何となくゆったりと穏やかな空気が流れている気がした イラン5日間お酒のない旅

何となくゆったりと穏やかな空気が流れている気がした イラン5日間お酒のない旅

この雰囲気が大好き!シーオセ橋・イスファハン

私はお酒が好きです。特にビールが大好きです。日本でお酒を飲まない日はありません。特別、休肝日も設けず、ひどい二日酔いの日も回復したら、夜にはまたお酒。お酒を飲まなかった日はいったいいつだったのか・・・思い出すことができません。そんな私が、イランの旅人に任命され、最初に思ったのが「イランではお酒が飲めない・・・」
イランでは、1979年のイラン革命の直後からアルコール飲料の生産、販売、消費が禁止され、違反者には重い罰が与えられる禁酒令が布かれています。が、しかし、そんなイランでもお酒を手に入れたいと思えば手に入れられるそうです。やはり、どこにでもアンダーグラウンドの世界が存在するのですね。残念ながら私がイランに滞在した5日間は、街中で「お酒あるよ」などと声を掛けてくれるイラン人は誰もおらず、完璧な禁酒の世界の中におりました。日本からこっそり持っていく方法もあったのですが、せっかくの機会です。「アッラーの神」からお酒のない世界への誘(いざな)いと思い、自らその世界に飛び込んでみることにしました。肝臓元気になったかな?
(ここまで導入部分です)


まずまずの味・イラン国産のノンアルコールビール

では何故、イランでは禁酒令が布かれているのでしょうか。それは、皆さんもよくご存じのとおり、イランの国教であるイスラム教と密接に関係しています。
コーランの中に次のような一節があります。
悪魔の望むところは、酒と賭矢によってあなたがたの間に、敵意と憎悪を起こさせ、あなたがたがアッラーを念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。それでもあなたがたは慎しまないのか。
かれらは酒と、賭矢に就いてあなたに問うであろう。言ってやるがいい。「それらは大きな罪であるが、人間のために益もある。だがその罪は、益よりも大である。」またかれらは、何を施すべきかを、あなたに問うであろう。その時は、「何でも余分のものを。」と言ってやるがいい。このようにアッラーは、印(=モホル)をあなたがたに明示される。恐らくあなたがたは反省するであろう

ホテルには必ずコーランが置いてある

難しい表現があってよく理解できないところがありますが、なるほどと納得できる部分もありますね。私は、イスラム教=禁酒というイメージを持っていましたが、調べてみるとイスラム教の国々だけでなく世界のいろんな場所で禁酒令が施行されていました。遥かその昔、日本にもあったようです。やはり、お酒は危険だ、人々に害を及ぼす可能性があるとの考えがいつの世も万国共通の認識ということでしょう。お酒で失敗しないように引き続き気をつけたいと思います。
イラン革命、つまり飲酒が禁止されてから今年で36年。革命当時子供だった人たちはよいですが、例えば30歳だった人は飲んでいたお酒が飲めなくなって36年経つということになります。考えられません。日本ではまず間違いなく禁酒令が復活することはないでしょう。私は日本に生まれてよかったです。
厳格なイスラム教徒であるガイドさんによると、コーランは、この世に生きるためのアドバイスの書だそうです。コーランにはすべてのことが書いてあり、コーランに書いてあることに従って生きていけば必ず幸せになれる。生きるための行動の根拠は、すべてコーランの中にあるのだそうです。つまり、コーランに「ダメ」と書いてあることはしてはいけません。たとえば、お酒以外に「ダメ」とされることを挙げますと・・・
★豚を食べてはいけない
理由:豚は雑食系で自分の排泄物までも食べてしまう不浄な動物だから
★女性は公共の場で歌ってはいけない
イラン革命後はイランに女性歌手はいません。また、外国人の女性歌手のコンサートに類するイベントも開催禁止です。
理由:男たちを惑わすため
昔から禁止されていることもありますし、1979年のイラン革命後に新たに決められたこともあるそうです。

ライブを聴かせる高級レストラン。歌手は男性です

ついでにもう一つ。何と、公共バスでは男女が同じ車両に乗車してはいけません。男女別の出入口が設置されているのです。これには驚きです。日本でも、平日朝の通勤ラッシュの時間帯で女性専用車両を設ける電車がありますが、時間限定です。イラン人男性は女性に対して畏怖の念を持っているでしょうか。コーランにはどのように書かれているのか興味をそそられます。

