ここは地の果てアルジェリア~華麗なるミクスチャー~

ここは地の果てアルジェリア~華麗なるミクスチャー~

ここは地の果てアルジェリア~華麗なるミクスチャー~




初めて訪れたアルジェリアは北アフリカにあって一言に「中近東」とは言えない国だと思いました。
まず首都のアルジェは「北アフリカのパリ」と称えられるように、まるでフランス風の近代的な建物も多い中、それ以前のオスマントルコ時代の白亜の建物とバランスよく配置され、その地中海の青さと相まって街を歩いているだけでため息のでるほどの美しい景観の連続です。首都でありながらこのような美麗な街は世界でもローマ、ハバナ、プラハくらいでしょうか?個人的には観光客ばかりの本場パリよりもアルジェの雰囲気の方が私の好みです(もちろん私も観光客なので不遜な物言いとは思いますが、、、)。
更にアルジェリア第3の都市、コンスタンティーヌは深い谷に囲まれた中世の街並みで知られる街です。峡谷にいくつも架けられた巨大な橋越しにみるコンスタンティーヌの街は他に類をみないファンタジーさながらの世界です。
もちろんアルジェリアではローマ遺跡も忘れてはなりません。特にジェミラ遺跡は世界に数あるローマ遺跡の中でも世界最大を誇る遺構として知られています。広大な遺跡の中に立って、残された家屋や浴場、フォーラムに劇場など、さらには実際にゲームに興じたであろう石畳に残る窪みや落書きを見るとまるでローマ時代の人々がそこに生きているような感覚を覚えます。またティムガット遺跡はその存在を知られるまで長年砂に埋もれていたことから「アフリカのポンペイ」と称されますが、個人的には訪れたことのある本場のポンペイよりもティムガットの方が美しいと感じました。


アフリカでありながらまるでヨーロッパにいるような街並みや遺跡は、フランスやイタリアのそれ以上の美しさといっても過言ではなく、また時の支配者の変遷によって見られる建物の構造の移り変わりなど興味は尽きません。もちろん荒削りな大地と青く美しい地中海のコントラストはさすがにアフリカ!といえるような風景を見受けられます。
アルジェリアに惹かれるのは、隣にはモロッコやチュニジアという砂漠や遺跡、旧市街で知られる人気の観光国がありますがそれらとも明らかに違う、アフリカとヨーロッパさらにはかつてこの地を支配していったベルベル人、ローマ帝国、アラブ人、フランスの文化の調和のとれた程よいミックス感。それ故に、決して観光客向けに設備やインフォメーションが充実したとは言えないこのアルジェリアに対して、私のような外部の観光客も居心地のよさを覚えるのかもしれません。
今回、アルジェリアでの目的地は下記の5か所です。
・アルジェとその近郊(ティパサ、シェルシェル)
・コンスタンティーヌ
・ティムガット
・グーフィ峡谷
・ジェミラ
すべて外務省の危険度レベルは2なのが多少気になりますが、そこは信頼している現地旅行社とコンタクトもばっちり準備万端出かけてまいりました。実際、現地スタッフは気配りの行き届いた優秀な方も多く、アルジェリア旅行をお考えのお客様に安心してご旅行いただけると自信をもってお勧めできます。
余談ですが、本当はフランスの建築家ル・コルビュジエがインスピレーションを受けたとされる「ムザブの谷」にも行きたかったのですが、スケジュール上都合が合わず断念しました。帰国後あまりのアルジェリアの良さに感動し、「次にアルジェリアに行くときは絶対行こう」と心に決めたことは言うまでもありません。
11月4日
カタール航空にてアルジェ到着。
ドーハからアルジェのフライトは日本人の乗客は私のみであること以外は予想外にも混雑しており、何人かのアジア人も見かけた。話し声を聞くとどうやら中国人らしかった。きっと石油かゼネコン関連に働く人々だろうと思った。
英語表記がない入国カードをガイドブック参考になんとか書き上げ、パスポートと一緒に提出。アルジェリア入国。
入国は比較的スムーズだったが、機内に預けた荷物が出てくるに30分くらい待たされた。のんびりしているなぁ。
税関を抜けたゲートにて今回のガイドさんと合流。
ガイドさんは流暢なアメリカ英語を話し、爽やかな笑顔の小綺麗な出で立ちでアルジェリア人というよりもどことなく品がいいフランス人のように見えた。といっても典型的なアルジェリア人の顔がどういうものかがまだわかってはいないのだが。。。
次に両替所へ向かう。ガイドさんに相談し100ユーロは使うだろうという事で100ユーロを両替し11610アルジェリア・ディナール(AD)をゲット。もしADを使い切ってもドルやユーロであればホテルで両替できるそうだ。(でも結局100ユーロも使うことはなく、9日間のツアーで費やしたのは日本円で5000円未満。残りはチップとしてわたした。)
空港からダウンタウンへは車で15分程度。渋滞がひどい時は1時間半かかる事もあるそうだ。この日はラッキーで車はすいすい目的地まで流れた。
<アルジェ>
アルジェの写真を見せられた人は、ここが南仏などヨーロッパのどこか港街を思い浮かべるだろう。地中海の青さは吹き抜ける風の爽やかさを,折り重なる丘陵に這うように造られた白い街並みは朝夕この街を照らす太陽の輝かしさ感じさせる。港沿いの大通りには大統領宮殿、政府官庁、裁判所、国立博物館の堅牢なアーチをもった建物が並びながら、世間話に花を咲かせる男達の姿や、サッカーに夢中になる子供達、釣竿をもった人が行き交うのんびりとした光景。港の西側の小高い丘はカスバ(アラビア語で「城壁」)と呼ばれ16世紀に敵からの侵入を防ぐために造られた。フランスの攻撃を免れた中世の面影を残す歴史的な地区は世界遺産として登録されている。
今回の我々が歩いたのはアルジェのカスバの丘の上の交番から、カスバの麓の賑やかなマーケットが近くにあるケチョウア・モスクまで。
カスバを歩いているとすぐに目に飛び込んでくるのは海の美しさ。路地からひょいと顔を覗かせる地中海、その手前には白亜の街並みが折り重なるように眼下に迫ってくるようで鮮烈だ。道すがら聞こえてくるのは、学校が終わってじゃれ合いながら家路に向かう子供達の声。住宅の中からは工房で作業するトンカチの音や、キッチンの野菜を切る包丁の音、そして食べ物の匂い。ここで生活する人々の500年前と変わらない息遣いが聞こえてきそうだ。なお後から聞いた話だが、カスバは治安が悪いらしく一人歩きは避けてくださいとのことだった。なんでもひったくりなどするBAD BOYSがいるらしく、観光客は必ずガイドと付き添いで、歩くことができるコースも決められている

