ド定番!でも定番だからこそ間違いない、ペルー9日間の旅

ド定番!でも定番だからこそ間違いない、ペルー9日間の旅

マチュピチュ遺跡

日本を出発してからほぼ丸一日。
長い長い時間をかけて私がたどり着いたのは、ペルーの首都リマ。そう、今回の出張は憧れのマチュピチュとナスカの地上絵のある、あのペルーだ。
しんどい体で深夜にホテルに到着したが、翌日早朝のフライトに乗るため、ホテルでは1時間程度の仮眠しかできず私はクスコへ向かった。


クスコの街はインカ帝国時代の首都。石畳の道路や、オレンジの屋根が連なる街並みはとてもかわいらしい。サン・クリストバル教会のある丘からは素晴らしい街並みが一望できる。そして、今も普通にレストランやホテル、ショップとして使われている建物が、インカの石組みそのものであるから驚きだ。16世紀に造られた石組の壁は、カミソリ一枚も通さない、と言われるほどに精巧な作りになっている。インカの石組の上にスペイン統治時代に作られた建物が組み合わさっているという、なんとも独特な雰囲気だ。

サン・クリストバル教会から眺める街並み

そして、日本でも人気のあるアルパカ・リャマ牧場へ。
もふもふでつぶらな瞳のアルパカに癒される。アルパカとかリャマとかビクーニャとか、種類がいっぱいいるのだが、どれがどれだかさっぱりわからない!

アルパカ牧場にて

クスコからさらに1時間ほど車で走ったところに、ピサックという村がある。この村の見どころは、露店とピサック遺跡。ピサック遺跡はマチュピチュほどではないが、とても見事な段々畑の遺跡がきれいに残っている。観光客もそこまで多くない。段々畑と太陽の神殿、インカの石組があり、小さなマチュピチュ遺跡といった感じだ。

ピサック遺跡

そしてこの日、もう一つの楽しみ、ピサック市場へ。ここには海外からも買い付けの人が来るほど露店が充実していて、クスコやマチュピチュよりもモノが安い!ペルーらしいカラフルな織物やかわいい民芸品、アルパカの人形などが所狭しと並んでいる。これはもう、女子の心をわし掴みだ。


ピサック市場

ピサックを通り、列車に乗るためにオリャンタイタンボへと向かう。
ここからペルーレイルに乗り、目指すはマチュピチュ遺跡!

ペルーレイル

11月、マチュピチュは雨季にあたる。残念ながら、私の行った日も雨が降ったりやんだり。よく目にすることのある、マチュピチュ遺跡の写真に写っている山をワイナピチュと呼ぶ。ワイナピチュからはマチュピチュ遺跡が一望でき、登山チケットは人気が高い。一日に400人までという制限があるので、ワイナピチュ登山を希望の場合、日本から予約を入れるのがベターである。私も、ワイナピチュチケットを事前購入し登山をしてみた。想像以上にアップダウンが激しく、ありえないほどに整備がされていない箇所が多い。一歩足を踏み外したら骨折るな、いや、それで済むかな、という恐ろしい局面が何度もあった。普段から運動嫌いな私にとってワイナピチュ登山は苦行以外の何物でもなかった。そしてやっとの思いでたどり着いた山頂…。うん、途中から気づいてはいた。だってあまりに霧が多かったから。でももう戻れないから、うっすら気づいていたけど頑張って登った。でも、でも…。
真っ白じゃないかーーー!!こんな苦労して霧を見に来たの、私?霧は下でも見れてたよー、ていうか登っている間中ずっと霧だらけだったよー(涙)

濃霧を眺める

思った以上に狭く、岩がちな山頂

それでも小一時間粘っていると、霧が少し晴れてちょっとマチュピチュが見えたり、見えなかったり。残念ながら、ついぞ全景を見るには至らなかった。まぁ、何事も経験というし、これはこれで、ねぇ?と自分に言い聞かせた。
ワイナピチュは朝7時からと10時からに200人ずつ分けて登るそうだが、雨季であれば10時からの方が見られる確率が絶対的に高くなると思う。登山をお考えの方、朝イチはお避け下さい。
太陽が上がるにつれ、霧が晴れていく。無事ワイナピチュを下山したころには見事な見晴らしになっていた。ぎゃふん。
気を取り直して、ペルーの最大の観光地、マチュピチュを見学しよう。
これこれ。これだよー、私がずっと見たかったのは。教科書やテレビてみたままの景色が目の前に広がっている。


