スペイン語は全くできませんが、何か? ~ペルーの旅~

スペイン語は全くできませんが、何か? ~ペルーの旅~


日本から南米諸国に旅に出るにあたって、多くの場合がアメリカ系の航空会社で、アメリカの1都市で乗継ぎをする。その際往復ともにアメリカでは出入国検査が行われる。12時間半程度の長時間のフライトの後、へとへとになりながら、長蛇の列に並び、自分の番がやってくるのを待つ。指紋と顔写真のデータをとるため、一人一人に費やす時間が長い。リマへのフライトの時間が迫っているために、とにかくスムーズにここを通過したい。管理官は私のパスポートを受け取り、優雅にパスポートをチェック。突如スペイン語(と思われる言語)で話しかけられた。まさに不意打ち。「は?」という顔をすると、英語で「君はスペイン語が話せないのかい?でもペルーに1人で行くんだよね?」と聞かれた。「ええその通りですが、何か?(文句でもあるのかと言外に意を含め)」と答えると、「Oh!No!(笑)」と、まさにあの両手を挙げて首をすくめる反応を返してきた。この時私が「スペイン語話せなくても楽しんでやる!」と決意を固めたことは言うまでもない。


自宅を出発してから丸24時間を超えた頃、ようやくリマに到着した。それでも時間は出発した日の夜。日付変更線をまたぐから当たり前なのだが、長い時間をかけてやってきたのに、時計の針が進んでいないという地球の不思議。ペルーはアンデス山脈に抱かれた山岳の国というイメージがなんとなくあるが、リマは太平洋に面している街である。ホテルのある新市街に近付くと、海の湿気と潮の香りが体にまとわりついてきた。とにかくへとへとで、3時間後にはホテルを出発し、クスコへ出発しなければならないため、すぐに眠りについた。
リマからクスコへのフライトは1時間程度。海岸沿いのリマを離れるとすぐに標高の高いアンデスの山々が広がってくる。

雪を頂いた険しい高山も見えてきて、標高3,000mを超えるクスコを目指しているという実感がわいてきた。クスコに近付くと、窓の外には茶色の街並みが広がってくる。太陽の光を浴び、キラキラと輝く街が見えてきた。飛行機を降りると、確かに空気が薄い感じはするものの、すぐに高山病っぽい症状に苦しめられるわけではない。しかし油断してはいけない。いたって普通に思えても標高は3,000mを超えている。また太陽が近く感じるので、日差しが強烈である。ガイドさんとドライバーさんと会い、ひとまずクスコのホテルに向かい、高山病に効くという「コカ茶」をいただく。

麻薬(コカイン)の原料となるコカの葉を干したもの数枚~数十枚に熱い湯を注ぎ、しばらくしてから飲む。当たり前だがこれをもし日本に持ち込もうとしたら大変なことになるのでご注意を。少し休憩してからホテルを出発した。体に優しい行程のため、この日はクスコに滞在はせず、インカの聖なる谷観光をしながら標高の低いユカイまで向かう。
インカの聖なる谷では、まずリャマとアルパカの牧場に立ち寄った。
ペルーといえばこれだ!

日本の動物園でも昨今は会えるかもしれないけれど、やはり本場でお会いすると感動も増す。とっても人懐っこくて、空腹の彼らは、エサを持っている私に突進してくる。ここで修学旅行で訪れた奈良にて、エサを持った途端にシカに襲われそうになった記憶が頭をよぎった・・・しかしながらとても大人しい性格なので、エサを隠すと諦めて次のお客さんのもとへととことこと歩き出す。もちろん牧場にはお土産屋さんが併設されていて、質の良い彼らの毛を使ったセーターやマフラー、ぬいぐるみなどが売られている。デザインも質もよいが、もちろん価格も高い・・・日本で買うより格段に安いことはわかるのだが、ここはちらっと一周したところでお店をでた。
インカの聖なる谷にはウルバンバ川が流れていて、高台から眺める景色が非常に美しい。
ガイドさんいわく、ペルーで一番良質のコーン、ジャガイモが採れるそうだ。

谷巡りの観光の中で曜日が合えば、是非行ってみたいのがピサックの市場である。今回
の行程では市の立つ日曜に谷巡りがあたり、賑やかなピサックを観光することができた。

非常に小さな街ではあるが、観光客、周辺の村から集まる人々で溢れていた。観光客のための民芸品のお店が目立つが、市場の真ん中には地元の人のための日用品、肉、野菜、衣類なども売られていた。


