チームワークと事前計画が肝心?!のボリビア&日本人好みのアメリカを発見、ボストン

チームワークと事前計画が肝心?!のボリビア&日本人好みのアメリカを発見、ボストン





3月にボリビアとアメリカのボストンに行って参りました。
ウユニ塩湖の人気はここ数年間、2月3月になると目を見張るものがあります。以前は知る人ぞ知る旅行先でありましたが8年前にウユニの街に空港が開設され、またソーシャルメディアの隆盛とともにその美しい星空やトリック写真は、瞬く間に旅行好きの間で知られることになりました。こと日本ではここ数年の「絶景」ブームの火付け役、牽引役としてテレビやCM、本で引っ張りだこ。いまや年に数回旅行するようなマニア的な旅行者ばかりでなく、近場のハワイやグアム、韓国などに旅行しているライトな旅行好きまでも巻き込んでいるような状況です。特に2月3月に人気が集中するのはこの時期はウユニ塩湖の雨季で塩湖に水が張り、空と地上に境目がなくなるような不思議な光景が広がるためです。そんな今大人気のウユニに訪れることができました(高山病に弱いことを自覚しているので恐る恐るの出発でしたが・・・)。そして今回旅して分かったことはチームワークと事前準備があればボリビアの旅行はさらに楽しくなるということです。
またボリビアの帰りにアメリカのボストンに立ち寄りました。「絶景」で知られるウユニ塩湖に対してボストンと聞くとなかなかイメージの湧きにくい方は多いのではないでしょうか。しかしボストンの街並みを歩いていると普段生活している場所から遠く離れており個人的な所縁などはないにも関わらず、私はどこか懐かしい思いを感じると同時に日本のある街を思い出します。それは京都です。どちらも街の中心には川が流れ、地下鉄もありますが基本的には徒歩で歩きまわれる街のサイズ感。そしてどこか背筋がすっと伸びるような良い意味で張りつめた空気感と、街中は史跡にあふれる古都でありながら学術都市のため若者のエネルギーも感じられます(これは本当に偶然なのですがボストンと京都は姉妹都市だそうです)。西海岸のラテンでマッチョな街とも違うし、かといってニューヨークのようにヒップ&クールさが求められることもない。リベラルな白人知識層が多く住み、他の都市(特に西海岸)の人間からすると斜に構えたような、スノッブにうつるような街。どうです?ちょっと日本人的気質にあいそうではないですか。(そうでもない?)
詳しくは旅行記の中で触れますので、これから旅行先をお考えの方の参考になれば幸いです。
行程は下記の通り。


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1日目:日本発、マイアミに乗継時観光【機内泊】
2日目:ラパス着後、ラパス市内観光【ラパス泊】
3日目:ウユニ観光(列車墓場、コルチャニ村、インカワシ島)【ウユニ泊】
4日目:ウユニ観光(星空・朝日・夕日鑑賞 トゥヌパ山、プラヤ・ブランカ)【ウユニ泊】
5日目:ラパス(市場・おばプロ)観光【ラパス泊】
6日目:チチカカ湖観光【ラパス泊】
7日目:ボストン着、【ボストン泊】
8日目:ボストン観光【ボストン泊】
9日目:アメリカ発、日本へ【機内泊】
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○1日目
ダラスに向かう飛行機の中でダイアモックス一錠を半分に割り水と一緒に飲み込む。
ボリビアへ行く私には大きな不安要素がある。それは高山病。富士山に2回登ったが2回とも断念はしないまでも高山病のため頭が痛くなりご来光どころでは無かった状態だった。富士山に登った知り合い全員に聞いてもこのレベルの重い症状は私くらいのようなので数字でいうと20人に1人いるかいないかの割合の程度ということだろう。しかし私には勝算がないわけではない。以前ペルーに行った時にダイアモックスを準備したせいか高山病の自覚症状はなかった。この経験から、もしかしたらいけるかも、という自信のようなものはあった。
しかし今回はいきなり4100mの空港に到着である。以前のペルーのように徐々に高度を上げていくような旅ではない。そのためダイアモックスを到着する1日前から服用して来るべき時に備えておく。
約12時間のフライトの後、ダラスに到着。
ダラス空港ではアメリカの入国手続きと荷物を一旦ピックアップする必要がある。入国手続きはキオスク端末が導入されたおかげでスピーディに入国手続きを行うことができる。以前は2時間の乗り継ぎでも早めに移動しないとギリギリになってしまう空港なのに、キオスクが導入されたおかげで1時間ほど短縮された印象だ。
ダラスからマイアミへ。約3時間の移動。14:30ごろにマイアミ到着。次のラパス行きは22:20。実は乗り継ぎが8時間あるのでその間にマイアミを観光しようと日本の出発前から決めていた。
●マイアミビーチ
燦々と太陽が照り、澄んだ青空とエメラルドグリーンの海がどこまでも広がる街。海岸沿いのオーシャンドライブはヤシの木とアール・デコ調のホテルが並びまるで映画のような雰囲気。そこではゴキゲンな音楽が鳴り響き、水着で闊歩する日焼けした若者達を目にすることだろう。彼ら/彼女の話す言葉に耳を傾ける聞こえてくる言語は英語ではなくスペイン語だ。マイアミの人口の約70%がヒスパニックかラテン系、特に多いのはキューバからの移民であり、ダウンタウンのほど近いエリアにはリトルハバナと呼ばれるエリアもある。南米行きのフライトが数多く発着することから南米への玄関口としての役割を担うマイアミはアメリカに居ながらもまるでカリブ海の高級リゾートのようだ。
マイアミ空港からマイアミビーチへの行き方は難しくない。
まずマイアミ空港からMIAムーバーと呼ばれる無料のモノレールに乗り終着駅で降りるとパーキングや鉄道、バス乗り場のあるターミナルへ出る。マイアミビーチへ出るにはバスが最も安価(片道2.65$)で楽チン。バスは複数のルートがあるので注意。150の番号のバスに乗ろう(30分おきくらいに出発します)。バスに揺られて約30分でマイアミビーチの中心部に到着する。帰りも同様、降りた場所とは反対車線のバス停で待っていれば良い。
リンカーン・ロード・モールと呼ばれるションピングエリアもあり、日本未進出のお店も多いため、もしマイアミでトランジット時間を持て余すようだったらマイアミビーチへ観光に行くのも一興だ。






マイアミ空港に戻り、一路ラパスへ。
約6時間のフライト、マイアミで観光をしていたためかぐっすり寝てしまう。
○2日目
着陸態勢に入り、ラパスが近づくにつれて、ラパスの夜景が窓一面に広がる。ラパスの街はこんなに広いんだなぁ。
朝4時半頃、ラパス空港に到着。到着した時点では高山病の兆候みたいなものは感じない。大丈夫だ、いけるいける、しかし油断は禁物なり。
ボリビア入国審査は何日間、目的など簡単な質問を受けただけで比較的楽に入国できた。機内で配られた出入国カードは出国部分のみ渡されるので必ず無くさないように。税関は2枚書かされて、わからない質問もいくつかあったので未記入にしたところもあったが特に係のスタッフはつぶさに見ておらず、問題なく通過できた。
機内預けの荷物も無事受け取り、ゲートにてガイドさんと合流。
ガイドしてくれるのは16歳の娘さんがいるというヒメナさん、ヒメちゃんと呼ばれているらしいのでヒメちゃんと呼ぶことにした。
まだ朝5時をまわったところで、観光に出るのはまだ早いということで空港のカフェで朝食を食べることに。コーヒーとビスケットとトマトとほうれん草のサンドイッチでおよそ50ボリビアーノ。計算したらおよそ800円だった。安くもないが空港だから仕方ないか。空港のカフェスタンドの割に味は良かった。コーヒーはボリビアの名産でもあるから特に美味しく感じた(ブラックコーヒーやロングブラックはメニューにないのでカプチーノアメリカンで頼めばブラックコーヒーに近いものを飲めた)。
朝7時近くになったところで、ラパス市内へ出発。
この世界一標高の高い国際空港のある一帯のエリアはエルアルトと呼ばれるエリアで、ラパス県の中で近年人口の増加が最も多い地区である。すり鉢状のラパス市内は人口飽和状態ですでに十分な土地がない。そのため地方や他国から移住してきた人々は標高の高いこのエルアルトに居を構えるそうだ。その人口は今や100万人に迫ろうとする勢いで、今後ラパス市内の人口を凌駕するだろうと言われている。
エルアルトを越え、ラパス市内を抜け、この日の目的地であるチチカカ湖まであと30分というところでヒメちゃんの電話が鳴る。ハシ(橋本だと長いのでこう呼ばせている)、ビックプロブレムよ、ヒメちゃんが言う。チチカカ湖への道がストライキしているそうよ、迂回していくこともできるけど時間が余分にかかるから観光時間は充分じゃないわ、もし可能であればウユニから帰ってきて観光する予定だったラパスの市内観光を先にして日程をスイッチするけど。
私は特に日程を組み替えることに関して何も意見はないので、ラパス市内に戻ることにした。予想もなくいきなりストライキが起こることもあるんだなぁ。日本だとストライキはあったとしても事前予告などあるけど道路が封鎖されることは無いだろうな。
●ラパス市内観光
チチカカ湖観光からラパス市内観光に切り替え最初に降り立ったのがハエン通り。スペイン統治時代の古い町並みと石畳の道が続く、まるで中世時代にタイムスリップしたかのような静かな場所だ。伝統建築の家屋のほとんどはその資料的な価値から博物館として再利用されており、通りを歩いているだけで楽しい。


