シェムリアップ(アンコール遺跡の町)の今日この頃

シェムリアップ(アンコール遺跡の町)の今日この頃

1100年頃から300年近くもインドシナ半島の大部分を治めた大王朝、アンコール王朝。その都が今のシェムリアップにあった。東南アジアのすべての道はアンコール王都に通じるほどの隆盛を極め、その証としての都城と寺院が数百も王国全土に建てられた。そんな大帝国が密林の奥深くに眠り続け、再発見されたのが今からたったの130年前とは驚きだ。あたかも今の私たちに見せるために存在し続けたかのようである。圧倒される規模、華麗さ、緻密さをもつ数々の遺跡が残っていることに感謝したい。


日の出を待つアンコール・ワット代表的な遺跡といえば、その名前がすべての遺跡をあらわしているとも思われている「アンコール・ワット」において他にない。(アンコール:首都・町、ワット:寺院)スールヤヴァルマン2世によって12世紀前半に建てられた。遠くから見ると日本の平等院の姿に似て、羽を両側に伸ばしたかのような華麗な美しさである。神々が住むメール山(須弥山:しゅみせん)を象徴する中央祠堂に登ることは構わないが、人を寄せ付けない急勾配になっている。
アンコール・ワットの中央祠堂寺院のなかでアンコール・ワットだけが西側を向いて造られており、太陽の光線を考え通常は午後の観光としている。大勢の観光客を避けるなら午前中に行ってみるのも一考である。逆光でもいい写真が撮れるかもしれない。アンコール・ワットに出る日の出を見に薄暗いうちから出かけて待ったが、残念ながら曇り空のため見ることは出来なかった。しかしながら徐々に夜が明けていく中に、その姿を現していく様はまさに荘厳ともいうべき神秘性を感じさせる。
アンコール・トムの観世音菩薩像アンコール・ワットに負けず劣らず人気があるのは、「アンコール・トム」。(アンコール:町、トム:大きい)それまでのヒンズー寺院と違って仏教寺院として、建寺王ジャヤヴァルマン7世によって12世紀後半に建てられた。その名の通り沢山の寺院を建て、彼の時代は空前の繁栄を極めた。アンコール王朝の最盛期であった。アンコール・トムは周囲12キロの城壁に囲まれ、中央にバイヨン寺院、少し北側に王宮がある。バイヨンはメール山(須弥山)を象徴化している。ワットに比べて穏やかな、優しい感じがするのは数多くある観世音菩薩像の微笑み故かもしれない。アンコール・トムの象のテラス観世音菩薩の四面仏はカンボジアの紙幣・200リエルの絵柄にもなっている。ここで日本人にとって重大な発見をした。1つの菩薩の顔が日本人にそっくりなのだ。にこやかに笑うその顔、そして大きい口、京唄子さんにそっくり。親しみを覚えるはずである。回廊に施されたレリーフ(浮き彫り)を見ていると実に飽きない。漁、狩り、炊事、将棋、出産シーン等が登場し、当時の生活模様が生き生きと描かれている。バイヨンを出て350Mにも及ぶ象のテラスを左に見ながら進んでいくと、三島由紀夫の戯曲で知られたライ王のテラスがあるが、ここで王と共に900年前にさかのぼり瞑想にふけるのも一興である。
タ・プローム沢山ある遺跡の中で他に見逃せないのは、視覚的に興味をそそる「タ・プローム」と「バンテアイ・スレイ」だろう。タ・プロームは映画「トゥームレイダー」の舞台になったところで有名なのでご存知の方も多いかもしれない。ここもジャヤヴァルマン7世によって1186年に建てられた仏教寺院であるが、後にヒンドゥー教の寺院に改宗されたとみられ多くの仏教色の強い彫刻は削り取られている。なんといってもこの寺院の特徴は木(スポアン:溶樹)が大蛇のように石に絡みつき、がんじがらめになっていることだ。まるで怪獣のように寺院を覆いつくしている。遺跡と自然の偶然が作り出した芸術といえる。今はかろうじて寺院の体裁を保っているが、近い将来は木によって破壊されるかもしれない。今のうちに見に行こう。
