5月初旬に中国の人気の観光地、広西チワン族自治区(桂林・陽朔・龍勝棚田・三江)、四川省(成都・峨眉山・九寨溝)上海へ行ってまいりました。これまで中国本土へは4回くらい行ったことがありますが、北京や西安を除く一般的に人気のある観光地は訪れたことが無かったので前々から行きたいとは考えていました。最初に思い浮かんだのは桂林、次に九寨溝が何となく思い浮かび、同じ国なんだから一緒に行っちゃえということで少し長いのですが12日間をかけてそれらの都市へ、父も連れて行くことにしました。
パート1 広西チワン族自治区
広西チワン族自治区はその名のとおり、チワン族が多く住むエリアである。あまりイメージはないが桂林から足を延ばせば少数民族が住む村が沢山ある。その中でも三江や棚田で有名な龍勝は必見の観光スポットであり、桂林に訪れたなら是非訪れたい。広西チワン族自治区の中で桂林が最も日本人に馴染みの深い都市であるが、桂林の人口は広西チワン族自治区の中ではそれほど多くはない。もっとも人口が多いのは広西チワン族自治区の首府、南寧である。
1日目
羽田空港を8:30に出発、北京空港乗り継ぎで桂林へ。
羽田では羽田/北京と北京/桂林の2枚の搭乗券を受け取った。
羽田/北京は約4時間、テレビが座席についていなくてもこのくらいの飛行時間であれば問題なし。
北京に到着。入国審査を受けスーツケースをピックアップ。一旦、国際線の到着フロアに降りる。それから国内線の出発フロアに移動し荷物のみ中国国際航空カウンターに預ける。両替を済ませ(北京空港の両替所でのレートは1円あたり約0.058元だった。つまり1万円で580元くらい。そして国内線の搭乗口へ。
桂林行きのゲート前で父親と合流。コーヒーショップで時間を潰し桂林行きへ搭乗。
ちなみに北京/桂林の国内線もテレビはついていない。
北京を飛び立ち約1時間半。やけに早い到着だと思ったら西安空港だった。そう西安経由の桂林行きだったのだ。西安空港の中で一旦待機し再度桂林行きの搭乗を待つ。西安を離れ約1時間半、ようやく目的地の桂林の到着。
入国ゲートを超えるとガイドの莫さんが待っていた。
日本語が達者な好青年で、若い時の中井貴一に少し似ている。父が「莫」という苗字は珍しいですね、というと莫さんは「チワン族の苗字」です、と答えた。そう桂林のある広西チワン族自治区はその名のとおり少数民族であるチワン族が暮らす区域だ。
桂林の美しい夜景を見つつ本日宿泊するホテル「桂林佰宮精品酒店」へ。
<桂林佰宮精品酒店(旧豊裕国際大酒)>
桂林の中心部から少し離れた3~4つ星の中型ホテル。3年前に改装したようで、非常にモダンでスタイリッシュなホテルになった。ホテル内にはカラオケ店あり。プールやジムなどの設備はないが観光だけを考えれば充分機能的なホテルである。近くにはちょっとした商店がいくつかあり便利。冷蔵庫、バスタブ、ハブラシ、湯沸かし器、スリッパあり。バスローブ、セーフティーボックスはない。WIFIは無料、パスワードは受付で確認すること。
すでに夜10時すぎ、機内食はサンドイッチしかでなかったので、近くのスーパーでカップラーメンを買ってそれを食べて寝た。
2日目
朝食を食べて8:30にガイドの莫さんと合流。まずは桂林観光の代名詞とも言える「漓江下り」へ
<漓江下り>
漓江とは桂林市内を流れる大河。漓江沿いに広がるカルスト地形が織りなす景観が素晴らしく、国内外から年間2000万人もの観光客で賑わう、中国を代表する観光スポットとなっている。
桂林のホテルから約50分、まず竹江船乗り場へ。
船はフェリーが3隻あって、その一つの2階に通された。
漓江下りのベストシーズンは気候が温暖で、景色がはっきり見える秋頃(9月、10月)がベストシーズンと言われている。一方、3月から6月の雨季は霧がかって水墨画のように美しく見応えがある。
この日の天候はあいにく小雨、しかし川を下るにつれ雨足が強くなり水墨画に例えられる風景は一層幻想さを湛えていた。
サントリーのウーロン茶のCMや20元札に使われた黄布倒影がハイライト。雨で霞んではいたものの流石に圧巻。
黄布倒影を超えると昼食の時間。8人掛けのテーブルに10種ほどの料理が運ばれてくる。
出航から約3時間、フェリーの船着場、陽朔に到着。乾季の時期は川の流れがもう少し緩やかなので4時間程度かかるそうだ。
<陽朔>
漓江下りの終着点、陽朔は奇峰に囲まれた小さな村だ。しかし、多くの観光客が訪れるとあっておしゃれなカフェや雑貨屋など、賑やかなエリアとなっている。観光客の中には桂林には泊まらず、空港から直接、陽朔までくるという人もいる。
確かに桂林よりも都会すぎず、地元の人もフレンドリーでお店も入りやすい。ぜひ桂林に来たなら、陽朔で1泊することをオススメしたい。
この日、宿泊するのは賑やかな西街を抜けてすぐの「新西街大酒店」だ。
<新西街大酒店>
その名のとおり西街近くの好ロケーションに位置する3つ星ホテル。1階に売店があるだけでほかに目立った設備はないが観光がメインであれば充分満足できるホテル。ゆとりのある広さのクラシックな室内には冷蔵庫、バスタブ、ドライヤー、スリッパ、無料のWIFIがある。セーフティーボックス、バスローブはなし。
<興坪>
その後、しばらくホテルで休憩をし、興坪へ向かう。
興坪は陽朔から車で40分、漓江の川上に位置する静かで小さな村だ。観光客は多すぎず、村の風景はどこかノスタルジック。いかにも中国らしい光景が広がっている。
通常は漓江下りの途中、陽朔に到着する前に興坪に立ち寄って観光をするのだが、今回雨季で水かさが増しているため、船着場に停泊することができなかった。そのため陽朔に到着したあとに興坪に舞い戻ってきたというわけだ。
興坪でもっとも有名なのは20元札にデザインされた奇峰がここでは、じっくり眺めることができること。クルーズしながら見るのも良いがここ興坪から違う角度でみるのもまた一興。また興坪では知らない人はいないという日本人、林さんが作られた老寨山旅館も訪れたい場所の一つだ。ここの裏山から見る景色はクルーズ船では見られない一味違った趣がある。
