イオラナ~!!笑顔と神秘に満ちた憧れの地イースター島へ

イオラナ~!!笑顔と神秘に満ちた憧れの地イースター島へ

イースター島の名物おじさんと

アフ・トンガリキにて

夕日に染まるアフ・コテリク

イースター島。モアイ。 南米旅行者の多くが訪れる、南米ハイライトの一つです。誰もが一度は聞いたことがあり、写真や映像で見たことがあることでしょう。南米チリから西へ3700キロ、絶海の孤島であり、かつ火山島で痩せた土地でこれといった資源もないイースター島が世界にあまねく知られるようになったのは約1000体の謎の巨石像モアイの存在です。大きいもので高さ9メートル、重さが90トンにも達し、島の内側を向いて立っている様は世界に例がないほど神秘的です。そして、オロンゴの岩壁や洞窟には、奇怪な鳥人の顔が描かれ、またコハウ・ロンゴ・ロンゴという文字盤には、象形文字が残されている。しかし、この文字を読むことのできる住民は今や一人もおらず、また謎の巨石像の由来も現在の島民には伝承されていなかった。モアイがかつて世界の七不思議の一つに挙げられるようになったのはこのためかもしれません。
昔から子ども向けの科学本にも「世界の七不思議」の1つとしてモアイのことが度々紹介され、子供のころからムー大陸やアトランティス大陸といった「超古代文明」に憧れていた私にとってもイースター島は特別な存在でした。そのことから「いつかモアイを見る」のが夢の一つになっていたのだと思う。しかし大人になって、自分の金で旅をし始めると、イースター島が候補地に挙がることはなかった。飛行機でもイースター島は、日本から約35時間以上かかるなど実際、めちゃくちゃ遠く費用もそれなりにかかる。またモアイ以外のイースター島の魅力を知らな過ぎてモアイだけを見に行くことに躊躇していたこともあった。そういう意味でずっと縁がなかったイースター島ですが、今回念願叶って視察で訪れる機会を得て、新たなイースター島の魅力を探るべく体を張って参りました。親切な島民の笑顔と島の素朴な雰囲気にすっかり心も体も癒された、そんな研修の一部を以下のとおりご紹介いたします。


1、 日本からイースター島へ行くには・・・
地球の裏側まで行くのだから…旅をより快適にしていただくため、フライト事情も事前に踏まえておきたい重要なポイント。イースター島へ行く方法は現状タヒチ経由とサンチアゴ経由の2つ。よって、かつてタヒチと周遊する8日間の旅がリゾート&世界遺産でバランスよく定番だった。しかしながらイースター島は2010年にタヒチ⇔イースター島間のフライトが減便されて、週1便となってからは現在のところ、限られた休暇でイースター島へ行こうとしたら、1番速く、便が良いのがアメリカ乗り継ぎのサンチアゴ経由となります。チリのサンチャゴまで就航している米系の航空会社はアメリカン航空とデルタ航空。サンチャゴ⇔イースター島間はチリのラン航空のフライトのみのため、乗り継ぎなど総合的に軍配が上がるのが同じワンワールド系のアメリカン航空です。アメリカのダラスやロサンゼルスといった都市で1回乗り継ぎでチリのサンチアゴへ向い、そこで1泊後翌日国内線に乗り換えて向うのが一般的です。
2、 いざイースター島へ
滞在1日目:
イースター島行きのLAN航空LA841便がサンチアゴを朝9:10に出発した。チリの海岸からイースター島までは約3,700km。5時間半の空の旅だ。イースター島は英語で「Easter Island」だが、空港などではスペイン語で「Isla de Pascua (パスクア島)」と表記されている。イースター島民は「Rapa Nui (広い大地)」と呼ぶそうです。青い空と海だけだった飛行機の窓に南太平洋上の孤島が見えると機内が賑やかになった。大勢の旅行者を乗せた飛行機は、イースター島のマタベリ国際空港(スペイン語でイスラ・デ・パスクア空港)に到着。タラップを降りて島の大地を踏みしめる。日差しが強く蒸し暑いが気持ちいい風も吹いている。ついにイースター島に来てしまった。

