時代に翻弄された国々 美しきバルカン半島へ~アルバニア・マケドニア・コソボ・モンテネグロ・クロアチア~

時代に翻弄された国々 美しきバルカン半島へ~アルバニア・マケドニア・コソボ・モンテネグロ・クロアチア~

コソボの若者たち

5月後半から10日間かけて、アルバニア→マケドニア→コソボ→モンテネグロ→クロアチアと5カ国を周遊してきました。前回の旅行が12日間の中国1か国の旅行だったため、たった10日間で5カ国も周れるのか、と半信半疑でいました。また今回ファイブスタークラブの中でも訪れたスタッフが少ない国々の訪問でした。中でもコソボはファイブスタークラブのスタッフ未踏の地で1999年まで紛争があった国とあって、強い決心と高い志(?)を持って視察してきました。ところが私の不安は見事に打ち下れるほど、美しくそしてフレンドリーな国でした。そして何百年前からバルカン半島に住む人々に横たわる問題を思うと、旅行が終わったあとでも、心にしこりが残るようなそんな旅でした。


1ヵ国目 アルバニア
5月26日
TK51便にのってイスタンブールへ、その後TK1077に乗り換えてティラナへ。
初めてのトルコ航空を利用したが非常に快適だった。エコノミー席の配列が3ー3ー3だからかゆとりがあるように感じ、テレビディスプレイも比較的操作しやすく、日本語で観られる映画も沢山あった。USBや一部の席には電源コンセント、さらには1時間までに無料のWIFIまであった。食事もきれいで、味もよかったし、乗務員のホスピタリティも感じた。またトルコ航空にはコンフォートクラスというエコノミーとビジネスの中間クラスが存在するのだがイスタンブールまでの移動時間(約12時間)を考えれば、コンフォートクラスの選択肢は全然ありだと思った。配列が2-3-2で、一昔前のビジネスクラスで利用していたリクライニングシートを利用しているだけあって見た目もエコノミーとは違うことが一目瞭然。
ちなみに機内のwifiをつかって携帯のGPSから位置情報を確認した。「すごい勢いで進んでいくのかな」、と思って期待したが反応しなかった。
TK51とTK1077の乗り換えはもともと1時間20分しかなかったのだが、飛行機が約30分ほど遅れて、すでにボーディングタイムを過ぎていた。「これはやばい」とおもって走って行ったからか、約15分くらいでティラナ行きのゲートに到着。この成田からイスタンブールに到着する便の時間は比較的手荷物検査も空いており、スムーズだった。とはいえ、イスタンブールの空港は広く、案内板も日本ほど多くはないので乗り継ぎ時間が短い方は早めの移動を心がけたし。
イスタンブールからティラナまでは約2時間のフライト。パーソナルテレビはなく食事は1回でた。
ティラナ空港着。外国籍とアルバニア国籍で入国審査の列が別れており、外国籍の方は入国審査官の数が少なかったため人数の割に入国に時間がかかった。
ゲートでは今回、私をティラナからドブロヴニクまで案内してくれるドライバーのNEVENさんと合流。NEVENさんはドブロヴニクにお住まいで約6時間かけてティラナに私を迎えにきてくれた。
空港から中心地までは約30分。ホテルまではそこから約10分。
ティラナで宿泊するシャトーリンザホテル(CHATEAU LINZA)へ。
<シャトーリンザ(CHATEAU LINZA)>
シャトーリンザはティナラ中心部から少し離れた丘の山頂に位置するホテル。ホテルから素晴らしいティラナの街並みが楽しめるのが嬉しい。ホテルは充分機能的で広さや清潔感もある。レストランは別館となっており、こちらもおしゃれで雰囲気がよい。ホテル内にはジム、プールもあり、ロビーであればWIFIが利用可能。室内にはドライヤー、スリッパ、ミニバー、テレビ、エアコン、バスタブあり。セーフティーボックスはなし。

シャトーリンザのお部屋

シャトーリンザのプール

レストランで軽食をとり、長時間のフライトで疲れたのですぐに就寝。
5月27日
朝食はセットメニュー。シャトーリンザでは宿泊人数が少ないからかブッフェではなくパンやオムレツ、コーンフレーク、サラダなどのセットメニューが提供される。
この日は朝9時から現地ガイドのSILVIOさんと合流しティラナ市内の観光とホテルインスペクション、およびティラナから足を伸ばしてアポロニアへ向かった。
<ティラナ>
オスマン朝のスレイマン・パシャによって築かれた街、ティラナが交通の要所からアルバニアの首都となったのは1920年代。街の中心部は大通りや大きな広場が機能的に整備され、周りには共産主義時代に建てられたであろう大型ビルが建ち並ぶ。一見すると東ヨーロッパの一地方都市のようだが、街の中心、スカンデルベルグ広場にある大きな時計塔と石造りモスクがティラナの街並みをほかの東ヨーロッパとは違うものであると感じさせるだろう。アルバニアは共産主義時代に無神論国家を宣言したが、オスマン朝時代からの名残りで現在もイスラム教徒が大多数を占めるという。また1990年代まで鎖国状態であったためか、他の大都市であれば必ず見かける巨大な企業の広告やネオンに輝くきらびやか看板などもなく、美しさもありながら、どことなく共産主義時代から時が止まったような印象を残す街である。
ティラナの市内を観光するのには3時間、もし月曜日だったら30分もあれば充分かもしれない。
というのは今回私が訪れたのが月曜日で、ティラナの国立博物館・国立美術館は休館日だった。そこで街のシンボルであるモスク、ジャーミーア・エトヘム・ベウトと同時代に建てられた時計台のみを見た。

ジャーミーア・エトヘム・ベウトと時計塔

ジャーミーア・エトヘム・ベウトの中

ジャーミーア・エトヘム・ベウトはこのティラナで最も古い建物の一つ。ティラナはモスク・浴場・パン屋の3つの建物から始まったと言われているとおり、かつてティラナはムスリムのための街であった。無神論国家宣言後でも、このモスクは破壊されることなかった。今後もティラナの人々の心の拠り所として残っていくだろう。
ジャーミーア・エトヘム・ベウトの隣にある時計台はモスクと同時期に
建てられたモスクと同様、この街のシンボルとなっている。時計は中国製でかつて共産主義時代に友好国であった中国からの贈り物だそうだ。
ティラナ中心部を見終わったあとでホテル視察。
<ティラナインターナショナル>
スカンデルベルグ広場に建つ、1981年創業のオペラ座すぐそばの4つ星大型ホテル。共産主義時代には最も高級なホテルだったそうだ。トータル166室はスタンダード、デラックス、スイートで構成されており、ホテル内にはジムにスパ、プール、マッサージ、ビジネスセンターまで完備している。2007年に全面改装し、より現代的にスタイリッシュに5つ星ともひけをとらないティラナを代表するホテルとなっている。室内は場所柄から少し狭いが、バスタブ、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパなどを備えている。室内でもWIFIが利用可能。
場所や機能面を考えればこれ以上ない選択肢のホテルだ。

