ついに時が動き出す!?旧世紀のレプリカ キューバの肖像

ついに時が動き出す!?旧世紀のレプリカ キューバの肖像


いつか行きたい国は突如、行かなければならない国となった。
パステルカラーのコロニアルな建物の前を、クラッシックカーが颯爽と走り去る。葉巻の煙とジャズが漂う街で、20世紀初頭という時代に飲み込まれる。
<ハバナ>

54年ぶりに米国との国交正常化を果たしたキューバ。首都ハバナの旧市街にあるのは洗練された美しさではなく、使い込まれた美しさ。生活感のある街の色はどこか懐かしい。
観光の中心オビスポ通りでは観光客と地元っ子が行き交い、お土産物屋にはイケメン革命家チェ・ゲバラTシャツやマラカス、木製の置物が並ぶ。一歩脇道へ入ると、活気溢れる生活エリア。大声で果物を売る屋台があったり、道端で車を修理する人がいたり…たくましい人々の生活風景は、映画のワンシーンのように美しい。バルコニーの洗濯物ですら、世界遺産の一部かと思うほどに存在感がある。



地味だがおすすめの場所は、アルマス広場の古本市。雨天以外の毎日開催されている。革命関連の書物はもちろん、財務大臣だったゲバラのサインの入った紙幣。大胆なグラフィックの政治プロパガンダ的ポスター。革命前からあるようなオールドクラシックな時計や、装飾品。ここに並ぶヴィンテージの品々は、この国のどんな歴史を見てきたのだろう。ひとつひとつの物語を想像すると、わくわくが止まらない!気づけばここへ毎日通っていた。

アルマス広場の古本市




<トリニダー>

キューバの心に最も近づけるのは、この町かもしれない。
照りつける太陽の下、カラフルな平屋の町並みをのんびり散策。疲れたらカフェでモヒートを一杯。一服したらまた、音楽に導かれるように歩き出す。気のむくままに、道端で人々とサルサを踊る。自分がイメージした通りのキューバは、ハバナよりもむしろトリニダーにあった。





バーから聴こえてくる生演奏に足取り弾ませていると、馬に乗ったお兄さんがあいさつをしてくれた。ジーンズにくたびれたネルシャツ、カーボーイハットをかぶり、いかにも客引きという出で立ち。戸惑いながらもあいさつを返すと、彼はそのまま街角のアグロ・メルカード(農産物市場)で豆を買い、どこかへ消えてしまった。客引きではなかったらしい。こんな場所が21世紀にまだあったなんて。
町は気取らない音楽にあふれ、旅人たちはただただ時の流れを楽しんでいる。アメリカとの国交正常化した現在、こんなに印象的な街並みのトリニダーでは、今すぐにでもハリウッドの撮影がはじまってもおかしくない。いにしえの時の流れは、いつか早まってしまうのだろうか。
せっかくキューバを訪れたのに、ハバナだけで過ごすのはもったいない!たとえ1泊でもトリニダーに滞在することができたら、キューバの印象がググッと変わってくるだろう。






<サンティアゴ・デ・クーバ>

「ハバナなんてキューバじゃない!本当のキューバはここサンティアゴだ!」
日曜日の昼下がり。迷い込んだ住宅地で、手持ち無沙汰なおじさんにつかまり熱烈な演説を聞くはめになった。(スペイン語だったので、ほとんど理解はできなかったが)
かつて首都として栄え、キューバ革命への第一歩が踏み出された地でもあるサンティアゴ・デ・クーバ。フィデル・カストロ前国家評議会議長が青年期を過ごした街であり、キューバ音楽のメッカだ。この街にあるのは植民地時代の面影を残す街並みと、空をなぞるような電線。蒸せ返るような暑さとひなびた坂道。どこかの家の一室から聞こえてくるバンドのリハーサル・・・確かに、ハバナよりもキューバっぽいかも!





街にはとにかくアジア人が少ない。いや、ほとんどいない。歩いているだけで前から後ろから、上から下から、いろんなところで声をかけられ、珍しがられる。これから公園でサルサを踊りに行かない?なんておじさんも。この街では現地の人と井戸端会議に花を咲かせ、思いっきり触れ合ってみるのがいいだろう。

素敵な笑顔の親子

お手製のキックボードで遊ぶ少年







おすすめのビュースポットは、ガイドブックにも記載のあるパドレ・ピコ(階段)。パステルカラーの町並みと雑然とした電線がなんともサンティアゴっぽい。雨上がりのパドレ・ピコは、アスファルトの湿り具合から人々の動線がわかる。階段に腰掛けて、いつまでもこの通りを眺めていたい思いだった。

