「長靴のかかとにバロックの古都レッチェ」<南イタリア>

「長靴のかかとにバロックの古都レッチェ」<南イタリア>

バロック建築の都:レッチェを代表するサンタ・クローチェ聖堂

☆長靴のかかとにバロックの古都レッチェ
南イタリアの観光、というと、地中海側のナポリ、カプリ島、アマルフィ海岸、シチリア島やアドリア海側のアルベロベッロ、マテーラなどが日本人がよく訪れるところですが、実は、アルベロベッロからそう遠くない位置に「レッチェ」という16~17世紀に栄えた古都があります。かわいいトゥルッリで有名になったアルベロベッロは、最近注目を浴びていて、日本人観光客もどんどん増えていますが、ココまで来てアルベロベッロだけで帰るのはもったいない、と思えるほど、見ごたえのある、興味津々の町です。


イタリア半島の形は、よく長靴に喩えられますが、ヒールが高いブーツのほうがより的確かもしれません。このブーツのヒールの部分に、つまりは、イタリアの南東の果てに、その、バロック様式の荘厳な建物が並ぶ古都、レッチェがあるのです。
☆歴史の真っただ中に生きている街
ボクをアルベロベッロからレッチェまで、アドリア海沿いの道を運んできた車のドライバーは、「ここが歴史的地区です。」と言って、車を止めました。私が降りたのは、円形闘技場の横。いきなりローマ時代の遺跡が迎えてくれました。「こんな所まで車で入り込めるなんて、、、。」 レッチェは歴史の真っただ中に現代の人々が生きている街なのです。

古代ローマ帝国時代の円形闘技場

町の起源は3千年ほど昔、古代ローマ帝国時代にさかのぼるようですが、繁栄して今に残る街の姿を残したのは16~17世紀といいますから、日本では戦国時代から江戸時代の初めにかけての頃です。時の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)がここに城を築いたことから町ができ栄えていったそうです。今、見られる多くの建物はその頃に作られました。

カール5世の城壁

☆バロック建築の街レッチェ
レッチェはバロック様式の建築物によってその名が知られる町です。バロック様式とは、16世紀に産み出された、ルネサンスの産物とも言える劇的な表現が特徴の建築様式のことで、ミケランジェロが手がけたバチカンのサンピエトロ大聖堂もそのひとつです。

市役所(右側)横の道

レッチェの旧市街は、石畳の細い道にかぶさるように、少し黄色みがかった灰色の、重厚な、それでいて圧倒されるほど見事な石の彫刻の装飾に覆われた大きな建物が並んでいます。
☆細密なサンタ・クローチェ聖堂の彫刻
中でもサンタ・クローチェ聖堂の彫刻は、スケールがでかいのに部分部分は細密な見事なもの。いったい、何人の職人(彫刻家と呼ぶべきか)がどれぐらいの時間をかけたらこれほどの物が出来上がるのだろうか、と考え込んでしまうほどのすばらしい仕事です。

サンタ・クローチェ聖堂の細密な彫刻

☆近くて遠かったドゥオーモ広場
サンタ・クローチェ聖堂からドゥオーモを目指して、ボクはさらに町の中心部に入り込んで行きました。細くて曲がりくねった道が続き、どこを見ても同じ色合いで、色彩がなく、歴史のベールに包まれた世界に落ち込んだ感触を得ます。
地図を見ながら、そんな道をたどって歩きますが、ドゥオーモに隣り合う高い塔(鐘楼)は周りの建物の屋根越しに見えるものの、歩けども歩けどもなかなか近づけません。「どないなっとんねん?!」 だんだんイラだってきましたが、なかなか迷路から抜け出されません。ぐるぐる道を辿って、その先にやっとドゥオーモ広場を見つけました。パッと開けた視界に鐘楼がそびえます。迷路の真ん中にそこだけ広~~く場所をとった広場でした。

鐘楼がそびえるドゥオーモ広場

ドゥオーモの建物を飾る彫刻が、またすばらしい。素人のボクはなんとも説明できないので、写真を見て感じてほしいのです。レッチェの石は石灰岩で、水を含ませるとやわらかくなり、細工が簡単にできるようになるですが、それにしても、なんと見事な出来映えでしょうか。道を迷って歩き疲れましたが、そんなことを吹き飛ばしてくれる彫刻でした。

ドゥオーモの装飾

円形闘技場横に車を着けて待っていてくれたドライバーに、ボクは満足できたこと、まだまだ時間が足りなかったことを告げて、アルベロベッロに向けて出発しました。
2011年 10月 小澤

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