クロアチア~ドブロヴニク再訪の旅

クロアチア~ドブロヴニク再訪の旅

アドリア海の真珠の悲しい歴史

ドブロヴニクの旧市街は、内戦前と変わらぬ美しさを取り戻していた。
2003年のゴールデンウィーク、私は久しぶりのドブロヴニク再訪を果たした。指折り数えると、13年ぶりになる。前に訪れたのがクロアチア独立戦争の始まる前の年、すなわち1990年だったから。


上、下:ドブロヴニクの旧市街2回の旅の大きな変化はというと、旅のメンバーが、今回は6歳の娘の彩乃を加え3人となったこと。そしてもちろん、ユーゴスラビアと呼ばれていた国が、今ではクロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルヴィア・モンテネグロなどとたくさんの国に分かれてしまったこと。
ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」という呼び名がふさわしい、本当に情緒のある美しい町である。旧ユーゴを周遊した前回の旅でも、もっとも印象に残った所だし、それ以上にヨーロッパの中でも三本指に入るほどお気に入りの町となった。だからこそ、日本に帰国後、1991年に内戦が始まった時は、とても悲しかった。あの、旧市街で出会ったおじさんは戦争で大丈夫だろうか、あの愛くるしい子供たちはどうなってしまうのだろう?と心配でならなかった。サラエボから陸路でドブロヴニクへ抜ける道中に立ち寄ったモスタールの村にあった、情緒豊かな石橋のある風景。あそこが激戦地となり、石橋は爆破された。
そして、終戦を迎えた1996年は、娘が生まれた年でもあった。思えば、ほんの数年前まで、あの感動的な美しい国は戦場だったのだ。
紺碧のアドリア海に突き出すように、赤レンガ屋根が折り重なる旧市街。城塞がぐるりとその回りを取り囲み、完結した1枚の絵のような美しさに溜め息が出る。なのに、そうした世界遺産の芸術をも、戦争は奪ってしまう。セルヴィアと旧ユーゴ連合軍によって、旧市街の78%は破壊され、かなりの被害を受けた旧市街は、一時期廃墟と化してしまったという。日本でニュースを見るたびに、もう、あの風景は二度と見られないのだろうかと、暗澹たる気持ちだった。
平和で穏やかなドブロヴニクの町並み
目の前に広がる中世の町並みに、私は心からほっとした。昔と全く変わらないほど、見事に「アドリア海の真珠」は修復を遂げていたのだ。この風景に再会できて、娘にも見せてやれたことが嬉しかった。
何も知らぬ彩乃は、ドブロヴニクの旧市街にある広場で、たくさんいるハトを追いかけ、猫を見つけては追い回している。地元の子供たちも、一緒になってハトを追いかけ始める。大きなお姉ちゃんが、シャボン玉で遊んでいた。風に乗って飛んでいくシャボン玉を追いかけ始めた彩乃を見て、そのお姉ちゃんはシャボン玉の道具ごと彩乃にくれた。風に乗って青空に舞うシャボン玉。ハトもツバメも飛び交う。陽射しは暖かく、カフェで人々は憩い、平和でのどかな時間が流れている。ひとしきりシャボン玉で遊んだ彩乃は、今度はそれを見ていた地元の少女に道具ごとハイ、とあげた。子供たちは順番に、ごく自然に遊び続けていた。
広場で見かけた子供達中世の町並み