ティラナインターナショナルのお部屋

ティラナインターナショナルからの景色

<シェラトンティラナ>
ティラナ大学そばにあるティラナ唯一の5つ星ホテル。さすが5つ星ホテルだけあり、大理石の床に豪華なシャンデリアの高い天井がお出迎え。そして屋外プールにオープンテラスの気持ちがよいカフェ。間違いなくティラナで最も贅沢な時間を過ごせるホテルである。室内は黒を貴重にしたシックなゆとりのある造り。もちろんバスタブ、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパ、WIFIを完備している。少し市内中心部までは離れているがそれさえ気にしなければ最高のホテル。

シェラトンティラナ

<ログナー ROGNER>
スカンデルベルグ広場から南に延びるダシュモラト・エ・コンビット大通り沿いにある4つ星ホテル。中心部へは徒歩圏内。シェラトンと比べると多少ローカル感のするホテルだが質はよい。ティラナインターナショナルよりは中心部より離れてはいるが、街の喧騒から離れているので開放感を求めるのであればまさにうってつけ。テニスコートを備えた広々とした敷地には、スイミングプールやジムも完備。全137室の室内は木をふんだんに使った温かみのあるデザインで、ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックス、スリッパ、湯沸かしポット、無料WIFIを完備。バスタブはなし。Jrスイートにはエスプレッソマシーンがある。

ログナーの解放感のあるプール

ログナーのお部屋

<ドロシティー DORO CITY>
中心部まで徒歩10分の4つ星ホテル。部屋数は53、幾分落ち着いたデザインの室内は少し狭めで一部の室にはバスタブがないが、ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックス、スリッパ、無料WIFIあり。1階には雰囲気がよいオープンテラスのカフェバーがある。ビジネスや一人旅でも気兼ねしない利用しやすいホテルだ。

ドロシティーのお部屋

<モンディアル MONDIAL>
まるで瀟洒な邸宅にお邪魔しているような、こぢんまりとしながらも上品で気品があり、宿泊する側としても気の引き締まるようなホテル。部屋数は全36部屋と中規模ではあるがサウナにマッサージ、屋上にはスイミングプール(夏期のみ)にティラナを一望できるお洒落な開放感のあるバーまで備えている。室内にはバスタブはないが、ドライヤー、セーフティーボックス、ミニバー、スリッパ、WIFIを備えている。こちらも市内中心部まで徒歩10分ほど。

モンディアルのお部屋

<ディプロマット DIPLOMAT>
個人的にもっとも気になったホテル。市内中心部までは徒歩では20分近くかかり少し町歩きには不便な場所ではあるが、驚くべきはその内装。一見、その外観は少し古めなカジュアルなホテルだが、一足入るとびっくり、一面真っ白な壁に金色の支柱、蛍光色のカウンターが配置されたロビー。室内はというとこれまたびっくり。ニューヨークスタイルと銘打ったカテゴリーはとびっきりハイセンス、一つ一つ部屋のデザインが異なる。まさかこんなホテルがティラナにあるなんて。バスタブはなくシャワーオンリー。ドライヤー、セーフティーボックス、ミニバー、スリッパ、WIFIを完備。

ディプロマット<ニューヨークスタイル>のお部屋

ティラナを一通り観光したあと、片道2時間かけてアポロニアへ向かう。
途中、ドゥラスという港町に立ち寄る。
<ドゥラス>
ティラナから約1時間、アドリア海に面した港町。まだ5月の平日とあってビーチへ泳ぎにくる人はほとんど見なかったが、7月をすぎると沢山のお客で賑わうそうだ。
ビーチ沿いにはリゾートホテルが建ち並び、気持ち良さそうなレストランがいくつもあった。ここでちょうど午後1時をすぎでお昼時だからここで昼食を食べたいなーと思っていたら、ドライバーさんは休憩することもなくさっさと目的地であるアポロニアへ。

ドゥラスのビーチ

ビーチ沿いにならぶホテル

あとから分かったことだが、このドライバーさん、およびバルカン半島の方は1日2食しか食べない人が多いという。朝たっぷり食べ、昼過ぎ3時ごろのゆっくりの食事で済ませることが多いそうだ。
<アポロニア>
紀元前6世紀ごろにイリュリアのタウランティ族が住み始めたのがその始まりだとされる太陽の神アポロをからその名をとったギリシア人の街。紀元前4~3世紀の最盛期には137へクタールもの広さの持ち、6万人以上の人口がいたとされる巨大都市であった。後に最初のローマ教皇となるオクタヴィアヌスもここで学んでいたとされる。しかし3世紀から4世紀に起こった地震の影響から河川の流れが変わり、港としての機能を失い、内陸部はマラリアに汚染された湿地帯となった。アポロニアの栄光は急速に失われ、現在はローマ・ギリシア時代の人々の生活を今に伝えるいくつかの遺跡が残っているのみである。
遺跡の発掘品は13世紀ごろに建てられたという聖マリア修道院と1970年代に建設された博物館に展示されている(あいにくこの博物館も例によって月曜は休館日だった)。

アポロニア遺跡 アゴノテテスの記念館

聖マリア修道院

ティラナに戻り、市内中心部で今回お世話になった。ガイドさんにお別れ。私は一人で街をぶらぶら。ガイドさんにオススメのレストランないですか、と聞いたとことグリーンパークにあるタイワンというお店がお勧めだよ、ということだったので散歩がてら行ってみた。
タイワンは公園の噴水近くにあるお洒落なレストラン。タイワンという名前だがアジア料理に限らず、イタリア料理やアルバニア料理もいくつかあった。
私はコフタというアルバニア風ハンバーグとアルバニアのビールKORCAを飲んだ。お昼を前述した理由で食べていなかったからか、大変美味しかった(合計950レカ、日本円で950円くらい)。普通旅行中は食べすぎるほど食べているので、お昼を抜くのはちょうどよかった(?)かもしれない。ドライバーに感謝。