ハエン通りを抜け、3ブロックほど歩いたところにヒメちゃんオススメの国立民族博物館がある。この博物館には美しい中庭とファサードがあり建物としても一見の価値がある。館内には、先住民族の歴史から使われていた道具、織物などの移り変わりがわかりやすく展示されている(スペイン語での説明しか無いのが残念)。特にお祭りの時に使われるという仮面は興味をそそられた。以前パプア・ニューギニアに行った際もいくつか仮面を見たことがある。全くゆかりの無い場所でも、仮面つけて神の化身へと生まれ変わるという文化が共通しているのは実に面白いことだなと思った。また少し汚い話になるがかつてボリビアの人々が着ていた洋服の中にUNKOという名前のポンチョに似た民族衣装があって少なからずびっくりした。
考古学博物館の見学を終え、向かったのがムリリョ広場。広場の真ん中にはムリリョの像。ムリリョとはボリビア独立運動の英雄であるペドロ・ドミンゴ・ムリーリョのこと。ここはラパスの中心部と言える場所であり、公園を囲むように国会議事堂、大統領官邸、大聖堂が建つ。昼間は人々の憩いの場となっており、多くの人々が公園で思い思いに過ごしている。強烈な印象を放つのがおびただしい数のハト。餌をやろうとするとヒッチコックの映画のように襲撃(歓迎?) されるので注意。



次に向かったのがサガルナガ通り。
サガルナガ通りは旅行者にとっては滞在するにも最適な場所である。お土産屋さんがこれでもかとひしめき合い、中にはオシャレなカフェやレストラン、さらには旅行社やホテルも数多い。近くにはサンフランシスコ寺院もあり、ムリリョ広場や博物館などの市内の主要ポイントには徒歩でも行けそうな便利なエリアだ。
またサガルナガ通りの傍には魔女通りという怪しげな通りもあり、そこにはミイラ化したリャマやコカの葉っぱ、精力剤、バイアグラなどまさに魔女的なアイテムが売られている。またボリビアの福の神とも言われているエケコ人形もここでたくさん見かけた。お土産屋さんを冷やかして歩いたあとはサンフランシスコ寺院を見学。バロック様式とボリビア土着の宗教観がミックスされているようでヨーロッパの教会では見られないモチーフの装飾がされている。内部はムリリョ広場の大聖堂よりも金を随所に使っており、荘厳な雰囲気が漂っていた。


●世界一の高さの地元の足、テレフェリコ
その後、向かったのはテレフェリコ。テレフェリコとはラパスの市内を運行するロープウェイのことである。テレフェリコは世界でもっとも標高の高い場所にあり、且つ都市交通としては世界最長のロープウェイとして知られている。ラパスには路面列車や地下鉄はない。庶民の足は公共バスだけだったが人口の増加に伴い渋滞問題が深刻化した。そこで考え出されたのがロープウェイという交通手段だ。なるほど、山に囲まれ起伏の多い街のラパスの街に地下鉄や路面電車の建設を考えると莫大な費用がかかるだろうが、空を縦横無尽に移動できるロープウェイはもっともこの都市に合っている移動手段であろう。ドイツとオーストリア企業の協力のもと完成したのは2014年のこと。すでに人々の交通手段として大人気だそうで朝夕のラッシュ時には行列になることもあるそうだ。また観光資源にもなっているようで日曜や祝日になると地方や郊外から子供連れの観光客で賑わうとのこと。それもそのはず、ロープウェイからはラパスの特徴的なすり鉢状の景観が楽しめる。ラパスの都市構造は歴史のある「底」エリアが高級住宅街、人口流入が増えるに従い街は「ふち」側へと拡大している。つまり標高が低い富裕層の瀟洒なエリアから標高の高い低い低所得層エリアのバラック小屋まで、貧富の差のグラデーションが眼下に展開するのである。私が乗ったのは昼間だったのだが、夜に乗るのもきっと素晴らしい光景を楽しめることだろう。
なおボリビア大統領は現在のレッド、イエロー、グリーンの3路線のロープウェイをさらに拡大して9路線にする計画だそうだ。


すでに時刻は昼に12時をまわっていた。そろそろお腹の燃料も切れそうなところで昼食へ。場所は月の谷の近くのオーバーランドというホテル兼レストラン。その名の通りスイスの山小屋をイメージしたような感じの良いレストランだった。メニューはガイドのヒメちゃんにお任せ。飲み物はボリビアのビールをキューっと行きたかったが高山病が心配なので我慢して炭酸入りの水にした。
まず食前酒に、前菜のサラダと麦の入った野菜スープ、パンが出てきた。ボリビア料理というとあまりイメージがつかないが日本人の口に合うものだった。メインディッシュは溶岩石のプレートでバーベキュー。ビーフ、チキン、ポーク、ソーセージの4種類のお肉がジュージューいいながらテーブルの上に置かれた。もちろん美味しい。本来はもっと大きなプレートでカーニバルの時期に食べられるものだそうだが、このお店では一人でも食べきれるようにワンポーションで提供してくれる。なおデザートは自家製プリン。すでにお腹いっぱいだったが別腹のためプリンも完食した。
昼食のあとは腹ごなしにセラミック製品の工房に立ち寄り見学。あまり興味がないので工房内の犬と遊んで早々と工房を出た。
●ラパスの人気スポット 月の谷
そしてラパス近郊の観光地として人気のある月の谷へ。永年にわたる風雨による浸食により粘土質の地層が溶け出してこのような不思議な光景になったそうだ。その光景がまるでNASAが撮影に成功した月面のようだったことからこの名前がついた。月の谷のトレイルは15分コースと1時間コースがあり、激しい運動をなるべく避けたい私は15分コースにした。月の谷は思ったよりもエリアは限られており、その全景を覆い尽くすような奇岩群はなかった。それでもこのエリアだけなぜこのような地形になったのだろうという意味では謎の残るスポットだった。


その後、ラパス市内に戻りこの日の宿であるホスタルナイラへ。
●ホスタルナイラ
サガルナガ通りに面したサンフランシスコ寺院のそばにある中規模なホテル。
立地・雰囲気ともによく、1階には感じの良いレストランもある。部屋はベッド、電話、テレビ、シャワー、トイレ、ドライヤーがあるくらいのシンプルな造り。
セーフティーボックスやミニバー、バスタブ、スリッパなどはないが無料のWIFIを完備、室内でも使える。豪華は設備はいらないが最低限のものや清潔感は欲しいという旅行者にとってはうってつけのホテルだ。
ホテルでは眠気の限界を達してしまい思いがけず寝過ごしてしまった。19時の約束に多少遅刻してしまったがラパスの夜のツアーに出発。
●ラパスに来たなら夜景観賞は外せない
まず向かったのはモンティクロという展望台。
この展望台は公園になっており園内には教会があるため、ラパスを見下ろすこの公園で結婚式を挙げる人も多いそうだ。夜景に関して特に高い期待をしていたわけではなかったのだが実際目の前にするとこれは面白い。ラパスのそのすり鉢状の地形からか、通常目線の下にある街の明かりが目線の上までせり上がっているように錯覚するのだ。まるで星が地表に落ちて散らばっている、そんな印象だ。
次に訪れたのはキリキリ展望台。こちらも公園となっておりラパス市民の憩いの場となっている。園内の一番端は階段で数段降りると踊り場になっているため階段から写真を撮ると180度見渡すような写真が撮れる。モンティクロも良かったが写真スポットとしてはキリキリ展望台の方が景観が開けているのでどちらか一方のみをお考えであればキリキリ展望台の方をお勧めする。どちらも地元のデートスポットとなっているようだった。




