インドの南東沖に浮かぶ涙型の島、スリランカ。
スリランカはニアリーイコールインドだとお思いの方は少なくないと思うが、そうではないのだ!
マイルドな雰囲気で見どころ満載の国だった。
光り輝く島到着
コロンボ空港に到着すると、指揮者の小澤征爾の息子で俳優の小澤征悦氏をスリランカ人にしたらこの人だろうなという顔立ちのガイドさんが出迎えてくれた。爽やかで物腰が柔らかい。小柄ではみかみやのドライバーさんと、この旅行中ずっと一緒にまわる。
空港から20分ほどのところにあるニゴンボのホテルに泊まる。コロンボまでの飛行機の中、および乗継ぎ地での爆睡をものともせず、さっさと眠りに落ちた。
仏教徒ぞくぞく巡礼
翌日、スリランカ最古の都、アヌラダプーラへ。
スリランカは、朝夕の都市部での通勤以外は鉄道があまり普及しておらず、旅行者は旅行会社の車や大型バスで移動することになる。ニゴンボから、象の孤児院のあるピンナウェラまで約2時間、そこからアヌラダプーラまでも約2時間。
着いたところで、まずは、スリランカでの初めてのカレー&ライスの昼食。観光客用に辛くない仕様にしてあるので、心配ご無用。辛いものがダメな場合は、ガイドさんに伝えておけば、食事の時に辛くないメニューを教えてくれたり、ウェイターさんにそっとお願いしてくれる。配慮が行き届いている・・。スリランカ人よろしく、小細工なしの辛いものを食べたい方も、ガイドさんにお願いすれば、もちろん辛いカレーもあるので、ぜひ挑戦を。
昼食後は、古都アヌラダプーラの観光。紀元前5世紀~紀元10世紀の1,500年もの間都であり続けたその繁栄を物語るように、多くの寺院やストゥーパ(仏塔)が残っており、今も現役で仏教徒たちがスリランカ各地から参拝にやってくる。なお、スリランカの仏教寺院では、中に入る際、帽子・靴は厳禁。寺院に入ることの多い観光内容の日は、サンダル履きだととても便利。
アヌラダプーラのシンボルとも言える大ストゥーパ ルワンウェリ・サーヤ。高さ55mという見事な仏塔は、毎年4月にあるお祭りのために、この時期には白く塗り替える作業が行われ、青い空に真っ白いコントラストがまぶしい。参拝にくる仏教徒たちはみなお参り用の白い服を着て、大挙して続々やってくる。敬虔な祈りを奉げるその姿は、今も昔と変わらない信仰が根付いていることを教えてくれる。
この日は、アヌラダプーラから車で約1時間半ほどのシギリアに泊まる。
シギリアロック・クライミング!
スリランカ旅行のハイライト、シギリアロック!宿泊したホテルシギリアのプールサイドからは、朝日を反射するシギリアロックのなんとも神々しい姿が見える。
ふもとから登って下りて約1時間半だというが、運動不足極まりない私は、果たして戻ってこられるのだろうか・・不安な1日のスタートであった。
シギリアロックは、父であるアヌラダプーラの王を殺し即位したカシャパ王が、弟の復讐を恐れて、立てこもりのために建てた宮殿である。自然の岩を活かしながら、頂上には宮殿・ダンスホール・水浴びのためのプールなどが作られた。その豪華な生活を物語るものが、ロック中腹の洞窟に描かれた壁画というわけである。何百人もの女性を住まわせハーレムを築いたその様子は、壁画のシギリアレディたちが身につけている宝石の数々からもうかがえる。ガイドブックなどで見て想像していたよりくっきりときれいで大きな壁画だった。
シギリアレディとご対面した後は、頂上へ向けてラストスパート!ライオンの足をかたどった岩の間から登っていく。ライオンのいないスリランカなのに、こんな昔からライオンは強さのシンボルであったことに驚いた。(そういえばスリランカの国旗にもライオンがおり、スリランカ人は強いライオンの子であるということを主張している。)ライオンの岩につけられた細い階段を登って、頂上に到着・・!頂上からは360度緑の大地が遥か下に広がっている。さすがにこの岩の頂上に鎮座していれば、どこから攻められても負ける気がしないという気持ちが分かった。
しっかり見下ろした後は、登った分だけ下っていく。岩肌に残る壁画の跡や兵舎跡など見ながら、下りきってみると、私も1時間半で戻ってきていた。私もなんとか人並みのことができたと、胸を撫で下ろしたのであった。
午後はポロンナルワへ。ポロンナルワはアヌラダプーラの後、10世紀~12世紀にとであった町で、寺院や宮殿などの遺跡が多く残っている。美しい装飾を施した波型の柱や、珍しい円形の仏堂など、当時の繁栄の様子が浮かんでくるようである。