アルバニア風ハンバーグとアルバニアのビールKORCA

ホテルに戻る途中、スーパーマーケットに立ち寄りお土産を購入。
旅行2日目からすでにお土産を購入しているのには理由があり、明日アルバニアを抜けてマケドニアに行くのに、マケドニアにはまた自国の通貨があり、アルバニアの通貨のレク(レカ)は使えないという。どれくらい使うかの加減が難しい。
ホテルに戻り就寝。
2ヵ国目 マケドニア
5月28日
朝9時にドライバーさんと合流し、この日はマケドニアのオフリドへ。
アルバニアとマケドニアの国境まで山道を走ること約3時間、陸で国境を超える機会はあまりないので緊張した。まずアルバニアの出国審査と税関があり、その後50mくらいのボーダーラインがあり、次にマケドニアの入国審査と税関がある。10分くらいで問題なく通過できたのでよかった。
マケドニアの国境を超えるとオフリド湖がそこまで見えてくる。オフリド湖が見えてくればすぐオフリドの街だ。
この日はオフリドのホテルをいくつか視察した。
<グラニット GRANIT>
オフリドの街から湖畔に沿って車で5分。海に映える白を貴重にした4つ星ホテル。こじんまりしながらどことなく上品な雰囲気が漂い、まるで地中海を臨む南仏のリゾートのようである。オフリド湖が眼前に広がるプールや、ジム、マッサージやテニスコートも完備。全119室のコンパクトな室内にはミニバー、ドライヤー、スリッパ、室内でWIFI利用可能。バスタブはなし。

グラニット GRANITのお部屋

グラニット GRANITレストランからの眺め

<メトロポール METROPOLE>
オフリドの旧市街まで車で7分ほど。オフリド湖のそばに位置する1975年創業の大型4つ星ホテル。テニスコート、ジム、サウナ、マッサージ施設内をもち、全116部屋は2005年にリノベーション済み。隣接するベルビューホテル、ツーリストホテルは同じグループのため、ホテル施設の相互利用が可能。室内にはWIFI、バスタブ、ミニバー、ドライヤーあり。セーフティーボックスはなし。

メトロポール

<ベルビュー Bellevue>
メトロポールに隣接する4つ星ホテル。メトロポールよりも新しく、創業は1989年、2007年にリノベーションを終えた。カジノやスイミング プールを備えており、全164室のテラス付の各部屋にはWIFI、ミニバー、ドライヤー、スリッパあり。バスタブは一部の部屋のみ。セーフティーボックスはなし。

ベルビュー

<SILEKS>
オフリド湖畔に位置する4つ星ホテル。エントランスは地味だが、充分機能的で清潔感のあるホテル。館内はプールを中心としてA棟とB棟に別れ、室内は全室プールビューとなっており開放感がある。もちろんジムやサウナ、マッサージ施設を備えて、全104の室内にはWIFI、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパあり。バスタブはない。

SILEKS

<ベルベデーレ Belvedere>
オフリド旧市街まで車で5分ほど。山の中腹に位置するクラシカルな雰囲気のホテル。オーナーのアンティーク好きが高じて、ホテル内には時代を感じさせる骨董品の数々を見ることができる。テラスのある室内はシックなデザイン。山の中腹にあるためオフリド湖までは多少歩く必要はあるが景色はよい。プールはない。全89部屋の室内にはWIFI、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパがあり。バスタブはない。

ベルベデーレ Belvedere

途中、ベルベデーレホテルと同じオーナーが経営するレストランにてランチ。
オフリドのレストランは基本的に地産地消で、地元の美味しいものを出してくれるということで、野菜サラダと牛肉をオフリドの代表的な調理法である炭火焼のグリルで味わった。

トマトがおいしい

マケドニア名物 グリル料理

昼食後はこの日宿泊するホテル、LEBEDへ。
<LEBED>
オフリド湖畔沿いの感じの良い4つ星ホテル。旧市街まで歩いても10分程度でゆくことができる。プールなどの設備はないが、一階には雰囲気のよいバーやレストランあり。ゆとりのある室内にはミニバー、ドライヤーあり。バスタブ、スリッパはなし。WIFIはロビーにて使用可能。

LEBED

ホテルでしばらく休憩してから、明日改めてガイドさん付きで観光するので、この日は自分でオフリドの旧市街をぶらぶら散策。夜のオフリド湖も静かで雰囲気があってよい。きっと明日もまた違った一面を見ることができるだろう。

オフリド湖と遠くに見える旧市街

夕陽がきれい

夜のオフリド湖と旧市街

夕食は例によって、ベルビューのオーナーのまた別のレストラン。店内では地元バンドがマケドニアの伝統音楽を演奏している。昼は肉を食べたので、夜はオフリド湖で取れたというマスの塩焼きを食する。こちらの一人分の量は多いので、そのままでも十分に美味しい。醤油をもってきたらよかったと少し思った。

オフリド湖ではシーフードがおいしい

5月29日
朝、散歩をする。湖畔にはランニングをする人やサイクリングする人、釣りをする人など多数。朝7時のオフリド湖は静かで気持ち良い。ホテルで朝食を食べて出発。
この日は午前中、オフリドを専属のガイドさんと観光。
<オフリド>
かつては365の教会を抱え「マケドニアのイスラエル」と呼ばれた、バルカン半島最大の美しい湖畔を持つ街オフリド。マケドニア南西部に位置し、アルバニアとの国境と接するオフリドの歴史は古く紀元前3世紀にはすでに人が住み始めたという記録が残っている。10世紀に第一次ブルガリア帝国の首都となり、東ローマ帝国が11世紀にオフリドを占領したあとも重要な文化都市として、数多くのマケドニア正教会がつくられた。それらの教会は14世紀オスマン帝国に破壊され一部を残すのみであるが、それでも65が現存しているという。一部の壁はトルコ軍によって白く塗りつぶされてしまったが、現在は修復され保存状態のよいフレスコ画を聖マリア教会や聖ソフィア大聖堂に見ることができる。

オフリド旧市街

オフリド旧市街

また現在、ロシアやブルガリアなど、広く使われるキリル文字はオフリドが発祥とされている。9世紀に聖キリルと聖メトディウスがこのオフリドに訪れ、スラブ人への布教のためギリシア文字から考案し、さらに彼らの弟子である聖クリメントがそれを革新させたのがキリル文字であった。彼らは最もオフリドで敬愛されており、至る所で聖キリルと聖メトディウスの、聖クリメントの像やフレスコ画を見ることができる。
<オフリド湖>
1972年に世界遺産に登録されたオフリド湖は、9~11世紀にオフリド市街に建造された、ビザンチン様式の宗教建築との調和が見事な美しいヨーロッパ最古の湖。標高853mのプレスパ湖や標高2200mを超えるガリチツァ山からの雪解け水がカルスト台地の地中を通りオフリド湖に注ぐため、水は透明度が高く、22mの水深であっても水底が見えるほど。また近年、オフリド湖の持つ水深距離が更新され313mであることがわかった。これはローマ帝国がキリスト教を公認したミラノ勅令が発布された313年と同じであることから、キリスト教の歴史深いオフリドにあって、単なる偶然ではないと見る動きも少なくない。
この日、オフリドを案内してもらったのはJUZMESKIさんという男性ガイド。まずオフリド旧市街に始まり、聖ソフィア大聖堂を見学。
<聖ソフィア大聖堂>
聖ソフィア大聖堂はオフリド旧市街でまず目にはいる大きな教会である。聖堂は11世紀に建造され、13世紀に増築された。オスマン帝国によって支配された時代にはフレスコ画は塗りつぶされ、イスラム寺院として使われていた。第2時世界大戦後、フレスコ画は修復され、本来の美しい姿を一部見ることができる。
その後坂を登り、古代劇場を経て、サミュエル要塞の大きな門まで登りきる。そして聖マリア教会の壮麗なフレスコ画とイコン博物館へ。
<聖マリア教会、イコン博物館>
聖マリア教会は聖母マリアの一生が描かれたフレスコ画をもつ13世紀末の傑作である。ガイドブックにはこの教会が「クリメント教会」となっているが、ただしくは聖マリア教会である。またオフリドから発掘された保存状態のよいイコンを展示した博物館も必見のポイント。
そして坂を下り、聖クレメント教会へ。
<聖クレメント教会>
こちらが本当の聖クレメント教会。クレメントの遺骨が納められている。ガイドブックには「聖パンテレモン教会」と記載されているがこれも間違いだそうだ。すでに跡形もなく破壊された教会であったが2002年にオリジナルの一部を利用し、新しく建て直された。そのため他の協会と違って新しい。