バンテアイ・スレイバンテアイ・スレイは967年にヒンドゥー寺院として建造された。周囲400Mの少寺院で、赤色砂岩とラテライトの壁で囲まれ、正面から入ると赤い絨毯が敷き詰められているかのようなラテライトの参道が延びていて実にきれいな遺跡である。なんといってもこの小さな寺院をこれほどまでに有名にしているのは「東洋のモナリザ」といわれるデバター(女神)像である。「東洋のモナリザ」デバター(女神)像かつて、作家のアンドレ・マルローはこの像に魅せられ、盗掘して国外に持ち出そうとして逮捕されたことがあった。後に「王道」という小説に登場するいわくつきの彫像である。その造形美はアンコール遺跡の中でも群を抜いて洗練され優美である。しなやかで柔らかい体の線と柔和な微笑みに、またマルローのような気を起こす者が出ないようロープが張られて近づけないようにしてあるのもうなずける。
プノン・バケンからの夕陽ほかにもそれこそ沢山見逃せない遺跡がある。プレ・ループ、東メボン、ニャック・ポアン、プリア・カン、プノン・バケンとこからの夕陽、等数え切れない。自分自身のお気に入りの遺跡も見つかるかもしれない。これほどの遺跡の宝庫を世界中の人がほっておくはずが無い。ここ数年急激に観光客が世界中から増えている。しかしながらそのスピードに現地は追いついて行けない。今なおタクシーが無いのである。かわりにバイクタクシーがあるが多少のトラブルは付いて回る。また、バイクの後ろに二人乗りの座席を取り付けたトゥクトゥクも多くなっている。(料金はバイクタクシーの1.5〜2倍)ホテルはこの1年急ピッチに建設が進んでいる。一流ホテルのメリディアン、ビクトリアもオープンした。(2004年11月現在)国道6号線の両側には、不足していた沢山の4星のホテルが竹の子のごとく出現した。しかながら遺跡観光が終わったらまっすぐホテルに帰るしかないのが現状であった。が最近欧米の観光客を中心にお洒落なストリートが出現し始めた。
オールドマーケットの周辺は唯一カフェやレストランが集中しているホットな場所だ。中でもオールドマーケットから北西2本目の筋、レストランのザ・スープドラゴンからザ・レッドピアノまでの通りは一押しである。フランス人やドイツ人のオーナーのしゃれた店が立ち並ぶ。しかしレッドピアノの隣の地元の店「テンプル・バー」のピザの美味しさには感激。カンボジア料理の合間に、ピザとビールは最高。シェムリアップ一番のシェフが作るスパゲティもはずせない。ほとんど主観と偏見になったが、時間のある方は一度ひやかしにどうぞ。
テンプルバーレッドピアノ
こうして観光客の受け入れが出来つつあるシェムリアップの町であるが、貴重な文化遺産の修復活動が各国の支援の下になされている。アンコール・ワット西参道をはじめとして日本も積極的に参加しているのは日本人として誇りを持てることである。現地のカンボジア人も自国の文化保護のため教育を兼ねて取り組んでいる。「アーティザン・ダンコール」という名前の伝統工芸の技術学校では、若者たちが真剣に自分たちの国の伝統文化を守るべく学んでいる。彼らは実際に石像・木彫・アプサラ(天女)・デバダー(女神)・装飾品などを作っている。
マダム・サチコとアンコールクッキー帰りの空港の中に、この学校で作られた物が販売されているお店があるのでぜひ見てほしい。出来栄えの良さに驚かれるに違いない。最後に余談ではあるが、アンコールワットのお土産に困る方に朗報。在シェムリアップの日本人女性がお土産にぴったりのものを今年から作られた。その名も「アンコールクッキー」。アンコールワットの形をし、味も勿論いい。その他「蓮茶クッキー」「蓮茶」等用意してある。オーナーはマダム・サチコ。有名人なので現地に行けばすぐ分かる。
次にシェムリアップに行く時は町がどんな変貌を遂げていくのか楽しみとともに、俗化していく不安を抱えながら再訪を胸に誓って旅の終わりが近づいてきた。
本山 泰久
2004年5月

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