マタベリ国際空港

マタベリ国際空港

荷物をピックアップすると、特別な手続きは何もありませんがここで個人旅行の方で、国立公園内を観光する方は国立公園の入園料を払うように空港係員から案内があります(国立公園の所定の場所でチェックがあります)。空港ロビーには、ツアー客の迎えやホテルの予約デスクが旅行者を迎えている。空港に到着したら、モアイ像に惹かれてイースター島に移住して20年、唯一永住権を持つベテラン公認ガイドの最上さんの出迎えをうける。

ホテルタハタイにて最上さんと

本土とイースター島は約2時間の時差があるので、島到着後は時計を2時間戻すのをお忘れなく。今回泊まったホテルはタハタイホテル。

ホテルタハイタイ室内

空港から10分かからずとても近い。こちらのホテルには最上さんの奥さんが働いていらっしゃるので特に日本人のお客様には安心だろう。場所はハンガロア村の南、西海岸沿いの好ロケーション。レストラン、土産屋の多い村の中心エリアまでも徒歩圏内、さらにタハイ儀式村まで歩いて行けるので散歩ついでにいくつかのモアイ像を見ることができる。ホテル5件視察を足早に済ませた。

ホテルオタイ

ホテルマナバイ

ホテルゴメロ

ホテルイオラナ

ホテルハンガロア

ホテルはいずれもモアイよりも高い建物は建ててはいけないという自主規制により平屋建てでこじんまりとしているおり、山小屋風のコテージのような雰囲気のものが多い。ハンガロア村はとても小さい村なので、この村のいずれのホテルに泊まっても観光に支障はないが、折角ならホテルタハタイやホテルハンガロアのような村の中心地にある海沿いのホテルがおすすめ。
イースター島では、スペイン語が話されるが、基本的な挨拶はラパヌイ語を使う。「イオラナ~」で「こんにちは」や「さようなら」の意味。「ありがとう」は「マウルル~」で、「お元気ですか?」は「ペペコイ?」、「グッド」とか「ナイス」は「リバリバ!」、「おいしい」は「ネネ」、「美しい」は「ネヘネヘ」、「小さい」は「イティイティ」。尻上がりの発音なので口にするだけで陽気になる。村を歩いていると村人は笑顔で挨拶してくれるのが嬉しい。

島民の笑顔に癒される

夕方、ホテルタハタイから海岸沿いを歩いて「タハイ儀式村」へ向かった。ハンガロア村に隣接したタハイ儀式村は、遺跡というより海に面した広場のようになっていて、芝生に寝転んだり本を読んだりして過ごす島民の姿もある。また、タハイは、島の西側にあるため美しい夕陽が見られることで知られている。5体のモアイが並ぶ「アフ・パイウリ」や、900体近くあるとされるイースター島のモアイのなかで唯一「目」がはめ込まれた「アフ・コテリク」

アフ・コテリク

アフ・コテリク

1体の巨大なモアイが立つ「アフ・タハイ」という3つのアフが集まっている。初めて見たモアイは、想像以上に巨大で、村にしっくりと馴染んでいた(ちなみにアフとはモアイが乗っている石を積み上げてつくった台座のことで全てのモアイ像はアフ○○と呼ばれている。)。モアイのバックに沈む夕日を眺めた後、夕食のため村のレストランへ。
ハンガロア村には地元の人向けのレストランから旅行者向けのレストランまで数件ある。揚げエンパナーダ(ひき肉パイ)のお店など地元料理のお店も何度か訪れたが、一番訪れたのが村の外れにある日本料理居酒屋「甲太郎」。弊社スタッフも前回訪れおすすめと言われていたこともあり、ついつい連日通ってしまった。入口に提灯あるなどアジアンテイストなインテリアが印象的なお店で、チリ人オーナーのフランシスコ・ザビエルさん(本名)はとても陽気。

居酒屋「甲太郎」

居酒屋「甲太郎」にてオーナーと

日本で10年近く修行した日本大好きのナイスガイ。もちろん日本語OK。日本人旅行者にも人気だが、欧米人の利用も多い。天丼、ラーメン、すしなど懐かしい日本の味が味わえる。特に海鮮お茶漬けと大根の味噌汁が絶品で、「まさかこの場所でおいしい日本食を味わえるとは」とすっかり感激してしまった。美味しいだけでなく、物価の高いイースター島にあって料金も相対的に安いのが嬉しい。

