今回トルコとポルトガルに行ってきました。
メインはポルトガルなのですが、ポルトガルへのアクセスが最も便利な航空会社はトルコ航空なのでせっかくなら、ということでトルコにも行ってきました。
私、トルコは2回目なのですが、妻は初めてです。私もトルコに行ったのはすでに8年前なので、忘れている部分もあると思いますし、どのように変わっているか、また以前には訪れなかった観光箇所にも行くので楽しみです。それに治安面に関して、特にトルコは空港でのテロやナイトクラブの襲撃事件など記憶に新しいですが、その後どのような雰囲気なのかを見るのも目的です。
ポルトガルは初めてです。ポルトガルについては良い評判しか聞いたことがないので前々から行きたいと思っていました。以前私のお客様でポルトガルのことを「イタリアとスペインの良いところだけをとったような国」と形容されていました。どうですかこの殺し文句(?)、興味が湧きません?イタリアやスペインだけでも素晴らしい国なのに、それら2つの国の良いところだけを凝縮したような国が存在するの、って。そんな国があったら自分にとってはパラダイスだなぁと思い、期待に胸を膨らませ今回の旅に出発しました。
行程は下記の通りです。
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5月6日 夜行便でイスタンブールへ
5月7日 イスタンブール観光後カッパドキアへ
5月8日 カッパドキア観光
5月9日 イスタンブール乗り継ぎでリスボンへ
5月10日 リスボン1日観光
5月11日 専用車でロカ岬、シントラ経由、オビドスへ
5月12日 専用車でナザレ、バターリャ経由でコインブラへ、その後列車でポルトへ
5月13日 午後ポルト発のターキッシュエアラインで日本へ出発
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◆◆5月6日 久々のターキッシュエアライン◆◆
仕事を終えて、東京駅前からバスで成田へ
成田到着時間は20:30。出発時間は22:30だが30分早まって22:00出発に変更になっていた(いつものことらしい)。夜9時近くの成田第1ターミナルは同じフロアには他のエアラインの出発はないようで静かだった。出発から1時間前近くになっても比較的長い列がカウンターにできていた。これで22時に出発できるんかいな、と思ったが他に出国審査や荷物検査を受ける人が多くはないのでチェックイン後はスムーズにゲートまで移動できたのだった。
ひさびさのTK。350人近く収容できるだけであってかなり広々した機内。配列は3−3−3。黒と赤が基調のちょっとシックで高級感が漂う雰囲気である。最近世界中のエアラインが力を入れている機内安全ビデオもなかなか面白い。機内エンターテインメントは邦画が少ないように感じたが、新作はもとより旧作映画ラインナップが素晴らしい。なかなか機上で見ることがない黒沢明の映画(乱)があったので思わず見入ってしまった。
近年はお世辞にも順風満帆とは言えないトルコ及びその周辺の国の観光事情。大阪からの撤退、東京も昼便の撤退はあったものの昨年夏から777に大型化して未だデイリーで運行しているのは我々旅行会社からしたら大変心強く、ありがたいことである。中東エリアはもちろん、ヨーロッパの主要都市からシチリア島やアンダルシアまでのマイナーな空港や地方日本人のメインの観光都市からは『辺境』と言われそうなアルバニアやコソボなど様々なデスティネーションへ1回の乗り継ぎで行けるのが大変魅力だ。こんな状況だけど中近東に行きたいお客さんの期待に100%以上応えてくれるターキッシュエアライン。我々もそんな旅行会社でありたいものです。
◆◆5月7日 イスタンブールにて乗り継ぎと観光◆◆
予定通りイスタンブールに到着。当たり前と言えば当たり前かもしれないが、約1年前にこの空港にて事件があったことなんて信じられないくらい普通の綺麗な空港。
飛行機を降りてしばらく空港を進むと乗り継ぎの人向けのレーンがある。今回はトルコに入国するのでそれを素通りして、トルコ入国のレーンへ。トルコ入国のレーンはトルコ国籍とそれ以外の2つに分かれていた。
入国審査は本当に簡単。パスポート見せるだけ。入国カードなどの一切の手続きなし。それに乗り継ぎであれば成田にて預けた荷物は引き取らなくてもいいのが楽。他の国ならトランジットの入国の場合は荷物を引き取らないといけなかったり、つらつらと質問されたりするが面倒。これなら「イスタンブールトランジットの間に観光すっか!」という気分になる。
空港の税関を抜けてこの日の空港アシスタントのロックマン?さんと合流(ロックマンと聞こえたのだが間違えていたらすいません)。そのパックマン、いやロックマンさんに空港で両替した方がいいかどうか確認したのだが、旧市街で両替した方がレートはいいよとのことだったので、とりあえず旧市街へ向かうことに。空港から旧市街は渋滞がなければ約30分。
さすがにまだ朝6時だけあって街は暗い。ロックマンさんにブルーモスクが見えるところで朝食食べるにはどこがいい?早朝から観光できるところは?など質問した。
到着したのはフェフミイベイ。弊社がよく使うホテルの一つである。
<<フェフミイベイ>>
旧市街のど真ん中、古代競技場すぐそばのプチホテル。通りに面しているホテルエントランスの大きな窓には品の良い伝統衣装のドレスが飾られているためか、知らない人はここのことを洋品店か何かのブティックに思うのではないだろうか。なんだか洒落ている。フロントには日本の雑誌「ブルータス」の切り抜きを額縁に入れて飾っている。「イスタンブールに泊まるならここ、厳選5つの宿」的な特集でそのホテルの1つとして数えられたようだ。と言っても97年の雑誌だったが。。。ホテルのスタッフも感じよく、朝の時間まで半日使わせてくれるとのことだったので早速チェックイン。室内はエントランスのしゃれた感じはなくいたって普通のホテル。室内にはテレビ、冷蔵庫、ドライヤー、セーフティーボックス、バスタブが備わっていた。WIFIの電波はあるものの正しいパスワードを入力しても室内では利用できなかった。何か技術的な問題があるのかもしれない。ちなみにフロントでは利用できた。
朝食は朝8時から屋上で。このレストランの眺望がなかなか良い。ホテルは高台に位置しているので南はマルマラ湾のパノラマが、北にはブルーモスクの壮麗な景色が見渡せる。部屋は今ひとつだがこの景色を毎食の時に見られるだけでイスタンブールにきてよかったなぁと思わせてくれるだろう。ちなみに朝食は品数少ないもののなかなかコーヒーが美味しいし、パニーニをつくる機械があってそれで自作のパニーニをつくるなどして楽しんだ。
フェフミイベイで朝食の後は、もっとブルーモスクの眺望が見たいと思い、セブンヒルズホテルへ。
■■ブルーモスクの見えるテラスで優雅な食事をするなら・・・■■
フェフミイベイホテルから徒歩10分、散歩がてらにセブンヒルズへ。
セブンヒルズはスルタンアフメット地区、日本で言えば赤坂や青山的な閑静な高級住宅街。ここ位置するプチホテルがセブンヒルズ。この屋上のテラス席が格別なのだ。
セブンヒルズのフロントで「お茶だけしたいんだけど」と聞くと宿泊客じゃないにも関わらず快く屋上へ通してくれた。