カスバからのアルジェの街並み

太陽に照らされ一層白く見えるカスバの住宅

カスバのBAD BOYS達

ガイドさんの案内で伝統的な木製の飾りを作っている工房にお邪魔した。このお家は3階建の伝統的なカスバの住宅様式で、住宅の中心が吹き抜けとなっており、そこから自然の光が差し込んでいる。モロッコのリヤドと構造的には近いが、それほど広々とした中庭はない。
もともと敵から身を守るために造られた要塞都市のため、広い中庭よりも身を寄せ合うよう生活できる居住空間が求められたのであろう。屋上のテラスからは隙間なくびっちり建てられたカスバの住宅と地中海の壮大な景観を望めた。

カスバにある木製の装飾品工房

迷路のようなカスバ

建物の合間から除く地中海が美しい

工房のご主人とガイドさんが世間話をしている時に、子供達が遊んでいるのを発見したので思わず写真をとってもいいかと身振りで合図。一人の女の子は家の中に隠れてしまったが、それでも興味があるらしく時々ドアの向こうから顔を覗かせる。そういったシャイな仕草が可愛らしい。結局、女の子の写真は撮れなかったが男の子は気前よく応じてくれたので、男の子達と一緒に記念撮影。
基本的に男性であれば、嫌な顔せずに写真を撮らせてくれる。女性、特に成人の女性は他のイスラム教の国同様、宗教的な考え方もあってなかなか写真は撮らせてもらえないようだ。また生活空間が映り込むような写真もあまり好ましくはないようだ。青い手すりが印象的なアルジェの街並み、その特徴的な外観に惹かれてテラスの写真を沢山とっていたのだが、ガイドさんにもうちょっと全体を撮るようにしたほうがいいとアドバイスをもらった。

カスバに住む男の子

カスバのパン屋

カスバを抜け、次に向かったのはノートルダム寺院。白い外壁と緻密な装飾の施された青いタイル見事なアルジェの北部に位置する街のシンボル的な存在。フランス統治下の時に建てられた、現在アルジェで唯一の教会である。アルジェリアの9割がイスラム教徒であるが、外国からの移住者や駐在するビジネスマンなどがこの教会にお祈りに来ているそうだ。午後5時くらいまでであれば教会の内部に入れるということだったので、入らせてもらった。写真撮影が禁じられているのでお見せすることができないが、椅子までも真っ白な大理石で重厚感がある。この教会のある丘からはアルジェの街並みの全体が見渡せ、展望台のような街の憩いの場となっていた。
太陽が黄金色に街を染めていく頃、ホテルに向かって出発。車が行き交う狭い路地を抜けていくため、ホテルに着くことにはすっかり日も暮れてしまった。途中、美しい湾岸沿いの大通りで夜の街並みを撮影させてもらった。夜は夜で、良い雰囲気だ。

白亜の外壁とブルーのテラスが印象的な共同住宅

ノートルダム寺院 院内は撮影不可

ノートルダム寺院からの街並み

オレンジ色の街灯に染まるアルジェの街並み

<ST ホテル>
アルジェの街の繁華街に位置するエレベーター付きの7階建て、3つ星ホテル。清潔感のある室内はいたってシンプル。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、エアコンはなし。WIFIは無料だが、室内では電波あるものの全く弱く使いものにならなかった。レセプションの近くであれば弱いながらも使えた。テレビ、冷蔵庫、バスローブ、ドライヤー、暖房器具あり。私の部屋だけかもしれないがなぜかシャワーの蛇口がHOTとCOLDが逆に取り付けられていた。つまり温かいシャワーを浴びるために栓をHOT側(赤い印の方)にひねるのだが、一向に熱くならず、まさかと思いつつ青色側にひねると熱くなった(海外あるある)。