居酒屋「甲太郎」の海鮮丼

居酒屋「甲太郎」のメニュー

一度ホテルに戻り寝たものの、夜中に目が覚めてしまい、懐中電灯を片手に海沿いを少し散歩することにした。夜遅くまでやっているバーのようなお店を除いては静まり返っており、波の音しかしない。治安を全く心配せず散歩しても問題ないようだ。見上げると外は満天の星空が広がっていた。ホテルの近くはそれでも少々明るいので、明かりがない場所まで移動することにした。村から数分歩いてはずれまでくるとどうだろう。手が届きそうなくらいたくさんの星が輝いているではないか。普段見えないものまで見えるので、逆さまのオリオン座も他の星とごちゃ混ぜでわからないほど。しばし至福の時間をすごした後、ホテルへ戻って就寝。
滞在2日目:
この日は4年に1度のチリ大統領選挙の日とあって村のお店やレストランや休みが多く全体的に閑散としていた。
午前中は博物館観光ツアー(タハイ儀式村、イースター島博物館、アナ・カイ・タンガタ)と2件ほどホテルを視察行う。
まず訪れたのはタハイ儀式村。

アフ・コテリク

アフ・パイウリ

アフ・タハイ

あらためて日本語で説明を聞いた後、この島の歴史を知るべく「イースター島博物館」へ向かった。この博物館では、最上さんが訳した日本語訳の冊子を貸してくれるので、それ読みながら展示物や写真ボードを見て回った。

イースター島博物館

ロンゴ・ロンゴ文字盤<複製>

その後、激しい波が白くしぶきをあげる崖沿いにある「アナ・カイ・タンガタ」と呼ばれる小さな洞窟へ。

食人洞窟アナ・カイ・タンガタ

アナが洞窟、カイが食べる、タンガタは人という意味で、直訳すると食人洞窟。かつて、ここで戦いに負けた部族を食べる食人の儀式があったとされていたらしい。洞窟に入るために崖沿いに作られた階段を降り実際に洞窟内に入ってみる。浅く開放的な洞窟で食人洞窟というような不気味さはない。洞窟の天井に鳥の壁画が残っていた。

アナ・カイ・タンガタの壁画

観光後、お昼まで時間があったので村へ戻り、郵便局へ。

村の郵便局

イースター島へきたらモアイのスタンプを押してもらえるのだ(注意:出入国時にトラブルの元となるため、パスポートには押さないこと。郵便局は閉まっている時間もあります)。無事スタンプを押してもらい、お土産物屋さん散策へ。当然、土産物はモアイばかりだ。素材やデザインにバリエーションがある。

モアイの置物

村の民芸品

お土産として人気があるのはプラスッチック製のキーホルダーとのこと。モアイ彫りを作っている職人さんもいた。

モアイ彫りをつくる職人のおじさん

ホテル近くのレストランいてハンバーガーをほおばりホテルで休憩。

ローカルレストランのチキンハンバーガー

この日の午後は滞在するハンガロア村から近いエリアを半日で周る「オロンゴツアー」(アフ・ビナプ、オロンゴ儀式村、ラノ・カウ火山湖)へ。
まず最初に訪れたのが隙間無く組まれた精巧な石組みがあるアフ・ビナプ。特にアフNo.1の石組は、カミソリの刃も入るすき間がないほど、ぴったりと精巧に組まれている。

アフ・ビナプの石組み

アフ・ビナプの石組み

石組み技術の高さから南米ペルーのインカ文明との繋がりを唱える考古学者もいるというから大変興味深い(ただし最新の研究ではアフでみつかった人骨のDNA鑑定などによりポリネシア起源説が有力)。ほかに島に10体もない、珍しい赤石の女性モアイや埋もれたモアイも見ることができる。

アフ・ビナプの埋もれたモアイ

アフ・ビナプの埋もれたモアイ

アフ・ビナプの女性のモアイ

オロンゴへ移動中、錆びてクレーン車が見えてきた。

モアイの修復に使われたクレーン

このクレーンこそ、あのモアイ修復プロジェクトに大活躍したクレーン車だ。現在島最多の15体のモアイが立つアフ「アフ・トンガリキ」はかつてすべて倒されていたが、1993年から1995年にかけて日本のクレーン会社「タダノ」がこのクレーン車をイースター島まで運び、1億円もの資金を投じて発掘調査と再建をしたそうだ。イースター島が世界遺産となるきっかけといっていいプロジェクトの歴史的遺産である。
次に訪れたのがイースター島西南端に位置する「オロンゴ」という儀式村跡だ。