それから陽朔へ戻る途中、陽朔郊外に位置する工農橋に広がるのどかな農村の風景「髙田郷」、山の中腹にぽっかり月のような円形の空洞がある「月亮山」、樹齢1000年を超えるという大榕樹景区の「大ガジュマル」を観光。これらの観光地は陽朔から自転車で簡単に行ける距離のためレンタサイクルでくる人が多数見受けられた。
ホテルに戻り、ホテルのレストランにて、陽朔名物ビール魚の夕食。ビール魚とは、魚の種類ではなく調理法のことでビールで煮た魚料理のことを指すようだ。濃いめのピリリと辛い味付けで白いご飯と良くあう、もちろんビールとの相性もよく美味だった。
たった2人のためにいくつも大皿料理が運ばれてきて、さすがもてなしの国中国、とその気前の良さに唸ったのだった。
<印象・劉三姐>
夕食を食べたあとは野外エンターテイメント「印象・劉三姐」を見た。
この舞台は映画監督であり、北京オリンピックの開会式も手がけたチャンイーモウが演出を手がけたことで知られている。言葉はよくわからないがとにかく出演者の数がすごい。次から次へとこの自然の広大な舞台を行き交い、歌に演出に、幻想的な風景が重なり合った大スペクタクルであった。この舞台、毎日2回公演をしており、1回に約3000人が入場するらしい。何ともすごい人気である。当然行き帰りとも渋滞があるので余裕をもって出発しよう。
その後、ガイドさんと西街をぶらぶら散歩しながらホテルへ。
夜の西街は昼間と全く表情を変えて面白い。昼間はお土産屋さんが目立っていたが、夜になると大音量で音楽をかけ鳴らすディスコやバーが「俺たちの時間がきた」と言わんばかりに立ち並ぶ。B級グルメの屋台やアイスクリームなども軒を連ね、客層もすっかり若者だらけ。ガイドさんによると「印象・劉三姐」を見て、西街のバーでお酒を飲むというのが、若い観光客のお決まりのパターンだそうだ。
バーでガイドさんとビールを一杯のみホテルへ戻った。
3日目
朝8:30にホテルロビーでドライバーさんと合流。
この日は陽朔から棚田で有名な龍勝へ。
途中、陽朔郊外にある「遇龍村」を訪れる。
<遇龍村>
漓江での筏下りを楽しめるスポット。この日は桂林到着してから初めて雨が降らない日で美しい峰々を眺めることができた。
その後、私達はガイドさんの知り合いの農家の御宅に訪問。ご自宅を見せてもらう。この辺りの家屋は伝統的な煉瓦造り。夏は涼しく、冬は暖かいそうだ。またご主人が二胡を引いてくれた。遇龍村ののどかな風景とその音色がマッチしており束の間の風情に酔いしれた。
そこから約3時間半、途中に休憩を挟み、龍勝を目指す。岩山の織り成す地形からやがて土山の風景へと変わってゆく。
途中、龍勝の麓の村で竹筒料理の昼食。おこわやスープ、煮物など優しい味の料理が多い。
更に山を登ると、バスターミナルが見える。
個人の観光客はここまで路線バスできて、ここからシャトルバスで登山口の入り口を目指す。
私達は小さなバンで来ていたのでシャトルバスに乗りけることなく同じ車でそのまま更に上の「龍脊梯田」を目指す。
<龍脊梯田>
標高300メートルから1000メートルの間に広がる美しい棚田の景勝地。ガイドさんによると約15年前にフランス人の観光客が飛行機で桂林上空からこの棚田を発見した。しかし桂林の人々もこの美しい棚田の存在を知らなかった。そのフランス人旅行者の甲斐あってこの美しい棚田は世間に知られるようになり、その後徐々に観光地として広まった。約10年前にようやく道が舗装されホテルも建てられ、いまや漓江下りに次ぐ人気観光スポットとなったそうだ。
龍脊梯田はいくつかエリアが別れており、その中の「平安チワン族棚田」にホテルが多くのアクセスも簡単なためもっとも観光客に人気のエリアとなっている。駐車場からは約40分歩いて頂上のホテル「龍穎飯店」を目指す。
なお「平安チワン族棚田」の入り口の村は「黄洛紅ヤオ寨」というヤオ族の村となっている。ヤオ族の特徴は何と言っても長い髪の毛。18歳まで一度も切ることもなく、切ったあとはその髪を地毛と結い上げるという独特な風習を持つ少数民族である。
なお龍脊梯田へ向かう時はスーツケースなどの重い荷物は車の中に置いておき貴重品と1泊分の荷物のみを運ぶ。スーツケースは持っていけなくもないが山道で石の階段を登るのでポーターを頼むこと。ポーターと言ってもホテルスタッフではなくヤオ族のおじさんで平安チワン族棚田の入り口の門をすぎてすぐのところに観光客を待っている。なお往復で300元だという。
なお足が悪い方でも問題ない。ポーターと同様、入り口に籠屋がおり、ホテルまで運んでくれるそうだ。
歩き出すと徐々に棚田が眼下に広がってくる。5月初旬から水はり、5月後半から田植え、10月始めが稲刈りのシーズン。3月中旬から4月中旬は菜の花の咲き乱れる時期となる。ガイドさんがオススメなのは10月の国慶節のあたりで、中国の観光客向けに黄金色に輝く稲穂が一面に広がるという。
私達が登った時期は5月初旬で水が張っていてもいい時期だがまだまだすべての棚田には張っておらず、残念ながら銀色に輝く光景はお目にかからなかった。また桂林の時と同様、曇りがちであったため全景はみることができなかった。
本日のホテル「龍穎飯店」に到着。
<龍穎飯店>
山の頂上近くに位置する温かみのある木造のホテル。設備は流石に、場所が場所なので最小限。部屋は狭目。エアコン、湯沸かしポットあり。セーフティーボックス、バスタブ、スリッパはない。シャワーはあるもののトイレ・洗面所と一体になっておりかなり狭く、浴びる気持ちにはならなかった。ロビーには無料WIFIがある。
ホテルで一休みをしたあとガイドさんと「七星伴月」へ。
<七星伴月>
その言葉通り、北斗七星と月を見たてたような配置の棚田の景観、もちろん龍勝棚田を代表する展望台である。ホテルから約20分、山の頂上を目指して歩く。しかし、やはり霧がかってこの日はよく見えなかった。しかたなくホテルへ戻り、明日の朝再チャレンジすることにした。
