あなたは「アフリカ」と聞いて何をイメージするだろう。それは壮大なサバンナを駆ける野生動物、枯れた草原で家畜の群れを追う少年、頭の上にバスケットや壺をのせカラフルな衣装を纏った女性が集まる賑やかなマーケット、粘土の家で住み独特の装飾品で身を飾る民族、壮大な自然に国境を隔て悠々と流れる大河、などだろうか。実はカメルーンは皆さんの想像する「アフリカ」が全て揃った国で、それが“PETIT AFRICA(アフリカの縮図)” と呼ばれる由縁なのである。そんな魅力溢れるカメルーンの旅をご紹介したい。
ドゥアラ到着
バンコク、アジスアベバを経由し、ドゥアラ国際空港に到着。まず「health」と書かれたカウンターでイエローカードのチェックをしてもらい、その後、入国審査を受ける。インド人らしき人がビザに関する書類、イエローカードをスーツケースに入れてしまって手元にない、と言って騒いでいた。何をやっているんだか・・・・ ドゥアラ空港はとても小さい空港だ。この空港にはなんと両替所がない。ガイドさんに頼んで両替人にユーロから両替をしてもらおう。レートは公式レートで1ユーロ=650CFA(セーファーフラン)。地方に行くとレートが悪くなるので、旅行中に使うお金を全て、できればドゥアラで替えておこう。私が替えたのは300ユーロで、食事代、お土産代など現地8泊でちょうど使い切った。CFAフラン(セーファーフラン)は、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする地域で用いられる共同通貨で、カメルーン、チャド、中央アフリカ、赤道ギニア、ガボン、コンゴ共和国で使われている。空港からドゥアラ中心部までは車で約10分もかからないほどだ。
首都はヤウンデで、経済の中心地はここドゥアラ。 ドゥアラは海に近いので非常に湿度が高い。到着した日は日曜日で、宿泊したイビスのエリアは政府関係の建物もあり、高級官僚が住むエリアでもあるので、ひと気が少なかった。1903年に建てられたパゴダを外観からみて、その後カテドラルを訪れた。シンプルなカテドラルで、内部の天井は木で作られていて、熱心にお祈りする人の姿もみられた。宗教はキリスト教、イスラム教、またはその土地独自の宗教があり、宗教の自由が認められ、お互いに仲良く共存している。この国で気をつけたいことは、政府の建物や、警察、軍隊を写真に撮らないこと。撮っているのを見かけられたらトラブルの元になるので撮らないように気をつけよう。
その日の夜はカメルーン料理に挑戦してみた。写真の左上はとうもろこしで作られたフフ、右上がヤム芋、左下がジャマジャマでひょうたんの種も入っている。右下はンゴレでえびやピーナッツソースが入っている。味付けはおいしい。
この国はビールの消費がアフリカの中でもかなり高く、カメルーン産ビールも沢山の銘柄がある。ビール以外のアルコールの入手は難しいがビールは安く、暑い中飲む冷えたビールは格別の味だ。
カメルーン山麓の町ボイアと海沿いのリンベ
翌日、西アフリカ最高峰、4095mのカメルーン山の麓の街、ボイアを訪れた。トレッキングを楽しむ人もこの街を拠点にする。2月2週目には毎年カメルーン山レースが行われ、昇る早さを競う。この街自体も標高が高く、ドゥアラのような湿気もなくさわやかな気候で、かつてドイツが支配していた時代もドイツ人はドゥアラの暑さに辟易し、首都をここボイアに移したという。また、首相の別荘もここにある。紅茶の茶畑もある。残念ながらこの日は曇っていたため、カメルーン山をみることができなかった。
途中、バナナのプランテーション、ゴムの木が林立する採取場も通った。この国から輸出されるものはバナナ、ゴム以外にカカオ、コーヒー、紅茶、重油など。
