11月の後半、ベリーズ・グアテマラ・エルサルバドルに夫婦でいってきました。これらの国々は北にはメキシコ、南はペルーにブラジルといった人気の観光国の中間に位置する国々で、旅行となると若干影の薄い国々です。これらの国に行かれる方々はマヤ遺跡の観光をメインに据えて旅行される方が多いかと思うのですが、私は旅行中、はたと気づきました。ベリーズの美しい海でエイやサメとたわむれるシュノーケリング体験、グアテマラはコロニアル調のかわいらしい街アンティグアにてカフェ巡り、ジャングルを冒険するようなティカル遺跡に動物たちの楽園・ペテンシート、はたまたフローレスでのサンセットボートクルーズに、民族衣装試着。さらには女子力アップ間違い無しのエルサルバドルでの藍染め学習。
中南米というと「遺跡」「治安が悪い」という2つのイメージがあったせいでどちらかというと男性が好んで行くような国だと思っていたのですが、女性が好きそうなものばかりじゃないですか、私は女子旅に参加したんだなぁ~~!!。確かに治安面に不安なところはあるかもしれませんが、観光地は治安が安定しており、現地には日本人スタッフもいますので実際、安心・安全、快適に旅行ができました。帰りにはニューヨークにも立ち寄り初めてアメリカの滞在も少し楽しんできました。
11月29日
28日の23時ごろ、神保町のオフィスから羽田空港へ向かう。
羽田発ニューヨーク行きのアメリカン航空134便は翌朝6:50発のフライトだ。2時間前にチェックインをしようとおもうと4:50には羽田に到着していないといけないわけで、私の自宅からだと電車どころか空港バスも間に合わない。そこで仕事を終えたあとで、羽田空港へ向かい、そのままチェックイン時間までの約5時間、空港で過ごそうと考えた。
0時を過ぎた羽田空港は意外なほど賑わっていた。クリスマスシーズンに向けたイルミネーションが深夜にかかわらず美しく空港内を彩っていたこともあるが、空港では最終のAM1:30発のエミレーツ航空や日本航空のパリ行きなどチェックインが始まっていたからだ。
我々はとりあえず、寝床を確保するために空港内をうろうろ。
夜の展望デッキを眺め、静まり返ったお土産屋さんを歩く。そのうちにお腹が空いてきたので夜でもやっているお店を調べると羽田空港国際線内の出国前のエリアには24時間営業しているお店が3軒あった。我々は4階のお土産屋さん街にあるカフェレストランで腹ごしらえ。カレーとナン、ビールのセットで1500円。空港価格だからしょうがないのだが、深夜の空港の中ではこれでも比較的良心的な価格だった。もし羽田空港で夜を明かすのであれば、自宅を出る前に食料を買い込んでおくことをおすすめする。
朝4時までカフェレストランのソファでまったり過ごし、その後到着エリアへシャワーを浴びに移動。羽田空港の国際線到着エリアにはシャワーサービスがあり、30分1000円で利用できる。
身も心もリフレッシュして、アメリカン航空にチェックイン。この日はベリーズまで行くのだが、ニューヨーク(JFK)とマイアミの2回乗り継ぎ。空港係員の方に確認したところ、荷物は一旦、ニューヨークで受け取りまたすぐに流すのだそう。ニューヨークからの荷物はマイアミでは受け取らず、ベリーズまで流れるそうだ。
アメリカン航空134便は当然ながらというべきか、空いていた。11月の平日に朝6時に出る飛行機に乗れる人は限られているのだろう、12月からの運休もきまった。11月29日に乗った私たちは最後の手前のフライトでニューヨークへいったこととなる。しかしながら羽田から直行でニューヨークへ行けるという利便性はかなり高いので(時間帯は変えた方がいいのかもしれないが)近い復活を望む。
ニューヨーク(JFK)到着。私自身初めてのニューヨーク上陸だ。
と言ってもアメリカの空港はどれも巨大でヒューストンやダラスであってもあまり見分けがつかない。
ニューヨークにてアメリカの入国審査。相方は問題なかったが私だけ、別室に連れていかれる。これまでの旅行で私は別室に連れていかれたことは3回ほどあり、今回はやけに中東の国のハンコが多いから引き止められたそうだ。乗り継ぎ時間に余裕をもっていたので問題なかったものの、私の場合アメリカでは短い乗り継ぎはさけたほうが良さそうだ。
11月の後半ということでアメリカではサンクスギビングデーが始まり、空港の中はクリスマス用の装飾がされている。人々も浮き足立っているように見えた。
南米への玄関口、マイアミに到着。マイアミではそのまま手荷物検査もなく、搭乗エリアまで通される。マイアミでも厳しいチェックがあるのではと心配していたがこれは楽チン。
まるでショッピングモールのようなマイアミ空港をあとにして、ベリーズシティへ。
<ベリーズシティ>