6:30から夕食。この日はドライバーさん、ガイドの莫さんを交えて食事。やはり中華は大人数で多くの種類の食事をした方が楽しい。内容はビーフンや豚肉をキュウリと炒めたものなどチワン族の家庭料理。この地方のお米から作ったという甘いお酒が美味しい。アルコールが高い酒が有名な中国だけどこれは飲みやすく体も温まって気持ち良い気分になった。
4日目
朝7時ごろ、昨日も訪れた展望台、七星伴月へ再チャレンジ。
あいにく曇り空、諦めて山道を下ると、登る時真っ白だった棚田が徐々にその姿を現し始めた。
棚田の全景とはいかなかったが、雲の合間から除く棚田はまるでペルーのマチュピチュのような人の手で作り上げたものとは思えない不可思議な景色だった。
8時に朝食のお粥を食べて8:30にホテルを出発。麓の駐車場へ戻る。
龍勝から約2時間半。三江へ向かう。
<三江>
三江は桂林から約3時間、柳州市の街である。古いトン族の伝統的な家屋が残ることで有名。最も大きな見所は市内から約30分、程陽景区である。
<程陽景区>
政府の景観保護区に指定されたトン族の八つの村。周りに近代的な建物が一切ないため、まるでタイムスリップしたかのようにトン族の村そのものを見て回れる。もちろんトン族は現在もここで生活を続けており、文化や風習を守り続けている。木造建築とその瓦の屋根はどこか日本の田舎の風景を思い起こさせる。
程陽景区の中でも最も目を引くのは程陽風雨橋。数ある風雨橋(楼閣のある橋)の中で、1912年に建造され最も歴史があるとともに、全長77.6メートルというも最大の規模を誇る。まるで日本のお城の天守閣を思い起こさせるその建造物は釘一つ使わないというから驚きだ。
また鼓楼と呼ばれる太鼓を吊るした楼閣も見所の一つだ。もともと太鼓は村人達への連絡手段として使われていたが現在太鼓はなく、村のシンボルであり、村人達の憩いの場となっている。中を覗いて見ると年配の男性人がトン族の歌と踊りのDVDを見たり、焚き火で談笑していたりと、まるで日本の田舎の風景だ。鼓楼を離れる時に寄付を求められた。話を聞くと一口10元からで、寄付をしてもらえれば、日本でいう檀家のように鼓楼の周りの石板に名前と寄付の金額を書かれるという。せっかくなので10元寄付をして鼓楼をあとにした。
なお別の鼓楼には年配のご婦人達が集まる「婦人会」もあった。
昼食は、程陽景区の中でトン族の家庭料理。酸っぱくて辛いのがトン族の料理の特徴だという。しかし我々旅行者に出されるものは、辛さや酸っぱさは控えめでとても美味しく食べられる。
程陽景区を観光したあとは三江のホテル「風雨橋国際大酒店」へ。
<風雨橋国際大酒店>
三江鼓楼のすぐそばという最高のロケーションにある大型3つ星ホテル。広々としたロビーと、トン族の鼓楼を模したデザインが特徴的。お部屋は一般的な広さ。バスタブ、湯沸かし器、エアコン、スリッパ、ドライヤーあり。WIFI、セーフティーボックス、冷蔵庫はなし。
ガイドさんと別れ、ホテルでしばし休憩したあと三江鼓楼へ。
<三江鼓楼>
三江の中心地、民族広場のすぐそばに立つ、2002年に建築された巨大な鼓楼。もちろん丸太を組み合わせただけというトン族の伝統的な建築方法を取り入れている。入場料は15元。こちらの鼓楼は階段があり、てっぺんまで登ることができるのだが、他に観光客が一人もおらず、骨組みだけの作りであるから少し怖くなって途中で断念してしまった。私はニュージーランドのクライストチャーチの大聖堂の塔を登ったことがあるのだが、それが1年後クライストチャーチの大地震の時に崩れ去ってからというもの、高いところが少し苦手になってしまった、というは言い訳。夜になるとライトアップされる。
夕食はホテルで。この日も地酒を飲む。「重朔酒」という種類。少し日本人には甘い。
5日目
朝7:30に朝食。風雨橋国際大酒店の朝食はまだまだ観光客が少ないからか食べ物の種類が最も少なかった。
8:30に三江を出発。3時間半かけて桂林へ。
桂林での昼食のあと正陽街へ。
<正陽路歩行街>
正陽街は桂林の中心地、中央広場沿いのショッピングストリート。若者向けのブランドショップやカフェ、ファーストフード店が立ち並び歩くだけでも楽しいエリアだ。夜にもなると屋台が立ち並び一層賑やかになるそうだ。
私達は正陽路歩行街をぶらぶら歩き、両江四湖の一つ、杉湖にある日月塔を見る。日月塔は対になっている、銅でできた塔と銀でできた塔の二つの塔を指す。銅は太陽の光で、銀は月の光でそれぞれ輝くことから日月塔と呼ばれているそうだ。
<盧笛岩>
正陽路歩行街から車で約25分。桂林中心部のハイライトとも言えるのが桂林最大の鍾乳洞、盧笛岩。入り口から出口までの長さは500m、高低差は18mにも及ぶ。この鍾乳洞は地層の調査により約60万年の歴史が生み出したものとして解明されている。漓江下りだけでなく、ここにも桂林の特殊な地層が生み出した神秘の光景が広がっているのである。
そして盧笛岩をあとにし、約50分かけて桂林空港へ。
空港にてガイドさんとドライバーさんとお別れ。
とても腰の低く、日本人への気遣いができる優秀なガイドさんでした。
パート2 四川省
もし中国に興味あるけど最初にどこにいけばいい?という方がいれば、私は迷いなく四川省をおすすめする。四川省は日本人がイメージする中国がすべて詰まっている。まずパンダ、中国の動物と言えば何はともあれパンダだ。四川省はパンダの生息地、故郷である。そのためパンダを保護している施設が多いことで知られている。次に四川料理。日本でなじみ深い麻婆豆腐の発祥の地だ。また担担麺やチンジャオロースなども四川料理が元祖。もはや日本の国民食といっても過言ではない馴染み深い食の都なのである。そして歴史。日本人が好きな中国の歴史、それは三国志。小説、漫画やゲームでおそらく一度は誰もがふれたことがある歴史大河。中国は嫌いでも三国志は好きだという人は多いのではないだろうか。そして自然。これはもう九寨溝など、今や中国の一大観光地であり、中国国民があこがれる神秘の泉である。そしてもちろんショッピング。女性にもおすすめできるお洒落スポット、錦里や寛乍巷子などぶらぶら街を散歩するだけでも楽しい。
