できそうなこと、できなさそうなこと、小さいこと、長い目で達成させること、なんでもあり。
ルールは簡単。一生のうちにやってみたいことをとりあえず書き出す、そして一生をかけてそのリストをクリアしていく、それだけ。
専用のノートも売っているが、手帳の余白でも始められる。そんなリスト。
結婚する、親になる、外国語を話せるようになる。
死ぬまでにやりたいこととなると、実にバラエティに富んだそれぞれの目標が溢れ出す。世界中の人たちがネットに載せているリストに目を通していると、誰しもやりたい事の中に必ず旅行という項目が入っていることに気付いた。
イースター島でモアイと写真を撮る、万里の長城を歩く、世界一周する、サクラダファミリアを観に行く。
日々の業務の中で、つい忘れかけてしまいがちになってしまうが、そういった夢を手伝える仕事に就くことができた私は幸せだ。
今回、私も人生で一度は必ず行きたいと思っていた場所に来ることができた。
遠く日本の裏側まで来なければ、死ぬまでにしたいことを考えるなんてこと思いつかなかったかも知れない。
いや、地球の裏側まできて「やばい、これは本当に死ぬかも」と思うような体験をしなかったら、こんなこと考えなかったかもしれない。
あの、生きている心地のしない、しかし心は浮き立つ、頭が真っ白になる30分間のフライトを、私は絶対に忘れることはないだろう。
私の心を鷲掴みにして、大きく揺さぶった9日間のペルー旅行、皆様の大切なご旅行の参考になれば幸いです。
高地でのお酒はほどほどに
ペルーまでは成田空港からラタム航空で出発。日本航空との共同運航便なので、そのホスピタリティは素晴らしいの一言。
長時間のフライトとなると、飛行機での居心地の良さはかなり重要ですが、映画も音楽も充実していて、なんと夜食には吉野家の牛丼が!卵かけソースも付いていて、空の上で食べる牛丼の美味しさは忘れられない旅の思い出になりました。(まだペルーに着いてもいない)
丸一日かけてリマの空港に到着したのは深夜。深夜にも関わらず大勢の人の熱気に包まれる、THE南米といったちょっと怖い雰囲気の中をガイドさんがサッと車へ案内してくれる。
今回宿泊したホリデイインホテルは、空港から道路を挟んで反対側にあり、すぐ目の前に見えるのですが、ガイドさん曰く絶対に送迎をつけないとダメということ。
ペルーはとっても楽しいですが、やっぱり防犯意識は高く持たないと何かあったら一気に悲しい旅行になってしまうので、安全第一。ださくても何でも、荷物は体の前で持ちましょう。
【高山病を恐れてクスコへ】
ペルーへの旅行でみなさん心配するのが高山病。
5年前にチベットに行った時には高山病の知識もほとんどなく、現地で夢か現かわからない程ふらふらになったので、今回は高山病の薬(ダイヤモックス)を同僚から譲り受けての出発。
しかし出発前に消費期限が切れていることが発覚。
現地でガイドさんにも「やめといた方がいいですね」と言われて、結局薬には頼らなかったのですが、あのチベットはなんだったのかと思うほど元気でした。
体調と相談しながらの服用をお勧めします。
標高約3400メートルのクスコは街並みが美しく、かわいいお土産も多いので街歩きもお勧め。
クスコの街並み
12角の石
クスコ名物、オーダーメイド靴
立派なサッカースタジアムもあり、海外からのチームを招いての試合もあるそうなのですが、標高が高すぎてみんなフラフラになるので、クスコのチームは有利なんだと、胸を張って自慢するガイドさんに、とんだアウェー戦だなと、敵チームへの同情を隠せませんでした。
【ペルーの代名詞、絶景のマチュピチュへ】
バスはひたすらくねくねした道をずっとくねくねしながら登っていく。
バスを降りたところが遂に、あのマチュピチュ遺跡の入り口。
マチュピチュへのラッシュアワー、早朝5時
入り口も大混雑
チケットを見せていざ入場。入ってすぐにマチュピチュはその壮大な姿を現す。
なぜこんな山の上にこんな素晴らしい石組みが残っているのか、朝霧に沈むその姿は、とうてい言葉で表すことができない。
まさにロマンを形にしたかのような素晴らしい遺跡がそこで待っていてくれた。
しかし、私は急いでいた。
なぜなら、マチュピチュ遺跡を観光する前に、マチュピチュの向かいにそびえ立つワイナピチュという山に登らなくてはならず、その登山口は時間制限があるからだ。
感動に震えながら、マチュピチュ遺跡の中をぶるぶる寒さに震えながら足早に駆け抜け、ワイナピチュ登山口にたどり着いた。
