◆ドラキュラの国ルーマニアと文化交錯の地ブルガリア◆2か国周遊の旅

◆ドラキュラの国ルーマニアと文化交錯の地ブルガリア◆2か国周遊の旅

トラキア人の墳墓

はじまりはトラキアから。
ブルガリアのその地にはトラキア人が住み、ルーマニアにはトラキア人から派生したダキア人が住んでいました。
その後ローマの植民地化が進み、ローマ人とダキア人の混血の結果、今のルーマニア人となりました。「Romania」は「ローマ人の国」からきています。
両国ともにイスラム教を国教とするオスマン・トルコに支配された時代を経て、その後はソ連の衛星国の一つとなり共産党政権が続きました。共産党政権が崩壊し、ようやくEUに加盟したのはつい10年前の2007年。
ブルガリアを訪れて、これまでいろんな国に支配されてきた歴史を垣間見ることが出来ました。

ソフィアの街に立つ旧共産党本部

イスラム教全盛期に建てれたモスク バージャ・バシ・ジーミャ


モスクから隠れるかのように、地下からぽっこりと頭をだす聖ペトカ地下教会

ロシアのクーポラをもつアレクサンダル・ネフスキー寺院

これらの写真はすべてソフィアの町中で、500m圏内くらいにこの全てが点在しています。
私はこれまで西ヨーロッパはたくさん訪れたことがありましたが、この国では私が抱いていたヨーロッパの町のイメージとはひと味違う、不思議な感覚を抱きました。
ブルガリアと聞いて、恥ずかしながらヨーグルトしか思い浮かばなかった私。
いやいや、ヨーグルトなんて言ってる場合じゃない。そこは平和とは言えないものの長い深い歴史をもち、新たな国をスタートさせようとしている素晴らしい国でした。
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今回の旅はルーマニアのブカレストからスタート。
まず訪れたのが、ブカレストから電車で約5時間半。街自体が世界遺産となっているシギショアラです。シギショアラの旧市街は丘の上にあります。そのため、駅から旧市街までは、大きい荷物があると登っていくのはかなり大変。今回私は前後にブカレスト泊だった
ので、大きい荷物はブカレストのホテルに預け1泊分の荷物で身軽に来ることができましたが、そうでない場合はタクシー利用がおすすめ。(駅の前にはたくさんのタクシーが並んでいました。)
旧市街まで徒歩で行く場合は、途中黒いドームの正教会を見ることができます。

正教会

正教会から橋を渡り、丘の上まで上っていくと、パステルカラーのお家が並んだ可愛らしい町が迎えてくれます。

赤い花が映える

旧市街のランドマークとなっているのが、当初壁に囲まれた旧市街の正門となっていたという時計塔。

時計塔の上からは、レンガ色の屋根とパステルカラーの家が建ち並ぶ旧市街を見渡すことができます。




町の南には、なにやら黒いトンネルが。

トンネルの中の階段を上っていくと、その先には教会があります。教会の入り口には片言の日本語を話すおじさんが日本語で書かれた説明文を渡してくれました。

山上教会


地下にはお墓がある

シギショアラから足を延ばして、ビエルタンへ。ここには世界遺産に登録されている要塞教会があります。

ビエルタンの要塞教会

教会から望むビエルタンの町

オスマン・トルコからの攻撃を受けていた時代に建てられたこの教会。この地域の要塞教会のなかでも最も頑丈に作られています。
他の要塞教会の比ではないほど厚く、高く作られた三重の防壁、お金や貴重品が収納されていた聖器室のドアにつけられた19錠もの鍵。そこからは、当時の外的からのプレッシャーの強さをひしひしと感じることができます。

聖器室に絶対に辿り着けないように付けられた19錠の鍵

トルコ兵も驚いたであろう三重の防壁

また、面白かったのが離婚を希望する夫婦のために作られた部屋。

離婚を希望したカップルを、この狭い部屋で数か月間2人きりで生活をさせたそう。拷問のようだが、2人で共同生活をすることによりほとんどのカップルは仲良くなり、その後別れたカップルはほとんどいなかったとか。なんて画期的…。
次に訪れたのが、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』の舞台となったブラン城。