カリブ海に面し、メキシコとグアテマラに接する国ベリーズ。周りをスペイン領に囲まれたベリーズは中南米で数少ない英語が公用語の国。かつてのイギリス領であるベリーズの首都ベリーズシティにはレンガ造りのイギリス建築、セント・ジョンズ・カテドラルなどイギリス統治時代の名残が幾つか残っている。度重なるハリケーンの影響で首都機能は1970年にベリーズシティからベルモパンに移されたが、人気のリゾート地のサンペドロ、キーカーカーやグアテマラからの交通の拠点となる場所であるため、現在も経済的な中心を担っている。人口は6万人ほどと言われ、ベリーズ川の河口に位置するのどかな漁村のような趣を残す街である。
ベリーズの空気はニューヨークやマイアミと比べれば暖かいが、11月後半の湿気をもった潮風が肌に当たる感触は「生暖かい」という表現がぴったりだった。
ベリーズ空港の厳しい税関(スーツケースとカバンの中を全部ひっくり返される)を抜け、ガイドさんと合流。ガイドさんはソリス麻子さんという日本の方だった。ベリーズへ入国する日本人は在日ベリーズ大使館調べで年間500人ほどという。非常に少ない人数のため日本人のガイドさんも今はソリスさんだけだそうだ。
空港をあとにし、向かうはベリーズシティのダウンタウン、アルバート通り。
といっても大きなコンクリートのビルディングなどはもちろんなく、高くても2階建てや3階建ての商店がならぶのどかな通りだった。日本であれば必ず目に付く海外外食チェーン店なども一切ない。時代に取り残されたような街である。
イギリス植民地時代、マホガニーの木の代わりにイギリスからベリーズに輸出したという煉瓦を使い建てられたセント・ジョンズ・カテドラルというベリーズシティ唯一の煉瓦造りのイギリス式建築物を観光して、キーカーカー行きの高速船乗り場へ。
フェリーは2名往復で25USドル。あわせてベリーズシティ発・フローレス行きのバスチケットもここで購入(2名で50USドル)
。
<キーカーカー>
カンクンのあるユカタン半島をさらに南下、ベリーズシティから北東に32キロに位置するのがキーカーカー。ベリーズのリゾートとしては更に20キロ北上したサンペドロが代表格だが、キーカーカーはバックパッカー向けのリゾートとして知られており、比較的安価なゲストハウスやレストランが充実している。美しい海岸線が続き、島から10分も出ればエイやサメに出会えるダイビングスポット。島内には舗装された道路は1本もなく、30分もあるけば島の大体は把握できる。ベリーズシティさえ都会に思えるほどののんびりしており、島の人々はマイペースでまるで商売っ気がない。私も同じように、他人に合わせるのではなく自分のペースで、そんな気分にさせてくれるリラックスしたリゾートだ。
ベリーズシティからキーカーカーへは高速船で約1時間。サンペドロ行きの船だが途中でキーカーカーにも寄港する。
ひどい揺れでなんども頭を打ちそうになった。
キーカーカーの船着場からホテルへはタクシーで5USドル。とはいっても、この島には一般の車はなく、ゴルフカートがタクシーがわりになっている。島内の移動手段はゴルフカートか自転車か徒歩なのだ。
この日の宿泊はCOLINDA CABANASというビーチ沿いのゲストハウス。
<COLINDA CABANAS>
オンザビーチのカラフルなバンガローが立ち並ぶかわいらしいゲストハウス。各部屋には専用の自転車を始め、シャワーにトイレ、さらにはセーフティボックスに、ハンモックやキッチンまでついている。無料のWIFIもあり、ホテルのスタッフもなかなか親切。朝食は出ないので各自で作るか、近くのレストランで食べるかになる。
この日はキーカーカーの街を散策し、シーフードを店の前でバーベキューしているレストランで食事、2人で30USドル。この店は味と値段もイマイチで、食事を持ってくるのも遅かった。
食事のあとは街灯の少ないホテルへの道を戻り、長旅の疲れを癒すため就寝。
11月30日
朝6時に起床。昨日購入したキーカーカーベーカリーのパンでは足りず、改めて買い出しに行くことに。昨日は売り切れていた出来たてのハムとチーズのパン(1.5US$)と、近くの弁当屋さんで卵焼きとベーコンと豆のシチューの朝食セット(4US$)、コンビニで幾つかのジュースとカフェオレを買い求めるホテルのテラスで食べる。少しパンも卵焼きも油っこいが美味しく食べた。
その後、街のビーチに行こうと北の端、レイジーリザードというレストランがあるエリアまで行くがビーチらしいビーチはない。気温が高くなく風が強いせいか、泳いでいる人が見当たらない。せっかくビーチにきたのに泳がなきゃソン、ということで、地元の旅行社で半日のシュノーケリングに参加した。(1人30US$)
