中国長江下流域 江南水郷地帯を行く

中国長江下流域 江南水郷地帯を行く

世界第3位の長さを誇る長江(揚子江)下流域、隋の時代には水運の為“大運河”が建設され、その後も水路が発展した水郷地帯、運河にかかる橋、行き交う船、そしてそこに住む人々・・・、長江の南岸に位置する為、江南と呼ばれるこの一帯には、古来より文人、詩人たちが愛した歴史ある水郷の町が多々あり、いまでも私たちが忘れてしまった懐かしい風景が残されている。
10月 8日の朝、北京発の夜行列車は上海駅に到着した。ホームでは上海のガイド任さんが待っていた。駅を出て、車に乗って出発する。上海の発展の目覚しいこと、高速道路からの風景は以前にも増して高層ビルが目に付く。ガイドの任さん曰く、上海の発展の速度は大変速く、1ヶ月もしないうちに新しいビルが出来ていたり、新しい道が出来ていたり、上海人にも変化がついていけないくらいだそうだ。
車は中山北路高速から虹橋路高速道路へ向かった。私の車は下り車線なので90km/hくらいで順調に走行するが、上り車線は凄い渋滞である。ちょうど国慶節(中国の建国記念日)連休あけの月曜日なのでいつもよりも車の台数が多いらしい。それよりも虹橋地区に高級住宅を買って上海市内まで通勤する人が増えたそうだ。社会主義の中国で家を買う?土地は政府から99年間借りる権利を買い、建物は自分で買うという仕組みらしい。一時期日本でも話題になった定置借地権付きマンションみたいな物らしい。その後10分ほど走ってやっと上り線の渋滞は解消。かなり車が増えたのだなと感じられた。


