように見えて、特にコロナ禍だから、と言う緊張感は感じませんでした。
もちろんマスクの着用は厳守のようですがそれ以外、あれしちゃいけない、これしちゃいけないと言うものがなかったです。変わった点といえば、機内でコロナウィルスについての調査表(過去14日以内に風邪の症状があったか?コロナ陽性者と接触したかなど)を配布されたことと途中のドリンクサービスがなく自分で機内後方まで取りに行かなければならないこと。
つまり、コロナ前と変更点は多少あるもののほぼ意識して変えなければならないことはなく、むしろ快適な空の旅でした。

<ワルシャワ空港にて乗継ぎ>
ワルシャワまで約11時間のフライトを経て到着。
ワルシャワ空港では私はクラクフ行きへ乗継ぎとなります。
初めてワルシャワにて乗継ぎを体験しましたが、非常に分かりやすくできています。
ワルシャワ空港では「シェンゲン条約国以外」へは緑のレーン、「シェンゲン条約国」は青のレーンに別れており、乗客はどちらかに進めば良いことになります。
私はポーランド国内のクラクフ行きなので「シェンゲン条約国」内です。そのため青のレーンを進みました。やはり緑のレーンか青のレーンかの分かれ道で迷っている人もいました。「シェンゲン条約国」と言う言葉自体、そもそも聞き慣れていない人も多いことでしょう。そんな場合は乗る予定の便の搭乗ゲートのナンバーを確認すれば解決できます。
「シェンゲン条約国以外」の緑のレーンはゲートナンバーがN1〜N26番、「シェンゲン条約国」の青のレーンはゲートナンバーが1〜45番となっています。自分の次に乗る飛行機のゲートをモニターで確認した後に、適合するレーンを進みましょう。


途中マスクの販売機がありました

青のレーンをどんどん進んでいくと入国審査と手荷物検査があります。
入国審査では約30分くらい並びました。並んでいる間は「観光」か「ビジネス」か、どちらの目的で入国したと答えるのが正解なんだろう、コロナウィルスについて何か英語で聞かれないかな、聞かれたら英語で返答するのは難易度が高いな、など色々頭の中でシュミレーションしていましたがいざ自分の番になって審査を受けるとコロナ禍に関わらずNO質問で通過。肩透かし感がハンパがなかったです。

さらに青のレーンを進むと、途中バゲージクレーム(ベルトコンベアの荷物の引き取り場所)がありますが、これはワルシャワで降りる人専用のバゲージクレームです。私は成田空港にてワルシャワにて荷物のピックアップがないことを確認済みなので、そのままバゲージクレームを素通りして「transfer」の看板を目指して進みます。
そして手荷物検査となります。PCや液体物を出す以外は成田空港同様さほど厳しい様子ではなく、問題なくスルーできました。そして搭乗エリアに到着となります。

<ワルシャワ空港内の様子>
ワルシャワ空港内では期待していたよりも人が多く、コロナ前を彷彿とさせる光景でした。唯一違うのはほとんどの人がマスクをしていること。お店も成田のように閉まっておらず、見た限り全ての免税店が開いていました。マクドナルドの店内ではかなり混雑をしていたので、「3密だ」と思わずにはいれませんでしたが、寂しい成田空港と比べてこの賑わいは、今後世界が徐々に開かれていくような予兆のように感じました。
なお空港内ではアジア人らしい人はほとんど見ませんでした。またトイレや店内に入るときには消毒液が置いてあり、お店のレジにはビニールカーテンが店員とお客の間に設置されていました。感染予防対策に対しての意識は日本人と同じくらい高いと言ってもいいと思います。


レジでは日本と同じようにビニールカーテンが引いてあります。

<ラウンジについて>
私はプライオリティパスというほぼ全世界のラウンジを利用できるパスを楽天カードの特典でつい1年前に手に入れたので(半年間は何も使えなかったわけですが)、ここワルシャワ空港でも使ってみました。
私が訪れたラウンジはPRELUDIUM LOUNGEとい名前のラウンジで、幸いにも搭乗予定であったクラクフ行きの便のゲートそばでした。プライオリティパスのHPによると温かいお食事のご提供は当面の間中止しているようですが、クッキーやチョコレート、果物類、それにジュースやアルコール類は提供されていました。しかしセルフサービス形式ではなく、ラウンジのスタッフに直接、飲みたいもの・食べたいものを口頭や指差しで伝える原始的な形式をとっています。
セルフサービスだと余計なものまで食べてしまうのですが、これだと見栄をはって遠慮がちになるのでダイエット中にはいいかもしません。

<クラクフ行きの国内線に搭乗>
飛行機はほぼ定時に搭乗を開始しました。
クラクフ行きの国内線のフライトは便数が少なく、配列2−2のプロペラ機の中型機だったためか満席でした。「3密だ〜」と私が思ったのはいうまでもありません。
機内でしばらくすると水と菓子パン(アップルパイ)が出てきました。
乗務員が皆マスクをしていること以外は特にコロナ前と大きくは変わっていないようです。

<クラクフ空港到着>
そしてクラクフ空港に到着。すでにワルシャワにて入国審査を受けているのでここでは預けた荷物をピックアップするのみのです。

<両替は?市内への移動は?>
空港に到着して、さてどうしよう。クラクフに着いた後のことをそんなに考えていませんでした。

取り急ぎ小銭が必要だろうということで、両替所にて60ユーロを現地通貨に変えました。
見る限り日本円の扱いはなさそうです。60ユーロがおよそ210ズロチになりました。高く見積もって1ズロチ=30円ですからレートは良いとは言えないでしょう。あとから分かったことですが空港よりも市内の両替所の方が一般的にレートは良いそうです。しかし市内にも観光客狙いの低いレートのお店も中にはあるようなので、少しでも良いレートをお求めの方や大金を両替するならお店を見比べてみるのが最良と言えるでしょう。
ちなみにクレジットカードでのキャッシングも試みたのですが最低金額が1000ズロチ(3万円ほど)だったので止めました。そんなバカなと思う金額ですが、もっと少額だけ引き出す方法はあったのでしょうか。最近ではATMでも高額な手数料がかかる機械もあるので、見極めが難しいですね。
私はあれこれ悩むのは嫌だったので少額だけ両替所で変えて、あとはクレジットカードを併用して乗り切る方法をとりました。
(ポーランドではほとんどクレジットカードが使えますので、空港で必ずしも両替しなくとも問題ありません。バスのチケットやコンビニなどあらゆるものがカードに対応しています。ただしコインロッカーや有料のトイレなどはやはり小銭が必要となりますので少額のみ両替してコインにしておくといいでしょう。)

両替後、とりあえずバス停を見つけようと空港の外へ。
外の気温は8℃。我慢はできますが、東京からきた服装ではかなり寒く感じます。
ネットを使って調べて見ると配車アプリ(ウーバー)でしたら市内まで30分で約25ズロチ(約750円)です。一方バスは所要時間50分で約5ズロチ(150円ほど)。
600円の差額であればウーバーにしようと思いましたが、携帯を変えてからしばらく使っていなかったので設定が上手くできません。そうしているうちにバスがきたのでバスに乗ってしまいました。


バスの中の券売機 ほとんどがクレジットカードのみの対応


バスの中の打刻機


バス停の券売機

<バスで街はずれのバスターミナルへ>
バスに乗ったはいいものの、実はよく調べていませんでした。ガイドブックをチラ見して252番のバスが市内へ向かうといので、単純にこの252番のバスに乗っただけです。
最初は旧市街方面へバスは走っていたのですが、途中でホテルのある駅近くの方向とは逆の進路を取ります。きっと回り道していずれ駅まで向かうのだろうと呑気に構えていたら、「ラストストップ」と運転手が言うので降りてみると、どこだかわからない郊外のバスターミナルでした。
とりあえず携帯のアプリで位置はわかります。幸いにも旧市街のホテルまで歩いて30分くらい距離でしたので歩き出します。
しばらく歩いて行くとトラム乗り場があります。クラクフの市民の足はバスとこの路面電車(トラム)なのです。トラムで旧市街エリアまで行くことにしましたが、すでに前回支払ったバス代金のために小銭がありません。そのため近くのコンビニ(カルフール・エクスプレス)に立ち寄り飲み物を買って、小銭を作ります。
そうして券売機で小銭を入れて乗車券を買おうとしましたが、小銭を入れた途端チャリンチャリンと受け取り皿に落ちてきます。壊れているのでしょうか?私は諦めてトラムの中でチケットを買うことにしました。そうです、ポーランドのバスやトラムは車内でも切符を販売しているのです。
旧市街行きのトラムに乗り込んで券売機でチケットを買おうとしましたが、クレジットカード専用でした。あっけに取られた私はとりあえずトラムの席に座りこんで考えました。クレジットカードを使うべきかどうか。個人的にはあまりこちらの機械の操作方法に慣れていないので、変に地元の人々の視線を浴びたくないなぁと思ったのです。でもよくよく考えるとクラクフ空港から市内へのバスに乗った時はチケットのチェックなどありませんでしたから、しばらく乗っていても気づかれないかもと思いました。
そこで旧市街の近くになったらとっとと降りて歩いてホテルに行こうと言う結論に至りました。
計画通り旧市街近くで降りた私は、徒歩で10分くらいかけてようやくホテルに辿り着きました。

