つい最近みたテレビで、ペルーは「生きている間に行きたい国」のベスト5に毎年はいると聞いた。確かにファイブスタークラブのほとんどのスタッフがペルーに行っているし、友人にペルーに行くことを話すと、出張でペルーに行くなんてとすごくうらやましがられた。12月初旬、そんな人々をひきつけてやまないペルーを訪問した。
今回の私のペルー旅行は体にやさしいコースだ。ペルーは高度が高い地域が多く、旅行中に高山病にかかる人もいる。急激な高度の変化は体に負担になるため、ファイブスタークラブでは低地からだんだんと体を慣らしながら高度に順応していく体にやさしいツアーを多くつくっている。それでも最後まで心配したのはクスコからプーノへのルート上の4,000メートルを越える峠だった。
プーノに行くまでの5日間、精力的に各地をまわった。土っぽいけれどあたたかみのある家々が並ぶインカの聖なる谷も見た。その風景とそこに暮らす人たちを見てのんきだった私の幼い頃を思い出した。(なんだかおばあちゃんが言いそうなせりふだけど・・・本当です)聖なる谷ではとある夫婦のおうちへもおじゃました。古くからモラーダ(とうもろこしのお酒)をつくっているそうだ。お約束のテイスティング。これもどこかで飲んだことのある懐かしい味。ガイドさんはテイスティングをとおり過ぎて、ごくごく飲んでいた。
あのマチュピチュでは運動不足の体を鞭打って、ワイナピチュへも。よく言われるように少しキツめのルートだが、上に登るにつれてだんだんとマチュピチュ遺跡の全体が見えてくると、自分が鳥になったような気がして気分がよかった。マチュピチュでは1泊してワイナピチュへいくのがおすすめ。余談だが、朝のワイナピチュでイタリア人男性が「Oh, my God!!!!」 と大声で叫んでいたので、熊でもでたかとおどろいたが(頂上までは熊がでそうなくらい草木が茂ったところを登る)、ここにきてデジカメの充電が切れてしまったらしい。かわいそうなので会社のカメラに男性とすばらしい景色をいっしょに撮ってあげた。マチュピチュ遺跡内はけっこう物売りが多くいるが、急勾配の道中のせいかワイナピチュには、フィルムや電池の物売りはいない。男性のような悲劇にならないようみなさんも気をつけて。
スペインのような街並みのクスコではたくさんのホテルを見学した。クスコのホテルの多くはパティオとよばれるガラス屋根付の中庭がある。日中は日差しが差し込んで、朝晩冷え込むクスコでもとても暖かだった。私の泊まった「ロスアンデス・デ・アメリカ 」にはその中庭にソファーや椅子があった。腰掛けたら眠ってしまうくらい、おだやかに暖かく気持ちがよい。日頃電気や石油のストーブであたたまっている私は、このパティオがとても気に入った。
クスコでは建物を建てる際の高さや、増改築に制限があるそうだ。なるほど街には新しいビルはないし、どれもとても古かった。見学したホテルのひとつ「モナステリオ」は16世紀に建てられた修道院を改装したホテルだ。ホテルというより美術館にいるような雰囲気だ。こんなにも古い建物を利用しているにもかかわらず、ホテル内の設備は整っている。各部屋の壁には酸素がでてくる吹き出し口が埋め込まれており、高地で不足する酸素を補ない高山病を予防できるシステムもある。バスルームにはなんとロクシタンの石けん、シャンプーなどのアメニティ、ミニバーもテレビも何もかも完璧だ。外装、レストラン、ロビー、お部屋の入り口はコロニアル調で趣がありながら、お部屋に入ったとたん中の設備は時代に合ったパーフェクトなホテル。ここは特におすすめ。
前置きが長くなったが、このようにペルーに到着して6日間、かなりハードに動き、なんでも美味しかったのでたくさん食べ(食べすぎは高山病の原因になるといわれる)たが高山病にはならず。ツアーの終盤、クスコ-プーノ間の途中にはラ・ラヤ峠といわれる標高4,338メートルの峠を越えることになっている。ラ・ラヤ峠周辺も3,000メートル後半から4,000メートルのところが続く。ここは高山病から逃れられないはずと、どきどきしながらその日の朝を迎えた。朝バスに乗って自分の目の前に、病院にあるような本格的な酸素吸入器を見てもっと不安になったのは言うまでもなく。
今回の旅ではクスコ-プーノ間、約400キロ、10時間の移動はバスだ。朝バスに乗って自分の目の前に、病院にあるような本格的な酸素吸入器を見て打ちのめされそうになったのは言うまでもなく。それでもとりあえず、バス内見学。バスにはトイレもあるし、お茶もサービスされる。シートは広々しているのでアンデスの景色を楽しみながらのんびり旅ができそうだ。東京-名古屋間くらいの距離だが、その途中にはアンダワイリーヤス、ラクチ、プカラといった、観光客にもあまり知られていない隠れた遺跡がたくさんあり、そこを観光しながら移動する。もちろんガイドさんも付くので遺跡のことも詳しくわかる。バスガイドさんが観光ガイドになってしまうのだ。移動しながら遺跡も見られて一石二鳥のバスツアーに私もあいのりした。
まず1番最初に訪問するアンダワイリーヤスの村はポツポツ家が並んでいる程度。本当に小さな村だが、村の中心に一見の価値のある教会がある。絵画や壁画、天井が金ぴかで美しい。こんな小さな村の簡素な扉のついた教会で、この絵画は盗まれたりしないのか、余計な心配をしながら次の遺跡ラクチへ。
次のラクチ遺跡はインカの歴史よりも前から存在していたとも言われているそうで、その聖なる神殿の壁が大きく見ごたえがある。時代の流れの中で崩れてしまった部分があり、修復作業の様子をみることもできた。壁の向こうにはゴロゴロと大小の石が転がっているのだが、その石が住居や神殿を構成していたようだ。ラクチ遺跡はインカの歴史上重要な意味をもつそうで、見ることができてよかった。
途中、シクワーニというこちらもかなり小さな村でランチストップ。バスツアーにはランチ代も含まれる。ペルー料理のブッフェスタイルのランチ。ここでバスに同乗している他のお客さん(10名程度)ともうちとけ、にぎやかな楽しい時間だった。
ランチのあとがいよいよバスツアールート上の最高標高の4,338メートル、ラ・ラヤ峠だ。
だんだんと外の風景は草もはえていない荒涼とした風景になっていく。遠くにはアンデスの5000メートル級の山々が見えてきた。ランチから1時間くらい走って・・・着いた!
