ウルグアイとパラグアイはどんな具合?地球の裏側の知られざる国へ ~南米の偉大なる田舎をめぐる旅~

ウルグアイとパラグアイはどんな具合?地球の裏側の知られざる国へ ~南米の偉大なる田舎をめぐる旅~


素朴ながらも厳かな空気を感じるウルグアイの教会


やはり南米はサッカーが熱い!パラグアイのレストランに掛かっていた、名門チーム・オリンピアの写真


ブラジルではやっぱり食べたいシュラスコ!人気店をチェックして行ってみたい

今回は南米南部、アルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイ・ブラジルの4国周遊に行ってまいりました。地球の裏側ですが日本人旅行者に人気でファンが多い南米大陸、特にペルーやボリビア、そして今回訪問するブラジル、アルゼンチンは多くの観光客が訪れますが、なかなかイメージがわかないのがウルグアイとパラグアイのグアイブラザーズ。サッカーファンなら噛みつきストライカーのスアレス(ウルグアイ)や、点を決められるゴールキーパーのチラベルト(パラグアイ)など選手名が出てくるかと思いますが、そもそもどのような国なのか知っている方は少ないはず。どんな場所で何が見られるのか?というかグアイってなんだ?ということで視察に行ってきました。

<南米屈指の大都会&観光都市、ブエノスアイレスとリオデジャネイロ・ハイライト>

ウルグアイとパラグアイはブラジルとアルゼンチンの間に位置するため、ゲートウェイもこの両国となることが一般的(アメリカからの直行便もある)。今回はブエノスアイレスIN、リオデジャネイロOUTというルートでした。

ブエノスアイレスといえば、別名南米のパリとも呼ばれる美しい街並みが有名。また南米諸国の中でもヨーロッパ系白人の割合が非常に高く、雰囲気はヨーロッパとほぼ変わりありません。アルゼンチン人はこのことを誇り高く思っており、近隣諸国から顰蹙を買っているという側面もあるようですが・・・。


世界一幅の広い道路7月9日大通りと、ブエノスアイレスのシンボル・オベリスコ


大統領府、通称ピンクハウス。建物に掲げられた国旗は大統領執務中のサイン


大聖堂内にある独立の英雄サンマルティン将軍の柩


最近の注目スポット、「世界で二番目に美しい書店」に選ばれたエル・アテネオ・グランド・スプレンティド


カラフルなボカ地区の小径カミニート


マラドーナとローマ法王の像を何体見たことか

またアルゼンチンに来たなら、やっぱり豪快な牛肉料理の賞味とタンゴショー鑑賞は欠かせません。


人気のパリージャ(ステーキレストラン)で牛肉をたらふく味わう


迫力あるタンゴの踊りと生演奏を楽しむ

また意外な日本とのつながりが地下鉄。東京に初めて地下鉄を造る際、使節団が派遣されたのがブエノスアイレスで、ここの地下鉄をモデルにして造られたのが日本最古の路線である銀座線。その後日本から車両が輸入され、現在丸ノ内線と名古屋市地下鉄東山線の車両が運行されています。(丸ノ内線の車両は数が少なくなり、出現率はかなりレアとのことですが・・・)


日本での姿とほぼ変わらない旧東山線の車両

そしてアルゼンチンといえばなんといってもサッカーでしょう。アルゼンチンで最も有名なチーム、ボカ・ジュニアーズの本拠地ボンボネーラはボカ地区のシンボルです。民家や商店が立ち並ぶ下町にドカンと鎮座しており、地域で愛されたチームなのだと実感します。


巨大すぎて写真に収まらないボンボネーラ


スタジアムの周囲はシンボルカラーの青と黄色に染まる

そしてもう一つの名門チーム、リーベルプレートの試合がちょうど滞在日に行われるということで観戦に行ってきました。
こちらのスタジアム、エル・モヌメンタルは郊外の高級住宅街ベルグラーノ地区にあります。ボカ・ジュニアーズが地域柄労働者階級のファンが多いのに対し、リーベルプレートは伝統的に富裕層に人気のチームとのことです。


国内最大のスタジアムで、代表の試合もここで行われるとのこと

熱いサッカーファンが多いこの国。過去にいろいろ問題が起こったようで、スタジアムにたどり着くまで4回もチケットとボディチェックをされたり、飲酒が一切禁止であったりと
あまりの厳しさに驚きましたが、試合自体は大盛り上がり。途中声をかけてくれたファンと仲良くなり、試合後ホテルまで車で送ってくれました。

しかしこのボカ・ジュニアーズとリーベルプレートは、阪神・巨人の関係をはるかに超える犬猿の仲で、直接対決のときはファン同士が喧嘩沙汰になるのも当たり前とのこと。ボカファンに上の写真を見せたらぶん殴られていたかもしれません。ガイドブックにもファンの乱闘に注意、とか相手チームと同じ色の服を着ているだけでも危ない、と書かれているので観戦の際はご注意を・・・。