ST ホテル

夕食は近くのホテルのレストランで。伝統的なアルジェリア料理をいただいた。
アルジェリア料理はコースのように、まずパンとスープが供され、それからサラダ、そしてメインという風に3種類の料金で構成されている、
まず私がいただいたのがショルバと呼ばれる、クスクスのような小さな麦の入ったトマト味のスープ。ミネストローネのような感じで日本人の舌にも合うと思う。体があったまる。そしてサラダ、アルジェリアの人々はサラダが好きらしく、基本的に昼・夜とも必ずといっていいほど出された。実際アルジェリアは農業国であるらしく、国民の四分の一が何らかの農業または家庭菜園に携わっているそうだ。それからピカタ・ドゥ・ボーという、いわゆる牛肉のステーキを頂く。日本のステーキは柔らかいものが多いが、こちらのステーキはアメリカンやオージービーフのような噛み応えのあるお肉。
イスラム圏のローカルの料理というと口に合わないものも多いが、どちらかというとアルジェリアの人々はヨーロピアンな味覚に近いかもしれない。あまり見慣れないような食べ物はなかった。しかしお酒はないお店がほとんど。
食事を終え、帰りに部屋で飲む用のコーラ(40AD)を買ってホテルに戻った。
11月5日
朝7時にホテルの朝食。ブッフェ形式だがあるのはフランスパンにクロワッサンなど4種類くらいのパンとゆで卵、そしてヨーグルトのみ。飲み物は紅茶、コーヒー、ジュースの3種類。「1日30品目を食べなさい」とよく聞くがこれでは赤点になりそうな献立である。
8時にホテルロビーにてガイドさんと合流。
この日はアルジェ郊外のティパサとシェルシェルを目指す。
<ティパサ>
アルジェから高速道路を走ること1時間、地中海沿いに世界遺産に指定された1世紀古代ローマ時代に隆盛を誇ったティパサと呼ばれる都市遺跡がある。ティパサを町として最初に築いたのは紀元前7世紀のフェニキア人。地中海の覇権争いに勝利したローマ帝国はここを海上交易の要所として繁栄させ、全盛期には1万人もの人々が生活していたそうだ。全長2300mの城壁に囲まれた街の中心には、ローマ神話の神・ジュピターを祀る祭壇、そこを交差点として東西に延びる石畳の街路と海へと続く道の先には、商店街や美しいモザイクの床が残る高級住宅街の面影を残している。その他、古代ローマ時代の街づくりには欠かせない闘技場、劇場、浴場、また20㎞以上離れた山からの引いた泉(貯水設備)まであったというから驚きだ。これらのティパサの発掘がされている部分はまだ45%ほどと言われており、残りの55%は海の下で眠っているというからその巨大さとそれを作り上げたローマ文明の叡智には感嘆するしかない。地中海の真っ青に広がる海と断崖沿いの古代ローマ遺跡のコントラストの美しい景色を見ながら、まだ見ぬ地中海に沈んだ残りの街並みに思いを馳せた。保存状態のよいモザイクやガラス細工などの出土品はすべてティパサの博物館に収められており、こちらも必見である。

ティパサの遺跡

地中海沿いの世界遺産 ティパサ

ティパサの遺跡は、その風光明媚な景観から地元の人々の憩いの場となっており、一緒に写真を撮ったりしてつかの間の交流を楽しんだ。学生ぐらいの年代と思われる女の子に、「懇願」して待望の(?)女性と写真を撮らせてもらった際、日本の伝統や様式に興味があるという女の子がいた。日本から遠く離れたアルジェリア地で歴史的には縁もゆかりがない日本のことに関心があることに驚きと同時に嬉しかった。年齢はもちろん、文化や習慣、宗教観など共通項がほとんどないような国同士の人間がこうやって交流できるから旅行は楽しいなと再度実感したのだった。

待望の女子

昼食はティパサの海岸沿いのシーフードレストランで。ティパサの街中ではシーフードのレストランが軒を連ねており、いずれも店頭で焼いており魚の焼ける香ばしいいい匂いを歩行者に向けて放っているものだから否が応でも食欲がそそられる。アルジェリアでは魚介類は高級食材だそうだが、ひっきりなしにお客さんが来る。人気店なのだろう。近くの港の威勢のいい声を聞きながら新鮮なシーフードに舌鼓をうった。

ティパサではシーフードレストランが軒を連ね美味しそうな香りを競うように放っている

焼き魚 ガイドさんはこの魚を赤、仏語で「ルージュ」と呼んでいた。

<シェルシェル>
ティパサより西へ約30㎞、世界遺産には登録はされていないが、紀元前2世紀にはモロッコからジブラルタル周辺までを支配下に治めた、ベルベル人マウリ部族の王国、モーリタニア王国の首都カエサリアが置かれていたという町シェルシェルがある。現在は人口5000人程度の小さな港町。当時の面影を残すものとしては劇場やローマ広場などが見られるが損傷が激しく、ティパサのそれらよりも保存状態はよくはない。しかし町の博物館で見られるこの地の王であったユバ2世やその妻であるクレオパトラ・セレーネのなめらかな曲線をもつ美しい彫像、さらにはギリシャ神話に登場する「三美神」を描いた妖艶なモザイク画等、ティパサに展示されているものよりも緻密で見事だと感じた。
またシェルシェル郊外には、ユバ2世が建てた妻クレオパトラ・セレーネを埋葬したとされる直径61m、高さ32m巨大な墳墓がある。60本もの大きな石柱が使われ、敵からの侵入を防ぐ為に入口を装った穴があるなど興味深い。