<半日シュノーケリングツアー>
朝10:30開始でおよそ3時間のツアー。他の旅行者とのグループツアーで我々も含めて計6人だった。キーカーカーから高速船でおおよそ10分離れたシュノーケリングポイントまで行き、そこでシュノーケリングしながらガイドが海の中の生き物について教えてくれる。シュノーケリングポイントは計3カ所。カラフルな魚やカメ、さらにはエイやサメの棲むエリアもあり、びっくりするぐらい人懐っこい。ガイドさんがサメを手で捕まえて触らせてくれる。文字通りサメ肌。シュノーケリングの後にはフルーツを切ってくれて皆で食べた。キーカーカーのビーチは広くはないので泳ぐのがメインであれば、ぜひシュノーケリングに参加したい。
ホテルにもどりシャワーを浴び昼食を食べたあと、午後はサンペドロに行くつもりだったがフェリーが少ないのと天気が悪かったため、行くのを諦めキーカーカーの街をぶらぶらすることにした。
自家製のアイスクリーム屋さんでピーカンナッツのアイスクリームを食べ、島の端のカフェバー、レイジーリザードまで歩く。レイジーリザードでは大音量でレゲエミュージックが流れ、どこから集まってきたのかたくさんの旅行者達の憩いの場となっていた。ちなみにレイジーリザードのビーチから泳いでゆける無人島があり、行きたかったが泳いでいる人は誰もおらず日も沈みそうだったのでやめた。
暮れ行く夕陽を見ながらしばらく過ごす。ホテルに向かって歩き出した頃はまだ明るかったのだが、いつのまにか真っ暗。足元に気をつけながらゆっくりホテルにもどった。
12月1日
朝5時に目を覚まし、チェックアウトの準備。
朝この日は6:30の高速船でベリーズシティに戻り、9:30にベリーズシティ発フローレス行きのバスに乗るため、早めに起きた。
ホテルには6:15にタクシーを手配してもらい、無事予定通りの便に乗船できた。
1時間後、ベリーズシティに到着。
ベリーズシティのフェリーターミナルとバスターミナルは同じ場所にあるので、高速船で到着したあとはチケットの売店のおじさんにスーツケースを預かってもらい、ベリーズシティ内をぶらぶら散歩。日曜日の朝とあってか、人はまばら。お店もまだやっていない。しかたなく、バス&フェリーの待合室でポテトチップスを買って過ごす。9時ごろになると街も活気を取り戻してきたので、ダウンタウンのスーパーマーケットなどを冷やかして歩く。
フローレス行きのバスの出発時刻は9:30だが、時間がすぎてもまだ現れない。
お店の人によると、「いつも10分から20分は遅れるから気にしないで、きたら呼ぶから、座っていていいよ」とのこと。
こんなに遅れるなら1本遅い8:30のフェリーでも余裕で間に合ったなぁ。
しばらく待合室で待っていると、おじさんが「フローレス?」と問いかけてきた。「イエス」と答えると、バスに乗れというジェスチャーをする。
外をでてバスらしきものを探すが見当たらない。そのおじさんが向かう先をみるとどうやらバスではなく、トヨタのハイエースだった。
我々のほかに6人の旅行者と地元の人の乗客と相乗りとなり、フローレスへ出発。
フローレスをめざし、ベリーズシティを出るとしばらく、舗装されていないデコボコ道が続き、しばらくすると舗装されている道となる。しかし、舗装されているといっても中央車線はないし、ところどころ穴が空いてたりなんかして、ドライバーは大変そうだ。
ベリーズの緑の生い茂る一本道を走り続けること2時間半。
グアテマラとの国境に到着。ここで乗客はすべておりて、ベリーズの出国審査とグアテマラの入国審査を行う。
ベリーズでは出国料として37.5ベリーズ$を払う。(US$でも可能)
ベリーズの出国審査の建物を越えて、50mほどあるくと今度はグアテマラの入国審査場がある。ベリーズの出国審査が大きな倉庫のような建物であったのに対し、グアテマラの建物は観光案内所のような雰囲気で比較的ちゃんとしていた。
グアテマラの入国審査では3US$を支払い、入国スタンプを押される。
車にもどり、それから約2時間グアテマラの道を走り続ける。
グアテマラの道はベリーズとは違い、アスファルトに穴はなく、中央車線もしっかりまっすぐに描かれていた。グアテマラはベリーズと比べてお金があるのだろうか。
フローレスのサンタ・エレーナ地区に差し掛かると、車が停車し、我々を待っていたと思しき地元の男たちが「ATMあるよ、ATMあるよ」と騒ぎ立てる。ATMごときで何事だ、とそのときは思っていたのだが、あとからこの意味を知ることになる。フローレス島の中にはATMや両替所がほとんどないのである。基本的にベリーズからきた乗客はこのATMでグアテマラの現金を引き出すか、ベリーズとグアテマラの国境にいる両替屋さんで両替するしかない。そのとき300ケツァール(Q)、4000円くらいを引き出した。
