印象派を巡る旅 ノルマンディーとイル・ド・フランス

印象派を巡る旅 ノルマンディーとイル・ド・フランス

フランス観光開発機構主催のFAMツアーに参加させて頂きました。
印象派のゆかりの地を巡るのがテーマでフランス北部、ノルマンディー地方とパリ近郊、イル・ド・フランスを訪れました。
主な訪問地は
①ジヴェルニー
②ルーアン
③エトルタ
④ルアーブル
⑤オンフルール
⑥パリ・モンマルトル
⑦オーヴェルシュルオワーズ
です。
これらを順に紹介します。


●モネが過ごした村・ジヴェルニー
旅の始まりはモネが晩年を過ごした村として有名なジヴェルニーから。

パリ・シャルルドゴール空港から車でおよそ1時間、ノルマンディとイル・ド・フランスを隔てる小さな村。
セーヌ川が近くに流れるこの村の第一印象はとにかく静か!秋になってちょっと観光客も少ないが、地元の人の気配もほとんどない。ここでモネは1883年から亡くなられた1926年までの43年間暮らし、創作とそれ以外ほとんどの時間を庭いじりに費やした。自ら手入れをしたこの庭から閃き、着想が生まれた。そしてあの名作「睡蓮」が描かれた。多くのガイドブックにも同じような写真が紹介されているくらい、あまりにも有名。
竹林、しだれ柳、太鼓橋など随所に日本趣味が表れている。



その睡蓮を手がけたとされるアトリエは見学可能。

また、モネが住んでいた家はピンク色の壁とグリーンの窓が目を惹く

家の内部は見学可能だが撮影は不可。モネが収集した日本の浮世絵が多く飾られており非常に影響を受けたことが感じられる。この庭園は花咲き乱れる風景が見どころだが、あいにくの天気で花の美しさを撮ることはできなかったが夏のシーズンに来ていたらもっと多くの写真を撮ったに違いない。


●ノルマンディーの歴史的中心地・ルーアン
ジヴェルニーから車でおよそ1時間かつてノルマンディー公国の首都として栄えた古都ルーアン。
ゴシック様式の大聖堂や教会、大時計などから町そのものが美術館と言われているほど美しく、静かで上品な印象を持った。

ルーアンは15世紀にジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた街としても有名で火刑がおこなわれたビュー・マルシェ広場にジャンヌ・ダルク教会がある。

また広場の周辺にはノルマンディー地方に特有の木組みの建物が多いのが特徴。

広場の先がメインストリートの大時計通り。大時計のある建物が目印でここをくぐると1番の見どころ、ノートルダム大聖堂が姿を現す。

11世紀に建てられたこの大聖堂はモネを魅了し、かの有名な連作が生まれた。大聖堂の前の建物が現在はルーアン観光局になっている。その2階がモネの作業場だった。ここでモネは時間の違いによる光の微妙な変化をとらえて連作に取り組み、印象派の代表的な作品であるルーアン大聖堂を足かけ2年で31枚描いた。つまりこの窓から大聖堂を見ることで多少なりともモネの足跡をたどることができる。
実際にここでモネと同じアングルで大聖堂を描く絵画教室が開かれている。


ノートルダム大聖堂の中に入るとこれが名のとおり大きく、ステンドグラスがとても綺麗。

内部の見学を終え北側の袖廊から通りに出るとルーアンの歴史を感じさせられる古い木骨組み
の家が並んでいる。そして骨董品屋や銅板画の工房などが多くある。


続いて訪れたのがルーアン美術館。

ここで大聖堂の連作の1枚が見られる。

印象派のコレクションが充実しているこの美術館はたっぷり楽しめる。

ここと後で行ったアンドレーマルローの2つは内部の撮影がOKだった。
ルーアンは1日で周れるほどの広さ。あいにく行けなかったが市内には大聖堂のほかにもサン・マクルー教会やサン・トゥーアン教会などゴシック様式の宗教建築が数多く残されている。
●断崖絶壁の景色・エトルタ
次いでエトルタへ。モネとクールベが題材に描いた断崖が有名な地でノルマンディ地方のシンボルの1つ。
海に向って左が下手、アヴァルの断崖

右が上手、アモンの断崖と呼ばれている。

車で上手から入って海岸通りを歩いて下手の方まで見学した。ブーダンやクールベなどこの景色に魅了された画家たちがここで描いた作品が数多く残っている。モネがバトードペッシュを描いたことを案内する看板や

ルパンの「奇厳城」のモデルとなった針岩を間近で見られる

ここも天気が良くなかったためか、残念ながらあまりぱっとしない。海岸線や崖もそれほど感動するような風景でもないというのが正直な感想だ。が、それが歴史に名を残す天才画家と凡人の差なのだろう。彼らの目には全く違う景色に映っていたはずだから。
●印象派の呼び名が生まれた世界遺産の港町・ルアーブル
エトルタから30キロの距離にあるルアーブル。ここはモネが「印象・日の出」を描いた町、そしてこの絵が後の「印象派」をいう絵画潮流の名称となった記念すべき町である。(これはモネとブーダンが見た風景の看板)