その後、午前中に訪れたムリリョ広場を再訪問し、ホテルに戻った。
ホテル付近のお店は夜9時を過ぎると店じまいをするようでもうほとんどやっていなかった。
ヒメちゃんとこの日はここでお別れ。翌日の早朝ラパス行きに搭乗するために朝4時にホテルのロビーに再集合する。
すでに夜9時をまわっていたがお腹が減っていたのでベジタリアンバーガーとコーヒーを頂く。ベジタリアンバーガーの味は期待していなかったがかなりに美味。大満足。
○3日目
この日は高山病の予防のためにあまり睡眠時間は取らなかった。高山病患者にとって睡眠中は呼吸が浅くなり、症状がひどくなる原因なのだ。数時間単位で細切れに寝ていこうと思う。
朝4時にホテルロビーにてヒメちゃんと合流。
この日から2日間ウユニへ出発する。ラパス/ウユニ間のフライトの預け荷物の制限は20キロまでだが、荷物の移動が面倒なので2泊分の着替えと貴重品のみバッグに詰め替えて残りの荷物はホテルに置かせてもらえるようにした。
ラパス市内からラパス空港へはおよそ30分。
朝5時のチェックイン開始時間までアマソナスのカウンターにて待機、無事チェックインを終えてヒメちゃんとお別れ。
ラパス/ウユニ間のフライトは約1時間。
到着後、ウユニのガイドの出迎えを受ける。
ウユニのガイドはマリエさん、日本人風の名前だがウユニ生まれのボリビア人。彫りの深いボリビア人の典型的な顔立ちとは違い、どことなく柔和で日本人のような雰囲気を持つような女性だ。ヒメちゃんも良いガイドだったがこのマリエさんももちろん英語も上手で、礼儀正しく、よく笑い、好感のもてるガイドだった。ボリビアのガイドのレベルは失礼ながら意外に高いと思った。
●ウユニ観光1日目(列車の墓、コルチャニ村、インカワシ島)
まず向かったのは「列車の墓」。
ウユニは過去、鉱物の採石場であった。鉱物や塩をチリに運ぶために使われていた列車だが鉱物の採掘が終わり、塩に関してもチリ側で容易に手に入れることができるようになった。お払い箱になった列車がウユニの郊外に打ち捨てられ、その姿が哀愁を漂うのか沢山の観光客で賑わっている。



列車の墓を後にして、マリエさんがホテルかなにか提出するのか、私のパスポートコピーが必要だということでウユニの街へ。この機会にウユニの街で両替と日よけの帽子を購入した。帽子は25ボリビアーノ(400円ほど)。ボリビア製だ。結果買っておいて大変良かったと思う。ウユニ塩湖は地表が真っ白のため太陽の照り返しが激しい。サングラスなしでは目も開けられない。帽子とサングラスは必須である。
また前々から食べたいと思っていたサルテーニャが路上で売られていたので思わず購入。サルテーニャは揚げパンの中にカレー風味のチキンやほうれん草などのお惣菜が入ったボリビアの国民食(5ボリビアーノ)。なかなか美味しかった。(しかしこのサルテーニャがきっかけで悲劇を生むことになるとは、この時は知る由もない。)
パスポートコピーを終えて、次に向かったのが「コルチャニ村」。
ウユニ市内から車で30分。製塩業を生業にした小さな村。ここでは製塩業を営む一家の工場見学ができる。もちろん直売所も兼ねているため小さい袋詰めのものであれば1ボリビアーノで購入できる。

そしてこの日の最後の観光場所のインカワシ島へ向かう。インカワシは塩湖内にある32ものの島の内の代表的な島の一つ。インカワシ島には入島料が必要(ツアーであれば含まれている)。島内は全長1時間ほどかかるトレイルコースがあるほかレストランやお手洗いもある。トレイルコースでは道中、まっすぐのびる巨大なハシラサボテン(その数6000本)やサンゴ礁、火山岩が見受けられる。サンゴ礁はここがかつて海の底だったことを物語り、火山岩はここから100キロ以上離れたトゥヌパ火山の噴火の時のものだと推測されている。真っ白な塩湖とそれに囲まれた乾いた大地のコントラストは壮観だ。

●高山病発症?
トレイルをハイキング中、息切れが激しくなる。
最初はおそらく高地にいるからだろうと軽く思っていたが、明らかに足取りが重い。しかし休んでもその状況は改善せず、寒いはずなのに冷や汗が止まらない。3分の1歩いたところで体調のことを考えてギブアップした。
腹痛もあり、インカワシ島のトイレに駆け込む。
(結局、そのあと2回吐き、2日間下痢の症状が続いて、マリエさんに下痢止めの薬を分けてもらった。吐き気と下痢は高山病の典型的な症状である。頭痛はダイアモックスのおかげで全く無かったため高山病にかかっている自覚が全く無かったが、今朝食べたサルテーニャのスパイシーな味と香りに胃がやられてしまったのだと推測される。あいにく2日間は悩まされたが薬が効いたのかその後のラパス滞在では普段通りの体調に戻っていたことを強調しておきたい。)
インカワシ島のトイレで用を足したあとはホテルに向かう道すがら、塩湖の真ん中でテーブルを組み立てピクニックランチ。もちろん食欲なんてあるはずもなく申し訳程度に少し口に入れた程度だった。
最高の環境のランチタイムなのにもったいないことしたなぁと思うがしょうがない。


ランチを終えて本日のホテルのルナサラダへ向かう。
●ルナサラダ
2016年現在運営する4つの塩のホテル(パラソルデルソル、ルナサラダ、クリスタルサマーニャ、スマ・リッチャリ)の中で、もっともデザイン性のある可愛らしいホテル。コルチャニ村からほど近い場所に建ち、塩湖の観光には最適。塩湖の縁に建てられているが電気や水道はもちろん完備。ホットシャワーもすぐに出る。室内は伝統的なカラフルな模様を取り入れながらもどこかモダンで洗練されている。ドライヤー、エアコンあり。スリッパやセーフティーボックス、ミニバー、バスタブ、テレビはない。無料のWIFIはあるが電波は非常に弱い。建物全体に大きい窓を取り入れており、そこから降り注ぐ光が気持ちよく、ラウンジやレクリーエーションルームなどゲストが利用できる施設が充実して開放感があるのがよい。



この日は13:00にホテルにチェックインして午後休憩した後18:00頃にサンセットツアーに参加する予定だったが体調不良のため翌日に変更してもらった。
また星空ツアーも翌朝のサンライズツアーと一緒にやることにしたので明日の早朝朝4時に再集合する。
○4日目
●星空鑑賞と撮影の必需品
朝4時。まだ空も真っ暗で外の風景が塩湖なのか荒れ果てた大地なのかが全く区別のつかない時間帯。マリエさんと合流して、深い闇の中を車のヘッドライトを頼りに突き進む。昼も思ったことだが360度真っ白な塩湖で囲まれた中よく方向感覚が狂わないなぁと感心したものだが、夜になるとさらに手かがりとなるような山も何も見えなくなるのによく走れるものだ。
ホテルから約30分。水が張ったエリアに到着。
車から降りるとそこに現れたのは満天の星空。
雨季のウユニ塩湖で見る星空は特別なものだ。星空が天上にも地上にもばら撒かれたような景色は、見る人を日常的な場所から神秘の世界へいざなってくれる。まるで立っているのもわからなくなるほどの漆黒の闇に全てが包まれる中、星屑だけが自分の存在を知らせてくれる。モロッコのサハラ砂漠やモンゴルの草原の中でも星空を見つめたがウユニのそれはさらに感動的だった。
早速撮影しようと思い三脚をセッティング。事前でネットで調べたことをもとに下記の手順で撮影した。
① 撮影モードはマニュアル
② 星にピントを合わせ
③ ISOは1600付近
④ シャッタスピードやホワイトバランスを試行錯誤しながら撮影
あとは撮影後にフォトショップなどでいじればなんとか形になりそうだ。
思ったのは三脚マストで、リモコンなどあればなおよし。
と言うかぶっつけ本番で星空撮影をやるのでなく、せっかくウユニに来るのだから予習しておけばよかった。空中に文字を描くペンライトも人気らしい。ペンライトはボリビアにはないので持参プリーズ。あと当然ながらかなり寒くなるので防寒対策も必須。



