タナトラジャと聞いてピンと来る人は少ないかもしれない、でもトラジャコーヒーならどこかで聞いた事があるだろうか?そのコーヒーの名産地でもある。インドネシアのスラウェシ島にあるタナトラジャにある伝統家屋トンコナンハウスをみて見たいという小さなきっかけでこの旅はスタートした。
記憶は定かでないが、以前3年ぐらい前に福岡に旅行に行った際世界の家屋が建てられている公園があって偶然通りがかったその公園で見たのがこのトンコナンハウスだった。舟形をした屋根をもつその家屋はなぜその村だけに残っているのだろうか?どんな文化なのだろうか?行く前には沢山の疑問が浮かんだ。何か目的を持って旅をするのは最近気に入っているスタイルで、わくわくしながらガルーダインドネシア航空に乗り込む。今回はまず日本でもメジャーなビーチ&観光都市であるバリ島(デンパサール)で乗りかえてスラウェシ島にむかうことにした。スラウェシ島第1の都市はマカッサル(旧ウジュンパンダン)で日本からジャカルタへ行きその日のうちにマカッサルに着くことも曜日によっては可能だが、あえて今のバリ島を見てみたいという気持ちでバリに滞在してからスラウェシ島に向かう事にした。昨年テロが起きて以来外務省の危険度が上がったりしてアジアの近場のリゾートでありながら少しみんなの足が遠のいていたバリ島だが、最近では活気をとりもどしている。街は多くのバリ雑貨を売るおしゃれな店が沢山あって、ついついこれから旅が始まるというのに買いこんでしまった。バリ雑貨は安い上にセンスがあるものが多い日本の下北沢や代官山のアジアン雑貨店で買うとかなりいいお値段がするのに現地値段はとてもリーズナブル。
バリのホテルは弊社のツアーでもエコノミークラスのホテルとして利用しているバリバンガローに泊まったが、想像していたほど?! 悪くないホテルでむしろ他のアジアの国よりいい部分もあった。ビーチにも近いしスタッフもとても親切で、小さいながらもプールもある。もちろんラグジュアリーな雰囲気はないけれどつくられたゴージャスよりもその国らしさが垣間見ることが出来てよかった。お金を出せば良いホテルにはいくらでも泊まる事ができる。でもその国の人たちははたしてどんな生活水準をおくっているのか考えさせられる。はたしでどれだけのインドネシア人が豪華ホテルに泊まる事ができるのだろうか?豪華ホテルに泊まる事だけがいいことだとは思えない。やはりその国を知る上ではいろんな角度から見ないとわからないと思った。
3日目朝デンパサールの空港から国内線で約1時間のフライトでスラウェシ島第1の都市マカッサル(ウジュンパンダン空港)に到着した。空港に着くと現地旅行社のアンボさんが迎えに来てくれて、流暢な日本語に一安心。ちなみに国内線の飛行機には日本人はいなかった。
この島に訪れる観光客はヨーロッパの人々が多いらしくやはり日本人にはあまり観光地としてはメジャーではないらしい。その割に日本企業の看板を沢山みかけた。大手の車会社や、コーヒー会社、電気会社etc・・仕事として訪れる日本人は多いようだ。
まずは、ホテルにチェックイン海沿いのパンタイガプラというホテルが今日のホテルで正直入り口はエッ?と思うくらい地味でまあアジアの田舎のホテルですから・・と思いつつ自分を納得させて奥へと進むと良い意味でこのホテルは想像を裏切らせてくれた。海の上に建つ水上コテージ、プールの中にはバーがあり泳ぎながらバーで休憩をすることもできる。レストランは船の形をしていて、とても雰囲気のいいホテルだった。水上コテージに足を踏み入れると、こんなところに女1人で泊まっていいのかしら・・と思いつつ満足感についつい浸ってしまう。ベッドに横になると目線の先には海が見える。う~ん最高!!正直期待もしていなかったし、タナトラジャに行くために泊まる宿として考えていたので人生初めての水上コテージについついうれしくなった。やるじゃんマカッサル。
マカッサルは16世紀から香辛料の交易の要衡として栄えた歴史ある港町で今でもパオテレ埠頭にはたくさんの船(ビニシ船)が並んでいる。港の近くには水上生活者もおり、沖には無数の島があって島に住んでいる人たちは魚を捕ってマカッサルの市場に売りに行き生活用品やお米などを買って島に帰るというスタイルで生活している。私がパオテレ埠頭に訪れたときも小さな船で家族が買い出しに来ていて小さな木の船いっぱいに買出しの生活用品を乗せている家族がとても印象的だった。また、マカッサルで有名なのが夕日の美しさである。マカッサルは夕日がとても有名という情報を得て宿泊先のパンタイガプラホテルにあるサンセットバーの上にサンセットを楽しむための展望台があったので日が沈む1時間ぐらい前からお気に入りの文庫本を片手に一人夕日を待つ。
