これぞ究極のパワースポット?! 憧れの地、ペルーハイライト

これぞ究極のパワースポット?! 憧れの地、ペルーハイライト


前日に慌てて詰め込んだお気に入りのスーツケースを持って、空港へ向かった。
今回の目的地はペルー。
小学生の頃からすっと憧れてきた国だ。
チェックインを済ませ、これから本やテレビとは違う、本当のペルーを体感しにいくと思うと、緊張でいっぱいになった。


ヒューストンで乗り継いで20時間ちょっと。日本とは昼夜逆転、季節も反対、ついに憧れのペルーの地へ降り立った。
リマの空港からホテルまでは40分くらい。ペルーは山のイメージが強いが、リマは海に面している。
新市街のミラフローレス地区も海に近く、大きなショッピングモールもあり近代的な街だ。
興奮冷めやらぬ夜も、翌朝に備え早めに就寝。
翌朝、早朝の飛行機に乗るため、6時過ぎにドライバーさんと会う。空港に着くと、早朝にも関わらず、人が多いこと、そしてほとんどのお店が営業していることに驚いた。
今回のルートは、リマから飛行機でクスコへ行き、インカの聖なる谷に宿泊、マチュピチュを観光・宿泊し、マチュピチュからクスコに戻り、チチカカ湖を目指す、というものである。

アンデスの雄大な山々を越え、リマから約1時間でクスコに到着する。オレンジの屋根がつくる街並みがとってもかわいいクスコの街だが、かつてはインカ帝国の中心として大きく栄えた、歴史ある街でもある。

クスコの見どころのひとつがコリカンチャ(太陽の神殿)である。現在は修道院となっているが、インカ帝国の時代には太陽を祀った重要な神殿であった。この神殿、とにかく美しい!接着剤など全く使わずにぴったりと組み合わされ、地震に備え傾斜がつけられた壁や扉。見ているだけでも神秘的である。

石の建物というとマチュピチュのイメージが強いが、マチュピチュに使われているインカ帝国の石工技術は、こうしたクスコ周辺やインカの聖なる谷でもたくさん見ることができる。
そのため、クスコで1-2日滞在・観光してからマチュピチュへ行くのが良さそうだが、クスコの標高は3,400メートル。高地に順応する前に滞在するには少々負担がかかるので、今回はクスコより少し標高の下がるインカの聖なる谷に宿泊した。

さて、聖なる谷に滞在するにしても、やはり高山病が気になるものだ。ペルーでは高山病の薬が薬局で簡単に手に入るそうだが、今回は高山病になる前に予防をしておきたかったので、日本で薬を処方してもらった。高地到着の24時間前から飲み始め、滞在中も定期的に薬を飲む。薬が効いたのか、旅行中は高山病にならず快適に過ごせた。薬がない場合も、ペルーではコカ茶やコカキャンディーが高山病の予防として一般的だ。

(※日本への持込はできません)
聖なるインカの旅で外せないのがオリャンタイタンボ。マチュピチュ行きの列車が停車するところでもあるが、見どころは
村の名前と同じ、オリャンタイタンボ遺跡。とにかく規模の大きな段々畑や神殿。現在も利用されている灌漑設備は必見だ。

また、魅力的な遺跡の多い聖なるインカの谷だが、近郊にはかわいらしいリャマ・アルパカ・ビクーニャの牧場がある。
リャマもアルパカもビクーニャもラクダの仲間らしいが、リャマとビクーニャは臆病らしく、ちょっと近付けない。
一方、アルパカは大人しく、触ったり、餌をあげたりできる。


アルパカのセーターは高級品だが、確かに触るとフワフワしていた。
インカの聖なる谷を観光し、高地に慣れた後は、いよいよ憧れの地、マチュピチュへ。
オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ村へ列車で向かう。

マチュピチュ村はマチュピチュのふもとにあり、駅の前をウルバンバ川が勢いよく流れる。
駅前のバス停からマチュピチュ行きのバスに乗る。標高差400mのマチュピチュを目指し、何度もカーブを曲がりながらバスは進む。
標高が高くなったことを実感したころ、マチュピチュは急に現れる。
入口を入り、少し進んだところに、見たことのある風景が広がる。


これぞマチュピチュ!という風景。
マチュピチュの見所はたくさんあるが、今回、マチュピチュの中で特に訪れたかった場所の一つが、インティワタナ(日時計)である。
ここは、遺跡全体がパワースポットといわれるマチュピチュの中でも、特に強いパワースポットらしい。
日時計に手をかざすとパワーを得られるときき、試してみた。