オフリド旧市街 聖クレメント教会

聖クレメント教会のそばでコーヒータイム。
ガイドさんが気を効かせてくれてマケドニアのスタイルのコーヒーセレモニーを教えてくれた。まずマスティカと呼ばれる43度の酒を一気にのみ、次に濃い目のコーヒーを小さな器に注ぎ、ゆっくり飲む。最後に水と甘いお菓子で口の中を整える。アルコールで眠っていた意識を呼び起こし、濃いコーヒーで意識を研ぎ澄まさせる役割があるそうだ。
そして、聖ヨハネ・カネヨ教会まで坂を下り、観光船にてもときた旧市街の入り口まで戻った。

オフリド旧市街 聖ヨハネ・カネヨ教会

ボートからオフリド旧市街の眺め

ガイドさんとは旧市街にてお別れ。
我々は昼食後、オフリドから3時間、マケドニアの首都スコピエを目指す。

オフリドのガイドさんと聖クレメント像と私

<スコピエ>
マケドニアの首都スコピエは、街の中心を流れるヴァルダル川を挟んで旧市街のイスラム地区と新市街のマケドニア正教区に二分される。幾度となく勢力争いの舞台となり支配と分裂を繰り返したその歴史からマケドニア人だけでなく、アルバニア人、トルコ人など数多くの人々が住み、各宗教が混在する多民族国都市となった。1963年の大地震によってスコピエは壊滅的なダメージを受け、現在も残る歴史的な建造物は旧市街のオールドバザール、ヴァルダル川に架かるカメンモスト(石の橋)や旧鉄道駅のみであるが、それ以降の発展は目覚しいものがあり特に2003年のWTO加盟以降は観光産業にも力を入れ、いまやスコピエの中心部マケドニア広場では美しいモニュメントが建ち並び、民族問わず数多くの人々で賑わっている。

マケドニア広場

フィリッポス2世像

スコピエにて徒歩観光。市内中心にあるホリデイインの駐車場に車を停めて、巨大なアレキサンダー大王像やフィリポス2世像のあるマケドニア広場へ。
マケドニア広場からカメンモストを渡ってオールドバザールへ向かうと歴史的な建物をいくつか見ることができる。かつてトルコ式ハマムであったというアートギャラリー。梅の木一本から切り出したという彫刻が見事な聖スパス教会。そして街を一望する城塞。そして中東の匂いが漂うイスラム地区へ。このあたりのカフェではやはり女性の数は少なく、暇そうな男性達が寄り添ってお茶している。

聖スパス教会のイコン

オールドバザール

一通り旧市街を見たあとは新市街へ。新市街では若者向けのお洒落なブティックやカフェが軒を連ねる。目抜き通りを歩いていると見えてくるのが「マザーテレサの家」。マザーテレサはマケドニアのスコピエ出身。まさにこの場所で生まれた。中は博物館とお土産屋さんとなっており、入場は無料。この通りをそのままで真っ直ぐ進むと旧鉄道駅を利用したスコピエ博物館がある。残念ながら、この日は次の展示会のため閉館していた。

マザーテレサハウス

一通り観光を終え、この日のホテルへ。
<ロイヤル ROYAL>
スコピエ中心部から車で5分。静かな住宅街にある、プールやジムなどの設備はないこじんまりしたホテル。4つ星が公称だがホテルのもつ機能面や質で言うと3つ星が的確。部屋はそれなりに広く清潔感がある。フロントの対応も感じは良い。室内にはドライヤー、冷蔵庫、WIFIあり。バスタブ、セーフティーボックス、スリッパはない。

ロイヤルホテル

そして、この日の夕食は地元の旅行社の方々と。旅行のアイデアを聞きつつ、サーモンに舌鼓をうつ。スコピエには海はないので、この辺の魚介類は大抵アルバニア産らしい。
アルミホイルで蒸したサーモンにオレンジを絞るのが面白い。「これがマケドニアスタイルなのですか?」と興味しんしんで地元の旅行社の方に聞くと、いやこの店だけのスタイルだよ、とあっさりした答え。

蒸したサーモンにはオレンジを絞るのがマケドニアスタイル?

食事のあとはマケドニア広場でアイスを食うことになった。バルカン人は甘いもの好きだなー、と感じる。どの街でも賑やかな場所のカフェにはまずアイスクリームの巨大な冷蔵庫が目にはいるもの。マケドニア広場のお洒落なカフェではいいとしこいた男3人でアイス。なかなかオツな夜でした。

石橋からの眺め

アレキサンダー・ザ・グレイト

甘いものがお好き

しかしマケドニア広場の夜景が凄すぎて、「ここはドバイか!」とツッコミをいれずにはいられなかった。
5月30日
朝食後、9時にスコピエのホテルを出発。
この日はファイブスタークラブでは未踏の土地コソボを目指す。
その前にドライバーさんが野菜のマーケットに寄りたいというので面白そうだと思いついて行くことに。
ドライバーが言うにはこの辺りのマーケットは地元産だからどれも新鮮で味がよく尚且つドライバーさんが暮らすドブロヴニクよりも2~3分の1の料金で買えるそうだ(例えばトマト1キロで80円ほどだった)。ドライバーさんはパンパンになったトマト2袋、キュウリ1袋、お米2キロを購入。どう考えても一人で持ちきれないほど購入していたので手伝ったが袋の紐が指に食い込んでちぎれそうなくらい痛かった。