<ホテルウニクスパレス Hotel Unicus Palace>
クラクフで過ごすホテルはホテルウニクスパレスです。旧市街の門に近い、観光に便利な5つ星ホテルです。リゾート系の出張でない限り5つ星ホテルに泊まることは普段ありません。実は同系列の4つ星ホテル(ホテルウニクス)に予約を取っていたのですが、なぜがアップグレードしてくれたのです。なぜと聞くとホテルスタッフは宣伝(advertisement)と答えていました。
きっと少ない観光客を2箇所の系列ホテルに泊まらせるよりはグレードの高い1箇所に泊まらせるほうが効率的だと考えたのでしょう。せっかく歩いてここまできたので「ホテルを移動するなんてめんどくさいなぁ」と思いましたが、ウニクスパレスの方が明らかに格式高い雰囲気なので、変更してもらってよかった〜と思いました。

ここからはホテルの紹介です。
パレスと名のつくとおり、外観や内装はまるでどこかの宮殿や邸宅を思わせるような豪華なつくり。室内はホワイトを貴重にした清潔感のある造り。天井は高めで開放感があり、敷き詰められた絨毯とゆったりしたソファーなどの調度品が特別感を演出しています。バスルームにはシャワーブースとバスタブが備わっています。もちろんミニバーや無料のWIFI、湯沸しポットや空調、セーフティーボックスなども完備。旧市街の入り口にも近いため駅からのアクセスも容易です。

レストランに入ろうとも思いましたが長旅で疲れたので、ホテルの近くのケバブ屋さんでケバブを買って(17ズロチ)この日は就寝。

【2日目(10/19)アウシュビッツとヴィエリチカ岩塩坑】
この日はポーランド観光のハイライトとも言えるアウシュビッツとヴィエリチカ岩塩坑の観光に行ってきます。
アウシュビッツとヴィエリチカ岩塩坑は公共交通機関を使って1日でまわるのは難しいのですが、今回のようにプライベートツアーであれば簡単に周遊ができちゃいます。アウシュビッツもヴィエリチカ岩塩坑もどちらもポーランドを代表するスポットなので、少し高くはなりますが断然プライベートツアーでの訪問をお勧めします。

この日は朝7時半にガイドとホテルロビー集合。
実は私は別の日の待ち合わせと間違えて、集合は9時だと思って悠長に部屋でテレビなど見て過ごしていたのですが、メールをチェックしていたらたまたま7時半が集合時間だとわかったのが集合時間の約5分前で、急いで階段を駆け降りたのでした。
集合時間には無事間に合いましたが、朝食も食べてないし歯も磨いてないし(マスクでよかった)で散々な出発となりました。
この日のガイドさんはマグダさん、以前日本に5年間も過ごしたことがあるそうで、日本語のレベルは非常に高いです。
マグダさんもドライバーさんもアウシュビッツに行くのは約半年前だとのことで、コロナ後は行ったことがありません。コロナ前後でどう変わっているかは私も関心事の一つなので、マグダさんは私にとって頼りになる存在でした。

<アウシュビッツ・ビルケナウ博物館>
アウシュビッツ・ビルケナウ博物館については、今更説明する必要ないかもしれません。ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に行った強制労働と大量虐殺(ホロコースト)の舞台としてあまりに有名です。犠牲者となったのは主にユダヤ人で収容者の90%がユダヤ人だったとも言われています。
当初はポーランド侵攻に伴い、ポーランド兵士(捕虜)を収監し労働させる場所として役割をはたしていました。しかし次第に対象者は増えつつけ、ナチス・ドイツが敵視するユダヤ人を収監・殺戮するための施設へと変わっていきました。
人が人でなくなるような、残酷な歴史的事実。それがほんの70年前までに起きていたことに決して我々は目を背けてはいけません。自分自身を確固とした存在であるかのように思いがちですが、周りの状況に流されやすい人間の弱さ、そして踏み越えてはならない倫理観のボーダーラインを易々と飛び越えてしまう集団心理に恐ろしさを覚えます。
アウシュビッツを持ち出さなくとも、誰しもが自分さえ守れれば他者がどうなってもいい、そういう気持ちになったこともあるでしょう。人間が抱える残酷な本能を知りながらも、やはり常に理性的であり謙虚でありたいと思いました。

ここからは私が訪れた時の観光の流れを紹介します。
クラクフから車で約1時間15分でアウシュビッツに到着しました。
アウシュビッツの博物館は第1収容所と第2収容所の2つに分かれています。大戦中には第3収容所まで建設されていましたが、終戦後ドイツ軍に破壊されていまは何も残っていないそうです。


トイレには全ての洗面台に液体石鹸と消毒液

<第1収容所>
観光のスタートは第1収容所からです。
お手洗いを済ませた後、空港のボディチェックを思わせる除菌のブースを通り、荷物検査を受けます。アウシュビッツにはリュックサックなどの大きな荷物は持っていけません。ショルダーバックやハンドバック類までの大きさに限られますので不必要なものは車の中やホテルにおいておきましょう。カメラは問題ありません。またセキュリティチェックの際にパスポートの提示も求められます。
私たちは朝9時からのポーランド語のツアーに参加しました。参加者は私とガイドさんの2名のみでした。コロナ前は30人までがツアーの定員でしたがいまは10人までに制限されているそうです。通常は公認のポーランド語ガイドさんが話す内容を日本語に通訳してくれるそうなのですが、2名しかいないのでガイドさんが主にアウシュビッツの説明をしてくれて、わからないことは公認ガイドに聞くという流れになります。
ちなみにアウシュビッツは公認ガイド付きでしか観光ができません。朝9時までと16時以降はガイドなしでも個人で観光ができるそうですが、いまは予約制になっているのでいずれにしても予約は必須となります。


全身除菌のゲートを通過します


言語別ツアー出発時間


感染予防の立て看板

いわゆるアウシュビッツと呼ばれることが多いのがこの第1収容所です。
アウシュビッツとは土地のドイツ語読みの名称であり、ポーランドではオシフィエンチムと呼ばれています。アウシュビッツはもともとポーランド軍の基地でした。ドイツ軍がポーランド侵攻に伴い、こちらの基地を接収し、ポーランド軍捕虜の強制収容所へと役割を変えたのです。
またヨーロッパの中央に位置するアウシュビッツは収容所として、非常に効率的でした。
東西南北の鉄道網の合流地点でもあったのです。そのため、各地で捕らえられた捕虜やユダヤ人などは列車の荷台に詰め込まれてアウシュビッツへ送られたと言います。

第1収容所には、当時の収容所の建物をそのまま使った資料の展示室や大量殺戮の現場となったガス室のレプリカがあります。
数々の印象的な写真はこちらの第1収容所で見ることができます。私が印象的だったものが、列車から降りてきたユダヤ人を選別しているときの証明写真です。その写真ではユダヤ人の白髪のおじいさんがドイツ軍に右に行くように指示されていることが見てとれます。つまり働ける者と働けない者に髪の毛や肌などで判断されて、働ける者は収容所へ。働けない者はそのままガス室へ連れて行かれるのです。この写真が撮影された場所は第2収容所でこのあと実際にこの目で見ることができます。写真がフィクションでなく残酷な現実であることを生々しく私たちに突きつけているように感じました。


「働けば自由になる」のスローガン もちろん働いても働かなくとも自由になることはなく死が待つのみだったという


2重に貼られた電気柵


Those who do not remember the past are condemned to repeat it. アメリカの哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉


裁判所と刑務所の機能を果たした11号館


11号館の廊下は当時のまま


銃殺刑 の執行場所 「死の壁」


「止まれ」の看板を一歩でも超えると見張台から銃殺される


ガス室のレプリカ


ほとんど車がないアウシュビッツの駐車場


まばらな観光客 ガイドさんもこの方生まれて見たことないくらいの人の少なさと驚嘆していました。

<第2収容所>
第2収容所は1941年に完成しました。第1収容所がもともとポーランド軍の基地を収容所に転用していたのに対して、第2収容所は強制労働や殺戮が目的で建てられた施設となります。
ビルケナウ(ポーランド語ではブジェジンカ)という村に立てられたのでビルケナウと呼ばれています。観光の際は第1収容所から第2収容所は無料のバスが運行していますが、私たちはプライベートツアーのため乗ってきた車で移動しました。

第2収容所には鉄道の引き込み線など、効率を考えられてつくられた施設は人間をモノとしてしか見ていない事実をありありと思い知らされます。
ユダヤ人や捕虜たちが収監されていた建物や洗面台、トイレなど日々の暮らしを垣間見れる展示がされています。なおガス室は戦後ドイツ軍に証拠隠滅のため破壊されたため、現在は瓦礫しか残っていませんがガイドさんの話を聞くとありありとその時の情景が浮かぶようです。

ビルケナウにたどり着いたユダヤの人々はそこが殺戮の現場だと思ってもいません。なぜならガス室の前では楽団が陽気な音楽を鳴らし、指導役はユダヤ人だからです。長旅のあとだからシャワーを浴びろと言われて、向かっていったのはガス室。
焼却炉だけでは処理しきれないため、屋外で死体を燃やすこともあったそうです。

日本でも「サウルの息子」という映画が公開されましたよね。「サウルの息子」ではゾンダーコマンドという、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊が主人公の映画です。以前この映画を見たことによってガイドさんの説明が自分の中へすっと理解できたように思いました。

アウシュビッツ・ビルケナウ博物館に来る前は、遠い離れた国の昔の話、と思っていないわけではありませんが、実際に訪れたことでより実感を持って人間の弱さ・人間の愚かさ、そしてそれが今も自分の中にあることを突きつけられたように感じました。
決して見て愉快なもの美しいものではありませんが、これも人間の姿なのだと負の世界遺産としてこれからもあらゆる人々に見て感じて欲しい、そんな思いを抱きました。