●朝日鑑賞とその楽しみ方、セルフタイマーは20秒で(サンセットにも応用可能)
空が徐々に白けてきたので日の出を待つために車内で待機。
太陽が徐々にその姿を現し始めたので車から降りて撮影タイム。
小さな太陽は徐々にその姿を大きくし、やがて2つに分離し天上・地上にそれぞれ太陽が現れた。太陽一つでも我々が受ける恩恵は果てしない。例えばいくら文明が発達した今日であっても朝早く起きて朝日を見るとなぜか元気になる。人間には自然とそういうDNAが刻み込まれているのかもしれない。日の出は全ての生命にとって「目覚め」なのだ。その太陽が2つになるなんて誰が想像しただろうか。パワースポットという言葉があるが、ウユニほどその言葉にぴったりな場所はないだろう。
日の出で行うポーズとしてはジャンプやかめはめ波がお決まり。とりあえずそれらをこなしたあとは太陽をつまんでみたり、食べたりしてみた。しかしウユニの写真撮影は仲間内でワイワイやるのが絶対楽しいと思う。人文字などをつくってチーム戦で写真撮影大会なぞやればきっと思い出に残るはずだ、と遠くから聞こえてくる日本人団体旅行者のキャピキャピした声が聞こえる中、一人でポーズの研究をしている私は思った。日の出(日没)の撮影でマストなものは特にはないが、人数が少なければ三脚とセルフタイマーが20秒くらいあるカメラがあると良い。私のカメラのセルフタイマー機能は10秒がマックスだったため、私とガイドさんとドライバーさんの三人で組体操の扇をつくったが、水の波紋がまだ消えないうちにシャッターがきれてしまう。当然ながら水の波紋があるうちだと綺麗な鏡ばりには見えないので、それがちょっと残念だった。
また日の出(日没)の撮影タイムは星空鑑賞と違い、撮影タイムが限られている。
つまり太陽が昇ったら(沈んだら)そこで終了なわけなので、実際撮影できる時間は1時間満たない。




●日の出・夕陽・星空鑑賞のどれ参加すべき?
お客様の中にはサンライズ&サンセット&星空どれが一番おすすめ?と疑問を持たれると思うが、全部参加してください、というのが私の正直な意見。星空はサンライズ&サンセットとは見るものが全く違うので、星空参加はマスト。サンライズとサンセットはそれぞれ見るものは同じだが、撮影(鑑賞)できる時間が限られているため、1回目の撮影での試行錯誤し、2回目でリベンジをするのが良いと思う。
ホテルに戻ったのは7:30。朝食を食べ、この日の観光の出発時間の10:30まで休憩。荷物を整えて、さぁ出発。お腹の調子はまだまだ良くないが頑張ろう。
●ウユニ塩湖観光2日目(トゥヌパ火山、プラヤ・ブランカ)
ルナサラダから塩湖をひた走ること約2時間。塩湖は広大だとはわかっているものの走れども360度真っ白な世界にいるのはどこか恐怖のようなものを感じる。今はこうして悠々と車の中で過ごしているけど、ここに放り出されたら生きて帰れるだろうかと圧倒的な自然を前にしてぼんやり思った。
塩湖の長時間のドライブを終え、たどり着いたのはトゥヌパ火山。塩湖の縁に位置する標高5432mの火山。5432mの高さといってもこのくらいのレベルの山がこのウユニ付近にはごろごろあるらしい。
トゥヌパ火山にてまずランチタイム。メニューはキヌア、カツレツ、トマトと玉ねぎの和え物。スーパーフードとして話題の食材、キヌア。ここボリビアでは簡単に手に入るのかと思いきや、その価格は徐々に高くなっているらしく、今やお米よりも高いらしい。それでもボリビア人にとっては親しみのある食べ物には違いなく、ドライバーさんは自分の体はキヌアでできていると豪語しており、キヌアにマヨネーズをかけてムシャムシャ食べていた。
私は高山病の影響か体調が芳しくないので、マリエさんに高山病で体調を崩す人は多いですかと尋ねた。すると「そうですね、日本人、中国人、韓国人、アメリカ人、フランス人、ドイツ人、この前はポーランド人」。「ほとんど世界中ですね。マリエさんは逆に低地に行く時に体調を崩す時はあるのですか?」「ありますね、標高1000mのサンタクルスに行くと、クラクラしますが6時間ほど眠れば大丈夫です。私の母親はなんともないですね」。人によって症状が違うのは高山病も同じこと。高山病に悩まされる私は高地に住む人が低地に行くことで気分が悪くなる「逆高山病(低地病)」が存在することを知って何故だか安堵した。



トゥヌパ火山の麓にはいくつか村があり、そのうちの1軒のお宅を訪問した。このお家は過去ここに住んでいたであろう先住民族の生活道具や出土品、さらにはこの付近に生息している生物の剥製も展示されている。驚くべきことに先住民族のミイラまで保管されている。個人が趣味でやっている割には、バリエーションが多岐にわたりすぎているが展示物は充実しており、トゥヌパ火山をトレッキングしたり眺めたりする観光客にとってはちょうど良い休憩場所になっている印象だ。
●プラヤ・ブランカ近くでトリック写真撮影、少人数でワイワイやるのもいいけれど
トゥヌパ火山を後にして約1時間半。向かったのは塩湖にあるゲストハウス、プラヤ・ブランカ。
このプラヤ・ブランカは唯一の塩湖内のホテルとしてかつて営業していたが再三の警告に関わらず汚水・ゴミによる環境保全が保たれないとして3年前程度に営業停止になったそうだ(オーナーは別の場所に新たなホテルを計画中らしいが・・・)。現在は博物館兼休憩所。近くには各国の国旗が建てられているスポットがあり格好の撮影ポイントとなっている。
一通りプラヤ・ブランカを見学した後、車で移動して、ウユニ塩湖で外せないトリック写真撮影をする。ネタや小道具は全く用意していなかったが、さすがガイドのマリエさんはすべて必要なものを揃えておいてくれており、私は訳が分からぬまま指示に従うだけで面白い写真をとることができた。
今回、私とガイド、ドライバーの3人だけだったのでトリック写真のバリエーションも限られていた。それでも十分楽しいが、これこそチームプレイで遊ぶと尚楽しいこと間違いない。ウユニが学生旅行でも人気なのがわかる。






トリック写真を撮り終えて、この日のホテルのクリスタルサマーニャに向かう。
●クリスタルサマーニャ
ウユニ塩湖に数軒しかない塩のホテルの一つ。パラシオデルソルが高級感、ルナサラダがデザイン性をウリにしているとしたら、このクリスタルサマーニャは老若男女どの世代にも満足していただけるオールマイティなホテルといったところだろうか。部屋数の多さと広々した眺望の良いレストラン、そして人々の目を楽しませてくれる塩でできた彫刻。塩湖までの距離も今ある塩のホテル中でも最も近いため、移動時間も少なくて済む。室内はいたってシンプル。テレビ、ドライヤーあり。ホットシャワーもすぐにでる。バスタブ、セーフティーボックス、電話、ミニバー、スリッパは当然ながらない。WIFIはあるが電波は非常に弱い。また日本人スタッフが雨季の一部繁忙期のみ常駐しているようで痒いところに手がとどく、そんなホスピタリティが嬉しい。


