今回初めての出張の機会を頂き、不安と期待を胸に灼熱のシェムリアップへと飛び立った。シェムリアップ4泊、プノンペン1泊、最後にベトナムのハノイに2泊という行程。カンボジアをメインに特に印象に残ったポイントをいくつかピックアップしたい。
○カンボジアの魂・アンコールワット
シェムリアップの空は広かった。
建物の高さが制限されていて、4階建以上の建物は禁止されているため。
――アンコールワットが綺麗に見えるように。
高層ビルが立ち並ぶ東京の小さくて遠い空とは相反し、大きくて近い空。
地下もあまり深く掘ることは禁止されている。
――アンコールワットが崩れてしまわないように。
アンコールワットがカンボジアの人にとってどれほど大切なものとされているか、ひしひしと感じられた。
カンボジアを訪れる前から、アンコールワットの写真は仕事で毎日のように目にしていた。最初に目に飛び込んできた瞬間の感想は「あ!いつも写真で見てるやつ!」。
でもやっぱり、実際に目にしたアンコールワットはすごく堂々としていて、写真からは感じることのできない偉大なオーラを放っていた。
見る角度によってその姿を変える、緻密に設計された中央祠堂。
細かく彫られたレリーフ。
美しいデヴァター(女神像)。
全体で数百体あるデヴァターは、それぞれ薄衣の模様や装飾品、顔の表情まで微妙に違っている。その中でも必見なのが、アンコールワットの中に3体だけあるという、歯を見せて笑うデヴァター。
当時歯を見せることは下品とされていたため、他のデヴァターは皆口を閉じて微笑んでいる。是非、下品・・・いや、現代風に笑う彼女を見つけ出して欲しい!ヒントは第一回廊入ってすぐ!
私が行ったこの日は、たまたま月に3~4回あるという仏教の日(僧侶たちがアンコールワットでお勤めをする日)で、第三回廊に登ることはできなかった。少し残念な気持ちになっていたが、アンコールワットでのお勤めを終えた僧侶たちとこの後に行ったプノンバケンで会うことができた。夕陽が沈み、そろそろプノンバケンを下りようとしていると、「写真を撮っても良いですか?」とiPadを向けられたので、一緒に写真をパシャリ。
坊主頭にオレンジの袈裟姿という彼らにはどうもしっくりこないiPadに少々驚きながらも、貴重なお話をさせて頂き、有難い気持ちになった。
もちろん、プノンバケンからの夕陽はとても美しかった。
○まるでジブリの世界にいるかのようなベンメリア
アンコール遺跡の中でも個人的に特におすすめなのが、密林に眠る巨大寺院「ベンメリア」。森の中にひっそりとしてあり、「天空の城ラピュタ」のモデルにもなったと言われている。確かに、ジブリ映画に出てきそうな雰囲気。静かで、何ともいえない神秘的な場所。
ガイドさんの説明によると、ベンメリアはアンコールワットの練習台として造られ、アンコールワットより早い11世紀末~12世紀初頭に完成したそうだ。(実際に創建年代を明らかにする碑文はない)アンコールワットを小さくして平面展開したような構成で、まるで崩されてしまったアンコールワットのミニチュア版。第一回廊から第三回廊まであり、たくさんのデヴァター、乳海攪拌のレリーフなどを見つけることができる。レリーフがアンコールワットのものとは全て正反対に彫られていることにも注目!
