大西洋に浮かぶ孤島フェルナンド・デ・ノローニャとオリンダ・レシフェ   ~ブラジル10日間の旅~

大西洋に浮かぶ孤島フェルナンド・デ・ノローニャとオリンダ・レシフェ     ~ブラジル10日間の旅~

フェルナンド・デ・ノローニャMORRO DO PICO(モーロ・デ・ピッコ)

フェルナンド・デ・ノローニャと聞いてどこの場所かピンときたらブラジル通かもしくは世界遺産マニアか、ウルトラクイズの回答者だと思う。今回、ブルジルに出張に行くことになり、フェルナンド・デ・ノローニャが含まれており、最初はロバート・デ・ニーロみたいな誰かの名前か何かだろうと思った。インターネットには多少情報が載っており、とりあえず世界遺産に認定された島だということは分かったが、ガイドブックにはほとんどのっておらず、島の形さえも分からない。もやもやしたまま出発日を迎えた。


1日目 アメリカン航空でサンパウロへ
アメリカン航空は期待していなかったが全然悪いものでなかった。ダラスまでの飛行機は日本発だからか食事は申し分なし。乗務員の感じもフレンドリーで非常に良かった。映画は多くはなかったが、日本の映画は1本、ほかハリウッドの英語が吹き替えで3本あった。
ダラスに到着、アメリカは乗り継ぎであっても必ず入国する。ヒューストンでもそうだったが入国審査に1時間かかった。乗り継ぎ時間が短い場合は空港のスタッフに伝えて早くて続きをすることお勧めする。(乗り継ぎ時間がいくつかの短い目的地に関してはスタッフの誘導があった)
そして税関検査を受け改めて簡単な出国手続き、手荷物検査を受け、登場ゲートへ。ダラス空港の搭乗エリアにはいくつかのお店やレストランやたくさんの椅子があり、充電スポットがあった。Wifiも無料で使えた。
サンパウロ行きの便に搭乗。
2日目 サンパウロ観光
朝10:30にサンパウロ到着。
この日はイグアスまで移動するのだが出発は夜の11:30のためそれまで一人で街を歩いて観光だ。
スーツケースが邪魔なのでまず搭乗予定のタム航空にチェックインし預けるべくタム航空のチェックインカウンターに向かった。しかし時間的に早すぎるのか、荷物のチェックインはさせてくれなかった(サンパウロの空港のスタッフはあまり英語が話せずこちらが当然わかるものとしてポルトガル語で話しかけてくるので「早すぎる」というのは私の推測でしかないのだが)。
空港内にインフォメーションセンターがあり英語が話せるスタッフいたためロッカーがないかを確認したところ第一ターミナルをでて右にしばらく進むとロッカーがあることが判明。助かった。
早速ロッカーに到着。料金は15レアル。安くはないがスーツケースを引きずって観光はできまい。
そしてサンパウロから市内の行き方を考えた。タクシーかバスで行くことになるのだが、バスにも二種類あってリムジンバスとローカルバスでリムジンバスが33レアル、ローカルバスは4レアル。ぜんぜん料金が違うのでローカルバスを利用した。
ローカルバスはサンパウロの地下鉄タツアッペ駅が終点だ。ここで地下鉄の乗り換え市内中心へ。
地下鉄の乗り方はとっても簡単。窓口で切符を買い求め(料金は1回利用につき一律3レアル)乗りたい方向の地下鉄に乗る。地下鉄は複数の路線があるが色分けされているのでわかりやすい。

タツアッペ駅行きローカルバス

地下鉄に乗ってまずは東洋人街へ。
<東洋人街>
サンパウロ中心部、リベルタージエリアに広がる日系人や中国人の経営する会社やお店が並び看板には見慣れた文字を目にすることができる。赤い提灯の形をした街灯が並び、大阪橋と呼ばれる陸橋には、赤い鳥居を見ることができ、ある意味日本よりも日本っぽい風景が広がっている。マクドナルドの外観もとっても日本風。

タイルが日本風

赤い鳥居

東洋人街のマクドナルド

<カテドラル・メトロポリターナとサンベント聖堂>
どちらもサンパウロを代表する教会。東洋人街から徒歩で5分程度、東洋人街から北へ向かうと見えてくるのがカテドラル・メトロポリターナ。広い公園の中に位置しているため地元の人たちの憩いの場となっている。
公園を抜けオフィスビルを進んでゆくとサンパウロ一高いビル、アルティーノ・アランテス・ビルの右手に大きな教会が見えてくる。これがサンベント教会だ。どちらも美しい装飾を持つため一見の価値あり。特にサンベント教会の内部は木造で、非常に趣があり落ち着いた雰囲を持っている。
昼食はセントロ(旧市街)の「ダウンタウン」というフードコートにて。いろいろなお店があったがしばらく機内食が続いたので食事らしい食事がしたくなり到着初日から中華料理屋の寿司を食べた。寿司というと海外では高級であることが多いが、ブラジルでの寿司に関しては比較的安く、見つけやすい。ブラジルのお店は食べ放題のところが多く、こちらの中華料理も1プレートに取り放題(飲み物込み)で16レアル(約800円)とリーズナブル。もちろん美味しかった。
<オスカール・フレイレ通り>
その後、地下鉄にのりオスカール・フレイレ通りへ。
オスカール・フレイレ通りとはお洒落なお店が並ぶショッピングストリート。サンダルのお店「ハワイアナス」に、ラバーシューズブランド「メリッサ」、高級ブランドの「オスクレン」などのブラジルブランドのお買い物にも便利。オススメは「ハワイアナス」。天然ゴムのサンダルで1足1000円程度から。そこまで高いものではないので気の利いたお土産にはもってこい。ハワイアナスはスーパーやキオスクなどいたるところで販売されているが直営店で買うのが最も安かった。