ホテルでしばらく休憩したあと、サンセットツアーに出発。
内容は同日の冒頭にかいた日の出ツアーとほぼ同じなのでそちらを参照されたし。


サンセットツアー終了後は明日のラパス行きのフライトに備え早々と就寝。
○5日目
ラパス/ウユニの早朝のフライトに乗るために、5:20にホテルを出発。
クリスタルサマーニャから空港は約30分。まだまだ真っ暗な中を突き進む。空港に近づくと未舗装の道は綺麗な舗装された道路にいつの間にか変わっていた。
ここでガイドのマリエさんとはお別れ。とてもホスピタリティ溢れるかわいらしいガイドさんだった。
ラパス行きのフライトは無事出発。窓側の席に座り、空から塩湖の様子を眺めて改めて広さに驚いた。
ラパスに到着し、ラパスのガイドのグイドさんと合流。
グイドさんはロック好きなおじさんガイドである。この方も私の要望もいろいろ聞き入れてくれてよいガイドだった。
まず目指したのは日曜市。
●エルアルト 7月16日通りの巨大マーケット
エルアルトで行われるマーケットは、グイドさん曰く「想像できるあらゆる商品が売られている」とのこと。すべてのマーケットのセクションを歩くだけで少なくとも2時間はかかるほどの大規模。私も世界中あらゆるマーケットに行きましたが、青空市でここまで広いのはこれまで見たことないかもしれない。毎週、日曜日・木曜日も行われているそうだ。
私はこのマーケットと泥棒市は同じものだと思っていたのだが、グイドさん曰く「7月16日通りのマーケットと泥棒市は全く別物だよ」とのこと。場所は同じらしいのだが、泥棒市は深夜3時頃から始まり、日の出前に撤収するそうだ。でも深夜から販売してお客なんて来るのかしら。どうやって取引するの?と聞くと携帯のライトをかざして交渉するのさ、とグイドさん。グイドさんの言葉を信じると、ラパスの一般旅行者の旅行記などを読んでいると泥棒市についての記事は全部この7月16日通りマーケットのことだったので混乱する方もいらっしゃるかもしれませんが念のため。
マーケットをうろうろするとしょっぱなからいろんなものが目に飛び込んでくる。まず生肉と臓物。生肉は海外の市場であれば頻繁に目撃するが、臓物は珍しい。ちょっと鼻をつまみたくなるような光景だ。
そして次に訪れたのはペットセクション。犬や猫はもちろん、ウサギやインコまでいる。ボリビア人はペットが大好きみたいで、ラパスやウユニの街中でもペットを散歩させている人たちが沢山いた。それもそこまで裕福そうに見えない身なりの人まで。日本だとある程度金銭に余裕がないとペットは飼えないイメージがあるけど、ボリビアではどうなのですか?とグイドさんに聞くと、「買い方によるんじゃないですか」とのこと。そりゃそうだ。


ペットセクションからいつしか家具セクションへ。
ベッドやテーブルはもちろん、システムキッチンなども売られている。しかしここで購入してどうやって持って帰るんですか?とグイドさんに質問。大抵デリバリーフィーが含まれていますよ、とのこと。木目調の綺麗な大きいダイニングテーブルがあったので値段を確認するとアメリカドルで180$ほどだそうだ。それは安い。グイドさんが付け加える「椅子6脚ついています」。めちゃめちゃ安いけど郵送費の方が絶対高くなるよなぁ。
その後、自転車・乾物・家電・DVD・CD・衣類、古着などの様々なセクションをあてもなくウロウロ。どうみてもガラクタとしか見えないジャンク品を売っているセクションもあった。秋葉原もここまではきていないと思う。
何気なく驚いたのが韓流ドラマ・アイドル。ここボリビアでも人気があるらしくポスターやDVDが沢山売られていたことだ。以前アルジェリアの旅行記でも書いたが、中近東の国だけでなく南米の国でも韓流ブームが来ているという事実は韓国エンターテイメントの世界戦略には感心せざるを得ない。理屈としては分かるが、アジア顔に南米の人たちが感情移入するのはなんだか妄想すると面白い。
1時間も歩くとあまりの人だかりで疲れてきたので、早々と退散。必ず訪問した方がいいとは言えないが、もし滞在が日曜か木曜日に当たれば一度訪れてみては?





その後、ラパスの初日のホテルと同じ、ホスタルナイラに早々にチェックイン。
ウユニ滞在中に預けていた荷物を受け取り、部屋でしばし休息。
12時ごろ、グイドさんと待ち合わせて昼食へ。
ホステルナイラから歩いて5分程度にあるホテル、プレジデンテ2階のカントゥータというレストラン。ブッフェ形式でエビ、牛肉、豚肉などのボリュームたっぷりな料理が目白押し。もちろんサラダバーやフルーツコーナーもある。
ただ病み上がりの私には少々、ヘビー過ぎた。
その後、街をウロウロ散策し、午後5時にグイドさんと再集合。
この日のメインの目的であるおばちゃんプロレス(おばプロ)を見に行くためだ。
●おばちゃんプロレス(おばプロ)
毎週日曜日にボリビア名物のイベントが行われるという情報を耳にしたので覗かせてもらうことに。それはおばちゃんプロレス。山高帽をかぶった三つ編みのいかにもチョリータ姿の女性たちがリングの上で戦いを繰り広げるという。
おばプロはエルアルトにて行われる。
(坂道を登る途中、あまりに綺麗なラパスの街並みが見えたのでグイドさんにお願いして写真を撮らせてもらった。)

おばプロの会場に到着。試合は16:00から行われているようで終了は19:00までだった。私は最後の3試合ほど見たがなかなか面白かった。


1試合目:悪玉おばちゃんvs善玉おばちゃん(A)
登場は悪玉おばちゃんから。入場曲に合わせてノリノリでおばちゃんが登場。しかし観客からはブーイング。それで怒り出す悪玉おばちゃん。ガラガラ声で観客に怒鳴りちらし、あろうことか観客に水をぶちまける。そしてリングに上がる。
次に登場したのは善玉おばちゃん。歓声があがる。それを不機嫌に見つめる悪玉おばちゃん。まずは口喧嘩から始まり、いつの間にか試合へ。
善玉おばちゃんは防戦一方。しかも審判からも不意打ちの攻撃を食らう。どうやら審判からも悪いやつで悪玉おばちゃんとグルらしい。審判はリング上のゴミをリング外に蹴飛ばし掃除するふりして善玉おばちゃんにキック(なんじゃそりゃ)。
途中、リングポストに登り観客に向かい勝利の雄叫びをあげるもの観客からブーイング。観客の声援におされ善玉おばちゃんが攻撃に転じる。徐々に悪玉おばちゃんを追い詰めるも、悪玉おばちゃんも負けじと抗戦。
そこでなぜか善玉おばちゃんの助っ人があわられて(?)、試合は善玉おばちゃん有利な流れへ。アンフェアーな審判にも関わらず善玉おばちゃんが勝利した。
もちろん、解説はすべてスペイン語なのでなぜおばちゃん同士が戦わなくてはならないのか、審判は何者なのか、助っ人が来てもルール的に問題無いのか、など疑問は尽きないがボリビア人の国民性に触れるという意味では非常に楽しかった。




2試合目:覆面レスラーvs善玉おばちゃん(B)
そして次の試合。まず善玉おばちゃんが出てくる。おばちゃんというにはまだ若いぞ。対戦相手として出てきたのが覆面レスラー。体格からしてどう考えても男性。さっきのはおばちゃん同士の戦いだったが、男性vs女性の戦いもあるんだな。
実はこの試合あまり覚えていない。というのは第1試合で活躍したおばプロたちが試合会場に出てきて写真の撮影大会となったためだ。そのためみんな試合なんてそっちのけ。ちょっとかわいそうだった。
撮影で最も人気だったのは悪玉おばちゃんだった。やはりキャラクターがいいのか、外国人観光客をはじめとして引っ張りだこだった。その分、善玉おばちゃんはキャラ的に押しは弱いのか撮影の人気でいうと完敗していた。
それでも悪玉おばちゃんと善玉おばちゃんはリング外でも仲良い素振りを見せないのはさすが。
しかし試合中に撮影に応じるのは試合中の選手に対してどうなの?と思ったがこれもボリビア気質かもしれない。
第3試合:白ミイラvs黒ミイラ
これが一番なぞだった。なぜミイラ同士で戦うのか(誰か事情を知っている人教えて下さい)。試合終盤になるとそれぞれのミイラが東側・西側の観客席にやってきて、観客たちがミイラから逃げ出す形でスタジアムを追い出され、いつの間にかプロレスイベント自体が終わっていた。




●夜のテレフェリコ
プロレス観戦後はグイドさんにお願いして、夜のロープウェイに連れて行ってもらった。ラパス初日の市内観光時、昼間テレフェリコに乗ったのだが、夜でもこれは絶対面白いと思い、再チャレンジさせてもらった。
やはり予想通り面白かった。特徴あるラパスの街並みを上空から移動しながら移動するのはさながら自分が宙を舞っているような感覚だ。
これが6人乗りではなく2、3人乗りの個室だったらカップルに大人気になるだろう。しかも片道3ボリビアーノ(日本円で60円未満)。高い金払って日本の観覧車に乗るよりもよほどこちらの方が面白い(ラパスに行くまでが大変だけど)。