モーレタニア国王が建てたとされる巨大墳墓

シェルシェル博物館 三美神

ティパサ・シェルシェルの観光を終え、アルジェの空港へ向かう。
コンスタンティーヌへ向かう飛行機に乗るためだ。アルジェリア航空のチェックインを済ませ、昨日、今日とお世話になったガイドさん、ドライバーさんとは残念だがここでお別れ。名残惜しさをおさえ、出発ゲートへ向かう。
待合室では売店とコーヒーショップのみ。売店の女性にコーラを買うついでにインターネッットができるか聞いたところ、「まっすぐいったところWi-Fiのプレペイドカードの自販機があるからそこで購入して」と言われた。言われる通り、すすむと自販機があった。30分と1時間のカードがあり私は30分のカードを購入(250AD)。メールなどのチェックと今日行ったティパサ、シェルシェルについて調べた。
ボーディングタイムになっても、それらしいアナウンスはなく、待合室のフライト情報を表示するテレビのモニターは壊れていたのでちょっと心配だったが、コンスタンティーヌ行きの人々の列を見つけ、無事オンタイムで出発。フライトは約30分。コンスタンティーヌに到着。
荷物をピックアップしたあと、コンスタンティーヌの空港にて現地旅行社のスタッフ・サラ―さん、ドライバーさんと合流。
市内のレストランで遅めの夕食(牛肉の串焼き)を食べた。アルジェで食べたものよりもジューシーで美味しかった。
そして市内のホテルへ向かいチェックインを済ませ、就寝。
<イビス・コンスタンティーヌ>
市内中心部に建つモダンなホテル。世界チェーンのイビスだけのことはあり、室内は清潔で、デザインもシンプルながらおしゃれ。セーフティーボックス、エアコン、ドライヤー、無料のWIFIも完備。バスタブや冷蔵庫、スリッパ、バスローブはなかった。1階にはバーがあり、お酒も飲むことができる。

イビス・コンスタンティーヌ

11月6日
朝7時に朝食。さすがイビスだけあって朝食は大変充実していた。まずパンの種類が10種類くらいあって、その他にもシリアルや生野菜、さらにヨーグルト各種揃っていた。それほど食べるつもりはなかったが、お腹いっぱいいただいた。
8時にホテルのロビーに集合。
この日はアミラさんという女性の英語ガイドが付き添ってくれた。このアミラさんがまたモデルのごとく美しい。このアミラさんをモデルにしてコンスタンティーヌの絶景をバックに何枚も写真を撮らせてもらった。
<コンスタンティーヌ>
コンスタンティーヌが旅人を魅了してやまないのは絶壁に囲まれたその孤立したような地形からであろう。街だけがえぐり取られたように深い渓谷に周りを囲まれたこの島のような都市は、その地形から難攻不落の軍事都市として恐れられ、かつてはキルタというヌミディア王国の都であった。コンスタンティーヌの街の名は、その後この地を治めたローマ皇帝・コンスタンティヌス1世からとられた。この由緒ある街のシンボルは巨大な4本の橋。すべて断崖絶壁を跨ぐように掛けられた見事なアーチに誰もが息をのむことだろう。またコンスタンティーヌを起点として世界遺産のティムガットやジェミラ遺跡にも足を延ばすことができることからアルジェリアに訪れるのであれば外すことができない必見のスポットだ
我々はまず、ホテルをでて徒歩で、コンスタンティーヌの旧市街へ向かう。
旧市街ではまず、オスマントルコの支配下に建てられたアフマドベイ宮殿に向かう。アフマドベイ宮殿はかつてオスマントルコの総督の邸宅だったらしく、スペインから輸入した見事なタイルに、イタリアから輸入したという大理石の石柱。当時の贅を尽くしたであろう見事な装飾品に目を奪われる。

オスマントルコ時代に造られたアフマドベイ宮殿のドア

総督の提督といってもなかなか可愛らしい内装である

スペインから輸入したタイル

宮殿を抜けて細い路地に入り込むと、いつの間にか賑やかな商店街に迷い込んでいた。今日は金曜日。イスラム教の休日にかかわらず精肉店やスパイスマーケット、乾物屋などは営業しており賑わっていた。アミラさんが言うには平日にもなるともっと人出が多く芋を洗うような状況になるそうだ。この辺りの商店はローマ時代のさらに前、フェニキア人の統治時代から1000年以上続いているところもあるというから驚きである。またかつてはユダヤ人街があり、シナゴークも旧市街の中に数カ所点在していたそうだ。

コンスタンティーヌの旧市街のマーケットで

どちらが写真にうつるかでじゃれ合う果物屋さんの従業員

フェニキア人の時代に造られたという噴水 いまでもおいしい水がのめる

ハナカラギュウニュウー

商店を抜けると、フランス統治時代に造られたという大通りに出た。この通り沿いの建物はどことなくヨーロッパ調のものが多い。コンスタンティーヌは歴史ある街だけに、その建物や街づくりからかつて領主国の面影を感じることができて興味深い。
昼食はドライバーさんの友人だというお店のサンドイッチを食べた。朝もたらふく食べたのに昼食も美味しかったので思いがけずたくさんいただいてしまった。
午後はコンスタンティーヌに掛かる橋の中で特に観光客に人気高い4ヵ所をじっくり見に行った。
①まず訪れたのはコンスタンティーヌ旧市街の近くに架かる1912年に完成されたというシディ・ラシッド橋。4つの主要な橋の内、全長400mにも及ぶ巨大な橋で27ものアーチをもち、もともとは水道橋として使われていた。大きく曲線を描いており、この橋のたもとからも美しいアーチを楽しむことができる。橋の下では蚤の市が行われ賑わっていた。建設当初は世界で最も高い石橋だったそうだ。

シディ・ラシッド橋

シディ・ラシッド橋から見える旧市街の街

シディ・ラシッド橋の眼下に広がる谷

シディ・ラシッド橋とアミラさん

②次に向かったのは、ペレゴ橋。1917年から1925年に建設された高さ100m、長さ125mのコンスタンティーヌの中でも断崖絶壁の渓谷に架かり巨大な吊り橋である。この橋は車が通行できない歩道橋となっており、終日観光客で賑わっている。写真を撮るのであれば車が邪魔をしないのでおすすめだ。平日であれば橋の傍に展望台があって、この橋の全景を上空から眺められるのだが、あいにく金曜のためかなわなかった。