オロンゴ儀式村

鳥人儀礼が行われたモトゥ・ヌイ島

ここは、イースター島のモアイ信仰が人口が増え過ぎたことによる飢餓や部族間の争いによって「モアイ倒し」という結果で終焉を迎え、その後に始まった「マケマケ」という鳥人信仰の聖地となった場所だ。カルデラの淵に造られたオロンゴの岬には、モトゥ・ヌイという小さな島がある。鳥人儀式では、この島までグンカン鳥の卵を採りにいき、最も早く戻ってきたグループのトップの人間(その部族の長)が1年間「鳥人」として崇められたらしい。鳥人となった者は、神とされ、狂ったように踊りながら、先ほど訪れた「アナ・カイ・タンガタの洞窟」で人肉を食べたとされている。今のラパヌイの人たちからは食人なんて想像もできないが、本当にそういう歴史がこの島にあったのだそうだ(ただし現在までの調査ではアナ・カイ・タンガタでは人骨は確認されていないため、食人がここで実際に行われたかどうかは立証されていない)。オロンゴ周辺の岩には顔や鳥人らしきレリーフが刻まれていて、鳥人伝説の痕跡が200点ほど残っている。

顔面彫刻

鳥人間のレリーフ

次いでラノ・カウ展望台へ。大きなカルデラがあるというのでやってきたが、予想外のスケールに驚いた。このカルデラは直径1.6km。ペルーのチチカカ湖のようにトトラが生える水面と火口の淵は200mほど標高差があるそうだ。海底火山の噴火によって形成されたイースター島のなかでも、ラノ・カウは最大規模のカルデラ。この下に海底山脈が連なっていて、ここがその山頂ということになる。島はこの湖のおかげで真水が確保できるそうだ。空とカルデラのコントラストがなんとも言えない色合いを出しており美しさに言葉を失う。

ラノ・カウ展望台にて

夜は最上さんのご好意でラパ・ヌイの伝統舞踊カリカリ・ダンスショーを見に出かけた。会場は村のメインどおりにあり夜9:00から1時間ほどの内容。見ごたえ十分のダンスは後半に最高潮を向かえ、観客も一緒にステージに参加するもの。最後にはダンサーと記念撮影!大満足の1時間でした。

伝統舞踊カリカリ

伝統舞踊カリカリ

ダンサーと記念撮影

滞在3日目:
メインであるイースター島終日観光コースへ。このツアーが最も充実していてイースター島らしさを感じられると思う。
最上さんのお話では通常この観光ルートは、村→アフ・バイフ→アフ・アカハンガ→ラノ・ララク→アフ・トンガリキ→アフ・テプトクラ→→アナケナ・ビーチ→村であるが、太陽の日照向きなどを考慮し写真のことを考えると、村→アナケナ・ビーチ→アフ・テプトクラ→アフ・バイフ→アフ・アカハンガ→ラノ・ララク→アフ・トンガリキ→村の回り方のほうがいいらしい。よって今回は後者の回り方でお願いをした。
島の北側にある「アナケナ・ビーチ」には、7体のモアイが立つ「アフ・ナウナウ」がある。例によってここのモアイも倒されていたが、白砂のビーチに埋もれていたおかげで保存状態がよかったそうだ。近くに寄ってみると体に刻まれたレリーフが他のモアイよりもしっかり残っているのがよくわかる。このビーチはイースター島民の海水浴場にもなっていて、天気がいい日はビーチで遊ぶ子供や、ボディーボード、BBQを楽しむ人などで賑わうそうだ。

アフ・ナウナウ

アフ・ナウナウ

アナケナ・ビーチ

アナケナ・ビーチにて

「アフ・テ・ピト・クラ」にはアフの上に立ったモアイとしては最大の大きさの「モアイ・パロ」がある。

アフ・テ・ピト・クラ

また、近くのテピトオテヘヌアとよばれる強い磁場を持つツルツルの不思議な石球は何らかの宗教的儀式に使われたのではないかと考えられ観光客の間ではパワーストーンとして注目されている。

テピトオテヘヌアにてパワーを注入?

