~“南太平洋の楽園”フィジーを訪ねて~

~“南太平洋の楽園”フィジーを訪ねて~

今回、8年ぶりにフィジーを訪れた。8年ぶり、そうか、もう8年もたってしまっていたのか。
時間がたっていたのはわかっていたけれど、まだまだ最近のことのような気もしていた。
社会人になって1年1年積み重ねてきて、いろいろな出来事の、その1つ1つがいったい何年前の出来事なのか曖昧になってきているけれど、“8年”という数字にしてみると、それがとてつもなく遠いことのような気がしてしまう。生活環境は変わったけれど、自分自身の素の部分は何も変わっていないような気がする。精神的な成長もしていなければ、外見だって大して変わってないだろう。(?)
あの頃の記憶だってちゃんと残っている。だから実感としては“そんなに遠くない”。なのに8年という数字は自分の人生の4分の1より長い時間。 不思議な時間の魔法にかかっているみたいだ。


8年前、社会人になってまだ2ヶ月たらず。ダイビング雑誌の取材の同行で、南太平洋の楽園フィジーを初めて訪れた。その年の春に伊豆でダイビングのライセンスを取得し、次に潜ったのがモルディブの海。
モルディブでは4本ぐらいは潜ったのだろうか。海洋実習を含めても経験本数6~7本?くらい。
そんな状態でダイビング雑誌の取材の同行!しかもその時の水中カメラマンは、最近某ビールメーカーのTVコマーシャルにも出演したほどの有名カメラマン! すでに何千本も潜っていたそのお方の足手まといにならないようにと、緊張いっぱいで潜ったのを覚えている。撮影場所は、フィジーでダイビングと言えばここ、タベウニ島周辺である。鮮やかで大きなソフトコーラルとブラックチップやホワイトチップシャークがすごく印象的で、ダイナミックさと華やかさを兼ね備えたような海だった。ただ一緒に潜っただけで大して役に立ったわけではないのに、その時の記事が載った雑誌が発売された時は本当に嬉しかったな。
民芸品を作るおばさん
海の中の魅力はもちろんだけど、それ以上に印象に残ったのはそこで出合った人達のこと。フィジーの宣伝文句として“一番の魅力はフィジーに住む人達だ”とよく言われるけれど、行く前はそんな抽象的なことを言われたってよくわからなかった。世の中、人が良いと言われる国や場所はいろいろあるだろうし、日本の田舎を旅したってそう感じることもあるだろう。でも少なくとも僕が知っているフィジーに関わる人達、フィジーを訪れた人達は皆、口をそろえて言っていた。“フィジーはほんと人がいいよ ”と