屋上へは最上階の階段から。レストランに到着すると気だるそうなお姉さんが食事?それともドリンク?と聞いてきた。私は迷わずドリンクと答える。OK、飲み物は何にするチャイやコーヒー、ソフトドリンク色々あるけど。私たちは一番やすそうなチャイをいただくことにした。チャイを持って、レストラン内の階段を登りテラス席へ。フェフミイベイのテラスも素敵だったが、セブンヒルズと比べれば大きく隔たりがある。なんと言ってもイスタンブールでもっともフォトジェニックな建物であるブルーモスクがすぐそこにあるのだから。このブルーモスクとの距離感が絶妙。近すぎず遠すぎず。あまり近すぎるとブルーモスクの壮大さが伝わらないし、遠すぎてもブルーモスクが際立たない。それにブルーモスクだけでなく、アヤソフィアも同様に絶妙な角度から眺められるのが素晴らしい。この2つの壮麗な建築物に囲まれたひと時はこの上ない贅沢な時間だ、
私たちがレストランに支払ったのは2つのチャイの料金12リラ(400円くらい)のみ。そんなに安くこんな素敵な眺望を楽しんでいいのだろうか。なんか罪悪感すら覚える。セブンヒルズには泊まる予算はないけど天気のいい日のテラスでブルーモスクを見ながらお茶したい!という方には絶対的にオススメ。
■■イスタンブール市内観光~久しぶりの再会~■■
朝9時にホテルのロビーで集合。セブンヒルズでお茶していたため少し遅れてしまったが嫌な顔せずに出迎えてくれたのはバシャックさん。バシャックさんは私の顔を見るやいなや「あっ」という顔をする。それに対し私も「あっ」という顔をした。というのは8年前に私が初めてイスタンブールの観光を案内してくれたのもバシャックさんだった。久しぶりだねぇという話をして早速観光へ出発。
古代競技場…
ローマ帝国時代の西暦200年頃建造が始まり、203年には最初の戦車レースが行われ、コンスタンチノープル遷都後にはさらに拡張され、全長400m・幅120m、およそ10万人もの観客を収容していた大競技場である。しかし実際歩いても「ここが大競技場ぉ・・・?」。ピンとこない。モヤモヤしたまま次の観光地のアヤソフィアへ。アヤソフィアに当時の様子を絵に起こした資料があるのでそれを見ると「なるほど」と理解できる。
アヤソフィア…
アヤソフィアが最初に建設されたのはビザンチン時代の360年、当初は小さなキリスト教の教会だったが1453年にコンスタンチノープルを制圧したメフメット2世がここでを最初のモスクとした。トルコ共和国が成立した1931年以降はアメリカの協力によりビザンチン時代の栄華を物語る美しいモザイク画の修復を行い、現在はビザンチン時代からオスマン朝時代への歴史の変遷、並びに今日のトルコの歴史を伝えるための貴重な博物館となっている。ガイドさんと行くことでチケットの購入も並ばなくて良いので、効率よく周りたい方はガイド付きのツアーがおすすめ。
エジプシャンバザール…
日曜日はグランドバザールがお休みのために立ち寄ったエジプシャンバザール。しかし侮るなかれ。ここだけの話、グランドバザールは特に観光地されており値段も高く、質もイマイチ。それに対してエジプシャンバザールはローカルの人も訪れるほどで質がよく値段も良心的。店舗数はグランドバザールの方が上だが、地元の人々の普段使いのスパイスや日用品を多く扱っているためお土産探しとしてはこちらの方がおすすめかも。私たちは酒のつまみのためにピスタチオやミックスナッツ、お茶などを大量購入。店のお兄さんにカラスミもどう?と勧められ味見もしたが(美味しい!)さすがに買いすぎだろう、ということで断念した。
ボスポラス海峡クルーズ…
エジプシャンバザールを抜けてガラタ橋のたもとへ。エジプシャンバザールからこのクルーズ乗り場への道は観光客で大混雑。イスタンブールで一番賑わいのある場所といってもいいかもしれない。ガイドのバシャックさんが代表して切符を購入。12:05出港のチケットを購入。あと3分くらいしかないけど、大丈夫。我々が船に乗り込むとすぐに出発。
クルーズのフロアはアッパーとロウアーデッキの2階建。最初はアッパーデッキの方が混んでいるんだけど、皆寒いのでどんどん下に降りてくる。所要時間は約1時間半、ボスポラス海峡の大きな橋の2つ目「ファティフ・スルタン・メフメット大橋」を折り返して戻ってきて終了。往路はヨーロッパ側、復路はアジア側によってクルーズしてくれるので往路とも楽しめる。初代大統領アタテュルクの官邸だったドルマバフチェ宮殿やチュラーン宮殿を改装したケンピンスキーホテルの壮麗な建物群。オスマン朝のメフメット2世がコンスタンチノープル攻略のために気づいた砦・ルメリヒサールも必見だ。2017年の襲撃が記憶に新しいナイトクラブ「レイナ」もボスポラス海峡沿いにある。また現在は海上レストランとして使われている乙女の塔の間近を横切ってくれる。実際こうしてボスポラス海峡をクルーズしているとイスタンブールは旧市街だけでないのだなぁ、と思う。またくる機会があったら新市街やアジア側の方にもじっくり足を伸ばしてみたい。
サバサンド…
クルーズを降りて歩いていると、エミノニュ桟橋付近にもくもくと煙を上げている賑やかな小さな食堂をいくつか目にするはず。ここがサバサンドの屋台。どんどん人が入れ替わり立ち替わりで人が絶えない。サバサンドは10リラで安くはないが、ボリュームたっぷり。焼きたてのサバをフランスパンに挟んでくれる。焼き立てのサバを挟んでくれるので熱々・ジューシー。テーブルには塩やレモン汁が置いてあるので自分でお好みの味に調整していただく。テーブルで食べているとウエットティッシュやジュースなどの売り込みがたくさんくるので本当に騒がしい!ゆっくり食事はできないけどイスタンブールの活気を楽しみたい方には最適な場所である。
念願のトルコアイス…
現地ではドンドゥルマと呼ばれるトルコ名物の伸びるアイス。以前来た時は冬だったのでドンドゥルマ屋さんの屋台がなくて、今度きた時は絶対食べたいと思っていた。このトルコアイス、料金は大きさによってまちまちだが、5リラ前後。しかし5リラ以上の価値は絶対あるといってもいいだろう。というのはそのパフォーマンスがすごい。トルコアイスの弾力性を活かして、アイスを上に下に縦横無尽。口の前に差し出されたとしたらくるっと半回転。「アイスが落ちちゃう」とこちらはドキッとするのだが、これもパフォーマンスの一つ。このショーだけでお金払った価値があったわ〜。もちろん味は美味しい。
■■カイセリ空港到着…ところで荷物は??■■
市内観光終了後、フェフミイベイホテルに戻って預けた荷物を受け取り。バシャックさんとはここでお別れ。
パックマン、いやロックマンさんの迎えを待ち空港へ出発。
イスタンブール到着時と違い空港への道はイベントがあるらしく渋滞していた。そのため通常30分くらいの道のりが45分くらいはかかったように思う。
空港に到着。まず建物の前で荷物検査を受けて空港内へ。すでにカイセリ行きの搭乗券は成田で受け取っているのでそのまま出発ゲートへ、ここで2度目の再度荷物検査を受ける。
国内線のターミナルとは言え、空港内のお店やカフェは充実。我々はスターバックスでアイスコーヒーを飲みながら出発時刻まで待った。ほとんど定刻通りに搭乗が始まりバスから機体へ
イスタンブールからカイセリまでは1時間ちょっとのフライト。食事などは出ないだろうと思っていたがパニーニのような温かいサンドイッチとドリンクが出た。ありがたい。
カイセリ空港到着。ラゲージクレームにて成田で預けた荷物を待つが一向に出てこない。そうしているうちにバゲージをまわしている回転ベルトが止まってしまった。もしかしてロストバゲージ?