マチュピチュ遺跡

こんなお山の頂上にこんなに立派な都市を作るなんてー。この石はどうやってここに運ばれたんだろう、どうしてこんなきれいに切り出せたんだろう、どうやって積み上げたんだろう。はぁー不思議だ。そしてこの広大な段々畑でたくさんの種類のジャガイモやトウモロコシを栽培していたのだ。水路、日当たり、計算しつくされた石組と、古代の人の知恵は計り知れない。
そしてまたマチュピチュから列車に乗り、クスコの街へ。
バックパッカーの間で、クスコは安く質のいいオーダーメイドの靴が作れる街として知られているらしい!これはどんなものかと私もお店を探してみた。看板など出ていないので探すのは一苦労。まず、足の大きさ、甲の高さなどを採寸してもらう。そして、好みの靴のベースの色を選択。そしてそしてたくさんの生地の中から自分の好みの柄を選択。サイド部分は色を変えてもらった。スペイン語しかできないお店のおじちゃん。私は明日の早朝出発だからどうしても今日中に欲しいのだ、と伝えてもちーっとも伝わらない。道行く青年を捉まえ、通訳をしてもらう。通常なら1日以上はかかるところを無理言って当日の夜に仕上げてくれるという。
日中は市内の観光をして、約束の21時にワクワクしながらお店へ。
おっちゃーん出来た~?とお店を訪ねると、靴を持っておっちゃん登場。
きゃーかわいー!!ボニータ、ボニータ!と喜んでいると、おっちゃんも満足げな表情になっていた。早速試着。採寸してもらっただけあって、私の足にジャストフィット。これで約27ドルだから、安い買い物だ。もう一足作りたいくらいだ。

素材選び

見本

世界で一つだけの私の靴、完成!!

そして旅の最後の目的地は、ナスカ。
パン・アメリカンハイウェイをひた走ること約8時間。4時間ほど走った後、喧噪の街並みが徐々に荒涼とした砂漠の景色に変わっていく。地平線の向こうまでまっすぐな道が続く。

パン・アメリカンハイウェイ

8時間の移動の疲れもそのまま、セスナに乗り込む。

セスナ

離陸後間もなく、あの地上絵が見えてきた!教科書やテレビでしか見たことのない、あの地上絵!まさか自分の目で見られる日が来るとは、小さいころには思いもしなかったなぁ。
肉眼でははっきり地上絵が見れるのだが、写真だとわかりにくい…。

宇宙人

ハチドリ

左右のどちらの座席の人にも見られる様、何度も旋回をするし、ずーっと下を見ているので次第に気持ちが悪くなってきた。
座席には紙袋が用意されていたが、これを使うことがないようにとフライトの間、ずっと祈っていた。無事、ゲロ袋のお世話になることはなく、セスナを降りた途端に回復し、直後のランチもおいしく間食。
昼食の後は墓地跡(チャウチージャ)へ。ここはナスカ時代(あるいはもっと前)に使われていた墓地だが、盗掘者によってお墓は掘り起こされ、金目のものはすべて持ちさらわれてしまっている。そのため、ここのお墓に関する詳細はほとんどわからないのだそうだ。盗掘者は墓を暴くときに、ミイラを破壊したり、投げ捨てたりしていた。そのため、お墓に展示されているミイラがそもそもその墓穴にあった訳ではく、さらにはミイラの胴体と骸骨は別人だというから面白い。14つの墓穴が展示されているのだが、あちらこちらに盗掘者の掘り起こしたクレーターのような跡や、散らばった人骨やミイラを包んでいたと思しき綿が見られる。ちょっと面白いスポットだ。

ミイラ

最後に食事について。
何も知らない私は、ペルーの食事について全く期待をしていなかったのだが、実は南米一グルメな国と呼ばれているらしく、かなり食事がおいしかった。
中でもお勧めが、セビッチェと呼ばれる、シーフードのマリネのようなものと、ロモ・サルタードという牛肉、ポテト、ライスがワンプレートになった綾里。さすがジャガイモとトウモロコシとトマトの原産国だけあって、ポテト料理なども品数豊富で甘味がありおいしい。

セビッチェ

ロモ・サルタード

インカコーラ(コカコーラ社が販売している、安っぽい甘さのある炭酸飲料)

世界遺産、お買いもの、グルメとペルーを思い切り楽しんで、長い長い帰国の途へ。
南米ならではの陽気な雰囲気や、伝統的な髪形と帽子、洋服に身を包んだ人たち、そして壮大な世界遺産。とにかくすべてが魅力的で刺激に溢れた国だった。
2013年11月 久保井
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