ル・アーブルはノルマンディー地方で人口が一番多い。モネは5歳からここに住み、絵を描いていたところ、隣町オンフルールの画家、ブーダンの目に留まったことが縁で、屋外での創作活動を開始したという、いわゆる因縁の港町でもある。
第2次世界大戦の爆撃によって壊滅状態になったがその後建築家オーギュストペレの手で復興を遂げた。戦後時代の建築と都市計画の優れた例証と評価され、中心街が世界遺産に登録されている。

さすがに町全体が新しくて綺麗だというのが第一印象だ。
アンドレ・マルロー美術館はフランス国内でも印象派の作品をオルセー美術館、ルーアン美術館に次いで多く所蔵している。印象派の先駆者、モネの師匠ブーダンの絵が中心で、モネ、ルノワールの作品も数点観られる。

館内はそれほど広くない。自分が知る限りの美術館とは違って造りがおしゃれ。明るく開放的なので見学しやすい。

サンジョセフ教会はルアーブルの象徴的存在。

教会らしくない近代的なコンクリートの建物が特徴で内部のステンドグラスは必見

一歩足を踏み入れた途端にその溢れる光の種類に驚く。ステンドグラスは四方、さらに塔の上まで張り巡らされていて教会中の床や柱に様々な色を落としている。外観はとても教会に見えない、新宿あたりにありそうな高いビルだ。
この高さから航海中の船には灯台の役目も果たしているらしい。
●平穏な港町・オンフルール
印象派の画家たちを魅了した港町として有名なオンフルール。現在もたくさんのアートギャラリーがある。
細い路地を歩くのが楽しく、その小路地を抜けてから突然視界に飛び込んできた旧港の風景の第一印象は期待を裏切るほど鮮やかで感動的だった。


夕方から夜にかけて、違う時間帯に来て見るとその表情が変わっていてとても気に入ってしまった。


小さな町の中にちょっと面白そうなお店がいっぱい並んでいて人が少ないのに活気を感じた。


サントカトリーヌ教会は15世紀に建てられたフランス最古で最大の木造教会でモネやブーダンら多くの画家によって描かれている。

向かいに鐘楼が建っている。

前を歩いていると聞こえてくるパイプオルガンの演奏ははっきり言って下手なのに、その音色はノスタルジックな響きで心地よく感じるから不思議だ。

オンフルールはモネの師匠、ブーダンの生まれた町で、ウージャーヌブーダン美術館がある。ここには彼の作品をはじめとした印象派の絵が数多く集められているので見る価値の高い美術館だと思う。

ブーダンはアトリエで描くことが主流の時代に、屋外で描くことの素晴らしさを感じ取り、モネを誘って教えていたらしい。
内部は撮影禁止のため写真は残せなかったが、美術館の3階からの眺めは撮ることが出来た。

●風車のある風景パリ・モンマルトル
パリの北部モンマルトルは印象派を語るには欠かせない場所であろう。地下鉄PIGALLE駅の近くまで車で行き、そこから徒歩でABBESSES駅へ、そして左に曲がって坂を上がる。ここから散策が始まった。

途中ゴッホ兄弟が住んでいたアパートの前を通る

名作パリの眺めはここで描かれたという説明を聞く。(この写真がモデル)

人通りの少ない静かな坂を上りきるとソール通りにぶつかり徐々に人が増えてくる。

セザンヌの描いた「モンマルトルのソール通り」を歩くなど作品に残されている場所を辿りながら街を歩いた。

中心地からちょっと離れた静かな場所、そして石畳の坂道を歩いているとヨーロッパに来たとことを実感する。
坂の途中にル・ムーランドラギャレットが見えてくる。

ルノアールの名作ル・ムーランドラギャレットはここで描かれた、と考えると普通は感慨深くなるのだろう。教科書など非常に良く目にする有名な絵だが残念ながらロック好きの自分には昔聴いたロッドスチュアートの“ナイトオンザタウン”のジャケットの印象の方が強い。愚かにもあちらがオリジナルだと思っていた時期がある。
ここでランチを取った後はシトロエンの2CVのオープンカーに乗って街から市内へと駆け抜けた。