いやそんなことはない。トランジット時間が短すぎるならともかく長すぎるほどのトランジットなのになくなることはないだろう。ここではたと気付く。カイセリ空港が初めて荷物が到着する空港だから免税手続きを受けないといけないはず、つまりカイセリ空港の国際線ターミナルに荷物は流れているのではないか?予想はビンゴ。最初は気づかなかったが国内線到着ホールの建物の隣に国際線のアライバルホールがあったようだ。案の定、国際線のアライバルに荷物ながれていた。荷物を受け取って税関を抜けたがガイドはいない。国内線到着ターミナルにいるのだろうと察しがついた。
ガイドもそれに気づいたようでこちらに向かってくる。無事ミーティング。
しかしよく顔を見てみるとなんだか見覚えがある。8年前にアンタルヤでドライバーとして一緒に仕事をしてくれたスタッフのトラさんだ。なんたる偶然。思わずハグ。今回の旅は嬉しい再会の連続だなぁ。8年前の時は英語ガイドとして働いていたそうだが、今は日本語をマスターして、日本語ガイドの資格を取ったそうだ、今はスペイン語も勉強しているんだと。すごい努力家。
カイセリ空港からカッパドキアのホテルのあるギョレメ地区までは約1時間。
この日宿泊するカッパドキアケイブスイートに到着。
<<カッパドキアケイブスイート>>
ギョレメの村、丘の中腹にあるラグジュアリー洞窟ホテル。カッパドキアの街の中でも最も賑やかなギョレメ地区、中心部までも徒歩で5分かからないくらいの立地。朝食のレストランのテラスからの景色も素晴らしいので、自分で色々散策したいアクティブなカップルや夫婦におすすめ。室内にはスリッパ、テレビ、ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックス、無料のWIFI(速度良好)、バスタブ(一部?)あり。シックというよりもどちらかというと可愛いらしい感じ。欧米系の客にはウケないかもしれないが、豪華ホテルにもかかわらずフレンドリーな雰囲気。
この日は歩いてギョレメの街で夕食。すでに夜の8時くらいだったのでレストランに入る前に晩酌用のカッパドキアワインを購入。メルローの赤ワイン、40リラ(1500円くらい)。日本で飲めないカッパドキアワイン。ここで呑まねばどこで飲む。
レストランはホテルと現地ガイドのトラさんおすすめの『ワンウェイ』。
トルコ料理はもちろん、欧米料理(パスタやサンドイッチ)、アルコールも出してくれる比較的安価で、万人にオススメできるカッパドキアの居酒屋、ファミレスみたいな存在だ。私はシシケバブ、妻はチキンの壷焼きをオーダー。壷焼きというのはカッパドキアの地方の名産の土器の中に野菜や肉、スープを詰め込んで直火で蒸し焼きする料理法だ。食べる時には壺をトンカチ割って中身を皿にあける。よく蒸されているので中身はホクホクで美味しい。イスタンブールよりも肌寒いカッパドキアにぴったりの料理である。地元バンドの演奏の生演奏が聞けるのもいい。
食事の後は結局ワイン1杯しか飲めず寝てしまった。
◆◆5月8日 カッパドキア滞在◆◆
残念ながらこの日予約を入れていたバルーンフライトは催行なし。あいにく風が強かったようだ。聞くところによると可能性は2分の1。最近政府がこの日は催行可/不可の判断をすることになったらしく、無理をして他社から先んじようと悪天候でもバルーンを打ち上げようとすることはなくなったのだ。安全ではあるが、せっかくカッパドキアに来たのにバルーンに乗れないのはいささか残念ではある。
■■カッパドキア観光■■
バルーンができなかったためホテル出発は朝9:30。ゆっくり朝食をいただき、ゆとりのある出発。まず向かったのはカイマクル地下都市。
カイマクル地下都市…
キリスト教徒がイスラム教徒からの迫害を逃れるために造ったという地下都市。このカッパドキアには小さいものも含めると何千もの地下都市があるそうだ。その歴史は古く紀元前400年には地下都市の記録にも残っているのだとか。このカッパドキアの中でも最も巨大な地下に掘られた住居がカイマクル地下都市。このカイマクル地下都市は地下5階の構造。最も地上に近い地下1階が家畜小屋、動物達を近くに運んで行けないため。地下2階は倉庫。地下3階以降が住居後になっている。最盛期には2万人もの人々がここに暮らしたというのだから驚きだ。電気もガスもない時代に暗闇の中で生活するのはさぞ大変だっただろう。地下都市にはトイレやキッチン、ワイナリー、礼拝所、寝室や子供部屋まであり、数ヶ月はここで生活ができるような機能が備わっていた。敵の侵入を防ぐ硬い玄武岩でできた石の扉も散見され、当時の人たちの生きるための知恵や努力の跡のようなものが見えて面白い。
鳩の谷…
鳩の谷はその名の通り鳩の巣になっている岩場であり、岩にはいくつか鳩用に小さな穴が空いている。ここカッパドキアでは鳩のフンは良質な肥料であり、ガイドのトラさん曰く1キロ1000円ほどするそうだ。ジャガイモが1キロ2、300円ほどらしいので鳩のフンがいかに高価であることがわかる。ワインの産地のカッパドキアでは良質なぶどうを育てるために鳩のフンが使われているらしい。
TYPICAL TURKISH HOUSE CAFETERIA…
休憩がてらに立ち寄ったカフェテリア兼博物館。カッパドキアが世界遺産に登録されてからは人が住むことが禁じられ、住人は郊外に家を購入するなど立ち退きすることとなった。このカフェテリアのオーナーも郊外に別の住居を構えているが、かつての自宅をカフェテリア兼博物館として観光客へ開放している。日本のガイドブックを始めドイツの雑誌にも掲載されたこともあるのだとか。今は人が住んでいないカッパドキアの洞窟住居の中で、人が実際どのように洞窟の中で暮らしていたのかを垣間見られる貴重な資料である。洞窟の中というと薄暗く、ジメッと湿った陰気なイメージもあるが、テレビや暖房設備もあるし普通のお家と特段変わらない生活のようだ。それどころか静かなカッパドキアの風景を堪能できるとあってこのおじさんも幸せそうである。
ギョレメ・パノラマ…
ウチヒサールからギョレメに向かう途中に現れる景観。景色を楽しむにはお土産屋さんとカフェを抜けて展望台まで歩いていくのがいい。見渡す限りの奇岩の絶景!カッパドキアらしい写真が撮れるスポットなので私的にはカッパドキアのベストビューポイントである。
ランチはUranos Sarikayaにて…
昼食は野菜の貯蔵庫を改築したという「Uranos Sarikaya」。中心(ステージ)を囲むようにテーブルがセットされており、どこの位置からも中心が見下ろせるように段差がつけられている。夜はベリーダンスショーもやっているそうだ。昼間は生楽器の演奏だけだが、雰囲気は最高。カッパドキアの神殿の中で食事を取っているような厳かな雰囲気。昨日の夕食よろしく私はシシカバブ、妻は壷焼きを食べた。飲み物はエフェスビール。
テブレント渓谷(らくだ岩)…
ラクダ岩で知られるテブレント渓谷へ。ここにはラクダやナポレオンの帽子、聖母マリア像のような奇岩など、何かにそっくりな奇岩のオンパレード。中でもやはりラクダ岩はピカイチでラクダっぽい。偶然とはいえなんだかすごい。
パジャパー地区…
とにかく奇岩を間近に見たいならここ。ウサギの横顔のような奇岩から、しめじに似た奇岩、今にも落ちそうな玄武岩を頭に乗せた奇岩や洞窟住居を探検したりできる。ラクダもいるのでラクダに乗りながらのカッパドキアらしいフォトジェニックな写真も撮れる。
ギョレメ野外博物館…
カッパドキアの観光に来たならここは外せない。カッパドキアには4世紀ごろからキリスト教徒が住むようになり、9世紀ごろから始まったイスラム教徒からの圧迫を逃れるために岩をほり修道院や教会を造ったと言われている。その中心部がギョレメであり、この一帯にはかつて500ほどの教会があったのだとか。この野外博物館ではその内、約30の修道院や教会を公開している。「りんごの教会」「蛇の教会」「サンダルの教会」「暗闇の教会」などが代表的な教会でこれらには見事なフラスコ画が残されている。中でも「暗闇の教会」は保存状態が極めて良く、芸術性も高い、カッパドキア必見の洞窟教会である。なお暗闇の教会のみ入場料が別で一人10リラ必要となる。
午後5時くらいにホテルへ、ローズバレーのサンセット観光の時間までしばし休憩。
この日のホテルはラーレサライ。
<<ラーレサライ>>