石鹸置き場のある洗面所 だが石鹸が配られることは1度となかったそうだ


囚人のバラック 多い時には1つのベッドに10人詰め込まれた


スーベニアショップの入り口

<昼食はホットドッグ>
このツアーでは昼食は含まれていなかったので、昼食はオシフィエンチムのガソリンスタンドの売店でガイドさんオススメのホットドックを購入しました。
ポーランド流のホットドックはパンが筒状になっており、そこにケチャップやマスタードを流し込み、ソーセージを挿入するような独特な形のホットドックです。サイズは中サイズ(5ズロチ)と大サイズ(7ズロチ)があったのですが、朝食を食べていない私は中サイズを2つとホットコーヒを注文しました。しめて13ズロチほど(420円)でした。

味はいたって美味しいホットドックです。ポーランド料理(?)とは言えないかもしれませんが、手軽に食べれるので観光の合間にはいいですね。

<ヴィエリチカ岩塩坑>
アウシュビッツを後にして向かったのがヴィエリチカ岩塩坑です。
クラクフからは車で30分程度。アウシュビッツからは1時間半程度。クラクフ空港からでも列車でヴィエリチカ駅までいけるそうです。
ヴィエリチカ岩塩坑は700年以上も歴史のある、廃坑になっていいない岩塩坑としては世界最古のものです。その貴重さゆえ1978年の第1回目の世界遺産に登録されました。
ヴィエリチカ岩塩坑でも圧倒的なのは、坑夫たちが工事の安全を祈願して造ったという礼拝堂や大聖堂、彫刻の数々。まさか地下100mにこれほど美しい場所があるとは・・・。特に大聖堂の彫刻は3人の坑夫が入れ替わり60年かけて作り上げたそうです。
人の手で地下深くまで掘り進めた奇跡のような事実と美しい彫刻の数々により、ここに訪れた人々はその神秘さに驚かされることでしょう。

ここからは私の実際に経験した観光の流れをご紹介します。
ヴィエリチカ岩塩坑は深さ地下327 m 、全長は300 km 以上に及ぶ巨大な岩塩坑のです。観光ルートはその中のごく一部ですが、基本的には個人での観光は許されていません。そのためまずツアーの事前予約が必要です。
事前予約の受付を済ませて、ツアーの開始まで建物の外で我々は待ちます。ガイドさんによるとコロナ前は建物の中で待っていたそうですが、コロナ後はソーシャルディスタンスの関係で外で待つそうです。私たちは午後1:25開始のポーランド語のツアーに参加しました。アウシュビッツ観光の時と同様にポーランド語の説明をガイドさんが日本語で通訳してくれる流れとなります。


入り口にはテントがあり、体温測定があります。


屋内にあったチケットブースは屋外へ


3密を避けるためか、屋外でツアー開始まで待ちます。

時間になると建物の中に通されて、案内のビデオを見ます。
そして探検の始まりです。まずは自分の足で階段で地下54階までおります。しばらくは同じような階段をぐるぐる回っておりて行くので、目が回りそうになります。ちなみに足が悪い方向けにエレベーターもあるそうです。
降りると観光の諸注意があります。コロナ後のヴィエリチカ観光ではあまり壁を触ったり舐めたりしないように注意がありました。確かに今の時代、誰かが舐めたりすると思うとちょっと嫌ですよね。

その後、坑道をどんどんと進んでいきます。坑道と聞くと狭くて暗いの?と思われるかもしれませんが人が立って通れないくらいの狭い道は観光ルートにはありません。人がすれ違う以上の幅や人の身長にかなり余裕のある高さです。蛍光灯が常に明るく灯っているため、観光中は特に狭苦しい印象はありません。
途中、かつてこの採掘坑で働いた坑夫の姿や引き上げ機を再現した展示があります。大昔は手作業で岩塩を切り出し、樽状にした後転がして運んでいたそうです。また驚くべきことに馬をこの採掘坑に連れてきたそうです。馬は地下深くに潜るのを嫌がるためその作業は困難を極めました。そしてその困難さゆえ、一度地下に入った馬は死ぬまで地上に出ることはほとんどなかったとのこと。しかし地下に住む馬は決して病気などすることはなかったそうで、それはミネラルを含んだ空気が身体に良い影響を及ぼした結果だと言われています。
またこの採掘坑を訪れた人々のモニュメントも見ていて楽しいです。私が目にしたのはコペルニクスやゲーテ、ヨハネ・パウロ2世、ユゼフ・ピウスツキなどです。流石に歴史ある岩塩坑らしく、多くの著名人が訪れたみたいですですね。

ツアーはいくつかの礼拝堂や大聖堂を経た後、レストランやお土産物屋さんのあるエリアにて終了となります。ツアー所要時間は約2時間でしょうか。2時間も感じさせないほどあっという間で楽しかったです。
帰りはもちろんエレベーターです。旧式のエレベーターと新型のエレベーターがあるそうですが、コロナ禍で観光客が少ないためより出口に近くて便利な旧式のエレベーターを私たちは使いました。このエレベーターは坑夫たちも実際使っていたそうで、45秒で地下約100mから地上まで一気に移動します。この旧式のエレベーターは9人乗り4階建てですがコロナ後は1部屋に5人までに制限されているようです。9人から5人までというとかなり制限しているように感じますが、5人でも結構圧迫感はあります。

<バリデーションをしにクラクフ中央駅へ>
ヴィエリチカ岩塩坑の観光をおえた後は旧市街のホテルへ戻ります。まだ時間は午後4時です。
明日私はワルシャワ行きの列車に乗るために、今の内に列車のバリデーションを済ませようと思いました。バリデーションとは切符の刻印のことで、列車パスを有効にするための必要な作業です。
クラクフ旧市街から歩いて10分。クラクフ駅は駅前のショッピングモールを抜けて行きます。クラクフのチケット売り場に到着して、バリデーションプリーズというと、駅員の男性がポンっとスタンプを押してくれました。これでバリデーションは完了です。
乗車日当日にバリデーションを行なってもいいのですが、時間帯によっては切符を買う人で窓口が混雑していることがあるので、今回のように前日に済ませるのがおすすめです(フレキシーパスであればですが)。


クラクフ中央駅前には巨大なモール


モールの地下はクラクフ中央駅に直結している

<クラクフおすすめのミルクバー>
無事バリデーションを終えた私は夕食を食べるために、旧市街に戻ってきました。ガイドさんおすすめのミルクバー Bar Mleczy ‘Pod Temida’に行くためです。
ミルクバーというと現代日本ではほとんど目にしませんが、明治、大正時代には軽食店のことをミルクバーと呼ぶこともありました。ここポーランドでも同様に主に食堂の意味で使われているようです。
ポーランドにおけるミルクバーの定義はいくつかあるようですが、カウンターで注文・会計して後はセルフサービスという点は日本のショッピングモールにあるフードコートに似ているかもしれません。ポーランドの大衆料理が安くてたくさん食べられる、しかも余計なテーブルサービスなどがないので私のような一人旅にはぴったりのレストランなのです。
私はガイドさんに是非食べてと言われたジュレックと肉入りのピエロギをオーダーしました。残念ながらミルクバーにはビールはないそうなので炭酸水で我慢。全部で27ズロチ(810円)でした。
ジュレックはシチューのようなソーセージや野菜が入った白いスープで、ライ麦を発酵させて作ったもの。そのためすこし酸味のある味わい。ピエロギはできたら呼んでくれるそうなので、カウンター近くのテーブルにて少し待つ事にしました。しばらくするとダンプリング!!(英語で餃子やピエロギのこと)と呼ばれたので料理をピックアップ。ピエロギはポーランドの代表的な郷土料理で、日本で言えば水餃子のようなもの。皮の中にはひき肉やチーズが入っているのが一般的です。ジュレックもピエロギも白いので、写真をとったら全体的に白い色味になってしまった。

日本で言えばシチューと水餃子を食べているようなものであるから、どちらも日本人の私には馴染みがあり美味しくいただくことができました(なかなかない組み合わせですが)。ポーランド料理というとあまりイメージが湧きませんが、美味しかったので次も何かポーランド料理にトライしたいと思いました。

お腹を満たした後はホテルに戻りました。
今日は歩き疲れたので、すぐにベッドに横になって就寝しました。

【3日目(10/20)クラクフ旧市街とワルシャワへ移動】
朝7時にホテルの朝食を取りました。昨日は朝食をとる時間がなかったのでこの日がポーランドで初めての朝食となります。

<コロナ禍のホテルの朝食>
レストランに到着すると、店員の方からマスクの着用を求められました。私は不用意にもマスクを忘れたので部屋に戻ろうと踵を返したところ、なんとマスクを無料でくれました。さすが5つ星ホテル。テーブルについてさぁセルフサービスのビュッフェを取りに行きたいところですが、コロナ後のビュッフェはなかなか面倒です。
まずビニールの手袋をつけることを求められ、レストランスタッフの監視のもとで食べたいものを皿に乗せて行きます。コロナ前のビュッフェであれば、少量とって食べて、また少量とって食べてということが可能なのですが、今回はビニールの手袋をしたり食べ物を取るのを監視されるのでお代わりがちょっと面倒です。ある意味余計なものまで手を伸ばさなくなるので、身体にはいいかもしれませんが。。。
結局私はお代わりすることなく、最初のお皿に持ったぶんで食事を終えました。