桂林から成都までは約1時間30分。
真新しい成都空港に降り立つ。成都空港では女性のガイドさん2名が出迎えてくれた。一人はガイド歴3年の曽(ゾン)さん、もう一人は去年新卒で入ったという周(シュウ)さん。ホテルへは空港から約30分の「派瑞飯店」。
<派瑞飯店>
2012年にリニューアルしたという文化公園近くのホテル。周りには小規模ながら商店があるので便利。
室内はシックでモダンな内装。ドライヤー、エアコン、湯沸かしポット、スリッパあり。バスタブはなくシャワーのみ、セーフティーボックス、冷蔵庫もなし。WIFIは無料。ビジネスセンターと2階にカフェがある。朝食は離れの建物にて。
明日の出発に備えて就寝。
6日目
朝6時に起床。7時に朝食をとり、7:40に出発。
この日は楽山大仏と峨眉山を観光する。
峨眉山では山頂にて1泊するため1泊分の荷物を別にまとめた。
<楽山大仏>
成都市内から楽山大仏へは高速を使って約2時間の移動。しかしこの日は霧が濃く、高速道路が閉鎖され使えなかった。特に冬の成都にはよくあることだそうだ。今の時期は冬ではないが夏先でもたまにこのようなことがあるらしい。仕方なく霧が上がるまでしばらく下道を走る。下道で楽山大仏まで行くと約5時間もかかるという。その場合は先に峨眉山にいってから帰りに楽山大仏を見るという流れになるそうだ。渋滞する下道を走ること約1時間。次の高速道路の入り口では無事、閉鎖が解けており、楽山大仏を目指した。
出発から約3時間。楽山大仏に到着。
楽山大仏は長江の支流、岷江・大渡河・青衣江の交わる地点に位置する世界最大の石刻座仏。高さは約71m、頭部のみで10m、奈良の東大寺の大仏の5倍の高さというから驚きだ。
かつてから大河の合流地点でもあるこのエリアは水害の多発する地域であった。凌雲寺の僧・海通が水害を鎮め、人々に幸福をもたらすことを願い、人々からの協力を求め民衆の力でこの巨大な大仏の建立することを決意。海通はその完成を見ることなくこの世を去ったが、彼の意思を受け継いだ弟子達が90年もの歳月をかけて作り上げた。そして今もこの巨大な大仏は大河の流れを見守り続けている。
楽山大仏には2つの観光ルートがある。一つはガイドブックにも紹介されている仏像のそばをぬうように造られた岩壁の階段を登って観光するルートと、もう一つはクルーズ船上から全体を眺めるルート。通常は前者の大仏のそばを登るルートで観光するが、道幅が狭いため観光客が多いと入場制限がかかり待ち時間だけでも3時間の大行列ができるという。
この日は観光客が比較的少ないため、岸壁の階段を使って観光。階段が多いが移動距離はそこまで長くないため、年配の方でも体力にそこそこ自信があれば問題はないと思う。階段を使うルートであれば下からも上からも、間近に見学でき、その巨大さを実感できる。
楽山大仏を観光後、凌雲寺に立ち寄り、そして昼食。
この旅始めての四川料理、と言っても観光客向けに味付けはアレンジされており、辛さは控えめになっている。特にチンジャオロースがうまかった。チンジャオロースは麻婆豆腐と同様、全国に広まった四川料理の一つ。成都で生産しているビール、雪花と相性がよく、ご飯もすすむ。
<峨眉山>
楽山大仏から車で約40分。楽山大仏と時を同じくして1996年世界遺産に登録されたのがこの峨眉山。少女の眉にその山の形が似ていることから名付けられたこの峨眉山は中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つであり、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)にも数えられている。峨眉山はキョウライ山脈に属し、大きく分けると大峨眉、二峨眉、三峨眉、四峨眉の四つの峰に区別される。総面積は154平方キロメートルに及び、標高は最も高い峰で3099m、観光ルートの最終目的である金頂の海抜が3077mという広大な地形をもっている。豊かな動植物と共に山中には26の古刹を有し、まるで四国のお遍路のように何日間かかけながらお寺参りをする観光客も多いとか。
まずは峨眉山のスタート地点、最初の古刹であり最大の規模の寺院、報国寺を観光。
報国寺は16世紀に仏教寺院。もともとは「会宗堂」の名で仏教・儒教・道教を奉るために建立された。現在は峨眉山仏教寺院の総本山ではあるが現在も仏教の普賢菩薩、儒教の狂接與、道教の広成子が訪問者を迎えてくれる。
報国寺をあとにし1泊分の必要な荷物を持って峨眉山の麓のバスセンターへ移動。バスセンターではいくつかの目的地別にバスが30分ごとに出ており、私達は頂上に最も近い「雷洞坪駐車場」行きのバスに乗り込む。
バスに揺られること約50分。中継地点の零公里にて頂上への入場券を購入。そしてまた同じバスに乗り込み、雷洞坪駐車場を目指す。
更に40分後、雷洞坪駐車場に到着。乗る前は雨は降っていなかったのだが、バスを出ると小雨。山の天候は変わりやすい。標高差も麓のバス停から約2000mもあるので肌寒く感じる。ここから約20分、徒歩でロープウェイ乗り場へ移動。
途中、女性の悲鳴が聞こえたので、すわ何事か、と前方を見やると巨大な猿の群れが、女性が手に持っていた食料を奪い、建物の屋根まで逃走した。次々に現れる猿に女性は落花生の袋にとどまらずビワを詰めた袋までも奪われていた。私達は食料は持っていなかったがガイドさんは手をポケットに入れていると食料を持っていると思われるから手を出していてください、という。なんちゅー傲慢な猿たちじゃ、まぁ猿たちにすれば部外者は人間の方なのだが。
