まさにアドレア海の真珠・ドブロヴニク これからのヨーロッパの本命はバルカン半島なのだ。

まさにアドレア海の真珠・ドブロヴニク これからのヨーロッパの本命はバルカン半島なのだ。


ヨーロッパの南東部に位置するバルカン諸国(アルバニア、ブルガリア、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、ギリシャ等)はまだまだ日本人には馴染みが薄いが、その歴史は古く古代にさかのぼる。西暦前はマケドニア王国の時代、4~9世紀は東ローマ帝国、12~13世紀はブルガリア帝国、16~19世紀はオスマン帝国が統治し、その後はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となり、第2次世界大戦後は王制が廃止され共和制に移行した。1989年にはベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦が終結され東欧革命が起り、その影響を受ける。ただ、多民族国家であるユーゴスラビアは共産主義国ではあったがソ連とは異なる独自の共産主義を推進していた。1980年チトー大統領の死後、各民族の不満は高まり、冷戦終結の影響もあり構成していた6つの共和国は独立にいたる。6つの共和国とは、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアである。今回の出張はその中の4カ国、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアと鎖国状態が長かったアルバニアへの初体験の旅である。

スコピエ城塞

石橋


スタラ・チャルシャ

観光看板

マザーテレサ記念館

第1の訪問国マケドニアは、1991年に旧ユーゴスラビア連邦から平和的に独立した唯一の国家である。その名のとおり長い歴史を持つ国だが古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。民族はマケドニア人が約65%、アルバニア人が25%を占める。人口は200万人強。言語はマケドニア語が68%、アルバニア語が25%、トルコ語が3%、セルビア・クロアチア語が2%である。宗教は正教会が70%、イスラム教が29%、その他が1%である。首都、スコピエは1963年の地震によって市内の80%が破壊されてしまい、震災後の都市計画の大部分はなんと日本人都市計画家「丹下健三」によって策定された。最も人気の観光スポットである「スコピエ城塞」はおおよそ復元され保存されている。ヴァルダル川に架かる石橋(カメン・モスト)は1451年から1469年にメフメト2世によって造られたが、東岸にあるバルカン半島の中でも最大級のスタラ・チャルシャ(オールドバザール)と西岸のマケドニア広場を結んでいる。スコピエはマザーテレサの生誕の地として知られ18歳までここで過ごした。彼女の業績を記念するための記念館が2009年にオープンされている。マケドニア広場の中央には勇敢なアレキサンダー大王の像が見守り、ヴァルダル川沿いには新しいマケドニア博物館、オペラハウス、国立劇場等が建立され見事な景観を造り出している。歩きやすいように街歩きの看板が30ヶ所のおすすめポイントを示している。できたら1泊はしてじっくり街を歩くことをお薦めする。それだけの価値はある。

オフリドの町

聖ソフィア大聖堂

国立博物館

サミュエル要塞

湖からの旧市街

次はスコピエから3時間ほどで保養地として有名なオフリドに到着。中世には、聖キリルとメトディウスの弟子である聖クリメントと聖ナウムがこの地で布教活動を行い、以来オフリドはスラヴ世界におけるキリスト教文化の中心地として栄えた。1979年にはユネスコ世界遺産の複合遺産に登録され、マケドニア屈指の観光地としてにぎわっている。特に旧市街は見所満載だ。湖に沿って入っていくと、上階部分がせり出した白い建物の国立博物館があり、しばらく進むと聖ソフィヤ大聖堂、岬の先の聖ヨハネ・カネオ教会と続く。坂の上にはフレスコ画で有名な聖クレメント教会やイコン博物館がある。丘の上にはサミュエル要塞があり、ここからの町と湖の眺めは圧巻だ。仕上げはボートにのり、湖から眺めると旧市街全体が見渡すことができる。
第2の訪問国・アルバニアは第2次世界大戦後にほぼ鎖国状態となり1978年から完全な鎖国状態となった。1991年に「アルバニア共和国」に改称し、1992年の総選挙によって非共産政権が誕生した。しかし1997年のネズミ講の破綻で経済は混乱に陥った。その後は経済回復を続け、2000年にWTO加盟、2014年6月よりEU加盟候補国となっている。宗教構成はイスラム教70%、アルバニア正教会20%、ローマ・カトリック10%。民族はアルバニア人が大部分を占めている。