ハワイアナス本店

そして空港へ戻るために、パリウスタ通りの地下鉄から空港へのローカルバスが発着しているタツアッペ駅まで移動をする。ところが地元の方々の帰宅ラッシュにぶつかってしまったようで、通常15分程度でゆける距離を1時間以上もかかる羽目に。東京も帰宅ラッシュ時は混み合うこともあると思うがさすがにすし詰め状態の地下鉄を4回見過ごさないと乗れないということはないだろう。
あまりギリギリのスケジュールで空港に行くことは避けた方がよさそうだ。
無事タツアッペ駅に到着し、バスにて約1時間で空港へ。
預けていたスーツケースを引き取り、タム航空のカウンターで荷物を預ける。そして夕食を空港でとった(空港の中はさすが高めで50レアルほどした)。
国内線出発のための簡単な荷物検査があり、イグアスへの便の出発ゲートにてしばらく待つ。ここで気をつけていただきたいのが、ゲートの確認だ。イグアス行きの便のゲートは出発ギリギリまで他の出発便の表示しかモニターには映っていないので、出発がおそくなったのかなと勘違いしそうだが、指定ゲートの前でちゃんと状況をみていないと気づかずに締め切られていたということもありそうだ。
約1時間でイグアスの空港に到着。小さな空港のためタラップからは歩いて空港の中へ。スーツケースをピックアップし、ガイドさんと合流。
この日のホテル、カリマへ向かう。
<カリマ>
空港から車で10分程度の3つ星の大型ホテル。幹線道路沿いの立地で、周りにはお店などはあまりない。部屋は比較的広くある程度は清潔に保たれている。テレビ、シャワー、ドライヤー、ミニバー、シャンプーなどのアメニティもあり。WIFIは有料で使える。バスタブやセーフティーボックスはなし。全く豪華ではないが観光がメインであれば差し障りのないホテルだろう。

カリマホテル

3日目 イグアスの滝観光
1日でブラジル側とアルゼンチン側を観光するならどちらを先に観光するか。今回、ガイドさんの勧めによりアルゼンチン側を観光後、ブラジル側を観光することにした。理由は、アルゼンチン側は時差の関係で1時間早く施設が閉まる。観光がアルゼンチン側の方が時間がかかること、また迫力はブラジルよりアルゼンチン側の方が勝るためどちらか一方を取るならアルゼンチン側をみた方がいいから、という理由からだ。
朝8時にホテルを出発しアルゼンチンへ向かう。ブラジルの税関と出国手続きを踏むのだがとっても短い。ブラジルとアルゼンチンの国境は丁度橋の真ん中。橋の淵にはそれぞれの国のイメージカラーがカラーリングされておりどこが国境かが一目瞭然となっている。
なおアルゼンチンでは通貨はペソ、言語はスペイン語となっている。

ブラジルとアルゼンチンの国境

<アルゼンチンからのイグアスの滝観光>
アルゼンチンに入って約15分車を走らせるとイグアスの滝の入口に到着。アルゼンチン側ではトロッコ列車を使い滝の近くまで移動する。トロッコ列車の駅は3つあり「中央駅」、「カタラタス駅」、「悪魔の喉笛駅」という名前になっている。入口から一番近い駅が「中央駅」だが、朝の混み合う時間帯は「カタラタス駅」まで歩いた方がいいだろう。というのは列車は「中央駅」から「カタラタス駅」と「カタラタス駅」から「悪魔の喉笛駅」はそれぞれ往復運転を行っており、仮に「中央駅」から乗ったとしてもそのまま直行で「悪魔の喉笛駅」までいけるわけでなく、「カタラタス駅」で必ず降りて「悪魔の喉笛駅」行きの列車に改めて乗車しなければならないのだ。「カタラタス駅」へは入場してから600メートルほどの遊歩道を使えばすぐ到着できる。

無料のトロッコ列車

我々は終点「悪魔の喉笛駅」に到着し、ここからは歩いて「悪魔の喉笛」へ。駅から悪魔の喉笛へは約1100メートル。鋼鉄で出来た橋を使って川の上を渡り、悪魔の喉笛を目指す。途中、ワニやカメなどを野生の動物を見ることもできる。どんどん進んでゆくと水しぶき舞い上がっているのを見つけるだろう。空気を切り裂く轟音は徐々に大きくなり、その巨大な瀑布が目の前に現れる。大量の川の水が砕けて下に向って流れ落ちる様は、確かに人間のなせる技ではなく超人的な何かによる破壊活動のように思われる。ずっと見つめていると吸い込まれそうな恐ろしさを秘めている。またその滝の大きさが半円を描くように一体となっているのが「喉笛」と評される所以だ。確かにイグアスの滝のハイライトである。ブラジルまできたなら必ず訪れたい場所だ。
*水しぶきは浴びるがレインコートが必要なほどではない。ただし結構な距離を歩いたり、階段を上り下りするのでサンダルではなく歩きやすい靴を履くこと。

アルゼンチン側の悪魔の喉笛

朝早めにいかないと観光客で写真が取れなくなることも

「カタラタス駅」に戻り、いくつかの展望台をもつ遊歩道を歩くことにした。
遊歩道には主なものに「アッパートレイル」と「ローワートレイル」があり、「アッパートレイル」は悪魔の喉笛よりも1段階下の高さから滝を見渡す遊歩道となっている。場所によっては滝の上に橋が掛けられており、滝を見下ろすこともできる。「ローワートレイル」はさらにその1段階下から滝を見上げるような眺望が楽しめるコースだ。どちらかというと「ローワートレイル」は水が叩き落ちる様子を見ることができて迫力があって面白い。時間が限られているのであれば「ローワートレイル」がオススメだ。

ローワートレイル

<シェラトン・インターナショナル・イグアス・リゾート>
帰りはガイドさんとアルゼンチン側の唯一のホテル「シェラトン・インターナショナル・イグアス・リゾート」の中を拝見。全ての部屋から滝の眺望が楽しめるのがこのホテルの自慢。モダンな作りとなっており、リラックスして過ごすことが出来そう。プールなどの設備もある。イグアスの滝の遊歩道を自分のペースでゆっくり体感したいのであれば大変お勧めホテル。