ロープウェイ乗り場にはやけに長い廊下があり、夏の繁忙期になるとこの建物内で収まらず、外に人が溢れるくらいの行列ができ3時間もの待ち時間にもなるそうだ。
ロープウェイを降りるとすぐあるのが本日宿泊する「金頂大酒店」に到着。
<金頂大酒店>
峨眉山の頂上に数件あるホテルの一つ。最近エントランスおよび一部の客室がリニューアルされて非常に清潔感溢れる内装になっている。一般的にツアーで使うのは旧館。それでも地上のホテルの倍以上の値段というから恐れいる。週末や連休になると更にその値段は跳ね上がるという。山の頂上のホテルということで龍勝棚田のホテルと同様に山小屋風のホテルをイメージしていたが、いわゆる市内にある3つ星ホテルとそこまで変わらない。広さや清潔感は至って普通。湯沸かしポット、スリッパ、暖房器具あり。しかしバスタブはなく小さなシャワーブースのみ。また冷蔵庫、セーフティーボックスはなし。ドライヤーはフロントにて貸し出しがある。WIFIはホテルロビーのみ利用可能(無料)。玄関には毎日のおおよその日の出の時間が記載されており気が利いている。
夕食は別館のレストランにて。
お昼と同様、ピリ辛の四川料理は食がすすむ。
明日は早起きして頂上からの日の出を臨むため早めの就寝。
7日目
朝5時に起床、6時にガイドさんと合流し、歩いて金頂(頂上)へ。ホテルからは徒歩5分足らず。
まず高さ48m、世界最大の金銅仏と言われる金色の四面十方普賢金像がお出迎え。この開眼式典には2006年に各国から3000人もの高僧を招いて行ったそうだ。
境内の中を歩き、展望台へ。
ここから景色を眺めるといかにこの金頂が断崖絶壁に位置するのかがわかる。崖の淵に立ち、金殿を見上げる。断崖絶壁の頂上に位置する金殿は美しく荘厳な雰囲気を漂わせていた。今はロープウェイがあって便利だけれども過去自分の足で何日間かかけて頂上にたどり着いた人々はまるで黄泉の国に来たように感じたことであろう。
金殿からは峨眉山の最高峰(3099m)、万仏頂が見えた。
朝7時に朝食をたべ7:40にホテルをチェックアウト。きた時と同様にロープウェイとバスを乗り継いで麓のバスターミナルへ。
10時ごろ、バスターミナル近くにてドライバーさんと合流。成都を目指す。
12:00ごろ成都到着。
昼食は地元の食堂で担々麺と飲茶。なんと担々麺も元来、四川料理だそうだ(飲茶は違うが)。どちらも日本人にとって馴染みのある食べものである。美味しくいただいた。
その後、成都市内観光。まず向かったのは武侯祠。
<武侯祠>
成都は三国時代、蜀の都であった。そのため成都には蜀にまつわる遺跡や資料が数多く残されている。この成都の武侯祠は三国時代の蜀の皇帝である劉備玄徳とその宰相・諸葛亮を祀った祠堂である。元来ここは君主である劉備玄徳の霊廟であったが、三国時代を蜀の観点から綴った「三国志演義」など後世の物語により、諸葛亮に人気が集まった。そのため成都の別の場所にあった諸葛亮の武侯祠の方が劉備の霊廟よりも訪問者が増えてしまったそうだ。部下である諸葛亮の方が君主の霊廟よりも規模が大きくなってしまうのを避けるために、劉備と諸葛亮を祀る祠堂となったのである。
劉備、孔明の他にも、三国志に馴染みのある関羽や張飛、趙雲などの家臣の塑像も数多くあり、三国志ファンであれば心動かされること必須。私も、横山光輝の三国志を幼少の時分、拝読していたので、かなり燃えるものがあった。
<錦里>
武侯祠の観光が終わったら是非、錦里にも立ち寄りたい。このエリアは三国時代から商業の町として賑わいを見せていた。現在は明清時代の街並みを再現し、観光客に人気のスポットになっている。お馴染みのお土産物の他にも、成都のB級グルメ、おしゃれなカフェやバーなどが所狭しと軒を連ねている。夜になると一層雰囲気がでるそうだ。ここのスターバックスは街並みに溶け込むような造りになっていて一見の価値あり。
錦里から車で10分、杜甫草堂へ。
<杜甫草堂>
李白と並び、唐時代の中国を代表する詩人、杜甫の祠堂。
759年、杜甫は戦火から逃れるため甘粛を経由して成都へ居を移した。ここで友人の援助を受け、この浣花渓の畔に藁葺きの家を建て、ここを「草堂」と呼んだ。杜甫が草堂で過ごしたのは計4年間。そこで約240首もの詩をしたため、『茅屋為秋風所破歌』『蜀相』などの名作ここで書かれたものとされる。またこの草堂から題材をとったと思われる作品もいくつか見受けられることから、杜甫の最も充実した創作活動をここで過ごしたものと考えられている。
園内には草堂を再現した藁葺き屋根の家屋や美しい庭園、出土品の展示、資料館など見るべきものが多数。
そして、成都の最後の観光地、寛乍巷子へ。
<寛乍巷子>
清時代の四合院造りの家々が立ち並ぶエリア。寛巷子、乍巷子、井巷子の3本の並行する路地で成り立っていることから寛乍巷子と呼ばれるようになった。この辺りは元々、高級官僚街であり、同じ清時代を再現した街並みである錦里よりも静かで洗練された雰囲気が漂う。売られているものもどこにでもあるような土産物ばかりでなく、趣向を凝らしたお菓子や名産品、若いアーティストの作品など目新しい物で溢れている。バーや高級レストランも多く、夜もまた違った賑わいを見せる。
夕食はホテルそばのレストランで四川料理。
初めて本場の麻婆豆腐を食べる。これを食べなきゃ成都から出られない。
夕食後はホテル近くに川劇の劇場があるということでせっかくなので鑑賞することに。
<川劇>
四川の伝統芸能。といってもお固いものではなく、京劇の下町バージョンというとわかりやすいだろうか。歌に踊りに、二胡の演奏、影絵に寸劇。中でも有名なのは「変臉」である。言葉がわからない私でも特に楽しめたのは影絵と変臉。影絵ときいて地味目なものを想像していたがかなりの職人芸。最初に仕組みがどうなっているかを観客に考えさせるのではなく、まず影そのものに命が宿ったような動きに驚いた。そして変臉。顔を隠したその次の瞬間には別の顔になっている。「変臉」とは役者が一瞬にして仮面(隈取)を変えるという芸である。最初に見た時は子供騙しのマジックだろうと思って、目を凝らして凝視するもその仕組みは解けず。さらには役者達は手を触れないで仮面を変え出すので、こちらはもうただただ驚き、あっけにとられるだけ。驚き、楽しませてくれた1時間だった。