※後日フローレス島をうろうろしていたら、ホテル「ラ・カソナ・デ・ラ・イスラ」の近くのコンビニで1箇所ATMを発見。また中央公園のそばに銀行もあった。いずれにしても開店の時間やタイミングによって引き出せないこともあるので事前にある程度ケツァールへ両替しておくことをオススメする。
なぜか地元の男どももバスに乗り込み、ほどなくフローレス島の我々の宿泊するホテルに到着。地元の男たちは実は旅行社のスタッフで、要するにバックパッカーに客引きをしている連中のようだった。
「明日どうするんだ、ティカルにいくのか?」と聞いてくるので「いきます」と答える。
「ティカルへのツアーには2つある、早朝3:00にでる日の出鑑賞ツアーと4:30か6:00にでるノーマルのツアーだ。」、早朝に出るツアーなんてあるんだ、と感心しつつでも朝早く出ても日の出が見られるかは限らないし、朝早いのはもういいやと思い、ガイドなしの送迎だけを6:00発で依頼した。値段は1名80Q(約1000円)、ガイドブック通りの値段だ。しかし支払う段階になって100Qに値上げしていた。もちろん80Qに訂正させた。
<フローレス>
ペテン・イッツァ湖に浮かぶフローレス島とサンタ・エレーナ地区からなるフローレスは、ティカル遺跡の観光の拠点となる都市である。特にフローレス島は中央公園とカテドラルが街の中心に居座るスペイン統治時代の古い街なみが残り、通りには雰囲気がよいカフェやレストラン、それにホテルや観光客向けの旅行会社や土産物屋さんが建ち並んでいる。外国人観光客に人気の、そぞろ歩きにはうってつけの場所だ。湖畔ではボートを借りて、暮れゆく夕陽を眺めるのもまた格別な瞬間だ。日が沈むと湖沿いには屋台が建ち並び、昼間とは打って変わって賑やかな雰囲気となる。グアテマラの中でも治安がよく、外でも出歩けるのがうれしい。
ドライバーや旅行社の男と別れてこの日宿泊の「ラ・カソナ・デ・ラ・イスラ」にチェックイン。
<ラ・カソナ・デ・ラ・イスラ>
フローレス島の西側、ペテン・イッツァ湖に面した眺めの良いホテル。ホテルのランクとしては2つ星くらい。建物は古さを感じさせ、エレベーターもない。2人分の荷物が入ったスーツケースを自分で3階まであげるのは難儀だった。室内はベッドやシャワー・トイレ、テレビがあるだけのシンプルな部屋。ドライヤー、スリッパやセーフティボックス、ミニバーはなし。エアコンもないが、シーリングファンがある。1階には感じの良いレストランと小さめのプールがある。
ホテルでしばし休憩をしたあと、フローレス島の観光へ。
ガイドブックで気になったペテンシートへ出かける。
<ペテンシート>
ペテンシートとはフローレス島から船で15分くらい行った、言うなれば丸々1島、動物園にしたような島である。
フローレス島のボートタクシー乗り場から、ペテンシートまで船を出してくれる。始めは2人で200Qだったが、交渉後120Qで行ってくれることになった。
ペテンシートに到着後、入場料40Qを支払い中へと進む。
鳥たちの鳴き声に誘われて、まず出迎えてくれるのはカラフルなコンゴウインコ。そしてなぜか檻の中でなく公園内を走り回るイノシシ達。ペテン県に棲息する様々な野鳥や動物達を観察できる。さらに奥へ進むと、クロコダイルに、アナグマ、クモザル、シカ、さらにはピューマやジャガーなど、日本の動物園にも滅多に見られない動物もいる。島そのままを動物園にしているので、より自然に近い形で動物たちの生態を見ることができて、なかなか楽しめた。また動物園の係りのおじさんが、スペイン語が分からない私たちになぜか熱心に教えてくれて、グアテマラ人の人情に感動した。
ペテンシートをあとにして、船でフローレス島のたもとにあるショッピングセンターで降ろしてもらい、スーパーマーケットや地元のファーストフードを冷やかして歩く。ショッピングセンターにはバーガーキングもあり、ちょっとした空腹を満たすには便利だ。ショッピングセンターを出る頃にはすっかり日は暮れ、橋を歩いて渡りホテルへ戻った。
12月2日
朝5時に起床し、ティカル行きのバスへ乗り込むため準備する。
<ティカル遺跡>
4世紀から9世紀に最盛を誇ったと言われるマヤ文明の政治・経済の中心地、ティカル。550㎢もの広大な鬱蒼とした密林の中に突如現れる遺跡群は息を飲むほどの壮麗さを今に伝えている。その美しさと巨大さゆえに、マヤ3大遺跡の中でもとりわけ代表的な遺跡である。1979年に世界遺産の複合遺産に登録され、グアテマラを訪れるのであれば必ず立ち寄りたい場所の一つだ。