パドレ・ピコ(階段)からの景色

<カサに泊まると、キューバをもっと好きになる!!>

碇を逆さまにしたようなカサのマーク

カサ(カサ・パティクラル)とは、キューバ人が個人宅を改装し、客室として提供している宿のスタイル。ホームステイと民宿の中間くらいの感覚の施設だ。政府からの許可を得ている家庭のみがカサを経営することができる。
はじめてのカサ体験はトリニダー。バスターミナルの入口にカサの客引きがずらりと並ぶ中、予約してあったカサのオーナーの息子さん(多分高校生くらい)は私の名前を書いた紙を持って待ってくれていた。合流し、ターミナルから徒歩10分のカサを目指す。彼は道すがら、町の中心部へ行き方やガイドブックには載っていない郊外のみどころを説明してくれた。
カサに着くとオーナーである彼のお父さん、お母さんが出迎えてくれた。このカサは3人家族。出かけるとき声をかけてくれたり、帰ると家族3人リビングでテレビを見ていたり、まるで実家に帰ったかのような、ほっこりした気持ちで宿泊することができた。

カサ お部屋のイメージ

カサのリビング

カサの中庭で朝食

カサのお父さんとお母さん

カサのルールは利用するカサによって、予約内容によってそれぞれ異なる。今回利用したカサはチェックイン後、家の鍵と部屋の鍵を渡してくれた。早朝散歩するのにも、夜遅くまでジャズバーで楽しむのにも、戸口の開け閉めのためにわざわざオーナーを呼びつけるわけにはいかない。まさか鍵を預けてくれるとは思わなかったのではじめは戸惑ったが、この鍵はすごく役立った。鍵は渡されず門限が決まっていたり、朝食の時間が決まっていたりするカサも他にはあるらしい。
朝食だけではなく、夕食もカサのお母さんの手料理を頂くのが絶対おすすめだ。一般的にキューバは外食の習慣がない。ほとんどのレストランが観光客向けで、美味しい店を見つけることは結構難しいと思う。それならカサのお母さんに夕食を作ってもらった方がいい。キューバの家庭料理を味わえるし、お母さんとも仲良くなれる。

カサで頂くキューバの家庭料理

トリニダーのカサは一軒につき客室一部屋のところが多いが、その他の都市では複数客室を持つカサもある。サンティアゴで利用したのは4部屋を持つ2階建ての大きなカサで、ちびまるこちゃんのような大家族がオーナー。赤ちゃんを抱いた奥さんがチェックインの対応をしてくれた。屋上へ上がるとブランコで遊ぶ小学生くらいの娘さんがいたり、その側でお兄さんがお隣さんと物々交換をしていたり。いろんな世代の生活を垣間見ることができたのはとても素敵だ。
未だに配給のある生活をしていて、皆配給手帳を持って配給所へ出かける。ここで低価格で購入できるのは油、塩、コーヒー、黒豆、卵、鶏肉、離乳食など・・・そういえば街で見かけた配給所はいつも人だかり。旅行客は近づけない雰囲気だった。街中は明らかに物資が不足している。野球大国としても知られているが、空港へ向かう途中に見たハバナのメインスタジアムはオンボロ。アメリカメジャーリーグでのプレーを夢見て亡命する野球選手もいると聞くが、あの設備をみると複雑な気持ちになる。
けれど、今の生活も不自由ばかりではない。学費は大学まで無料。医療費も無料だ。街では、世界がうらやむアメリカ製のクラシックカーが気取らない姿で行き交う。

素朴なこの国らしさは、経済封鎖の解除によって無くなってしまうかもしれない!なんて私たちの焦りは杞憂だったように思う。当のキューバ人たちは相変わらず、うらやましいほどに陽気でたくましく、したたか。そもそもあんな大国と対等の関係にあった国なのだから、みんな芯が強い。
世界が広がったことによって、これからキューバはどんな考え方と出会い、どう変化していくのだろうか。この国について考えることのひとつひとつが、気がつけば再訪の理由になっていた。

Welcome to my home, this is your home! と歓迎してくれたハバナのカサのお父さんと

【スタッフおすすめ度】
ハバナ旧市街★★★★・・・クラッシックカーが行き交う、時が止まったような世界遺産
トリニダー★★★★★・・・音楽にあわせて散策できる、美しい田舎町
サンティアゴ・デ・クーバ・・・ディープなキューバに会える!灼熱の革命の故郷
(2015年11月 仙波佐和子)
このエリアへのツアーはこち

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