たくさんのアルパカがお出迎えしてくれる
こちらもラッシュアワー
こっちがワイナピチュ。道は簡単。
ワイナピチュといえば、頂上からマチュピチュの全貌を望むことができる絶景スポットである。
弊社のワイナピチュに登った事のある先輩達はみな口々に「ワイナピチュしんどいけど、大丈夫だよ」「しんどいけど登る価値はあるよ、大丈夫」「運動不足でも大丈夫」と私を送り出した。
心強い口コミを受けて、私は意気揚々とゲートが開かれるのを心待ちにしていた。
しかし登山開始から30分後、私は思った。体力のある人たちの言葉を信ずるべからず。
まず、登山開始時点で全員マチュピチュが割と濃い霧に包まれていることに気付きながらも、自分たちを鼓舞するようにキャッキャ笑いながら歩いていたが、30分後には、ちらちら見え隠れする霧に包まれたマチュピチュ、予想以上にきつい傾斜と狭い足場、いつ終わるとも分からぬ山道に、ほとんどの人の心はポッキリ折れていた。
霧に霞むマチュピチュ
写真では伝わらない辛さ
しかしみんなここまで来て引き下がることができず、お互いに支え合いながら頂上を目指した。誰もが心に浮かんでくる「もしかして、これだけ頑張って登ってもマチュピチュは見えないのでは・・」という疑問を押し込めて。
コカの葉で作られたオイルを配ってくれる人、コカの葉で作られた飴を配ってくれる人、コカ茶を一口飲ませてくれる人、ここまでコカ頼りがすごいと、みんな笑うしかなくなってくるが、みんなで一生懸命ひたすら上を目指した。
そんなこんなでお互いに励まし合いながらたどり着いた山頂は・・
真っ白でした。
1時間半かけて真っ白。手のひらは真っ黒。でも謎の高揚感に包まれた、とても楽しいワイナピチュ登山となった。
辛かったけど、確かに登ってよかった。上から見る景色は、マチュピチュは見えなかったとしてもとても素晴らしかったです。
でも私はこうアドバイスします、マチュピチュ、甘く見ちゃダメ、ゼッタイ。
そして、よたよたと下山してきて、やっとマチュピチュ観光。
下山している間に霧は晴れてきて、下ではきれいなマチュピチュを見ることができた。
登山の疲労感が見え隠れ
マチュピチュを満喫して帰りのバスに乗り込むと、隣に座った自称ガイドという人にピスコサワーを飲みに行かないかと誘われ、ついていくことに。
恐らくペルーにきてピスコサワーは避けられないというぐらい、有名なお酒。
自称ガイドが友達のお店だと連れてきてくれたお店では、自分でピスコサワーを作れるということで、なぜかエプロンまでつけさせられてピスコサワー作りに挑戦することに。
ワイナピチュ登山でガクガクする膝を押さえつけ、シャカシャカとシェイカーを振る。
できあがったピスコサワーはとても甘くて美味しかった。
ピスコ、ガムシロップ、レモン果汁、氷、これらを入れてシェイクするのみ
美味しくて危険なお酒の出来上がり
これは恐らく油断して飲み過ぎると急に倒れるやつだ、と思っていたら思った通り、その後乗った列車では疲れも相まって4時間ぶっつづけで爆睡したので、列車の思い出は皆無となった。
【憧れの場所ナスカでの、頭が真っ白になった30分】
ペルーに行くと言うと、周りには「ああ、マチュピチュね!」と言われるか「何それ、どこにあんの」と言われるかのどちらかだった。
しかし、私にとってペルーとはナスカであり、ナスカの地上絵であり、ナスカの地上絵がある国がペルーというぐらい、ナスカの地上絵のイメージが強い国だった。
幼い頃にテレビでその謎を知った時、世界にはそんなミステリーがあるのかと衝撃を受けたが、まさかそれから何十年も経った今もなお謎のままというのが痺れる。
そんな憧れのナスカの地上絵が見られるというのだから、こんなに嬉しいことはない。
しかし、あの巨大な絵をどうやって見るのか。そこで私のハッピーな気持ちに暗雲がたちこめた。
当日はリマを早朝4時に出発し、バスで7時間もかけてやっとナスカに到着した。
寝不足でふらふらしたまま、お迎えの車にすぐさま詰め込まれ、心の準備をする間もなく、ナスカ地上絵遊覧飛行の空港へと着いた。
搭乗前に、全体のバランスを取るために体重を測定される。ここで自分の体重に絶望を感じくらっとしたが、私と同じフライトに乗るおじさんが100キロはありそうな巨大な体を揺らして現れた時は、くらっとどころか眩暈で目の前が真っ暗になった。
しかし、おじさんもどこぞ遠くの国から地上絵を楽しみに来たのかもしれない、バクバクうるさい心臓を抑えて、私たちはドスドスと命を委ねるセスナへと向かった。
せっ・・狭い・・!