<クラクフ旧市街観光>
荷造りをしてホテルをチェックアウト。大きな荷物はホテルにバゲージルームに預けてもらいました。
さぁクラクフの旧市街観光に出発です。ここでクラクフの簡単な説明をしましょう。
11世紀から16世紀の約550年間、ポーランド王国の首都であったクラクフはウィーンやチェコと並ぶ文化の中心だったそうです。その後、ポーランドは混乱の歴史を辿る事になるのですが、クラクフの街並みは戦火を免れ現在も中世の姿そのままで当時の面影を伝えています。この貴重な街並みは1978年、ヴィエリチカ岩塩坑と時を同じくして第1回の世界遺産に認定されました。
ワルシャワは東京に例えるとすればクラクフは京都とも表現されます。ポーランドに訪れたなら必ず尋ねてほしいそんな場所です。
クラクフ旧市街が最も賑わうのが中央広場。聖マリア教会や織物会館、旧市庁舎の塔などクラクフのシンボル的な建物が集う巨大な広場です。総面積4万平方メートルものこの広場は中世から残る広場としてヨーロッパ最大のものだそうです。

<ヴァヴェル城>
私はまずヴァヴェル城を目指します。昨日のガイドさんにクラクフの旧市街でおすすめの場所を聞いておいたのです。
ヴァヴェル城はかつてのポーランド王の居城でした。それ故、その佇まいは旧市街の絢爛たる建造物の中でも一際荘厳で見応えがあります。私はあまり時間がなかったので、大聖堂には入らず入場が無料の中庭を中心に見学しました。コロナ前であれば、決して考えられないような静けさの中で見上げたヴァヴェル城はとても印象深いものでした。特に大聖堂の外観は筆舌尽くしがたく、夢中でシャッターを切りました。観光時間に余裕のある方は1日時間をとって過ごしても楽しめる場所だと思います。ヴィスワ川からのヴァヴェル城の景観を眺めた後に向かったのはカジミエシュ地区です。

<カジミエシュ地区>
カジミエシュ地区は14世紀に造られたユダヤ人街。第2次世界大戦の時まで栄えたと言われています。ユダヤ人街の面影を残すようにカジミエシュ地区にはいくつかのシナゴーグがあります。また映画「シンドラーのリスト」のロケ地にも使われたそうで、街にはナチス・ドイツによる強制連行やホロコーストにまつわる史跡も残されています。
現在はクラクフ市内の流行に敏感なエリアとして、おしゃれなカフェやデザイン雑貨、セレクトショップなどが続々とオープンする注目スポットとなっています。

<クラクフ→ワルシャワへ>
12:54発の列車に乗るために旧市街を観光したあとはホテルに戻ります。
ホテルで荷物を引き取ったあとは、ガイドさんおすすめの屋外マーケット、スタリ・クレパシュをひやかしつつクラクフ中央駅へ向かいました。

すでに12:30をまわっていたので、私は駅へと向かう途中のサンドイッチ店でポーランド風のピザ、ザピエカンカとコーヒーをテイクアウト(11.5ズロチ)。ザピエカンカは細長いピザ風パンで、ポーランドのB級グルメの一つだそうです。
ピザをコーヒーを握りしめて、乗車する予定のホームを目指します。私が乗る列車のホームは5番で一番奥のプラットホームでした。ホームにはすでに私が乗車する予定の列車が出発を待っていました。出発の5分前になると列車の扉が開き乗客たちが乗り込みます。
私が乗車したのはEIPという列車で、ポーランド国内ではおそらく最も早い特急列車です。クラクフからワルシャワをおよそ2時間半で結びます。

列車内にはトイレや車内販売があります。ありがたいことに水のボトルが無料で配られます。軽食も車内でオーダーできるので、時間がない場合は慌てて買わなくとも良さそうです。また列車内ではWIFIもありますが無料なのは15分までのようです。

<ワルシャワ中央駅到着>
約2時間半の旅路を経てワルシャワ駅に到着。車窓から見えたワルシャワの街並みはやはりクラクフと比べて規模や経済的にも豊かな感じがみてわかりました。
クラクフ駅と比べると迷路のように広いワルシャワ中央駅の地下街を抜けて、トラムで隣のWarszawa Ochota駅へ移動します。Warszawa Ochota駅は宿泊するホテルの最寄りの駅です。ワルシャワのトラムの停留所には券売機がないため、車内で買う事に。

<カンパニール ヴァルソヴィ ワルシャワ→ホテル プルミア クラッセ>
ワルシャワのホテルはWarszawa Ochota駅のそばにある、カンパニール ヴァルソヴィ ワルシャワ。早速ホテルのフロントで、チェックインしようとすると、私の予約は隣のホテルのホテル プルミア クラッセ入っているとのこと。クラクフに続いてまたホテルの変更か、とげんなりしましたが同じ建物で反対側に入り口にあるそうなので、言われるがまま行ってみる事に。
ホテル プルミア クラッセは入り口が大通りではなく、裏の路地に面している。今回はクラクフと違いグレードアップではなくてグレードダウンでした。まぁこういうこともあるさ。
ホテル プルミア クラッセにチェックインし、部屋に入ると前日の5つ星ホテルとの違いが如実に出てなかなか興味深かったです。
室内は狭目(スーツケースだと広げられないくらい)、バスタブはなくシャワーオンリー、ミニバーやセーフティーボックス、ドライヤーもなし。でも個人的にはこれよりひどいホテルに何度と泊まったことがあるので温かいお湯が出て、無料のWIFIもあり、清潔感ありでちゃんと気持ちよく寝れそうなので特に問題はありません。

今回はWarszawa Ochota駅付近に宿をとりました。中央駅付近と比べると料金が安いためです。でも数千円の違いであれば中央駅に宿を取ってもいいかもしれせん、なぜならWarszawa Ochota駅付近にはレストランやコンビニが少ないことと、特急列車が止まらないので中央駅に到着したら重い荷物を持ってトラムなどで隣のWarszawa Ochota駅まで移動しなければならないからです。土地勘があればいいのですが旅行者にとってはちょっと面倒かと思います。
もちろん料金や滞在時間によりますが、効率的に観光したいのであれば中央駅付近が観光旅行での宿泊場所としてはベストと言えそうです。

<ワジェンキ公園>
すでに午後4時を回っていました。大体日没は午後6時前なので、観光はあまりせず公園にでも行ってのんびりしようかと思いました。ワルシャワで夕食の評判の良いミルクバーを調べていくと人気のミルクバーの近くにワジェンキ公園という巨大な公園があるのでここにいく事にしました。

ワジェンキ公園は私が居を置いたホテルから徒歩で約40分。ワルシャワはクラクフと比べて都市が広いため、見どころがぎゅっと凝縮されているクラクフと比べてると町歩きの楽しさは劣るかもしれません。しかしクラクフでは見られないような巨大な公園や大型施設があるのがワルシャワの良さでしょう。

ようやくワジェンキ公園に到着。広いことはわかっていましたが、実際歩くとその広さに驚愕します。調べてみるとなんと総面積76万平方メートル(東京ディズニーランドの約1.5倍の面積)もあるそうです。公園内にはレストランやカフェの他に宮殿、美術館があり、日本で言えば上野公園のような存在に近いです。しかし広さは比べ物にならないほど大きく感じました。日本の公園は広場が多い印象を受けますがこちらのワジェンキ公園は鬱蒼として植物が多いイメージです。そのため夏の時期でも涼しく過ごせそうです。ハイキングや物思いにふけりながら歩くにはぴったりな公園ですね。

この公園で有名なのが夏のシーズン、毎週日曜日にあるショパンコンサートです。公園内にあるショパン像の広場で無料のコンサートが開かれるようです。ポーランドの夏に公園をショパンを聴きながら過ごすっていいですね。ぜひタイミングが合えば訪れてみては?

もう一つこの公園で知られているのが水上宮殿(ワジェンスキ宮殿)です。元々は18世紀にポーランド王であったスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの夏の離宮として建てられたものです。1944年の第2次世界大戦中に破壊されてしまい、現在残っているものは修復されたものです。現在内部は国立博物館の別館としてオープンしています。すでに午後7時近かったのでこの日は内部には入らず、橋の上から水上宮殿の美しい姿を堪能しました。

<プラソヴィ食堂 Bar Mleczny Prasowy>
ワルシャワのミルクバーで最初に名前が挙がってきたのがこのプラソヴィ食堂です。ワジェンキ公園に近く、安くて美味しいと評判のプラソヴィ食堂は1954年創業のミルクバーです。一度閉店したそうですが、反対運動がおき現代風にリノベーションして復活したのが今のプラソヴィ食堂だそうです。
私がロールキャベツが食べたかったのですがこのお店にはなかったのでピエロギにしようとしました。でもピエロギは昨日も食べたので、店員さんオススメを聞いたところランチセットが良いそうなのでピエロギはやめてランチセットにしました。すでに午後6時を過ぎたのにランチセットが注文できたのに驚きです。
この日のランチプレートはコトレット・ミエロヌィと呼ばれるポーランド風ハンバーグ(付け合せにはご飯をチョイス)とコールスロー 、チョコレートバーにコンポート(ベリー系の果実に砂糖を加えて煮た甘いジュース)です。別途、レモネードもオーダーしてトータル23.5ズロチです(700円)。
初めて食べたコトレット・ミエロヌィはランチョンミートのような味わい、少し塩辛いのがご飯とマッチします。コールスローは甘めの味付け。