日が落ちる前でも十分太陽の光で海がキラキラ輝いていて美しい眺めなのだが、刻々と大空を7色に染めながら沈んでいく夕日には圧倒された。大きな太陽が空全体を支配するようにあたりが赤くなってその色が海の色を赤く染めてキラキラキラキラしていて本当にいつまでもいつまでも眺めていたくなる風景だった。今その時しか見ることが出来ない風景を目に焼き付けることで新しい旅の思い出とインドネシアに 対しての印象度がアップした。夜は美味しい海老やカニのシーフードに舌鼓。1人旅だと量が多いので食べ過ぎるのと種類が沢山チョイスできないのが残念。でもホテルのバイキングもいいけれども、知らない町で知らないレストランに自分の足で探したレストランで食べるのもまた楽しい。メニュー選びや衛生面で失敗することもあるけれど、1人旅でも是非ローカルレストランや屋台料理にチャレンジする方が絶対良い。やはり港町のシーフードは新鮮で美味しくて、そしてなにより安くてうれしい。それにしても日本人観光客に会わない1日だった。こんなにバリから近い都市なのに不思議・・ホテルは夜になると美しくライトアップされセンスの良いライトが水上コテージの周りに並んでいて、つい夜もホテル内をうろうろしてしまう。ライトで光った海がエメラルドブルーに光ってゆらゆら動いているのがなんともいえない。明日はこの旅の目的地であるいざタナトラジャへ!!はやる気持ちを抑えて眠りにつく。(どうでもいいことだけれども、このホテルでマッサージを頼んだのだが、安かった!約1000円しないぐらいで町中からマッサージのおばちゃんが部屋に来てくれてマッサージをしてくれるおばちゃんはもちろん地元の方で言葉がインドネシア語のみなので私はジェスチャーでしか話が出来なかったのだが1時間のマッサージの最中になぜかギザギザのついたコインを取り出して私の背中や足をコインで引っ掻いていた当然赤い線が体中に残ったがジェスチャーを理解するよう努力したところおなかにいいのよ。とおっしゃっているようだったが真相は不明。なにかのおまじないかなんだろうか??ちなみにその引っ掻き痕は、痛くはないがその後数日間体にあざとして残っていた 笑)
翌朝、天気は快晴気分よくマカッサルをあとにして、目指すは北へ300キロの先のタナトラジャへ向かった。ちょっと町から離れるとそこはもう見渡す限りさらに田舎で、車から降りてカメラで風景を撮影していると物珍しそうに私のことを地元の方たちが見てきて急に写真を一緒に取ってほしいと頼まれたり、どこからきたの??と質問攻め、やはり日本人が1人で来るのはまだまだ珍しいのだろうか? (日本からそう離れていない同じアジアなのに・・)よく旅行に行くと感じることだが、観光客が集中している都市とそうでない都市ではずいぶんと地元の人の外国人への接し方が違うと思う。自分自身の心掛けとしても、海外の大都市ではすごく自分の中で警戒心を持って行動していないと騙されたり、事件に巻き込まれて危険な目に会うかも知れないので注意していなくてはならないが、田舎に行くと本当にほっとする。人の良さや、穏やかな眼、子供たちだけではなく、大人までもがみんなすごくいい人が多い気がする。言葉が通じなくてもコミュニケーションをお互いに取り合うことで距離が縮まってなにげないふれあいが思い出になったりするものだ、1つの旅の間に何回そんな小さなふれあいを見つけることができるのか楽しみでならない。
そんなちょっとした寄り道を重ねつつやっと目的地のタナトラジャに到着したときにはもう夕方になっていた。丸1日移動には時間がかかった。あ~長かった。
タナトラジャには小さな村が沢山あって、その村々が基本的に観光ポイントとなっている。観光客用に作られたというのではなくて見てはいけないものをこっそり見に行くという雰囲気で、ひと言でいうと不思議なところだ。(余談ですが、子供の頃読んだ本で佐藤さとるさんの書いた「誰も知らない小さな国」という本があって、コロボックルという小人がいるという話で私の大好きな物語なのですが まるでインドネシアの誰も知らない小さな国といった雰囲気のある村が点在しています。)