第二回廊の通路は窓が天井付近にあるため、真っ暗で声も届かない。そのためここはポル・ポト政権時代に刑務所として使われていたとわれている。
そうやって見ていくと、この廃墟のような遺跡はほんとうに面白い。また、崩れたまま残っている岩には苔がたくさん生え、雨が降ればなおさら緑が映えて綺麗らしい。この日はカンカン照りの日だったが、それでも十分綺麗だった。
今はまだ世界遺産には登録されていないが、今後世界遺産に登録されるだろうとガイドさんから聞いた。そうなると周りの森も切り崩され、当然観光客も増える。私は世界遺産に登録されるまでに、森林が残っている今のうちに!是非ベンメリアを訪れていただくことを強くおすすめする。
○地元の人達にも人気の聖地クレーン山
クレーン山まではシェムリアップから車で約1時間40分~2時間、途中道も塗装されていないため、がたがた道を行く。がたがた道を2時間か・・・と思う方もいるかもしれない。私も正直最初そう思ったが、その車窓からの景色が面白くて、2時間があっという間に感じられた。シェムリアップから少し離れると、電気も水道も通っていないような高床式の住居がずらっと立ち並ぶ。そこには、裸で水遊びする子供たち、生活のために砂糖を売る人達など、地元の人たちの生活の様子が見えて面白い。これぞ本当のカンボジアに来た!!と思える光景。(何せがたがただったので、車中から写真を撮ろうと試みるもこれが精一杯。)
クレーン山への道は、12時までは登り専用、12時以降は下り専用となる。午前中に到着し、アンコール地方では見ることのできない水中寺院や大きな涅槃仏(プリア・アントン)、2つの滝などを観光。
海のないカンボジアではこの滝で地元の人たちが集まって涼をとり、ピクニックや水浴びをして遊ぶらしい。実際私が行った日もたくさんの地元の人たちで賑わっていた。
○孤児院でボランティア
今回、孤児院に文房具を持って行くというボランティアをさせていただいた。クメール語で「クローサーリ・リエイ」、訳すと「楽しい家族」という名前の孤児院を訪れた。(ガイドさんに聞いたまま書いたのでクメール語の表記は正しいかは分からないが・・)
ポル・ポト政権によって一度は「教育制度」が廃止され、そして教師をはじめあらゆる知識層が殺されてしまったカンボジア。ポル・ポト政権の崩壊後、なんとか字を読める人が教師となり、この国の教育を支えてきたが、未だに多くの教育問題が未解決のまま残されているのが現状。就学率は小学校では90%を超えるようになったと言われているが、カンボジアでは退学率、留年率が非常に高く、その理由は「家庭が貧しい」「働かなければならない」など多くの場合が貧困によるものなのだ。
実際に行ってみた感想は、私がイメージしていた孤児院とは違い、みんな無邪気でとても人懐っこい。
一人の女の子がこっち、こっち!と手を引っ張ってくれる。なになに?と行くと、私の髪のアレンジが始まった。しかもとても器用。
アレンジされていると、もう一人の子がダンスに誘ってくる。
ちょ、ちょっと待って!と言いながら、、、
ダンスを踊る。
ダンスを踊って汗をかいたあとは、「アルプス一万尺」大会。
周りの子どもたちから「次は僕!」「次は私!」と、手が何本あっても足りない状態になった。しかも10年以上振りにやったものだから、最後のほうの2小節くらいが曖昧。なので、あっちむいてほいに切り替えて盛り上がった。
弊社のステッカーをふっと取り出すと、あれよあれよという間にステッカーの取り合いが始まってしまった。
部屋中、からだ中にファイブスタークラブのステッカーが・・・
あっという間にお別れの時間。帰るときは皆飛び跳ねて「バイバイ!」と手を振ってくれた。言葉も通じないし、たった1時間程しかいなかったけれど、ボランティアをしに行ったはずが逆にみんなに元気をもらってしまった。この子供たちの笑顔は一生忘れないだろう・・。
○きらびやかな建物が目を引く王宮・シルバーパゴダ
シェムリアップを後にし、プノンペンへ移動。シェムリアップとはまた雰囲気が変わり、街中には綺麗な仏教寺院とフランス統治時代の面影が残る洋館が混在して立ち並び、夜はネオンがきらきらと光っている。中国からの支援を多く受けているため、中国語の看板があちこちに目につく。
2012年10月15日に初代国王ノロドム・シハヌークがお亡くなりになったことはご存じだろうか。シェムリアップでも、プノンペンでも、全てのお店・ホテルにシハヌーク王の遺影が飾られていた。
そのため、王宮の中に入って見学することができず、この日は外観だけ。大きなシハヌーク王の遺影が飾られていた。
王宮の前では火葬場が建設されている最中だった。シハヌーク王が火葬されるまでは王宮の中には入れない。(2013年1月15日に完成予定らしい。)
シルバーパゴダも、全部は見学できなかった。こちらも、火葬が終わるまでは一部入れない。観光できるところだけを周ったが、魔除けとしてつけられている蛇が特徴的で、ものすごく立派。それぞれ一人に一つ作られているストゥーパも、身分によって大きさや模様が違う。
シェムリアップに行かずともアンコールワットを楽しんでもらおうと、アンコールワットのミニチュア版が置かれてあった。
○ポル・ポト政権時代を知るトゥールスレン博物館・キリングフィールド