トマト1キロ 40デナリ

野菜が安くて笑みがこぼれる

そしてコソボへ向け出発。
3ヵ国目 コソボ
コソボの国境はスコピエから約30分くらいだった。
アルバニア/マケドニアの時と同じく、そこまで厳しい審査はなくこちらも難なく通過できた(税関に申請するものを持ってないかを英語で質問されたので一瞬緊張が走ったがそれだけだった)。
コソボの国境から1500mの頂を越え、約2時間、プリズレンに到着。
<プリズレン>
かつてセルビア王国時代の首都であるプリズレンはセルビア王国の栄光と挫折をその街に刻んでいる。13世紀バルカン半島を制圧したセルビア王国の政治と経済の中枢であったプリズレンは「セルビアのコンスタンチノープル」とまで言われた。栄華を誇った当時のセルビア皇帝、ステファン・ドゥシャンは自身の墓所としてこの場所に聖アルハンゲリ修道院を建造したが、オスマン帝国が14世紀このプリズレンを奪取してから、プリズレンの住民はセルビア人正教徒に変わりアルバニア人の移民が多数を占めるようになった。華麗な装飾が施された聖アルハンゲリ修道院は現在プリズレンのシンボルとなったシィナンパシャモスクの石切場として使われ、今や一部の建物を残すのみとなっている。また世界遺産として認定された「コソボの中世建造物群」の内、プリズレンにあるリェヴィシャの生神女教会の内部も同様に、反セルビア組織から損傷を受けている。そのため内部は拝観できないがその美しい外装を見るだけでも訪れる価値がある。

402 プリズレンの街並み

リェヴィシャの生神女教会

プリズレンにて昼食。プリェスカヴィッツァという日本のハンバーグのようなものを食べる。美味。

コソボのビールPEJAと郷土料理プリェスカヴィッツァ

昼食のあとはぶらぶらプリズレンを散歩。
雨が降ってきたのでショッピングセンターに入れてプリズレン地図を見ていると、中学生くらいの女の子2人組がやってきて写真を一緒にとることになった。見知らぬ土地での知らない人々との出会いは楽しい瞬間であった。
プリズレンから車で約1時間半。
コソボの首都であるプリシュティナに到着。
まずこの日宿泊するプリシュティナのホテルに向かう。
<セントロ CENTRO>
大聖堂まで徒歩3分。周囲に商店やレストランが幾つかある好立地で、部屋数20にも満たないこじんまりした3つ星ホテル。木目調のフローリングで、部屋は広め。ホテルは清潔感があり、フロントも感じがよい。スリッパ、ドライヤー、冷蔵庫、室内WIFIあり。バスタブ、セーフティーボックスはない。

セントロホテル

ホテルから歩いてプリシュティナを徒歩観光。
<プリシュティナ>
2008年に独立したばかりの新しい国、コソボの首都であるプリシュティナは、セルビア人にとって伝説の地であった。12世紀にプリティシュナにて初のセルビア人の統一王国が誕生し、その後14世紀にオスマン帝国とのコソボの戦いにてセルビア王国は敗北するものの、その際オスマン帝国の王ムラト1世を死に追いやったという歴史がある。その後、アルバニア人のムスリムがプリシュティナに移住したことからアルバニア人の民族意識が高まった。そうした経緯によりコソボ紛争の下地が作られ、ここプリシュティナは戦場と化した。紛争終結後、プリシュティナの人口の2割を占めていたセルビア人はコソボを離れ、いまやアルバニア人が98%を占めると言われている。すでにプリシュティナの街は戦場の傷跡が見えないほど復興が進んでおり、牧歌的な雰囲気さえ感じるほど。しかしコソボの国旗や市内に点在するNATOの施設を見るにつけ、やはりどこか他の国とは違い複雑な歴史があるということを再認識させられる。
我々はプリシュティナのカテドラルから、歩行者天国になっているマザーテレサ通りまで歩く。このマザーテレサ通りは共産主義時代の建物、ホテルグランドから再建中のユニオンホテルまで約100mの長さをもち、通りには様々なお店が立ち並び、プリシュティナで最も賑やかな場所になっている。
マザーテレサを抜けると、コソボ博物館や時計台、ファーティフモスクが見えてくる。この辺りになるとコソボ紛争以前の古い建物が残っているのがわかる。

マザーテレサ通り

ファーティフモスク

夕食はイスラムの国らしくケバブ屋さんで。ビールを頼もうと、メニューを見るが、メニューには載っていない。それもそのはず、ムスリムはお酒を飲まないので表向きはないことになっている。しかし戒律は厳しくはなく、旅行者であれば簡単に飲めるし、売店でも手にはいる。
私はケバブとハンバーガーを(なぜか中身とバンズが別々に出される)、ドライバーさんはピザを注文。
ちなみにハンバーガーは1ユーロ。2人でたらふく食べて10ユーロだった。コソボもマケドニア、アルバニアと並んで物価は安い。

イスラム教徒が多いため、ケバブ屋さんがある

5月31日
この日はペーチを経由して、モンテネグロに入国し、モンテネグロの首都、ポドゴリツァを目指す。ポドゴリツァまでは時間がかかる上に、途中、必見の修道院を幾つか訪れるため、この日はいつもより少し早めに8:30に出発。
まず目指したのはグラチャニツァ修道院。
<グラチャニツァ修道院>
プリシュティナから5km離れたグラチャニツァ村に14世紀ごろ建築された後期ビザンチン建築の最高傑作の一つ。コソボの世界遺産の一つに認定されている。保存状態のよいフレスコ画は何とすべてオリジナル。プリシュティナに訪れたのであれば必ず立ち寄りたい場所だ。NATOのスロベニア軍兵士達が見物にきていた。
なおこのグラチャニツァ修道院はセルビア人居住区に位置するため、治安面で問題があるかと少し心配していたが、特に危険な雰囲気は感じなかった。

グラチャニツァ修道院

その後プリシュティナに戻り、ガジメスタンへ。
<ガジメスタン>
ガジメスタンはコソボの戦いの戦場となったプリシュティナから北西に5kmほど離れた平原に建つ記念碑である。オスマン帝国がバルカン半島に大きな領有権を持つ契機となったコソボの戦いはセルビア人達にとって民族的悲劇の舞台であり、セルビア王国がなし得なかった悲願の地である。コソボがユーゴスラヴィアの一部であった1953年に中世の塔を模して建造された。中央には処刑されたセルビア候ラザルの呪いの言葉が刻まれている。

