過去と未来が交錯する街バクー

過去と未来が交錯する街バクー

かわいい子供たち

昔ながらの旧市街と富める街並み

「官僚機構はその末端まで腐敗している。(中略)理由も言わずに金品を要求する空港の入管職員に、暇つぶしに職質をし、賄賂を要求する警官とダメな役人が多すぎる。」現地に持って行ったコーカサスのガイドブックには散々に書かれていた。特にアゼルバイジャンの警官の洗練度はコーカサス3国中最も低いらしい。そこまでのことが書いてある国もめずらしい。一体どんな国なんだろう。空港で、街で、世界遺産の遺跡で、私のお小遣いは地元の警察官によって巻き上げられてしまうのだろうか。絶対に屈さない気持ちで、いつも以上に気合を入れて出発した。

ヨーロッパの街角のようなテラス席のカフェ

ライトアップが美しいバクーの街(ハイダルアリエフファンデーションの建物と国立美術館)

地下道の入り口もこんなにすてき


アゼルバイジャンのバクーは今、油田開発で景気がすごくいい。第二次世界大戦中、アムステルダム、サンクトペテルブルグ、 ニューヨーク、バクー、4つの都市のうちどこを手に入れたいかと聞かれたヒトラーは迷わずバクーを選んだという。オイル、天然ガス、鉱石、キャビア…天然資源にあふれた国で、世界中からの投資が集まっている。イスタンブールから乗ったバクーへの飛行機はビジネスマンで満席。日本人や中国人らしき人は見かけなかった。空港から市内への道路は新しい高層ビルが立ち並び、建設中のものもたくさんある。街を歩けば金ぴかのメトロの駅があったり、ホテルのスパではキャビアを使ったトリートメントなんかもあって、本当に豊かな国なんだと改めて実感する。バクーは第二のドバイと聞いたけれども、確かにそうかもしれない。でもこの国はただの金持ち国っていうのでは終わらない。そんなに単純な国ではなかった。

バクー旧市街

猫も多い

旧市街ではバルコニーに注目!

旅は一期一会。突然八百屋さんと一緒に写真を撮ることになりました。

着いたら早々に散策へ。旧ソ連時代の建物がたくさん残る旧市街は、モロッコのマラケシュやフェズのようなお土産屋さんはほとんどなく、多くが民家で、ときどき八百屋さんや、チャイを出すお店などがある、本当に昔のままを残すエリア。建物はとてもシンプルな四角い形の家々。でも多くの家にベランダのような小さなバルコニーが付いていて、オークでできているというバルコニーはレトロでとても趣がある。日本人が珍しいのか、カメラが珍しいのか、子供達が(結構大人も多かったかもしれない)写真を撮ってくれと近寄ってきて、その度にたくさんの写真を撮った。アゼルバイジャンを旅行していた間ずっと。中には、家の中からおばあちゃんを呼んできて、一緒に写真に残してほしいとお願いされたり、フルーツやおかしをくれる人がいたり…楽しかった思い出の一つ。アゼルバイジャンは総じて人なつっこい人が多いと思う。オイルで儲かっているUAEもよく、お金持ちの国と言われる。そういう国は世界でも珍しくない。でも少なくともドバイはこんな感じではなかった。出稼ぎの外国人が多いせいだろうか、現地の人の区別がつきにくく、ドバイでは会う人、話す人、なんとなくよそよそしい感じがした。バクーはドバイとは違う。

モスクと高層ビルが一緒に並ぶ

カスピ海に面したバクー

2日目はガイドさんと一緒にバクーの市内と少し郊外まで観光へ行った。まずはバクーを見渡すビューポイントへ。フレームタワーというアゼルバイジャンのシンボル「火」をかたどった、まさにバブルの象徴のようなド派手なビルのたもとから市内を眺める。このビューポイントは殉教者公園と呼ばれ、カスピ海、バクーの旧市街、新しいビル群、油田、モスクなどアゼルバイジャンの今と昔を一度に全て見渡すことができるところだ。フレームタワーの真横にはモスクがあり、近未来の都市にいるような気持ちがする。でも一方でカスピ海には大きな油膜があちこちに、そして遠くからでもよく見えて、相当海が汚れているような感じがした。