シェラトン・インターナショナル・イグアス・リゾート

そしてアルゼンチン側のシュラスコのレストランで昼食。
途中、アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの3カ国の国境が接するポイントからの景色を楽しみ、ブラジルへ再入国。
<ブラジル側からのイグアスの滝観光>
ブラジルに入国して車で15分程度。アルゼンチン側よりも大きめのビジターセンターに到着。入場券を購入し、そこからはバスでホテル「ダス・カタラタス」まで移動し、そこから約1キロの遊歩道を歩いてイグアスの滝を鑑賞する。何と言ってもブラジル側での観光の良い点は、徒歩での移動が少なく手軽に短時間で滝を鑑賞できることだろう。エレベーターもあるため下からも上からも滝の姿を堪能できる。またイグアスの滝のほぼ全体を見渡すこともできるのも大きな利点だ。アルゼンチン側に大きな滝が流れているため、アルゼンチンではその一つ一つを近くで見ることはできるのだが、ブラジル側はそれらを全体で見ることができる。そして悪魔の喉笛では滝が落ちる様を間近に見ることができるためずぶ濡れは必至。

ブラジル側からのイグアスの滝

ブラジル側からの悪魔の喉笛(この距離からでも濡れます)

<ダス・カタラタス>
折角なので滝を観光したあと、ダス・カタラタスのロビー拝見。アルゼンチン側のシェラトンと比べてコロニアル調の歴史を感じられる威厳のある佇まい。部屋からは滝を眺めることはできないのだが、ガイドさん曰く、ダス・カタラタスの方がサービスの面ではシェラトンの上を行くらしい。クルーズなどブラジル側の豊富なオプションを時間をかけて楽しむには大変お勧めのホテルだ。

ダス・カタラタス

<マクコジャングル&ボートサファリ>
ブラジル側にてクルーズツアーに参加。もちろんアルゼンチン側でもクルーズは行っているが、かなり歩かないといけないということと、ブラジル側が迫力があり、尚且つ長い時間体験できるということでブラジル側で参加した。
濡れても良い服装に着替えて、まずジャングルの中を電動車で説明を聞きながら進む。下り坂はジープに乗り換え、クルーズ乗り場に到着。クルーズは人数が揃ったら出発。私のボートにはアルゼンチン人の観光客とフィリピン人のグループおり計20人ほど。私は景色を撮ろうとカメラと防水のためのジッパー持ち込んだ。
運転手にチップを渡すといろいろ楽しませてくれるというガイドさんの言葉通り運転手に10レアルのチップを渡した。
いざ出発!おっ、モーターボートのためはいきなりすごいスピード。このまま何処かに乗り上げてジャンプでもしたらカメラが水浸しになることは必至だと思い、すぐにジッパーの中に。予測は的中し大カーブの時に水がボートの中に。ふー、良かった。
ボートは猛スピードで進みつづけ、ジャンプやカーブを繰り返す。最後には滝壺に突っ込むという荒技の餌食に。同席していた同乗者もずぶ濡れになりながらも非常にエキサイトしており、最初濡れることを不安していたことが本当に些細なことに思えるぐらい楽しんだ。最後にはクルーズに同乗者した仲間意識が芽生える、何だかほんわかした雰囲気に。

クルーズ出発前(不安が広がる)

リアクションが大きいお客さんがいると楽しい(フィリピンからの観光者)

クルーズを終え、ホテルへ。
この日の夕食は「RAFAIN」というショーのエンターテイメントとシュラスコのビュッフェが楽しめるレストランにて食事。ここでは出来たてのシュラスコやブラジル料理を食べられることと、カポエラやサンバショーなどのブラジルのダンスのほかに隣国のアルゼンチンタンゴも一同に拝見できるというありがたいショーを開催するのだ。特に今回リオにはいくもののサンバショーを見られないのでこの日のショーはありがたいものだった。
4日目 レシフェとオリンダ観光
朝5時にホテルを出て6時出発の便に乗るため空港へ向かう。サンパウロ乗り継ぎのレシフェ行きだ。イグアス空港ではまずスーツケースなどの検査のあとチェックインカウンターにて手続き。タム航空同士だったので荷物もレシフェまでスルーで流れボーディングパスも2枚もらえた。
ここでガイドさんとお別れ。いろいろお世話になって大変感謝。
サンパウロに到着し、レシフェ便への乗り継ぎ。国内線同士の乗り継ぎのため一旦バゲージクレームを超えて改めて搭乗手続きをしなければならないかと思ったがタム航空同士のためサンパウロ空港は搭乗エリア内で乗り継ぎが可能だった。
レシフェに到着したが何かの間違いで違う飛行機に乗ったかもと本気で心配した。というのも定時に出発出来たにもかかわらず到着が1時間ほど遅く、空からの街並みが自分の中で考えていたレシフェの想像よりもすごく都会で高層ビルがいくつも乱立していたのだ。この旅行にくる前まで特に耳にしたことがない都市だったため、世界遺産の田舎の街だろうとたかをくくっていたので驚いた(ブラジルで7番目くらいの人口の多い都市だそうだ)。1時間遅れたのは、遅延ではなくブラジル国内のサマータイムによる時差が原因のようだ。
空港では真っ赤な服を着た女性スタッフが待っており、現地のドライバーの場所まで案内しれてくれた。
約20分程度で本日宿泊のゴールデンチューリップホテルへ移動。ドライバーはホテルスタッフを通して英語で「今日の午後1時に市内観光のガイドが向かえにくる」ということを私に教えてくれた(ドライバーは英語ができない)。
<ゴールデンチューリップ・パレス>
レシフェ新市街のボア・ビアチェンビーチの真ん前、ガイドブックには5つ星とされているホテル(実際は4つ星程度)。部屋は広めできれい、部屋のすべてオーシャンビューとなっており、部屋にいながらボア・ビアチェンビーチの波の音が聞こえてくる。室内にはミニバー、セーフティーボックス、テレビ、エアコン、バスタブ、ドライヤーつき。WIFIは有料。プール、ジムなどの設備もあり。ホテルの周りにはいくつかレストランもある。

ゴールデンチューリップ・パレス

部屋はすべてオーシャンビュー

ガイドさんが来るまで昼食を食べようとビーチをウロウロ。ホットドックなどいくつかの屋台があった。日本でいう串焼きのような屋台もあり、そこでホタテや牛肉がうまそうに焼かれていたのでそれを食べることにした。串2本で5レアル。飲み物の屋台もありビールは500mlで6レアル。海を見ながら食べる。まさに至上の贅沢だなぁ。