次に訪れたのが海辺の町、リンベだ。カメルーンは200ほどの民族、言語があり、公用語として話されるのはほとんどフランス語だが、わずか2県だけ英語が公用語の県があり、リンベはそのうちの一つである。1982年、この街の名前をビクトリアからリンベに変更し、85年にイギリスから独立したそうだ。昼ごはんはビーチ沿いのレストランにて魚を食べた。このビーチはカメルーン山の噴火の影響でビーチの砂も黒い。でてきた魚はbar fish という魚でとても大きく、肉厚でとてもジューシーで本当に本当においしかった。ただ焼いてあるのではなく、ソースを塗りながら焼き、マヨネーズ、チリソースをつけてたべる。カメルーンでは何度か魚を食べてどれもおいしかったのだが、ここで食べた魚が一番おいしかった。頭だけ残して全部たいらげたが、ガイドのジョージさんが「頭がおいしいんだ、残すならください」というのであげたら、バリバリかじって全部食べてしまった。日本人も魚を食べるのはうまいけど、ガイドさんも上手で骨だけ残して猫のようにきれいに魚を食べていた。魚に添えてでてきたのがプランテインバナナ、キャッサバぞえだった。プランテインバナナは調理用バナナでだいたい揚げてあるか焼いてあるかだが、ほんのり甘く食べ応えもあっておいしい。この後の食事もほとんどこのバナナを頼んだほどだ。選択肢としてはフライドポテト、パスタもあるけどフライドポテトは日本でも食べれるし、パスタは離乳食のように柔らかく茹でてるので、結果としていつもプランテインバナナを頼んでしまう。キャッサバは世界史の教科書で名前だけは聞いたことがあったけど、食べたのは初めてで、ぷにょぷにょしてて、固めのゼリーで無味無臭。食感が楽しい。地元の人も来ていて、のんびり海を眺め、風にあたりながら、ビール片手にビーチで過ごす時間もとても楽しかった。
次に訪れたのがリンベ郊外にあるワイルドライフセンターだ。ここはカメルーン国内で傷ついたり、親とはぐれてしまった動物の保護をしているほか、近隣の子供たちに野生動物の大切さ、乱獲しないように教育をしているそうだ。動物はチンパンジー、ナイルクロコダイル、オーランドゴリラ、マンドリルなど。ゴリラを間近でみるのは初めてで、マンゴーの実に石を投げて落とそうとしていたり、観察していると知能の高いことがよくわかった。ここで働いているスタッフにガイドを頼むことができ、施設のこと、動物のことを詳しく教えてくれるのでお勧め。
その次に訪れたのは植物園。残念ながらガイドは不在にしていたが、とても広かった。
カメルーン北部へ
翌朝、CAM AIRに乗り、マルーアへ。国内線に乗る際は空港税を1000CFAを空港で払う。国際線の場合は10000CFAを払おう。ゲートや電光掲示板もなく、人の気配を感じる方へ進む。
マルーアに到着するとドゥアラのような湿気はなく、からっと爽やか。昼間はさほど蚊も飛んでないようだ。この日は火曜日で、ガイドさんにお願いしてプスの火曜市に連れて行ってもらうことになった。ドゥアラ近郊とは違い、マルーアを少し離れると道路が舗装されてなく、道ががたがたしているので、徐行する場面も多々あった。マルーアを出て大体2時間ほどたち、ロゴン川のほとりにて降りた。川の向こう岸はチャド。この川はチャド湖に流れる。中州で洗濯をしている人や、子供たちが遊んでいる。子供たちが手を振ったり、踊ったりしていて、こちらも踊り返したら無邪気に応えてくれた。
その後30分ほどでプスに到着。まず、プスの博物館のようなところ、昔の風習を忘れないように残している家屋を訪れた。ムスグン族が住む村である。松ぼっくりを半分に切ったような変わった家で、粘土でできている。これをひとつ作るのに大体半年はかかるそう。てっぺんは穴が開いていて、そこから光が入る。外は刺のようなでっぱりがあり、雨が降ったときはこの刺のようなところに足をかけて登り、てっぺんに蓋をし、雨を防ぐことができる。この家が二つ並んでコネクティングルームのようになっているところがあって、そのつながっている部分、隣の部屋の入り口は体をかがめないと入れないほど小さい。それは敵が万一攻めてきて中に入ってきたとき、体をかがめて入ってきて、頭だけ出たところを狙って、首を落とすことができる造りになっている。一夫多妻で、一つ一つの家にそれぞれの奥さんとその家族、家畜が住むそうだ。