終演後、歩いてホテルへ戻る。
明日は九寨溝だ。朝早いのですぐに就寝。
8日目
九寨溝行きの飛行機に乗るため早朝3:30に起床。荷物をまとめて4:30にホテルを出発。空港には5:00ごろ到着。中国国際航空にチェックイン。
ホテルから朝食のボックスを用意されたので手荷物検査の前にそれを食べる。
成都から九寨溝まで約50分のフライト。
機内では飲み物はおろか食べ物も一切出なかった。
到着が近づくにつれ険しい雪山が一面広がる。
定刻通り九寨溝に到着。
九寨溝空港は標高3500mもの高さにある。
九寨溝空港の出口にてガイドの唐さんと合流。
まず初日は黄龍を観光する。
ガイドさんによると大半は初日黄龍、次の日に九寨溝観光という順序で観光するそうだ。それは成都から九寨溝へのフライトが遅れることが多々あるため、観光時間が比較的短い黄龍を先に組むことで遅れた時のリスクを回避することができるためである。
<黄龍>
九寨溝空港から約1時間。黄龍に到着。
黄金の龍が山脈を昇るようなその姿から人々は、ここを黄龍と呼んだ。
長い年月をかけて棚田のように堆積した落ち葉や小枝でできた池の堤に、透明な溢れるほどの雪解け水。太陽の光によってエメラルドグリーンから様々に色を変えるその景観は神秘的で、夏王朝時代に神を祀る霊廟が造られ現在も幾つかの寺院が残っている。標高5,588mを誇る岷山山脈の雄大な大地と途方もない時間が造り出したこの石灰華段は1992年世界遺産に登録された。
2006年ロープウェイが開通し、遊歩道も整備された。従来は雪宝頂の麓から徒歩で山道を登らなければならなかったが、そのおかげで効率よく観光でき、身体の負担が軽減され高山病対策にもなる。
5月から10月までが黄龍の観光シーズンで、その他の時期は雪深く観光ができない。その時期は黄龍にかわり、「小さな黄龍」とも評される牟尼溝を観光する。
私達は今回、往路はロープウェイ、復路は景色を見ながら徒歩で下山することにした。
まずはロープウェイで山頂付近へ。
ロープウェイ降り場からは起伏の少ない遊歩道が続く。ここから黄龍最大の見所である五彩池まで約1.5km。約200mおきに御手洗いがあるので、寒くて膀胱が縮んでトイレが近くなっても問題なし。こう言ってはなんだが、中国とは思えない気遣い。というよりも自然保護の観点だろうか、やけにゴミ箱も整備されているし、清掃係の方々も目に付く。
黄龍のハイライト、標高3700mの五彩池に到着。
私が訪れた5月はまだまだ水が少なく、水が張っているのは五彩池のみ。6月から黄龍全体に水が張るのだが、6月になると観光客も一気に増える。ガイドさんのオススメとしては10月、国慶節が終わったあとが観光客の数も落ち着き、紅葉も綺麗だという。
しかし五彩池の風景を目の当たりにすると、ベストシーズンではないにしろ、非常に美しい光景が広がり5月でも来た甲斐があったと痛感した。ガイドブックやネットの写真でみるよりも幻想的で神秘的に感じた。
五彩池を一周して、下山道へ。麓のまで約4km。ゆっくり自分のペースで移動。途中、道教の黄龍古寺、ラマ教の黄龍中寺を見物。新しい休憩所や建設中の建物を幾つか見かけた。
争艶彩池に到着。やはり5月初旬は水はなし。この池すべてに青白い水が張ったらさぞ美しいことだろう。
下山開始から約2時間、麓に到着。
山道としては険しくはないが、3000mを超える高地のためやはり高山病の影響か息切れや痺れが多少あった。
黄龍の麓のホテルのレストランで昼食。
早朝からの行動のため、昼食はがっつりたべる。九寨溝のあたりはチベット族の居住地のため、成都とくらべてシンプルな料理が多い。
昼食のあとは九寨溝のホテルへ。黄龍からは約3時間の道のり。
途中、ガイドさんがトイレ休憩のためにお土産物屋さんに寄ってもいいかと聞く、お好きにどうぞ、と私達。
立ち寄ったお土産屋さんは空港のある川主寺エリアにあった。鉱物屋さんで、まさに団体旅行客が訪れるような絵に書いたような土産物屋さんであった。
加工現場を見学させ、客1人に店のスタッフが1人つき、懇切丁寧に説明してくれる。店の出口がわかりにくい。今時こんなところで日本人は買わないだろうと思っていたら、父親が買っていて驚いた。
九寨溝のホテルに到着、ホテルは「千鶴大酒店」。
<千鶴大酒店>
九寨溝名勝区まで車で約5分。標高2000mにある観光に便利な大型4つ星ホテル。場所柄、周りにはいくつかのホテルや商店がひしめいている。比較的新しいホテルで清潔感があり、室内は広め。スリッパ、ドライヤー、バスタブ、湯沸かしポット、エアコンあり。セーフティーボックス、冷蔵庫なし。WIFIはロビーで使用可能。なおアメニティーの歯ブラシなどはなく有料である。ホテル内にはビジネスセンター、カラオケ店、マッサージ屋あり。
この日は高山病の影響か、疲れが取れず、夕食後に早めに就寝。
9日目
ホテルが標高2000mだからか前日までの高山病がおさまる。しかし昨日の昼にどか食いしたためか、それとも不摂生がたたったのか、お腹の調子が悪い。かと言って今回の旅行のハイライトである九寨溝にいかずして旅行社スタッフとは言えない。
朝食を食べ朝8:40にホテルを出発、九寨溝へ。
<九寨溝>
1970年代、森林伐採の労働者に偶然知られるまで、この地に住むチベット族人々以外にこの九寨溝は知られていなかった(チベット族はこれが普通の景色だと思っていた)。ほどなく自然保護区域に指定され、幸いにも人々の手によってその美しい景観が破壊されることなく、維持されることとなった。岷山山脈より流れ込む美しい雪解け水に多量に含んだ石灰質が沼底に沈殿し、棚田のような湖沼の連なりができた。湖の深さや、日の光、水中に横たわる倒木や苔によって様々な色彩が現れ、信じ難いほど繊細な自然美をここに見ることができる。