1.5リットルペットボトルのノンアルコールビール

様々な制限のあるイランですが、私はイランでは暮らしていく自信がありません。まず、かつ丼やかつカレーに限らずポーク系のカレー、そして、酢豚が食べられません。アイドル歌手が歌ったり踊ったりするのが観られないのはそれほど痛手ではありませんが、世の中にあったほうがよいものだと私は思います。そして何よりも、お酒が飲めなのは致命的です。運動した後、からっからに乾いたのどをビールが潤す幸せや強烈に寒い日にピリ辛に味付たキムチ鍋をつつきながら乾いた喉を潤す幸せがなくなるなんて考えられません。NO BEER NO LIFE!
そんなことを言っている私ですが、お酒のないイランでの5日間は、日本からアルコールを忍ばせて持ってこなかったことを後悔することも、苦痛に感じることもなく過ぎていきました。もちろん、5日間限定とわかっていたからなのですが、そんな私の強い味方が、ノンアルコールビールでした。イランには、たくさんの種類の国産物、輸入物のノンアルコールビールがあります。味もまずまずです。食事の時はほぼ、ノンアルコールビールを飲んでいました。銘柄による味の違いも当然あり楽しめます。また、いろんなフレーバーが入っていて、たとえば、レモン、ライム、アップル、ピーチ、トロピカルフルーツなど、バラエティに富んでいます。その味は、苦みが消え、甘さをおさえたジュースそのものです。日本でも手に入れられるようなので、見つけたら買ってみたいと思っています。

まだ暖かい陽気とはいえない中でもピクニック

イラン人は、ピクニック感覚で野外で食事をするのが好きです。私も好きです。私が訪れた2月末は、テヘランでは雪が降りました。シラーズでは夜外出すると底冷えがして体の芯まで冷え切ってしまい、日中でもポカポカ陽気とは程遠く、外で食事などとは思わないような中、公園にはピクニックランチを楽しむ大勢の人々がいました。家族、カップル、近所や学校の友達などと一緒に、自分たちで作ったお料理を食べながらおしゃべりを楽しんでいました。のどかで幸福そのものの風景です。ガイドさんと運転手さんと私3人でご一緒させていただいたのが、同じ大学の仲良し3人組の女性グループでした。決まり通り、頭には軽くスカーフがまかれています。イラン人女性にとって、重要なおしゃれポイントなのでしょう。個性を出されていてみなさん素敵です。


英語はほとんどしゃべれない様子でしたので、ガイドさんが通訳です。毎日宿題が多く、大学の勉強はたいへんだそうです。因みに、イランの学制は、基本的に日本と同じ6-3-3-4ですが小学校に入る前と大学に入る前それぞれ、準備期間として1年間予科みたいなものがありますが、大学を卒業する年齢は日本と同じです。大学への進学率は低いです。中学までが義務教育で高校までが男女別。大学から男女共学になります。夏休みは3か月もあるそうで、家族と接する時間が多くなり、絆が深まるそうです。

さて、お話を戻して・・・彼女たちは現在男女共学の大学へ通っています。彼女たちは
気分転換にお料理を作るのが好きで、天気の良い日はこのように料理を持ち寄り公園でのんびりするそうです。今日は、スパゲティのランチ。我々は食べたばかりなのでお腹いっぱいだったのですが、せっかくなのでありがたくおすそわけをいただきました。味もなかなか、トマトソース味でした。彼女たちは、積極的にイランのことを話してくれました。朝ご飯と晩御飯は、基本的に家族そろって食べます。母親と一緒にお料理を作るので自然と料理がうまくなるそうです。将来は、音楽や芸術に関連するお仕事をされたいそうです。当然のような口ぶりで話していましたが、皆さん、家に織機があるそうで絨毯を織ることができるそうです。他に、刺繍もされます。また、ジャジムという綿の布を織ってバッグなども作るとのことで、実際にその作品を見せてもらいましたが、趣があって、とても丈夫そうでした。「日本の旅行者から教えて欲しいと頼まれたら先生になってくれますか」と聞くと「もちろん!いいですよ」と連絡先をくれました。ガイドさんに託してあるので、ファイブスタークラブのツアーで、できるようになるかもしれません。ご期待ください。