コソボの戦いを記念したガジメスタン

ガジメスタンからすぐそばにあるのがスルタンムラト廟。
<スルタンムラト廟>
コソボの戦いにて命を失ったムラト1世を祀る祠堂。コソボの戦いはオスマン帝国の勝利に終わったが、ムラト1世はセルビア人貴族ミロシュ・オベリックに謁見の際に殺害されてしまう。戦後、報復としてセルビア侯ラザルを始めセルビア諸侯が処刑され、結果としてオスマン帝国のバルカン半島への勢力拡大を勢いづかせる出来事となった。
セルビア王国とオスマン帝国の重要な契機となった場所にそれぞれの記念碑があることが興味深くもあり、改めて民族間の深刻さを目の当たりに感じた。
プリシュティナを離れペーチを目指す。
<ペーチ>
セルビア語でペーチ、アルバニア語でペヤと呼ばれるこの都市はコソボの国民的ビールブランド「PEJA」の生産地として、またセルビア正教寺院の中で最も重要な2つの修道院(ペーチ総主教修道院・デチャニ修道院)があることで知られている。これらの修道院はコソボ周辺の政情不安定さから「危機にさらされている世界遺産」リストにも登録された。現在はそれぞれNATO進駐軍の厳重な管理の元、観光客向けに解放されている。
<ペーチ総主教修道院>
かつてセルビア大主教座が置かれたペーチ総主教修道院は数あるセルビア正教寺院の中でも最も複雑な構造をもつ修道院である。4つの教会から成り、最古のものは9世紀に建設されたもので、更に13世紀に聖アポストロス教会、14世紀に聖ディミトリアス教会と聖ニコラ教会が増築されている。内部のフレスコ画はすべてオリジナルで、その広さと緻密さに圧倒される。
なおペーチ総主教修道院敷地への入場の際にはスロベニア進駐軍によるパスポートチェックがある。

ペーチ総主教修道院の緻密なフレスコ画

<デチャニ修道院>
美しく手入れされた庭園に佇むデチャニ修道院はビザンチン美術最大のフレスコ画をもち、現存するバルカン半島最大の教会であることで知られている。14世紀にセルビア王国のステファニ・デチャンスキ王によって自身の霊廟として建立された。緻密なデザインと鮮やかな色彩をもつ巨大なフレスコ画は650年前のものとは思えないほどで見る人を引きつける。数ある中世のセルビア正教寺院群で最初に世界遺産に認定された。
なおこちらもペーチ総主教修道院同様に、入場の際パスポートチェックがある。(こちらはイタリア進駐軍。)

デチャニ修道院

個人的にはフレスコ画はペーチ総主教修道院、外観はデチャニ修道院が印象に残った。
デチャニ修道院からコソボの国境への道すがら、沢山の学生達に出会う。どうやらこのあたりに学校があるらしい。
私は車を降りて、写真を取らせて欲しいとお願いして何枚か取らせてもらった。アルバニア系の学生のためか、どちらかというと女子達は写真を取られることに遠慮がち。男子達はのりのりだった。
そこで彼らが私に教えてくれたポーズで写真をとったが、後味悪く感じることとなる。
手のひらを大きく広げ、手の甲が外側・手のひらが内向きに向くように両手重ねる。左右の5本の指は波打つような動き。それは明らかに双頭の鷲を表すものだった。双頭の鷲はアルバニアの国旗の描かれた紋章である。
私はセルビア人とアルバニア人の少しでも状況が改善することを願い、そしてコソボの若い学生たちに淡い期待を抱いていた。しかしそれはやはり部外者からの浅はかなる願望にすぎなかった。たかがポーズで考えすぎかもしれないのだが、彼らには旅行者にそういったポーズをさせるということが少なくとも悪いこととは思っていないのである。
このポーズする私の写真をセルビア人が見たらどのように思うだろう。。。。

コソボの若者たち2

コソボの若者たちと私

ペーチの仲良し3人組

悪ノリ

ペーチから約1時間、コソボの国境に到着。
コソボの国境はモンテネグロとの間に位置する山脈の頂上に位置する。
パスポートチェックを受けて数分で通過できる。
4ヵ国目 モンテネグロ
モンテネグロの入国審査はコソボ出国から山道を走ること15分ほど。比較的長い緩衝地帯を抜けると、モンテネグロの入管がある。モンテネグロのスタンプが押され、こちらも比較的簡単に通過。
モンテネグロの国境から首都のポドゴリツァまで約4時間。山道をひた走る。
途中、いくつかの観光地に立ち寄った。
まずはコラシンという山間の小さな街。スキー場で有名らしく、冬にはドイツ人やスイス人など欧州各国から観光客が集まるそうだ。夏は夏で近くの国立公園でのトレッキングやラフティングなどで賑わうとのこと。トイレ休憩がてらにドライバーさんオススメのホテルを拝見。
<ビアンカリゾート&スパ>
洗練されたスタイリッシュなデザインを持ちながら、天然の木材をそのホテルのほとんどに使用しているため温かみを感じるホテル。スパホテルを銘打っているとおり、スパにジム、温水プールなども完備。客室は8フロア117部屋を誇り、ホテル室内にはドライヤー、ミニバー、バスタブ、WIFIを備えている。
コラシンを後にして立ち寄ったのはMORACA修道院(Morača monastery)。13世紀に建立されたセルビア正教の修道院。こじんまりした教会内部には保存状態のよい素晴らしいフレスコ画を見ることができる。

モンテネグロの渓谷

その後、巨大な渓谷を抜けて、ポドゴリツァへ。プリシュティナから計算して約6時間半。NEVENさん(ドライバー)お疲れ様でした。
この日のホテルはポドゴリツァの鉄道駅近く、その名の通りテルミナス。
<テルミナス>
市内中心地を流れるモラチャ川まで約1キロ。鉄道駅とバスターミナルすぐそばの比較的新しい3つ星ホテル。ホテルはシングルやツインルームのほかにファミリー用のアパートメントタイプの部屋もある。オープンしたてのため室内は非常に綺麗でデザインも現代的。室内にはWIFI、ミニバー、ドライヤーあり。セーフティーボックス、ドライヤーはなし。

テルミナス

夕食をホテルのレストランで食べて就寝。
6月1日
この日は早起きをして、ポドゴリツァの街を散歩。
<ポドゴリツァ>
2006年に独立したばかりの新しい国、モンテグネロ。そのモンテネグロの最大の都市であり、首都であるのがポドゴリツァである。かつて第ニ時世界大戦の際には70回もの爆撃を受け、街は徹底に壊滅された。その後、ユーゴスラビア時代に街は再建を進められ、近代的な高層マンションが立ち並ぶ大通りなど表向きは整然とした経済都市だが、一歩路地に入ると古い石造りの家々が並ぶ。中には爆撃により被害を受けたと見受けられる建物がそのままになっている。歴史的に重要な建築物は残っておらず、博物館や美術館などを除きポドゴリッツァで見るべきものは少ない。