ウチヒサールの街に位置するホテル。部屋は洞窟部屋と普通のビルディングタイプの部屋があるようだ。ビルディングの方が眺望はいいらしい。私たちは洞窟部屋だったがテラス付きで眺望も充分。洞窟部屋でも不満はない。部屋にはテレビ、ミニバー、ドライヤー、バスタブ、無料のWIFI(電波良好)、スリッパ、セーフティーボックスなど備わっている。ホテルには小さいながらも屋外プールもあった。この日の宿泊客はあまり多くないようで、フレンドリーなフロントのスタッフが翌日の朝食の用意やモーニングコールなど何から何まで一人で全てこなしていたのが印象的だった。
ところで私がなぜ、ギョレメのホテルに連泊せずにウチヒサールのホテルにしたかというと省庁バルーンの景色が見られるからだ。ギョレメではバルーンの行き交う光景が見られないそうなので朝日を浴びながらカッパドキアの奇岩をバックにバルーンの飛ぶ光景を見たい方はウチヒサールの宿を取られることをお勧めします。
ローズバレー…
カッパドキアの夕日鑑賞定番スポット。ピンク色の峡谷とその岩の形が丸みを帯びておりまるで花びらのようだ。「ローズ」という名前だが私にはチューリップの花びらやツボミのよう見えるので「チューリップバレー」の方がしっくりくる。可愛らしい曲線を持つ岩が織りなす景色はさながら一面のお花畑のようでもある。夕刻には刻々と桃色から紫色に変化する様子が素晴らしいいとのことだが、あいにくの曇り空と雨模様でその眺望は叶わなかった。
■■ところでトルコは平和なの??■■
その後、今回の旅のお世話になった現地旅行社のオフィスへ。日本土産を渡し、色々話をした。2011年まで日本の観光客は一番多かったけれども今は一番少なくなってしまったらしい。それまで大勢いた日本語ガイドはガイド業をやめて別の仕事をしているのだそうだ。ヨーロッパの旅行者は回復傾向で、今は中国人、韓国人の旅行者が元気で空港テロの以前と比べても増え続けている。別に自分のせいではないのだが、日本人のお客のために日本語を学んだのに辞めてしまったガイドたちに対して申し訳ない気持ちになってくる。
今回旅をしてわかったのだが、イスタンブールやカッパドキアを旅した限り、東京を歩いているのと同様、いつもと変わらない、それどころか、この街のどこでテロの可能性があるの?と疑いたくなるような平和な雰囲気。テロというのは(トルコに限ったわけでなく)何気ない平和な状態で行われるものだからタチが悪い。
しかし現地に住む人々の話を聞いたり実際自分の目で歩いてみて来て、想像したよりも平穏でそこに住む人々もテロにビクビクしながらネガティブな暮らしをしているわけでなく、何気ないそれぞれ普段の生活を楽しんで過ごしていたりするのを目にするにつけ、「本当に普通に平和な生活だなぁ」と感じ入るところがあった。それが逆に、街は平和なのにどうして観光客(特に日本人)は戻ってこないの?というやりきれない気持ちにもなってしまう。
とにかく一刻も早くトルコをはじめ近隣諸国に平和なイメージが戻り、観光客が戻ったらいいなぁと願う。我々にできることは少ないかもしれないが、トルコに興味がある人々や観光に行きたいが迷っている人々の助けになれば嬉しいことはない。またその人が帰国後、周りの人々にトルコの良さを伝えてくれると思っている。トルコに来る誰しもにその景色や文化に感動を覚えるポテンシャルの高い国であることは間違いないので。
帰りはトルコ名物の「ピタ」と呼ばれるトルコ風の薄焼きピザのレストランで。竃で焼きたてのピタを頬張り、ビールで流し込む。至福の瞬間。
◆◆5月9日 念願のリスボン到着、早速食べ歩きだぁ◆◆
朝9時のカイセリ空港発のイスタンブール行きの便に乗るべく、朝6時に朝食を食べて、6:45にホテルを出発。残念ながらこの日もバルーンは飛ばず、ホテルからバルーンの飛び交う景色は見ることができなかった。
約1時間でカイセリ空港に到着。出発まで1時間ほどしかなく空港内も混んでいたのだが、国内線のためかチェックインや荷物検査もスムーズ。ボーディングが始まる少し前のタイミングで搭乗ゲートの前に到着。ジャストタイミングだった。ドライバーさんやガイドのトラさんに感謝。本当に良い再会だった。いつかまた行くことになるだろうなトルコ、自分にとって大切な国の一つだ。
■■カイセリ→イスタンブール→リスボン イスタンブール乗り継ぎ時間は要注意■■
ところでイスタンブールでの途中乗り継ぎは難儀だった。カイセリから最終目的地のリスボンまでは荷物を流せたものの、イスタンブールに到着してトイレに行っているとすでにボーディングタイム。やばいじゃん、と妻と顔を見合わせた。
一路国際線ターミナルへ。アタテュルク国際空港には国内線ターミナルから国際線ターミナルへの乗継専用通路のようなものはないため、一旦ドメスティックのターミナルを抜けてからさらにそのまま徒歩で空港内の一般通路を抜けて国際線へ移動する必要がある。
我々は乗り継ぎ時間の猶予が1時間15分あった。1時間前がボーディングタイムのようだ。急いで国内線ターミナルから国際線ターミナルへ移動。走る。小走りで約10分。
パスポートコントロールに到着。すでにかなりの列。ここでおとなしく待っているだけで30分はかかりそうだ。とっさに空港スタッフに横入りしてもいいかを問うもトルコ語しか語らずこちらは解読不明。ジェスチャーからするに通ってもいいんだろうなと思い自力で前に入れさせてもらう。しかしパスポートコントロールの係員ののんびり具合といったら。こちらが急いでいるからそう思えてくるのだろうが、こういう時に日本人の配慮や怠けない勤勉な態度にありがたみを感じる。
その後荷物検査を経て、搭乗ゲートの702へ。このアタテュルク空港で700番台は最も遠い搭乗ゲートエリアであり、さらに小走りで10分近くかかった。到着した頃には足ガクガク。搭乗ゲートでは出発30分前にも関わらずまだ乗客をさばけておらず、列が途絶えていなかった。そんなにゆっくり搭乗させるならもっとボーディングタイムを遅くしてよと言いたくなったが、トルコ語もましてや英語もうまくない私ごときがそんなことを言ったとしてもバカにされるだけなので、イスタンブール乗り継ぎは余裕を持っておこうというのが今回の参考になった教訓の一つだった。
■■リスボン空港からホテルへ■■
イスタンブールからリスボンまで約5時間のフライト。リスボン空港に降り立つ。リスボン空港は大きい割に人も少なくガランとしている。ちょっと通路の幅大きすぎたんじゃないか。矢印通り指示されるまま空港を進んで行くとパスポートコントロールに到着。EU住まいかそれ以外の国からの渡航者かの2レーンに別れている。入国はスムーズ、特に質問されることはなかった。
荷物を引き取り、税関を抜けて到着ホールへ。コンコースを歩いている時にはさほど感じなかったが税関を抜けると、吹き抜けの天井で近代的な造り。
空港には地下鉄が乗り入れているので、市内までのアクセスは楽チン(ただしエレベーターは少ないので荷物が多いとちょっと手間かも)。
券売機で「ヴィヴァ・ヴィアジェン」を購入。これは日本でスイカやイコカのようなもので、カード代として0.5ユーロを払わないといけないがその後は金額をチャージして何度も使えるプリペイドカードである。
リスボンの地下鉄は安い。片道1.4ユーロで目的地まで均一料金。空港から中心部までもこの料金で行けるのは嬉しい。「アラメダ駅」でレッドラインからグリーンラインへ乗り換え、私たちのホテルは「ロシオ駅」が最寄り駅。空港の駅から約30分で目的地のロシオ駅に到着。
ロシオ駅から歩いてこの日の宿「Modelo」を目指す。
<<Pensao Modelo>>
ロシオ駅付近に位置する2つ星のホステル。立地はこの上ないロケーションだがホテルの質はそれなりである。室内は狭く、テレビ、バスタブ、無料のWIFI(電波良好)あり。朝食は付いていないが近辺にはレストランがたくさんあるので食べ物には困らなそうだ。なおロシオ広場近くにはスーパーマーケットもある。
■■リスボン食べ歩き パート①■■
ホテルに荷物を置いた後はお腹も空いたのでリスボンの街で夜まで食べ歩き。以下訪れたお店。
タベルナ・ダ・ルア・ダス・フローレス(創作料理レストラン)…
こぢんまりとした個人経営の洒落た食堂。メニューはポルトガル語だが丁寧に英語で説明してくれる。といっても私も英語があまりわからないので店員のオススメをいただくことにした。このお店は生魚がメインの和風創作料理であるらしく一皿一皿のクオリティが半端なく高い。見た目はちょっと気の利いた食堂という佇まいだが、ホテルの高級レストランにも出てきそうな料理のオンパレード。ハウスワインもたっぷり入って2ユーロの良心価格。クオリティに対して非常にリーズナブル。スタイリッシュそれでいて気のおけない新進気鋭のポルトガル料理だ。