その後、プスの火曜市に訪れた。週に一度の市場で近隣の村から多くの人が押し寄せる。頭の上にバスケットや壺をのせ、鮮やかな衣装を纏った女性はもちろん、老若男女問わずたくさんの人々が集まるマーケットで、人々の生活を感じることができる。大きな規模の市場で、生鮮食品、家畜、日用品、粟のビール売りを求め、たくさんの人々で賑わっている。やはり目がいってしまうのは、女性達。黒い肌にカラフルな衣装がよく映え、とても似合う。私はこの中ではまるっきりの異邦人で、とても浮いているのがよくわかる。が、西アフリカを初めて訪れる私にとって、市場の風景は今まで知らなかった世界との遭遇で、人々の息吹を感じられるのはとても新鮮で楽しかった。日本とは遠く離れた地で、まったく違った文化を持って暮らしている人々。その中に身をおけること自体が新たな発見だった。
その日マルーアに泊まったホテルはポルテ・マヨ。フランス人がオーナーらしく、広々とした庭に、その土地の家をイメージしたロッジが建ちかわいらしい。お部屋はとてもシンプル。レストランとしても営業していて夕食時は欧米人が集まる。キャンドルライトで楽しむ夕食はちょっとムーディーな感じ。お土産屋さんも併設していて、ちょっと値段は他より高めだけど、その店のオリジナル商品が置いてある。この地域は皮製品が有名で、マルーアにもタンネリがあるのだが、ここにも可愛い財布、かばん、サンダル、変わったデザインのワンピースなど売ってある。
賑やかなモコロ水曜市へ
翌日、モコロの水曜市を訪れた。モコロはマルーアから車で約2時間弱ほどかかる。モコロはマファ族の村で、この界隈の村への主要アクセスが集まりハブとなっている村だ。この市場も大規模な市場で沢山の人でごった返す。それぞれの市場で売っている粟のビールは大きな壷に入れて売られている。ちょっと試飲させてもらったが、すっぱい。でもそれぞれの村でその酸っぱさ加減がちょっと違う。一緒に試飲した旅人のドイツ人が「普通のビールのほうがいい」と言っていたけどドイツ人に言わせればそりゃそうかもしれない。かなり乾燥しているこの土地では買い物に疲れた人々が立ち寄る憩いの場所に違いない。市場では沢山女性がいるので写真を撮りたいのだけど、写真を嫌がる人も多いので正面から撮ったり、表情を撮るのは難しい。無理に撮るとトラブルにもなりかねない雰囲気なので、遠くから望遠で撮るのがよいかもしれない。
世界一の奇観、ルムシキと名物カニ占い
モコロの市場の後、向かったのはルムシキ。乾燥した大地にニョキニョキと突き出し塔のようにそびえる数々の岩山が眼下に広がる景色。まるでスターウォーズのワンシーンかのような奇観がルムシキの最大の見所だ。ナイジェリアの国境も近い。
今回泊まったホテル、ルムシキロッジはプールサイドでこの景色が一望できるのが何よりの自慢で、ここで夕暮れ時に変わりゆく空と山々を眺めビールを飲むのも一興だ。
この村ができたのは人々がナイジェリアから山を越えて定住し始めた約100年前で、「ルム」は山、「シキ」はこの場所を見つけた男の名前だ。その当時からこの村にはカニの動きで占いをする、なんともユニークな「カニ占い」師がいる。村の人々は悩み事や未来のことが知りたいときに占い師に会いに来、占い師はカニの動きで未来を占う。占いは大好き!早速私も占いをしてもらう。占い師は笑顔が可愛いおじいちゃんで、しぐさや動きもかわいらしい。カニはサワガニをイメージしていたけど、結構大きくて立派なハサミを持つ。カニの名前はDRAちゃん。えさはヒエや粟。2ヶ月に一回ぐらい、占い用のカニを取り替えに川へ行くそうだ。おじいちゃんがカニを手に取ろうとしたとき、カニはハサミでおじいちゃんの指を挟んでいた。飼い犬ならぬ飼いカニに手をかまれたおじいちゃん。おじいちゃんはそれを日常茶飯事のように何事もなかったように動じない。まず、占って欲しいことを伝えると、このおじいちゃんはカニを手に取り、カニにモジョモジョと話し、占う内容を告げ、そしてプップッと唾をふきかけ、箱庭のような沢が作ってある壷の中に入れる。蓋をして待つこと3分。