ポドゴリツァの路地裏 爆撃のあと?放逐された家々

ポドゴリツァの路地裏 石づくりの壁が続く

ドライバーさんとは朝9時に集合し、出発。
この日はドブロヴニクに向かうのだが幾つか見所があるので、ストップしながら行く。
<ツェティニェ>
ポドゴリッツァから車で40分。かつてモンテネグロの首都であったのがこのツェティニェである。ポドゴリッツァに首都が移る前までに建てられた庁舎、博物館、王立劇場、それにイタリア、フランス、イギリスを始めとした各国の大使館など小さいながらも美しく規則正しく並んだ建築物を見ることが出来る。大きな見所としてはツェティニェ修道院がある。ツェティニェ修道院は聖母マリアのイコン「フィレルモの聖母」(レプリカ、オリジナルは同じくツェティニェにある博物館に収蔵)、「洗礼者ヨハネの右手」、「キリストの磔にされた十字架の一部」を所蔵していることで知られ、小さな修道院の中は観光客で溢れていた。(しかし、それらの宝物が私にはどこにあるのかちっとも見当がつかなかった。)

ツェティニェ修道院

ツェティニェから約40分、ブドヴァへ。
<ブドヴァ>
モンテネグロ屈指のリゾート地、アドリア海の城塞都市ブドヴァに到着。ブドヴァはかつてベネチア共和国によって400年もの間支配されていた。そのベネチア統治時代にオスマン帝国からの侵略に対抗するために街全体は高い城壁が造られた。現在も城壁は残り、城壁の中は車が入れないほどの細い路地と石畳、石造りの建物で構成されている。中世の雰囲気を残すお洒落なカフェやレストラン、お土産屋さんが数多くあり、観光客で賑わいを見せている。

ブドヴァ旧市街

旧市街そばのビーチ

そしてブドヴァから車で30分、コトルへ。
<コトル>
同じくアドリア海に面したクロアチアのドブロヴニクから2時間、世界遺産に指定されたモンテネグロの城塞都市コトル。コトルはコトル湾の最奥部に位置し、街の背後には2000m級の山脈がそびえる。この山間の小さな村はまさに「モンテネグロ」つまり「黒い山」を意味する国名そのままのイメージをもった街である。その理想的な立地から紀元前3世紀にはすでに街が形成されていたと言われる。コトルのシンボルとされる4.5kmの長さにも及ぶ城壁はベネチア共和国統治時代に造られたもので、旧市街内にもベネチア様式の建物を見ることができる。1166年に建てられた聖トリプン大聖堂、保存状態の良いイコンを残すセルビア正教会の聖ルカ教会など見所も多い。「ヨーロッパ最南部のフィヨルド」と呼ばれるコトル湾クルーズも人気がある。

コトル旧市街

聖ニコラ教会

コトルを後にし、コトル湾のレペタネから対岸のカメナリへは定期船に車ごと乗り込んで移動。
クロアチアの国境へ向かう途中、昼食。
昼食ではシュニッツェルとモンテネグロの国産ビールブランドNIKSICKOのドラフトビールを頂く。モンテネグロでシュニッツェルと聞くと、ん?と思う人も多いだろう。言わずと知れたシュニッツェルはオーストリア・ドイツの肉料理である。アドリア海沿岸のモンテングロはドブロヴニクとほぼ同じ食文化を持っているらしい。ドブロヴニクはクロアチアの都市、クロアチアの首都はザグレブ。というわけでザグレブとオーストリア・ドイツの位置は比較的近い地理関係のため食文化の影響があるそう。その中でもシュニッツェルはポピュラーになったオーストリア・ドイツ料理なのだそうだ。

モンテネグロでシュニッツェル?

ちなみモネテングロの物価はドブロヴニクよりも安く、ドライバーさんと二人で昼食を食べきれないほど食べて、しめて22ユーロ。
コソボやアルバニア、マケドニアには及ばないが安いことは安い。
モンテネグロ・クロアチア国境では毎度おなじみパスポートチェック。
モンテネグロ出国側が比較的混んでおり、時間がかかった。
なんだか今回のモンテネグロの旅は旅行の神に嫌われているように感じた。入国当初から天気がすでにぐずつきだし、翌日も雨続き。なんと一時は雹まで降る始末。それがクロアチアに入国したあたりから真っ青な晴天に変わり、車の中はぽっかぽか。次行く時は宜しくお願いしますよ、モンテネグロさん。
5カ国目 クロアチア
クロアチア入国から約1時間、ドブロヴニクに到着。
ドブロヴニク2泊のホテルは、アリストン。
<アリストン>
旧市街へ車で5分のドブロヴニク西部バビンクック地区に位置する5つ星ホテル。アドリア海のビーチに面しており、解放的な景色を望むことができる。姉妹ホテルのネプチューンと隣り合い、複合的なリゾートホテルとなっている。ベージュを基調にした落ち着いた客室はWIFI、ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックスを備える。バスタブは一部の部屋のみ、スリッパはない。もちろん、ジムにプール、スパ施設も備えている。旧市街へはホテルを出てまっすぐ細い路地を70m行ったところのバスで行ける。

アリストン

ドブロヴニクには2泊するがドブロヴニクを発つ飛行機の出発が早朝なので、すでに夜10時を回っていたにも関わらず、この日に旧市街に行くことに。バス料金は片道15クーナ。日本円でおよそ300円ほどなので安くはない。ホテル前からは20分おきにやってくるので便利。
バスに揺られること15分。旧市街に到着。
ほかの乗客たちも降りるので、ここが旧市街の入口だとわかる。

ローカルバス

<ドブロヴニク旧市街>
紺碧の海、赤い瓦屋根に白い城壁。エメラルドグリーンの海に浮かぶドブロヴニクはまさに「アドリア海の真珠」と讃えられるほど、現在もその美しさは色褪せることなく、世界中の旅行者達を魅了し続けている。14~15世紀に絶頂を誇ったラグーサ共和国の中心都市。その時代の教会や建物が今でも残り、その繁栄を物語っている。迷いそうなほど広大な旧市街は分け入っても分け入っても、気品と壮麗さを持つ街並みは途切れることがなく、1日過ごしても飽きることがない。夜にはライトアップされて一層ロマンティックな雰囲気を引き立たせる。

夜のドブロヴニク旧市街

旧市街は夜も楽しい

とりあえずこの日は夜も深いので、明日ゆっくり旧市街の見所をまわることにし、1時間ほど街をぶらぶらして、6番のバスでホテルへ戻り就寝。
6月2日
この日も朝9時にホテルを出発。
今日はドブロヴニクで弊社がよく使うホテルを視察、そして旧市街を再び訪れる。
まずは宿泊しているアリストンと同じバビンクック地区のホテル。この地域のホテルは旧市街までは歩いて行くのは難しいので、公共のバスかタクシーで行くことになる。その一方で、一面見渡す限りのアドリア海を楽しめることと様々な施設を兼ね備えたホテルが多いことから観光客に人気がある。
<モーレ MORE>
白を基調としたデザインで、ロビーの解放的な窓からは一面アドリア海が見渡せる5つ星ホテル。アドリア海を望むプールに、ジムも備える、全44部屋のこぢんまりとしたホテル。一部を除きオーシャンビューで、プライベートジャグジーを持つ部屋も6部屋ある。室内にはバスタブ、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパ、無料のWIFIもある。バス停へは徒歩で数十メートル。