ペレゴ橋と私

ペレゴ橋

③3番目に訪れたのは、ローマ時代に水道橋としてかけられたアーチを1925年フランスが橋として再築したという、高さ100m、長さ35mのエルカンタラ橋。中央の巨大なアーチが特に目を引き、遠景からもその曲線美は確認出来る。

ペレゴ橋から見たエルカンタラ橋

ルカンタラ橋とアミラさん

④最後に訪れたのはシディ・ムシド橋。1912年に竣工した高さ175m、長さ164mの巨大な吊り橋。約2㎞続く断崖絶壁のリュメール渓谷に架かるその姿はまさに絶景。数あるコンスタンティーヌにかかる橋の中でもひときわ美しいと言われている。橋のたもとの丘の上にある病院から名前が取られた。またその病院の近くには、凱旋門があり深い谷を見下ろせる絶景の展望台となっている。なお夜になると派手なライトアップをされ、地元の若者たちで昼間よりも賑わっていた。

エルカンタラ橋からみたシディ・ムシド橋

シディ・ムシド橋から見える谷

シディ・ムシド橋から見える岩肌に沿った道路

シディ・ムシド橋

橋を見た後はコンスタンティーヌの郊外に出かけた。
5分ほど車を走らせると見えてくるのは巨大なエミール・アブデルカブル・モスク。
天に向かって延びる対の尖塔、外壁は一面真っ白な大理石。玉ねぎ型の屋根とシンメトリーの外観はタージマハルを彷彿とさせる。内部も見学出来、外観に負けないほど豪華絢爛なつくりになっている。

エミール・アブデルカブル・モスク

モスクでポーズを取ってくれたガイドのアミラさん

さらに郊外に向けて車を走らせること20分、コンスタンティーヌの絶壁の光景から一転、のどかな田園風景が見渡せる小高い丘の上にあるのが紀元前1世紀に造られた初代ヌミディア王国のマッシニッサ王(KINGMASSINISSA)のものと思われる大きな墳墓。
壮大な景色の中爽やかな風が吹き抜け、気持ちがいい。家族連れやカップルなど多くの地元の人々が思い思いに過ごしていた。

マッシニッサ王の墓

コンスタンティーヌの街に戻り、ライトアップされる橋を見学し、ホテルへ戻った。
残念ながらアミラさんとはお別れ。アミラさんのお陰で魅力あふれるコンスタンティーヌの街が更に3割増しぐらい楽しめたような気がする。
この日は昼ご飯をたくさん食べてお腹は減っていないので、イビスホテルで軽めの夕食を食べ就寝。なおホテルにはビールがあった(400AD)、銘柄はハイネケンなどの海外銘柄がほとんどだった。ワインはローカルのものもあるようだ。ただしボトルでのオーダーのみ。
11月7日
朝8時にホテルを出発。
この日は、コンスタンティーヌから世界有数のローマ遺跡が残るティムガッドと「アルジェリアのコロラド」とも称されるグーフィ峡谷を立ち寄りつつ、ビスキラという街まで移動する。
<ティムガッド>
コンスタンティーヌを出発して果てしなく続くようなハイウェイをひた走ること3時間。まさかこんな辺鄙な田舎町に巨大なローマ遺跡が?と半信半疑だったが、入り口から見渡せるその緻密に計算されたその整然さと町の広大さに圧倒された。
ティムガットは西暦100年頃、トラヤヌス帝によって建てられたという退役軍人達のための12ヘクタールにもおよぶ町であった。遺跡の入り口から中心部まで延びる石畳の道と街を東西に分ける道の2本がこの町の大通り。この大通りには巨大な馬車が通ったと思われる2本の並行したわだちが硬い石にしっかり刻まれている。細い路地は碁盤の目のようにきちんと張り巡らされ、区画ごとに整備されている。町の中には半円形劇場や、神殿、いくつかの浴場、市場、公衆トイレ、そして図書館まで完備され、特に図書館はローマ遺跡で現存しているのはここティムガッドとトルコのエフェス遺跡にしかない貴重なものだ。当時の本は現代のようにたやすく手に入るものではなかった時代であるからここに住んでいた元軍人はよほどの知識人達なのであろう。このティムガッドの遺跡の中でも目を引くのは凱旋門。時のローマ皇帝トラヤヌス帝の栄誉を讃えて造られたという、石畳の先が続く先にある12メートルもの高さと大小3つの美しい曲線を誇る凱旋門はこの町の栄華を現在に伝えている。
しかし7世紀のベルベル人による侵略以降、ティムガッドがその輝きを取り戻すことはなかった。ティムガットが「発見」されるのはその1200年後、フランス統治時代に考古学者達によって発掘されるのを待たなければならない。サハラの侵食のため、人が寄り付かず都市化されなかったことが、良好な保存状態で維持された一因となっている。そういった意味ではイタリアのポンペイに相通じる部分があり、それが今日ティムガット「アフリカのポンペイ」と称される所以となっている。