気の良い坊や

たまらず人が集まる

たまらず一杯

ホテルに戻りガイドさんと合流。
まずはオリンダへ。
<オリンダ>
レシフェ新市街から約20分。16世紀から17世紀、オリンダは砂糖のプランテーションとその貿易で栄えた。丘の上に位置し、美しいプランテーションと海岸が一望できる。石畳の道にカラフルなコロニアルスタイルの街並みを残しておりまるで中世にタイムスリップしたかのような感覚になる。
ツアー開始前にガイドさんから小さなカラフルな傘を渡される。ガイドさんがジャーンと言って、それを頭にかぶる。なるほど頭にかぶれば日傘要らず。日差しの強いオリンダにはもってこいだ。聞くところによるとこれはオリンダ名物らしい。しかし、これを頭に付けて歩いているのは少し間抜けっぽいな、付けて歩く人はいないだろう、と思っていたら、いました。普通に地元の人っぽい。
ツアーはオリンダでまず1番最初に建てられたといセー教会から始まる。統治者の邸宅よりも先に建てられたというからいかに宗教を重要視していたかが伺える。統治者の邸宅は現在、宗教美術館となっている。また宗教美術館の隣は近代的なビルになっており、無料のエレベーターにて屋上からオリンダのパノラマを見ることができる

セー教会

セー教会の付近はお土産屋さんが多い。Tシャツや置物などが売られている。私はセー教会の前に古いカメラで写真を現像してくれるサービスがあったのでそれをガイドさんと一緒にパチリ。料金は15レアル。私はこういう古いカメラでとってくれるサービスがあると世界各国いつもとってもらうことにしている。古いカメラで撮られた写真は時代を超えて、これがいつとられたかを曖昧にしてくれ、この写真の裏に秘められた物語を想像されられるのだ。別に深い物語があるわけではないのだが、「それらしく見える」のが私の好きなところだ。

アンティークカメラ撮影サービス

ガイドさんとともに

暑いので少しお店で休憩。アイスクリームを食べようとケースの中を物色していると面白いものを見つけた。トウモロコシのアイスだ。折角なので購入(2.5レアル)。味は・・・・口に入れると焼き芋的な優しい甘い味が広がり、やがて甘みが消えると舌に残るトウモロコシ系のスナック(スコーンや焼きもろこし)の味という感じだ。文面にすると旨くなさそうだが、そんなに悪くはなかった。

トウモロコシ味のアイス

トウモロコシ味のアイスをオリンダスタイルで食す。

観光を再開。石畳の道を歩き、ミゼリコルジア教会へ。この教会はかつて病院であったという。なぜ教会と病院が一緒になったかというとガイドさん曰く、病院で治せない病気や怪我をもつ人々が神に祈りを捧げられるように、だという。
現在、協会の隣には近代的な建物があり、貧しい人々の避難所になっているそうだ。
大きな坂を下り、サンベント修道院へ。
この修道院はブラジル国内で2番目に古いローマ法王の修道院である。砂糖貿易で得た潤沢な資金で、金を凝らした豪華絢爛な内装となっている。
毎年2月ごろになるとオリンダでもカーニバルが行われ、なんと2ヶ月間もつづくらしい。ブラジルの3大カーニバルの一つと数えられている。2ヶ月もつづくとなると、リオなどと比べてゆったり楽しめそうだ。

ペルナンブコ州の旗はデザインがイカス

オリンダのカラフルな街並み

<レシフェ旧市街>
続いてレシフェの旧市街へ。レシフェ新市街とは若干離れており、車で10分ほどの距離がある。
レシフェは「ブラジルのベニス」と呼ばれているほど運河と橋が多い港町だ。オリンダと同じく砂糖貿易が盛んで旧市街には古い倉庫をいくつもみることだろう。また今は使われていない輸送用の列車の線路がそのまま残っており当時の面影をみることができる。
まずはマルコ・ゼロと呼ばれるレシフェ発祥の地へ。マルコ・ゼロというのは0地点ということで、いわゆる東京で言われる「日本橋」のような場所。距離の基準となるポイントとなっている。この場所はかつて港だったが現在は移転しており、記念碑の鉄塔が対岸に建てられているのみだ。近くのサトウキビ倉庫は現在クラフトセンターやレストランに改築されお洒落なスポットになっている。

マルコ・ゼロ

またマルコ・ゼロから市内の道を1本奥にはいると、かつてユダヤ人街がある。このエリアは港として発展した時には娼婦街でもあったが、現在は観光しやすいようにクリーンな景観となっている。
次は橋を渡り、ヘプブリカ広場へ。
市民の憩いの場となっている大きな公園である。裁判所や劇場、宮殿など重要な建築で囲まれている。見所はカンボ・ダス・プリンセザス宮殿の前にあるバオバブの木。アフリカからの奴隷によって、統治者に向けての反抗心から植えられたものとされている。

ヘプブリカ広場の裁判所

イザベル女王橋を見ながら、カーサ・ダ・クルトゥーラへ。カーサ・ダ・クルトゥーラはかつての監獄だった場所だが、現在は獄室の1室1室が民芸品店や画廊、バーになっている。外観からはわからないが建物自体が十字架の形をしている。
午後に5時ごろホテルに戻りツアー終了。
ガイドさんはいろいろしてもらい本当に感謝。
夕食まで一眠りしようとおもったら早朝から行動していたためか思いがけず爆睡。
5日目 フェルナンド・デ・ノローニャへ
レシフェの日の出は早い朝6時にはすでにお昼のような明るさだ。早めの朝食をたべ海辺を散歩。起きた時にはパラソルがちらほら見える程度だったが朝9時をすぎるとビーチを埋め尽くすような数になっている。
この日のホテルピックアップは10:40。フェルナンド・デ・ノローニャへの飛行機出発の約2時間前だ。昨日の時点では何時にピックアップするかはわからずガイドさんに確認しても不明だったのでガイドさんに旅行社へ連絡をするよう伝えた。ガイドさんは部屋に連絡を入れるように伝えると言っていたが特に連絡はなかったが今日の朝、ドアの隙間に集合時間の書いた紙が挟み込まれていた。私が昨日寝ていただからだろうか。
無事フェルナンド・デ・ノローニャの空港へ到着。
日本のガイドブックには写真すらのっていないまさに秘境といってもいいだろう。空港の中に入ると行きなりパスポートコントロールのようにいくつかのカウンターがあり列が別れている。列は3列あり「仕事で来島」「入島税支払い済み」「入島税支払いまだ」となっている。当然私は何も払っていなかった、というかそんな情報も知らなかったので「入島税支払いまだ」の列に並ぶ。当然「入島税支払い済み」より列の進みが遅い。やっと私の番だ。カウンターのスタッフは英語わからず、私はポルトガル語がわからない。すると女性は慣れたように入島税の金額をメモに書いて私に見せた。84.5レアル。結構するんだな(あとから調べると料金は滞在日数によって違うようだ)。自然保護の目的の税金だろう。クレジットカード利用のできたのでカード払いにした。その後、払ったことの証明書を2枚くれた。一枚はこの後空港を出る時に、もう一枚はこの島を出る時にということらしい。