社会主義国になった1960年代に早くも観光開発がスタートしたほど、この国にとってドラキュラの威光は大きいものでした。この日も世界各国からの旅行客で小さなお城はギシギシと音を立て賑わっていました。

1920年から約30年の間、王宮の夏の離宮として使われていたこともあるこのお城。そのおどろおどろしい城の佇まいとは裏腹に、城内は拍子抜けするほど小綺麗にまとまっていて、また当時の高価な家具や調度品がそのまま残され、皇室御用達の雰囲気が色濃く残っています。

上の階はドラキュラの博物館になっています。]

ヴラド・ツェペシュの肖像画

ルーマニアでの最終日、少し時間があったのでブカレストの市内を散策。
市内は地下鉄で周ることができます。

券売機ではクレジットカードが使用可能

まずは旧市街へ。朝の10時でも、お店はまだ開店前で人通りも少ない。

レストランやたくさんのお店が立ち並ぶ街並みからは、不自然なほどに古くて小さな教会が突如として現れます。

スタブロポレオス教会

繊細な彫刻が施されているドア


ここはブカレストで最も古い教会の一つ。教会内は撮影禁止だったので写真には残っていませんが、中のフレスコ画は思わず声を上げてしまうほどの美しさ。
このブカレストの町は、平行に走っているヴィクトリア通りとマゲル通りの2本がメイン。マゲル通りは高級ホテルやレストラン、カフェ、露天などがたくさん立ち並び、今のブカレストの心臓部ともいえる繁華街となっています。対して、ヴィクトリア通りはブカレストで一番長い通りであると共に、最も歴史のある古い通り。ブカレストの空港から町の中心へは、そのヴィクトリア通りに繋がる1本道をずーっと南下してきます。そのときに必ず通るのが凱旋門。

かつて「バルカンの小パリ」と呼ばれていたブカレスト。これは第一次世界大戦の勝利を記念して建てられたもの。
そして、ブカレストで圧倒的な存在感を放っているのが国民の館。これを見ずにブカレストを通り過ぎることはできません。

国民の館

ルーマニアから陸路で国教を超えてブルガリアへ。

ここからキリル文字に変わる

国境を過ぎたところで両替所があります。ルーマニアの通貨レイから、ブルガリアの通貨レヴァに替えることも、もちろんユーロからレヴァに替えることもできますが、日本円からの両替はできません。ここはレートが良くないので最小限だけ両替をすることに。
まず向かったのが岩の上にひっそりと建つイヴァノボ石窟寺院。ここは世界遺産にも登録されています。

え、ここが世界遺産?と疑ってしまうくらい小さな入り口。

腰を屈めて中へ。入って納得。そこにはその外観からは想像できないほど、素晴らしいフレスコ画が残っていました。

13~14世紀に描かれたフレスコ画がここまで綺麗に残っているのはすごい。ここで、中世の修道士たちは隠遁生活を送っていたそう。
今回、私はヴェリコタルノボで2泊しました。ヴェリコタルノボはかつて第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた都市。
旧市街からは1本、メインストリートがのびています。
東に向かって歩いていると、サモヴォドスカ・チャルシャという職人街があります。チャルシャは市場の意味で、古くから営業を続ける金銀細工、陶器、織物、革製品、木彫り、絵画などの小さな店が軒を連ねていて、実際に働く職人さんを見ることもできます。

サモヴォドスカ・チャルシャ

木彫り職人さんの工房



その職人さんたち手作りのものや、お土産屋さんもたくさん並んでいるので、お土産はここで揃ってしまいます。
さらにその道をひたすら進むと、視界がぱあっと開け、ツァレヴェッツの丘が目の前に現れます。