MOREのプール

<バルマーラクロマ  Valamar Lacroma>
2009年にオープンした、緑に囲まれたバビンクック半島の中腹に位置する5つ星ホテル。客室は385部屋もあるため、団体客の利用が多いようだ。ホテル内には2つのレストランにバー、売店もあり便利。ビーチ沿いではないが、屋外に大型プールがある。室内にはモダンで、ミニバー、ドライヤー、セーフティーボックス、無料のWIFIあり。バスタブはない。バス停までは50m。

バルマーラクロマ

<バルマープレジデント Valamar President>
ラクロマと同じグループの5つ星ホテル。こちらの方が時代を感じさせる造りだが、ビーチ沿いにあり全室バスタブおよびテラス付きのオーシャンビューなのがうれしい。全181部屋でラクロマより少し小さ目、それでももちろんジムやマッサージ、サウナ、プールも完備。レストランも3軒備えている。赤が特徴的なゆとりのある室内にはドライヤー、バスタブ、セーフティーボックス、ミニバー、無料のWIFIあり。スリッパはなし。バス停はホテルの目の前。

バルマープレジデント

バルマープレジデントのレストラン

<レロ LERO>
ラパド地区の中腹に位置するホテル。ビーチ沿いではなくホテルのランクでいうと3つ星であるものの、プールやジム、サウナ、お洒落なオープンテラスのカフェも備えている。全160部屋を擁し、室内にはミニバー、ドライヤー、セーフティーボックス、無料のWIFIを備える。スリッパ、バスタブはなく、シンプルな室内だが値段以上の価値を感じるホテルだ。バス停までは100mほど。

レロ

そして、旧市街側へのホテル視察のため車で移動。
途中、旧市街を見下ろすスルジ山へ。
<スルジ山>
旧市街の背後にそびえる山で山頂からは旧市街を一望できる。タクシーか旧市街近くから出ているケーブルカーで行くことができ、頂上にはカフェもありくつろげる。あまりの絶景でカメラのシャッターをパシャパシャ切っているとドライバーさんが撮ってやる、ということなので撮ってもらうことに、しかし後ろに回り何をするかと思ったら柵の上にわざわざ登って撮ってくれた。お茶目な人である。ドライバーさんがいうには旧市街に太陽があたる午前中に訪れるのがオススメだとか。

スルジ山からのドブロヴニク旧市街1

スルジ山からのドブロヴニク旧市街2

ドライバーさんの撮り方がすごい

そして旧市街側のホテルへ。この辺りは場所が非常に良いが、土地が限られているためホテル数は多くないがその中でも絶景の2ホテルを紹介する。
<アルゼンチーナ Argentina>
旧市街から徒歩10分ほどの距離に位置する5つ星ホテル。美しいアドリア海と旧市街の城壁を見渡せるロケーションはドブロヴニクで一番と言っても過言ではない。特に屋外プールやオープンテラスのレストランから眺める旧市街は紛れもなくロマンティックな思い出となるだろう。ホテルにはプール2つに、ジム、サウナ、マッサージ施設を完備。客室は全166部屋。いずれもクラシックなデザインで、上品さと機能性を兼ね備えた造りとなっている。バスタブは一部の部屋のみだが、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパをすべての部屋に備えている。場所がいいので是非シービュールームに宿泊したい。

アルゼンチーナのお部屋

アルゼンチーナからのアドリア海

アルゼンチーナからの旧市街

<エクセルシオール Excelsior>
アルゼンチーナのすぐ隣に位置する5つ星ホテル。アルゼンチーナと比べるとエクセルシオールの方がモダンなデザインで、アルゼンチーナよりも旧市街の側に位置するので景色はこちらからの方がより大きく見える。白を基調としたシックな全158部屋。ほぼ全室にバスタブあり。ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、スリッパはすべての部屋に備えられている。WIFIももちろん利用可能。屋内プール、ジム、スパ完備。窓からの眺めが美しいスシバーもある。

エクセルシオールのお部屋

お部屋はでシービューがおすすめ

ホテルを一通り見終わったあとは、昨日に引き続き再びドブロヴニク旧市街へ。
<ドブロヴニク旧市街(再び)>
当たり前だが昨日夜訪れた時よりもすごい賑わい。
ドブロヴニク旧市街の港近くにてランチ。クロアチア産のドラフトビールとリゾットをいただく。さすが沿岸地域だけあり、シーフードがうまい。それだけにも飽き足らず、イタリア仕込み(?)のカフェラテとダルマチア地方名物のロジャータというカスタードプリンを食べる。美味。
食事のあとは街を散策。フランシスコ会修道院など見所を見て回り、最後に城壁を登った。入場料は90クーナ(2013年現在約1700円)。円安だからか結構高いんだなぁ。それもそのはず、城壁は思った以上に長く約2キロある、さらに階段の上り下りもあるので、途中息切れ必死、入口から出口までそれなりのスピードで移動したが1時間かかった。城壁から見下ろす景色は素晴らしいの一言。スルジ山や旧市街内部から眺めるのとはまた一味違い、赤色の瓦屋根がずらっと並ぶ景観は圧巻の一言。

城塞からの眺め1

城塞からの眺め2

旧市街からはバスを使ってホテルまで移動。
夕食をたべ、今回の旅行最後の夜を一人でしっぽり満喫した。
6月3日
6時発のザグレブ行きの飛行機に乗るため、朝4時に起床し、ドライバーのNEVENさんと朝5時にホテルに集合。ドブロヴニクの空港までは市内から約30分。
ドライバーさんとはここでお別れ。これまで何回と旅行して各地のドライバーさんにお世話になってきたが、知識豊富で、機転が利き、お茶目で、ユーモアにあふれた素敵なおじ様でした。
ザグレブにてトルコ航空に乗り継ぎ、イスタンブールを経由して無事帰路についた。
バルカン半島というとよほどの秘境に行くように感じたが、食べ物は美味しいものがどこでも手に入る。ホテルではちゃんとお湯も電気も充分使えるし、地元の人々もホスピタリティに溢れている。全く旅行するのは不便のない国だった
ドブロヴニクは期待もしていたし期待以上にすごく感動したのだが、ガイドブックも手に入らなくてどうしようかと思っていたコソボの美しい教会と街並み、そして人々の笑顔が忘れられない。私なんかからは想像のつかないほど大きな問題を抱えている国ではあるが、また一つ大好きな国が増えた。
2013年5月 橋本
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