入島の時に税金を払う

税関を出ると英語ガイドさんがお出迎え。若い女性だった。ドライバーと一緒にこの島で過ごす民宿へ。この島にはホテルは一軒もない。「ポサダ」と呼ばれる民宿のみだ。
空港から車で5分ほど。メインロードから一本路地を入った場所にあるポサダ。5部屋のみ。部屋はスーツケースを広げると足の踏み場も迷うくらいの広さではあるが充分清潔であるし、プライベートのホットシャワーとトイレもある。セーフティーボックスやテレビ、ドライヤーはないがエアコンにミニバー、それに小さいながらもプールもあり、看板娘の猫もいる。WIFIもなんと無料、室内でも使える。もちろん民宿ではあるのでホテル並のサービスはないがその分オーナーが「困ったことないか」「今日はどこに行ってきたのだ」などフレンドリーでいろいろ話かけてくれるので私はすごく気に入った。少し歩けばレストランや商店もある。

ポサダ・マール・アベルト

ハンモックが気持ちいい

ポサダの猫

この日は他に予定はない。ガイドさんに明日の集合時間の確認をしてあとは自分で動き回った。
とりあえず世界遺産にも認定されている自然美を見に行こうということでビーチまで足をのばす。
ポサダから10分くらい。この島のダウンタウンに着く。ダウンタウンと言っても大変小さく、商店が2軒と旅行会社1軒、それにレストランが数軒あるのみ。
ダウンタウンを越えると「Palacio San Migul(パラシオ・サン・ミゲール)」などの遺跡を目にする。フェルナンド・デ・ノローニャは大航海時代には要塞として機能していたようで、このほかにも島の至る所で大砲などの重火器を見ることができる。
「PARAIA DO CACHORRO(プライア・ド・カショッホ)」(PARAIAはポルトガル語でビーチ)から「PARAIA DO MEIO(プライア・ド・メイオ)」を抜け「PARAIA DA CONCEICA(プライア・ダ・コンセイサン)」まで歩いた。これらの3つのビーチの間を縫うように岩場があるが徒歩で超えるのは難しくはなく、3つのビーチを渡り歩くのに20分とかからない。
これらのビーチの背景にそびえるフェルナンド・デ・ノローニャのシンボルとも言える巨大な岩山「MORRO DO PICO(モーロ・デ・ピッコ)」(直訳すると「岩の先端」、私はピコ山と呼ぶことにする)がある種、シュールレアリスティックさを与え異様な光景を作り出している。
ピコ山存在感とあいまって日没後のビーチは現世ではないような摩訶不思議な美しさがあった。
ビーチと言えば「太陽がさんさんと海のブルーを惜しげも無く照らし出し、さざめく波が押し寄せる」という絵を思い浮かべる。または「煌めく太陽が海に静かに沈んで行くサンセット」でもいいが、日没後でこれだけ独特な美しさを持つビーチは初めて見た。これを見られただけでもフェルナンド・デ・ノローニャに来た甲斐があったとしみじみ感じた。

PARAIA DA CONCEICA(プライア・ダ・コンセイサン)

夜空にたたずむMORRO DO PICO(モーロ・デ・ピッコ)

ビーチには海を眺めながら食事ができるオープンエアのレストランがあったので入った。しかしすでに食事が時間は終了で飲み物だけだという。しかたなくビールとつまみで一服。フェルナンド・デ・ノローニャのビーチを思い存分堪能した。帰りは街灯も街の明かりも全くないため懐中電灯がなければ歩けなかったと思う。運良く携帯電話のアプリに懐中電灯があったのでことなきを得た。他のお客さんは車できている人ばかりだった。
ホテル近くのレストランでベーコンの炒め物とフライドポテトを食べて帰路についた。
6日目 フェルナンド・デ・ノローニャ観光
この日は朝食のあと8時から島一周ツアーに参加する。楽しみだ。日本語はもちろん英語の資料もない状況なのでどんなところへ行くのか、何を見にいくのかをよくわかっていないまま出発した。
まず各ホテルからピックアップされたゲスト達がツアー会社のオフィス前に到着する。そこでシュノーケリングセットとライフジャケットをレンタルする。一式20レアル。
このツアーでは3カ所のビーチでのシュノーケリングツアーと何カ所かの写真ストップがふくまれていた。
ビーチは「BAIA DO SANCHO(バイア・ド・サンショ)」(BAIAは湾の意味)と「BAIA DO SUESTE」 、「PRAIA DA CACIMBA DO PADRE」の3カ所でそれぞれ魅力的なビーチだった。
最初に訪れた「BAIA DO SANCHO」は海洋公園の中にあり始めに利用料として130レアル(3日券)を支払う必要があるがその分、施設内は整備されており人も多くはなく、公園の中には珍しい鳥を見ることができ、私は小さい雪の様な鳥を見つけた。「リトルブライド」つまり「小さな花嫁」というらしい。それとは反対に黒くて小さい鳥もおりそちらは「小さな未亡人」と呼ばれていた。鳥からしたら「なんだそりゃ!」という気持ちになるだろう。また公園では「MORRO DOIS IRMAOS」、直訳すると「双子岩」と呼ばれる同じ大きさの岩礁であり、ピコ山とならんでこちらもノローニャの絵葉書にもよく使われる写真スポットもあった。
「BAIA DO SANCHO」のビーチには断崖絶壁のため鉄格子をつかって降りる。普通は人が踏み入れる場所ではないためか透明度が高くいろいろな種類の魚がいた。小さなウミガメも発見。流石に海洋公園の中だけあって最初のシュノーケルから大いに楽しんだ。