うーん、パワーを感じるような感じないような、、、結局良く分からなかったが、マチュピチュの中を歩いていると、なんだかパワーがみなぎる気がした。
1日たっぷりマチュピチュを観光した後、ふもとのマチュピチュ村に宿泊した。
翌日は朝からワイナピチュに登ろうと決めていた。ワイナピチュ(=若い峰)はマチュピチュ(=老いた峰)に対する山、ワイナピチュの上から見るマチュピチュもまた絶景と聞いていた。
このワイナピチュへ登ることは、この旅行の大きな目的の一つだった。
マチュピチュ村からマチュピチュまでのバスの始発は05:30。ワイナピチュの1日の登山者数は400名と決められているが、
前日までに会ったガイドさんや地元の人は皆、混んでない時期なので06:30くらいまでにバス停に行けばいいよ、と教えてくれた。
そうはいっても1度きりのチャンス。何が何でも登りたいので、始発のバスに乗ろうと決めていた。
04:30 起床。モーニングコールでなんとか起きる。
05:05 朝食。レストランのオープンと同時に駆け込んだ。パンとコーヒーを急いで食べる。
05:15 バス停へ移動。
始発のバスに乗るつもりで行ったがバス停には既に長蛇の列。慌てて人数を数えた。マチュピチュのホテルに泊まっている人や
歩いて山を登る人を併せても、なんとか入場制限の400名には入れるだろう。そう思って安心してバスに乗り、6:00すぎにマチュピチュについた。
しかし!!到着すると、マチュピチュ村のバス停よりもさらにたくさんの人が並んでいた。全くの予想外の人数である。大丈夫かな、心配だが並ぶしかない。

結局、1時間ほど並び、もう少しでやっと自分の番!と思っていたとき、急にあたりが騒がしくなった。
ちょっと聞いてみると、どうやら今日の分のワイナピチュの入場券は400名に達したので配布が終了したとのこと。前にいたのは20人くらい。そんな!!これを楽しみに楽しみにしてきたのに!!朝食を食べたのがダメだったのか!!
しばらく呆然としていた。ここまできて、まさか登れないとは。
どうしようかとしばらく迷ったが、落ち込んでいても仕方ない。とりあえずマチュピチュに入った。
そして、昨日は行けなかった、インティプンク(太陽の門)まで歩いてみることにした。
インティプンクはマチュピチュの入り口でもある。インティプンクへの道は、山道。ここはかつて、
マチュピチュを発見した、ハイラムビンガム(インディジョーンズのモデルらしい)が歩いた道でもあり、インカ帝国の時代にはインカの人々が歩いた道でもある。ワイナピチュは残念だったが、インカ道もまた、歴史を感じられて、よかった。

ワイナピチュは残念だったが、またぜひ来たい、そう強く思い、マチュピチュを後にした。

さて、私は民族衣装好きなのだが、ペルーを旅していると、どの街にも髪は三つ編みのロングヘアに赤や黄、緑の鮮やかなスカートの女性にたくさん出会う。まさにインカの女性のイメージにぴったり。

こんなかわいいスカート、ぜひお土産にしたいなぁと思い、お土産物屋さんに行く度に探したが、全く見当たらない。
唯一、マチュピチュ村で1枚のスカートを見つけたが、ちょっとイメージと違った。その後はもう、どこへ行っても全く出会えなかった。
イメージと違うと思ったあのスカートが惜しかった。

旅行中に民族衣装を買おうと思うなら、見つけたらすぐ買う!というのがポイントなのかもしれない。
マチュピチュをたっぷり観光し、クスコに戻った翌日は、インカエクスプレスという観光バスでプーノへ向かう。
この観光バスは、クスコからプーノへのインカゆかりの道を、途中観光に立ち寄りながらプーノを目指すというものだ。
歴史ある教会(アンダワイリーリャス)や、ラクチ遺跡、3000m級の地を越え、プーノを目指す。

途中、4,335メートルのラ・ラヤ峠も通る。

インカ帝国がいかに大きな帝国であったかを体感することができるルートだ。長時間のバスの旅だが、シートはゆったりしていて、座り心地も良い。途中休憩や観光も多いので、飽きない。そしてなんといってもガイドさんが面白い!
楽しんでいるうちにプーノに着いた。
プーノの朝、そしてペルー最後の朝。
心配していた雨もなく、さわやかな朝となった。
ガイドさんと合流し、チチカカ湖の島、ウロス島へボートで向かう。プーノから約1時間、目指すウロス島が見えてきた。

まず、島のお兄さんが島の作り方を手作りの模型で教えてくれる。

島を作っているトトラはなんと食べられる!

また、島では魚のほか、ジャガイモなどの野菜も作っているそうだ。
島の女性に家を見せてもらった後、なんと民族衣装を着せてくれた。念願の民族衣装である。

その後、民族衣装のまま島のマーケットに案内された。

手作りの刺繍の布を勧められた。

1枚作るのに1ヶ月かかるそうだ。
悩んだが、気に入った1枚を購入。これもまた、思い出だ。

ウロス島には小学校、診療所、レストラン、ホテル、バーなどもある。プーノから近いが、異なる文化がそこにはあった。

駆け足の、そして充実したペルーハイライト。
また訪れたい、そう思わずにはいられないペルーは、やっぱり究極のパワースポットなのかもしれない。
2011年4月 西田

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