一方ブラジル随一の観光都市リオデジャネイロは、華やかなビーチリゾートや絶景が見られる山々、ポルトガル植民時代からの繁栄を今に伝える歴史的建築群、そして音楽の都・・・と様々な顔を持つ魅力あふれる街。


リオに来たらやはり行かねばならないコルコバードの丘とキリスト像


コルコバードの丘からの絶景には息をのむばかり


斬新なデザインの教会、カテドラル・メトロポリターナ


これぞインスタ映え!人気沸騰中の階段、エスカダリア・セラロン


セントロ(旧市街)のシンボル、カリオカ水道橋


路地も絵になるリオの街

しかしリオといえばやっぱりカーニバルでしょう。メインパレードは今回リオに到着した前日に終わっていたものの、その前後でブロッコという街なかのパレードが散発的に行われているよう。コパカバーナ海岸近くのホテルにチェックインすると、なんとさっそく近くでブロッコに遭遇することができました。

大音量の音楽に合わせてそこらじゅうで踊りまくる人人人!どんちゃん騒ぎを絵に描いたような光景でした。やはり音楽があると体が勝手に動いてしまうのがブラジル人なのでしょうか・・・。
カーニバルの衣装といえばセクシーなイメージですが、これも皆勝手に思い思いの衣装を着ているよう。ちょうちょの羽根を背中につけたりなど、女装している人が多く目に付いたような・・・。しかしやはり露出度の高い服が定番で、この時期のリオは上半身裸のマッチョ男子や水着美女が当たり前のように街を歩いていてドキドキすること間違いなしです。

このどんちゃん騒ぎの中に入っていると、偶然いた日系人の方が声をかけてくれフェスやライブ会場のような場所に連れて行ってくれることに。

どういう催しなのか詳しくは分かりませんでしたが、ここもとにかくものすごい盛り上がりでした。この時期リオ、いやブラジルのいたるところで人々が踊り狂っているということを想像すると、改めてとてつもない国だと実感します。さすがに普通の日本人にはずっと踊りっぱなしはキツいので途中でホテルに帰りましたが、たぶん皆さんオールで踊り続けたことでしょう。

<ブエノスアイレスからフェリーで行くウルグアイの古都は癒しの街>

ウルグアイはアルゼンチンとブラジルに挟まれた、日本の半分ほどの面積の国。今回はブエノスアイレスからフェリーで手軽に行ける街、コロニアデルサクラメントを訪問しました。


週末はアルゼンチン人観光客も多く、フェリー乗り場は大混雑

いくつかフェリー会社があるとのことですが、今回乗ったBUQUEBUS社は大型船で快適そのもの。ほぼ満席に近く、空いた席を見つけるのにかなり苦労しましたが・・・。
ちなみにフェリー乗り場でアルゼンチン出国審査とウルグアイ入国審査が同時に行われ、イミグレーションブースが仲良く隣り合わせになっている、かなり変わった形態でした。国境マニア(?)の方がいたら感激するかもしれません。


快適な船内


カフェテリアに


免税店まで

コロニアデルサクラメントへは所要約1時間強。南米でアマゾンに次ぐ大河ラプラタ川の河口を横切って行きますが、この川が海のようにデカい。さすが南米、スケールが何でも大きいのだと実感します。


対岸がほとんど見えない

フェリーを降りてコロニアデルサクラメントに上陸。今回はフェリーチケットと市内ツアーがセットになっているプランで、観光バスと徒歩で市内を巡ることに。

コロニアデルサクラメントはウルグアイで最も古い街のひとつで、かつて城壁に囲まれていた旧市街は現在世界遺産に登録されています。街を歩くとさっそく古き良きヨーロッパといった雰囲気の、植民地時代の風情ある街並みが出迎えてくれます。

この街の特徴は、ポルトガルとスペイン両方に支配された歴史があるため、両国の建築様式が混在していること。また旧市街はたった12ヘクタールで、少し歩くだけでほとんどの通りを見て回れます。


郊外には旧闘牛場も


ラプラタ川をバックに

市内ツアーはレストランで解散。ウルグアイ料理といわれてもあまりピンときませんが、やはりメインは牛肉です。

どうしても隣国アルゼンチンの陰に隠れてしまいますが、実は国民1人当たりの牛肉消費量は世界一とのこと。もっと世界に向けてアピールすればいいのに。

その後は気の向くままに旧市街を歩き回ってみますが、ところどころに停まっているクラシックカーが目を引きます。コロニアルな街並みとのセットはなんともフォトジェニック。