BAIA DO SANCHO(バイア・ド・サンショ)

MORRO DOIS IRMAOS(双子岩)

「PRAIA DO LEAO」と呼ばれるライオンに似た(?)奇岩での写真スポットを挟み、次に訪れたビーチは「BAIA DO SUESTE」。ここはウミガメが多く訪れることで有名なビーチ。サンゴの保全のためライフジャケットの着用を義務付けられている。一般のお客も入ることができる土地柄か透明度は今回訪れたビーチの中では低い。しかし大きなウミガメを見ることができた。ダイビングならともかくシュノーケリングで大きなウミガメを見ることができる場所は世界中さがしても少ないのではないだろうか。
昼食は地元のレストランで「MUQUECA DE CAMARAO」というエビをクリームソースで煮たムケカというスープを食べた。付け合わせはご飯とポテトフライ。エビがごろごろ入っていてうまかった。飲み物合わせて59レアル。朝からハードな運動をしたのでここで体力回復。

MUQUECA DE CAMARAO エビのムケカ

昼食のあとは島の北部「BURACO DA RAQUEL」と「PRAIA DA CAEIRA」を観光。
「BURACO DA RAQUEL」とは「ラケルの穴」という意味で、空洞がある巨大な岩山のことである。ラケルという軍隊の指揮官が戦時中に娘をここに隠したことからその名前がついたそうだ。
「PRAIA DA CAEIRA」は美しいビーチだが、この辺りはサメが多い一帯で遊泳が禁止されている。また「PRAIA DA CAEIRA」には小さいながらもサメの博物館がある。
その後、「CAPELA DE SAO PEDRO」(サンペドロ教会)やノローニャ諸島で2番目に大きな島「ホッカス島」を眺め、最後のシュノーケルツアーのビーチ「PRAIA DA CACIMBA DO PADRE」へ。このビーチは波が高くて、サーフィンの大会も開かれるほどの場所だ。我々は一般の人々がいるエリアを超えて岩場を抜けた場所まで行き、あまり人が踏み入れていない場所まで移動した。岩がごつごつして歩きにくい。その後英語のガイドさんに、「ここは岩があるし波も高いからもし無理そうだったらここで皆が終わるのをまっててもいいよ」という。しかしせっかく来たからには何事も挑戦すべしという気持ちなのでチャレンジすることに。結果チャレンジして大変よかった。まず透明度が非常に高く、岩場が多いからか魚が群れをなして泳いでいる。すぐ触れそうな近さだ。私は見られなかったがエイもいるらしい。

CAPELA DE SAO PEDRO(サンペドロ教会)

最後は「FORTE DO BOLDRO」からサンセット鑑賞。ここからは「MORRO DOIS IRMAOS」との夕日がみえる有名なスポットらしく沢山の人で賑わっていた。
1日3回もシュノーケルツアーをしてハードではあったが心よい疲れでツアーを終えることができた。

ギターを弾く姉ちゃんが様になる

MORRO DOIS IRMAOS(双子岩)と夕陽

ホテルにもどり、レストランで魚の笹の葉で蒸した料理を食べた。ミネラルウォーターと合わせて43レアルだった。
7日目 フェルナンド・デ・ノローニャからリオ・デ・ジャネイロへ
午前中はボートツアーに参加した。朝8時に迎えが来て各ポサダでお客をピックアップして港向かう。昨日居た英語のガイドさんも来てくれるとばかり思っていたがいなかった。仕方なくポルトガル語の話を聞いていたが周りの同じツアーに参加するお客さんが英語で通訳してくれたので助かった。
ボートに乗り出発。
約1時間かけてフェルナンド・デ・ノローニャ北側沿ってクルーズする。ピコ山と双子岩を船上から鑑賞。途中、クルーズ船がスピードを弱めた。乗組員が何かをポルトガル語で叫ぶとわらわらと人が集まり海面を見下ろす。一体なんだなんだと、私も同じように海面を見つめると船底に集まるイルカ達!しなやかな身体とその表面のツルッとした皮膚の感触は、船上からもわかるくらいの近さだ。見上げると船底だけでなく見渡す限りの海に、イルカが溢れている。まさにフェルナンド・デ・ノローニャは海の生き物たちにとってもパラダイスに違いない。

イルカたちは泳ぐのが早くうまく撮れない

クルーズ船は「BAIA DO SANCHO」に停泊。ここで1時間ほど各自シュノーケリングを楽しむ。 実は私はポルトガル語の説明をよく理解していなかったのでシュノーケリングギアを準備してきなかった。乗組員の方にマスクない?と聞いたら10レアルで貸してくれた。良かった。以前訪れた時よりもビーチから離れているエリアのためか、エイをはじめその時よりも更に多く魚を目にすることができた。
シュノーケリングあとはフェルナンド•デ・ノローニャ諸島の本島から少し離れた小さい島々を船上から鑑賞して港に戻った。

MORRO DO PICO(モーロ・デ・ピッコ)

クルーズ船

港ではドライバーが待っており各ポサダへ。
ポサダについたのは11:30ごろだったので約3時間半のツアーだった。
町に出てレストランで昼食を食べて、この日のレシフェ行きの15:20発の飛行機に乗るために13:30のお迎えを待ち空港へ。