想像以上に狭い機内に乗り込むと、自動車のシートベルトよりも心もとないシートベルトとヘッドフォンを装着し、何の説明もないまま、セスナは滑走路へと向かう。
なんなら、シートベルト着用のアナウンスはなかった。
みんなそれぞれ自分の命を守る為、自主的にシートベルトを締め、無言で座席にしがみつく。そして遂に我々は空へと飛び立った。
事前に説明しておくと、私は観覧車にも乗れないほど高いところが苦手であり、その苦手になった理由は、昔社員旅行で乗ったプロペラ機が急降下したことに所以している。
そんな私がこんな小さいセスナ機に100キロのおじさんと空の上・・。
私は神に祈った。
セスナに乗り込んだのは、パイロットとガイド、100キロおじさんとぽっちゃりおばちゃん夫婦、やたらと大きいカメラを構えたおじさんと飛び立つ前から顔色の悪いおばちゃん夫婦、そして私の7名。
ガイドのおじさんがやたらと陽気で、しばらくキャッキャとナスカの地上絵の説明をしていたが、急に「じゃあ一つ目行きますよー!クジラ!」と叫んだかと思うと、急にセスナがぐわっと機体を倒した。体感約95度機体を倒し地上絵の上を旋回してくれる、そしてそれが終わると反対側にぐんっと機体を倒し、逆側のお客さんが絵を見えるようにまた旋回してくれる。
ここら辺から私の記憶は曖昧になってくる。
急旋回繰り返す恐怖と、写真を撮って帰らなくては怒られるという恐怖が混ざり合い、何が何だか分からないままシャッターを切り、二度と見ないであろうその姿を目に焼き付けようと、血眼で窓の外をのぞき続けた。
二回目ぐらいの旋回で、顔色真っ青おばちゃんが備え付けのビニール袋を口に当て、三回目ぐらいの旋回で「へいへい、せっかく来たのに見ないともったいないよ!」というガイドさんの声に頭を振り、その後着陸までずっと前の座席につっぷしていたような記憶がある。
そんな決死の思いで私が撮った写真たち。
クジラ
ガチャピンの先祖としか思えない
有名なハチドリ
海鳥
木と手
急旋回に耐え、セスナから降りたとき、私たちはお互いの健闘を称えあった。
100キロのおじさんも、真っ青なおばちゃんも、みんな笑顔だった。
無事でよかった。死ぬ前に地上絵を見ることができて本当に良かった。
今のところ二度と乗る予定はないし、今後セスナ機とプロペラ機は避けて生きていきたいという気持ちは確固たるものになったが、本当に乗ってよかった。
ナスカの地上絵よ、よくぞ私が来るまで謎を守ったまま待っていてくれた、ありがとう。
その日の夜、ペルー最終日のナスカの満天の星空の下で私はこれまでに無いほど心がゆったりした夜を過ごしていた。
思えば本当に遠いところまでやってきた。
想像もできないほど遠い場所と信じていたナスカに思いを馳せていた小学生の私に、「あと20年したらそこにいけるよ、その頃には高所恐怖症がひどくなってて、死ぬ思いをして絶景を見ることになるよ」そう教えてあげたら喜ぶだろうか。
色んな所へ旅をしていると、時々人生を揺るがすような体験をさせてくれる旅に出会えることがある。まさにペルー9日間はそういった旅であった。
大袈裟だと笑われるかもしれないが、生きた心地のしない、しかし幸せな気持ちでいっぱいになったナスカのフライトから地上に戻った時、一生懸命に後悔なく生きようと誓った。
人生で一度は行きたい場所、一度は見たい景色、一度は出会いたい人たち。
次のご旅行先はそういった憧れを目的にするのはどうでしょうか。
是非みなさまも素敵な憧れに出会えますように。
笑うアルパカ
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2018年11月 大野史子