長い間、政治的混乱状態が続いていたミャンマー。正直、なかなかその全貌を理解出来ていなかったのは確かです。ミャンマーの隣国である、タイ、ラオス、インド、バングラデシュには既に行っていましたが、ミャンマーだけは何故か長い間行く機会を逃してしまっていました。
そんな時ここ最近民主化が進み、諸外国も注目を始め、メディアでも取り上げられる機会が増えたミャンマーの視察の機会をもらうことが出来ました。
大都市ヤンゴンへ
今回はベトナム航空を利用してハノイで乗継ぎヤンゴンへ。乗継ぎ待ち時間を含めると約10時間半で到着です。ヤンゴンの空港はシンプルで割りとスムーズに出口まで進めます。但し両替所は時間外の為閉まっていました。国際空港で到着時間帯に(しかも18:00台に)両替所が閉まっているのもどうなのか?とも思いますが。
空港から市内までは約30-40分、綺麗に舗装された道路を滞りなく走ります。ダウンタウンが近づいてきますが、あれ?東南アジア特有のゴミゴミした雰囲気がない!?何かがおかしい!?と思っていましたが、そうです、バイクが走っていないのです。しかも自転車もです!どうしたことかとガイドさんに聞いてみると「交通事故が多いので、ヤンゴン市内ではバイク、自転車が乗車禁止になりました。」とのこと。何とも思い切ったことをする政府です。ホテルはダウンタウンの中心「パノラマホテル」ここはよく利用するホテルですが、隣に大きなスーパー(デパート?)があるので大変便利です。水500ミリの相場を確認、なんと15円??物価に慣れるのに時間もかかりそうです。ドリアンやドラゴンフルーツもしっかり破格です。ガイドさんお薦めの夜景が楽しめる「スカイ・ビストロ」はサクラタワー20階にあるデートスポットだそうです。瓶ビールより安いお得な生ビールを飲みながら遠くに光り輝くパゴダが見えるのが幻想的でした。しかし夜中鳴り響くお経になかなか寝付けないミャンマーのスタートでもありました。
世界遺産にまだ登録されていない今が行き時のパガン
翌日早朝の国内線に乗る為に空港へ。街はまだ静まり返っていましたが空港に到着すると大賑わいです。さすが観光シーズン、欧米人の観光客が多い多い。ガイドさんからゆっくりコーヒーでも飲んでお待ち下さいと言われたのもつかの間、「もう出発するので搭乗します!」とのこと。何とミャンマーの国内線、定刻前に出発するのです!私が訪れた2月は霧が多く、よく遅れもするそうです。なのでこの霧が晴れた時が飛び時ということで、早まるということ。よくわからないけど、妙に納得出来ました。パガンまで約1時間少し、エア・パガンは快適で、出てきた朝食は国内線の中で一番美味しいとガイドさんが言っていました。(クロワッサンのサンドウィッチが美味しい!)
