ブラジル大好き!!

ブラジル大好き!!

名古屋行き近鉄特急アーバンライナーは、大和三山をみながら青山峠を全速力で駈け上がっている。
これから私は、ヴァリグブラジル航空主催のブラジル研修旅行に参加するため名古屋空港に向かっているのである。なぜかというと大阪からヴァリグブラジル航空は、運行していないからである。名古屋と成田からは、運行しているのに大阪から飛んでいないのは、ブラジル人の仕事と関係があるらしい。
関東地方には、群馬県にブラジル人または、ブラジルの日系人(逆移民と言われている)のたくさん働く工場があり(ワールドカップの時よくテレビの中継が行われていたと思う)また中部地方には、浜松に同じような工場がたくさんあるそうだ。
近鉄名古屋からは、名鉄で西春まで行きそこからバスで名古屋空港に向かいました。空港で今回いっしょに参加される方々と名刺交換をした。大手の旅行会社の方ばかりでありましたが、少人数なので楽しくやっていけそうな感じだ。
搭乗手続きをすませ、さすがに航空会社主催の旅行なので往復ビジネスクラス利用、ブラジルまでは片道24時間かかるので快適に旅行できると思う。


いよいよ搭乗である。やっぱりビジネスクラスは、足もとは広いし、隣の席は気にならないし快適である。私は、まん中の席であったが空いていたので窓側の席に移った。これからロスアンゼルスまで約10時間、その後サンパウロまで約12時間、またその後乗り換えてマナウスまで3時間半、全部乗り換え時間も含めて30時間乗りっぱなしだ。
ウエルカムドリンク、ドリンクサービスの後夕食のサービスがあり、和食をチョイス。これがおいしかった。ヴァリグブラジル航空は、エコノミークラスでも和食のチョイスができるらしいのでお勧めです。ビールとワインとジントニックを飲み過ぎてしまったのでいつの間にか寝てしまっていた。
午前、ロスアンゼルス到着、ここでいったんアメリカに入国しなければならない。同時多発テロ以降、同じ飛行機でブラジルに行くにもかかわらず入国してトランジットルームに留まり、また出国して同じ飛行機に戻るということをしなければならなくなった。従って当然ブラジル人の自分の国に帰る人達も同様の事をしなければならないし、アメリカは最近パスポートが自動読み取りのバー(日本のパスポートは、付いている)付きのパスポート以外はアメリカのビザが必要になったので読み取りバーが付いていないブラジル人はビザがないと日本で乗せてもらえない事になった。だからこの飛行機はブラジル人がほとんど乗っていなかったのでがらがらであった。ブラジル人がアメリカのビザを取るには最低でも1ヶ月、長くて3ヶ月必要らしい。自分の国に帰るのに自分の国の航空会社を利用できないなんて、全くおかしな制度だと思った。この事でブラジル人は、最近日本から帰るのにヨーロッパまわりで帰っているとの事です。また自国のお客さんが乗れないのでヴァリグブラジル航空は、来年から経由地のロスアンゼルスをやめてヨーロッパまわりに変える事を考えているとの事であった。
アメリカ入国は私のパスポートにアメリカにとっては、悪の枢軸国と言われているイランやパキスタンのビザが付いていたし北朝鮮にも行った事があるからかどうか、ひじょうに長くかかりました。係官は、パキスタンのビザを見てパキスタンに何しに行ったんだとか質問してきたので、<ただの観光です>と答えたら<パキスタンには、観光するものなんかあるのか>などと言ってアメリカ人はこういう人達までも他の国の人達を見下していると感じた。
トランジットルームで1時間半の休憩、Tシャツと小物を売っている売店とホットドック屋しかないし、外にも出してもらえないので何もする事がない。ほとんど軟禁状態だ。
ロスアンゼルスからは、アメリカ人、ブラジル人がたくさん乗ってきてほぼ満席になった。今度は、昼食となるがまた和食をチョイス。これもまたなかなかおいしかった。
いよいよ初めてのブラジル到着、やっぱり初めて来る国はわくわくする。朝6時ほぼ定刻どおりにサンパウロ空港に到着した。このまま乗り換えてマナウスまで行くのだが先ほどの飛行機は、朝3時頃マナウス上空を通過していたのでこれから来た同じ道を戻る事になる。途中で降りてくれたら時間の節約になるのにと思った。昔はマナウスに寄るものもあったらしいが、今は飛行機の航続距離が長くなり直行便の時代になったのでこんな事が起こりえる。
マナウス到着、やっと着いた。他の方々は、もうしばらく乗らなくて済むと言っていたが飛行機マニアの私にはまだ乗り足りないと思った。