スカンデルベグ広場

ジャミーア・エトヘム・ベウトと時計台

首都、ティラナは17世紀にオスマン朝によって築かれ、隊商ルートの要衝として発展し、1920年に首都になった。スカンデルベグ広場が街の中心であり、国立歴史博物館、ジャミーア・エトヘム・ベウト、時計台、国立美術館が建ち並び、見所は集中している。

ベラディ城

神女就寝教会

コソボからも学生たち


千の窓の町

ティラナから車で2時間で世界遺産のベラディに着く。2008年に世界遺産登録されたベラディの見所は2つ。1つはベラディ城。紀元前4世紀に砦は築かれ、現在も多くの人が生活している。城内にはいくつか教会があり、その中の神女就寝教会は現在「オヌフリ・イコン博物館」として公開されており見ごたえがある。コソボからも学生たちが観光に来る人気の場所だ。2つ目は「千の窓の町」と呼ばれるゴリツァ地区。斜面を埋め尽くすようにレンガ色の屋根と白い壁の家が建ち並んでいる。博物館都市の名にふさわしい景観だ。宮崎駿監督の映画に出てきそうなメルヘンチックな町である。
第3の訪問国・モンテネグロは2006年6月に独立した。前身のモンテネグロ共和国は1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもセルビアと歩調を合わせ最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかった。1999年のコソボ紛争後、通貨や関税に関してセルビアから徐々に独立しようとする動きが強まっていった。そして2006年5月にセルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施され、6月に国際的にも独立が認められた。宗教は正教会が約75%、イスラム教が約18%。民族構成はモンテネグロ人が約43%、セルビア人が約32%、ボシュニャク人が約8%。言語は60%以上がセルビア語のモンテネグロ方言である。国名のモンテネグロとはヴェネツィア語の「黒い山」を意味し、自国では同じ意味のツルナ・ゴーラと呼ぶ。

旧市街

スロヴェンカ・ビーチ

旧市街・教会

首都のポドゴリツァを経由して、モンテネグロ屈指のリゾートタウン「ブドヴァ」を訪れる。600mのスロヴェンカ・ビーチと、城壁に囲まれた旧市街の組み合わせは心を開放させる。旧市街はほんの1時間もすれば歩いてまわれるほどで、教会や博物館、お土産や等がきれいに納まっている。

旧市街

聖トリプン大聖堂

聖ルカ教会

城壁

ブドヴァから車で40分もすれば、世界遺産の「コトル」に着く。コトルはアドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に位置している。背後には険しい山がそびえ、山に沿って城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた。旧市街の見所は何と言っても「聖トリプン大聖堂」だろう。ロマネスク様式の教会は威風堂々とこの町を見守っている。規模は小さいが「聖ルカ教会」「聖ニコラ教会」も見逃せない。時間があれば是非とも挑戦してほしいのが「城壁」登りだ。高さは最高で20m、長さは4.5km。頂上からは旧市街のみならず、遠くの入り組んだ湾まで望むことができる。
第4の訪問国はクロアチア。1991年に6月に独立するが、領内に多く住むセルビア人はその独立に反対し、セルビア人の保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入することとなる。このクロアチア紛争は1995年まで続き、多くの犠牲者とセルビア人難民を生み出した。2013年には正式にEUに加盟し、近年多くの観光客が訪れている。宗教はローマ・カトリックが88%、そのほかセルビア正教など。民族構成はクロアチア人89.6%、セルビア人4.5%。言語はクロアチア語である。ただ、セルビア語、ボスニア語とは方言程度の違いしかない。