旧市街そぞろ歩き,食べ歩き
ドブロヴニクのメインストリート 敷き詰められた大理石が濡れたような光沢を放つ、一本道のメインストリート、プラッツァ通りでは、立ち並ぶ土産物屋さんをひやかし、可愛いTシャツをみつけ、美味しそうなアイスクリーム屋さんの前で、ソフトクリームをねだる。
ドブロヴニク独特の、細い路地の石段をのぼっていくと、洗濯物が干され、観葉植物が飾られた地元の人々の日常生活が垣間見られる。ここでの楽しみは、プラツァ通りから、こうした路地を一本一本脇道へ入り、それぞれに趣の異なる路地の奥を散策し、お気に入りのレストランやカフェを探すことだろう。
石造りの建物の表に、自慢のピザの写真をメニューにして貼り付けたピザリアや、各国からの観光客のために、数ヶ国語で書かれたシーフードのメニューにスキャンピ(手長海老)やイカや魚のイラストまで付いたメニューも見える。とりわけ、シーフードレストランはよく似た店が軒を連ね、赤や黄色のカラフルなパラソルを立てたテーブルを並べて客を待つ。時に、その客引きは熱心さを増す。夏のピークに比べ、ゴールデンウィークの時期はかなりお客さんが少ないからだ。メニューのコピーを街角で配っているのもよく見かけた。観光客が少ないといっても、けっこうな数の人々が来ていて、十分活気があると思えるのだが・・・
白いお皿に映える色彩豊かな料理 彩乃はピザを食べたいと言い出す。私も食べたい。一軒のピザリアのボーイさんが日本語で話し掛けてきたと、彩乃は走って知らせに来た。行ってみると、「ヨウコソ、ピザハイカカデスカ」と片言の日本語がしゃべれるお兄さんが、愛想よくニコニコしている。宝塚へ卓球の試合に行ったそうだ。なぜ、宝塚かわからないが、とっても感じがいいので、お兄さんの店に決定。
イタリア並にレベルの高いピザ・フンギ(マッシュルームピザ)と、分厚くて美味しいステーキにアツアツのフライドポテトも付いてきて、それにプチサラダも。大きなキャラフェに並々と注がれたハウスワイン(60クーナ、約1100円)と共にトータル3人で240クーナ(約4300円)の満腹のお食事であった。
クロアチアでは、カプチーノが町で大体8クーナ(約140円)なので、物価は安くもなく、そこそこというところか。とりわけ田舎に比べるとドブロヴニクは観光地なので高めではある。
旧市街を見渡す珠玉のホテル
ヴィラ・アルジェンティーナからの風景
昔来た時は、たしかラパ半島の付け根あたりに位置する安めのホテルに、行き当たりばったりで泊まり、旧市街観光のためにバスに乗って通ったものである。ちょうど今もNO4のバスが旧市街の入り口であるピレ門のところまで走っていた。
今回は、旧市街の町並みが一望のもと、海と砦の町が一体化した風景が部屋の窓から臨めるホテルをリザーブしておいた。当初は、石造りのバルコニーのある、アンティックな古城風の「ヴィラ・オルスラ」に泊まるつもりで予約していたはずが、着いてみるとなんとホテルがリノベーション(改装工事)に入っていて、お隣の同系列ホテル「ヴィラ・アルジェンティーナ」が代替に取れていた。こちらはもと3ツ星だったのが、つい最近リノベーションを終えて5ツ星の高級ホテルにヴィラ・アルジェンティーナのスイートの一室様変わりしていた。外観は、オルスラと対照的でモダンだが、室内は快適でセンスが良く、高級感も十分。海に面したオーシャンフロントのスイートは白を基調とした明るい内装で、子連れで3泊するには逆にきれいで過ごしやすい。バルコニーはないけれど、窓を開け放つと下半分がガラス張りのバルコニー気分で、心地よい光と風がふりそそいでくる。
6階がレセプションとエントランスで、4階に降りていくとレストランがあり、1階に屋内プールやサウナ、マッサージルームもある。エントランスを出て、海沿いに坂道を下って5分も歩くと、もう旧市街という便利さが嬉しかった。ランチライムも夕暮れ時も、ぶらぶら歩いて旧市街へ。町のレストランに食事しに行くのも不自由しない。
SARS禍の国境越え,トラブル発生?!
ドブロヴニク滞在中に、日帰りでモンテネグロまで足を伸ばした。クロアチアから陸路国境越えをしてモンテネグロへ。昔は国境などなく、目指すコトル、ブドゥヴァ、スヴェティ・ステファンに、郊外を旅する感覚で訪れたものだった。今では通貨も異なり、クロアチアではクーナ、セルヴィアではディナール、なのに、もっとへんぴなモンテネグロでユーロが使われていたりして面白い。
ドブロヴニクを離れ、車は一路海岸沿いに南下する。1時間も走ると、もはやモンテネグロボーダー(国境)である。クロアチアの出国審査は即OK。モンテネグロの入国も楽勝だろう。安心しきっているときに限って、問題は発生する。