半円形劇場からの眺め

巨大な石柱の並ぶ神殿跡、ローマのパンテオンに匹敵する規模だったという

コンスタンティーヌから観光に来たという女性

この遺跡の石畳の一角にはこの町の住人が書いたと思われる落書きある。
「よく狩り、風呂に入り、仲間と戯れ、よく笑う。これが人生だ。(Hunting, bathing, playing, laughing—that’s living)」
兵役を終えた元軍人のおじいさんが、浴場や図書館、公衆トイレなどで仲間と語らいながら平和な余生を過ごしたのがありありと目を浮かんだ。
ティムガットを後にして、グーフィに至る途中の街で昼食。
コンスタンティーヌのガイド、アミラ女史のオススメということで紹介してもらったレストランを目指した。レストラン自体はただいま改装中で、実際にはオーナーの自宅で食事をとることとなった。アルジェリア人のお家を見られることになってラッキーだと思った。
町のホテルでレストランの従業員と合流し、オーナーのご自宅へ。家へ招かれ、中を見せてもらうとあまりにハイセンスでびっくり。こんなにお洒落なお家はそうないはずだと思ってガイドさんに聞くが、これが一般的なアルジェリア人の家庭だという。一般家庭がこんなに生活感がないお洒落なお家のはずがないと、今でも私は思っているのだがどうだろうか。また韓国ドラマがテレビで放送されていたことに驚いた。アルジェリア人が韓国ドラマに感情移入している様子を想像してみたがシュールに思えた。アラビア語の吹き替えで放送されているようだ。ところで韓国ドラマの世界的な人気は凄まじい。インドやフィリピンでも韓国ドラマをみたような気がする。

一般的(?)なアルジェリア人のご家庭

伝統料理クスクス

肝心の食事に話を戻そう。
まず人参とデーツの酢漬けのサラダが前菜として供された。そしてメインはタジン鍋で出てきたクスクス。チキンやラム肉に、なずびに人参など一緒に蒸されたクスクスは味わい深く、モロッコで食べたそれと比べて美味しく感じた。クスクスは北アフリカの原住民族ベルベル人の伝統料理で、その起源はアルジェリアにあるという。モロッコやチュニジアでもポピュラーで、バターを加えるのはモロッコ風、オリーブオイルを加えるのがチュニジア風だそうだ。すでにクスクスを食べたことがある人も一度味比べのためにトライしてみては?
食後は精巧な銀細工の茶器で淹れた甘いミントティーを皆と一緒に頂いた。
食事を終え、目指すはグーフィ峡谷。
車窓から流れていく景色は深い渓谷を持つ曲がりくねった山道へと変わっていった。うねうねとした道を行くこと約2時間半。若干の車酔いを感じながらもようやくたどり着いたグーフィ峡谷の展望台。
<グーフィ峡谷>
その高さ200m、全長3㎞にも及ぶ巨大な谷。「アルジェリアのコロラド」と言われるだけに、大きな曲線を持つ岩肌と、何千年もの歴史を感じさせる積み重ねられた剥き出しの地層の織りなす風景はダイナミックだ。ちょうと夕刻とあって渓谷全体が黄金色に照らし出され、何ものにも例え難いほどの壮観な光景を演出していた。展望台から渓谷へ降りていく道があり、いろいろな角度から渓谷の眺望を楽しんだ。また4世紀にベルベル人が築いたとされる村の遺構が散見され、かつて住んでいたであろう廃屋からは、暮れゆく夕陽と相まって郷愁の念のようなものを感じた。

荒々しい断層をもつグーフィ渓谷の絶壁

ベルベル人のかつてくらした村が見える

グーフィ渓谷をみにきた若者グループ

グーフィ峡谷から約1時間半。たどり着いたのはビスキラというビスキラ県の都。ガイドさんいわくビスキラの街にはあまりツーリストが宿泊するようなホテルはないが、街一番のホテルをおさえてくれたそうだ。
<エナックヒル>
交通の要所、ビスキラにある街の中では最も大規模なホテル。しかし国際的な基準から考えると星2つくらいだろう。ホテル内にはカフェやレストランが併設されているが、古さは否めない。室内はかなり広めにとられており、冷蔵庫、暖房器具、エアコン、テレビ、ドライヤーは完備。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、バスローブはない。WIFIはあるが非常に弱く、室内では使い物にならない。レセプション付近でヤフーのトップページが開くまで1分くらいの遅さだ。シャワーは水圧があまりつよくなく不便だが、ほかにホテルがないのだからしょうがないだろう。

エナックヒルホテル

11月8日
この日はジェミラという、前日訪れたティムガッドと同じく世界遺産に認定されたローマ遺跡で知られる街を目指す。
8時にホテルを出発。ビスキラからジェミラへは一旦コンスタンティーヌ方面に戻るように移動し、市街に入る手前の道で西側にそれる。曲がりくねった山道と果てなく続くようなハイウェイを走ること5時間。ようやくジェミラに到着。その前に、もうすでに昼食の時間だ。
ジェミラのパーキングそばのレストランで、サラダとチキンの生姜焼き(?)、フライドポテトのセットメニューをいただく。お腹を満たしたところで、ジェミラ観光開始。

ジェミラのパーキングそばのレストランにて昼食

<ジェミラ>
コンスタンティーヌから西に約200㎞。アラビア語で「美しい」という名前をつけられたローマ時代の植民都市。1世紀にローマ軍の要塞として建設され、2〜3世紀に最盛を誇ったとされる。その緩やかな丘陵にそって造られた街並みは42ヘクタール、未発掘の部分も含めると70ヘクタール、なんとティムガッド遺跡の5倍以上に及ぶ巨大都市だ。他のローマ遺跡と違いジェミラには東西を結ぶ大通り(デクマヌス)はない。南北を貫くカルドにそって街づくりがなされ、北から南へ、つまり平地から高地にかけて拡大されていった。そのためフォーラム跡が2つ確認できるほか、ビーナス神殿、ジュピター神殿、セプティミウス・セウェルスの神殿などの複数の神殿を持ち、南の端にはキリスト教区やバシリカが造られるなど統治国によって見られる変遷が興味深い。
ちなみに7世紀に北アフリカ一体を征服したアラブ人はジェミラを「美しい」といい街の名前としたが、ティパサを「荒廃した街」と評していた。アラブ人は正直な人たちである。とは言えあくまで7世紀の話なので、ティパサの名誉のために申し上げると、現在ティパサに見られる青い海とローマ時代の遺跡のコントラストは他に類するものが無い必見の場所であることは間違いない。