冗談半分で通行人に手を振ると珍しがって群がって写真を取りに来る。ほんの1、2分の出来事であったが、冴えない日本のサラリーマンオヤジがパリでスター気分を味あわせて頂き、まさに夢のよう。
それで気を良くし、というよりその前のワインがまわってきたのでそこで眠ってしまい、その後ほとんど記憶と記録が残っていない。やはり夢か?
モンマルトルは地下鉄のアクセスも良いのでパリに滞在するなら是非印象派のガイドブック片手の散策をお勧めする。
●ゴッホの眠る地、オーヴェルシュルオワーズ
パリから車でおよそ1時間ゴッホの眠る地、イル・ド・フランス地方のオーヴェルシュルオワーズへ。
ちなみにここはオーヴェル駅からも近いのでパリからなら日帰りで、個人旅行でも簡単に行ける。
まずはオーヴェル城。”城”という感じはあまりせず、むしろ資料館のようだ。


中はテーマパークのようになっていて様々な仕掛けがされている。ヘッドホンから日本語が流れてくるので映像を眺め、
ちょっとしたタイムトリップ体験をしながら印象派についての知識を深めることができる。

★アプサント試飲

印象派の画家たちが好んで飲んでいたお酒、アプサントは緑の妖精ともいわれ、ゴッホの作品のなかでもよく描かれている。ハーブ、スパイスが成分のいわゆる薬草系カクテルで薬臭くてクセが強いのが特徴。アルコール度数が70くらいあるらしくかなり強い酒。ドクターぺッパーやチェリーコークが好きな人ならOKだろう。ちなみにこのテイストは私のお気に入り。グラス半分程度なら酔わないが1杯くらいで十分か。3杯飲んだら潰れてしまうだろう。

ほろ酔い状態でいよいよメインであるラブーの宿屋へ。

ここはゴッホが37年の生涯の中でわずか70日、そして最期の70日を過ごした家、その間に「オーヴェルの教会」「カラスのいる麦畑」「ドービニーの庭」をはじめ、70点もの作品を描いた、ゴッホを理解するには外せない重要な場所だ。
専属ガイドさんの説明を聞きながら中に入る。

内部は見学が可能でちょっとしたゴッホのグッズも売られていてゴッホが息を引き取ったと言われる部屋はそのままの状態で保存されている。ゴッホは「カラスのいる麦畑」」について“あえて悲しみと絶対的な孤独感を表現しようとした”とコメントしているがまさにその悲しみや孤独感、さらに苦悩に満ち溢れた部屋という感じが伝わってきた。

次いで実際に作品の舞台となったところへ足を運んでみることに。
まずは「オーヴェルの教会」のモデルとされたことで有名になったノートルダム教会へ。
この教会は11世紀に建てられたゴシック教会。
村にある普通の教会であったが絵のおかげで一躍有名になった。

教会を見た後はお墓参りをさせていただいた。向って左がゴッホ、右が弟のテオのお墓。

その後、お墓のすぐ近くにある「カラスのいる麦畑」の描かれた場所へ歩いて行った。


写真で見るとかなり暗いが肉眼ではもう少し明るい時間帯だった。
まさに日の暮れる時間帯だったのでグロテスクな空気を体感することができたことが個人的にはかえって良かったと思う。
以上でツアーは終了だが帰り道に教会の前をもう一度通った。日が沈んでから見ると別のものに見える。
こっちの方がゴッホの絵のイメージに合っていると思う。

やはり名所と言われる所は一度ではなく何度かに分け時間帯を変えて行くのが良いんだということを感じた。
この村は1日もあれば歩いて周れそうな広さなので個人で訪れてゆっくり自分のペースで動くことをお勧めしたい。
最後はパリにも滞在し、セーヌ川ディナークルーズなど、いわゆる鉄板のパリ観光も楽しませて頂いた。
この旅を通じてあらためてフランスの持つ歴史の深さ、観光資源の多さに驚き、さすが観光大国フランスと感じた。
同時に、パリのような都会もいいがやはり人の少ない町や村を歩くのが個人的にはあっているということも確信した。

印象派という言葉はなんとなく聞いたことがある・・・というかなり低い見識で臨んだ今回の旅。
ゴッホやモネの絵は教科書でなんとなく見たような、ルノアールは学生の頃よく通った喫茶店に飾ってあった絵を見たような・・そんな芸術に対して著しくレベルの低い私をある程度常識のある大人へ覚醒させてくれるような旅であった。
生きている間に見ておいて良かったと感じたとことが多くあった。しかもまだ余韻が残っていて帰国後もあらためて印象派に関する文献をチェックしている。そこで今回聞き忘れたことや撮り損ねた場面、もちろん他にも行っていないゆかりのある場所、美術館が沢山残っていることに気づいたのでいつか取り返しに戻ってみたいと思う。

訪れた場所の順位をつけるのはあまり好きではないがあえて挙げるとオンフールの細い道から港へ視界が開けた瞬間がもっとも”印象的”であった。食事も美味しかったので是非もう一度行ってみたい場所だ。
今回は同行者にも恵まれたとても楽しい旅であった。各地の観光局の皆様、ガイドさん、ドライバーさんなどの多くの方々の協力で非常に”印象”に残る旅となった。最後にこの場を借りてお礼を申し上げたい。
2012年11月  櫻本

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