カミとホトケの曲がり角 ~インドネシア・ジャワ島横断450kmの旅~

カミとホトケの曲がり角 ~インドネシア・ジャワ島横断450kmの旅~


渓谷を下り、美しいライステラスに囲まれた小道を抜ける。すると188軒の黒いヤシ葺き屋根の集落が忽然と姿を現す。
「カンプン・ナガ」
このスンダ地方の桃源郷では、315人もの人々が文明に頼らない、清く素朴な生活を送っている。


●○● カンプン・ナガ ●○●
インドネシア、ジャワ島中部の都市バンドン。アジア・アフリカ会議が開かれたことでも有名なこの場所から車で4時間先に、伝統村カンプン・ナガは存在する。村人はスンダ語を使うため、村内はインドネシア語の話せる村人ガイドの案内で見学できる。



日本にもまだ、これほどまでに美しい村落があるのだろうか。老若男女が助け合う、自給自足の生活。若者らは故郷に嫌気をさし、離れるようなことはない。村共有の田んぼ、モスク、トイレ、道にはゴミひとつない。男らは昼間、家畜の鶏に餌をやり、のんびり楽器や釣りを楽しむ。女はかまどでご飯を炊きながら、せっせと洗濯に励む。子どもらはサッカーをしたり、パパイヤの樹脂を爪に塗っておしゃれを楽しんだり。風が吹くと植物は幸せそうにスイングし、鳥たちは気まぐれにリズムを刻む。夜になるとみんなみんな、揃って満点の星空と、蛍を眺める。




カンプン・ナガの人々は生活を保つため、電気の開通をはじめ、文明を頑なに拒否している。たった315人しかいない村ではあるが、インドネシア政府から村長を一人立て、国規模でこの伝統村を守ろうとしている。(もちろんカンプン・ナガの村からも村長を立てているため、村長は合計2人)
村人ガイドさんのご自宅にお邪魔し、スンダ料理をお手伝いさせてもらった。
私がつくったのは唐辛子をすり潰してつくるスパイスのサンバルに、日本のテンプラのようなスンダ料理テンペイ。このテンペイをご飯にあわせたテンペイ・ゴレン(日本の天丼?)が今日のメイン。お母さんは私にやさしく料理を教えながら、休む間もなくテキパキ動く。文明の利器が全くないキッチンと、そこで無駄なく、極めて合理的に働く姿とのギャップから目が放せない。昼食はお母さんが準備してくれていた鶏やパパイヤの葉の煮物もあり、質素だがとても贅沢だ。インドネシアの田舎故もちろんお箸はない。ワイルドに手で食べる。料理はどれも美味しいのだが、手で食べるのが意外と難しい。ガイドさんいわく、インドネシアの人々は、ご飯は手で食べないと美味しく感じない!のだとか。



ふと日本での自分の生活を思った。文明化された社会の中で、時間を最大限に利用し、同時に時間に支配される生活と、文明を拒否し、ゆっくりとした時間を、時間とともに生きるカンプン・ナガの生活。どちらが幸せかなんて決めることはできない。でも、もし自分がこの村に生まれていたら、こうやって時間との向き合い方など考えることもないだろう。
●○● アルゴ・マラベル鉄道 ●○●

バンドンからジャワ島の古都、ソロへは列車移動。アルゴ・マラベル鉄道に乗車した。
これから、ジャワ島横断450km、9時間の列車旅がはじまる。
乗車手続きから列車の座席までガイドさんとポーターが案内してくれた。今回のシートは1等席のエグゼクティフクラス、エアコン付きの車両だ。
列車の出発10分前になって、突然強いスコールが降り始めた。雨季が終わるこの時期の、お決まりの光景だ。アジアの列車に乗るのははじめてだったこともあり、心配になる。自分は無事目的地のソロまでたどり着けるのだろうか・・・列車の出発よりも先に、不安が超特急で走りはじめた。雷の、止むことのない怒号に急かされ汽笛が鳴る。列車は定刻15:30ぴったりに出発した。