イスラム教が多いインドネシアで、ここでの宗教は基本的にはキリスト教にこの町だけなる。そのため埋葬方式も土葬になるのだが、この村ではお葬式の葬儀がイベントになる。(トラジャ観光の最大のアトラクションでランブ・ゾロ と呼ばれる伝統的な葬儀で、葬儀はトラジャ族にとって最も重要なイベントで葬儀が豪華であればあるほど死後も幸福になれるという独特の死生観「アルク ト ドロ」に基づいて莫大な費用をかけて盛大に行われる)伝統的な葬儀方法の場合人が亡くなったすぐに葬儀をするのではなく、時にはお葬式のために何年も葬儀を待つこともあるそうだ。お葬式のシーズンは夏場になるので、5月はまだちょっと早いらしい、お葬式の予定はタナトラジャに着いてからしかわからないので、行った時にお葬式があれば、ラッキーというものらしい(お葬式でラッキーというのも失礼な気がするが、それぐらい意味のある儀式なのである)。残念ながら私が訪れた時は、葬儀は行われていなかったが、かなりカルチャーショックを受けるものに出会った。
最初に私が訪れたのはレモという村でここは断崖墓地になっていて切立った断崖に横穴が掘られていてその中に棺が収められ、木の板で塞がれている。写真にあるように断崖にはくり貫かれた石のテラスのようなものがあって死者に似せてつくられるという木で出来た死者人形(タウタウ人形)が並んでいる。このタウタウ人形はお土産としても売られている。死者の人形というとちょっと怖いな。と思われるかもしれないが、かわいいお人形というわけではないけれど、それぞれ味のある人形だ。
実際私も買っていてファイブ・スター・クラブのオフィスに飾っている。見渡す限り田園風景の中にその死者人形が並ぶテラスはちょっと異様だが、このように高い位置にお墓がある人はその昔王族だったり、すごくお金持ちであった人で魂が天国に行くようにという意味がある。
次に訪れたのがカンビラという村で乳歯の生えていない乳児に亡くなった赤ちゃんの為のお墓で、地元の方いわくタナトラジャの村の中でもとても意味のある場所だそうだ。
生い茂る竹林の中に大きな木がいくつもあり、木の幹の中に赤ちゃんの遺体を埋葬している。あまりに小さな時に亡くなっているので木の力を借りて天国へ行ける様に木が力をかしてくれるという意味があり、死んだ赤ん坊がいつでもミルクが飲めるように白い樹液が豊富な木が使われている。遺体は木の幹の間に埋められここでも木の蓋がされる。木の成長に伴なって完全にその穴がふさがった時赤ちゃんは天国に行けるという意味がある。
現在ではこの埋葬方式は行われていないが近年まで行われていたらしい。
ここでちょっと村観光は休憩して町中へ戻ると、大きな市場が開かれていた。6日に一度開かれる水牛マーケットがちょうど行われていて沢山の水牛と豚が売買されている。数百等の水牛の他にも、市場には沢山の豚・豚・豚・・がいて ぶうぶうぶうぶう・・・とほんと豚が騒いでいた、売れ残った豚もぶうぶう騒いでいるので売れなくてうれしいのか?それとも売れ残りでぶうぶう言っているのかわからなかった。大きなお葬式があるときは立派な水牛が殺されてその牛を買うために(非常に高い)お金をためなくてはいけないので1年以上先にお葬式がなることがある。本当になんでもお葬式を中心に物事が進んでいるので驚いてしまう。もちろん動物以外にも周りには大きなマーケットが広がっていて、トラジャコーヒーからフルーツ、お魚、豆、服、生活用品にいたるまでなんでも売っていて興味ぶかかった。私もついついマンゴスチンとコーヒーを買ってしまった。市場はホントどの国で訪れても活気があって楽しい。
午後は今回の旅の目的でもあるトンコナンハウスが並ぶ伝統村ケテ・ケスへと向かった。高床式のこの伝統家屋は舟のような形をしていて一本も釘を使わずに建てられている。壁面にはいろんな彫刻がされていて彫刻や、水牛の角の飾りがあり、水牛の角は多ければ多いほど裕福な家族になる。沢山のトンコナンハウスが並ぶ風景は不思議村としかいいようがない。かつてこんな場所に訪れた事が無いので本当に驚いた。こんなの見たこと無い、そのひと言である。この村に来るだけでもタナトラジャへ訪れる価値は十分あると思う。そして実はこの村の不思議は表のトンコナンハウスだけではない。裏手の山の方へ行くとそこはなんと、ガイコツの山・山・山これだけ人骨が転がっていると、怖いというよりも逆におかしくなるくらいだった、洞窟の中も人骨だらけ、階段の横にも人骨。ココにも、ココにも、あそこにも~という感じで人骨ワールドであった。 うわさには聞いていたが恐るべし、タナトラジャ。
最後にロンダという村を訪れた私はさらなるガイコツのお出迎えを受けた。せっかくなので記念撮影 パシャリ。これだけガイコツがごろごろしていれば、心霊写真になってもおかしくないと思う。ここロンダは鍾乳洞の中すべてお墓になっていてゴロゴロ人骨がころがっている。でもここも不思議と怖くない。ついついガイコツの頭をナデナデしてしまった。ばちがあたるかな・・?