ソル・エ・ペスカ(バー)…
元釣具屋の内装をそのまま利用したという缶詰料理とお酒を楽しめる居酒屋。日本でも酒屋がやっている「角打ち」があるがそのポルトガル版と考えて差し支えない。「立ち飲み」ではないがたくさんのお客さんが出入りしているので外国人観光客にも入りやすい雰囲気。ポルトガルでは缶詰の生産量が高く多種多様な缶詰が存在する。私たちはガイドブックでオススメされていたトウモロコシパンに缶詰のイワシを乗せたカナッペを注文。味は缶詰なのでそれなりだが、グラスワインが1.8ユーロ〜と格安なので2軒目にGOOD。
カネサス(カフェ)…
1920年頃創業の地元ベーカリー屋さん。見た目は地味だが、歴史を感じる店内はタイル張りで素敵。エッグタルトは1ユーロの地元密着価格。朝はパンやオムレツとエッグタルト、コーヒーにジュースがついたモーニングセットもありこちらも5ユーロの良心価格。お店の人もフレンドリー。また立ち寄りたくなるほっこりするようなお店だ。
リベイラ市場(フードコート)…
市場という名前から新鮮なチーズやハムが食べられるのかなぁ、と想像していたがここは「市場」ではなくとびっきりモダンな「フードコート」だった。ポルトガルで今人気のチェーンや老舗の支店、さらには実力はあるもののレストランを出す資金や場所がない若いシェフやオーナー達が切磋琢磨し、新しい感覚の料理を提供している場となっている。そのため古き良きイメージとしてのリスボンを求める旅行者よりも地元のサラリーマンやOLたちで賑わっているように見えた。どのお店も美味しそうだが、お店の数が多すぎるのと街の食堂よりも少し予算は高めだったので結局食べなかった。※後日あまやどりがてらに再訪してビールを飲んだ。
◆◆5月10日 リスボン市内観光と食べる歩きタイム◆◆
残念ながらこの日も雨。この日以降の天気予報を見ると私たちが現地を飛び立つ土曜日辺りから晴れ始めることがわかった。天気が悪いことで何が嫌かっていうと楽しい旅行も天気の悪さで楽しくなさそうに見えるのが一番よくない。対して天気がいいと、それだけで絵になってしまうので不思議だ。とはいえリスボンの終日観光ができる日はこの日しかないので雨が止むことを待つこともできまい。しとしと雨が降る中、街へ出ていった。
■■リスボン市内観光■■
ジュロニモス修道院…
15世紀に幕を開けた大航海時代。マニュエル1世が、ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を讃えるとともに安全を祈願して建てた修道院。1983年、世界遺産に登録された。ヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た巨万の富を投じて建てたもので16世紀初頭の着工し、少なくとも完成には1世紀以上費やしたとされている。マヌエル様式を代表する建造物で完成度の高さはポルトガル建築の最高峰と讃えられ、大航海時代の栄華を今に伝える。
ジュロニモス修道院への行き方は市電15番に乗るか、バスで714番で約30分。
この日は雨にも関わらず長蛇の列。あまりの列が長いので修道院内の見学は諦めて教会内部だけであれば無料で見学できるので教会だけを見学。教会だけの見学でもあまりの素晴らしさに圧倒された。
発見のモニュメント…
ジュロニモス修道院から歩いて5分。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路へ旅立った際の船出の地に、1960年エンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられたテージョ川沿いに建つポルトガルを象徴する巨大な「発見のモニュメント」がある。この高さ52mの巨大モニュメントの先には、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとした天文学者、宣教師、船乗り、地理学者など32人の偉人像を従えた王子の像。なおこのモニュメントはエレベーターで登れて、数々の偉人が眺めたであろうテージョ川沿いとその先に広がる大西洋を見渡せるのだが、この日はあいにくの雨模様なので麓からの見学にとどめた。
ベレンの塔…
「発見のモニュメント」から歩くこと約15分。ジュロニモス修道院とほぼ同時期、マヌエル1世の命で1515年に着工したテージョ川の河口を守るため建設された見張りの塔。当初は要塞として建築されたが後に税関や灯台としても使われたそうだ。完成は着工から5年後の1520年。内部は有料で見学可能。ジュロニモス修道院と合わせて大航海時代のポルトガルの象徴的な存在で、1983年に修道院と一緒に世界遺産に登録された。
市電28番に揺られて…
レトロな路面電車が走る中世の面影残る街。青い空と海が見える坂道で、真っ白な住宅の壁、オレンジ色の鮮やかな屋根が広がる中、金色の太陽が降り注ぐ。あぁリスボンに来たのだなぁ、そんな風情があるのが市電28番に揺られて行くことができるファティマ地区だ。
ファティマ地区は1755年のリスボン大地震の際、奇跡的に免れた歴史的な地区だ。迷路のような路地や坂道が入り組んでおり、観光地であるにも関わらずひとけのない静かな雰囲気。時折ハッとする美しい景色や郷愁を誘う瞬間に出会えるはず。あまりに美しい街並みに写真撮影に夢中になっていると、この地区に住んでいるおばあちゃんが自宅の3階の窓をガラッと開けて、びっくりした私たちが挨拶して向こうも挨拶し返すというチャーミングな出来事もあった。
ファティマ地区の町歩きを楽しんだ後は28番線に揺られてバイロアルト地区のカリャリースにて降車。この場所は急斜面の坂道と細い路地が続くため路面電車がフォトジェニックに撮れるスポットとして知られている。このエリアでもう一つ有名な撮影スポットが「ビカのケーブルカー」。リスボンの街中でも特に急斜面の坂道にはケーブルカーが運行している。このケーブルカーの車両は市電のそれとほとんど同じ形。現在ケーブルカーは3路線しかない貴重なものだ。このビカのケーブルカーは急斜面と街並みの向こうに見える海が印象的。市電と違い出発まで停車している時間が長いので、車両との写真も撮影しやすいのが嬉しい。
ちなみに市電28番の始発駅マルティンモニスから私たちは乗車したのだが、かなりの人が並んでいたので、隣のすいている12番に乗ってポルタス・ド・ソル広場へ向かった。28番と12番は何が違うかというとセニョーラ・ド・モンテ展望台のあるグラサエリアには立ち寄らない。またアルファマ地区を抜けた後は28番線とは違うルートに行くのでルートをよく確認して市電に乗ろう。
ポルタス・ド・ソル広場 …
アルファマ地区随一の絶景ポイント。広場の目の前が市電28番の駅となっているのでアクセスも簡単。「太陽の扉」の意味の名をもつこの広場からはテージョ川とオレンジ色の屋根が広がる旧市街アルファマが一望できる。広場にはサン・ヴィセンテ像が立ち、カフェや売店もあるので休憩スポットとしてもおすすめ。
■■リスボン食べ歩き パート②■■
ジンジーニャ(立ち飲み屋)…
昨日リスボンから到着してすぐ気になったお店。なぜなら行列ができていたから。今朝のぞいて見ると朝のためか誰も並んでいない。よし、と迷わず向かう。カウンターだけのお店なので何かの立ち飲み屋さんだとは思っていたものの、何屋さんかも知らずまずは1杯いくらですか?と聞く。1.4ユーロだと店員のモリッシーを崩したような男性が言うので、それなら安いと言うことで即現金払い。ルビー色の何かをグラスに注がれる。ショットグラスの大きさなのでおそらく酒。勇気を出してクイっといっぱい。アルコール強めを想像していたが甘くて飲みやすい。どうやらチェリー酒(ジンジャ)のお店らしい。朝のまだ肌寒い時だったので、その後の観光は体がポカポカしてとてもよかった。あなたも観光のはじめにこのチェリー酒で景気付けにいっぱいはどうでしょうか?(あとで調べたところアルコール20度もあった)。
ファブリカ・ダ・ナカ(カフェ)…
この日の朝食に食べに訪れたカフェ。ロシオ駅近くのレスタウラドレス広場沿いにある。工房ではエッグタルトを実際につくっているところをガラス越しに見学も可能だ。セットメニュー(ハムとチーズのサンドイッチ、エッグタルト、カフェラテ)で5ユーロほど。他にコロッケ(バカリャウ)2つとアメリカンコーヒーをオーダーして店内へ。店内の青いタイルで彩られた壁も素敵。さすがタルトは店内でつくっているだけであって中はしっとり、外パリパリで美味しい。