アドレア海の真珠・ドブロヴニク

路上パフォーマンス

旧市街

ドブロヴニクの新郎・新婦

ロープウエイ


夕焼けに染まった旧市街

今回は「アドレア海の真珠」と呼ばれるクロアチアきっての観光地「ドブロヴニク」を訪問。町はアドレア海に突き出した旧市街と、スルジ山の裾野に広がる新市街からなるが、見所は旧市街だ。オレンジ色の瓦屋根を頂いた家がぎっしり並び、敷き詰められた大理石が細い路地まで延びている。1991年のクロアチア紛争によりかなりの被害を受け、今もなお弾痕があちこちに見られるが戦後修復が進み昔の美しい町に戻り、1994年に世界遺産に再登録された。およそ500m四方の町はどこを歩いても中世の町にスリップした錯覚を覚える。それは現代風に洗練された旧市街だ。ロープウエイでスルジ山に登れば、まさにアドレア海の真珠と形容された景観に圧倒される。朝焼けに染まった旧市街、夕焼けに染まった旧市街、どの瞬間でもずっと見続けていたいものがそこにある。
最後、第5の訪問国ボスニア・ヘルツェゴビナはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人共和国)の二つの構成体からなる連邦国家である。44%のイスラム教徒中心のボシュニャク人(旧ムスリム人)や、17%のローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望み、33%のセルビア人が反対する中、国民投票を決行し1992年独立を宣言した。しかし翌月には反対するセルビア人との間で軍事衝突に発展した。いわゆるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1992年4月1日から1995年12月14日まで3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた。NATOによるセルビア人勢力に対する空爆が実施されたり、カーター元アメリカ大統領の仲介により停戦が実現したりした後、パリで和平が公式に合意(デイトン合意)され戦闘は終結した。領土配分はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が51%、スルプスカ共和国が49%とされ、それぞれ独自の議会が設けられている。今はEU加盟が3民族の共通の目標とされており、国旗にもそれが現れている。言語はボスニア語、クロアチア語、セルビア語であるが、実際には住民は民族の別にかかわらず地域ごとの方言を話している。

ブラガイ

スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ

ドブロヴニクから国境を超え、車で2時間半でブラガイに着く。ブナ川沿いに築かれたブラガイはローマ以前から砦が築かれていた歴史ある町だ。イスラム教の修道院「スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ」は切手のデザインにも使われており、有名な観光スポットだ。


スターリ・モスト(石橋)

旧市街

ブラガイから北へ12kmあがると、北世界遺産に登録されている「モスタル旧市街」に到着。モスタルはヘルツェゴビナ地方の政治・経済・文化の中心だが、その名を有名にしているのはネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」である。この橋から伝統のジャンプ大会が行われるが、タイミングがよければ美しい「白鳥跳」が見られるかもしれない。この橋は紛争中の1993年に破壊されたが、ユネスコの協力で2004年に復元された。旧市街は16世紀からキャラバン・ルートの町として栄え、古い建物はオスマン朝時代を偲ばせる。

サラエヴォの街並み

バシチャルシア

トンネル博物館

さらに2時間弱でボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォに到着。1984年には冬季オリンピックが開催された街でもある。最近ではその名を有名にしたのは、元日本サッカー監督「オシム」さんの出身地によるところが大きい。よく街で見かけるとガイドのメヒックさんの話なので、もしかして会えるかもと期待して街を回った。旧市街の中心にあるバシチャルシア(職人街)は赤いレンガの古い家が建ち並び、オリエントの雰囲気を醸し出している。イスラム教、カトリック、正教会、ユダヤ教の各宗教施設が並びあう様は、多民族・多宗教が交じり合ったサラエヴォの魅力である。平日にもかかわらず沢山の観光客で旧市街で溢れ、観光客もその出身はまた国際色豊かであった。しかしながら、紛争の跡は弾痕としてビルのあちこちに残っている。2度と紛争を起こさないために、空港の近くに「トンネル博物館」がある。旧ユーゴスラビア連邦軍に包囲されていたが、このトンネルのおかげで物資の輸送が可能になった。当時のトロッコ、武器、等が展示されている。オシムさんには会えなかったけれど、活気溢れる街に出会えて満足だった。 バルカン諸国はまだまだ日本人にはなじみが少ないが、見所も多く、文化・宗教・民族が交じり合った魅力的なとっておきの国々だ。次のヨーロッパはぜひともバルカン半島へ。
おすすめ度
ドブロヴニク★★★★★
アドリア海の真珠の名にふさわしい旧市街。クロアチアに行くならここは絶対はずせません。
サラエヴォ★★★★
オリエンタルムード溢れる街は買い物にも食べ歩きにも、もちろん観光にも期待をうらぎりません。
コトル★★★★
アドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に、こんな素敵な町があるとは驚きです。
モスタル★★★
ネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」は見逃せません。
2014年10月
本山泰久
アルバニア
マケドニア
クロアチア
ボスニア・ヘルツェコビナ
モンテネグロ

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