ポロンナルワから車で約1時間半、シギリアのホテルに戻る。
アーユルヴェーダでプリップリのツルッツルに
シギリアからダンブラへ小1時間。この小さな町にある石窟寺院は、岩山の洞窟に作られている。かつてシンハラ朝がインド軍の侵攻を受けたときに、この地の僧侶たちがこの洞窟に王をかくまい、再び王座を取り返した王はそのお礼に洞窟を寺院にしたのだという。ひんやりとした洞窟内部の天井はびっしりと壁画で埋められており、仏への感謝が伝わってくる。
マータレーを経由して、いよいよ文化都市キャンディへ。
キャンディといえば、スリランカ中の人々の信仰の的、仏歯寺である。インドから贈られたという仏歯を受け継ぐことが、王としての証であることから、歴代の王様たちは即位するごとに、手にした仏歯を祀る仏歯寺を建立してきた。最後の王都キャンディに今もその仏歯が安置されている。夏にキャンディで行われるスリランカイチの大イベント・ペラヘラ祭りでは、その仏歯を、きれいに着飾ったゾウの背中に乗せ、太鼓や踊りの行列とともに町を練り歩くのだという。
夕方からはキャンディアンダンスショーを見て、その後は・・・いよいよ・・
初日コロンボ到着時に、ガイドさんに「スリランカで何かしたいことはありませんか?」と聞かれリクエストしていたアーユルヴェーダを!
仏歯寺から車で20分ほど走り、町を抜けて、家並みが少なくなってきたところに、アーユルヴェーダセンターがあった。オイルマッサージ・薬草サウナ・フェイスパック・シロダーラ(アーユルヴェーダといえば思い浮かぶ、おでこにオイルをたらす、アレである)の豪華120分コース!ホテルのスパなどで受けるよりも断然お手軽料金で、オイルは上質のものを使っているということなので、お得感たっぷりである。マッサージ開始、オイルを広げながら、もみもみ全身頭からつま先まで表も裏もそれは丁寧にオイルをもみこまれ、全身ほぐされた後は、薬草入りのサウナでぷりっと蒸され、仕上げにシロダーラであたたかいオイルをおでこにたらたらーりとたらされ、なんとも美味しそうに仕上がったのであった。オイルを拭き取っても、その後1時間半ほどはオイルを浸透させるためにシャワーは控えるようにとのことなので、アーユルヴェーダは、観光が終わった後に受けると良い。私はその間に夕食を食べて、ホテルでシャワーを浴びたが、ツルツルの仕上がりに大満足な夜であった。
ここに住みたい!爽やかヌワラエリア
お茶党の私が、紅茶王国スリランカで楽しみにしていた、ヌワラエリアへ。紅茶工場までは、くねくねと山道をのぼっていく。三半規管に自信のない方は酔い止めをお忘れなく。私は車に弱いが、薬を飲んで、ガイドさんに休憩をはさんでもらいながら、なんとか無事到着。2,800mの高地とあって、さわやかな気候!一面に広がる緑の茶畑‥おいしい空気‥!スリランカの人々の間でも避暑地として人気があるそうだが、まったくその通りである。
紅茶工場で茶葉が製茶されていくまでを見学した後は、ショップでオレンジペコーを試飲させてもらう。白いカップに注がれた紅茶は、きれいなオレンジ色でとびきり美味しい!車でくねくね目をまわしながら来た苦労(?)も吹き飛ぶくらいの絶品であった。
そんな最高の環境にあるホテルのインスペクションへ。かつて紅茶工場として使っていた建物をホテルに改装した、その名もまさにザ・ティーファクトリー・ホテル!茶畑の間の道を上へ下へ進んでいくと、見渡す限りの茶畑の丘の上に白い建物が見えてくる。内装はイギリス時代の工場にタイムスリップしたようで、エレベーターも当時の趣を残している。部屋はコロニアル調で落ち着く雰囲気にまとめられているし、庭のテラスからは一面の茶畑を望むことができ、ホテル内の光あふれるスパでのんびりする‥このホテルに滞在できたなら催行の休日を満喫できることだろうと、ヌワラエリアでの滞在がないことに後ろ髪をひかれながら、次へと移動。
山を下り、ヤーラを目指す。この日は移動づくしの1日となった。
スリランカで、ヒョウに出会ったー
早朝ヤーラでのサファリのためホテルを出発。
サファリ初体験の私は緊張気味でジープに乗り換える。だんだんと太陽が昇り、国立公園内に入ると、広大な自然の中に早速いろんな動物がお目見えする。群れで水浴びをする水牛、木にとまっているクジャク、池のほとりで寝ているワニ・・と言っているうちに、早くも最大のチャンスが到来!ヒョウがいるというのである!