●ケンちゃんのかつ丼
夕食は日本食レストランのケンちゃんに行く。
ボリビアの食事もおいしいけど、高山病で体調もいまいちで、少々胃がもたれてきた。旅も後半に差し掛かってきた今夜、やはりここは日本食で活力を取り戻したい(?)。すでに何人かの日本人グループがいて盛り上がっていた。また現地のボリビア人のみのグループも数組来店していたのでボリビア人にも人気があるようだ。
私はカツ丼をオーダー(56ボリビアーノ)。
待つこと7、8分。蓋を開けて感動。カツ丼である。地球の裏側でカツ丼が食べられるなんて。味はいたってオーソドックスなカツ丼、つまり超美味しい。
ケンちゃんの味が日本の定食屋さんと比べてどうかというと、「その他大勢」に埋没する程度のクオリティなのだが、それでも日本の味をここラパスで再現するというのは並ならぬ労力があったことは想像に難く無い。そもそもラパスは標高が高いためコメの炊き方一つとっても違うわけだし、日本の味を再現するといっても現地のボリビア人シェフに日本の味を伝えることも至難の技だったことだろう。ケンちゃんありがとう。おかげで明日からも元気に過ごせそうです。

ケンちゃんからホステルナイラへは腹ごなしに15分ほど夜のラパスの街を歩いて戻る。歩くだけなのに標高が高いせいかどっと疲れた。
○6日目
朝7時にガイドのグイドさんと合流し、この日の目的地であるラパスから約2時間、チチカカ湖を目指す。
●チチカカ湖・浮島観光
標高3890mの高地に広がる、汽船の運行する湖としては世界最大のチチカカ湖。
チチカカ湖といえばどことなく私はペルーのイメージがあるのだが皆さんはどうでしょうか?実は私ペルーには行ったことはあるのですがチチカカ湖にはいったことがないくちでして、今回初チチカカです。今回ボリビア側から訪れてみてその良さがわかったのでお知らせします。
・ボリビアから訪れる3つのメリット
① ボリビア側の方が考古学的・歴史的に価値の高い島が多い。
② ラパスから日帰りで行ける
③ ペルー側から行くより観光客が少ない。
まず①ですがチチカカ湖で最も重要な島はすべてボリビア側にある。なかでも最も大きな島である太陽の島は、あのインカ帝国の歴史が始まったとされ、となりの月の島とあわせて聖地として崇拝の対象となっている。またチチカカ湖に突き出した半島の街・コパカバーナにはスペイン統治時代にここを聖地にすべく立派なカテドラルが建てられ、隣国ペルーからの参拝者も絶えないのだそう。
②、これが最も大きなメリットと言っても差し支えない。ラパスからは車で約2時間。これがペルーだとこうもいかない。ペルーからチチカカ湖に行くにはまず首都のリマからクスコに行かなければならない。しかもそこからチチカカ湖への出発地となる街・プーノへは飛行機はないためバスで約10時間もかかる。つまりチチカカ湖に行くためだけに最低2泊は犠牲にしなければならないのだ。
しかしラパスからの場合、クルーズのみは半日、浮島訪問したとしても朝出発して午後過ぎにはラパスに戻れる。なんとうれしい。
そして③。前述したようになぜかペルー側から入る観光客が多いイメージのあるチチカカ湖。実際、ペルー側から行く人気の半日クルーズで訪れるウロス島は1日1000人近い人々が来島するらしい(ボリビアのガイド曰く)。当然ながらその分、浮島の面積も大きいが観光地化されている感じは否めない。ボリビア側で今回私が訪れたKEWAYA島の浮島は一家族分の居住空間くらいしかない、直径50mのこじんまりした浮島だ。もちろん土産の押し売りなんかもない。実際この日の観光客は私一人だったし。そういった意味ではボリビア側の方がローカルな生活に近いものが見ることができる。
今回、私が参加したのは太陽の島やコパカバーナにも立ち寄らない7時間のコース。チチカカ湖の湖畔のボート屋「KON TIKI」に到着。このボート屋、ただのボート屋ではないらしく博物館を持っているので中に入ってみると、なんと葦船でモロッコから西インド諸島まで横断した人類学者ヘイエダールの船を作った方のお家らしい。
そんなKON TIKIからモーターボートに揺られ30分(葦船がいいと言ったがスピードが出ないという理由で断られた)、ついたのはKEWAYA島。



船着場から歩くと小規模なマーケットが。ここの村には約800人の人々が住んでいるらしい。小学校もある。歩いていると鳥の鳴き声なんかが聞こえ、山間に見えるチチカカ湖の風情も相まって、歩いているだけで気持ちがいい。まるで瀬戸内海の島の風光明媚な村を散歩しているようだ。これが実は標高3800mの湖というのだからなんだか面白い。
村を抜けて、浮島へは手漕ぎボートへ。




一家族分の面積しかないだろうこじんまりした浮島には古代から続く生活の一部が垣間見られる。この家族のあるじの寝室(もちろん葦でできた家)を見せてもらうと、葦を引いた立派なソファにフカフカのベッドまである。こんなところで1泊したら面白いだろうなぁ。
浮島訪問を経て、ボートで船付き場へ戻り、ランチ。




ボート屋さんから車で3分くらいのローカルレストランへ。
どうやらこのレストランではチチカカ湖でとれるトラウト(鱒)を出してくれるらしく期待が高まる。
トラウトの焼き方にも色々な調理方があるようで、私はあまりヘビーでない、グリルのトラウトにした(こちらでは油で揚げ焼きする調理方が一般的らしいのでグリルと指定しないと日本人には油っぽいかもしれない)。もちろん大変おいしい。醤油があればなおよし。



ランチタイムのあとはラパスに戻り、ホテルにチェックイン。
この日のホテルはエルドラード(El Dorado)。
●エルドラード
ラパス中心部、学生広場にあるスタンダードホテル。近くには日本のガイドブックにも紹介されている日本料理屋のケンちゃんやアレキサンダーカフェなどもあり食事に困ることはない。ホテルは年季の入った建物なので最初はとまどったが室内は比較的清潔感がある。ホステルナイラとは違い高層のホテルなので宿泊する部屋によっては夜景が楽しめるのもグッド。室内にはバスタブ、テレビあり。WIFIは室内でも無料で利用可能。スリッパやセーフティーボックス、ミニバーはない。(ドライヤーはフロントで貸し出し)


●ラパスでお土産物色
ラパス最終日とあってこの日にお土産を買いにスーパーへ行った。ちょっとした小物などであればサガルナガ通り周辺が豊富だが、モノよりも食べられるものの方が受け取る方も困らないのではと思い、いつも食べ物を買って帰ることが多い。ラパスのスーパーではウユニの塩やキヌアを使ったチョコレートを購入した。


●フォルクローレディナーショー
エルドラードで休憩した後はボリビア最後の食事を楽しむために夜7時にグイドさんと合流してフォルクローレディナーショーに出発。
サガルナガ通りのレストランに到着。ディナーショーは8時だからまだ我々しかいない。グイドさんが明日のアメリカン航空搭乗のためのホテル出発時間がAM3時だからということで気をきかせてくれたのだ。
レストランではまずメインディッシュと飲み物を決める。私はビーフステーキのトマトオニオンソースにした。メインディッシュを決めればあらかじめ用意されているサラダバーを自由に食べられる。
8時に近づくにつれ徐々にレストランも混雑してきた。メインディッシュが出てくるまで20分くらいかかっていたので早めに到着して正解かもしれない。



