素朴なルーマニアと優美のハンガリーへの旅

素朴なルーマニアと優美のハンガリーへの旅


今回、カタール航空さんの研修でルーマニアとハンガリーに行く機会に恵まれました。
カタール航空は深夜便なので仕事帰りに出発できて便利です。また音楽や映画などエンターテイメントが充実しているので疲れていても眠るのが惜しいくらいです。ドーハ空港で乗り継ぎの間にビジネスクラスとファーストクラス専用のプレミアムターミナルを見学しました。食事やリフレッシュなど施設があり、トランジットの時間もゆったりと過ごすことができます。エコノミークラスのターミナルにはゴールド会員、シルバー会員利用できるラウンジや他社の航空会社でファースト、を利用するお客様のためのラウンジもあります。エコノミークラスの場合、この他航空会社のラウンジに有料で入ることもできるので、乗り継ぎで時間がある場合は利用してみるのもよいと思います。
ルーマニアとハンガリーはどちらの国も20数年前までは共産主義の国でした。隣の国なのに空気感がこんなに変わるものか、という印象でした。




・ルーマニア編
<ブカレスト>
空港から市内へ向かっていくと、凱旋門が見えてきます。

第一次世界大戦の勝利を記念して建てられたこの凱旋門は当初漆喰でしたが、その後ルーマニアの彫刻家たちによって現在のように創り替えられました。さらに市内へ向かっていくと20世紀初めには「バルカンの小パリ」と言われた町並みの面影が見られます。残念ながら共産党時代に古い教会や歴史的な建物の多くは壊されてしまったそうです。
まず最初に訪れたのは革命広場です。ここは1989年の民主革命の舞台となった場所で、周りには大学図書館、旧共産党本部、アテネ音楽堂などがあります。




18世紀のルーマニア正教の教会が旧共産党本部の前にひっそりと残っていました。これは奇跡的でどうして残ったのかは謎だということです。

20年前というとまだ記憶に新しい出来事があったその地に立っているということにいろんな思いが巡りました。そして次に訪れたのが、その共産党時代の象徴、国民の館です。

故チャウシェスク大統領が国民が貧困の中にいるにもかかわらず巨額を投じて造らせた宮殿で、世界の官庁、宮殿などの建物のなかで2番目(または3番目)に大きいもので、内部は国内の各地から集められた大理石や絹、絨毯、水晶など贅の限りが尽くされています。








チャウシェスク大統領はこの館が完成する前に革命で亡くなり、使うことはできなかったということです。現在は政党のオフィスや国際会議やイベントに利用されていて、ホールを個人で借りることもできるそうです。
旧市街には古い建物が多く残っていて、博物館やお店などになっています。





雨で暗かったということもありますが、町自体も共産党時代が色濃く残っている印象を受けました。テレビで見たどこかの国のことではなく、訪れてみてそういう時代もあったのだと歴史の動きを実感できました。
<シナイア>
シナイアはルーマニアを“つ“の字に走るカルパチア山脈の中のプチェジ山の中腹に位置する町です。日本の軽井沢のような避暑地でもあり、別荘などが多く建ち並んでいます。
まず訪れたのはシナイア僧院です。ここでは古い教会(17世紀)と新しい教会(19世紀)が見られます。






そしてペレシュ城へ。ペレシュ城は1800年代後半、時の王様、カロル1世が夏の離宮として建てた宮殿です。
ドイツ・ルネッサンス様式で建てられた宮殿は豪華で装飾品もどれも見とれるほどでした。








ダイニング、歓談室、舞台もあります。かけられている絵はミュシャによるもの。





今回は時間がなかったのですが、このお城を眺められるカフェがあったので、ゆっくりお茶をしながら当時を想像できたら楽しいだろうと思いました。
シナイアから車で約1時間のブランにはドラキュラのモデルとなったブラン城があります。同じお城でも先ほどのペレシュ城に比べると質素に感じますがこちらのほうが歴史は古く、14世紀ごろの城塞です。
ドラキュラグッズがたくさん売られていました。










このお城はドラキュラのモデルとなった王様の祖父が居城にしていたということですが、本人はこのお城で1泊したかどうかくらい、実際のゆかりはうすいようですが、この質素さがドラキュラの城というイメージにぴったりだったのかもしれません。
<ブラショフ>
ブラショフはルーマニア第二の都市で、山の麓にある古都です。12世紀にドイツ商人が建設して発展してきました。旧市街エリアは中世にまぎれたようなかわいい町です。
訪れた日はイベントをしていてたくさんの人で賑わっていました。









朝の散歩にもでてみました。昨日のにぎやかさとは打って変わって静かゆっくり見ることができました。結婚式シーズンらしく、撮影も行われていました。





中心から徒歩15分ほどのスケイ地区にはルーマニア正教会の聖ニコラエ教会があります。スケイ地区はブラショフがドイツ人に建てられた当時ルーマニア人が住んでいた地域です。ルーマニア人が中心地へ行くには通行証のようなものが必要でした。



<シギショアラ>
シギショアラは世界遺産にも登録されている町で、中世の面影があちこちに残っています。15~16世紀に繁栄の絶頂期を迎え、そのころには城塞都市にもなりました。時計塔は14世紀のものです。時計塔からは町が一望できます。建物の壁の色遣いも素敵で派手な色なのに風景に溶け合っているのは歴史のなせるわざでしょうか。