チケットを買って、丘に入ります。


丘の上に建っているのは大主教区教会。

内部の絵画は圧巻

丘の上からは、ヴェリコタルノボの旧市街が一望できます。

ガイドブックで、このツァレヴェッツの丘では団体の観光客が希望した時にだけ行われる音と光のショーがある、というのを読み、気になってHPをチェック。すると、運良くも翌日の夜このショーが催行予定になっていました。即決でチケットを購入。2泊していて良かった…
丘の向かいに建つ大聖堂の裏にこのショーのための小屋があり、チケットを買うとここからショーを見ることができます。

その日は1日中しとしとと雨が降っていたので、催行されるのか少し心配していましたが、ちょうどショーが始まる頃には雨も止んでくれました。
時間になると音楽が流れ始め、その音楽に合わせて赤・青・黄・緑の光に丘全体が包まれ、表情を変えていきます。丘全体を使った光のショーなんて始めてで、期待以上に見応えがありました。



催行日時は本当にまちまちなので、ヴェリコタルノボに宿泊する際は是非観光案内所のサイトでこのショーの催行の有無の確認を!
チケットがなくても、丘全体が光に包まれるので、遠くからでも見ることはできます。

夜の大聖堂

ブルガリアの締めくくりは、今回の旅でも最も楽しみにしていたリラの僧院。

ここはブルガリア正教の総本山。城壁を兼ねる僧院にぐるりと取り囲まれた姿は要塞のようですが、その教会は白黒と紅白のストライプが特徴的で、なんだかポップで可愛らしくもみえます。他にはない不思議な空間。
修道士イヴァン・リルスキーが、ここで隠遁生活を始め、小さな寺院を建立。そこへ全国から信者達が集まり始め、14世紀には、ブルガリアの宗教と文化の中心地となっていったのだそう。
14世紀末から約500年もの間、ブルガリアはオスマン・トルコの支配下にあり、キリスト教もブルガリア語も禁止されていたのですが、この修道院だけは、ブルガリア正教の総本山としてブルガリア人の誇りと信仰が許されていたのだとか。
18~19世紀、オスマン帝国がロシアとの戦争に敗れたことの余波を受け、リラ修道院は度重なる襲撃を受け、1833年ほとんどの建物が破壊されてしまいました。そんな中でも、唯一破壊を免れたのがフレリョの塔。

今でも14世紀に建てられた当時そのままに残っています。
天井、壁、柱、ドーム、を隙間なく埋め尽くすフレスコ画は圧巻。教会内は撮影が禁止だったので、写真は柱廊部分のみ。



この僧院の中には歴史博物館があり、そこに納められている「ラファエロの十字架」は必見。高さ50~60cmの木製の十字架で、その中に140の聖書の場面と共に、1500人もの人が彫り込まれているのです。これは表だけじゃなく、裏にも同じように別の場面が細かく彫られています。ラファエロは12年もの歳月をかけて小さな刃でこれを作り、完成したときには視力を失っていたそうです。
この十字架に彫られている一つ一つの場面が精密すぎて、何時間でも眺めていられるほど圧巻でした。(これも残念ながら写真はありません。)
天井のタマネギ型ドームはロシアでよく見られるクーポラ、アーチを多用した造りは中東でよく見られるイスラム建築、壁のストライプはイタリアなど南ヨーロッパによくある柄。
ソフィアの街で私が感じたロシア、南ヨーロッパ、中東の文化が複雑に交錯して作られたブルガリアの独特な文化を、ここでも感じることができました。

<スタッフおすすめ度>
・シギショアラ ★★★★ パステルカラーの街並みはとてもフォトジェニック。
・ビエルタン ★★★ 頑丈にできた要塞教会は見応えあり
・ヴェリコ・タルノボ ★★★★ ツァレヴェッツの丘の光と音のショーは観光案内所のサイトで要チェック!
・リラの僧院 ★★★★★ そのフレスコ画とラファエロの十字架は必見です。
(2017年10月  池田郁依)
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