このおばちゃんの後姿が実にいい。そしてじゃがいもの袋とのコラボレーション。
谷巡りの最終目的地はオリャンタイタンボの大遺跡である。石畳の小さな街に到着するとすぐに、目の前にインカの石組みの美しい建造物が現れる。


ペルーに来て初めての遺跡。「ついに来たー!」という感じがじわじわとこみ上げて来て、テンション高くガイドさんと一緒に遺跡内を観光するのだが、二つの谷が交わるところにあるので、非常に風が強い。帽子は飛ばされそうになるわ、強烈な風に思わず体がふらついて身の危険を感じるわ・・・ 散々恐怖を味わいながら一番高いところに上がると、巨石を並べた不思議な建造物が残っている。何のために、どうやって、こんな大きな石をここに運んで並べたのか・・・

遠い昔からこの谷に変わらず吹く風に身を委ねながら感慨にふけってみた。テレビでもよく見かけるが、インカ帝国の石積みの技術力の高さには本当に圧倒される。以前大きな地震があったときも、現代の家は崩れたけれど、この遺跡はくずれることはなかったという。
観光を全て終えて、早々にホテルへチェックインしたのだが、初日に3時間しか眠れなかったこと、時差ボケ、いきなりの高地という状況にやられ、夕食もとらず眠りに落ちた。翌日はいよいよマチュピチュに向けて出発だ。
マチュピチュへはオリャンタイタンボ駅からバックパッカーという列車に乗り、およそ2時間半で到着する。列車の中はアメリカ、カナダ、スペイン、フランスなど、世界各地からの観光客で満席であった。日本からリマまで飛行機で23時間、リマからクスコへ飛び、クスコからオリャンタイタンボへ、さらにそこから列車でマチュピチュ村へ。憧れの遺跡まであと少し。ここまで長かった・・・シャトルバスに乗ってくねくねのハイラム・ビンガム・ロードを通り、30分ほどで到着する。ついに、やっと、あの光景が目の前に広がった・・・ これだ!

テレビや写真集などでお馴染みのあの光景。周りは深い渓谷で、まさに山上に浮かび上がる空中都市という様相を呈している。最も定番の写真が撮れるポイントに腰を下ろし、しばしこの光景に見惚れていた。雲が動き、太陽の光を浴びて刻々と表情を変えるので、ぼーっとしていてもおもしろい。

自由に歩いている観光客は皆一様に腰を下ろし、私と同じようにこの世界観に入り浸っていた。そろそろ遺跡内をまわらないと帰りのバスに間に合わなくなると気付いてから、迷いながら遺跡のメインルートに沿って歩き始めた。ガイドブックを片手に、「これはこれね・・・」とか「これに行くにはどっちだ?」とか「え!ルートがわからん!」とか、ぼつぼつ独り言をつぶやきながら、遺跡内を彷徨う東洋人女子。
そして遺跡内を悠々自適に彷徨うリャマ。

結局3時間くらいうろうろして、遺跡を堪能し下山した。翌日は朝一でワイナピチュに登るつもりだったため、早々に休んだ。始発のバスは5:30に出るので、前日に遺跡の入場券とバスのチケットを購入するのがよい。

4:00に起き、荷物をまとめ、ホテルで朝食をとり、5:00にはバス乗り場に向かった。するとそこには長蛇の列が!これはやばい!午前の入山制限の200人までに入れるのか、一抹の不安を抱えつつ、1人寂しく列に並んだ。地元の人がコーヒーやTシャツ、カッパなどを売りに来る。温かいコーヒーが飲みたくなるものの、ワイナピチュに登るとすれば数時間トイレに行けないと思い、じっと我慢した。
たまたまバスで隣になった1人で来ていた日本人の方と話が合い、一緒にワイナピチュに登ることになった。バスを降り、入場口からとにかく急いでワイナピチュの入り口まで向かったところ、拍子抜けすることに誰もいない。
「あれ?一番?とりあえず並ぶか」と決めると、近くにいた外国人の女性に「入場券にこのスタンプを押してもらわないと入れないよ」と言われ、入場券を見せてもらうとそこには「7:00」と書かれたスタンプが。2人して唖然とした。我々は急ぐあまりスタンプを押してもらわなかったのだ。しかし7:00までには時間がある。とりあえずどうしても登りたいので、入り口まで戻ることに。昨日は何時間もかけてまわった遺跡内を猛スピードで戻ること10分。入り口のおじさんに「ワイナピチュに登りたいからスタンプを押してくれ」と言うと、あっさり「スタンプは要らないよ。7:00からオープンするから入り口で並びなさい」と言われた。「え!!!!!」2人して再び唖然・・・入場口からワイナピチュの入り口までは一番距離がある。これからワイナピチュへ登山をしようというのに、既に歩き回ってへとへと。それでもワイナピチュへの登山を諦めることなく、再びワイナピチュの入り口へ移動した。もう遺跡内で迷うことはない。
7:00の入山のために多少は並んでいたものの、前に20人~30人くらいしかいない。そこで「そうか、朝の神秘的で、人の少ないマチュピチュ遺跡を見学しに来ている人がほとんどで、ワイナピチュに登ろうという人は少数派なのか」と気付いた。9月の観光シーズンはワイナピチュの入り口に並ぶために相当朝早くから並ぶと聞いていたので、ある程度覚悟してきたものの、ここでちょっと拍子抜け。
しかしワイナピチュの登山道は決して甘くない。断崖絶壁で道はかなりの急勾配。山から落ちる事故が起こるというのもうなずける・・・休みながら登ること1時間半くらいで、頂上に到着。頂上は大きな石が積み重なっていて、そこの石に登り、絶景のマチュピチュを見下ろすことができる・・・はずであった。この日は非常に霧が濃く、なかなかマチュピチュの姿を見せてくれない。


