憧れのペルーを訪ねて

憧れのペルーを訪ねて

人 気のコース「空中都市マチュピチュ滞在とチチカカ湖・ナスカ観光付」、コースナンバー「9P030」に全くの相乗りの形で、研修というよりもお客様の視点でペルーを訪問した。 実際内心はうきうきワクワクで、出発日の朝までかかった残りの仕事も全く苦にならず、心は遠くペルーの地へ飛んでいた。 ペルーへ行っている航空会社はいくつかあるが、今回は乗り継ぎ時間が短いデルタ航空を利用し実際の状況をチェックしてみた。 成田から13時間余でアトランタ到着。リマ行きのフライトまで1時間43分。急いで通関しなくては、乗り遅れては大変だと気は焦る。 アトランタまではほぼ最後尾のシートに座っていたので、最も時間がかかるケースといえる。米国内の最初の降機地なので通関が必要だ。 入国審査のブースにはそれこそびっくりするくらいの旅客が並んでいる。流れのいいブースを探して並んだもののどれもあまり変わらない。 どうにかクリアーし税関審査にたどり着く。これなら余裕で間に合うと思ったが、運悪く並んだ列でしつこくチェックされている男性がおり、いらいらイライラ。 やっと終わり大急ぎでリマ行きの出発ゲートへ。時計を見ると16時5分。出発の40分前だった。結果的には余裕の時間であった。 人の多さについ心配してしまうが、よほどのことが無い限り問題の無い乗り継ぎだった。 5時間30分のフライト後、成田から21時間、伊丹から28時間かかりようやくペルーの首都リマに着いた。