時はSARS真っ盛りのゴールデンウィークであった。「極東の国からの外国人は入国不可」というではないか。日本から来た、香港じゃない。日本と香港は別の国だ。ここら辺の人はどうもそれを把握していないようである。いくら説明してもダメである。20キロも離れたところから医者を呼んで来るという。予想外の展開である。
待つこと30分。パトカーに乗ってやって来た女医さんの姿を見て、私は思わず吹き出してしまった。まさに完全武装ならぬ、白衣に手術用の白い帽子、内側が薄緑色の大きなマスクにゴム手袋をはめて、かなりボリュームのあるからだを揺らしながら、こちらに近付いてきた。私たちの車までやって来ると、その女医さんはマスクを取り、手袋をはずしておもむろに握手を求めてきたではないか!なんのための完全装備だ!?
この話は、後あとまで笑い話となったことは、言うまでもない。そして、私たちは無事、モンテネグロ入国を果たしたのであった。
情緒たっぷりのコトルとブドゥヴァの町並みコトルの町並み
まず訪れたコトルの町は、深い入り江と、ギザギザの岩山がすぐ背後に迫るのが印象的な古い町である。まさにイースターの二日前の休日とあって、地元の人々が広場のカフェにたくさん集まりおしゃべりに興じている。教会はカトリックとセルヴィア正教会の両方が混在し、「セルヴィア・モンテネグロ」という1つの国にもかかわらず、セルヴィアではディナール、モンテネグロではユーロを通貨としているのも、未だ複雑な現状を思わせる。
ブドゥヴァの町並み
クロアチアとの大きな違いは、その貧しさだろうか。ジプシーが多く、お金をくれと近付いてくる。
ブドゥヴァは港町で、海に面した旧市街が城壁にぐるりと取り囲まれたところは、ドブロヴニクのミニチュア版といった感じである。シーズン前で活気のない町中には、ブティックやジュエリーショップが、ポツリポツリと脈略なく存在する。城壁の上を歩いて一周すると、石の要塞の隙間から海が覗けたり、この町で暮らす人々の様子が見下ろせたりして面白い。
ランチはビーチ沿いのテラスレストランにて。オードブルはツナのペースト、トマトベースのシーフードリゾットと、ちょっとクセのあるイカスミのリゾット、そしてキュウリとトマトとキャベツのサラダ。メインディッシュのタラのフライは美味しいものであった。ポテトとたまねぎの酸味のあるサラダ添えだ。
セレヴ御用達の要塞ホテル
本土と橋で繋がる小島スベッティ・ステファン いちばん再訪を楽しみにしていたスベッティ・ステファンは、ちょうどブドゥヴァの対岸に位置していた。本土と橋で繋がる小島全体がひとつの要塞跡であり、そのすべてがホテルなのである。しかもそこには、ソフィア・ローレンご愛用のコテージがあったり、いわばセレヴ御用達の高級ハイダウェーなのである。
今回はシーズンオフなので、来週のオープンに向けて手直ししたり準備中であった。ゲートをくぐり、石の階段をどんどん上がっていくと、左右に蔦の絡まる石造りのムードあるゲストコテージが続く。海はけっこう透明感があり、アドリア海の珠玉のスポットといえるだろう。頂上に教会が2つあり、中腹に例のソフィア・ローレンの大きなコテージ発見。いくつかのベッドルームにキッチン、プライベートプールまで付いた最高のスイートだ。眺めももちろん、最高である。できることならシーズン中にまた泊まりに来たいものだ。普通の部屋でいいから・・・
城壁巡りの幸せなひととき
赤レンガ色の屋根が建ち並ぶ ドブロヴニクの城壁をぐるりと一周するのは、午後がおすすめだ。午前中は逆光で、海からの光が射してくるからだ。
ピレ門の脇から石段をふーふー言いながら上に昇り、まずはチケットを15クーナ(約300円)で買う。少し歩いてプラツァ通りの一本道を上から見下ろす地点へ行く。そこがもっともフォトジェニックなのである。通りに沿って赤レンガ色の屋根が密集している、中世そのままの絶景。
城壁の上で散歩する彩乃 城壁を一周するのは1時間近くかかる。歩いていくごとにさまざまな風景が切り取られて見えてくる。ドームの塔が飛び出している風景、洗濯物やバスマットを干している人々の暮らしもすぐ間近に同居している。
一周するとけっこうな運動量だ。汗をかき喉が乾く。ペットボトルの水を飲みつつ、「ここら辺にアイス屋さんがあったらいいのになあ」と彩乃。同感だ。
眼下には崖っぷちに打ち寄せる白い波が目が覚めるように透明なブルーの海を彩る。沖合いの海はもっと深く濃い蒼である。白いカモメが飛び交う姿が爽やかだ。旧市街の赤い色目とこうしたブルーの色彩美は溜め息もので、いくら眺めていても飽きることがなかった。夢の世界にいるような幸せな気分に浸っていたのだった。
井原 三津子
2003年4月(4月19日~27日)

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