(カップラーメンのようだ)蓋を開けるとカニが中の瓦礫をどのように動かしているかとか、カニがどのようなポーズを取っているかで占う。ちなみに私は後何年で子供ができるかを占ってもらった。1年から3年後らしい。夫婦の仲も末長く安泰だそうだ。・・・でも、占い師ではない人に「何年後に子供ができる?」って聞いたら、妥当な答えできっと同じ事を答えるのでは?と一瞬そんなことが頭をよぎった・・・が、いやいやいや、由緒ある占い師がそう言っているのだからここは素直に信じるとしよう。あと、家族の健康についても占ってもらったが、こちらも良好に進むそう。おじいちゃんの笑顔と優しい目を見ていたらきっと未来は明るいに違いない、そんな気がしてくる。最後に足に水をかけてもらってお清めをしてもらい、占いは終了。占い師は世襲制のようで、自分に死期が近づいたと思ったら子供たちを集めて、カニ占いの手ほどきをするそうだ。
ルムシキでは川からとれる鉄を含んだ粘土で作る陶器、綿の製品も作られている。
瓢箪の帽子がユニーク!トゥール木曜市
翌日、ルムシキを発ち、トゥールの木曜市を訪れた。なんともここがユニークなのが、既婚女性が瓢箪でできた帽子をかぶり、釘のような金属を鼻にさす風習のあることだ。何とか写真に収めたい、と思うものの、女性は写真を嫌がる。そんな彼女らのシャッターチャンスは粟ビールにほろ酔いの瞬間!例え「今、私を撮ったでしょ!」と言われても「まぁまぁまぁ、飲んでくださいよ」とビールを注げば上機嫌。よく見ると彼女たちは自分の瓢箪の帽子を杯の代わりにしている。ふーむ、エコだ。ここはナイジェリア国境が近く、流通している通貨はナイジェリアのナイラ。こちらのほうがカメルーンの通貨より価値が高いらしく、ガイドさんもわざわざナイラに両替をして買い物をしていた。
ウジラとワザ国立公園
翌日、マルーアからまずウジラという村へ向かう。ウジラは山頂にある村で、急斜面の悪路の中、4WDで進む。まず、首長さんの宮殿を訪れた。ここの首長さんはなんと49人もの奥さんがいて、宮殿内には奥さんそれぞれの小さな家が密集して建っている。家の中の様子、キッチンや代々首長さんのお墓などを見せてもらった。その後、ビューポイントで一休み。周りの家々を見下ろし、乾燥した大地をどこまでも見渡せ、乾いた風が頬をなでる。いつまでも居たいと思うところで、ルムシキもいいけど、私にとってここもお気に入りの場所になった。
その後、昼食を終えワザ国立公園に向かった。ワザ国立公園はカメルーンで一番野生動物が観察できる公園で、照り付ける太陽、乾燥した広大なサバンナが360度広がりる。象、カバ、キリン、たくさんの鳥、アンティロープ、ライオン、ジャッカルなどたくさんの動物が生息している。公園内にはいくつかのミラドール(物見やぐら)があり、そこに登れば近くにある池に水を求め集まる動物たちの様子を観察することができる。私はキリンの群れが水を飲む様子、足を大きく広げ、水面に口をつけて飲む様子を今回初めて見ることができた。キリンが水面に映る。とても印象に残る時間だった。
その日の宿泊地はワザ国立公園のゲートより車で10分のワザロッジ。夕食はサファリ中も見かけたホロホロ鳥!初めて食べたが肉はチキンのようで、皮がブツブツしている。すっかり日が暮れての到着だったのでその日は気づかなかったが、ワザロッジは山麓に建ち、ワザの広い大地を見下ろすことができる素晴らしい場所にある。サバンナを見下ろしながらの朝食は格別の味だった。
象のカロマニエ国立公園と国境の町クーセリ
ワザロッジを後にし、次に向かったのがガイドさんお勧めのカロマニエ国立公園。とにかく象が見れるとのことで訪れたが、私は幸運にも象の大群が川を渡り、向こう岸のチャドに渡る大移動をみることができた。約20分もの間、絶え間なく象の行進が続いた。小象が母象に守られ一生懸命渡る姿が可愛かった。