ジャジムで造ったお手製のバッグ

そんな豊かで幸せそうなイランも、暮らしは決して楽ではないそうです。何がたいへんかというと、物価が年々上昇することで、やりくりが大変らしいのです。アメリカを中心とする各国からの経済制裁が主な原因で1979年の革命以降続いています。イランの核開発問題が大きな原因なのですが、原油や天然ガスなどのイランの豊富な資源を活用できないのは、想像を絶する損失に違いありません。ガイドさんに聞いてみると、暮らしぶりは楽ではないけれど、「核開発を断念したくない」というのが一般的な市民感情なのだそうです。


テヘランレイクサイドヒルズ

そんな話を聞くとイラン経済は停滞しているように思いますが、決してそんなことはありません。テヘラン中心部の北部エリアに人工的に湖を造成した風光明媚な一帯があります。現在、その湖周辺は高層ビルの建設ラッシュで、日本式に表現すると「テヘランレイクサイドヒルズ」といった様相です。真新しいきらきらしたモスクや、ショッピングモールも建設中で、完成した暁には海外からの観光客も多く訪れる、テヘランで一番のおしゃれスポットになることでしょう。また、テヘランのみならず、シラーズやイスファハンの目抜き通り商店街も平日の昼間から、たくさんの人出でにぎわっています。夕方頃から、さらに数が増え、道路は大渋滞です。夜10時過ぎくらいから、食べ物や、衣料品、雑貨の屋台も出始めます。もし、経済制裁がなければ、イランはどのような経済発展を遂げていたのでしょう。

目抜き通りの洋服屋さん

ちょっと気持ち悪い


夜10時過ぎても人通りは絶えない

イランとアメリカは犬猿の仲と言われています。さすがにマクドナルドはイランにはなかったのですが、至るところにコカコーラやペプコーラの宣伝が見られます。テレビでもCMが流れています。むむ、これはどういうことだ?ガイドさんに聞いてみたところ、イラン人は何も気にしていないそうです。逆に、アメリカも経済制裁の一環で撤退もしない。きっと、深い事情があるのでしょう。

コカコーラの大看板

旨い!!

ケバブのサンドイッチはコカコーラの方が合う

ペプシも負けてない

ペルシャ文字ペプシ

イランでは、コカコーラやペプシの看板以外で英語の表記を見ることはあまりありません。
イランでは、ペルシャ文字やアラビア文字が主体です。皆さんご存知のように、イランの文字、ペルシャ文字は、アラビア文字同様、右から左に読みます。しかし、西洋数字は、文中にあっても左から右です。ペルシャ文字の数字も同じく左から右です。おもしろいですね。イラン人はアラビア系の民族ではありません。元々はアーリア系の民族でインド人と同じ仲間です。それが長い歴史の中でいろんな民族と戦い、征服されたり、奪い返したりする中で、周辺諸国の文明文化と融合し、現在に至っています。イランの公用語はペルシャ語ですが、アラビア語の影響を大きく受けて、アラビア語に似ている部分が相当あるそうです。従って、ペルシャ文字とアラビア文字も似ています。ガイドさんが言うには、日本の漢字と中国の漢字の違いのようなものだそうです。

ゾロアスター教の象徴・沈黙の塔

大昔のイラン、つまり古代ペルシャで、人類発祥と同時に生まれた!と言われるゾロアスター教は、現代イランでも少なからぬ影響があるそうです。ゾロアスター教は、かつてペルシャの国教でした。ゾロアスター教には3つの教えがあるそうで、とても簡単なので覚えてしまいました。
よい考え
よい言葉
よい行い
シンプルすぎるくらいシンプルです。でも、基本だからこそ深さを感じます。ものの本によると、ゾロアスター教は、善悪二元論的宗教で、簡単に言うと善と悪が闘って最後は善が優位に立つという宗教です。その善の霊、善の神の最高位にあるのが、アウラマズダ、英語でAhura MAZDAで、日本の大手車メーカーの「マツダ」の社名に使われています。他にもペルシャ(イラン)が関係する日本でおなじみの物があります。
イラン南西部の大都市、シラーズ近郊からイラク国境付近までザグロス山脈が延々と続いています。ここを原産地とする果物は中国を経て日本にやってくるなかで「柘榴(ザクロ)」になりました。また、学名Amygdalus persica、Prunus persicaと名付けられている果物は、中国が原産とされ、今度は逆ルートで、シルクロードを伝い、ペルシャを経てヨーロッパに渡ったときに、「Peach」と名付けられました。英語のピーチのPはペルシャのPだったのです。