プラソヴィ食堂でお腹を満たした後はホテル方面にトラムで戻ります。この日は就寝。

【4日目(10/21)ワルシャワ観光】
朝7時に朝食です。ホテル プルミア クラッセではチェックイン時に朝食の希望時間を聞いて、混雑を避けている模様。私は7時を希望したので朝食会場に向かいました。
レストランスタッフが私に飲み物を希望を聞きます。そしてレストランスタッフがビュッフェコーナーで私の分を皿に盛り、提供してくれます。皿に乗った食事はパンにチーズ、ハム、ソーセージ、トマト、ピクルスなどでした。おそらくお代わりはできるのですが、勝手にビュッフェコーナーに行って好きに取ることはできなさそうです。
昨日のクラクフのホテルと言い、各ホテルは朝食の対応に工夫しながら取り組んでいるようです。

朝食後、9時にカンパニールホテルのロビーで現地旅行会社のスタッフと待ち合わせ。簡単な挨拶と今の状況、ワルシャワで訪れたほうがいい観光場所やレストランなどをリサーチ。
現地旅行社のスタッフと一緒に向かう方面が途中まで同じなので中央駅まで歩くことにしました。中央駅ではトラムやバスの24時間チケットの購入方法を教えてもらいました。

<24時間チケット>
ワルシャワでは地下鉄・バス・トラムなど市内を巡るための公共交通機関のチケットは共通となっています。20分のみ有効など1回きりの使えるチケットももちろん販売されているのですが、バス停やトラムの車内に券売機がなかったり、券売機が壊れていることがないとも言えず、購入するのも面倒です。そこで24時間チケットもしくは72時間有効のチケットをおすすめします。24時間チケットは15ズロチ(450円)です。1回分の乗車券が4ズロチくらいなので4回乗れれば元が取れてしまいます。特にワルシャワ観光ではクラクフと比べて街が広いので、トラムやバスに乗ることは欠かせません。
この24時間チケットは比較的大きめの券売機でしか購入できません。バスやトラムの中ではクレジット購入のみの小型の券売機しかないことが多いので、見つけたら買っておいてもいいかもしれません。

<新世界通りとクラクフ郊外通り>
現地の旅行社スタッフと別れた私はトラムで新世界通りの入り口まで来ました。
新世界通りは旧市街へと繋がる通りで、パレードなどが行われる際はよく使われる賑やかな通りです。両脇にレストラン、カフェ、ブランドショップ、お土産物屋さんなどがびっしりと並んでいるので歩いているだけでも楽しいですよ。新世界通りは旧市街の手前でクラクフ郊外通りという名前に変わります。
クラクフ郊外通り沿いには文化的に重要な建造物が並んでいます。ワルシャワ大学に聖十字架教会、大統領官邸などです。この中で有名なのは聖十字架教会かもしれません。パリで亡くなったショパンの心臓が教会の柱に埋め込まれているためです。


トラムの中のソーシャルディスタンスについての張り紙

<旧市街>
王宮の前に広がる王宮広場につきました。ここからが旧市街の始まりです。
旧市街は世界遺産に登録されていますが、この街並みは戦後精密に再建されたものです。
旧市街が建築されたのは13世紀。当時は煉瓦造りの城壁に囲まれた城郭都市でした。16世紀に入るとクラクフからワルシャワへの遷都が行われました。王の居城として利用された宮殿は「ヨーロッパで最も美しい宮殿」と言われるほど贅を尽くした建物だったそうです。
王宮から徒歩すぐにある市場広場(旧市街広場)が旧市街の中心です。ワルシャワで最も賑かな場所の1つですが、今はまだ朝早いのと観光客が少ないためか少し寂しい感じですが、広場のカフェのテラス席では地元の方がコーヒーを飲んで寛いでいました。
旧市街をさらに北に進むとクラクフでもあったバルバルカンがあります。バルバルカンとは市外と旧市街へ繋ぐ門の前にある城塞のことです。旧市街を防衛するために建てられたそうです。クラクフのものと比べて大きいのですが、保存状態としてはクラクフの方に軍配が上がるでしょう。

<王宮>
この日の朝は天気が悪いため、美術館や博物館の観光が良いと思い、まず王宮博物館に向かいます。
王宮博物館には戦争中に難を逃れた国王所有の貴重な絵画や調度品が展示されています。また現在の王宮は1984年に復元工事を終え一般公開されたものですが、残されていた絵画や写真を参考に忠実に再現したそうです。
特に訪問者の目を引くのはレンブラントの2作の絵画でしょう。「額縁の中の少女」「机の前の科学者」というタイトルで、17世紀にアムステルダムで書かれたものだそうです。
中でも「額縁の中の少女」は「ポーランドのモナリザ」と呼ばれるほど高い評価を得ています。だまし絵のように、額縁に手をおいてまるで絵から飛び出して来そうな印象を与えます。個人的にはリングの貞子を思い浮かべました。
他にも美術品に調度品、内装など見応えのある展示がたくさんありました。
ちなみに私の訪れた水曜日は入場無料の日でした。ワルシャワの博物館、美術館は入場無料の日があるのでそれに合わせて訪れる日を決めてもいいかもしれませんね。なおオーディオガイド(10ズロチ)は日本語はあいにくまだありませんでした。


無料のチケットとオーディオガイドのチケット


オーディオガイド 日本語はない


レンブラント版の貞子「額縁の中の少女」

<現地スタッフおすすめのミルクバーにて昼食>
次に現地旅行社スタッフがおすすめしていたポーランド・ユダヤ人歴史博物館に行くことにしました。旧市街からさほど離れていないためです。
王宮を見学したあと、時計の針はすでに正午を指していました。このまま博物館に行くと途中でお腹が空くだろうと思ったので、こちらも現地スタッフおすすめのミルクバーを見つけたので入ることにしました。
お店の名前はMleczarnia Jerozolimskaです。牛さんのマークが特徴的なチェーン系ミルクバー なのでワルシャワ旅行中は誰しもが一度は目にするはずです。チェーン店だけあって一人旅でも入りやすいです。
私はウィーンのシュニッツェルに似たポークカツレツ(Kotlet schabowy)と付け合わせにそばの実(カシャ)、そしてコンポート(ベリー系を煮詰めたジュース)を注文しました。全部で21ズロチほどでした。チェーン店だからかもしれませんが食器が全て紙なのが味気ないです。でも美味しかったです。


牛さんのマークが特徴的なチェーン系ミルクバー Mleczarnia Jerozolimska


シュニッツェルに似たKotlet schabowyと蕎麦の実、そしてコンポート

<ポーランド・ユダヤ人歴史博物館>
1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起から70年を記念して2013年にオープンした近代的な博物館です。コンピューターを取り入れた、インタラクティブな展示内容になっており、地元の子供達も楽しんでいるようです。
幸いにもこの博物館では日本語オーディオガイドに用意されています。ネットの口コミには日本語のオーディオガイドはないと書いてあったので、期待していなかったもののラッキーです。博物館のスタッフが言うには日本語は最近新しくできたものだそうです。
展示物を見て、これは日本語のオーディオガイドを借りて正解だったと思います。ユダヤ人の歴史からポーランドのユダヤ人が現在に至るまでの苦難の道を説明しているのですが、日本語のオーディオガイドを持ってしても日本人には馴染みがないためか少々難しい印象を受けました。
ワルシャワに来る方はアウシュビッツにこれから行かれる方、すでに行かれた方がいらっしゃると思うのですが、アウシュビッツの予習または復讐のためにこの博物館を訪れるのもいいでしょう。

<ヴェデル本店でコーヒーブレイク>
ポーランド・ユダヤ人歴史博物館を後にして、私はWEDEL(ヴェデル)のカフェに向かいました。ヴェデルとはワルシャワ創業の老舗チョコレートメーカーです。ポーランドのスーパーマーケットでも売られているブランドで、お値段的に高すぎずお手頃なのでお土産にぴったりです。今回ヴェデルの本店に訪れようと思ったのは、現地スタッフが内装が綺麗だとおすすめしていたからです。それにヴェデルのお土産を買うならカフェで試食したいと思ったからです。
クラシックな趣のヴェデル本店のカフェは、なるほど女子に受けそうなクラシックな内装でお茶をするのにぴったりです。むさ苦しい男性1人で入るのはどうなんだろう、と思わずにおれませんでしたがせっかくきたのですからカフェを楽しまないと損です。
私はコーヒーとプラリネ2種のセットを注文しました(15ズロチ)。プラリネとは四角や丸の粒型のチョコレートの中にペースト状のフィリングが入ったものです。私はアーモンドのプラリネとピスタチオ風味のフィリングのプラリネの2種を選びました。
口の中で濃厚なチョコレートの味がコーヒーと溶け合い、その芳香と苦味、そして甘みが織りなす至福の時間が流れます。
スーパーマーケットでは売られていない高級なチョコレートの種類も販売されているので、大切な友人やご家族へのプレゼントとして喜ばれることでしょう。ちなみにカフェをすると店内のチョコレート10%引きのクーポンが貰えるので、カフェをしてから買い物しましょう。