その後、クーセリというチャドの国境近くにある街に到着した。思ったより大きな町で中心部は沢山の人で賑わっている。夜はバーが沢山集まる一画に、ビール片手にテレビのサッカー中継を熱心に観戦する人々で賑わう。クーセリには民族博物館があり、昔からの生活様式を伝える展示物、貴族の服、馬具、食器、キッチンツールなどや、チャドとの国境を流れるロゴン川岸から出土されたお墓なども展示されている。かなり昔からコトコ族がこのエリアに住んでいて、後にムスリムたちも住むようになった。
その後、クーセリの首長さんの宮殿を訪れた。今は川は国境で、川の向こうはチャドの首都ンジャメナだが、昔はクーセリとンジャメナは同じ町だったが、白人達が治める際、川を国境にしたそうだ。今のクーセリの首長さんは42代目で、ここは2000年の歴史がある、と首長さんの秘書は語る。出張さんはムスリムなので奥さんは4人。民事に関する問題を解決するのが仕事で、選挙で選ばれるそうだ。
その晩、クーセリの街の一部は数時間、停電になった。ホテルは真っ暗でラジエーターもどうやらなさそう。携帯用の懐中電灯をお持ちいただくことをお勧めする。
チャド湖クルーズで出会う笑顔と風景
クーセリの宿を朝5時に出発。砂漠を2時間ほど車で突っ走る。朝日が昇り、だんだん色づく景色が美しい。360度、同じ風景が広がる中、よく迷わないなぁと感心する。乗船するラゴン川のほとりの警察署でクルーズのために書類を書く。パスポートと一緒に預けてチェックされる。チャド湖へ流れるラゴン川のほとりで船に乗り、チャド湖へ向かう。この川はチャド湖に向かって右岸がチャド、左岸がカメルーンと国境を分かつ川だ。船で往来する村人、網で漁をする人、川辺で洗濯をする人、元気に遊ぶ子供達、と生き生きとした人々の生活の様子も見ることができ、手を振るとにこやかな笑顔とともに応えてくれ、心も和むのを感じる。風をきりぐんぐん進むクルーズはとても心地よい。クルーズを楽しんでいると突如、川の色が青から茶色に変わる。ここが川から湖へと変わる地点なのだ。この大きな湖に入ると見渡す360度が空の青と湖の茶色のコントラスト、漁をする人々の風景が広がる。帰りにブララムというエリアにある中洲の村を訪れた。そこでは川で採れた魚を燻製にしている。ちょっと食べさせてもらったが塩をかけて食べるととても美味しかった。白飯が食べたくなった。日本の干物にも似ている気がする。違う点はカメルーンのそれは物凄く蝿がたかっている。素晴らしい風景と人々の笑顔に出会えるクルーズだった。
国境を越えチャドへ
再びクーセリに戻り昼食を済ませ、いよいよ国境越え。国境のラゴン川にかかる橋のふもとにカメルーンの出国審査のための小さな建物がある。その前でカメルーン北部の旅でずっとお世話になったドライバーさんとお別れ。ドライバーさんも悪路の中、さぞかし運転も大変だったことでしょう、メルシーボークー!と丁重にお礼を述べる。ガイドさんは一緒に国境を越えてくれる。書類を記入し手続き完了。カメルーン人、チャド人は自由に国境を行き来できるので審査は不要で、そのとき外国人は私しかいなかったからかもしれないが意外とスムーズに済んだ。バイクタクシーを頼み、スーツケースをバイクにくくりつけバイクタクシーで橋を渡る。バイクで国境を越えることになるとは思ってなかったし、こんな国境越えは初めてで面白かった。カメルーン人、チャド人のバイクで通る人、徒歩で橋を渡る人、沢山の人が行き交っている。3分もたたないうちにチャドのイミグレーションに到着。チャドは賄賂の請求が特に多いって聞いたことがあるので意地悪されないか心配だった。書類を書き、3人から審査を受けた。その際、welcome と言ってにこやかに笑いかけてくれた審査官、手続き中に「まあ、ここにかけなさい」と椅子をすすめてくれた女性係員、「どこから来たの?」と沢山話しかけてくれた審査官と、意外に和やかなムードでほっとした。もしかすると不審がられないように終始、笑顔を絶やさないよう努めた甲斐があったのかもしれない。
ンジャメナへ