見てみると、茂みから茂みへと道を横切った!ドライバーさんも粘ってあちこちから付近を捜して、ついにその姿が至近距離に!“グゥルルル‥グゥルルル‥”という獣のうなり声を間近に聞き、背筋が緊張するのが分かった。一緒にジープに乗り込んだガイドさんも、15回以上このサファリに来ているが、こんなに完璧にヒョウをとらえたのは初めてとのこと。人生初のサファリでヒョウと出会えて、本当にラッキーであった!
ヤーラは動物の種類が豊富だが、ゾウの大群を見るなら、ヤーラより、スリランカ北中部のミネリア国立公園が良いそう。今回のヤーラではゾウの群れには会えなかったが、オスのゾウ1頭はサファリカーの前に出てきてくれた。ただし、群れを離れて1頭でいるのはオスで、襲い掛かってくることもあるので要注意とのこと。
乾いた砂埃に喉をやられてサファリ終了。
海沿いを走ってこの日宿泊のゴールに到着。
クリケット強豪国スリランカの歴史
この日は、ゆっくり出発。世界遺産に指定されているゴールの港町を観光。オランダ時代の城壁に囲まれた旧市街の中へ。ゴールの町で私は、スリランカの被支配の歴史を改めて知った。海のシルクロードの要所として
アラビア人が入ってきて以来、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人と、世界の覇権を握った国々によって支配されてきたのだ。オランダ時代の東インド会社のロゴマークの刻まれた城壁の上からは、イギリス時代に持ち込まれ今やその強豪国となったクリケットのグラウンドが見える。ちょうど私がスリランカを訪れた時には、クリケットのワールドカップが開催されており、皆テレビに釘付けであった。クリケットに馴染みのない日本人としてはどうも不思議なスポーツにうつって仕方がないのだが、その試合ときたら、攻守合わせて1試合が半日ほどかかるそうだ。私のスリランカ最終日には、スリランカの決勝進出が決まった。と、その歴史を改めて感じてゴールを後にする。
コロンボへ向けて走る道は、海沿いで、この時期から波が高くなり始めてきたそうだが、椰子の木が生えた白い砂浜とエメラルドグリーンの海はとても印象的だった。
コロンボの簡単な市内観光の締めくくりは、夕方のゴール・フェイス・グリーン。海岸沿いの芝生広場で、食べ物やおもちゃの屋台が並んでおり、家族連れやカップルでにぎわっている。小さい子供と手をつないで歩くご夫婦、デートしている学生カップル、楽しそうな夜のだんらんの様子に、まだまだ私もスリランカを楽しみたい!と思ったが、とうとう私のスリランカ旅も終わりのときが来た。空港へ送っていただき深夜のフライトで帰国の途についたのであった。
もちろん遺跡あり、自然あり、ビーチあり、歴史あり、スリランカは見どころ満載な魅力的な国だと深く感じた旅になった。ぜびぜびその魅力を満喫しに行っていただきたい。
2011年3月 中島