南海岸沿いの「アフ・アカハンガ」へ。

アフ・アカハンガにて

このアカハンガは18世紀に起こったモアイ倒し戦争によって倒されたモアイが数多く見られる場所。形が崩れて岩のようにしか見えないものから、大きなものまで倒れたモアイが散在しているのだ。この場所には、13体のモアイが立てられていたらしいが、その全てが倒されていた。1680年頃に起こった「モアイ倒し戦争」によって倒されたモアイは、300年以上も倒されたまま放置されている。折れた首だけが転がっていたりして、寂しい光景だ。この島の歴史を伝えるために、倒したままにしておくことも必要だと考える人もいれば、保存修復したほうがいいという人もおり島民により考えも様々なんだとか(注:1960年のチリ地震で発生した津波の被害を受けたモアイもあるそうです)。
海から吹き付ける強風に煽られながら車を走らせ、石ころだらけのデコボコの道を進むと、イースター島最大のみどころとされるモアイの切り出し山「ラノ・ララク」に着いた。

ラノ・ララクのモアイ

ラノ・ララクのモアイ

ラノ・ララクのモアイ

ラノ・ララクのモアイ

ラノ・ララクは山全体がモアイの製造工場となっていて、切り出し途中のモアイや、顔が半分地面に埋まったままのモアイ、運ぶだけのモアイまで無数のモアイがある。全部で400体近くもあるらしい。モアイは口をしっかり閉めているのが基本だが、口を開けて笑っているように見えるモアイや、女のモアイも存在するらしい。正座して座っているモアイにはあごひげが付いている。

正座するモアイ

最初のイースター島民は、現在4世紀にポリネシアのマルケサス諸島からカヌーでイースター島にやってきたとされているが、彼らは何故こんなにもたくさんのモアイを建造したのか諸説あるが、イースター島民は、モアイを運搬するための丸太が必要だったために、島中を覆っていた森を伐採した。その結果、土地が荒れて農地がなくなり、大規模な飢餓が発生。食料を求めた部族間の争いから、最終的にはモアイ倒し戦争へと繋がってしまったのだとか。山の裏側にはラノ・カウよりは小さいがカルデラ湖があるので時間がある場合は訪問してみては。
ラノ・ララクのすぐ近くには「アフ・トンガリキ」というイースター島最多の15体のモアイが立つアフがある。

アフ・トンガリキにて

アフ・トンガリキのモアイも全て倒されていたが、1993年から1995年にかけて日本のクレーン会社「タダノ」がクレーン車をイースター島まで運び、1億円もの資金を投じて発掘調査と再建をしたそうだ。長さ200mのアフに立つモアイは圧巻で、これぞイースター島という感じだ。アフ・トンガリキのモアイは朝日を背に浴びる唯一のモアイということで、サンライズポイントにもなっている。

アフ・トンガリキにて

アフ・トンガリキ

滞在4日目:
翌朝、折角なので、前日にタクシーを予約し、サンライズを見に行くことにした。タクシーは待機時間も含め往復$80ドルほどであった。朝5時半、起床すると外はまだ暗い。6時半頃静まり返ったホテルからタクシーで抜け出し、海岸沿いの真っ暗な道を進む。1時間後、再び「アフ・トンガリキ」に到着。モアイの影の前に腰を下ろして日の出を待った。モアイ像の背後から太陽が昇り始めると、東の空が魔法でもかけたように不思議な色に変わっていく。とても幻想的だ。

アフ・トンガリキ

アフ・トンガリキ

約15分後、幻想的な空の色は淡い朝の空に変わってしまった。急いでホテルへ戻り朝食を済ませると、最後のツアー、アキビツアー(プナ・パウ、アフ・アキビ、アナ・テ・パフ)へ向かう。
まず先に「プナ・パウ」という場所へ向かった。ここはモアイの頭に載せる「プカオ」という赤い帽子のような岩を切り出していた場所で、今も切り出し途中の大きなプカオがゴロゴロ放置されている。赤色凝灰岩で造られたこのプカオは、当時の人々が結っていたマゲを表しているらしい。