<ショパン博物館>
次に向かったのがショパン博物館です。別にショパンに興味があったわけではありません。しかしポーランドと言えばショパンの国として有名らしく、ワルシャワ国際空港にもその名が付いていることからポーランドのみならず世界的な功績は計り知れないものがあったのでしょう。せっかくポーランドに来たのだからショパンについて何か語れるものでも得れればと思ったのがきっかけです。そして現地スタッフにおすすめしてもらったのですが、旧市街ではショパンコンサートが毎晩開かれています。1時間ほどのミニコンサートで、料金もそれほど高くなりありません。ミニコンサートに向けて気分を高めるためにもショパン博物館を訪れたというわけです。
ショパン博物館も実は水曜日は無料開放デー。ありがたく無料で観覧させてもらいました。あいにく日本語オーディオガイドはないため、英語での説明で理解することになります。
館内にはショパン直筆の手紙や楽譜、実際に使っていたとされるピアノなど貴重な資料の数々が展示されています。中でも驚いたのがショパンのデスクマスクや髪の毛まで保存されていることです。ショパン好きなら垂涎モノなのでしょう。館内は地下2階、地上2階の4フロアに別れて展示されています。じっくり見るのもいいですし、私のように興味本位でささっと見学してもなかなか楽しめます。

<現地スタッフおすすめのレストランにて夕食>
さて、ショパンのピアノコンサートの前に簡単に腹ごしらえです。この日の夕食はまたもやミルクバーに行きたいところですが、現地スタッフおすすめのZAPIECEKというレストランにしました
王宮近くにもZAPIECEKというガイドブックに載っている同名のレストランがあるのですが、私がガイドさんに勧められたのはチェーンレストランのZAPIECEKの方です。「店員は民族衣装で雰囲気があるし、料金もリーズナブルで美味しい」とは現地スタッフの弁。
旧市街の中のZAPIECEKに早速入店してメニューをもらいました、ロールキャベツが食べたかったのですがメニューには載っていなかったので、ロールキャベツは?と聞くとあいにくメニューはないそうです。
仕方なく14ズロチのBroth with noodleという日本で言えばうどんのような食べ物を注文しました。ニンジンなどの野菜と平たい麺の入った透明なチキンスープ。あっさりした味わいで食が進みます。でも量が少なかったので、追加でピエロギを注文しました。ピエロギは1個単位で注文できないため少なくとも9個注文する必要がありました。しかしそんなに食べません。仕方なくピエロギ5個と人参のサラダセットを注文しました(20ズロチ)。9個頼むよりもこちらほうが安かったのです。ピエロギはこれまた現地スタッフのおすすめのホウレン草のピエロギ。ホウレン草の他にニンニクが入っており、確かに美味しかったです。
ポーランドのローカル生ビールも飲めるのでカジュアル且つリーズナブルにポーランド料理を楽しむのであればうってつけのお店だと思います。

<ショパンピアノコンサート>
食事を楽しんで、ショパンコンサートの会場へ。
下調べをしたところ、ショパンコンサートは複数の会社が行っています。私が確認できたものは3箇所あり、18:00・18:30・19:00と30分ずらして開催していました。お昼の開催はなさそうです。私の参加したものは午後6時からのコンサートで一番早い時間帯のものです。おそらく3つのコンサートの中で一番高いのですが(18ユーロ)、朝から観光していて早くホテルに戻りたかったのでこの18時の回に参加しました。またありがたいことにお客が少ないためかお店のおじさんが安くしてくれました(50ズロチ)。

コロナの影響で観客は私の他に3人のみでした(あとから入場したカップルがいたので5人になりました)。繁忙期には70人、しかも1日2回も開催するほど盛況だったそうですが、そんな人気のコンサートもコロナの荒波には抗えません。お店のおじさんも心なしか元気がなさそうです。

しかしコンサートは思いのほか素晴らしいものでした。コンサート会場は10坪程度の限られたスペースなのですが(なんと宮殿の一部でキッチンを改築したそうです)、音響がすごく心地よいのです。またこの狭さによって私達観客はピアニストの指先まで鮮明に見ることができます。音がダイレクトに届くというのでしょうか、普段ピアノの音を音響がいいところで間近に聴くことがないためか、鍵盤の音が一つ一つ心に響くようです。もちろん演奏者のレベルも素晴らしく高く、さすがショパンの国だと思わずにはおれませんでした。

おそらくこのワルシャワでの少人数のピアノコンサートはコロナ禍でもない限り見れない貴重なものです。我々旅行者にはありがたいことですが、一方でこのまま観客が少ないままだとコンサート会場がなくなり、やがてピアニストの生活もままならなくなるでしょう。観光産業が復活することを待つことも一つの手ですが、何か抜本的な改革がない限りまた同じことが起こった時には立ち直ることができるでしょうか。
これまで観光産業が支えていた文化やエンターテインメントの未来を案じながら帰路についたのでした。

【5日目(10/22)ワルシャワ→グダンスク 途中マルボルク城】
朝7時に朝食を食べて、ホテルをチェックアウトしました。
この日は朝8:36の列車でポーランド北部の街・グダンスクまで移動しましす。

トラムやバスは何度も使ったので、この日はWKDという近距離路線の鉄道を使ってWarszawa Ochota駅から中央駅を目指しました。

<ワルシャワ中央駅>
ワルシャワ中央駅はクラクフやグダンスクなどの都市と比べると特殊な構造をしています。駅の機能の大部分は地上ではなく地下にあるためです。そのため中央駅には駅舎の建物に入らずとも、地下鉄のように地下の商店街からそのまま地上に出ることなく地下にプラットホームにアクセスすることができます。
東京では珍しくない形だと思うのですが、列車の歴史が深いヨーロッパではなかなか珍しいのではないでしょうか?
ワルシャワの地下街には飲食店やテイクアウトできそうなパン屋さんピザ屋さん、コンビニなどがたくさんあるので車内に持ち込んで食事をしてもいいでしょう。
トイレもありますが有料でした。3ズロチで日本円にすると100円程度なので安くはないですがかなり清潔です。

私はこのワルシャワ中央駅の1番ホームから8:36発のEIP3508/9に乗ってグダンスクへ移動しました。車内ではクラクフからの便同様お水のサービスや売り子による販売があります。快適な設備の中でグダンスクを目指しました。

<マルボルクにて途中下車>
グダンスク行きの列車に乗ってふと思いました。マルボルク城に行くなら、この列車を途中下車でマルボルク駅で降りてマルボルク城を観光しようか、と。ワルシャワからグダンスクの特急列車は途中、マルボルクという世界遺産のお城がある街にて停車するのです。実はグダンスクに着いたらマルボルク城は半日かけて行こうと思っていました。翌日の天気予報を調べるとあいにくの雨。今日のうちに観光してしまった方が写真うつりもいいので、途中下車することにしました。

マルボルク駅にて降りて、駅舎の中にあったロッカーに荷物を入れました。一番小さいサイズで13ズロチでした。もちろんこちらのロッカーはお札は使えないので、小銭をたくさんつくっておいてよかった、と思った瞬間です。

<マルボルク城>
マルボルク城は13世紀に創設されたドイツ騎士団の城です。ポーランド君主であったコンラト1世(マゾフシェ公)が異教徒のプルーセン人に対して征伐と改宗を進めるためにバルト海南岸のクルムラントの所有権と引き換えに当時ハンガリーにいたドイツ騎士団を招聘し建設したそうです。その後14世紀にかけて騎士団の人数増加に伴い城は増築されていきました。第2次世界大戦の時にはドイツ軍とソ連軍の攻防の舞台となり、大きな損傷を受け、近年まで修復作業が続けられていたそう。1997年12月に「マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界遺産に登録されました。2012年は旅行サイトの「死ぬまでに行きたい、世界の名城25選」にも選ばれたのだとか。20ヘクタールにも及ぶ巨大な城塞のため観光には約3時間を見込んでおいてください。

駅からマルボルク城までは1kmない程度の距離です。駅を出るとすぐにアスファルトかコンクリート工場のようなものがあり、煙をもくもくと吐きだしていました。いかにも郊外の地方都市のような風情です。パッと見、ここに世界遺産のお城があるような街ではないのは確かです。

駅前の大きな通りを抜けると小さな商店街があります。それをしばらく行くとお城です。お城に入る手前のポーランド王の銅像とマクドナルドが目印です。

お城への道中にチケット売場があります。この売場にはお手洗いの他にロッカーもあります。
オーディオガイドには別料金で日本語はないそうです。チケットを買ってお城の中へ。
*他の方のブログなどを見るとマルボルク城のチケットにはオーディオガイド代金が含まれているとの記載がありますが、私には貸してくれませんでした(というか無料だとは思いもしなかった)。単純に忘れたのか、希望する人にだけ貸しているのは定かではありません。

マルボルク城は3つのエリアで構成されています。塔がシンボルの高城(High Castle)、騎士達の食堂や部屋がある中城(Middle Castle)、そして城の一番外側にあるのが下城(Low Castle)です。メインの観光場所は中城と高城に集中しています。
城内には実際に使われた武器や調度品、ドイツ騎士団の絵画、マリア像などの祭具が展示されています。中でも一際印象的なのは聖母マリア教会でしょう。当時の面影を残した教会は荘厳な雰囲気。第2次世界大戦の傷跡が痛々しく残っています。しかしながら壁のフレスコ画や装飾など緻密さと美しさは胸を打つものがあります。

電車の時間が近づいてきたのでマルボルク城を後にし、駅方面に戻りました。本当は天気がもっとよかったら橋の反対側からマルボルク城を眺めたかったのですが、この天気では良い写真はとれないだろうと断念しました。