笑顔のペルーの子供達2 日目は06:45発の便でクスコへ出発予定が、クスコの天候不順でフライトキャンセルになり、06:00発のフライトが08:00発に変わりどうにかその便に入り込みクスコへ向かった。ところが荷物が出てこない。ハプニング続きだ。ランペルー航空のスタッフにホテルまで送るよう依頼しクスコの町へ向かった。通常ツアーでは午前中は高度順応のため休憩をするのだが、せっかくの時間を有意義に使おうとホテルインスペクションへ仕事魂に燃え出かけた。クスコの最高級ホテルで古い神学校を改装した「オテル・モナステリオ」を初めとして、時間も無いので早足でいくつかのホテルを見学した。ところがこのことが後でとんでもないことになろうとはこのときは分からなかった。午後の観光はサント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)、カテドラル、郊外のサクサイワマンなどを回った。カテドラルでは沢山の現地の小学生が階段に座っていた。どうも市内の子供ではなさそうだが、赤いほっぺにくるりとした目を輝かせた可愛い子供たちが印象に残った。
布施明のそっくりさんしかしどうも体の調子が悪い。体がだるくてガイドの話に集中できない。どうやら高山病にかかったらしい。頭も痛くなってきた。
だがフォルクローレを聞かないわけにはいかない。 日本の歌手の布施明そっくりさんの歌を聞いてから、一目散にホテルに戻り、うんうん唸りながらベッドにもぐりこんだ。 高山病は本当につらい。到着日に元気で動いた人ほど発病しやすいのは本当です。行かれる方はくれぐれもご注意を。
バックパッカー3 日目はいよいよ空中都市マチュピチュの観光だ。クスコからふもとの町アグアスカリエンテスまで「バックパッカー」という名前が付いた列車で向かった。もうひとつの列車は「ビスタ・ドーム」といい、パノラマカーのように窓も列車の天井まで広がっていて眺めがいいようになっている。名前の響きからするとかなり両車には差があるのかなと想像していたが、そうでもない。椅子はビスタは2席ずつ全て進行方向を向いているが、バックパッカーは向かい合わせ。ビスタドーム椅子の大きさは同じくらい。後者の窓はいわゆる普通の窓。バックパッカーといっても安物というわけではない。06:15にクスコの駅を出発し、約4時間でアグアスカリエンテスの駅に到着。 このころになると高山病もだいぶ楽になった。標高3360mのクスコから約1500mも下りてきたからだ。一安心。ここから20分バスに乗り標高2280mの「空中都市」「失われた都市」のマチュピチュへ向かう。もうそろそろかなと思っていると突然その町が現れる。1911年ビンガムが発見するまで草に埋もれていたのもうなずける。ワイナピチュを背景に絵葉書のごとく現れたマチュピチュを、時の経つのも忘れ見とれてしまっていた。「憧れのマチュピチュ」にとうとう来た。
ワイナピチュを背景にしたマチュピチュマチュピチュとは「老いた峰、老いた山」という意味でほとんど写真には登場しない。ちょうど遺跡の裏手にあり形も良くない。 写真に出てくるのはワイナピチュで、遺跡の背後にそびえる美しい山だ。その意味は「若い峰、若い山」。 この山のおかげでマチュピチュが本当になんともいえないほどに美麗になっている。 明日は老骨に鞭打ち、ワイナピチュに登ろうと決意する。マチュピチュの保存状態は非常に良く、 400年前のインカ人が今も住んでいるかのようだった。段々畑、太陽の神殿、王女の宮殿、インティワタナ(日時計)など見ると、 その昔にタイムスリップしてしまう。帰りのバスからは今はもう「グッバイボーイ」は見えないが、 どこからかその声が聞こえてきそうな感じだ。「グッバーイ」と。
実はこの右隣がアニーズ夕飯は、アグアスカリエンテス駅の裏手にある広場の前のピザレストラン「ANYES」アニーズに陣を取り、 ビールを飲みながら広場で遊ぶ子供たちや、舞台での劇の練習を見るという幸福の時間を過ごした。
どこかはにかんだ、はずかしがりやの人たちを見ていると、とっくの昔に忘れてしまった穏やかなゆったりとした情感を思い出した。 広場の周りには学校やレストランやお土産屋が沢山有り、必ず訪れてほしい所だ。
4 日目は昨日の決意通り、ワイナピチュに登った。 朝7時半のバスに乗ろうとしたらすでに満席。次の8時のバスでマチュピチュの遺跡に向かう。 そこからワイナピチュまで往復2時間、ゆっくりペースで頂上での休憩も入れて計3時間見ればいいだろう。 しかしながら急傾斜の階段もどきを上がっていくのは結構大変。
春日井仁平さんと深尾さやかさん幸いにも日本人のグループの後ろになり、ペースを上げることも無く休憩を取りながら登ることが出来た。 こちらは旅行社の人間ではありませんという態度で、日本人ガイドの説明を盗み聞きながら後についていった。 ワイナピチュからの眺めは最高。マチュピチュの全景を手のひらの上に置いたかのような征服感を味わうことが出来た。 それもこれも一人旅だったら味わうことが出来ないものだったかもしれない。 実は全く同じコースにお一人で名古屋から参加の春日井仁平さんとずっと同一行動だったのだ。 アニーズでのビールが美味しかったのも春日井さんのお陰です。またバックパッカーの中で一緒になった深尾さやかさん、 マチュピチュ遺跡を一緒に廻った武藤恵美さん、ご一緒できて楽しかった。この場を借りてお礼申し上げます。 時間のある方はワイナピチュには絶対登って下さい。それだけの価値はあります。一生のうちにまた来れるかどうか分からないのですから。 それは一生の思い出になります。
ウイラコーチャ神殿5 日目はクスコからプーノまでインカエキスプレス社の約10時間のバスの旅。 途中ラクチの町では崩れ落ちる寸前のインカの遺跡「ウイラコーチャ神殿を見たり、4300m以上の標高の所を通過したりした。 バスの中では一生懸命フォルクローレを演奏してくれる。 普通ならもっとずうずうしくチップを請求するところを、彼は恥ずかしそうに、バスの中でフォルローレの演奏気まずそうに席を廻っていくその所作は実に好ましい。 ただCDはあまり売れなかったようだが。 10時間という長さにもかかわらずあっという間に時が過ぎていったのは、 バスからの景色が素晴らしいからだった。その景色はペルーの国を象徴するがごとくの「癒し」の風景なのだ。 貧しいかもしれないが人間に対して優しい、包容力のある景色を見ていると時間の過ぎるのを忘れてしまう。
チチカカ湖のトトラのボート6 日目は早朝からチチカカ湖観光。海抜3890m、琵琶湖の12倍もの大きな湖だ。 日本の田舎にいそうなアンナマリアさんのガイドで出発。40分もすると葦「トトラ」の島ウロス島に到着。 歩いてみると体が沈む。だがここが浮島とは思えないほどしっかりしている。学校までもがあり何一つ不自由しない。
そしてトトラの船「バルサ」に乗ると気分は最高潮。すっかりペルー人気分。 徐々に世界各国の観光客が島に集まってきて国際色豊かになってきた。 日本人の感覚ではつかみきれないスケールとおおらかさがここにある。
ナスカの地上絵宇宙人8 日目はこの旅のハイライトの一つ「ナスカの地上絵」観光。 リマから飛行機でイカの町へ飛び、観光飛行機の順番を待つ間、イカの町の観光へ出る。 全く期待をしてなかったので、オアシスの町やいくつも続く砂山や博物館は素晴らしかった。 快適なリゾートホテル「ラス・デュナス」で昼食をし、すっかりリラックス気分。いよいよナスカの地上絵へ出発。 リゾートホテル・ラス・デュナス16人乗りの飛行機に乗り10分程すると最初の地上絵「宇宙人」が見えてきた。 パイロットは地上絵の名前は日本語で連呼してくれるので次が何かはすぐ分かる。 そして右側の人にも左側の人にも見せようと旋回を繰り返してくれる。サービス精神旺盛だ。 ぜひともいいショットを撮ろうとカメラのファインダーをのぞみこむ。ところが2つ目の地上絵を撮り終えるまえに、 旋回するものだから完全に飛行機酔いになってしまった。写真どころではない。見るだけで精一杯。 脂汗をたらしながら気持ちの悪いのをどうにか我慢した。これも一生の思い出かな。
ままた来れるかどうか分からない「憧れのペルー」の旅は 名残惜しさを残して終わりに近づいてきた。「癒しの国」ペルーでの沢山の思い出、 そして今回は何よりも「旅は道連れ」の良さを味わったことが旅とは何かを考えさせるいい機会になった。 春日井さん、深尾さん、武藤さん、そして現地の加川さん、ナオさん、ガイドのデリアさん、アンナマリアさんありがとうございました。 いつの日かまた「癒しの国」ペルーに来られるのを夢見て。
2004年9月 本山

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