シルバンシャー宮殿

銃痕が残る宮殿の壁

夜の乙女の塔

塔の中にいたつばめは隣のビルへ(建物の壁のツバメの模様のところに人工の巣がある)

続いて旧市街の中にある、シルバンシャー宮殿と乙女の塔へ。バクーの旧市街とその中にあるこの2つの遺跡は世界遺産に指定されている。シルバンシャー宮殿は15世紀のシルバンシャー朝の王様の住まいだったそうで、その中にはモスクや王様などのお墓が残っている。当時の人々の暮らしがよくわかる。さらに驚いてしまうのは遺跡の壁がでこぼこしていて無数の銃が打ち込まれた跡があること。旧ソ連時代に新しく開発された拳銃のテストのため、このシルバンシャー宮殿の壁が使われたそうだ。世界遺産になるような遺跡で拳銃のテストをしてしまうって、次元が違う!
続いて乙女の塔へ。見張り台として12世紀にできたこの遺跡、一時はお金持ちが資産を守るために大切なものを保管する倉庫として利用したそうだ。内部は外からの攻撃を受けないように複雑な作りになっている。昨年は修復のために塔の内部の調査をしたところ、多数のツバメの巣がみつかったそうだ。修復のため、そのツバメを傷つけないよう、ツバメを外に逃がすプロジェクトがあったらしい。日本とオーストリアの会社が協力してみごとに大成功、鳥を一羽も殺すことなく、隣のビルに人工的に作った巣へと移動させたそうだ。うむ、いい話。

拝火教寺院

寺院ではインド人のようなマネキンがおいてある

ランチをはさんで、次は郊外にある拝火教寺院と燃える丘「ヤナルタグ」。拝火教寺院はバクー市内から車で20分くらいのところにある。拝火教はもともとイラン発祥。かつてイラン系の人が多く住んでいたこの辺りに自然の火が燃え盛っており、火を敬う拝火教の教徒が集まったそうだ。24時間消えることなく燃えているこの火は、現在、アゼルバイジャンのガス会社から供給されている。昔のように自然にわいている火ではない。アゼルバイジャンはシルクロードの通り道だった。拝火教徒たちはこの国を通過する商人から物を買い上げ、商人はまた、拝火教の教徒に運んできたものを買ってもらうため、信者のような振りをしてこのあたりにやってきたそうだ。当時教徒がどんな風に暮らしていたかは、インド人風の人形の模型で解説されている。夜にもしここに一人で来たら、ちょっと怖そうな人形がいっぱいだが、わかりやすかった。

燃える丘、ヤナルタグ

つづいて燃える丘へ行く。燃える丘、アゼルバイジャン語で「ヤナルタグ」はオイルを掘削する機械が点々としている平原の中にある。からっからに乾燥した土が広がるところで、ぽつぽつと民家がある程度のところ。自分が走る車の下には大量のオイルが埋まっている…なんだか実感がわかないが、とにかくここで世界中が欲しがる原油が取れる。アゼルバイジャンの油はグルジア、トルコを通過しヨーロッパのほとんどに国に供給されているそうだ。地下に天然ガスも埋まっている。資源があるって本当にうらやましい。そんなところに突然現れるヤナルタグ。地面から吹き出ている天然ガスが空気中の酸素に触れ自然発火している。確かに燃える丘だ。地面がごーごーという音とともに燃えている。音がすごい。結構熱くて3mくらい離れないと眉毛とか髪の毛が焼けそうだ。観光客も現地の人も誰もいない静かなところだが、冬になると子供が暖を取りにやってくるそうだ。雪が積もると、火が燃えているところだけ雪が溶けて景色がきれいらしい。でもこうして何もしなくても燃える火があるのに、特に入場料を取るような観光地にしているわけでもないところが、この国の余裕さなのだろうか。多くの人はこれを見たら驚くと思う。ながい棒か何かにトウモロコシを刺して遠くから焼いたり、長いお箸を使ってバーバキューなんかもできるような気がするけれど。そんな火で焼いたトウモロコシを食べてみたい、と思ってしまうのは私だけではないと思う。