小ぢんまりとした素朴な街でそぞろ歩きにはもってこい。世界各国の観光地が旅行者であふれているこのご時世ですが、観光客の姿も少なく落ち着いて街歩きを楽しめます。大都会のブエノスアイレスから来たこともあり、癒しの街という表現がぴったりです。


やっぱり小ぢんまりとしたヨットハーバー


灯台からのパノラマを楽しむ

ウルグアイの国民性は、近隣諸国と比較すると温厚でのんびりしているとのことですが、この街を見てみると確かに納得です。けれどこんな人口300万人の小国がサッカーというステージになるとブラジルやアルゼンチンを平気で破ったりします。なんといってもこの国は、1930年の初代ワールドカップ開催国にして優勝国。今回残念ながらウルグアイサッカーに触れる機会がありませんでしたが、次回来るときはその強さの秘密を探ってみたいものです。


レストランに貼ってあった、色あせたサッカー代表選手の写真

<地球の裏側にあるもう一つの日本へ 日系移民の村・イグアス移住地>

グアイブラザーズのもう一つの国、パラグアイはブラジル、アルゼンチン、ボリビアに囲まれた内陸国。ツアーではなかなか行く機会が無い国ですが、有名なイグアスの滝からすぐ入国できます。


滝に見事な虹が架かる


イグアスのマスコット?ハナグマ。食べ物を見つけると奪ってくるのでご注意!

イグアスの滝から国境を越え、パラグアイのイグアス移住地へ。ここは知る人ぞ知る日系移民の村です。
南米で日系人が多く住む国といえばブラジルやペルーが有名ですが、パラグアイでも約8,000人の日系人がいます。国内各地に移住地がありますが、イグアス移住地は1961年に初めての移住者が移り住み、現在は約200世帯の日系人が暮らしています。


イグアス移住地のシンボル鳥居

到着すると、この日泊まるペンション園田のご主人園田さんが出迎えてくださり、さっそく村を案内して頂きました。


日系人が開拓した広大な農場

園田さんは幼少の頃ご家族でここに移り住んだ日系1世の方で、まさにイグアス移住地やパラグアイにおける日系人移住の歴史の生き証人といえる方。国内唯一という日本人移住史料館の館長さんでもあります。


移住の歴史を今に伝えたいという思いから、資料館ではなく史料館の字をあてている

パラグアイじゅうの日系人から寄付されたという資料を見学しながら、移住の歴史や生活の苦労話、移住地や日本・パラグアイ関係の現状等のお話をお伺いすることができました。

日系移民の方々の尽力もあり、日本とパラグアイの良好な関係は今も続いています。実はパラグアイの世界屈指の大豆輸出国であり、これは日系移民が取り入れた栽培方法によって生産量が大幅にアップしたことによるもの。皇族の方々も度々パラグアイを訪問されており、2016年にも日系人移住80周年を記念して眞子さまがイグアス移住地に立ち寄られたとのことです。
スポーツの面でも深い交流があり、ヤクルトで活躍した岡林洋一元投手はイグアス移住地出身の日系2世。逆にパラグアイは日本からのサッカー留学生を受け入れているそうで、ペンション園田にも留学生が立ち寄っていました。イグアス移住地をはじめ、パラグアイの各移住地と日系移民の方々が日本とパラグアイの架け橋を今でも担っているのです。
ちなみに日本とパラグアイの間の移住協定は今でも有効で、比較的簡単にパラグアイへ移住できるようですので興味がある方はいかがでしょうか。


人気のレストラン、白沢食堂で日本食を味わう


ペンション園田の朝食。温かい家庭料理が旅の疲れを癒してくれるはず!

園田さんの人柄の良さもあり、ペンション園田とイグアス移住地はバックパッカーに大人気で南米放浪中に一息つけるオアシスのような場所になっているようです。しかし観光地ではないため、ツアーで立ち寄ることはほとんどありません。けれども日本の裏側でも確かに根付いている日本文化を目にしたり、実際に日系人の方と交流したりすることで、彼らが日本の心を忘れることなくこの地で暮らしていることに気づきます。南米ののどかな田舎で日本を再発見することは、他ではできない特別な体験になるはずです。

<先住民文化が色濃く残るパラグアイ 世界遺産のトリニダー遺跡へ>

パラグアイという国は他の南米諸国に比べ、グアラニー人とよばれる先住民にルーツを持つ人々が多く、その文化が色濃く残っていることも特徴です。グアラニー語はスペイン語と並び公用語になっており、通貨の名前もグアラニー。パラグアイという国名自体がグアラニー語で「大河のある土地」又は「鳥の冠をかぶった人々の国」という意味だそうです。ちなみにウルグアイもグアラニー語で「ウルという鳥の飛ぶ川」の意味とのこと。イグアスは「大いなる水」という意味で、ブラジルやアルゼンチンではスペイン語化してIguazuと綴りますが、パラグアイではグアラニー語風にYguazúと綴ります。