ティカル行きのバスは6時にホテルに迎えにくる予定だ。6時ぴったりにチェックアウトを終わらせ、スーツケースを預け、ティカル行きのバスを待つ。しかし待てどもバスはこず、痺れを切らしそうになった6:30すぎにようやくバスがやってきた。例によってこちらのバスも同様にハイエース。すでに他の乗客が4名乗っていた。私が乗ったあとも
親子連れが3人で乗ってきたので、計9人の大所帯だ。そのあとも地元の兄ちゃんが乗ったりおりたり乗合タクシーのような感じだった。
ちなみにティカル遺跡観光に一つ懸念があった。フローレスにくる時におろしたグアテマラの通貨ケツァールをすでに使い果たしており、入場料(一人150Q)をUSドルでも支払いができるか心配していた。
昨日、ショッピングモールのATMで現金を下ろそうと思っていたのだが、ATMの中の現金がなくなってしまったのか下ろせなくなっていたのだ。
しかしそんな心配は杞憂だった。ドライバーがティカルに出発する前にガソリンスタンドに立ち寄り、「ティカルにはATMや両替所がないからケツァールの現金がない人はここのATMでお金を下ろすように」と気を利かせてくれたのだ。
ティカルの入場料をUSドルで払えなかったら誰かから借りるしかないと思っていたので、本当に助かった。1時間後、到着したティカルの入場券売り場では案の定クレジットカードはおろかUSドルは使えず、ケツァールでのみ支払いが可能だった。ベリーズの国境に近い、人気の遺跡なのにケツァールでしか払えないなんて少し不便だと感じた。(あとから分かったことだが交渉すればUSドルでも支払いを受けてくれるケースもあるそうだ。)
8時ごろティカル遺跡の駐車場に到着。ここからは徒歩で遺跡に向かう。駐車場にはビジターセンターや博物館、レストラン、土産物屋がありきちっと整備されている印象だ。
駐車場から標識を頼りに、草木が生い茂った山道を経て遺跡に向かう。
歩く人もまばらで、途中幾つも道が枝分かれしているため、こんなジャングルでもし順路を間違えていたらどうしよう、と不安になりながらも歩くこと約30分、ようやく神殿らしきものが見えてきた。Ⅰ号神殿である。Ⅰ号神殿の脇を抜けるとティカル遺跡のハイライト、グランプラザに到着。グランプラザは東西に1号神殿とⅡ号神殿が向かい合い、南北は中央アクロポリスと北アクロポリスに囲まれた、ティカル遺跡の中でもっとも神聖な空間である。この広場の真ん中に立つと自分がマヤ文明の歴史の中にいるような錯覚を覚える。
グランプラザに続き、コンプレッホPの遺跡群や「失われた世界」、「7つの神殿の広場」を見学。しかし地図で見る以上に広大な範囲で、しかも草木生い茂るジャングルの山道をひた歩くので、思った以上に体力が消耗する。
急な山道を歩く必要のあるⅣ号神殿は諦めて、帰路についた。
12:30のバスに乗るため、カフェテリアで時間を潰して、ティカルをあとにした。
ティカルから約1時間後、フローレス島への橋のたもとにあるショッピングセンターで降ろしてもらい、昼食のためのレストラン、ミハロへ向う。
ミハロはサンタエレーナ地区にある地元客で賑わう人気レストランだ。
フローレス島の湖のほとりのレストランもおしゃれで良いが、ミハロはリーズナブルで味も良いと評判のお店。私はピンチョという、肉や野菜を串焼きにしたものをご飯に乗せた郷土料理を食べたがやはり美味しかった。
昼食のあとはフローレス島をぶらぶら散歩。中央公園でスケボーに興じる地元っ子やジャグリングの練習をするバックパッカーの兄さんの姿を眺めたり、土産物屋を物色したり湖畔のアイスクリーム屋さんでアイスをたべて過ごす。
午後5時半をすぎたあたりに19:55にでるフローレス発グアテマラシティ行きのタカ航空に乗るために、ホテルに戻り荷物をピックアップして空港へのタクシーを呼んでもらう。
空港へのタクシー料金は一律だそうで1名20Q。ホテルから10分ほどの距離だった。
空港にてチェックインを済ませ、カフェテリアでお茶をして時間を潰す。その後、手荷物検査を受けてボーディング。フローレスからグアテマラシティへのフライト時間は予定では約1時間だったが40分足らずで到着した。
グアテマラシティ空港に到着。薄暗い空港内を歩いていると両替所があるのだが、皆笑顔で手招きしている。空港内の両替所といえば大抵やる気のない人ばかりだが、こんなにウェルカムな両替所は初めて。あとでわかったことだが、空港の両替所はレートが良くなく、地元の人は空港では両替をしないのだがそれを知らない旅行者やビジネスマンを狙って愛敬を振りまいているのだとか。
税関を抜け、グアテマラシティをお世話してくれる五十嵐さんと合流。
五十嵐さんはグアテマラにて旅行社と日本人向けのゲストハウスを経営してらっしゃる弊社としても大変お世話になっている方だ。
今回、グアテマラシティでの宿泊先はその五十嵐さんの経営するハポンテナンゴにお邪魔させていただく。