アブヤーネ村の町並み

もはや糸杉の体ではない樹齢4000年の糸杉

古代から存在した国だからこそ、「へ~」という話題には事欠かないイランです。そんなイランだからこそという話題が他にもあります。ゾロアスター教を国教としていたころの大昔の町並みがそのまま残り、尚且つ今もそこに人々が住み続けているアブヤーネ村がヤズドの近くにあります。この村は観光地として多くの人々が訪れますが、その村の付近には約1800年前に栄えたササン朝ペルシャ時代のお城がいくつも残されています。そのお城は特に重要ではないのか、人が住んでいるそうです。そして、沈黙の塔で有名なヤズド近郊の小さな町・アバルクーに何と樹齢4000年の糸杉があります。ゾロアスター教が栄えていた時代には聖なる樹として崇拝の対象になっていたそうですが、イスラム教の時代になってあまり見向きされないようになったようで、そんなありがたい長生きの樹を見物したいと思う人は少ないようです。ただ、これからは観光地として売り出すそうで、道路整備やトイレの建設が着々と進んでいました。

黒ノンアルコールビール

イラン料理はとても多彩でこの充実の旅を支えてくれました。イランの主食は米とナンです。米は日本米とは異なる長細い米です。ナンは、いくつか種類があるのですが、日本人に馴染み深いインドのナンと違って形も舌触りも味も違います。私は、パサパサしてあまり好きではありませんでした。お気に入りのイラン料理は、「ホレシュテ・バーデムジャーン」と名付けられたナスとトマトのシチューです。それを白いご飯の上にかけて食べるのですが、ついつい食べ過ぎてしまいました。朝昼晩いつ食べても飽きのこない重すぎない、かといって軽くもない素晴らしいお料理です。

大好き!「ホレシュテ・バーデムジャーン」

他には、鶏肉のケバブ料理も絶品でした。挽き肉のケバブ料理や、何かのタレに漬け込んだ料理が多い中、鶏肉のケバブは肉自体の味を大切にしたシンプルなケバブで大好きになりました。ビールやワインに合う料理なので、お酒がないのは本当に残念でした。日本のおいしいイラン料理レストランを見つけて、イランで気に入った料理をお酒と共に是非楽しみたいと思います。

牛ミンチのケバブ

鶏肉のケバブ

イランを旅し、見た光景の中で、主要都市周辺の開発が大々的に行われていたのが印象的でした。テヘラン、イスファハン、シラーズでは、中心部から空港に直結する、電車やモノレール、中心部の渋滞を緩和させる高速道路建設などなど。すべてが完成するのはまだまだ先のようですが、飛躍的に便利になることでしょう。国内線を運航する航空会社も少しづつ増えているそうで、イラン観光はこれまで以上に充実すること間違いなしです。また、どの都市でも学生さんたちの団体旅行グループに出会いました。学校の行事として行われているグループは大型バスで観光です。海外からの旅行客が訪れるような観光地にもたくさんのグループがいました。若いうちにイランのことを勉強してもらいたいという国の、学校の意向なのでしょうか。

やたら騒がしい高校生

これからのイランを背負う医学生たちとガイドさん

是非今のイランに足を運んでみてください。街で出会った学生さんたちはとても気さくで気軽に声をかけてくれました。今、日本でも流行っている自撮り棒を持って楽しく騒ぐグループもありました。イスラムの国は危険という風評がありますが、そんなことは微塵も感じませんでしたし、そんな一元的な考えを決して持ってはいけないと痛感しました。
日本に遊びに来たときも、絶対にお酒は口にしないし、豚以外の肉も、ハラール肉(お祈りを捧げて屠殺した肉)じゃないと口にしない、筋金入りのイスラム教徒であるガイドさんでも、宗教で人々の言葉や行いを制限するのはよくないと言います。宗教は我々を縛るものではなく、信じた人々が信じた道をその宗教と共に生きていけばよいと・・・。
いつでも、どこでも、安心して、海外旅行ができるようになることを願います。
おすすめ度
テヘラン   滞在時間が短かったので判別不可能
シラーズ   ★★★★★・・・古代ペルシャの首都だった歴史の重みと緑あふれる街並みが対照的
イスファハン ★★★★★・・・街並みが美しく心が安らぐ。またヨーロッパ的な重厚な雰囲気もあり
長い歴史を感じる
ヤズド    ★★★★★・・・他の都市とは雰囲気の違うゾロアスター教文化の名残りが色濃く残る
旅行期間:2015年2月25~3月5日
旅人:森裕
このエリアへのツアーはこちら

中近東・東地中海カテゴリの最新記事