フレームタワー3変化

夜はカスピ海クルーズへ。今の時期、アゼルバイジャンの日没は夜8時半ころ。ビルなどのライトがつくのはそれ以降だ。約40分間のクルーズは3マナト(約390円)で乗れる。カスピ海に面したバクー湾をクルーズする。夏場は深夜0時まで船は動いている。日が完全に暮れるのを待って午後10時に乗船。遅い時間でも子供がたくさんいた。この辺りの子供達は結構遅くまで親に連れられて散歩していたりする。さて、夜のクルーズはバクーの高層ビル群のライトアップを一望できる。海から眺めるバクー市内もとてもきれいだ。3つの炎をかたどったフレームタワー、夜にはなんとビルの壁にリアルな炎やアゼルバイジャンの国旗を振る人の姿が浮かび上がる。(写真参照)このビルの壁(窓)はLEDのテレビ画面でできているとのこと。鮮明さがすごい。一度香港でも似たようなライトアップされるビルを見たがあれは確か、さまざまな色と形の電燈をつけたり消したりしているものだ。それとは色の鮮やかさが違う。さらにカスピ海上には現在大きなスタジアムを建設中で、ほぼ完成に近いライトアップされたスタジアムを横目に船は折り返し、港へ戻る。夜のバクーは光に溢れる宝石のようなところ。カスピ海クルーズはぜひ夜をおすすめしたい。

ルーブル美術館みたいなバクーオールドタウン駅

駅内の芸術品

金色がまぶしすぎる地下通路

翌日は市内中心部からバクー国鉄駅のあるところまでメトロで出かけた。ご存知の方も多いと思うが、ロシアのサンクトペテルブルグやモスクワの地下鉄の駅は、地下の奥深くにあり、壁には美しい装飾がされていることでも有名。旧ソ連圏であったアゼルバイジャンもまた同じで、バクーにある各駅でもその片鱗は見られる。ソ連から独立後、一部の駅ではソビエト的な社会主義的装飾はふさわしくないとのことで、そのような装飾は取り外されたりしたそうで、モスクワのような美術館や宮殿のような駅とまではいかないが、彫刻やモザイクで飾られているところがあり結構おもしろい。駅の入り口がルーブル美術館のようなところもある。(写真参照)一方、車両はものすごくレトロで、数十年は使われているものと思われる。ガタガタと脱線するのではないかというほど揺れるし、ものすごい音を立てて走り、車内で会話をしても聞き取れないくらいなのだが、多くの乗客がスマホを片手に電話をしている。電話をするふりまでしないはず。そんなふりをしてもなんの得にもならない。あの状況で電話をするのもすごいが、あの奥深くにある地下鉄でも電波が通じていることもすごい。
駅では結構散々な目にあった。駅や空港など公共の施設には警察官や軍人がいて、椅子に座ってぼーとしているようだが(失礼)、意外といろいろなことに目を光らせている。私は芸術的な駅の写真を撮ったところでどこからか現れたおじさん警察官に呼びつけられ、それまでに撮影した駅などの写真を削除させられた。その後も空港内や飛行機の写真など、こっそり撮影していたのに、すーっと現れた役人にそれらの写真を消され、残念ながら駅の様子や、ショッピングモールの写真など公共の建物の写真がほとんどない。そもそも撮影禁止なんてどこにもなかったと思う。今思うと、あのとき賄賂を払えばそれらの写真は消さずに済んだのだろうか。だとしたら50ドル?100ドル?いくらなんだろう。