<ハポンテナンゴ>
グアテマラシティ空港から車で10分。五十嵐さんの経営する静かな住宅街に位置する宿泊施設。当然ながらテレビや冷蔵庫・スリッパ・エアコン・バスタブはないが、室内は広く清潔、シャワー・トイレ完備。無料で使えるWIFIも快適。豪華さやロケーションを求めなければベストな選択肢だと思う。
12月3日
朝7時に起床、8時に朝食を食べ9時にハポンテナンゴを出た。
この日は軽くグアテマラシティを観光し、その後アテンティグアに向かう。
<グアテマラシティ>
人口250万人を超えるグアテマラの首都グアテマラシティ。1773年にアンティグアが地震により壊滅的なダメージを受けたことに伴い、1775年に標高1500mに位置し、年間を通して過ごしやすい気候を持つグアテマラシティへと遷都された。
新市街には各国の大使館、大型5つ星ホテルに、高層マンションや大企業のビル、更にはスターバックスやZARAといった海外有名チェーン店が軒を連ねる。一方、新市街から車で5分ほど離れた旧市街に差し掛かると年季の入った建物が目につくようになり、行き交う人々の年齢や服装も変わる。中央公園とカテドラル、国立文化宮殿、中央市場などスペイン統治時代の名残を残した旧市街と高層ビルが立ち並ぶ発展著しい新市街。それに伴い深まる貧富の差と犯罪率。新旧二つの顔を持つグアテマラシティは正にラテンアメリカ今を映し出す都市なのである。
私たちはまず、旧市街の中央公園へ。グアテマラの人々にとってクリスマスは年間で最も盛り上がる行事の一つのようで、中央公園付近はかなりの賑わいを見せていた。中央市場にはクリスマスの飾りを売る店で溢れ、大音量で陽気な音楽を流している。中央公園には無料のスケートリンクが張られ、長蛇の列ができていた。もちろん皆初心者であるから手すりに捕まって滑っているのだが、楽しそうだ。グアテマラシティの公式キャラクターも中央公園に繰り出し、愛敬を振りまいていた。雪の降らないグアテマラシティの公式キャラクターのモチーフが雪だるまなのには、少しびっくりしたが。。。
その後、中央公園の地下のマーケットへ。地下2階まであり、地下2階はフードコートや野菜や日用品を売る地元客向けのお店が並ぶ。地下1階は旅行者向けのお土産屋さんで、フローレスやアンティグアなどの観光地と比べ比較的安い料金で購入できる。ちなみにフローレスではTシャツが50Qだったが、グアテマラシティのお土産屋さんでは35Qであった。お土産屋さんを物色したあと、アンティグアを目指す。
<アンティグア>
グアテマラシティから車で45分。まるで富士山のような形を持つアグア火山の麓に広がるこのかつての首都はそのスペイン統治時代の風景を今に残すコロニアル調のカラフルな街並みで知られ、1979年に世界遺産に登録された。建物の合間の縫う石畳の道を歩いていると、かの大地震で打撃を受けた教会や修道院が忽然と姿を現し、まるで歴史の1ページを自分が目撃をしたような思いになる。今やグアテマラ屈指の観光地となり、市内の中にはおしゃれなレストランやカフェ、ホテルがひしめき合っている。近年ではその治安とグアテマラシティからのアクセスの良さからスペイン語留学の街としても知られている。
我々はまず車で「十字架の丘」を目指した。
十字架の丘はアンティグアの街並みとアグア火山が一望できる展望ポイントだ。徒歩でも行けなくはないが送迎時に連れて行ってもらうことをオススメする。
その後、この日の宿泊ホテル「ポサダ・デ・ドン・ロドリコ」へ。
<ポサダ・デ・ドン・ロドリゴ>
ポサダ・デ・ドン・ロドリコはアンティグアの街の中心地、時計台のすぐそば、 、周りは土産物屋さんやレストランにカフェなど買い物には事欠かない好立地のホテルだ。立地だけでなく雰囲気も素晴らしい。優しい音色のマリンバの生演奏で宿泊客は向かい入れられる。手入れの行き届いた中庭は美しい植物で彩られ、白い壁とのコントラストが安らぎと優美さを見るものに印象付けてくれる。室内はシンプルではあるが、快適さも兼ね備えており、テレビ・バスタブ・ドライヤーに無料のWIFIが利用できる。冷蔵庫・セーフティボックス・スリッパはない。
ホテルにチェックインしたあと、昼食を食べるために街を散策。
旅行する前はアンティグアとフローレスはおおよそ似たような街だと思っていたが、全く違う。フローレスは「ティカルへの拠点」が主眼におかれがちで、観光客は街そのものをメインに向かうわけではない。一方アンティグアはおしゃれな飲食店はもちろん、凝ったお土産屋さんやホテルなどここにしかないような場所が多く存在し、「まだまだこの街に滞在したい」「もっとこの雰囲気に浸っていたい」という気分にさせる。