<グダンスク駅到着>
マルボルクからグダンスクは特急列車を使えば約30分で到着できますが、指定券を購入せねばなりません。普通列車(リージョナル)でも1時間かからないくらいですので、私は普通列車でグダンスクへ向かいました。リージョナルでも列車設備は思っていたよりも快適です。PC用のコンセントも備わっていますし、何より特急と比べて空いているのが嬉しいですね。長距離だと時間がかかりますが、そこまで長くない距離でしたら普通列車の旅ものんびりして面白いかもしれません。
そしてPCでレポートの作業をしていたらグダンスク中央駅を乗り過ごしてしまいました。特急と比べて乗降数が少なかったので、全然気付きませんでした。グダンスクのOLIWAという駅で折り返して中央駅へ向かいます。10分程度の待ちで反対側の列車がきたのでよかったです。何しろ普通列車の場合は1時間30分に1本程度の頻度でのスケジュールのようなので。

グダンスクの駅はクラクフ、ワルシャワと比べると小規模な駅でしたが、駅舎は立派でした。残念ながら修復中のようで、現在はプレハブのような一時的な建物に事務所や券売所を構えています。

本日のホテルはグダンスク駅の真向かいにあるスカンディックホテルです。

<スカンディックホテル>
スカンディックホテルはグダンスク観光において最も利便性の高いホテルだと言っても差し支えないかもしれません。グダンスク駅舎の真向かいにあるので駅を出た旅行客はすぐにその場所がわかるでしょう。雨の日でも駅の地下道を通ってホテルに向かえば雨に濡れることなくホテルの中に入れるのです。
ホテルは4つ星ですので、ビジネス用途にも観光のための宿泊でも疲れを癒すのに十分です。広めの室内にバスタブ付き、ミニバーやドライヤー、セーフティーボックス。もちろん無料のWIFIも完備しています。ホテルの周囲にも駅前だけに便利です。ホテルの目の間にはコンビニや軽食チェーン、少し歩けばショッピングモールや旧市街へも簡単にアクセスできます。
唯一残念だったのが、無料の水のボトルがおいてあるのですが栓抜きがなかったことです。栓抜きを探しましたがなかったので置き忘れたのでしょう。蛇足ですが昔、日本の旅館で冷蔵庫や壁に栓抜きが付いていましたが、アレ最近見ないですね。

スカンディックホテルで今夜の夕食の目星をつけて、グダンスクの観光へ出発しました。

<グダンスク旧市街>
バルト海の湾岸都市グダンスクは1000年以上もの歴史を持つ古都です。グダンスクが最盛期を迎えたのはハンザ同盟時代、交易の中心地として栄えました。そのため旧市街には商人達の贅を尽くしたゴシック、ルネッサンス、バロック様式など時代の移り変わりを伝える建物が多く残されています。第2次世界大戦時には大きな被害を受けましたが、その後復興し、ポーランドのみならず世界的な観光地として多くの観光客が訪れています。

個人的にはグダンスクに来るまでクラクフやワルシャワといった有名な都市を巡ってきたので正直グダンスクにはそれほど期待はしていませんでした。しかしながらグダンスクの重厚な建物群が織りなす雰囲気は街を歩いているだけでも、何か特別なものを感じます。「東京がワルシャワ、京都がクラクフ」という例えがあります。つまりクラクフが1番の観光地として面白い都市のような表現がされていますが、このグダンスクも全く負けていません。モトワヴァ運河と中世の街並みのコントラストはポーランドで1番の美しさと言っても過言ではないでしょう。
単純に街歩きを楽しみたい!という方ならグダンスクはぴったりです。観光客も外国人観光客よりも地元のポーランド人の人で賑わっているように感じました。

<グダンスクのミルクバー Bar Turystyczny>
一通りグダンスクの旧市街を歩いた後はBar Turystycznyへ。
平常時は行列必至の人気店ですが、観光客が少なためかあるいは時間帯的(午後5時過ぎ)にもまだ早いためか店内は空いていました。
例によってミルクバーカウンターで食べたいものを注文します。このミルクバーはカウンターのガラスケースに残っている料理が見えるようになっているため指差しで食べたいものを伝えるのも良さそうです。私は前々から食べたかったロールキャベツを注文しました。ケチャップのかかったロールキャベツはホクホクして美味しかったです。大きなロールキャベツとマッシュポテトの付け合わせのみでお腹いっぱいです。コーラ込みで18ズロチ(540円)でした。
日本でもロールキャベツは人気のある料理だと思いますが、ロールキャベツを食べたのは10年ぶりくらいだと思います。もっと昔かもしれない。しかしなぜ日本のレストランにはロールキャベツがないのでしょうか?作るのが面倒?そんなに面倒かなぁ、今度自分でつくってみようと思いました(実はほとんど料理は奥さんに任せきりでしたが、最近はコロナ禍もあって料理を多少するようになりました)。
ちなみにBar Turystyczny付近ではホームレスの方にほどお金をめぐんでくれ、と言われました(2回)。多分観光客の多いエリアで、しかもここは人気レストランなのでこの辺にいらっしゃるのだと思います。

グダンスクで夕食を楽しんだ後は、明日の帰国の途につくため、スーパーマーケットにてお土産を探しました。主にヴェデルのチョコレートを購入。
ホテルに戻って就寝。

【6日目(10/23)グダンスク観光 そして帰国の途へ】
このスカンディックの朝食はお客が食べたいものを伝えて、レストランスタッフがサーブしてくれるという流れでした。軽く朝食をすませた後は荷造りをしてチェックアウト。ホテルに大きな荷物は預けて、博物館などがオープンする10時手前にホテルを出発しました。

<聖母マリア教会>
最初に私が向かったのが聖母マリア教会です。グダンスクの旧市街の中でもひときわ目立つ煉瓦造りの重厚な教会です。14世紀から16世紀初頭にかけて、約160年間を教会の建設に費やしました。こちらの教会は煉瓦造りの教会としては世界最大級だそうです。内部は真っ白な壁が印象的なつくりです。聖母像やステンドグラス、祭壇などシンプルながらも繊細な装飾に目を見張ります。なお教会内の塔には登ることもできます。料金は10ズロチ。急な階段が400段もあるので、日頃運動をしている人でも結構疲れると思います。造りも古いものなので「今地震が起こったら間違いなく死ぬ!」と考えながら登ったのでかなりハラハラしました。登った後は地上82mからのグダンスクの旧市街のパノラマを堪能してください。その爽快さに疲れも吹っ飛びます。

<第2次世界大戦博物館>
グダンスクは第2次世界大戦のきっかけとなった街です。ドイツのポーランド侵攻によりまず占領されたのがこのグダンスクでした。グダンスクの戦争勃発次から戦後までの歴史に関しての展示、ナチスのプロパガンダポスター、枢軸国や連合国の解説など充実した内容となっています。中でも驚くべきなのが実物大の戦車のレプリカと戦時中のグダンスクの街並みの再現は、見る者に戦争の悲惨さを伝えています。
思えばクラクフ、ワルシャワ、グダンスクとポーランドの主要な街を巡ってきましたが、いずれも第2次世界大戦を語る上で欠かせない都市であることに気づきました。
クラクフは言わずもがな、人類史上最悪な殺戮を繰り広げたアウシュビッツ-ビルケナウ収容所があり、ワルシャワはかつてナチスが創設した世界最大規模のゲットーがあった街であり、グダンスクは第2次世界大戦の契機となった街です。ポーランドの現代史は非常に暗く重たいものですが、それを現在に伝えるように努力し、私のように戦争のことをよく知らない旅人にわずかながら興味を持たせたことはポーランドの暗い歴史には大きな意味があったのではないでしょうか?
ポーランドを観光したつもりでしたが、同時に世界の現代史を身近に感じることができたことが本当のポーランドの魅力の一つかもしれません。
ちなみに第2次世界大戦博物館には音声ガイドはありますが、日本語のものはありませんでした。

<モトワヴァ運河クルーズ>
第2次世界大戦博物館を後にして運河クルーズの発着所へ向かいました。
実は第2次世界大戦博物館に向かってモトワヴァ運河沿いを歩いていたら、クルーズの呼び込みをしていたのです。話を聞いてみるとモトワヴァ運河をくだり、バルト海手前の灯台までクルーズして折り返すようです。料金は往復で55ズロチです。
主要な観光場所は全て見学したので、午後はクルーズしてもいいかもな、と思いました。
クルーズ開始は12:30。あと1時間以上あったので第2次世界大戦博物館を見学してからクルーズに参加しました。クルーズの参加人数はヨーロッパからの年配の夫婦2組とギリシャの学生1人と私の計6人でした。

旧市街を出発したクルーズは、古い町並みを抜けると造船所が見えて来ます。巨大な機械があちこちにあり、中世の香りが残る旧市街とはまた違った趣です。造船所を通り過ぎると港がみえてきました。港には大型の貨物船が沢山停泊していました。船の中にはナッソーと書かれた船もありました。ナッソーと言えばバハマの都市ですがそんなところから本当に貨物船が来ているのでしょうか。

港を過ぎてしばらく行くと遺跡のような灯台が見えて来ました。この灯台はヴァイクセルミュンデ要塞という要塞のようです。今は博物館になっているようですが、このクルーズでは特に立ち寄らないようです。

ヴァイクセルミュンデ要塞を過ぎるとヴェステルプラッテという記念碑が見えて来ます。この記念碑は第2次世界大戦が勃発したことを表しているようです。この記念碑のあたりでクルーズは折り返します。折り返してからStacja Kolejowa Westerplatteという遺跡のある停泊所で15分程度降りて休憩します。(特に目立った観光地などはなく、小さな遺跡と浜辺がある程度で見るべきものは特にありません。なぜ止まったのかも謎です。)