この旅で、一番衝撃的で印象残っているのが、トゥールスレン博物館とキリングフィールドだ。以前ある映画でこの2か所を撮ったものを見たことがあり、カンボジアを訪れるなら必ずここには来てみたいと思っていた。実際、自分の目で見てみると、思わず目を伏せたくなってしまう場面がたくさんあった。
トゥールスレン刑務所は、ポル・ポト政権時代、1975年4月~1979年1月の約4年の間に、約2万人が尋問され拷問を受けた場所。犠牲者たちは約2か月にわたるトゥールスレンでの拷問の後に、キリングフィールドにて処刑された。
ここはA棟からD棟に分かれており、A棟は政治家などの身分の高い人の尋問室として使われていた場所。鉄のベッドと排泄用の缶、ベッドと足を繋いでいた鉄の輪っかだけがぽつんと置かれてあった。
足を繋ぐための鉄の輪っかは、まさか男性の足が繋がれていたとは思えないほどの小ささ。
当時の写真も飾られている。
B棟には、収容された犠牲者達の顔写真が壁一面に貼られている。
C棟は、一般の人たちが収容されていた場所。薄暗い中にいくつもの独房が並び、そこにはベッドもなく排泄用の缶がひとつと足を繋ぐための鉄の鎖があるのみ。入るのがやっとなほどの細い入口、1畳あるかないかの小さな空間、地面に残る生々しい血痕・・・。
ここでは隣の人と話すことすら禁止されていた。この光も何もない狭い空間で、話すこともできず、拷問を受け、後に処刑される運命と分かりながら2か月間過ごしていた犠牲者たちの気持ちは、とても想像できるようなものではないだろう。実際にキリングフィールドに行くまで、耐えられずにここで亡くなった犠牲者もいたらしく、その方たちの亡くなった時の姿の写真なども飾られていた。
棟の外には、自殺しようとする犠牲者達に対しそれを防止するための鉄の網が張り巡らされていた。
ここはもともと高校だった所を刑務所として使われていたので、高校の名残で鉄棒が残る。
鉄棒の隣にある棒と壺のようなものは、拷問に使われていた道具。
棒に足を吊るして、水が入った壺に頭をつけられている写真が貼られてあった。
―――2万人の中で生き残れたのはたったの7人。
この後、車で20分程走ってキリングフィールドへ向かう。その車中もトゥールスレン博物館で見たものが頭から離れない。
カンボジア各地にあるポル・ポト政権時代の刑場の中でも有名なのがここプノンペンの刑場。キリングフィールドに入るとまず綺麗な慰霊塔が目に入る。
中には掘り出された8985柱の犠牲者の遺骨や衣服などが安置されている。
敷地内には屋根が付いた大きな穴が3つと、小さな穴があちこちにある。大きな穴は、400人、160人、そして子供たち100人程がまとめて火葬されたもの。そしてあちこちにある小さな穴は、首を切られ胴体だけが火葬されたために火葬された人数は分からないが、その時の遺骨を掘り起こした時にできた穴がそのまま残っているもの。
他にも、敷地内には首を切るために使われたというヤシの木、人々が苦しむ声をかき消すために、大音量で鳴るラジカセをかけられていた木、子供たちの頭をぶつけて殺すために使われた木、また地面に目を向けると骨や衣服などが生々しく残っている。
決して楽しい場所だとは言えないが、カンボジアを訪れたなら、ポル・ポト政権時代の残酷さを是非知っておきたい。この時代なしにカンボジアは語れない。
○美しい陶器が並ぶバチャン村
少し重い話になってしまったので、気分を入れ替えて心温まるバチャン村を紹介したい。
5泊したカンボジアに別れを告げ、空路にてベトナムの首都ハノイへ。
ハノイから車で約30分のところに、とってもかわいい陶器がたくさん並ぶ小さな村がある。ここが「バチャン焼き」で有名なバチャン村。村の人口約5000人のうち9割近くが陶器作りに従事していて、大小約100軒の工房が所狭しと立ち並んでいる。小さいものは箸置きから大きいものは約1mもある花瓶まで、本当に見ていてうっとりするような陶器ばかりが並ぶ。
今回私は2つの工房を見学させていただいた。
地元の方たちが地べたに座って型を取っていたり、筆で細かい模様を一つ一つ書いている。
まず、粘土で型作り
型が出来たら、乾かす。
そして水で洗って傷を消す。
バチャン焼きの印を付ける。おばちゃんに「やってみる?!」と言われ、私もバチャン焼きの印付けを体験させてもらう。簡単そうに見えてこれがまた難しい!
細かい模様をひとつひとつ書いていく。これは女性の仕事。
それにエナメルを塗り、焼いて、出来上がり!
こちらが焼く前と焼き上がりのお茶碗。
ひとつひとつ丁寧に作られている様子を見ると、それぞれの陶器に人の温かみを感じられる。ほんとうにかわいい陶器ばかりで、陶器にはあまり興味のなかった私だが、ついついコップや箸置きなどを買ってしまった。
実は今回が初めてだった東南アジア。何といっても東南アジアは気軽に行けて、物価が安くて、ご飯が美味しいのが魅力。でも今回の旅では、楽しむだけじゃなく、その国の深いところまでを見ることができる旅となった。アンコールワットだけじゃない、カンボジアの魅力にどっぷりとつかってしまった。
行って、見て、感じて初めて分かる、その国の本当の魅力。日本で足踏みをしている方がいれば、是非、一歩未知なる国カンボジアへ踏み出していただきたい!
2012年12月 池田郁依