パガン空港ではミャンマーの民族衣装を着た子達が歓迎のお出迎え、私達のパガンへようこそ!そんな感じでしょうか。パガンを誇らしく思っていることがわかります。
空港からは約2時間ほどの近郊の町サレーへ向かいました。道路の両脇は長閑な田舎道と思っていたらパゴダが現れる現れる、道路脇に普通に大小様々なパゴダの建つ姿に感動です。現在確認出来ているだけでも約2,000塔があるそうで、この11世紀~13世紀の繁栄の時代が伺えます。砂岩で出来た仏塔は見ていて飽きることがなく、あっという間にサレーに到着しました。サレーには文化財保護エリアがあり、約130年前に出来た総チーク材でできた僧院、漆塗りの大仏等が見どころです。また、ササナヤウンジー僧院では高僧に話を聞くことが出来ました。紙がなかった時代のヤシの葉に書かれた経典などを気軽に見せてくれるとてもフレンドリーな方でした。但し、お忙しい方なので、お話が聞けたのはラッキーだったとのこと。予約も出来ないので、運になります。
次に向かったのは土着宗教ナッ信仰の聖地であるポッパ山。標高約1500mのメインポッパの麓にあるタウン・カラッの頂上には寺院がそびえ立っています。頂上までは果てしなく続く階段を裸足で登って行きます。割と急ですが、日々人々の寄付によって修復されているので、歩きにくいことはありません。少しづつ頂上に近づくにつれ眼下に広がるポッパ山の裾野の眺めは最高です。そして頂上は、太陽に近く涼しい風が心地よく瞑想に耽りたい神聖なる場所でした。
但し、この階段の途中に野生の猿が沢山いて、餌を狙っています。あまり目を合わせないようにするのがいいでしょう。最近は餌をくれないと言って向かってくる猿もいるそうです。
パガンでの宿泊は『ティリピセヤ・サンクチュアリー・リゾート』敷地内にある『サクラ・ロッジ』。このリゾートは高級リゾートで客室は全てコテージタイプで、広いガーデンに建つ見晴らしのいいリゾートです。プールの目の前にはイワラジ川が悠々と流れ、眺めに飽きることがありません。『サクラ・ロッジ』はコテージタイプではありませんが、部屋は広々とし、2部屋あるので寛げます。プールなどのリゾートの施設が使えるので、低予算で押さえたいけど、ちょっとリゾート気分も味わいたいという方にお薦めです。
イワラジ川に沈む夕陽をプールサイドで味わえるのもパガンリゾートならではです。
パガン遺跡巡り~広すぎるパガン遺跡~
早朝5時に起床、馬車でサンライズ・スポットへ。暗闇の中、馬のパカポコパカポコという音だけが響き、輪郭だけがうっすら確認出来る仏塔の合間を走りぬけ「シュエサイド・パゴダ」へ到着。既に数人の脱ぎ捨てられた靴がありました。かなり急な階段を上り、てっぺんへ向かうとやはり数人が東に向かって座っていました。物音ひとつさせず、皆話しもせずに、ただ東の方向を眺めている様子はとても厳粛的で、遺跡に対して眠りを妨げない敬意のようなものすら感じました。少しずつ空が白くなり太陽が昇り始めるとパガンの広野が姿を現します。その姿は息を呑む美しさです。
次第に明るくなり始めると遠くの方でバルーンが上り始めました。バルーンからは夜明けのパガンを見渡せるということで人気のツアーです。
パガンの遺跡巡りには馬車がタクシー代わりに使用されています。お値段は交渉次第ですが、大体相場も決まっていますので観光客にも使い易い乗り物です。小回りがききますので、道なき道を歩きます。遺跡を目指してパカポコパカポコゆっくり揺られて行くのもパガンらしいかもしれません。
さて、パガンの遺跡巡りの前に立ち寄りたいのが「ニャウンウーのマーケット」。朝から大賑わいです。女性の日焼け止め、「タナカ」も売られています。
パガン遺跡は数あれど、やはり時間に限りが・・・泣く泣く必見遺跡だけを巡りました。
「シュエズィ・ゴン・パゴダ」。パガンを代表する仏塔で実際目の前で見上げるとかなり大きいのがわかります。青い空をバックに黄金に輝くパゴダがよく映えます。
「アーナンダ寺院」白亜の美しい寺院です。本堂に立つ4体の仏像、その中の2体は当時のままで細かい装飾に驚かされます。また遠くから眺める人々には優しい表情を見せ、近くから見る王族には厳しい顔を見せるという技法が用いられているのも関心させられます。