またアンティグアはカフェが多いのも特徴的だ。私はグアテマラを旅してグアテマラといえばコーヒーが有名なのに美味しいコーヒーを用意していそうなお店がなかなか見つけられなかった。もちろんコーヒー産業は輸出メインであるからグアテマラ国内で消費するよりも海外に販売した方がいいのかもしれないが、あらゆるコーヒーチェーンがグアテマラの豆を利用し世界各国でグアテマラの存在を知らしめているのだから、グアテマラで挽きたてのうまいコーヒーが飲みたいと思う人は少なからずいるはずである。アンティグアはそういったカフェが多く存在するのも気に入った点である。
レコレクシオン修道院、市場、カテドラル、市庁舎をまわったころには夜も更け、ホテルに戻った。
12月4日
朝5時に起床、今日は6時にホテルを出発してエルサルバドルの観光に向かう。
6時にガイド兼ドライバーのマクシニリアーノ(通称マックス)が迎えにくる。
グアテマラシティまでの道路は朝7時から8時に渋滞のピークを迎えるため、それを避けるために早朝に出発することになった。
アンティグアからグアテマラシティまでは約45分。早めに出発したことが功を奏し、スムーズにグアテマラシティに到着。
グアテマラシティからエルサルバドルの国境は約2時間。グアテマラシティを抜けると徐々に車の数が少なくなってくる。途中朝食をとるためにグアテマラのフライドチキンチェーン店「ポジョ・カンペロ」に立ち寄る。
ポジョ・カンペロは「マクドナルドよりも多いのではないだろうか」という程、グアテマラの至るところにあるファーストフード店で朝食のメニューも幅広い。朝早くからお店はお客でいっぱいだった。私たちは「ティピコ」と呼ばれる目玉焼・小豆のペースト・トルティーヤなどがセットになった典型的なグアテマラの朝食を食べた。フライドチキンのチェーン店ではあるが朝食メニューのなかにはフライドチキンはなかった。およそ1人、35Qであった。
しばらく山道を走ると、エルサルバドルとの国境が見えてくる。ベリーズからグアテマラへ越えるときのような緊張感はなく、「これが国境?」と思えるほどのんびりしている。
グアテマラの出国審査を経て、車に戻り緩衝地帯を走ること2・3分。大きな川に掛かった橋を越えてエルサルバドルの入国審査がある。といっても入国にはパスポートにスタンプは押されず、グアテマラ出国の際に受け取った紙切れを渡すだけだった。出入国カードも何もない。特にエルサルバドルに入国したという記録はパスポート上に残らないのである。何でもグアテマラ・ホンジュラス・ニカラグア・エルサルバドルの4カ国は協定を結んでおり国間の行き来は難しくないそうだ。
エルサルバドルの国境から約1時間半、ホヤ・デ・セレン遺跡に到着。
<ホヤ・デ・セレン遺跡>
イタリアのポンペイをなぞらえ「中米のポンペイ」とも評される、先コロンブス期のマヤ農耕民集落跡。1993年エルサルバドル初の世界遺産となり、2013年現在同国唯一の世界遺産でもある。1976年小麦用サイロ建設途中、ブルドーザーの運転手により偶然発見された。650年に近郊のロマ・カルデーラ火山が噴火した時に埋没した村であると見られ、集落がほぼそのまま美しい形で保存されている。中でも興味を引くのは「テマスカル」と呼ばれるサウナ施設が園内にレプリカとして再現されどのような構造だったのかを見ることができる。博物館も併設されており当時の日常生活を垣間見られる貴重な資料である。
ホヤ・デ・セレン遺跡をあとにし、サンタ・アナへ向かう。
<サンタ・アナ>
ホヤ・デ・セレン遺跡からグアテマラの国境側へ車で45分。その温暖な気候と、コーヒー・サトウキビの生産や輸出の拠点となったことから栄えた、エルサルバドルの第2の都市である。リベルター公園に面した壮麗なゴシック様式のカテドラルが街の中心となり、コロニアル調の街並みが広がっている。市庁舎や国立劇場など美しい建築物が多く、ホヤ・デ・セレンやタスマルなどの古代遺跡への観光のアクセスも良いため、ぜひ立ち寄りたいエルサルバドルの都市の一つである。
サンタ・アナにて約2時間フリータイムをとって、各自昼食をとる。
グアテマラシティやアンティグアと比べるとエアコン付きの小綺麗なレストランは多くなく、地元客向けの食堂といった雰囲気のお店が大半であった。街の人々も外国人観光客が珍しいのか、視線を感じることが多かった。
私たちはビッゲスト(BIGGEST)というエルサルバドルのハンバーガーチェーン店でお昼にした。チキンとポテトのセットで料金は5US$。エルサルバドルの通貨はアメリカドルが使われており、かつては自国の通貨コロンが流通していたが2001年に廃止された。
サンタ・アナに続いて向かったのはカサ・ブランカ。
<カサ・ブランカ>