ポサダのオーナーとお別れ

TRIP航空にチェックイン。この日はレシフェからリオ・デ・ジャネイロまで移動するので荷物が流せるかを確認したところできなかった。レシフェからリオ・デ・ジャネイロはタム航空で別の航空会社のためか一旦レシフェで荷物をピックアップしてタム航空で改めてチェックインという流れになる。
搭乗手続きの前に、入島税支払い時にもらった領収書を見せ不足がないかの確認があるので書類はなくさないように。
1時間の飛行を経てレシフェ到着。スーツケースをピックアップし今度はタム航空にチェックイン。乗り継ぎ時間は2時間ほどあったがTRIP航空が少し遅れたためあまり余裕なかった。
リオ・デ・ジャネイロに向かう。3時間のフライトだ。
レシフェからリオ・デ・ジャネイロは-1時間の時差がある(これはサマータイムの影響、レシフェはサマータイムを採用していないがサンパウロ、リオ・デ・ジャネイロはサマータイムを採用している)。
やっと到着と思ったら飛行機から降りて行くのは約3分の1の人数だけ。とりあえず降りてみたが不安なので近くにいた人に「リオ・デ・ジャネイロ?」と聞いてみると「サンパウロ」との答え。頭が混乱した。なぜリオ・デ・ジャネイロ行きの飛行機なのにサンパウロに到着したのか。取り敢えず飛行機に急いで戻り客室乗務員に聞いてみる。どうやら悪天候で着陸出来ず、リオから400km離れているサンパウロに到着したようだ。天候の回復を待って出発する見込みだという。胸を撫で下ろした。サンパウロで間違えて降りてしまうという最悪の結果免れたが、ここからが長かった。
機内のアナウンスを待つこと約2時間。狭くて寒い機内では更に長く感じた。やっとサンパウロ離れたリオ・デ・ジャネイロへ。今度は無事到着。次の日はブラジルを出発する日なのでこの日中にリオに到着できて良かった。すでに深夜1時を超えていた。予定到着時間よりも4時間も遅れていた。
日本人のガイドさんと合流。もういらっしゃらないかも、と思っていたのでガイドさんと会えたことに心からホッとした。
空港からホテルまで約50分。
宿泊のホテルはコパカバーナビーチのすぐそばに位置するデブレット。
<デブレット>
コパカバーナが目の前に広がる最高ロケーションの中級ホテル。近くにスーパーもあり。イパネマのショッピングエリアにも足をのばせる。ホテルは古さを感じる内装。設備はテレビやシャワー、ミニバー、無料WIFIもあり。ドライヤー、セーフティーボックス、バスタブはない。観光メインで経済的なホテルが希望であれば充分選択の余地のあるホテルだがホテルに安心感・清潔感を求めるのであればグレードアップをお勧めする。
夕食もまともに食べることもできなかったのでミニバーのスナックとソフトドリンクで腹ごなしして就寝。
8日目 リオ・デ・ジャネイロ観光、そしてブラジルOUT
朝7時頃に起き、デブレットのコパカバーナビーチの見える屋上のレストランにて朝食。本日のガイドさんとの集合は前日の飛行機の遅れのため遅めの11時。それまでは自分で行動。
イパネマあたりのショッピングエリアを散策した後、ホテルに戻る時に試しにタクシー乗ってみた。ドライバーはポルトガル語しか話せないようだった。ホテル名を伝えたところなんとなく分かったようで、コパカバーナビーチまで車を走らせる。しかしドライバーと私の会話が成り立たない。向こうはポルトガル語で話かけ私はカタコト英語で話しかける。ホテル近くになってなぜかお金を受け取らず降ろしてくれた。なぜだろう。タダなのは嬉しいが匙を投げられたのだろうか。とにかくタクシーは乗ってもメーター制でボッタクせず安心して乗れることは証明された。
11時でチェックアウトしてガイドさんと合流。
まずはコルコバードの丘。
<コルコバードの丘>
あのリオ・デ・ジャネイロのシンボルとも言える巨大なキリスト像のある丘。ブラジル独立の100周年を記念して1931年に建造された。海抜約710mの高さへはまず登山列車に乗る。登山列車は休日ともなると多くの人々で大変混み合うそうだ。できればガイドツアーでゆく方がチケットも団体用窓口で手早く購入できるのでお勧め。登山列車にて約20分。みるみる小さくなってゆく景色を眺めつつ頂上を目指す。登山列車の席は登り時は進行方向の右側、下り時は進行方向の左側に座るのが景色がよくお勧め。
登山列車を降り、エスカレーターにてさらに上まであがると巨大なキリスト像の背中が見えてくる。近くで見るとそのあまりの大きさに心震える。こんな崖の淵によくこんな巨大な像を作り上げたものだ。像もさることながらここから見下ろす景色は美しいリオの街並みを一望出来ると共に、住宅の建築箇所が日本とは決定的に違っていて興味深い。日本だと津波の心配があるからビーチ沿いに高層ビル建てることはしないし土砂崩れの心配もあるから山の谷間にあれ程に密集した住宅地はつくらないだろう。地震がすくなく、岩山が地盤になっているための街並みなのだろう。帰りも登山列車を使い下山。

天空を仰ぐキリスト像

その後、昼食のシュラスカリアヘ。レストランの名前は「エストレーラ・ド・スル」。
いろいろシュラスコ食べてきたがここのシュラスコは絶品だった。特に私のお気に入りはピッカーニャと呼ばれる柔らかいモモ肉。
これまでのシュラスカリアは自分から皿を持って行って肉を取りに行くという形式だったがここではスタッフが一人一人やってきて好きな肉を切り分けてくれる。
またここで初めてサトウキビのお酒のカクテル、カイピーリャをいただく。カイピーリャはサトウキビのお酒を砂糖とライム、氷で割ったもの。非常に口当たりが良く美味しい。しかし50度近くあるお酒なので飲み過ぎにご注意。
そしてもう一つのリオ・デ・ジャネイロのシンボルとも言える「砂糖菓子パン」へ。
<ポン・デ・アスカール>
まるで砂糖菓子パンのような形をしていることから名付けられた標高396メートルの奇岩。ウルカの丘と呼ばれる一段低い丘にてロープウェイを乗り継ぎ山頂へ。山頂からはリオ・デ・ジャネイロとその対岸のニテロイの街並みが見渡せる。

砂糖菓子パン

ポン・デ・アスカールを後にし車は旧市街へ。
<エスカダリア・セラロン>
色とりどりのタイルが目を引く旧市街の階段。以前は何の変哲もない階段だったそうだがセラロン氏がタイルでカラフルな階段へと変貌させた。セラロン氏は気分がいいと階段で絵を書いており観光客に応じてくれる。正しい虫の居どころが悪いと表には出てこないらしい。また近くアトリエ作品を買うとサインを入れてくれる。なお階段のタイルの一部には阪神タイガースのものもあるので探してみては。