そして旧市街へとクルーズは戻り終了となります。
クルーズはアッパーデッキと下の客室があるのですが、ほかのお客さんは全員アッパーデッキにいたので客室にいた私はまるで貸切状態のようでした。
クルーズではトイレはもちろん、WIFIも完備されていました。小さな売店もあるのでそこでビールやスナックなども購入できるので休憩がてらにクルーズで一休みするのもいいかもしれません。

<グダンスクの人気ミルクバー Bar Mleczny Stągiewna>
クルーズを後にして私は昼食を食べようとBar Mleczny Stągiewnaを目指しました。Bar Mleczny Stągiewnaも昨日訪れたBar Turystycznyと同様、グダンスクで人気のあるミルクバー です。私はこのグダンスクでどうしても食べたいものがありました。それはタラのフライです。ポーランド人はあまりシーフードを食べないそうですがここグダンスクはさすが港町だけあってシーフード料理店が豊富です。中でもこのタラのフライが名物とのことでした。
早速Bar Mleczny Stągiewnaにてタラのフライがないかと聞くと、あいにく今日はないとの答えでした。残念。カウンターにはおかずが並んでいるのですが、食べたいと思うものがありませんでした。そのため、Bar Mleczny Stągiewnaでは食事をせず空港へ向かうことにしました。

<ポーランドの代表的なおやつ ポンチキ>
ホテルまでの道すがら、そうだポンチキを買おうを思い浮かびました。
ポンチキというかわいいネーミングの食べ物は、揚げドーナツのようなもので、中にはクリームやチョコレート、ジャムなど様々なフレイバーのフィリング、外は粉砂糖などがまぶしてある食べ物です。グダンスクではバルバルカンの近くにこのポンチキの売店があったので、購入しました。ピーナツクリーム入りのポンチキにしました。1個4ズロチ(120円)。優しい価格で、子供が好きそうな甘さですが、出来立てでミスタードーナツにもありそうなくらい美味しかったです。素朴な疑問ですがミスタードーナッツって出来立てって売っていないですよね?持ち帰りの時に冷めたドーナツと一緒に入れると溶けるからでしょうか?

<グダンスク空港へ>
スカンディックホテルにて荷物をピックアップして駅前の空港行きバス乗り場へ向かいます。空港への行き方は主に2通りあります。バスか列車です。列車の場合は乗り換えが必要なので、荷物が重い人は直行で行けるバスをお勧めします。バスは駅前のバス停から出ているそうですが、なかなか見つかりません。駅員に聞いてもバスのことは知らんという感じでそっけないです。数十分探し回って見つけました。グダンスクの駅周辺にこんなにバス停があるとは思いもよりませんでした。おかげで予定の便には乗れませんでしたが、30分置きに運行しているようで事なきを得ました。

グダンスク空港は近代的な建物でしたが規模はそれほど大きくはなく、主にポーランド国内と近郊都市の路線が多いようです。
私はチェックインと荷物検査を経て、搭乗エリアへ。
チェックインの時には空港係員に日本についたときには体温など検査されるけど大丈夫だよね?と聞かれたくらいで問題なくチェックインができました。
空港内で遅めの昼食を食べようと思いましたが、大半のレストランが閉まっていました。仕方なくマックで食べようと注文タッチパネルの順番待ちをしていると近くにラウンジがあることに気付きました。プライオリティパスが使えるラウンジだったのでしばらくそこで過ごすことにしました。
このグダンスクのラウンジでは、「欲しいものがあればスタッフに取ってもらってください」と張り紙がありましたが、「自分で取っていいですか?」と聞くとスタッフは「いいですよ」とのこと。ここではコロナ対策は有名無実化しているようです。私はビールと水とスナックをいただきました。

搭乗時間となったのでゲートへ向かいます。混み具合は約6割というところでしょうか。ほどほどに空いていました。往路と同様に菓子パンと水のサービスが一回あるだけでそのほかには特に変わった点はありませんでした。

<ワルシャワにて乗継ぎ>
ワルシャワ空港に到着です。ワルシャワ空港では特に荷物の受け取りは不要だと聞いているのでそのまま「ALL GATE」の看板目指して進みます。
成田行きの搭乗ゲートを確認して、ゲート方向を目指すと、シェンゲン以外の国のためかここでパスポートチェックがあるようです。パスポートチェックでは入国と同様に特に何も質問されません。荷物検査もありません。そのままスルーでノンシェンゲンの搭乗エリアまでやって来ました。ノンシェンゲンエリアでは免税店やレストランが数件ありました。昼ごはんも夕食もまともなものを食べていないので空港で食事をしました。空港にもミルクバーがあるようです。MISA BAR MLECZNYという店名でした。空港なのでさすがに高いですが、メニューは一般的なミルクバーと同じです。最後にポーランドらしい料理を食べたい!という方にはいいかもしれませんね。私はタラのフライがあるかどうか聞きましたがあいにくここワルシャワの空港のミルクバー では用意がないようです。ダメ元で聞いてはみたもののタラのフライを食べれなくて残念です。
私はカツレツとビールを注文し、出発までの間ちびちびと一杯やりました。

東京行きの便は定時に搭乗開始、お客の入りは大体30%といったところです。今回も往路同様3席が一人で使えたので非常に快適な空の旅でした。深夜出発とあって飛行機の中ではほとんど寝ていました。

【7日目(10/24) 日本到着】
本来であれば、日本に帰国したところで私の旅行は終了なのですが、今はコロナ禍。どのような帰国の流れになるかをお伝えします。

<機内>
機内ではワルシャワを出発してすぐに検疫所からの質問書2枚と税関申告書(いつも渡される黄色い紙)1枚が渡されます。検疫所からの質問は2週間の間の滞在先はどこなのか?発熱や体調の悪い人と会ったかどうかなどの質問に答えていきます。

<空港に到着したら>
成田空港に到着しました。ここで検疫所が混雑しているのでしばらく機内で待機するようにというアナウンスがあります。座って待っている時間帯はおよそ15分くらいだったかと思います。思ったより早く飛行機の外に出ることができました。通路をどんどんと進んでいくとフェイスガードやマスクをした空港職員達が見え、いつもと違う帰国の雰囲気です。

<質問書のチェック>
最初のチェックポイントは質問書のチェックです。
パイプ椅子が通路の両側に並んでおり、自分の質問書がチェックされるのを待ちます。私は質問書を機内で全て書き上げていましたが、この待ち時間に書いてしまっても良さそうです。
こちらもおそらく15分程度待って通過できました。
なお英語のお客様向けに外国語が話せるスタッフも何人かの常駐していました。

<唾液の採取>
さらに通路を進んでいくと唾液を採取するエリアに到着します。質問書をチェックされてじょうご付きの容器をもらえます。唾液を出すブースは個別に仕切りがありまして、横の壁にはじょうごの使い方が書いてあります。正面の壁にはレモンや梅干しの写真がありまして、思わず感心してしまいました。お陰様で(?)私は他の乗客よりもかなり早く唾を1mmほど吐き出すことができました。

<待機室>
唾液を採取した後は、質問書のチェックを受けて帰宅する方法や今後の連絡方法を聞かれました。連絡方法はメールか電話が主でスマホでラインを追っている人はラインでの登録でも良いとのことでした。その後、指定された席で待ちます。
結果1時間くらい待ったのでしょうか。唾液を採取した際の番号を呼ばれます。呼ばれたらカウンターに赴きます。カウンターでは呼ばれた番号と自分の番号が照合され問題なければ通過できる仕組みになっています。

<陰性証明書>
待機室を出てしばらく歩くと、またもや小さなカウンターがあります。ここで検査結果が陰性か陽性かを言い渡されます。私が見るかぎりほとんどの人は陰性でした。
陰性の場合は質問書と引き換えにピンクの用紙を渡されます。

<入国審査と税関>
陰性証明書をもらったらコロナ検査は終了となり、もと来たルートを戻るように移動して、通常の流れとなります。
つまり検疫、入国審査、税関です。検疫では陰性照明を見せるだけで通過できます。
入国審査も特に問題ありません、税関も特に申告するものがないためスルーでした。
到着ロビーにたどり着いて、予約していたハイヤーの方に連絡を取りました。そして無事ハイヤーにて自宅に戻りました。

飛行機が到着して、到着ロビーにたどり着くまでおよそ2時間半かかりました。同じ時間帯に到着した人の数にも言えますが、2時間〜3時間が一般的にかかる所要時間のようです。
そのため貸切タクシーや家族のお迎えを依頼する方は到着時刻から2時間後を目安に依頼しておくのがいいでしょう。

【旅行を終えて】
これにて私のポーランドの旅行は無事終了です。
ポーランドは直行で行けるし、物価も高くないし、見るべきものは多いし、親日家も多いのでコロナ後の海外旅行先としてのポテンシャルを強く感じました。
そして何よりも印象的だったのはポーランドの観光地を旅していると図らずも第2次世界大戦など戦争について考えさせられる史跡や博物館が充実していたことです。歴史に翻弄されたポーランドならではかもしれません。対して日本も原爆の唯一の被災国として、あるいは何度も戦争を体験した国であるのに戦争の悲惨さを伝える資料館や博物館が少ないように感じます。
広島の原爆資料館などは別にして、目的意識を持たない限り行く機会はありません。ポーランドは目的意識がなくても訪れた都市には必ず大きな資料館があり、全世界にポーランドという国の存在意義を伝えていると感じました。将来、子供が大きくなったら是非連れて行きたい国の一つですね。

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クラクフ旧市街 ★★★★
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