上海虹橋空港に行く路線が分岐した後、約1kmで高速道路は終わった。ここからは国道 418号線を進む。連休あけの為、交通量の多いこと。トラックは荷物満載、バスは乗客満載、片側ニ車線の道路にひしめき合っている。中国経済発展の凄さを見せ付けられた思いだ。道路の両側も車のディーラー、工場などが立ち並び、日本の都市近郊の風景とあまり変わりはなくなってしまった。
青浦と言う町を過ぎ、約一時間で朱家角についた。上海からは約30kmの距離にある。入場料を払って町の中へ。大きな運河に放生橋がかかっており、その周りに白壁、切妻、黒い瓦が特徴的な江南の家が密集している。
朱家角で有名なのは放生魚だ。これはある言い伝えを起源としている。まだ朱家角に放生橋が無かった頃、あるお坊さんが毎日対岸へ通っていた。ある日彼の母親が船から落ちて亡くなってしまった。そこでお坊さんは橋を掛け、母の供養の為に川に魚を放した。その習慣は庶民にも広まり、放生魚として定着した。今では放生魚を放す時に願い事を唱えれば叶うと信じられている。放生橋のたもとにはたくさんの放生魚を売っている。まるで縁日の金魚すくいの様に大きな四角いケースに入れて空気ポンプで空気を送っている。鮒の子、鯉の子、金魚、いろいろな魚が売られていた。
放生橋を渡った対岸には“町三里・店舗千個”といわれた細い繁華街が続く。草団子を売っている店が多い。3個で1元。中にはあんこが入っておりおいしい。竹の皮で包んだブタのばら肉の煮込みも名物だ。東坡肉によく似ている。ガイドの任さんが言うには、近くの周庄の名物料理、万三蹄を真似して作っているんだよといっていたが、どうしてどうして、脂身がとろとろになっていてこれもおいしい。小さいのは2個1元、大きいのは1個5元。5元のものは食べがいがあった。雰囲気のある町をぶらぶらと歩く。小さなレストランが一杯ある。水郷なので魚料理が多い。生きた魚を水槽に入れ、好きなものを選んで料理してもらえるようだ。放生橋を再度渡り、さらに街をぶらつく。大きな漬物屋がある。昔から有名な漬物屋だそうだ。少しづつ手にとって試食する。茄子の漬物がおいしかった。結局何も買わず車に戻った。
もとの日程ではこのまま周庄に行く予定だったが、任さんの薦める街がもう一つあるというので、先に向かうことにした。街の名前は錦渓という。全く観光化されていないので駐車場などはない。朱家角の“町三里・店舗千個”を小ぶりにしたような細い道の両側に洋服屋、本屋、靴屋、八百屋、床屋などが並んでいる。朱家角だと“観光客向け”と思われるようなお店が多かったが、ここ錦渓はまったく観光地化されていない江南の街だけあって、そこで生活している人の息遣いまでが感じられるような気がした。運河にかかる橋の欄干で中国麺を干していたり、学校帰りの子供たちがふざけていたり、陽気も良かったせいかこちらの気持ちまでがのびのびしてくる。ちょうど昼食時なので、店頭で麺を食べている人もいた。
お腹もすいてきたし、本日の昼食は名物“水郷料理”だと聞いていたので、急いで周庄に向かう。周庄までの道は田んぼの中の一本道といった感じである。高校が千葉の田舎の田んぼの中の新設校だったので、そこの風景とよく似ているなと思った。
周庄についた。まずは名物の“水郷料理”を、というわけで周庄の入り口にあるレストランにて昼食。メニューは万三蹄、川蝦の炒め物、野菜炒めにスープ、楊州チャーハン。万三蹄とは豚の肉を長い間煮てとろとろになったもの。お肉が柔らかくてとってもおいしい。蝦の炒め物は思ったよりさっぱりした味付けだった。
周庄は上海市内から南東へ38km。淀山湖畔にある。中国でいちばん有名な古い町並みを残す水郷の町。街の歴史は900年余り。「井」の字型に細い川があり、それに沿って民家が並んでいる。それらの民家の60%は明清時代の建築である。その民家をつなぐように、元、明、清時代の古い石橋が14。そのうちの1つに双橋と呼ばれるものがある。1984年、ニューヨーク留学中の上海人画家陳逸飛が双橋を素材に描き「メモリー・オブ・ホームタウン」と名づけた。同年10月、この絵は彼の他の37の作品といっしょにアメリカ・ウェスタン石油のCEO、Amed Harmonの画廊に展示された。油絵と水墨画の手法を用い江南の田園と水郷風景を描いた陳逸飛の作品は芸術専門誌に「ウェスタンスタイルへの大胆な挑戦」と紹介される等注目を集めるようになった。11月にHarmonが訪中した際、Harmonが、小平に「メモリー・オブ・ホームタウン」を進呈する。その故事により周庄は一躍有名となった。双橋の前ではこの時も油絵を描いている人がいた。有名なスポットなので中国人観光客もかわるがわる写真をとっている。
少し街を歩くと船乗り場があった。遊覧船の乗り場である。せっかくだからと遊覧船にのり、周庄の運河をゆられてみる。船頭さんはおじさんで歌も歌ってくれた。船頭さんの70%くらいは女性である。すれ違う船の船頭さんも歌っている。アーチ型の橋をいくつもくぐり、船は進む。周りの家々の軒先には赤い提灯が釣り下げられ、白壁によく映えていた。
一周した後、陸に上がって街をぶらぶらした。周庄の入場料には周庄の中にある民家や博物館の入場料も含まれているので便利である。ある古い民家では結婚式を行った後だそうで沢山の提灯がぶら下がっていた。街の南側まで歩くと全福寺という寺がある。宋代に作られたお寺だ。「水中の仏の国」とも呼ばれるこの寺は、湖上に橋でつながれ並ぶ「山門」「指帰閣」「大雄宝殿」「蔵経楼」等より形成される、というと大きい寺院の様に思われるが、敷地自体は大きいが、国慶節明けの平日ということもあり、参拝客も少なく、まばらに建物が建っているのでがらんとした印象を受ける。寺院の一番南側は淀山湖で、船上生活者の船が何艘か停泊していた。魚を養殖して生計を立てているらしい。
全福寺を後にして周庄の街に戻る。道端でサントリーのウーロン茶を売っていたので買ってみた。一口飲むと少し甘いので吃驚。ペットボトルには微糖と書いてあり砂糖入りだったことがわかる。中国でサントリーのウーロン茶を買うときにはよくボトルを確認しなければならない事を学んだ。
夕闇が迫り、古い町並みが斜陽を浴びてオレンジ色に染まる。行き交う人が少なくなってきた。初めて来たのになぜか懐かしく感じられる街、周庄に哀愁が漂いはじめた。今日はこのそばのホテルに泊まるが、旅行社の車が待っている駐車場までは少し距離がある。周庄の入場券売り場から駐車場まで輪タクに乗ってみた。別にどうということはないのだが、ちょっと感傷的な気分になり、輪タクに揺られる。今日の朝は上海にいて、上海のあまりの変わり様に吃驚したのに、ここ周庄は良い意味で時間が止まったような街で、その間は移動時間にして一時間ちょっと、距離にして38km足らずしかない。これもまた吃驚。
上海というと、とかく現代化されたとか、経済の中心地とか、とかく無機質なイメージを持たれることが多いが、上海の近郊には情緒豊な水郷小鎮があることもお忘れなく。
石井 清史
2002年10月

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