看板には4,338メートル、ラ・ラヤ峠とあった。人生初の4000メートル。小さなリャマを抱っこしたインディヘナの女性とこの看板を写真におさめた。ひたすら360度、なにもなかった。峠とは思えないような平原だ。峠には大きな見所があるわけではないが、4000メートルのところにいるというステイタスがたまらない不思議な場所だった。それに、おかしいのはこんな場所でも小物、銀製品、アルパカ製品、たくさんのお土産を売っていることだ。しかもこんなとこの売り子も「ヤスイ」 「カワイイ」「 5ドル」を連発。日本語も英語も話す。どこからこんなにたくさんの商品を持ってきたのだろうか・・・なぜこんなところにいる人が日本語を話すのか、不思議でガイドさんに聞けば、彼らは街から徒歩で2時間くらいかけてここまで運んできているそうだ。彼らの毎日の努力と力強さに感激して、思わず手袋を3つほど購入した。確かに深呼吸すると息苦しかった。でも空気が薄いと感じたのはそれくらいで、特に自分の体は何も変化せず、拍子抜けだった。
最後のプカラには午後3時くらいに到着。小さな村だが、やはり村の中心には教会があった。ここではアンデス地方の遺跡からの出土品などを展示する博物館を見学する。インカ帝国の時代より前のものから1,500年代くらいまでの芸術、文化、歴史が目でみて理解することができる。ペルーでの数日間、マチュピチュをはじめ神殿や教会といった石や土で組み立てられた建物をずっとみてきたせいか、ここでの陶器の品々はみているだけでおもしろかった。
いよいよ目的地プーノへ。プカラからは大体2時間くらい。うとうとしているとバス右手にチチカカ湖が!対岸が見えないので一見すると海のようだ。写真をとったりしているうちにあっという間にプーノの街へ、かなり人の多い広場のような道なき道を突き進みプーノ中心からすこし離れたところにあるバスターミナルに到着。あっという間のバスツアーだった。ひどい高山病になることもなくすべてを制覇。私の場合は高山病に効くコカ茶を大量に飲んだのと、この日のランチだけは控えめにしたことがよかったのだと確信している。おどろおどろしい酸素吸入器にもお世話になることもなく、難なくツアーを終えた。高山病の発症は体質にもよるといわれているが、ラ・ラヤ峠や、数々の遺跡を見ていたら、そんな不安をすっかり忘れてしまいそうなくらい、想像力をかきたてられる10時間だ。ぜひ安心してご参加を!
チチカカ湖のウロス島の見学をしてこの旅も終了。プーノからチチカカ湖を船で30分、40の島からなるウロス島へ。私はその島のひとつを訪問した。船が着くなり民俗衣装を着た女の子が私の手を引き、島を案内してくれた。チチカカ湖の島は葦を重ねてできている。立っているとふわふわで日差しをあびてあたたかい。はだしで歩きたいくらいだった。その葦の上になんと葦の家が建っている。葦の根も食べる。島の間は葦の船で行き来する。彼らの生活は葦で成り立っている。島を去る前には島の一家が歌を歌ってくれた。つらい別れはいろいろあるけれど、日本からこんなに離れたペルーでまた彼らに会えるだろうかと本当に名残惜しかった。
ペルーの人はみな穏やかで、素朴で、陽気、新鮮な出会いがありたくさんの思い出ができた。クスコや聖なる谷、偉大なマチュピチュの風景は私の心を癒してくれた。このペルーの空気は私にとってあたたかく、やさしい空気だった。空気はたしかに薄い。少し走ると息切れもする。でもそれ以上にペルーは親しみやすい空気に包まれたそんな国だった。
2007年12月 吉木 真耶