すでに九寨溝の入り口は黄龍とうってかわって人だかり。ディズニーランド並みに混雑するエントランスを抜けてバス乗り場へ。九寨溝では外部からの車の侵入はできず、景区内は天然ガスを燃料とするバスが運行している。バス停ではひっきりなしにバスがやってきて沢山の人々を詰めて運んで行く。
九寨溝はYの字のような地形をしており、各観光ポイントには路線バスを乗り継いで観光する。
まずはYの字でいえば右側の斜め線、日則溝景区の箭竹海へ。
<箭竹海>
箭竹海とはその名が表す通り、箭竹つまりパンダの好きな笹の葉が沢山生い茂るところから名付けられた。
<パンダ海>
以前このイメージ池で水を飲むパンダが目撃されたことからパンダ海と名付けられた。おそらく箭竹海の笹の葉を食べて喉が乾いたパンダが喉を潤しにきたのでしょう。運がよければパンダと出会える(?)。
<五花海>
そのあまりの美しさから九寨溝を代表する池の一つ。何の淀みのなく池の中に沈んだ倒木がはっきり見える。湖底の藻が光に反射し様々な色彩を放つことから名付けられた。
<珍珠灘瀑布>
流れ落ちる水しぶきが真珠のように見えるためこの名がついた。九寨溝で最大の落差の滝。
<鏡海>
波立たない水面が山々の景色を反射するところからこの名がついた。
日則溝景区を一通り観光したあとで九寨溝の中心(Yの字でいうと合流地点、三叉路)、観光客センターにてバイキングの昼食。
昼食後はYの字の左側、一画目、則査窪溝景区へ。則査窪溝景区の見所は2箇所。
<長海>
九寨溝最大の湖。面積があ93万キロ平方m。深さは80mだけあって深い緑色。
<五彩池>
九寨溝最小の湖。数ある湖の中でも透明なことで知られている。この時期はまだ水量が豊富でなかった。夏にはこの遊歩道に迫るほどになるらしい。
観光客センター方面に戻り、諾日朗瀑布を観光。
<諾日朗瀑布>
幅320mの九寨溝で2番目に大きな滝。
山道を歩き最後のエリア、Yの字の下の縦線部分、樹正溝景区の犀牛海へ。
<犀牛海>
長海についで2番目に大きな湖。
病気にかかった僧が、サイに乗ってこの犀牛海に訪れた。この水を飲んだ僧はたちまち病気がなおったという、こんなチベット族の言い伝えがあるという。実際は九寨溝の水は鉱物が溶け込んでいるので飲むとお腹を壊すそうだ。
犀牛海から歩いて老虎海へ。
<老虎海>
近くの犀牛海と同様、非常にクリアで美しい湖。
<樹正瀑布>
<樹正群海>
九寨溝の滝の中では比較的小規模な滝、樹正瀑布。
流れ落ちた水を辿り山道を歩く。すると美しい樹正群海が広がっている。
<火花海>
水面が静かにさざめき太陽の光に反射する様から火花が散っているように見えるためついた名前。しかしこの日はあまり水面は揺れていなかった。
<盆栽灘>
まるで湖の中に盆栽があるように見える湖。
約6時間の九寨溝の観光を終えた。
注意点を挙げる。
・バスは中国語のみのアナウンスで停車位置がわかりにくいのでガイドさんがいないと苦労しそう。また停まって欲しい場所のところで言わないと降ろしてくれない。九寨溝は広大。やはり見所を知っているガイドさんがいた方が効率よくまわれる。
・思ったより、日差しが強く観光後、鏡を見ると顔が真っ赤だった。日焼け防止対策をしっかりと。
・山の天気は変わりやすい。私達は幸運にも快晴に恵まれたが、快晴が続くことは珍しく、雨が降ることが多いそうだ。雨合羽や折りたたみ傘があると便利。
歩き疲れたので、空港への出発までホテルロビーで待機。ついでに昨日宿泊した千鶴大酒店と共によく利用するという星宇国際大酒店を見学させてもらう。
<星宇国際大酒店>
千鶴大酒店の隣にある、同じ4つ星ホテル。設備も千鶴大酒店とほぼ同じ、千鶴大酒店よりも若干ホテルの規模は小さいのでホテル内の移動は少ないのが幾分か楽。セーフティーボックス、スリッパ、ドライヤー、バスタブ、湯沸かしポット、エアコンあり。冷蔵庫なし。WIFIはロビーで使用可能とスタッフは言っていたが利用できなかった。千鶴大酒店と同じくアメニティーの歯ブラシなどはなく有料である。
ホテルでの待機中はお腹の調子が戻らず、トイレに何度も行く。
午後5時にホテルを出て約1時間半、空港近く川主寺のレストランへ。
お腹の状態が戻らず、ガイドさんに中国の下痢止めの薬を買ってきてもらう。食事はほんの少しだけ食べる。
夕食後、空港へ。
空港は標高3500m、下痢と高山病の振り返しの心配でハラハラしながらフライトの出発を待つ。
遅延が多い九寨溝線だが復路の成都行きも問題なく定刻通り。
成都着。以前もお世話になった、周さんがお出迎え、無事成都の以前と同じ派瑞飯店へ。
とても疲れた&明日早い出発のためすぐ就寝。
10日目
朝4:30起床し5:30にホテルロビーにて周さんと合流。その後、上海行きの飛行機にチェックイン。
中国の薬の効果なく、この日もお腹を下したまま。
成都のガイドさん、周さんとお別れし、定刻通り上海へ。成都から上海は2時間半の移動。
パート3 上海
西洋ネオ・ルネッサンスと最先端技術がスクラムを組み、そのまわりを取り囲むあばら家と中国人のラッシュ。新旧・東西を混ぜこぜにしたようなジャンクな上海の風景。上海は中国の最後に訪れた私にとっては、ファーストフード店とコンビニに囲まれた安息の地だった。中国であって、中国でないような不思議な街。急速に発展し続ける中国のカッティングエッジ、上海はどこに行くのか。
上海浦東空港ではガイドの宮さんがお出迎え。
市内中心部へは約1時間。
まず上海の代表的な観光地、豫園へ。
<豫園>
昔ながらの風景が残る一大ショッピングエリア、豫園。木造の伝統的な江南デザインの建築物が立ち並び、土産物屋に骨董市、屋台やファーストフードに高級レストランまであらゆるものに溢れている。現在は観光客で平日でも賑わいを見せる豫園だが、その名のとおり、かつては明時代に造園された私庭が始まりである。そのためいくつもの古い楼閣や御堂を見ることができる(庭園内に入るには入場料が必要)。上海のお買い物スポットであり、観光スポットとして外せない場所である。