残念ながら時間がなくてすべての村をまわる事ができなかったが、実は温泉がある村があったり、洞窟古墳があったりと小さな村がタナトラジャにはまだまだある。じっくり3日間ぐらいみて見たかった、残念。そうそう、ここタナトラジャは宿泊施設も実はなかなかしっかりしている、伝統家屋であるトンコナンハウスにも泊まる事ができる。
私もトラジャミスリアナというホテルに泊まって、トンコナンハウス風の部屋に泊まらせていただいた。この他にもデラックスタイプのホテルでトンコナンに泊まれるホテルもあるので、ご旅行の計画を立てられる際には相談にのりますのでご連絡を下さい。どのホテルもかなり広い敷地を持っていて、プールありガーデンあり、レストランあり、バーありとなんでもそろっている。こんな田舎なのにやはり欧米人観光客が訪れる場所はこういった面で発達していて便利である。それから食事、せっかくタナトラジャへ訪れたので名物料理であるパピオンを食べてみた。これは竹筒の中に鶏肉を入れて野菜やココナッツを詰めて薪火で蒸し焼きにした料理で、一見変っているが食べると美味しい。ココでしか食べられないと思うと余計に貴重に感じた。食後はもちろんトラジャコーヒー。本場で飲むコーヒーの味は格別!!普段は紅茶派の私もここではもちろんコーヒーをチョイスした。(余談ですが、タナトラジャで飲んだ真っ赤なフルーツのジュースでタマレラジュースというのがあって異様に気に入って毎日飲んだ、どうも他の都市ではあまり取れないのでこのあたりではタナトラジャだけで飲めるらしい。美味しかったのでご案内まで。)
ここまで順調に観光してきのですが、旅行も最後に差し掛かった時に落とし穴がありました。ついつい暑い国なので薄着をしていたのがいけなかったのか、風邪をひいたみたいでタナトラジャからマカッサルに戻る途中ものすごく具合が悪くなり、寒気がするし気分も悪い、なにも食べたれない状況で、これは熱があるなと思った。しかし、皆さんもうお忘れかもしれないが5月のGW明けの頃はインドネシアも同じアジアなのでSARS問題で非常に敏感になっていた時、下手に熱があるとばれたら、インドネシアで監禁されたらどうしようと悩んだ据え、あえてガイドさんに伝えず1人戻ったマカッサルのホテルパンタイガプラの水上コテージで唸って寝ておりました。せっかくの水上コテージなのに3日前の私とは大違いで、うろうろもせずありったけの服を着込んで寝ていてもったいなかったなぁ・・いったん熱は下がったようなのでそそくさと帰国し、帰国後 家族にもSARS大丈夫だった?と聞かれたにもかかわらず、平気平気!と答える自分に???家に帰って1人ホームページでSARSの初期症状を読んで1人びくびくしてました。もちろん結局ただの風邪のようでしたが、世の中の状況があの時は異常だっただけに怖い思いをしました。やはり、ガイコツをなでなでしたのがよくなかったのかもしれません。恐るべし死者の力。みなさんも是非その目で確かめてみてはいかがでしょうか?違った不思議に出会う事ができるかもしれません。もしかしたらコロボックルみたいな小人に出会ってもおかしくない村そんな不思議村でした。
岡野 由里
2003年5月