プナ・パウに残るプカオ

プナ・パウに残るプカオ

「アフ・アキビ」という小高い場所ある7体のモアイ像。

アフ・アキビにて

アフ・タハイのモアイは頭部が欠けていたり、顔がなかったりと損傷が激しかったが、海を見つめて立つここのモアイは顔が残っている。それぞれ微妙に表情が異なっていることも確認できる。モアイを見ていると童心にかえったようになるのは何故だろう。10~11世紀に造られた高さ4m、重さ20トンもあるここのモアイたちは、島に立てられたモアイのなかで唯一「海」を見つめて立っている。モアイの見つめる方向は、春分、秋分の日没の方角で、その先には、島に伝わる伝説の王ホツマツアがやって来たとされるマルケサス諸島のヒバオア島があるそうだ。ちなみに番外編として映画ETのモデルとなったのでは?と疑いたくなるモアイの顔も残されてました

ETの顔のモデルとなった?モアイ

最後に「アナ・テ・パフ」へ。ここは全長約4キロ、島内に200以上ある中でも最大規模の洞窟でかつては住居や侵略者から逃れる避難壕だったらしい。入口にバナナの木が生い茂っている。かまどの跡が残っていて昔の人々の暮らしが垣間見られる。

アナ・テ・パフに生い茂るバナナの木

バナナの花びらで遊んでみる

アナ・テ・パフにて

長いようで短い3泊4日間の滞在はこれにて終了。滞在中は最上さんにすっかりお世話になってしまった。この場をお借りし深く御礼申し上げたい。次回訪れる際は2月のイースター島最大の祭りタパティの時期にあわせて訪れたい。またいつか訪れたいと思ってもそう簡単に来れる場所でないのはわかっているが、それでももう一度訪れたいと思うのは、モアイだけが魅力の島ではないからだと思う。親切な島民の笑顔と素朴な島の生活に魅力を感じたからに違いない。
3、これからイースター島を訪れる人たちへ
ツアーではなく個人で来ている観光客も見かけました。空港でのツアー・ホテルの客引きや流しのタクシーなどがあることを考えると、バックパッカーの方のようにキャンプサイトに泊まり、個人で観光することも可能かもしれない。ただしタクシーなどがあるのもハンガロア村周辺のみで、遠方の遺跡へ向かう場合流しのタクシーなどは皆無です。短期の滞在の場合は特に安心・安全・効率を考えるとツアーをあらかじめ予約し利用したほうがいいかもしれません。
アドバイス
①風が強くたまにスコールが振るのでウインドブレーカーなど雨対策が必要です
②ハンガロア村を離れると未舗装の道路も多く、事故に対する保障が乏しいので、レンタカーはおすすめできないが、レンタサイクルは1日約25USD程度で気軽に利用できるので、中距離の観光をサイクリングで回るのも面白いかもしれません(※故障した場合も考え遠方の観光は車のほうがいいでしょう)
③夜は特に街灯が乏しく、停電も週2回ほど起こるので念のため懐中電灯を持参ください
④チリ本土と比べると物価が2,3倍高いので、必要なものは本土で購入していったほうがいいでしょう(例えば水約800チリペソ、定食1100チリペソなど)
⑤風が強いため体感ではそれほど暑さを感じなくても、日差しはかなり強いので、日焼け止め・帽子は持参しましょう。
⑥時期により朝晩や雨が降ると冷え込みこともあるため、羽織れるものを持参しましょう。
⑦ツアーは英語ガイドツアーと日本語ガイドツアーがありますが、より融通が利いて歴史的な理解度が深まる日本語ガイドツアーが断然おすすめです
イースター島に20年以上在住のベテラン日本語ガイドの最上さんのガイドであれば安心です
4、モアイ以外のイースター島での過ごし方
通常のモアイ観光のほかにイースター島最高峰・テレバカ山登頂にチャレンジしたり、オロンゴの鳥人儀礼が行われたとされるオロンゴ周辺海域のボートクルーズしたり、ダイビングで水中モアイと見に行ったり、オリジナルのモアイ彫刻づくりにチャレンジしたり、大迫力のラパヌイ・ダンスショーを見たり、ホームステイをしたりと様々な楽しみ方があります。オプショナルツアーやアレンジとして承ることが可能です。
2013年12月 渡邊竜一
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