昼食は、豫園でファーストフードを食べる(さすがに毎日中華には飽きたので、たまには食べ慣れたものが食べたくなった)。
豫園を観光後はホテル視察。
まずこの日宿泊する浦江飯店。
<浦江飯店 アスターハウスホテル>
1846年創業、アールデコ調の内装で上海租界時代の面影を現代に伝えるホテル。外白渡橋を渡ったすぐそば、外灘まで徒歩5分以内の好立地。南京東路までも歩いてゆける。古さは感じるがそれ以上にアンティークに囲まれたような上品な雰囲気がある。バスタブ、ミニバー、湯沸かしポット、ドライヤー、セーフティーボックス、スリッパあり。WIFIも使える。
浦江飯店に父親をおいて、私だけ、弊社がよく使うホテルを見学。
<瓢鷹大酒店>
浦江飯店すぐそば、同じく外灘まで徒歩圏内。南京東路までも歩いてゆける。立地が良いリーズナブルなホテルなだけに、同じ料金帯の別のホテルと比べると建物や設備に少し古さを感じる。湯沸かしポット、冷蔵庫、スリッパあり。バスタブ、セーフティーボックス、ドライヤー、WIFIはなし。
<金門大酒店>
人民広場駅のすぐそばの好立地にあるクラシカルホテル。かつては外国人専用のアパートだったらしくネオ・ルネッサンス式の絢爛なロビーが出迎えてくれる。清潔感あふれる室内には湯沸かしポット、バスタブ、ミニバー、ドライヤー、スリッパあり。セーフティーボックス、WIFIはなし。ビジネスセンター、カラオケ、バーの併設あり。
<鉄路大厦酒店>
上海駅の真ん前に位置する3つ星ホテル。上海駅の周辺には見所は多くないが、上海郊外に出る時や、地下鉄を使えば中心地までの移動も便利。室内は一般的なスタンダードホテル。スリッパ、湯沸かしポットあり。バスタブ、セーフティーボックス、ミニバー、ドライヤーなし。
ホテルをチェックしたあとは、自分の足で上海観光。
ほかの中国の都市と違って目に付くのは日本でもありふれているコンビニやファーストフードのお店。地方では見ることはできないが、上海はいたるところにこれらがあるので、ちょっとした買い出しや食事には便利。特にこれまで中国の地方都市ばかり旅して、毎食中華以外の選択肢がほぼ皆無だったので、吉野家やココイチがあるのは涙があふれるほど嬉しい。(夕食はココイチでカツカレーを食べました。日本では滅多に食べないけど。。。)
南京東路をぶらぶらし帰りに外灘の夜景を見ながらホテルに戻る。
この日のお昼頃、中国製の下痢止めが効いたのか徐々にお腹の調子が戻る。最後が綺麗なトイレが多い上海で本当に良かった。
11日目
この日はこの旅行始まって以来の完全フリータイム。そこで長旅の疲れを癒しに「小南国湯河源日式温泉」へ。
<小南国湯河源日式温泉>
その名のとおり上海にある日本式の銭湯、いわゆる大浴場に宴会場やマッサージ施設に休憩所などを備えたスーパー銭湯である。場所は地下鉄10号線の南京東路駅から龍渓路駅へ1本。龍渓路駅からは600m程度だ。
我々はオープン時間の11:00を狙って早めに入館。浴場には一般とVIP浴場があって、我々は折角なのでVIP浴場へ。風呂場でアカスリ、その後浴衣(っぽいアロハ)に着替え、別料金の頭マッサージと耳掃除を追加。計340元なり、約5000円なので日本で考えれば安いけれど、びっくりするほど安くはない。ここはVIP浴場でなく、100元安い一般を選んでおけば良かったかも(どうせオープンすぐだったから混んでなかっただろう)。詳しくは弊社スタッフ、森の旅行記を参考に。
その後、父親と別れて私のみ中山公園駅近くの巨大ショッピングセンター、カルフールへ。日本にはない一風変わったテイストのお菓子や食材などが豊富にあり、お土産選びに最適。沢山買い込んでホテルへ。
最後のホテルはバンヤンツリー上海オンザバンド。
<バンヤンツリー上海オンザバンド>
上海北外灘に位置する雄大な黄浦江沿いのラグジュアリーホテル。すべての客室はリバービューとなっており、60m平米と非常にゆとりのある造り。特にすごいのはロマンチックプールルームというお部屋。なんと部屋一面ガラス張りの真ん前に大きなジャグジー。個室なのになんたる開放感。ハネムーンやカップルにぴったり。もちろんすべての部屋に、バスタブ、セーフティーボックス、スリッパ、湯沸かしポット、エスプレッソマシーン、無料WIFI、ドライヤー、ミニバーを完備。館内にはジムやプール、もちろんバンヤンツリースパも。レストランは3つあり、その内1つが寿司バーとなっている。地下鉄まで歩くには距離があるが、ホテルの目の前にはタクシーを呼んでくれるスタッフもおり、タクシーもメーターを利用してくれるのでそこまで不便ではなかった。
最後の晩餐は寿司バーで。
12日目
朝7時に宮さんと合流し、空港へ。
短いようで長かった中国旅行もこれでおしまい。後半、高山病と下痢に苦しめられたが思い返すといい経験だった。これでお客様に事前にアドバイスできるってものだ。中国の方の名誉のために言いますと、一緒に行動していた父はお腹を下すことがなかったのでやはり私の不摂生がたったのだと思います。
しかしよく考えると12日間旅をしても中国で全33行政区ある内の2つと1都市しか、訪れてないわけで、中国でいう「省」という括りは「国」と同じくらいの響きと濃密さをもっていることに驚愕。
また龍勝棚田や九寨溝のように近年になって発見されたように、地元の人しかしらない世界的な観光地がまだ眠っているかもしれない。
恐るべし中国。日本から近い国にこんなに素晴らしい観光地が沢山あるなんて。だから中国の旅行はなかなか終わらない。
http://www.fivestar-club.jp/search/?city=J40
2013年5月 橋本
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