バステイス・デ・ベレン(カフェ)…
「ジェロニモス修道院」や「発見のモニュメント」のあるベレン地区の1837年創業の超有名なカフェ。ここのエッグタルトがリスボンいち美味しいと評判。元来ジェロニモス修道院の修道女達がつくったのが始まりと言われるエッグタルト。バステイス・デ・ベレンは修道院以外でタルトを売り出した最初の店だそうだ。店の中は行列が絶えない。持ち帰りかテーブル席を選べるがどちらにせよ常に混んでいるためしばらく待たないといけないので、できればテーブル席がオススメ。
Loja das Conservas(缶詰屋さん)…
途中おしゃれな缶詰屋さんで試食&お土産購入。
ジョアン・ド・グラオン(下町食堂)…
妻がポルトガルに来たんだからタコを食べたい、と言うので来たレストラン。郷土料理を出す地元の人で賑わう下町食堂だ。リスボンの中心部バイシャ地区のフィゲイラ広場近くにあるので観光ついでに行けるのが嬉しい。ここでは魚介類のスープ(クレム・デ・マシュコ)3ユーロの他にタコのサラダ(サラーダ・デ・ポルヴォ)とタコのリゾット(アローシュ・デ・ポルヴォ)、それぞれ12ユーロをいただいた。いずれの品もかなりの大盛り。特にスープとリゾットはこの旅の中で特に思い出されるほど美味だった。その質・ボリュームの割にコストパフォーマンスが高いので庶民的で本当に美味しいポルトガル料理を堪能したい方にはうってつけのお店。
サンラファエル(ファドレストラン)…
ポルタス・ド・ソル広場の近くのエレベーターで降って、ファド博物館へ向かう道、ファドレストランが集中する通りの最初にあるお店。真剣で高価な舞台でなくてもいいから、明るい時間帯に手軽にファドを楽しみたい方はファティマ地区でファドを聞くのがおすすめ。この辺りはファドを聞かせてくれるお店が多く、しかも30分程度でミニマムチャージもないため、かなり手軽に聞くことができる。プロ中のプロの演奏や舞台演出も含めた本格的なものではないが、こういったインスタントに郷土音楽が聞けるのもポルトガル滞在の楽しみである。私たちはグリーンワイン(スパークリングワイン)のサングリアを注文しファドを4曲聴いた。最初の2曲はかなりのベテランのおばあちゃん、その後の2曲はさっきまで客引きしていたおじさん。その時はまさかファドの歌手だとはつゆにも思わなかったのでびっくりした。しかもかなり美声。こうしてファドをじっくり聞くと、こぶしの効かせるところやジメッとした暗さや哀愁漂うところは演歌っぽい。なので日本人好みかもしれない。似たもので比較するとお隣のスペインにはフラメンコがあるが、私はどちらかと言うとフラメンコの瞬間的な燃え上がる情熱よりも湿っぽいファドの方が好きかも。ファドレストランの料理は正直、価格・味もイマイチなので料理はまた別の場所で考えてた方が良さそうだ。
Let’s Rock Café(バー)…
ビカのケーブルカー降り場、坂の上にあるバー。生セルベージャ(ビール)がなんと0.6ユーロ!ここ本当にお店?ボランティアか何かですか。
ソラール・ド・ヴィーニョ・ド・ポルト(ワインセラー)…
1日の最後は甘めのポートワインでしっぽりしめたい。そんな時のおすすめはポートワイン協会がリスボン市内に開いたワインセラー。350種類ものポートワインが揃うテイスティングルーム兼販売所となっており、代表銘柄やヴィンテージワインをグラス1杯1.5ユーロ〜の格安料金で提供してくれる。もしポルトには立ち寄らず様々な銘柄を試し飲みやお土産に考えているのであれば間違いなく訪れるべき1軒である。朝から歩き疲れたのでこの日はホテルに戻りバタンキュー。
カフェ・ジェロ…
翌日に朝食を食べるために訪れたロシオ広場沿いにあるカフェ。お店の前のショーケースには様々な種類のポルトガル伝統のスイーツが並べられているのでここに来れば大抵のお菓子は網羅できる。お店も深夜まで営業しているため、夕食の締めや小腹が空いた時に利用できるのが嬉しい。利便性は高い店ではあるが「ファブリカ・ダ・ナカ」のように常に出来立てを提供する、と言うわけではない。実際ここで食べたエッグタルトはパイ生地が固く出来てからしばらく時間が経っているように感じた。しかし美味しさは保証できるので気が向いたら訪れてほしい。
◆◆5月11日 専用車でロカ岬とシントラを経由してオビドスヘ◆◆
朝9時にドライバーと待ち合わせ。ドライバーは1ヶ月前に日本に旅行したことのあると言うおじいちゃん。ビシッとスーツで車は革張りのメルセデス。車の中では先月日本を旅行した話で、日本を大絶賛。「日本人は列車の中で、皆携帯いじっていて騒がしい人なんで誰一人もいない。お互いにリスペクトしており素晴らしい」と言うのだが、いやいや皆携帯をいじっているのもそれなりに問題もあると思うし、多少騒がしくとも欧米人のように他人に話しかけたり、挨拶する方が素晴らしいと思うけどなぁと思った。
■■リスボン郊外観光■■
ロカ岬…
まず向かったのがロカ岬。リスボンからは車で約1時間。今更説明不要だろうがヨーロッパ大陸の最西端の岬だ。岬には十字架を掲げた、ポルトガルの詩人の言葉が刻まれた石碑がポツンとある。周囲は広々とした草原となっており鮮やかな草花が岬に彩りを添えている。周囲には最西端到達記念の証明書を発行してくれる観光案内所とカフェ兼土産物屋がある。ところで私はアフリカ大陸の最南端も訪れたことがあるが特に証明書なんか発行していなかったと思う。喜望峰もそういう商売をすれば儲かるんじゃないか。
ペーナ宮殿…
ロカ岬の後はシントラ郊外にあるペーナ宮殿へ。このお城の外観は強烈。マヌエル、ゴシック、ルネサンス、イスラムなどあらゆる様式を統一性を持たせるわけでなく色とりどり、カラフルに一つの建物として完成させた。比較的たくさんのお城を見てきた方だと自負しているが、こんなお城は類を見ない。
1836年にポルトガル女王のマリア2世の夫であるフェルナンド2世の命により、夏の離宮としてこのお城を整備したとのこと。元々はフラデス・ヒエロニミタスという修道院の廃墟であったが美しい新緑に囲まれたこの廃墟を目にしたフェルナンド2世が一目惚れしたそうだ。ちなみに緑の山々に囲まれたお城といえば他にノイシュヴァンシュタイン城があるがその城主のルートヴィヒ2世のいとこにあたるのがフェルナンド2世。なお入場料は14ユーロ、および往復のシャトルバス代金が3ユーロ。
ペーナ宮殿を観光した後はシントラ中心部へ。シントラには王宮やムーア城跡、レガレイラ宮殿など他にも見所が多数あるので、正直日帰り観光では見切れない。ぜひ1泊することをおすすめしたい。
オビドス…
シントラから車で約1時間。車で向かうと丘の上に建つお城と城壁が迫りくる圧巻のパノラマ。街が城壁の中にすっぽりと収まっている様子から「谷間の真珠」と称えられるオビドス。この印象的な城壁は海からの敵の侵入を防ぐ目的で砦が築かれた。
1228年、時のポルトガル国王デニスは、この地を訪れ深く魅せられたイザベル王妃にオビドスをプレゼントした。王妃直轄の村というだけあり、ここには可愛らしさで満ち溢れている。石畳が続く村には家々の白い壁に赤や黄色、紫の花々が。そのコントラストが美しい。村を取り囲む城壁に登ればこの村のオレンジ色の屋根が城壁内いっぱいに広がり、さらにその城壁の外に目をやれば、この村が青々とした緑の絨毯に囲まれていることがわかるだろう。まさに「谷間の真珠」の名前通り、地上に一粒の宝石を落としたような、そんな小さくも愛らしい、ひときわ輝く村なのである。
もしオビドスに来ることがあればぜひ1泊して村の雰囲気を楽しんで欲しい。昼間は観光客が多く、賑やかになるが夕刻になるとこの街は宿泊客や数少ない地元の人のみとなる。静まり返った夜のライトアップや夕焼け映えるオビドス城とその街並みはまさに中世に迷い込んだかのような雰囲気だ。
またオビドス名物の「ジンジャ」もトライしてみたい。ジンジャとはサクランボ酒のことである。ここに訪れる前にリスボンのロシオ駅のそばで試したものと同じである。ここのジンジャはチョコレートで作った小さな器に入れて飲む。甘いサクランボ酒と甘いチョコレートの甘々ダブルパンチ。
<<ジョセファ・ド・オビドス>>