8時になりショーがスタート。まずはたて笛の演奏。目を閉じるとアンデスの山々の情景が目に浮かぶようだ。そして次に4人組のバンドが登場。もちろん全て伝統楽器だ。4人組になるとやはり音に厚みがある。数曲演奏した後ステージに踊り子達が現れ、民族舞踊を披露してくれる。これもなかなか面白かった。
私は明日の出発時間の関係もあり鑑賞は21:00で切り上げたがショーはあと1時間続くらしいので、時間的に余裕があれば是非見た方がいいだろう。なお演奏後は各ミュージシャンが自分のCDを手売りしてくれるので気に入ったらその場で購入できるのもうれしい。
○7日目
AM3時にホテルロビーに集合。
空港へは30分ほど。アメリカン航空の場合はまずキオスクで各自チェックインを行う。印刷されたボーディングパスを持ってアメリカン航空のカウンターへ。
なお荷物を預ける前にアメリカン航空に提出する書類を2枚記入しておかないといけないのでペンを忘れずに。その後無事荷物のチェックインを終えてグイドさんとお別れ。色々あったがボリビアの滞在もこれで最後と思うと名残惜しい。
空港でいくつか土産物の買い足し(ウユニの塩を使ったチョコレートが空港でもいくつか売っている。しかもスーパーと値段がそこまで変わらなかった)して、出国・手荷物検査へ。
アメリカン航空ラパス発のマイアミ行きは2016年現在まず、サンタクルスに到着する。
往路のマイアミ発ラパス行きは直航便だが、復路はサンタクルス経由マイアミ行きとなる。つまりマイアミ・ラパス・サンタクルスを三角形で結んだ飛び方をしているので要注意。
サンタクルスはラパス行きの乗客も含め全員降機させられ、空港内にて1時間ほど待機。搭乗前に簡単な荷物検査を受けて再度飛行機に乗り込む。
そこからマイアミまでおよそ7時間のフライト。機内食は朝食と軽食の2回でるが味はイマイチ。
マイアミ到着後、例のごとく入国審査と荷物のピックアップ。
マイアミ空港ではキオスクで各自チェックインした後のレシートを持って全員、入国管理官のチェックが入る。ダラス空港ではおよそ半数近くしか管理官のチェックはなかったがマイアミ空港では乗客全員チェックされる。また税関申告書も往路のダラス空港ではキオスクでの手続き時に質問項目をすべて答えさせられるのでマイアミ空港でも記入不要かと思ったが、入国管理官に書いてくださいと言われた。でも結果なぜか書かずに通してくれた。このことが意味するのは「本来は書かなくともいいけど、建前としては書いてください」ということなのだろうか。ということであれば何のためのキオスクなのだろう。ダラス空港の乗継よりもマイアミ空港の乗継の方が一層厳しく感じた。私の入国管理官も色々細かく質問をしてきたので、きっと切り直し前のパスポートなんて持って行ったら中近東のスタンプばかりで確実に別室行きだろう(偶然にもこの日ベルギーにてISによるテロがあった)。
その後荷物をピックアップ(ラパス発のレーンで荷物を探していたがなかったので、もしやと思いサンタクルス発のバゲージクレームを確認したら出てきた)。
荷物を再度預けて、身体・手荷物検査を経て搭乗口へ。やっと自由の身である。
乗継時間が約4時間あるのでその間にマイアミ空港内のレストランで食べ直した。
マイアミからボストンへのフライトは3時間ちょっと。飲み物のサービスが1回だけでた。距離感があまりつかめなかったのだけど同じアメリカでも南のマイアミから北のボストンまでは飛行機でも時間がかかるものなのだなぁ。調べてみたらこの時間は札幌/那覇間のフライトと同程度の移動時間である。アメリカは広いなぁと今更ながら感じた。
●ボストン到着
ボストン空港到着。ボストンの空港はいつもの「アメリカの空港」という味気ない造り。「機能性だけに意味がある」とでも言いたげな空港が多い。空港に個性をもたせてはいけない決まりでもあるのかな。
ボストン空港から市内へは4つの行き方がある。
① タクシー
② レンタカー
③ 乗り合いシャトルバス
④ 空港バス+地下鉄
ます①は値段が高いので今回は×、②はたった2泊の滞在なので論外、残るは③か④だが、乗り合いシャトルバスはすでに0時をまわっており待合室にだれもいなかったので諦め、消去方で④にした。
まずバゲージクレームのフロアの出口から空港シャトルバスのバス停を見つけ、それに乗る。空港の最寄りの地下鉄はブルーラインかシルバーラインの2路線あり今回宿泊するホテルへはブルーラインに乗るのが便利そうなので、ブルーラインの空港駅へ接続するシャトルバスに乗った。なお空港のシャトルバスは無料である。
ブルーラインの空港駅で地下鉄のチケットを購入。まごついていると駅員がやってきて代わりに操作してくれた。片道2.65$。
実はこの時、すでに終電の時間が近づいており出発しそうな列車に飛び乗ったところ逆方向だった。すぐに気付いて次の駅でおりて、本来の方向に乗り換えた。
幸いにも終電の列車に間に合ったらしく事無きをえた。しかしボストン中心部を走る平日の地下鉄は終電だというのに人はまばら。サラリーマンは一人もいない。酔っ払いすら乗っていない。日本の地下鉄だと終電はラッシュ時と同じくらい混む時もあるのに。本来の生活ってこういうもんだよなぁ、日本は長寿の国だけど遅くまで仕事したり、早く上がる日は飲み会があったりで、不健康な国だよなぁとぼんやり考えた。
ブルーラインからグリーンラインへの乗り換え(要領は日本の地下鉄と同じ)、ホテル最寄りの地下鉄で下車し、ホテル・ミッドタウン(MIDTOWN)へ。
●ミッドダウン
ボストン中心部バックベイエリア、賑やかなニューベリー通りは徒歩圏内のスタンダードホテル。最寄りの地下鉄駅SYMPHONYから徒歩2分ほど。なお地下鉄駅名はその名の通りシンフォニーホールが目の前にある。このホールは、かのボストン交響楽団が本拠地にしている由緒あるもので、そのシンフォニーホールと向かい合うように建てられているのがこのホテルである。低層の中規模ホテルで、年代を感じられる造りではあるが手入れが行き届いているらしく嫌な感じはしない。部屋は広め。室内にはドライヤー、テレビ、アイロン、バスタブ、セーフティーボックスあり。無料のWIFIもありスピードもなかなか快適。スリッパやミニバーはない。夜のフロントのスタッフは黒人のいかついお兄さん達なので最初は正直びびったが、ホテルの質やロケーション・値段を考慮すると個人的には大満足。朝食はないが9時前に外にでたらホテルの前にフードトラックがあった。


すでに1時をまわっており、明日も早いので早めの就寝。
(結局、飛行機の中で細切れに睡眠をとってしまったのでこの日は寝付けなかった。)
○8日目
この日は日本語ボストン観光。
出発は9時だがその前に妻に買い物を頼まれていたので、トレーダージョーズというスーパーマーケットに行く。
ボストン中心部には規模は小さめだがホールフーズ等日本人にも知られているスーパーマーケットがいくつかある。また宿泊したホテルから徒歩圏内のコープリーには24時間営業のスターというスーパーマーケットもあった。
今回の目的のトレーダージョーズはその大半がプライベートブランドでなおかつ安く、日本人の我々から見ると面白い商品が多い。
一旦、お土産をホテルに置きに戻り、ホテル外のフードトラックにて朝食を食べながらツアーの出発場所であるマリオットホテルを目指す。
●日本語ボストン半日観光+ボストン美術館入場
ボストン在住のガイド、鈴木さんと合流し、まず向かったのはハーバード大学。
ボストンからハーバード橋を渡りチャールズ川を見ながらケンブリッジへ。チャールズ川ではレガッタに勤しむ学生達がいた。ボストンらしい光景だ。冬になるとこのチャールズ川は凍ることもあるらしい。
いわゆる旅行者の考える「ボストン」とはこのチャールズ川沿いのボストン市とケンブリッジ市のことを指す。この2つの市に住む人々の生活圏はほぼ同じである。
マサチューセッツ工科大学を車窓から眺めて、ハーバードスクエアへ。
ハーバード大学は1636年創設のアメリカ最古であり最高峰の大学。アメリカのみならず世界最高クラスの教育水準を誇る。
ハーバード大学の構内へは簡単に入れる。小ぶりな門があり、門には守衛らしい人はいない。このエリア自体がハーバードの不動産らしく(周囲をすべて買い取っている)、いつの間にか大学の構内に入っていたような感じだ。
守衛はいないようだが構内には警官や警察車両を目にした。アメリカの大学には州の警察とは別に学内の警察組織があるらしい。私は、「構内でそんな事件なんて起こるものなんですか?」「起こりますよ。特に盗難ですね。あとはレイプ、殺人」。さすが世界に名のある大学は資産家のご令嬢・ご子息も在籍するため狙われる事も多いのだろうか。
大学の最初の支援者であり名前の由来となったジョン・ハーバードの像の前で記念写真。足を観光客の皆さんは触るので足がつるつるに。足を触れば頭が良くなると言われているそうだ。「どちらかというと足でなくて頭を触った方がいいですよね?」「そうですね、でも届かないんじゃないですか?」「たしかに」。というわけで背が高い人は頭を触ったらいいと思う。