アマゾネスのお姉さんと市内観光、マナウスは、アマゾンのジャングルの中の都市なので何にもない所と思っていたがなんと人口が140万を超える大都市で日本企業は50社も入っていると知ってビックリした。わたしのイメージとしては映画でみたアマゾネスの原住民(特に女の人)のイメージだったのでそれは遠い昔の事であったとの事。セバスチャン広場とアマゾナス劇場を観光したが時差ボケでねむいねむい、日系人ガイドさんの説明の半分も頭に入っていなかった。
夕食は現地マナウスの旅行会社の招待でアマゾンの名物料理のもてなしを受けた。現地の社長さん(日本人)は、40年前からこちらに住んでいて奥さんともども大変感じのよい方であった。アマゾンの川魚料理も(川魚というよりも川鯨と言った方が良いくらいでかい)淡白な味で大変おいしかった。夕食後、現地旅行会社の若手社員の方々にマナウスの高級の飲み屋さんに連れていってもらった。現地日系企業の方々の御用達らしく日本語の話せる女性もたくさんいた。わたしの横に座った女性は、2ヶ月前まで世界的に有名な某日系企業の支社長の2年間の現地妻だったと言っていました。とにかくすごい美人でありました。
マナウスの港翌日、朝からアマゾンのジャングルクルーズとエコツアーと呼ばれるジャングル散策に向かいました。時差ボケと夜遊びのし過ぎで起きるのが辛かったです。アマゾン川はマナウスでネグロ川とソリモインス川が合流してできているとの事でその合流地点に行って見ると水温や流速が違った川なのでふたつの流れが拮抗し全く神秘的な風景を作り出していた。またそのあたりは川幅が広く川というよりも大きな湖のような風景でありました。昼食は途中の日本人経営のジャングルロッジですませ、そこから森の中へエコツアーにいきました。午後、アマゾンに来るにあたって大変楽しみにしていたピラニア釣りをしました。アマゾン川といえばピラニアと自分ではイメージできてしまうほどで、はたして釣れるのか楽しみです。どこからか拾ってきた棒みたいな竿に針と糸が付いていて餌は牛肉に切れ端です。船頭さんに餌を付けてもらって放り込む前に水面を竿の先でばしゃばしゃ叩きます。普通だったら魚が逃げてしまうはずですが、動物がおぼれたと思ってピラニアが集まってくるので連れやすくなるとの事でした。
普通の釣りでやるコマセのようなものでしょうか。餌をつつく感触があるのですが、引くタイミングが悪くなかなか釣れません。結局1時間くらいやりましたが1匹も釣れずタイムオーバーとなりました。やっぱり釣りは、釣れないとあまり面白くありません。船で帰る途中小さなロッジがあり、そこで釣れたピラニアをフライにして食べさせてくれました。私は、1匹も釣れませんでしたが他の方の分をお裾分けして頂きました。味はおいしいですが、小骨が多いので食べられる部分が少ないようです。
その晩、飛行機でリオデジャネイロに向かいました。国内線なのに夜行便です。ブラジルという国の広さを感じました。他の国で国内線に夜行便があるのはアメリカとロシアくらいではないでしょうか。
リオのカーニバル メイン会場リオに早朝到着、まずリオのカーニバルのメイン会場を見学しました。リオのカーニバルは町じゅうで行われているのでどこでも見られるではないかと思っていましたが、人気のチームはメイン会場のスタンド前に集まるとの事でした。スタンド前が学校になっていて、そこから見るのも特等席だそうです。
また、スタンドの下(日本の相撲で言ったら桟敷席か?)にもどぶみたいな溝がありそこも席になるそうで下から見るような感じになるそうです。私としては、カーニバルのブラジルダンサーを下から間近に見られるのでそこが一番の特等席ではないかと不謹慎ながら思いました。
コルコバードの丘  (キリスト像)その後ケーブルカーでリオで一番有名な観光地コルコバードの丘に向かいました。ケーブルカーは、色が赤く香港のビクトリアピークに行くケーブルカーによく似ていました。コルコバードの丘からの眺めは、天気も最高だったので大変すばらしかったです。コルコバードの丘を訪ねるベストタイムは、両手を広げているキリスト像が東向きに立っているので午前中に来れば逆光にならず良い写真が撮れるとの事でした。
午後は少し自由時間があり、ホテルがコパカバーナの海岸沿いのメリディアンホテルでしたので海岸を散歩しました。ホテルのすぐ前のビーチでビーチバレーの世界大会をちょうどやっていて、対戦表も貼ってあったので見たら、日本の選手も上位に勝ち残っているようでした。水着は持ってきていなかったので海には入りませんでしたが、ビーチで寝そべる女性達を見て目の保養になりました。ブラジルの水着は、日本のよりも隠すところが少ないようで、もうびっくりしました。
コパカバーナの海岸コパカバーナのビキニ女性