世界遺産に登録された、先住民の歴史をたどることができるトリニダー遺跡も訪問しました。


イグアス移住地からの道のりでは見渡す限りの大平原が続く

ここでパラグアイが誇るソウルフード、もといソウルドリンク、マテ茶の登場です。これもグアラニー人から伝わる文化のひとつ。アルゼンチンやウルグアイでも見かけましたが、パラグアイ人のマテ茶愛はハンパないようでほとんどの人がいつもマテ茶セット一式を持っているようでした。


商店の棚一つを占領するマテ茶パック


有名なマテ茶生産地では巨大なマテ茶モニュメントが


途中のレストランにあった、フォトジェニックなマテ茶達

今回ガイドを担当していただいた園田さんの息子さんに、さっそくマテ茶道を伝授していただきました。もちろん車内にはマテ茶セット一式が積まれています。

マテ茶の種類もいろいろあるようで、今回はテレレという冷たいマテ茶をいただきました。器に茶葉を直接入れて水を注ぎ、漉しが入った金属製のストローで飲みます。複数人集まるとこれを回し飲みする習慣があり、ホストから器が回ってくるのでお茶を飲み切ってホストに返します。「ありがとう」と言うのがもう十分というサインで、言わない限りエンドレスに回ってくるのです。

このような文化を残しながらも、パラグアイは日本人をはじめ各国からの移住者を受け入れてきました。
トリニダー遺跡への道中、もう一つの日系人移住地ピラポに立ち寄ります。


スーパーで日系人店員さんに「Que tal?」(元気ですか?)と声を掛けられ不思議な気分になった


パラグアイは中国ではなく台湾と国交を結んでおり、商品も台湾製品が多い


立派な野球場も

日本人に限らずヨーロッパからも多くの移民が移り住み、現在もそれぞれのアイデンティティを保ちつつ暮らしているそうです。これにはアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイと戦った19世紀の三国戦争で、パラグアイ人の半分以上が亡くなったため政府が積極的に移民を呼び寄せたという悲しい歴史的背景があるとのことです。

イグアス移住地からランチ休憩をはさみ、約4時間でトリニダー遺跡に到着。


マテ茶セット一式をもって記念写真

ここはフランシスコ・ザビエルが所属していたことで有名なイエズス会が造った村「ミッション村」跡のひとつで、グアラニー人への布教を積極的に行っていました。中南米ではアステカ帝国やインカ帝国など、ヨーロッパ列強が先住民を攻撃、征服したイメージがありますが、ここではイエズス会士はグアラニー人と生活を共にし、強制労働や奴隷狩りから逃れたグアラニー人も積極的に受け入れたといわれています。


精密なレンガ造り建築が今も残る

スペイン本国によってイエズス会が南米大陸から追われ、遺跡も朽ち果てていきましたが、パラグアイが先住民の影響を色濃く残す国であり、また移民に寛容な国である一因をここで感じられる気がします。
人口構成や街並みがヨーロッパとほぼ変わらないアルゼンチンやウルグアイ、世界中からルーツを持ち様々なエリアの文化が混ざり合っているブラジル、そして先住民の文化を大切に受け継ぎ、各国からの移民もそれぞれのアイデンティティを保ちながら暮らすパラグアイ。やはり南米は広すぎる、そして魅力がありすぎる・・・!改めてそう感じた旅でした。

【スタッフおススメ度】

●ブエノスアイレス(アルゼンチン) ★★★★
華麗で重厚な建築物が並ぶ街並みは「南米のパリ」の異名にふさわしい。タンゴやサッカーなどエンターテイメントも盛りだくさん。

●リオデジャネイロ(ブラジル) ★★★★★
世界屈指の観光都市はやっぱり魅力たっぷり。ワールドカップやオリンピックのホストになったことで交通インフラも整っている。行くならぜひカーニバルの時期に!

●コロニアデルサクラメント(ウルグアイ) ★★★★
大都会ブエノスアイレスから来ると一息つける、小ぢんまりとした古都。世界遺産の旧市街を気の向くままに歩きまわりたい。

●イグアスの滝(ブラジル・アルゼンチン) ★★★★
説明不要の大絶景。びしょ濡れ覚悟で滝に突っ込むボートツアーがおすすめ!

●イグアス移住地(パラグアイ) ★★★★★
鳥居や農協、野球場などが南米ののどかな田舎で見られるのは何とも不思議な感覚。地球の裏側のもう一つの日本を見つける旅に。

●トリニダー遺跡(パラグアイ) ★★★
広大な平原に精密なレンガ建築や精巧な彫刻が残り、映画「ミッション」の舞台にもなった。近隣にある同様のミッション村跡、ヘスス遺跡とセットでの訪問がおすすめ。

2019年3月 伊藤

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