ヨーロッパでも日本人にとっては馴染みの薄い国?スロベニアとボスニア、クロアチアを旅してまいりました

ヨーロッパでも日本人にとっては馴染みの薄い国?スロベニアとボスニア、クロアチアを旅してまいりました


雨に濡れるドブロヴニク


プリトヴィツェ国立公園の紅葉

紅葉で輝く東欧3ヵ国に行ってまいりました。
3ヵ国は、スロベニアとクロアチアと、ボスニア・ヘルツェゴビナです。日本ではあまりお目にかからない大好きな落ち葉の匂いが、ホテルから一歩外へ出ればそこら中で香っておりました。

さてさて、3ヵ国の中でも日本人にとっては未知の国、スロベニアとボスニア・ヘルツェゴビナを主に紹介いたします。東欧の国なのでいずれも観光に向いているシーズンは夏かなと思いきや、秋も紅葉が美しくて大変おすすめです!ただしクロアチアの世界遺産の都市、ドブロヴニクの秋は天候にあまり恵まれないので注意が必要です。私が行ったときは台風並の強風が吹きロープウェーも休業していました。ただ、しとしと雨の降る旧市街も風情がありきれいですよ。


荒れるアドリア海

<スロベニア>
スロベニアで訪れたのはブレッド湖です。ブレッド湖は首都のリュブリャナから、バスで1時間30分ほど離れたところにあります。絵画のように美しい場所というのは、世界中の至るところにありますが、ここブレッド湖はその表現がまさに説得力をもって響いてくる場所です。
その理由は、ブレッド湖に浮かぶ小島にあるでしょう。小島には、17世紀に建てられた教会が建ち、その景色を特徴づけています。観光用に建てたのかと思うほど(違います)、その景色は完璧で、まるで幼い頃に読んだおとぎ話の中にいるようです。

湖は周囲6Kmほどと、それほど大きくないので、ゆっくり歩いて2時間ほどで一周できる遊歩道が湖岸沿いに整備されています。私はゆっくりと半周しました。幸いお天気に恵まれ、湖面には青空が映り、紅葉した木々が山を彩って本当の絵画のようでした。


小島遠景


遊歩道

ブレッド湖に訪れたなら、湖に浮かぶ小島に上陸したい!と思うのは自然なことでしょう。上陸できます。手段としては手漕ぎボートか、乗合いボート、または電動ボートがあります。乗合いボートは人数が集まれば出発します。私も小島に渡りたく、ほどよい人数のいる乗合いボートがいないか湖畔を散歩しながら探していたのですがなかなか恵まれず、お客のいない眠そうな船頭さんしか見かけなかったので、よっぽど手漕ぎボートで渡ってやろうかと思いました。手漕ぎボートも楽しそうでしたが、小島は湖の真ん中にあるわけではないので、スタート地点を間違えるとかなりの距離を漕ぐことになり、自分がいた地点から往復ということを考えると断念したのでした。そうこうしている間に乗合ボートのところに韓国人の団体がおしよせ、運よく一緒にいそいそと乗合いボートに乗り込むことができました。シーズンオフのときは、小島に上陸するのに苦労するかもしれません。

船頭はおじいさんで、途中からかなりスピードが落ちます。せっかちな関西人(私)は代わってあげたくなるほどでしたが、まぁでも特に急いでいるわけではないので、日向ぼっこをしながらのんびり辛抱強くどんぶらこどんぶらこ。
小島に建つ教会の中の鐘をつくと、幸せになるそう。一緒のボートに乗って上陸した韓国人の団体が、長蛇の列をなして鐘をつきまくっていました。ついていい鐘があるとつきたくなるのは万国共通。皆に紛れてしまうとご利益(?)が少なくなりそうな気がしたので、あとからこっそりついてきました。なんまんだーぶー。
教会の他には売店やちょっとしたカフェがありました。


乗合ボート


教会

ブレッド湖のほとりにはブレッド城が建っており、そこもブレッド湖のみどころの1つです。断崖の上に建つブレッド城は、お城の横からちょっとした山道を登っていくとそびえたっています。山道を登り切ったところには駐車場があり、車で訪れることもできます。ブレッド城からのブレッド湖の眺めも格別で、時間があれば城壁沿いに湖を眺められるカフェがあるので、そこでゆっくりとお茶をしたいものです。この街は良い意味で派手さがなく、全体的にゆっくりとしたい街です。湖から離れて少し散歩をしても、のんびりとした雰囲気に心が静まります。


ブレッド城


ブレッド城までの山道


ブレッド城からの眺め(曇り)