山の天気は変わりやすいので、雲が晴れるのを頂上で待とうということになり、1時間ほど待ったであろうか、結局悪い方に天気は変わり、ついに勢いよく雨が降り始めた。
登ってきた行程を考えると雨で滑る中下山するのは非常に危険だが、このままここにいても晴れそうにはなく、無駄に体力を消耗するだけなので、とりあえずゆっくり下山することに決めた。一瞬だけ雲間にかすかにマチュピチュが見えたが、はっきりとした姿を拝むことはできなかった。ワイナピチュに登るときには、滑らない靴、お水、カッパ、軍手が最低限必要なので、忘れないように持っていこう。そして、遺跡の入場口ではスタンプは必要ない。
ペルーの旅の最後は、言わずと知れたペルーの世界遺産の一つ「ナスカの地上絵」を1泊2日で見に行った。リマからナスカへは、豪華な二階建てバスで、パンアメリカンハイウェイをひたすら南下すること6~7時間。このバスでは軽食やスナック、ドリンクが出て、映画も流れている。

行きは非常に大きな交通事故に巻き込まれ、4時間程度到着が遅れるというアクシデントに見舞われつつも、ただひたすらバスで寝続け、気付いたときにはナスカの大地が目の前に広がっていた。早朝にリマを出発し、ナスカに到着したのは午後4時近くということもあって、地上絵を見るための遊覧飛行機にはもう乗ることができず、翌日に乗ることになった。
本来ならば明るいうちに登る予定だったミラドールは、ちょうど夕陽の時間帯で、ナスカの大平原に沈む太陽を見ながら、「明日、セスナ乗れるかな」と一抹の不安を感じていた。

翌日は快晴で、絶好の(?)セスナ日和。私は1人での参加であったため、4人乗りのセスナに、スイスから来ていた3人組と一緒に搭乗することになった。

事前に揺れるから酔い止めは必ず飲んだ方がいいという情報があったので、日本から酔い止めを持参し、万全の体勢でセスナに乗り込む。いよいよ出発。「ブロロロロロ~」と大きな音を立てて飛び立つと、すぐにナスカの地上絵が残るエリアに到着。地上絵が見やすいように右へ左へ旋回しつつ、一通り地上絵を見学した。正直なところ、線がぼんやりとしていて、目をこらさないとなかなか見えにくく、そのためカメラではうまく撮ることができなかった。

しかしながらテレビで見ていた通りのあの不思議で大きな地上絵が自分の真下に広がっているという状況と、初セスナ体験には感動し、およそ30分~40分のフライトは終了した。
初の中南米で、スペイン語もまったくわからないような状況ではあったが、なんとか乗り切った一週間。観光地ではカタコトの英語が通じるし、陽気な人が多いので身振り手振りでいかようにも楽しめる。リマのホテルで陽気なおじさんに怒涛のごとくスペイン語で話しかけられたが(もちろん何を言ってるのかわからない)、どうやら「俺はブラジルから来たんだ。君はどこから来たのか?名前はなんと言うのか?」くらいのことを言っていたようで、不思議なもので、それくらいだとなんとなくわかって、なんとなく答えてみると満足して、「よい旅を」と言って笑顔で去っていった。
憧れていた風景に出会うことができた旅。往復の移動時間の長さにはほとほと疲れたが、それをどうしても観たいと思わせる感動がそこにはあった。
2010年10月 倉田

中南米カテゴリの最新記事