レトロな列車

バクーメトロは日本の鉄道各社のようなカードにお金をチャージして乗車する。日本と違って紙の切符は一切なく、そのカードがないと乗ることができない。1枚のカードを二人で使うことも出来るようだが、一人が改札を通ったら、そのカードをまだ改札を通っていない向こうにいる同行者に渡し二人目が改札を通るという、ハイテクとアナログが一体化したようなカードだ。駅には英語での案内はなく、もちろんカードの買い方も運賃もわからない。もじもじしていたら、窓口のおばあちゃんが呼んでいるではないか!助け舟かと思いきや、持っていた10マナト紙幣(1400円相当)をさらうようにとられ、どんどん新しいカードにチャージをしてくれる。改札の通り方もわからず、もたもたしていたら、さっき窓口にいたおばあちゃん駅員が現れ、私が手に持っていた1マナト紙幣(140円相当)もかっさらわれ、例の1枚、2名利用の改札の通り方を教えてくれた。改札を通れたのはよかったが、さっきの1マナトは???え、チップがわり?あまりの早業に驚きながらも、悔しい気持ちになった。でもこうして教えてもらったし、たった1マナトだしとどうにか自分を納得させる。でも嫌な予感。改札を通ったとき、画面には0.2マナト(28円相当)の表示が。どうやら運賃は0.2マナトらしい。目的地に着いてカードの残額を確かめるとほとんど残ってない。渡した10マナト分がチャージされてなかった。でた!悪質駅員!まんまと引っかかってしまった!日本に戻りGoogleでバクーメトロを検索すると新しいカードは2マナト、運賃は1区間0.2マナト。私のカードは2名が1往復するだけで残金がなくなった。「だまされた」というほどの金額ではないとはいっても、そういうこと、日本の駅員さんはしないと思う。

チャイと砂糖漬けのフルーツ

チャイとクッキー

新市街のレストランではこんなおしゃれなプレートで

宮殿KFC

駅前には大きなショッピングモールがあり、店内には日本でもおなじみの海外の洋服やさんやパソコンなどを売る電気屋さん、フードコートなど、日本と変わらないモールの風景がある。こんなモールがバクー市内にいくつかある。ケンタッキーフライドチキンのお店もアゼルバイジャンだとものすごい建物になる。(写真参照)バクー駅周辺は旧市街のエリアと違って、今どきのアゼルバイジャンがわかるところだ。旧市街のレストランで食事をするなら、ロシア料理のようなアゼルバイジャン伝統料理と砂糖漬けのフルーツとチャイ。でも、新市街なら外のテラスで食べる、フレンチのように盛られた料理とチャイ。チャイに添えられているのはフルーツではなくクッキー。アゼルバイジャンは大きく変わりつつある国、でも旧市街にはまだまだはっきりとアゼルバイジャンの原風景が残っていた。

パン屋で

街かどで

ひどい目にはあいたくない、意味なく役人からお金を取られたくないと気合を入れてでかけたものの、現地に到着してみると拍子抜けしてしまうほど静かで、入管の人だってとても穏やか。街はごみ一つ落ちていなくて、公園はきちんと整備されている。高層ビルが立ち並ぶ中でも路地に入ればローカルのバザールやパン屋さんがあって、どこでもひとなつっこい笑顔に会える。シルクロードの中心地だからアゼルバイジャンは昔から外国人が行き交った。外国の文化、外国人に対して、寛容で優しいと聞く。アゼルバイジャンの人は本当に優しい。
オイルマネーで国はゆたかになっているのは確かで、政府の建物はどれも新しくていかにもお金がかかっている感じだ。でも私が出会ったおばあちゃん駅員さんのような人だっていたし、スマイルゼロ、お世辞にも親切とは言えないアゼルバイジャン航空のチェックインカウンターのような人だっている。ショッピングモールのフードコートはファーストフードを買う若者でいっぱいだった。世界からの投資による経済成長は国民の生活には決して反映していないように思える。第二のドバイと呼ばれる理由はある一部分。アゼルバイジャンはアゼルバイジャンらしさを残しながら、これからもすこしずつ変わっていくのだと思う。バクーの市内ではサスティナブルシティといわれる新しいエコロジーな街ハイダルアリエフアベニュー、バクーホワイトシティという大規模な都市計画が進んでいる。カスピ海上にはドバイのバージアルアラブのようなユニークな形のビルディングもできるそうだ。10年後どんな風になっているのだろう。今後が気になる国。10年後にもう一度訪ねてみたい。
バクー
シルクロードの交差点、かつては旧ソ連圏。過去の歴史がバクーをつくりだしている。不思議な街。
★★★★
世界遺産の旧市街
★★★★
観光地化していない素朴な街並みがいい
カスピ海クルーズ
★★★★
夜のバクーの街並みを一望
燃える丘、ヤナルタグ
★★★
丘が燃えている風景は日本人ならだれしも驚くはず。
2014年5月 吉木 真耶
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