<ボスニア・ヘルツェゴビナ>
「ボスニア・ヘルツェゴビナ」・・・学校の世界史で一度は聴く国名ですが、第一次世界大戦が始まるきっかけになった場所、90年代は紛争があった場所、などと少々物騒なイメージがあるかもしれません。詳細は省きますが、歴史を少しだけ。
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もともとボスニア・ヘルツェゴビナは、「ユーゴスラビア」という連邦国家の一部として平和に暮らしておりました。ところがその多民族・多宗教のユーゴスラビアを見事に統治していたカリスマ大統領のチトー大統領が1980年に亡くなったことにより、ユーゴスラビア内の各地で独立運動や民族間の対立が起こり始めます。ボスニア・ヘルツェゴビナではそれまで共存していたセルビア人とクロアチア人、ムスリム(ボシュニャク)人が対立し、1992年から1995年まで激しい内戦が行われました。
国と国との戦争ではなく、一国の中で戦争を行うということは、昨日まで隣人として仲良くしていた人が敵になるということですから、この内戦は凄惨を極めました。「民族浄化」という言葉が生まれたのも、この紛争からです。
紛争からはすでに20年が経過しましたが、街に建つ多くのビルには、銃弾の跡が残ったままになっています。
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ボスニア・ヘルツェゴビナへは車で、クロアチアのドブロヴニクからモスタルという小さな村経由で向かいました。
ドブロヴニクからモスタルへは車で3時間ほど。道中は車のCMに使われそうな曲がりくねった美しい海岸線をドライブです。
モスタルには有名な橋があります。スターリ・モストという橋ですが、モスタルはこの橋を中心に発展してきたといわれています。クロアチアの街並みはヨーロッパ色が強いですが、モスタルではオスマン朝時代の影響が色濃く残っており、オリエントな雰囲気が漂います。橋の周辺はバザールになっており、お土産やレストランが立ち並びます。モスクもあり、ミナレットがいくつか見られます。
この美しい橋も紛争中の1993年に破壊されてしまい、ユネスコの協力で2004年に復元されたそう。橋のたもとには「93年を忘れない」というモニュメント?が置いてあります。


モスタルの街並み


スターリ・モスト


DON’T FORGET ‘93

さて、首都のサラエボです。
サラエボの旧市街はかなり!面白いです。旧市街では赤レンガの古い家屋が軒を連ね、水たばこやトルコ様式食器が売られていたり、伝統的な喫茶店やレストランも所狭しと並びます。モスクもあります。旧市街は広くはなく、ゆっくり歩いて見て周っても1時間もかからないでしょう。気に入ったカフェでボスニアコーヒーなどいただきたいものです。
一方、旧市街から離れて5分も歩かないうちに線を引いたように街の様子が変わり、近代的なスーパーマーケットや教会、ファストフード店が並んでいて、私たちを驚かせます。また、そこからごく近いところにセルビア正教会の建物もあります。セルビアでは、狭い範囲で多宗教が共存しているのです。
街を歩いていて、ムスリムのマントを被った女性と洋服を着た女性が仲よさそうに連れ立って歩くのを頻繁に見かけました。


旧市街


コーヒー店


夕暮れの旧市街


教会


新市街


美しい街並み


今も残る銃痕

空港の近くに、1993年の紛争時に造られたトンネルの一部を公開している博物館があります。当時のサラエボは、ユーゴスラビア軍に包囲されて孤立していましたが、このトンネルがあったおかげで、他のボスニア軍が占領している地域と結ばれ、物資の輸送を行うことができました。全長は800mありましたがそのうち25mが公開され、見学することができます。
サラエボには紛争の歴史をつたえる施設がその他、市内にも歴史博物館、国立博物館をはじめ民間のギャラリーもあるので、ぜひ一度は訪れてみることをおすすめします。
私は偶然みつけた民間のギャラリーを覗いたのですが、戦争で亡くなった方の持ち物やパネル写真が展示されていました。大学で国際政治学を学んでいたので、もともと興味のあることでもあり、帰国後に詳しく調べたり、この紛争をテーマにした映画などを探して観ています。

いずれの三国も紅葉が綺麗で、青空が澄んでいました。戦争はなくなるものではないですが、何とか哀しみを少しでも減らせる手立てはないものかと、考えてしまう旅でありました。

スタッフおすすめ度
ブレッド湖★★★★:おとぎ話のような現実世界。湖面にうつる教会は見とれます
モスタル★★★★★:橋を中心に成り立つ美しい村。ヨーロッパなのにオリエントな雰囲気
サラエボ★★★★★:深く考えさせられる共存国家。

2018年12月 楠本

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