チャルチュアパ遺跡群の一つであるカサ・ブランカ遺跡で著名なこの村でもう一つ知られることとなったのがJICAの援助により広まった藍染の技術である。かつてエルサルバドルは、16 世紀から 19 世紀にかけて藍の輸出が1位であるなど藍染産業が盛んであったがコーヒー栽培の技術が普及したことや内戦により徐々に衰退していった。地方の貧困を改善と藍染産業の復興と技術の衰退をくいとめるため、JICAが日本へ現地スタッフを招き入れ藍染技術の習得を支援したことで注目を浴び、この施設ではタスマル遺跡の一部や博物館とともに、藍染製品の展示のほか藍染の体験も行うことができて、各国の観光客が集まるスポットとなっている。
そして、我々はエルサルバドルを後にし、グアテマラシティへ向かった。
エルサルバドルを観光した後だとグアテマラシティはかなりの都会に感じた。
グアテマラでの最後の夕食はマックスお勧めのインターコンチネンタルに併設されたグアテマラ料理のレストラン「カカオ」。ここでは洗練された美味しいグアテマラ料理を食することができる。私たちは炭火焼のチキンにアボガドが添えられた「POLLO A LAS BRAS AS」とトマトソースで味付けしたグアテマラ風ピーマンの肉詰め「CHILLE RELLENO」という2皿をオーダーして美味しくいただいた。
グアテマラシティの宿泊は一昨日と同様ハポンテナンゴ。
明日の早朝の出発に備え就寝。
12月5日
朝5時半にハポンテナンゴをチェックアウト。この日は朝8時グアテマラシティ発の便に乗り、マイアミ乗り継ぎでニューヨークへ。ハポンテナンゴからは車で約10分にて空港。
空港では朝5時台だというのに多くの人で賑わっていた。
アメリカン航空でチェックインをすませ、2階のファーストフード店で朝食メニューを食べて時間を潰す。時間通りにゲートに向かうもどうやら霧のため視界不良で30分出発がほど遅れた。マイアミでの乗り継ぎ時間がもともと1時間半しかなかったのでその間に入国と荷物のピックアップを済ませられるかが不安だった。
マイアミ到着後1番に入国審査を通過し、荷物の受け取り場所に到着したがスーツケースの到着が遅い。ほとんど最後の方でスーツケースを手にして、再度出国手続きを取り荷物を預ける。手荷物検査をする頃にはすでに搭乗開始の時間はすぎていた。手荷物検査を終えて、ゲートまで走る。意外にマイアミ空港は広くて、息切れした。
ゲート到着したところでまだ搭乗は開始されていないことを知る。マイアミ行きは目的地ニューヨークの天候不良のため1時間ディレイしていたのだ。ほっと胸をなで下ろす。
無事、機内に入ったはいいもののなかなか出発しない。一度滑走路に出たもののまたゲートに戻り、機内に3時間ほど待機させられた上に機材変更になるという始末。
結果出発できたのは予定出発時刻の6時間半後、19:30となった。
ニューヨークのニューアーク空港に到着したのが22:00。空港バスを利用し(1名16$)この日の宿、ミッドタウンに位置するホテルに到着したのはほぼ24:00であった。
本来はニューアーク空港に16:00に到着し、そのまま観光できたはずだったがなかなかうまくいかないこともあるもんだと、再認識した日であった。
この日はとにかく早く寝て明日に備えることにした。
12月6日
ニューヨークで1日過ごす。
ニューヨークの素晴らしさは私が語らなくとも、他の方がよくご存知だと思うので割愛したい。というよりも人気のパンケーキ屋さんに行ったり、アメリカンブランドのお店に行ったりとファイブスターのスタッフらしい観光をひとつもしてないのが本音なのです。。。。
12月7日
早朝、ラガーディア空港へ向かい、この日は何の遅れもなく成田への帰途についた。
~おわりに~
印象深いこと多い旅でしたが、グアテマラのアンティグアが想像していたよりもかなり楽しめました。グアテマラに滞在する旅行者の方にはホンジュラスやエルサルバドルなど遺跡をメインで移動される場合、アンティグアに行かない方も多いそうです。前述しましたがアンティグアには「こんな辺鄙な場所にこんなおしゃれなお店があるなんて」という驚きがあり、街歩きをしても飽きることはありませんでした。またグアテマラの名物「チキンバス」も見られて大満足。コーヒーの産地として知られているグアテマラですが、なかなかおいしそうなコーヒー屋さんがなく、一般的にはネスカフェ(インスタント)がよく飲まれています。しかしアンティグアにはカフェが多く、コーヒー店巡りも面白そうです。スペイン語留学でも有名だそうなので、またぜひ、今度はスペイン語を勉強しにアンティグアに行ってみたいです。
2013年12月 橋本康弘
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