城壁の入り口前にある4つ星ホテル。部屋はいかにもヨーロッパ調でオビドスの可愛らしい雰囲気にピッタリ。部屋は比較的広く清潔。テレビはもちろん、湯沸かし器やバスタブ、セーフティーボックス、ミニバー、ドライヤー、無料のWIFI(電波良好)あり。スタッフの感じも良い。ポサーダが満室だったのでこのホテルに宿泊にしたが大正解だったと思う。
■■オビドスのレストラン■■
ハモン・ハモン(家庭料理)…
何気になく入ったオビドスの家庭料理屋さん。これが最高のお店だった。まず入店早々、ランチは1種類しか残っていないけどいいけどいい?みたいなことを聞かれたのだが、いいですよと了承。人気ないのしか残っていないのかなと思ったが全くの杞憂。バカリャウ(タラ)と茹でたジャガイモをミックスした一皿料理。これがイケる。最初少し多いかなと思ったがワインにも合うのでどんどん口に運んであっという間に完食。二人でそのメインディッシュをそれぞれ1皿とビール1杯と赤白のワイン2杯、付け合せのパンにオリーブも含めてなんと16ユーロ。一人8ユーロ。安すぎる!そしてスタッフのお姉さんや家庭的な雰囲気も完璧!また明日行きたい!(いや朝9時に出発しないといけないんだけど…)
※お店の人が今日は昼しか営業していない、と言っていたのでシーズンによるかもしれないが夕方は営業していないかも。城外にありポサーダなどホテルによってはレストランまで距離があるため場所を事前に確認することがオススメ。
ベトラルム・ドムス(レストラン)…
城壁内でのおすすめはここ。オビドスを代表するレストラン。石造りの堅牢な建物もいい雰囲気。ポルトガル家庭料理の他にもパスタなど種類も豊富。ボトルワインも手頃で1本8ユーロから。私達はパンや米はこれまでポルトガルで食べてきたので麺類を食べたい、ということでパスタ2人前とシーフードサラダを頼んだ。パスタはオーソドックスなボロネーゼとクリームソースのフィットチーネ。シーフードサラダは蒸したカニの身とエビがゴロゴロしていて美味しい!他の人が注文したデザートのかなりの大皿だったので食べ過ぎ注意。
◆◆5月12日 専用車でナザレ、バターリャ、コインブラ。そこから列車でポルトへ◆◆
朝食を食べて朝9時に現地ドライバーのアントニーさんのお出迎えを受けて、出発。
ナザレ…
ポルトガル屈指の別荘地。海とその景色の美しさから6月から8月ごろは観光客が押し寄せるそうだ。ナザレの街は大きく2つに分けられる。プライア地区とシティオ地区である。プライア地区は沿岸部のビーチエリア、シティオ地区は沿岸部の岸壁の上にあるエリア。この2つのエリアはケーブルカーで簡単に行き来ができる。
まず訪れたのはビーチエリアのブライア地区。まだ夏のシーズンとは言えない5月なので観光客はまばら。この辺りはいい波が来るためサーフィン愛好家たちのメッカとなっているそうで、夏にもなると海水浴の観光客やサーファーで大賑わいだそうだ。ブライア地区の海辺沿いの住宅地はほとんどが別荘またはバカンス客向けのコンドミニアムとなっており、比較的新しい建物が多い。しかしながら古い住宅地と建物のデザインが統一されているので新しい住宅も街並みに溶け込んでいる。石畳の車が通れないような細い路地を散歩して、ここに住む地元の人々の生活を感じるのもナザレの楽しみ方である。ナザレのメルカドは昔ながらのここの生活を知るには良いスポットだ。メルカドには野菜、果物、肉、魚からドライフルーツ、パンなど多種多様なものが売れられており、リスボンなどの大都市のメルカドに比べて庶民的な価格となっている。なおこのメルカドの目の前にはスーパーマーケットがある。スーパーマーケットではメルカドで売られていないソフトドリンクやアルコール類、冷凍食品に洗剤、キッチン用品などが陳列されている。メルカドとの棲み分けをしているのも面白い。
そして向かったのはシティオ地区。シティオ地区が元々はナザレの街の中心であった。シティオ地区では何と言ってもその展望台からの景色を見ないわけにはいかない。シティオ地区は切り立った崖の上に建つ街のため、展望台からはプライア地区の眺めが一望できる。そのあまりに美しいこと。眼下に広がる絶壁の岩肌越しの街並みは、あまりに高さに恐怖を感じるのだが、それが一層この景色を特別なものにしているような気がする。リスボンの景色も素晴らしかったが今回のポルトガルの景色の中ではこのナザレの風景が最も印象に残った。
なおこの展望台の近くにはメモリア礼拝堂と呼ばれる、小さな祠がある。これはある霧がかった日にこのナザレの崖から落馬しそうになったが九死に一生得た。崖から落ちそうになった瞬間、聖母マリアがあらわれその後無事助かったそうだ。神のご加護に感謝した城主はその場所に建てたのがこのメモリア礼拝堂である。そのエピソードを聞くに、確かにこの眺めの美しさたるや人智を超えたものがある、と私は妙に納得したのだった
バターリャ…
バターリャはポルトガル中西部の、ポルトガル語で「戦い」を意味する小さな町。ここにはポルトガルの独立を守るための、歴史に残る戦いに勝ったことを記念したマヌエル様式を代表する「バターリャ修道院」がある。
14世紀、時の国王フェルナンド1世は後継者を残さずこの世を去ってしまった。この機会を逃すまいと伺っていたのは、フェルナンド1世の一人娘のベアトリクス王女の嫁ぎ先のカスティーリャ王(スペインの国王)だった。王位継承を目論むカスティーリャ王はポルトガルに攻め入る。しかしアヴィス朝の始祖となったジョアン1世はこの「アルジュバロータの戦い」で勝利し、独立を死守した。戦前、聖母マリアに祈願し奇跡的な勝利をおさめたジョアン1世。聖母マリアを称えるための「勝利のサンタマリア修道院」、通称「バターリャ修道院」の建設が1388年に始まる。16世紀までの約2世紀にわたって建設された修道院は、延べ15人の建築家が携わった。天井がないままとなった「未完の礼拝堂」はジョアン1世の息子、ドゥアルテ1世の命により建設が始まったが、その後マヌエル1世に引き継がれるものの結局は未完のまま、工事は終わることになった。これには設計上のミスかまたはジュロニモス修道院の建立のために、建築家がリスボンに行ってしまったことが原因として挙げられているが真偽は不明。何れにしてもポルトガル黄金期を代表する華麗なる建築物の一つであることは間違いない。なお教会以外の入場料は一人6ユーロ。
コインブラ…
コインブラはリスボン、ポルトに次ぐポルトガル第三の都市だ。1143年のポルトガル建国の時にはこの土地に首都が置かれたこともある。人口約10万人の都市ではあるがこの街が果たした役割は大きい。1290年、デニス王によって建立されたコインブラ大学は最初リスボンに置かれていたが、その後コインブラに移設。その歴史を辿ればヨーロッパの中でも最も伝統ある大学であり、ポルトガルの政治、経済、文化を支えた著名人を世に送り出してきた。もちろん屈指の名門である。現在コインブラ大学のあるエリアは世界遺産として登録されている。
私達はまずコインブラ大学の付近で車を降りて、大学を散策。大学は旧館と新館に別れており、内部見学ができるのは旧館のみとなっている、入場料が必要で、私達には十分な時間がなかったので無料で入れることができる中庭付近を散策。大学はコインブラの丘の上に建てられているのでここからの眺めはコインブラ全景を見渡せる。無料で行ける範囲はこの中庭や購買に食堂程度、時間が許せば是非じっくり大学内部を見学するのがいいだろう。
その後、ドライバーのアントニーさんと駅前でお別れして、駅構内に荷物を預けられるスペースがないかを確認することに。
コインブラ駅は小さく、駅員に確認しても特に置いてokeru場所はないみたいだ。仕方なく、近くのツーリストインフォメーションで聞くことに。ツーリストインフォメーションの人は優しく17:30までだったらここに置いといていいよ、というので感謝して置かせてもらった。ただし17:30以降はここが閉まるから必ずきてね、と念を押す。大丈夫、列車は17:14なので。
コインブラの昼食は、最初駅から徒歩数分のカーザシェレンセという家庭料理屋さんに向かう。
だいぶ繁盛しているようで、お店の中は大にぎわい。中を覗いていると、お客の中の一人が外へ出て来た。だいぶ酔っ払っているようだ。日本人かと聞かれたので、そうです日本人ですと答える。そうすると日本はいい国だ、というのでありがとうと答える。俺は今酔っ払っていて悪いなというので、いえいえという。私たちはこのレストランに入りたいんだけどというとその酔っ払いのお客は、このレストランは今俺みたいな酔っ払いばかりだからやめた方がいいよ、という。確かに店内の騒ぎは外まで響き渡っている。なかなか酔っ払いのくせに自分を客観視しているな。ということでカーザシェレンセはやめて近くのコメルシオ広場のテラスのあるレストランで食事。まさに観光客の食べにくるようなレストランなので味や価格はいまいちだがスタッフの愛想もいいので結果満足。