ジョン・ハーバードが見つめる先、正門を抜けてハーバードの街へ。ハーバードの街には中華料理や日本のラーメン屋さん、メキシコ料理など各国からやってくる学生向けに様々なレストランがある。もちろんスターバックスをはじめとしたカフェも充実。ハーバード生御用達であろうシャツ屋・靴屋・文具屋・製本屋など学生街らしい店並びも面白い。その中でも観光客が最も楽しめるのはやはり大学の生協だろう。
ハーバード大学のロゴが入ったあらゆるものが売られている。Tシャツはもちろん。パーカー・スエット・スタジアムジャンパー・キャップ・ナップサック・トートバッグ・体操着・文具・マグ・タンブラー、さらにはチョコレートまで。商品の種類は勿論、そのバリエーションも豊か。例えば帽子一つとっても、大学の代表カラーであるえんじ色だけでなくカラーバリエーションがいくつもあり、ロゴもHARVARDと書かれているものもあればHだけが書かれているものも。
私が感心したのが様々なスポーツブランドとのコラボグッズである。見ただけでもナイキ、チャンピオン、アンダーアーマーなど。一般的には普段使いはしないであろうこういった大学グッズであるがスポーツブランドとのダブルネームの商品であれば実用的であろう。私はスポーツタイプの靴下をかった。苗字のHASHIMOTOの「H」のロゴのはいったキャップやTシャツを買っても良かったのだが、イニシャルHの人がHの帽子を被るのはいかにも過ぎてこっぱずかしい。それに何と言ってもHは変態のHだ。またなぜか生協でMIT(マサチューセッツ工科大学)のロゴの商品も見かけたので鈴木さんに質問したら「よく聞かれるんじゃないでしょうか?MITの商品はないですかって」ハーバードの生協はマサチューセッツ工科大学の生協と母体は同じらしいので、別の大学の商品も売っているということである。さすがは商売上手。


そしてケンブリッジからボストンに戻り。ボストン中心部の史跡を車窓見学。
アメリカ発の植物園・パブリックガーデン、アメリカ最古の公園・ボストンコモン、マサチューセッツ州会議事堂、ビーコンヒルの住宅街、ボストン茶会事件のあったウォーターフロントなどの説明に耳を傾けながらクインシーマーケットに到着。
クインシーマーケットはボストンで最も観光客で溢れる場所かもしれない。まるで古代ギリシャ建築のような荘厳な印象とは一転、内部はボストン名物のシーフード料理からイタリアン、中華料理にインド料理、日本料理など多種多様なフードコートが軒を連ねている。このクインシーマーケットの周りには日本でもお馴染みのアパレルブランドなどの店舗が多数。すぐ正面には街の集会場でありあのサミュエル・アダムスが演説を行ったとされるファニュエルホールがある。
お昼時には少し早いが次のボストン美術館に備えここで昼食。ガイドの鈴木さんがオススメなのロブスターロールとクラムチャウダーのセット。サンドイッチにはボストン名物ロブスターの大ぶりの身が入っており、クラムチャウダーはもちろんニューイングランド風。あさりもたっぷりでホクホクして美味しい。


昼食の後はクインシーマーケット周辺を散策。
その後、ボストンの繁華街コープリースクエアのトリニティ教会を車窓から見学し、ボストン美術館へ。
アメリカ三大美術館に数えられるほど、世界トップクラスの至宝が眠るボストン美術館。このコレクションは多岐にわたりアジア美術・エジプト美術・ギリシャ美術・ヨーロッパ美術・アメリカ美術さらに現代美術にわたる。展示されるものは絵画のみならず写真や装飾など多様。特に印象派のコレクションは素晴らしくモネ、ゴッホ、ルノワールなどがある。また海外で見られる日本美術についても最大級の作品数を所有しており、北斎などの浮世絵を始め狩野永徳の屏風絵、奈良時代の曼荼羅など国宝級の作品も多い。日本風の展示室も含めて大変興味深い内容となっている。




ツアー中にボストン美術館の入場が含まれている場合は一般の入場口とは異なる。そのため繁忙期には入場券を買うために並ぶ必要がなくなるのが嬉しい。
ボストン美術館にてお世話になった鈴木さんとはここでお別れ。短時間でボストン中心部の見どころを周遊できた。
なお美術館内には大きな荷物は持っていけないため手荷物は少なめにしよう。
じっくり見る時間がない人はボストン美術館の日本ご案内書を手に取ろう。特に有名な作品の所在地が一目でわかるように星印がつけられている。それだけ見るのであれば、最低1時間半あれば鑑賞できる。
ボストン美術館を後にして、私は徒歩でホテルまで戻った。美術館のそばにはグリーンラインの地下鉄駅やタクシーが待機しているので、徒歩でなくとも歩いて帰るには問題ないだろう。
ホテルに不要な荷物を置いて、午後からは一人でボストンの街を散策。
●ビーコンヒルエリア
午前中車窓見学した中で特にフォトジェニックなビーコンヒルまでホテルから歩いて向かった。ボストン賑やかな目抜き通りであり、歴史あるボストンマラソンのゴール地点であるボイルストン通り、コープリースクエアを抜け、ボストン子の憩いの場・穏やかなパブリックガーデンとボストンコモンを経てビーコンヒルへ。
ビーコンヒルの住宅街は1800年代に建てられた茶色い煉瓦造りの建物が並ぶボストンらしい歴史を感じる街並み。このエリアは景観保存地区に指定されており、家主といえども勝手に家のデザインを変更することはできない。修理するのも市の許可を得なければならないという。鈴木さん曰く「世界遺産には歴史はまだまだ浅いけれども時を経ればいずれそうなる場所」との言葉は納得させられる。


ビーコンヒルエリアで面白い通りを2つ紹介したい。
1つはエーコン通り。
絵葉書にも使われるという石畳の細い通り。車のない時代作られたことがわかるような狭さに当時の面影を最もよく感じさせられる。
2つ目はチャールズ通り。
ビーコンヒルエリアの歴史あるショッピングストリート。この通りで面白いのは店が掲げる看板。酒を出す店であればビールピッチャー、レストランであれば銀盃に盛られた果物、金物屋であればヤカン、薬局であれば調合に使われる擂り粉木と鉢がオブジェとして軒先に飾られている。鈴木さんの説明によるとかつて黒人奴隷が多く住んでいたビーコンヒルで文字のわからない彼らにも分かるようにするための配慮とのこと。さらに面白いことにこのエリアには1800年ごろに無かったであろうお店は開いてはならない。例えば洋服屋・酒屋・レストラン・郵便局はOKだが携帯関連やコンピュータショップはない。そこまで徹底している。
私はこの歴史あるチャールズ通りでビールのピッチャーの看板のパブへ。
ボストンに来たら飲みたいビールがある。それはアメリカで最もポピュラーなクラフトビールとされるサミュエル・アダムスだ。ボストンはそのサミュエル・アダムスの発祥の地でありそのビール工場見学はボストン観光の目玉となっている。そのサミュエル・アダムスのドラフト(生)ビールはボストンのパブであれば大抵飲める。どうせ飲むならボストンらしい場所で飲みたい!ということでこのチャールズ通りの老舗で飲ませてもらうことにした。歴史ある店だから観光客であることをいいことに写真をバシャバシャ撮っていたら昼間から飲んでいるおじさんに絡まれた。「ここあたりはチアーズという番組の撮影場所にもなったんだ」「ボストン図書館に行ったか?」「フェンウエイパークも最高だぞ」など教えてもらう。
樽だしのサミュエル・アダムスの味ももちろん最高。ボストンありがとう。




その後チャールズ川沿いを歩く。
ボストンはさすがマラソンの街らしく、ランナーの姿を多く見受ける。3月のボストンはまだ空気がひんやり冷たくしんとしている季節でマラソンにはもってこいの時期だ。皆4月のボストンマラソンに向けて入念なトレーニングをしていることだろう。




夕食は鈴木さんのお勧め、イタリアン料理を出すバー、ウノへ。
ウノはその名の通りイタリアンを出すレストラン。バーカウンターとテーブルで食べるエリアに分かれている。私はテーブルに座りピザとハープーン(これもボストン発のクラフトビール) をオーダー。
なお店でアルコールを注文する場合はIDをチェックされるのでパブに出かける際は必ずパスポートを持参するように。

満足してホテルに戻り、明日の出発に備えホテルで眠りにつく。
○9日目
朝5時半にホテルをでて空港へ向かう。
ボストン到着時同様、地下鉄と空港シャトルバスを使った。
空港に到着したのは6:30。朝早いにもかかわらずすでにボストン空港は沢山の乗客で賑わいを見せていた。
オンラインチェックインをあらかじめ終えていたのだが、キオスクでバゲージのタグを自分で出す必要があるらしくもう一度チェックイン手続きをした。
身体検査・荷物検査を終えて搭乗エリアへ。ボストン最後の食事はボストン発祥のダンキンドーナツで。
そうして私はシカゴ乗り継ぎで無事成田への帰途へついた。
ウユニ塩湖:★★★★★L
ラパス:★★★★★
ボストン:★★★★★
(2016年3月 橋本康弘)
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