バンドン駅のホーム

列車の乗車券

エグゼクティフクラスは、まるで日本の新幹線のような座り心地。リクライニングもできるし、コンセントもついている。折りたたみのテーブルと、物を掛けるフックがない程度の違いだ。枕もブランケットもあるし、なんにもない田舎っぽい停車駅でもfree wifiがつながったりするのであなどれない。


列車が停車駅に止まると、ホームで待ち構えていた物売りらの元気な声が聞こえてきた。車窓を介して売買があるのだろうかとわくわくしていたが、待てど暮らせど彼らはやってこない。エアコンのある1等席は窓が開かないため、物売りは商売ができないのだ。だが乗車口にはやってきてくれる。

少しの時間車窓を眺めるだけでも、人々の生活が全く違うことがわかる。カンプン・ナガのような伝統的な暮らしをする人々がいたかと思えば、3分もすればバイクの大渋滞が私たちの列車が通り過ぎるのを待っている。遠くの方で青く光る山々が故郷の瀬戸内海の島のようで、懐かしい思いに浸ってしまった。


列車探検をしていると、4号車あたり(多分)に食堂車を発見。せっかくなのでここで夕食を食べることにした。レンジでチンして出てきたミーゴレンは、ザ・庶民の味。ホテルやレストランで出てくるそれとは全く違っていたが、食堂車のお兄さんと話して気持ちも落ち着いて、今までで一番美味しく感じた。

車掌さん(多分)


ソロには翌日の0:25到着の予定だったが、2時間ほど遅延して結局到着は02:45。まさかこの列車に、11時間も乗ることになるとは・・・!シートがしっかりしていたせいか、この長旅が全く苦痛でなかったのが、なんだか悔しかった。
●○● ボロブドゥール遺跡 ●○●

丘の下は白いもやが立ちこめ、祈りの時刻を知らせるアザーンが街に深く響き渡る。可愛らしい小鳥のさえずりと目覚めたばかりのニワトリの鳴き声が、幻想的な朝のはじまりを告げる。
太陽はゆっくりと昇っていく。あたりは、まるで遺跡の体温かのような熱気に包まれる。3年前に噴火したというムラピ山は、未だに煙をあげていた。


世界遺産ボロブドゥール遺跡で日の出を待つひとときは、何ものにも変えられない贅沢な時間。インドからこの地に仏教が伝わり、人々がこの偉大な遺跡を作り上げ、いつしか島の大半がイスラム教徒になり、この遺跡にもアザーンが聞こえるようになるまで、どれだけの年月が過ぎ去ったのだろう。そんな何百年、何千年も前から毎日変わらず姿を現す美しい太陽を見ると、祝福せずにはいられない。
遺跡の彫刻は、とても優美だ。
ブッダの生涯が刻まれている第一回廊は仏教美術の最高峰と言われている。人物は皆均整のとれた顔立ちで、典雅な半眼のまなざしを持っている。西洋の、人体の理想美を追求したような隆々としたものではなく、豊かでかつ引き締まった肉付け。丸みを帯び、S字を描くような人体の曲線は、女性的で生命力に溢れている。衣のしわですら波紋のように美しく、彫刻にリズムを与えている。細密で美しい装飾。枠に縁取りされたパターンは、伝統のバティック(ジャワ更紗)にも使われていて、とても個性的だ。





確かに、遺跡全体としては現代の人の手によって修復されている部分が多い。カンボジアのアンコール遺跡群のように、廃墟の姿からかつて栄華を放った時代の建物を、弾痕から人々が争った歴史を想像する…なんて楽しみ方はできないだろう。しかし装飾のひとつひとつは刺激的なまでに芸術性に富んでおり、人々の目を飽きさせることはない。
少なくとも私は存分に楽しんだ!
インドネシアはとても不思議だ。約1万8110もの島に、約738もの言語をもつ、約490もの人種が、約2億3000万人で一つの国を成している。どの数字も、政府は正しい数を把握していないのだとか。
だからこそ、インドネシアは面白い!どこに行っても歴史や文化がまるっきり違う。どこに行っても新鮮で、どこに行っても違いを楽しめる。そしてどこに行っても、陽気で優しい笑顔に出会うことができるのだから。

一緒にバリ舞踊を踊った子どもたちと

2013年3月 仙波
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