ここでも結婚式の写真撮影が行われていました。

この町にはドラキュラのモデルとなった王様の生家もあり、今はレストランになっています。



本当に小さな町ですが、童話の中に入ったような気持ちになるかわいい町でした。


シギショアラから車で約30分のビエルタンには世界遺産の要塞教会があります。
これはオスマントルコの襲撃に備えて建てられたもので周辺にも要塞教会がいくつかありますが、このビエルタンが有名なのは三重の高い壁に囲まれていて、見張り台もあり、食料も備蓄していたそうです。




<シビウ>
シビウの発祥は12世紀でドイツ人の入植から始りました。シビウは中央ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ最短ルートにあったので、商業都市として発展し、19世紀にはこの地方の首都にもなりました。この町にも中世の町並みが残っています。



大広場は15世紀の商家に囲まれているのですが、屋根にある窓が眼のように見えます。ずっと見られているようでちょっと不気味な感じです。



トンネルを抜けると小広場にでます。こちらにも眼に見える家が立ち並びます。うそつき橋とよばれる橋をわたるとシンボルの福音教会が見えます。





福音教会はゴシック建築のプロテスタント教会です。屋根が特徴的で陶器でできています。現在は修復中でした。すぐそばには丘の下へ出る階段があり、下町の路地裏散策を楽しめます。小さなCD屋さん、洋服屋さんなど生活が垣間見えます。ガイドブックには載っていない素敵な教会も発見!やはり散策は楽しいものです。







<ティミショアラ>
ティミショアラは1989年の革命の口火を切った町です。ここで起こったデモや惨劇がブカレスト市民を蜂起させ、革命へとつながっていきました。
この教会の前でも銃撃戦が行われました。


教会の前には鎮魂の碑があります。

その碑がある広場はいま勝利広場と呼ばれ、市民の憩いの場になっています。また勝利広場につづく自由広場、統一広場の周りには15世紀から18世紀の建築物や教会があります。











革命という言葉を実感した町でした。
<車窓より>
ルーマニアでの各都市間の移動では不思議な雲、一面のトウモロコシ畑、丘陵地帯、平野など町では味わえない風景も見ることができました。特にトウモロコシ畑はあらゆるところに広がっています。







ルーマニアはほぼ平野ですが、こんな山の景色も見えました。


・ハンガリー編
今回初めて陸路で国境を超えました。ルーマニアはEUに加盟していますが、シェンゲン条約には入っていないので手続きが必要です。といってもパスポートを係員に渡し、しばらく待つだけです。


国境を越えて一路、ブダペストまで。その途中、セゲドとセチケメートという町を訪れました。
セゲドは11~12世紀ごろ塩で発展しましたが、戦争やティサ川の洪水で町は何度か破壊されました。現在の町は20世紀に入って建てられたものです。現在は学生の町として知られています。







町のシンボルは誓約教会です。1930年に完成しました。教会の前はドーム広場があり、イベントが行われます。この日はイベントが終わった後の片付けをしていました。広場の周りにはハンガリー出身の有名人の像が並び、仕掛け時計もありました。






教会の中は荘厳ですきまなく描かれた絵画に圧倒されます。




この町に入って思ったことはルーマニアとは全然違う空気です。自転車も多く、私がもっているザ・ヨーロッパ
のイメージそのものでした。

セチケメートの「セチケ」はヤギの意味で町の紋章もヤギです。ガイドさんのネタで名前の覚え方は「ヤギ(セチケ)がメーと鳴く」ということでした(笑)。
この町は作曲家や劇作家を生んだ文化の町。今でも音楽研修所やユニークな建築物が残されています。







そしてブダペストへ。「ドナウの真珠」といわれるブダペストの中心部に入り、まず見えてきたのはドナウ川です。その瞬間に頭の中には「美しく青きドナウ」が流れました。ブダペストはその優雅な曲にぴったりの美しさでした。




ドナウ川によって王宮を中心とするブダ地区と商業を中心に発展したペスト地区に分かれています。この2つの地区が初めて橋でつながったのが1849年。それが有名なくさり橋です。
まずゲッレールトの丘に登りブダペストの町を一望できるポイントへ。くさり橋もよく見えます。夕陽を浴びた町は夢のような景色でした。







日が暮れると町はライトアップされます。その光景は昼間とは違った幻想的な美しさでした。その光景を満喫するにはドナウ川クルーズがお勧めで、約1時間かけてドナウ川を周遊します。
この日はお月様もきれいに輝いてステキな時間を過ごすことができました。










いよいよ最終日。この日は駆け足の観光となりました。ブダ地区では13世紀半ばに建てられ、その後幾度かの増改築、改装を経て現在に至るマーチャーシュ教会、漁夫の砦、ハンガリー建国の父、聖イシュトバーンの騎馬像を見学。漁夫の砦からの眺めもまた格別です。





ペスト地区では建国1000年を記念して1896年造られた英雄広場へ。周りには西洋美術館、現代美術館など多くの美術館、博物館があります。



英雄広場からのびるアンドラーシ通りは「ブダペストのシャンゼリゼ通り」ともいわれ、通りの両脇にはオペラ座など美しい建物が立ち並んでいます。



そして通りの端まで行くと聖イシュトバーン教会が見えてきます。1851年に建設が始まったこの教会は50年を経て完成にこぎつけたそうです。中には聖イシュトバーンの右手のミイラが安置されている礼拝堂もあります。







まだまだ見たいところはたくさんありましたが、後ろ髪を引かれつつ、帰途につきました。今回はルーマニアの素朴でかわいい町をたくさん見ることができて有意義な旅となりました。ハンガリーは言わずもがなです。
中世の世界に浸ってみませんか。
2012年9月 平田

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