サインをねだる

世界に羽ばたく阪神タイガース

車はラッパ地区を抜ける。
ラッパ地区はライブハウスが集まる地区だ。リオの夜と言えばサンバショーがまず頭をよぎるが、現地のガイドさんのお勧めはこういったライブハウスでボサノバなどの生の音楽を聞くことだそうだ。料金もサンバショーと比べてずっと安い。
<カテドラル・メトロポリターナ>
旧市街の中心位置する現代的なデザインの教会。まるでピラミッドのような外観をもち内部の巨大なステンドグラスは十字のように4方向に天井から地面まで流れている。このようなデザインが許される自由な気質がリオ・デ・ジャネイロらしさなのだろう。
車はワールドカップに向け修復中のマラカナン・スタジアムを超え、リオのカーニバルの大通りへ向かう。まるで競技場のようなこのカーニバルの会場は「サンボドローモ」と呼ばれている。当日ともなると近くの道路は封鎖され、夜通し8時間以上、しかもこの祭典は数日間続くというから驚きだ。
毎年かなり混み合うリオのカーニバルだがこの時期はチケットもおろかホテル代金がべらぼうに高くなる。そこで裏技として運良くカーニバルのチケットとブラジルまでの航空券が手に入ったらサンパウロなどの近くの都市からカーニバル当日に飛行機でリオへ飛んでリオではホテルを取らずカーニバル夜通し見続ける。翌朝にリオを発ち元の都市へ戻る、という方法であれば体力的にはきついが少なくともホテル代金はかからないのでかなり安くあげられる。そんな話を聞くと夢にまで思わなかったカーニバルを見ることに現実味を帯びてきて、いつか行きたいなぁと思い始めた。
そして車は空港へ。リオ・デ・ジャネイロを出発するのは23時の便なのでまだかなり時間があるがとにかくいつ渋滞があるかわからないのがブラジルの大都市。少なくとも出発時間の3時間前に空港についているように余裕をもって出発したい。
空港に到着したのは19時。すごい混雑具合。もともとリオの空港がそんなに広くないというのもあるだろうがまるで正月のような混雑だ。
ここで大変お世話になったガイドさん、ドライバーさんとお別れ。おかげさまで濃密な1日を過ごすことが出来た。
アメリカン航空は無事リオを飛び立ち私は帰路へついた。
まとめ
6泊10日という比較的長目の行程をこなしたわけだがなぜだろう、全然ブラジルを満喫したという充足感がない。まだまだ見たりないという飢餓感の方が強く残った。アマゾンやサルバドールも見たい、もちろんカーニバルも。ボサノバを夜にしっぽり聞きに行くのもいいな。
あいにく曇りがちだったリオ・デ・ジャネイロだったが、天気のいい日はさぞ美しいことだろう。山間に見えるスラム街(ファヴェーラ)は近くで見るとただのバラック小屋なのだろうが、遠目からみると家々が重なり合って独特な芸術的にさえ感じた。
リオには古いものに囚われない自由さがあり、何処か「リオ・デ・ジャネイロ村」と呼びたくなる親近さを感じさせる不思議な都市だった。

ファヴェーラ

またフェルナンド・デ・ノローニャも素晴らしいところだった。風光明媚であることは世界遺産に認定されただけあって折り紙つきではあるが、なんといっても島にはホテルがなくすべて民宿(ポサダ)のみというリラックス雰囲気をもっているのが気に入った。お世話になった民宿のオーナーもその一人である。この島の虜になり、この島で民宿を経営し、ツアー会社で働くなどして本国ブラジルから住み着く人も多いというのも納得できる。観光客もブラジル人がほとんどで、ほかの国からの観光客がまだまだ多くないのもこのゆるい雰囲気をつくり出す要因の一つだろう。日本人の石垣島や宮古島みたいな、ブラジル人にとっては何事にせかされることなく自分らしくいられるそんな場所なのだ。
毎度お馴染みお役立ち情報
言語
ブラジルはポルトガル語を公用語としているが他の国とちがって英語はほとんど通じない。レストランなどのお店は英語が話せるスタッフが一人いればラッキー。観光ツアーもポルトガル語のものに参加するとほとんど理解できないだろう。できればポルトガル語の指差し会話本や辞書があると便利。ブラジルは南米の中でも日本語が話せるガイドさんが多い国だ。治安や一人で不安という人は是非ガイドさんをつけることをお勧めしたい。
通貨
ブラジル通貨はレアル。クレジットカードがほとんどのお店で使えるため持っていくとかなり便利。各都市にはATMがあるがポルトガル語表記しかないものもあるため地方にいく場合は現金を多目に持って行こう。
治安
場所次第だろうがリオもサンパウロもレシフェ、フェルナンド・デ・ノローニャも思っていたよりも危険な雰囲気は全然なかった。結果論かもしれないが、満員の地下鉄やタクシーを利用し、夜の街も多少歩いたが何も取られないし怖い思いもしなかった。ガイドさん曰く観光客がよく行くようなところであればほとんど問題ないとのこと。もちろん最低限の注意は必要だがそこまで構えることもないだろう。
WIFI
一部有料のところもあったがほとんどのホテルでWIFIは使えた。スピードは早くもなく遅くもない。
持っていくべきもの
イグアスのアルゼンチン側はかなり歩くので歩き慣れた靴は必要。またジャングルクルーズをするなら水着も必須。ビーチサンダルはハワイアナスがどこでも売っているのでそれを購入してもいい、あれば重宝する。雨合羽や折りたたみ傘はあっても良い。あとはサングラスや帽子があればベター。
食事
基本はお肉中心。リオやサンパウロ、レシフェ、マナウスなどはお魚も美味しい。お肉に飽きた人は中華料理やお寿司が必ずと言ってもいいほどどこにでもあるし、パスタやピザと言ったイタリアンもブラジルで人気がある。物価は安いとは言えないが、食べる場所を選べば1食1000円以内でたっぷり食べられるところも多い。ちょっとお洒落なレストランに行くと平均で1名2000円~3000円ほどの予算。
矯正
ブラジル人は歯を矯正している人が多い。月の治療費は50レアル(2500円ほど)で非常に手軽だからだそうだ。
2012年11月 橋本

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