■■コインブラから電車でポルトへ■■
コインブラの観光案内所に置かせてもらった荷物を引き取り、コインブラ駅へ。コインブラには2つの駅がある。街の中心部に近いのが「コインブラ駅」、街の郊外で急行が停まるのが「コインブラB駅」。だから私は区別するためにコインブラAとコインブラBというように個人的に呼んでいるのだが、「B駅」ってひどくないですか?「北駅」や「新駅」でいいじゃん、なんで「B」なのだろう。
コインブラ駅からコインブラB駅へ。コインブラ駅には電光掲示板がないので自分が乗る列車が合っているかわからなかったのだが、この時間に停車している列車がこの1本しかなかったのと、駅員に確認してもらったので大体の確証を得た。コインブラB駅までは一駅。B駅に到着したら待合室のテレビモニターで次に乗る急行のプラットフォームナンバーを確認。乗り場は1だったので1番ホームに移動。プラットフォームを繋ぐ線路上の歩道を渡る。
コインブラBからポルト・カンパンニャンを繋ぐ急行は予定よりも10分近く遅れて到着。やはり日本と比べれば多少の遅延は仕方ないだろう。到着した列車に乗り込み、自分の席を探す。ポルトガルの急行列車には自分の席番号が記載されているのでそれを確認すること。2等席は意外にも満席だった。
なおスーツケース置き場はあるのでスーツケースを持っていても心配なし。私の場合はスーツケースの置き場が全ていっぱいだったので誰も停めていない自転車置き場のスペースにスーツケースを置いておいた。席に座っているとしばらくして乗務員がやって来て切符のチェック。
約1時間でポルト・カンパンニャン駅に到着。ポルトもコインブラ同様に郊外の駅と中心部の駅の2種類がある。駅員に確認してカンパンニャンから中心部の駅、サンベント行きへ乗り換え。1駅でサンベントに到着しホテルへ。
余談だがサンベント駅はアズレージョの装飾が見事で「世界で最も美しい駅」とも言われている。またサンベント駅にはロッカーがあった。
<<ユニバーサル>>
ポルト・サンベント駅から徒歩5分。1階にはお土産屋さんが入っているベストロケーションのエコノミーホテル。入口は狭いが建物自体には奥行きがあるので想定していたよりも開放感はある。室内は少しせまめ。ミニバー、エアコン、ドライヤー、テレビ、セーフティーボックス、バスタブあり。室内は清潔ではあるが全く豪華ではないので、立地重視の方におすすめ。
その後、ポルトにて夕食。
タパベント(創作ポルトガル料理)…
サンベント駅そばにあるポルトガル料理屋さん。ポルトガル料理を今風にアレンジした、この近辺でかなりの評判のお店。夜9時にも関わらずお客さんが絶えない。モダンなお店ではあるがお酒の料金は良心的。ビールの小グラスが1.8ユーロ、ボトルワインも8ユーロ〜。私たちはビールとシーフードスープとメインディッシュにエビのリゾットをいただいた。エビの出汁が濃厚に効いていて美味しい。ポルトガルのリゾットというとこれまでは中くらいの鍋がドカンとテーブルに置かれたのだが、これは文字どおり1皿だけ。この店ではこれまでのポルトガル料理の大衆食堂と違い1皿が大きくはないので一人それぞれ1皿ずつ注文してもいいかもしれない。
◆◆5月13日 ポルト観光、そして空港へ◆◆
ポルトのホテルにて朝食を食べて、9時半ごろに観光に出発。といってもこの日は15:30のフライトに乗るために12:30には空港に向かわなければならない。なので実質観光は3時間程度。
レロ・エ・イルマオン…
ポルトガルで最も有名な本屋さんといってもいいだろう。ポルト中心部にあるレロ・エ・イルマオンは古い建物を利用しており一見の価値がある。なんでもポルトに住んでいたことのあるハリポッターシリーズの作者・JKローリングがこの本屋を魔法学校のモデルにしたのだとか…。そのあまりの人気ぶりに内部見学のみは不可。本を買うお客のみ入場可能ということで、本代にも使える入場料を近くのチケットオフィスにて購入してから入店。入場料は4ユーロ。なので4ユーロ以上の本を購入すれば4ユーロは割引した金額にて購入できる。我々はボールペンを買おうと思って二人してボールペンを手にレジに並んだが、本しかダメと断れて恥をかいた。洋書を買うような教養がなくてすいませんね。
ポルトをぶらり街歩き…
その後はカルモ教会見学とその近くでレトロな市電を見学。ポルトの市電はリスボンのそれよりも色がくすんでいるように見えるので一層レトロに感じる。
クレリゴス教会にてパイプオルガンの演奏をきき、サンフランシスコ教会まで足を伸ばす。途中、ビトリア展望台にてポルトの街並みを眺める。このビトリア展望台は特にガイドブックに載っておらずたまたま行き着いただけなのだが、街の中心部にあり手軽に訪れることができるため時間が限られている我々にとっては好都合な展望台だった。
展望台からそのままドウロ川側へ歩きサンフランシスコ教会へ。サンフランシスコ教会に入るには入場料が必要とのことなので諦めて、ドウロ川のカフェが立ち並ぶ遊歩道をそぞろ歩き。ドウロ川を眺めて食事やお酒を飲んでいる人も多く、気持ち良さそうだ。ドン・ルイス1世橋のたもとへ向かい、橋の真下からケーブルカーで崖の上の街へ移動。そのままサンベント駅を通過して宿泊ホテル・ユニバーサルへ。
ホテルにて荷物を引き取った後、UBERで空港まで移動した。地下鉄という選択肢もあったが、重いスーツケースを持って歩くのは少し面倒なので空港で昼食を食べようと思い、時間短縮のためにUBERを利用した。料金は15ユーロで思っていたよりも安かったので良い選択だと思う。
この旅行最後の食事はポルト空港内のレストランで。ポルト名物のトリペロ(臓物の煮込み)とフランセズィーニャ(ハムとチーズのサンドイッチにトマトスープを浸したもの)と食べたが、これは空港内のレストランなのか、この名物がそうなのかはわからないが、どちらもこのたび一番美味しくなかった(笑)。
あと空港にお持ち帰り用のエッグタルトが売っていてびっくり、持って帰れるんだね。
■■ヨーロッパの「おじさん」ポルトガル■■
ポルトガルを旅して感じたのは前述の「スペインとイタリアのいいところどり」とはまた違った感想を抱いた。ポルトガルは西ヨーロッパであって、完全なラテンな雰囲気というのとは異なる。スペインやイタリアのような「アモーレ!」「アミーゴ!」みたいな能天気な陽気さはない。私の思うポルトガルのイメージカラーは青、でも真夏の輝かしい海の色ではなく、憂いを帯びた青、陶器やタイルの青。なぜだろう地中海に面していないからだろうか。
それにポルトガルはどこかあか抜けない。まず売っている服のセンスが正直…微妙。それにほかのヨーロッパの国とくらべてちょっと皆さん背が低い(日本人に言われたくないって?)。あのクリスチャーノ・ロナウドを生んだ国だから、さぞ皆さん美男美女だろうと思っていたが、ロナウドはポルトガルの中でも別格だと思った。
単刀直入に言うとちょっと「ダサい」のがポルトガル。大航海時代は世界で最も最先端の国であったわけだが、今はヨーロッパの中でも存在感が薄い。
例えるなら昔の自慢をそこはかとなく披露するおじさんのような国だ。「昔はヤンチャしたなぁ」「若いことはモテモテだったなぁ」。最初はちょっと小馬鹿にしていたけれど、そう言われてみれば確かに優しいし、おおらかだし、料理も得意そうだし、いいところに住んでるし・・・。
なんだかうまく例えたつもりが余計わからなくなってきました。う~ん、ポルトガルは奥深い。
【おすすめ度】
イスタンブール ★★★★★
ヨーロッパとアジアの交差点、人類の宗教と文明の変遷を刻んだ人類の歴史史上最も重要な街の一つ。
カッパドキア ★★★★★L
広大なおびただしい数の奇岩とそこかしこに見られる洞窟住居、このミステリアスな光景が見られるのは世界中探しても類を見ない。
リスボン ★★★★★L
西欧諸国の中にあってどこか垢抜けないポルトガル。その最たる例がリスボン。ここには美味しい酒と食事、見事な景色、耳を傾けたくなる歌、そして人情がある。それだけで十分、
ロカ岬・シントラ ★★★★
オビドス ★★★★
ナザレ・バターリャ ★★★★
コインブラ ★★★
ポルト ★★★★
(2017年5月 橋本康弘)
トルコ
ポルトガル