「マヌーハ寺院」この寺院を建てた王は敗戦後捕虜として捕われている時に建てたことから、寺院内の大仏は窮屈そうに壁と天井にぴったりくっついています。まさに今の捕われの自分を表しているようで、その表情を見ていると切なくなります。
「ピャタッジー・パゴダ」眺めが抜群の穴場仏塔です。頂上に登れば360度パガンが見渡せます。オールドパガンから少し離れているのでまだ観光客も少ないようです。
さて、ここでミャンマーの食事もご紹介。
ミャンマー料理はカレーの他にもご飯に合うおかずがいろいろあります。肉や魚、数知れない野菜料理。また、西洋料理も出してくれるレストランもあるので、困ることはありません。ちなみに今回いただいた西洋料理のメインは魚のソテーバジルソース風味です。
パガンのサンセットのもう1つのポイント、イワラジ川でボートから夕陽を眺めます。大河の真ん中に停泊し、静かに太陽が沈むのを見届けます。
パガンは世界遺産にまだ登録されていません。これから民主化が進み、きっと世界遺産に登録されるでしょう。それはまた観光客も増えるということで発展には多いに役立ちます。しかしそれと同時に失われてしまうものも多いと思います。ミャンマーの人々の深い信仰心、穏やかさ、優しさは変わらずいてくれることを願うばかりです。この時期にパガンに訪れる事が出来た事、本当にうれしく思いました。
ずっと“マンダレーの夕日”を見たかった
小説「マンダレーの夕日」を読んだのはもう随分前のことです。内容はミャンマー(ビルマ)での戦線を少し交えた、「ルビー」を巡る壮大な人間ドラマです。その中心となるルビーが“マンダレーの夕日”と名づけられていました。赤いルビーの名にまでなる「夕日」の色とはどんなものだろうかと、いつかは見たいと思っていました。
パガンから約30分のフライトでマンダレーに到着です。マンダレー市内に入る前に寄るのがアマラプラの『ウー・ペイン橋』。ペイン氏が川向うの僧院まで行けるようにチーク材の橋をかけました。今でも多くの人々の役にたっているようです。但し、隙間だらけ、柵もない。高所恐怖症の私には少しどきどきの橋でした。
もう1つの見どころ『マハーガンダーヨン僧院』。ここはミャンマー国内最大級、最高位の僧院のひとつで、見習い僧が約1,000人はいるとこのと。午前10:20頃から始まる食事タイムに見学が出来るということで観光客が集まっていました。写真はOKですが、決して邪魔をしてはならず、もちろん手を触れてはいけない厳粛な雰囲気です。南方上座部仏教の信仰の中心にいる僧侶はミャンマーでは大変敬われているのがわかります。
マンダレーはミャンマー第2の都市だけあり、賑やかです。ここではバイクも自転車も沢山走っているので、アジアの都市の雰囲気があり、活気づいています。マーケットは野外で、野菜や香辛料、様々なものが売られていました。ミャンマーの人々の食事事情がわかるようです。
夕方、待ちにまった『マンダレー・ヒル』へ。今回は時間もなかったので楽して車で7合目まで行き、そこからエスカレーターで頂上へ。(ちなみに裸足でエスカレーターに乗るのは初でした)頂上につくと、夕日を見に沢山の観光客が集まっていました。ここもやはり静かに日が沈むのを見守る雰囲気でした。そして、とうとう“マンダレーの夕日”に出会えたのです。
マンダレーの夕日は思っていた通り美しいものでした。
ミャンマーの今後
今民主化が進み、外国から注目を浴びて、どんどん諸外国が進出しているミャンマー。パガンを走っているときに見た“石油”のくみ出し機、パイプラインを見るだけで、豊富な資源が伺えます。お隣の中国が勢いよく手を伸ばしてきている様子はヤンゴン市内所々で見られる漢字で解ります。今転機を迎えどんどん変化を遂げているミャンマーですが、人々は変わらずそのままでいてくれそうな気がするのは、彼らの笑顔も優しさも本物だからでしょう。また、変わらないで欲しい、私はそう願っています。
ミャンマーは、また何年後かに訪ねてみたい大好きな国の1つになりました。
2012年2月 能祖文子