カラカラ帝の凱旋門

セプティミウス・セウェルスの神殿内部

セプティミウス・セウェルスの神殿

ジュピター神殿と像の半身部

とにかく広いジェミラ遺跡

遺跡に併設されたジェミラ博物館も見逃せない。
ギリシャ神話の神々の彫像のほか、出土品である計量器やランプ、家の装飾品、コインなど貴重な品々が展示されている。中でも見逃せないのは北アフリカ随一と呼ばれる素晴らしいモザイク画のコレクション。モザイク画だけで言えば、チュニジアのバルドー国立美術館に引けを取らないそうだ。保存状態も素晴らしく、ギリシャ神話をモチーフにしたであろう物語や当時の暮らしぶりを生き生きと今に伝えている。

ジェミラの博物館入口 ジュピター像の欠落した頭部

博物館含め、観光に費やした時間は2時間半にも及んだ。
ティムガッドではくまなく歩いて1時間半ほどだったので、いかにジェミラが巨大なのかがわかる。しかも緩やかな斜面に建設されているのでまるでハイキングをしたような感じで、途中息が上がることもあった。観光がようやく終わって、ジェミラのガイドさんにどれくらいの時間あるきましたかねぇと聞いてみると、1時間ちょっとですねという。そのあと時間を確認したら1時間どころか3時間近いし、どれだけ体内時計がくるっているのだと思った。
ジェミラの観光を終え、この日の宿泊地であるセティフへ。
セティフまでは車で約1時間半。セティフはアルジェに抜けるための交通の要地であり、ビスキラと比べると街の規模は少し大きいようだ。街を歩かせてもらった。いわゆる観光地を魅了するような、アルジェのカスバやフランス風の建物や、コンスタンティーヌのような断崖絶壁や隙間なく建てられた古い街並みはここにはなく、普段のアルジェリアの姿を見た気がした。
<エル・ラビ>
エル・ラビはセティフの中心部、噴水のある広場沿いに建つホテル。ホテルのランクとしては2.5星であろうか。古さは否めない6階建ての中規模のホテル。室内には冷蔵庫、エアコン、テレビ、バスタブ完備。スリッパ、バスローブ、セーフティーボックスはない。WIFIは室内では使えないが、ロビーではそこそこの速さで使える。旅行6日目にして、空港以外でようやくまともにインターネットができる環境に身を置いた。

エル・ラビホテル

夕食はセティフの街を散歩した時に購入したパンとコーラ。
11月9日
セティフの朝はかなり冷える、標高が高いらしい。朝8時に我々はホテルをでて、アルジェに向け車を走らせる。
整備された幹線道路をひた走る。途中で道路の拡張工事のためか、2回ほど渋滞に巻き込まれたが難なくクリア。アルジェに到着したのは4時間後だった。
アルジェではコンスタンティーヌからお世話になったドライバーのモハメドさんとお別れ、アルジェのドライバーの車に荷物を入れ替えて出発。モハメドさんはいつも私の大きなボストンバックをホテルのフロントから部屋に運んでくれたり、率先して車のトランクに入れてくれたりと大変ジェントルマンな方であった。またセティフでは一人歩きをしたいという私に対して危険だからということで付き添って歩いてくれた。これからまた数時間かけてご自宅のあるコンスタンティーヌ方面に戻るということなので感謝とともに「安全運転で気をつけて」と伝えた。
アルジェのロードサイドのブロシェット屋さんにて昼食。
ブロシェットというのは鶏肉や牛肉、ソーセージの串焼きのことで、日本で言えば焼鳥屋である。店頭ではじゅうじゅうと炭火で炙った串焼きのいい香りを漂わせている。アルジェリアの人たちはこの焼き鳥に韓国のコチジャンのような唐辛子のペーストのようなものをつけて食する。適度に辛くこれがまた食欲を増進させるのだ。これにビールがあったら最高だろう。気づいたら今回の旅でビールを飲んだのはコンスタンティーヌのイビスホテルだけであった。
アルジェのホテルに到着。アルジェでは到着日と同じくSTホテルに宿をとった。
この日の午後は全く予定がないので、のんびりアルジェの街中を歩くことにした。とはいってもすでにアルジェの主要な観光は到着日にすでに終えているので、自分の歩ける範囲で面白そうなところを探した。
アルジェにはチュニジアのチュニスと同じ名前のバルドー国立美術館があるらしく、そこはホテルから徒歩で20分くらいなので、そこへ行くことにした。
道中、アルジェの街は平日ながらも大変人通りが多く賑わっていた。
アルジェの繁華街は、いわゆる日本でもよく見かけるような全世界的なチェーン店、つまりマクドナルドやスターバックスにKFC、それに衣類量販店のZARAやGAPなどは全く見かけない。代わりに若者の向けに、割と洒落たお店は多い。マクドナルドをアルジェリア風にアレンジしたCITY BURGERというハンバーガーチェーンを見かけた。洋服屋さんが少ないのはイスラムの女性に好まれるような服が世界的なアパレル量販店では売られていないからであろうか。しかしアルジェを歩く女性は、ほかの都市と比べて黒いスカーフをスッポリ頭から被っている人たちは少ないようだ。長い髪の毛を露わにして、さっそうと歩くキャリアウーマンのような女性もいるし、割と派手な格好したギャルもいる。つまりアルジェの女性が全くお洒落ではないことはなさそうだ。一方、幼稚園児の中でもスカーフをしている子供としていない子供がいる。両親の宗教観によるところだろうが、ある日娘が「今日はスカーフしたくないの」と言われた時その親御さんはどのように説得するのだろうと思いを巡らせた。いずれにしても、こと都市部では従来の習慣・風習というものが緩やかに変化していることは間違いないだろう。
坂道を上ったあたりに、アルジェのバルドー国立美術館はあった。
入場料の払おうとしたころ、入り口の女性が入場無料だという、これはラッキーと思いさっそく館内へ。まず目に飛び込んでくるのは真っ白の外壁に、スペイン風のタイルで装飾されたオスマン風のスタイル。コンスタンティーヌでみた宮殿と似た様式ではあるが、中庭がない分建物の構造に趣向が凝らされているようだ。3階建てではあるが中2階があり、メッカの方角を向いた祈り用の小さな部屋、さらにはキッチンのパンを焼くようの釜戸の上はハマム室になっているなど機能的な構造をもっている。しかし特に貴重な展示物があるわけでない(貸し出し中?)、ただオスマン風の瀟洒な邸宅の内覧といった感じであるので博物館とは言えず、すくなからずがっかりした。
バルドー国立美術館を後にして、海辺の大通りに向かった。
前にも書いたことだが、目の間に広がる地中海と美しいヨーロッパ調の立ち並ぶ大通りをみると、まさか自分が北アフリカにいることを忘れてしまう。私と同じ気持ちなのか、アルジェの港の見渡せる広場ではひがな一日ベンチに腰掛けているおじさん達が大勢いた。
ホテル戻り、コーラを飲んで少し休憩。
ここで今回の旅は酒をほとんど飲んでいないことに気づいた。そうすると酒が飲みたいという気持ちがムクムクと立ち上がり、ホテルのフロントに聞いた。この先の角を曲がって、100mもあるけば右側にレストラン・ユニバーシティという店があるからそこで飲める、という。メルシー、ムッシュと伝え、夜の街へ繰り出した。しかし目当ての店は見つからない。行き過ぎたかなと思い、引き返すが見当たらないので別の店の人に聞いたところ、定休日なのかやっていなかった。別のレストランに酒が飲めるところはないかと確認した。結果だいぶ歩いたがこの日は酒を飲むことはできなった。酒を飲む以前に、閉まりだすお店が多く19:30を過ぎた時点でシャッターを閉めたお店の方が大半だった。仕方なくバルドー国立美術館に向かう時に見つけたCITY BURGERにてチーズバーガーを食べてホテルに戻った。なかなか美味しかった。