体は大きいが可愛らしい人々
実際に行ってみて、それが何なのかと聞かれたら、それでもうまく答えることはできないか もしれない。
強いて言葉にするのであれば、それは明るさ、陽気さ、おおらかさ、あたたかさ、素朴さ、無邪気さ、穏かさ、のどかさ、人懐っこさ、純粋さ、茶目っ気、かわいらしさ、素直さ、正直さ、まっすぐさ…、何だかどれも同じような言葉が並んでしまうけれど、微妙にニュアンスが違う言葉。そういったこと。
ダイビングの途中で上陸した高い高いまっすぐなヤシの木が何本も何本も伸びる真っ白なビーチ。
その時のダイビングショップのスタッフは全員フィジー人だったけど、彼らとそこでがっちり肩 を組んで写真を撮ってもらった。みんな満面で底抜けの笑顔。真っ黒に日焼けした肌に、真っ白な歯が光る。
僕自身も、今では絶対できないようなしわくちゃの笑顔を浮かべている。彼らに比べたら随分色白で、彼らに比べたら随分貧弱な体が恥ずかしかったけれど、その写真を年賀状にしてしまったくらいお気に入 りの写真。
そのことがフィジーの人達の魅力を1番物語っているんだと思う。
誰にでも“これが自分の原点だ”と思える場所や経験がある。1つだけとは限らない。あれがこれの原点、とか〇〇の原点になってるのは××だ、とか…。僕が自然や動物や海や南の島が好きな原点は他にいろいろあるけれど、“イメージ通りの南の島に住む人達に出会った原点”、 “南の島の人達が好きになった原点 ”、“人との出会いも旅の魅力の1つ”と感じた原点、それは間違いなくフィジーなんだと思う。
なんだか昔話がながくなってしまったけれど、そうそう、今回のフィジー旅行。今回はエアパシフィックさんとニュージーランド政府観光局さん主催の研修旅行で、フィジーにはわずか2泊しかできなかった。
しかも日中はホテルの視察がほとんどで、残念ながら海で泳ぐこともできなかった。
生演奏とコーラスのお出迎え
久し振りに訪れたフィジーは、それでもトロピカルな魅力満点で、どこもかしこも南国ムードが溢れている。
空港では鮮やかなシャツを着たお兄さん達が、ウクレレの生演奏とコーラスでお出迎え。入 国審査の前でやっているのがなんともフィジーらしいが、お陰で審査の列に並んでいる間も全く退屈しない。
宿泊先のシェラトンフィジーに到着すると、そろそろサンセットを迎えようとしていた。ここでもプールサイドで生演奏をしている。いつしか人々が集まり、グラスを傾けながら、談笑をしながら、その陽気なムードを楽しんでいる。
曲が終わるごとに拍手がおこり、次の曲が始まるとまたそれを楽しむ。 演奏隊の目の前の特等席から今度は夕陽の特等席へ。ビーチのハンモックに飛び乗り、その反動としばしの揺れを楽しんだあと、静かに顔を西へ向ける。
広大な空と海が薄オレンジ色に染まり、中心の太陽はその色をより濃く深めていく。都会の夕陽も山の上で見る夕陽も素敵だけれど、やっぱり南の島でみる夕陽が1番素敵だ。全てをとろけさせてくれるような感覚。広い海を見ていると悩みがちっぽけな事のように思えるという。日の出を見るとやる気が沸いてくるという。夕陽は全てを解かしてくれるような気がする。言い方は悪いが、全てをチャラにしてくれそうな気がする。その日事実としてあった出来事も消せない過去も、意地を張っている頑固な部分も、心の中のストレスやモヤモヤも、全部ドロドロに解かして、そのまんまどこかへ流れていってしまいそうな気がする。僕はリセットという言葉があまり好きではない。
何故なら、物事は全てつながっていて、過去があるから今があると思うから。それが良い事でも悪い事でも。あえて、リセットという言葉を使うならば、リセットしてはいけないこともあれば、思い切ってリセットしてしまった方がいい事だってあるのかもしれない。毎日こんなに美しい夕陽を眺める事ができたなら、きっと、もっと1日1日を気持ちよく、しゃきっと生きられるんだろうな。
フィジーでは“こんにちは”は“ブラ”と言う。朝でも昼でも夜でも、会えばこの言葉を交わす。 “ブ~ラ~”とのんびりした口調で言う人もいれば、“ブラッ!”と短くちょっと勇ましい感じで言ったりする人なんかもいるから面白い。フィジーの人達を、そしてフィジーを魅力的に思わせる1つの理由はこの挨拶にあるんだと思う。
ブ~ラ~の挨拶
短く、簡単で覚えやすい言葉。一度覚えたら忘れないだろうし、なんだかぶらぶらと能天気な感じがして親しみやすい。
これなら誰でも言えるし、聞き取れる。すれ違った人にとりあえず笑顔でブラっと言ってみれば、言われた方も、言った方も嬉しくなってしまうような魔法の言葉。夜暗い場所で、ちょっと怖い顔した人に勇ましく言われるとビクッとしたりもするけれど。フィジーの人達の大きくて小麦色の体には、鮮やかなシャツが
素敵な笑顔を向ける気さくな人々
耳に挟んだブーゲンビリアやティアレの花飾りとスカートのような腰巻がとても可愛らしい。ありふれた言い方だけど、ほんと体も大きいけど、心も南太平洋みたいに大きいのかも。僕がイメージしたのはスポンジみたいな心。
そりゃあ、フィジーの人達だって、腹を立てることだって、嫌なことを考えることだってあるだろう。
でもそういうのも、うまく吸収したり包み込んだり、少しは絞り出したりできる、容量の大きい心を持った人達なんだろうなって、そんな気がした。 フィジーの魅力は青い海や青い空、広がる緑や豪華なリゾートホテルなど沢山あるけれど、やっぱり1番はこの人達が醸し出す雰囲気だと答えてしまうのかも。
“癒し”という言葉が氾濫する世の中になって、世界中に豪華なスパやマッサージ施設を備えたリゾート地が増えているけれど、人の笑顔に癒されるという場所の方が、本当はもっともっと貴重なのかもしれない。リゾートと言うと“癒しや安らぎ”を求める人が多いかもしれないけれどフィジーは、さらに“元気にしてくれる”場所だと思う。
南の島は世界中に沢山あるけれど、元気になりたい人、忘れていた何かを思い出したい人は是非フィジーを訪れて欲しい。 2度目のフィジーも、あの頃と変わらないまま笑顔の溢れる居心地のいい場所だった。
残念なのは2回とも仕事だったということ。次はもう少しのんびりと滞在したい。そして小さな村々を訪れたりしてフィジーの素顔の部分にも近づいてみたいと思う。
青沼 潤
2003年11月

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