入国審査を終え、新しいドライバーさんと一緒にンジャメナに向かった。アフリカの中央にある内陸国で、国土が日本の約3.4倍、リビア、スーダン、中央アフリカ共和国、カメルーン、ナイジェリア、ニジェールと国境を接している。通貨はカメルーンと同じ中央アフリカセーファー。サハラ砂漠の東部に位置し、南西部には国名の由来となったチャド湖がある。チャド湖に流れ込む河川地域を中心にひろがる農業や石油産出が主な産業だ。街中は警官や軍人が多くてちょっと緊張感がある。そのせいで写真も気軽にはとれない。その日は晩御飯を食べるくらいだったけど、ンジャメナの物価は高い。カメルーンの倍はする。ガイドさんにカメルーン人とチャド人の違いを聞いたところ、顔に民族独特の傷を入れてたり、風貌も違うそうだ。なるほど、チャド人のほうが何となくアジア人を黒くしたようなあっさりとした顔をしてる気がする。ガイドさん曰く、チャド人は内戦で心に傷を負っていて警戒心が強いそうだ。また、お米と果物をカメルーン人より食べるそうだ。翌日10時半には空港に向かわないといけなかったのでそんなに時間がなかったのだが、独立記念モニュメントを観光した。フランスからの独立50周年を向かえ、それを象徴する大きなモニュメントが2011年に建てられたばかりで、堂々と聳え立っている。何人か警官が巡回しているので、許可を得て写真を撮らせてもらう。
あっという間のチャドの観光を終え、空港へ向かう。街中にある空港で、え?ここ、空港?って思うほど小さい。空港内にはお店、レストランさえない。マルーアから一緒で長く一緒だったガイドさんもここでお別れ。優しくもあり、厳しくもあるガイドさんで、私は密かに彼を心の中でコマンダーと呼んでいた。さよなら、コマンダー、さよならカメルーン、チャド。日本人にとってまだまだ未知の国だけど、一歩足を踏み入れるとあなたが求めていた風景にきっと出会えるはず。色々な新しい発見がある楽しい旅だった。cameroon
おまけ
<持って行ったほうがよいもの>
先ほど述べた懐中電灯と、たまに蛇口から水がでなくなることがあって、その際はバケツで水を支給されることが多い。お風呂を入るときのために洗面器かそれに変わるものがあったほうがいいかもしれない。シャンプーや歯ブラシのアメニティは特に地方のホテルは皆無。あとドゥアラのホテル以外は英語がほぼ通じないのでフランス語会話帳を持って行こう。夜になると蚊がでるので、蚊取り線香、虫除けの薬(日本ではdeetという虫を避ける成分が多くて10%しか入っていない。乗り継ぎ地のバンコクで、20%以上含まれている虫除けが売っているのでそれを買うのもいいかもしれない。機内に持ち込めないのでバンコクでスーツケースを受け取る時間がある場合のみ有効)を持って行くとよい。日焼けどめ、帽子、サングラスは必須アイテムだ。カメルーン北部は街中でも砂埃も多いのでカメラの故障に気をつけよう。ビールは少し探せばどの街でも飲めることがほとんど。それ以外のお酒、ワインなどはないか、あっても非常に高いので、持っていくとすればビール以外のお酒がよい。ビールはとても安い。食べ物は美味しいが地方都市ではバリエーションはさほどなく旅の終盤になると人によっては少し飽きるかもしれないのでそのとき用のちょっとしたおやつが少しあってもいいかもしれない。私は逆にかなりおやつを持っていったが思ったより食事が美味しかったので、さほど持参したおやつは食べず、ガイドさんに結局あげた。ドゥアラ、ンジャメナで中華、フランス料理、イタリアンなど洋食が食べれるが、ンジャメナは値段がかなり高い。野菜が少ないので、果物で補うか、サプリメント持参。カメルーン北部は乾燥が半端なく激しい。女性は保湿化粧品、リップクリームはマストアイテム。公衆トイレはない。街中のホテル、レストランで借りるか、青空トイレになるのでトイレットペーパー、ティッシュは必要。食事の時に使うウェットティッシュも重宝する。
カメルーンのお土産
カメルーンのコーヒー、紅茶、アフリカンテイストのアクセサリー、木彫りの仮面、革製品のかばん、サンダル、財布など。カカオも輸出しているが、カメルーンのチョコはあまり美味しくなかった。私の考えだと暑い国のチョコはたぶん溶けないよう何か入っているので、あんまり美味しくない。
2012年3月 辻