欧州調のアルジェの街並み

街中も賑やか

まるで南仏のよう

11月10日
この日はアルジェを立ち日本へ向かう。
現地旅行社のサラーさんもバケーションと仕事を兼ねて東京に行くそうで大阪行きの私をドーハまでアテンドしてくれることに。
飛行機は午後3時過ぎの出発。お昼頃まではゆっくりできるだろうなと思っていたが朝10時に空港へ向かうという。なんでも渋滞がひどいからこれくらいに出ないと危ないそうだ。
10時までにホテルを出られるように準備。どれくらいの渋滞かと覚悟していたが15分程度で到着。ラッキーといえばラッキーだが空港で5時間以上待つ羽目に。
サラーさんとベンチでカタール航空のカウンターオープン時間まで空港ベンチで待つ。カタール航空のカウンターは出発4時間前くらいの時間にオープンしたので我々は早速チェックイン。
その後歩いて国内線ターミナルに移動し昼食を食べることに。なんでも国際線ターミナルは物価が非常に高いらしくターミナルを移動してでも国内線ターミナルに行った方がよいとのこと。国内線ターミナルのピッツェリアで一人一枚の直径12㎝もありそうなピザを平らげた。ピザにもアルジェリア風のコチジャンを塗る。なおピザは1枚250AD。なるほどかなりお得である。
その後、出国検査へ。出国カードを書かされる。その後搭乗までビールを飲んでサラ―さんと待つ。そうなのだ。国際線のカフェではビールが買えるのだ。600 AD。高い。でも飲みたいんだからしょうがない。
そうしてドーハからは我々はそれぞれの帰途に就いた。あっというまの9日間だった。
~おまけ情報~
治安:まずご旅行をお考えの方、すべての方が気にされるのは治安だと思うが、これがどうして全く危険を感じることなく過ごせた。もちろん何もなかったからそういえるのであるが、最低限のこと、つまり夜中の一人歩きや貴重品を身に着けて不用意に出歩くのをさけていただければ、用心する必要はあるがそこまで構えることはないように思った。
お金:ユーロかドルをもって空港で、またはホテルで両替できる。食事が込みのツアーであればほとんど使うことはない。食費も食べるものによるがハンバーガーやサンドイッチなどのファストフードであれば500AD(だいたい600円)で食べられる。お酒は多少高く1ボトル400ADほど。
言葉:基本的にはアラビア語かフランス語。英語はホテルや高級レストランなど観光客を相手にしている業種以外あまりしゃべれない。若い人は比較的英語は通じた。
WIFI:一部ホテルは無料で利用できるが非常に電波が弱い。もし常にネットに接続してなければない状況の方であれば予めSIM フリーの携帯を用意するなど対策を立てたい。
その他:ティムガットやジェミラに行く際は山道を行くため、酔いやすい方は酔い止めをお持ちいただくのがお勧め。チップの習慣はないそうだが、特別なサービスや気持ちよく過ごせたのであれば渡したほうがスマート。
~お勧め度~
・アルジェとその近郊(ティムガット、シェルシェル)★★★★★
・コンスタンティーヌ ★★★★★
・ジェミラ ★★★★★
・ティムガット ★★★★
・グーフィ峡谷 ★★★☆
(2015年11月 橋本康弘)
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