プラタフォルマのお姉さんと夕食後、一年中カーニバルの踊りが見られるプラタフォルマに行きました。ショーもすばらしいが、途中、世界中から来ているお客さんのためにその国の代表する歌を歌ってもらうコーナーがあるのを知ったので上を向いて歩こうの歌詞を覚えておいたのだが、歌いたかったのに他のお客さんに取られてしまいました。後で知ったのだが歌ったのは他のグループのツアーガイドだった。日本人は一番最初であったので、最初は歌いにくいのでそのガイドに予め頼んであったみたいであった。2番目は、韓国であったがアリランの歌を歌っていた。中国、台湾、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国いろいろな国の人々が自分の国の歌を一生懸命歌っていた。世界中の人々がこうやって共に楽しめる平和な世の中が続けばいいなと思いました。
ポン・ジ・アスカール次の日コルコバードの丘と並ぶ有名な景勝地ポン・ジ・アスカールに行きました。ポン・ジ・アスカールとは、砂糖パンという意味を持つそうで、見た感じは1つがメロンパンともう1つがフランスパンの端っこを並べたような感じとおもいました。地上からメロンパンの頂上にロープウェイで行き、そこでまた違うロープウェイに乗り換えて今度はフランスパンの方に行きます。フランスパンの頂上は、コルコバードの丘とはまた違ったポン・ジ・アスカールから見たコパカバーナすばらしい風景でありました。 また今日も天気が良くコパカバーナの海岸も見えリオデジャネイロは、ハワイのホノルルビーチとオーストラリアのゴールドコーストをたして3倍したくらい良いところだと思いました。

有名店ポルコンのシュラスコ昼食は、ブラジル名物のシュラスコを有名店ポルコンで食べました。シュラスコとは、肉の塊を串に刺して焼き各テーブルで切り分けてくれる料理です。この店では、ビールのコップの下に敷くコースターに豚の絵が描いてあり表がみどり、裏が赤で、シュラスコの肉が欲しい時は表にしておいて、もう食べられない時は裏にしておくシステムであります。しかしうちのテーブル担当のウェーターは裏にしているのにどんどん肉を切り分けて置いていってしまう。とても全部は食べられなかった。
夕方今度は、南米最大の近代都市サンパウロに向かいました。サンパウロ到着後今回お世話になっている現地旅行会社の社長さんとお会いし日本人街の日本食レストランでごちそうになりました。サンパウロは、移民してきた人達のために日本人街があり、(最近は、中国・韓国の人達の移民も増えているのでアジア人街とも呼ばれている)街中の外灯の感じがどこか日本の地方都市に来ているようでとてもブラジルに来ているとは思えませんでした。サンパウロは、翌日観光しましたが特に見るべきものはありませんでした。
今回のブラジル旅行の最後の観光地イグアス滝に行きました。イグアス滝は世界3大瀑布のひとつですが私自身は、他の2つとも行った事がないので全くの初めてとなります。上から見る滝もすばらしかったのですが、下からボートでも行きました。ボートに乗る時、救命胴衣を着てかっぱを頭から足もとまですっぽり包まないとずぶ濡れになります。途中ほんとに上、下:イグアス滝滝を頭からかぶったり船をぐるぐる回してくれたりと船頭さんはおどかしたり笑わせたりしてくれました。また普通のお客さんは行かない限界点まで船を連れて行ってくれました。
今回のブラジル旅行は、食べ物もおいしく、観光地もすばらしく、ブラジルの女性もきれいで、ほんとに夢のような日々でした。また行きたいと思います。
奥山 直明
2003年10月

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