エジプトを観光するにあたり、誰しもがまず思いつくのはピラミッドとスフィンクスであろう。世界的に知られたこれらはもちろんの事、遺跡以外にもエジプトには素晴らしい大自然も多く存在する。今回はその中のひとつ、エジプトの隣国リビアへと続く、西方砂漠へ足をのばす事になった。
カイロより、ギザのピラミッド横の砂漠ロードをひたすら車で4時間ほど一本道を走り、まずバフレイヤ・オアシスまで行く。
ここはその名のとおり砂漠の真ん中に突如現れる、砂漠ツアーの拠点となる街である。車を4WDに乗り換えて更に砂漠の奥を目指す事になる。昼時でもあったので、休憩と食事を、ウェスタンデザートホテルにてとる。エジプトの食事は、アエーシというパンや、モロヘイヤのスープ、ミートボールの様なコフタ、ライスとパスタが合わせたようなコシャリ等はどこに行ってもメニューにあり、日本人の口にも割りと合う方だと思う。特にアエーシは毎回必ずといっていいくらいに登場し、店や家庭によって様々な形があるようだ。
これからお世話になる4WDの準備が整い、いよいよ本格的な砂漠ツアーが始まる。今回は砂漠のど真ん中でキャンプをする、という内容なので、組み立てテントや夕食の準備も全部1台に詰め込んだ。この街の先には当然ながらお店などひとつもない。水や軽食も忘れずにここで購入しておきたいところだ。
バフレイヤ・オアシスをあとにして、しばらく走り続けると、黒砂漠を訪れることができる。文字通り、あたりに黒い岩山がたくさん存在する。エジプトの砂漠は、風紋が美しいサラサラとした土砂漠というよりは、どちらかというと岩も多い、岩砂漠のようである。とは言え、こんな景色は今まで見たことがない。訪れたタイミングはちょうど夕暮れ時にさしかかる頃であった。近辺で一番目立つ小高い山に登る。岩ともとれる、砂ともとれるようななんとも不思議な足場を登るのは、下から見上げるよりもハードであったが、頂上から360度を見渡せるここは絶景に他ならない。後に述べる白砂漠についてもそうだが、こんな想像を超えた風景を目の当たりにすると、違う惑星にきてしまったような感覚すらしてしまうようだ。そして、特に感じた事と言えば音のない世界であると言うことだ、唯一聞こえるのは広大な砂漠に吹き荒れる風の音だけであった。
思えば、カイロ市内はひどい車の渋滞により、クラクションが鳴り響き、人間が縦横無尽に道路を行き交う大変混沌とした街であったのに、この違いには驚かされながら、更に奥の白砂漠を目指す。あたりがかなり暗くなり、視界も悪くなってきた頃、車はそれまでコンクリートの1本道を走ってきたルートをはずれ、砂漠の中に突進し始めた、一応道しるべ的な役割の石が敷かれているが、左に右に旋回しながら砂漠のど真ん中まで全速で駆け巡る。暗闇の中なのでかなりスリルがあり、夜に乗るジェットコースターの様な感覚だ。
車が止まり、今まさにキャンプをする場所まで来た、しかし回りには、何もそれらしき施設があるわけではなく、暗がりに大きな岩が点在しているのが見える程度だ。そしてかなり風も冷たく、冷える。本当にこんな場所でキャンプができるのか?というくらい何もないが、ガイドとドライバーがいつの間にか、あたりから木を集めて火をおこし始めた。非常に慣れた手つきで心強い。ここでの夕食はバーベキューディナーという事であったが今回、ドライバーが全て黙々と調理を行った。メニューはチキン、ライスや野菜を炒めたのを皿にドン、と乗せただけの料理といった具合だが、これがまた非常に美味しい。外で食べる料理は格別に美味しいケースがよくあるが、エジプト滞在時のどの料理よりも間違いなく印象に残った。
この砂漠、見える範囲には生物などいそうにない雰囲気だが、ガイドいわくキツネが現れる事もあるそうだ。そういえば時々クークークー、と遠くで何かの鳴き声らしきが聞こえて来る。そして我々が食事をしていたとき、一匹だけ遭遇する事ができた。暗くてよくわからないが、それなりに大きな体長で、砂漠の土と同じような色をしており、食べ物のにおいに誘われてやってきた。警戒心がとても強く、すぐにまた暗闇に消えていったが正真正銘の野生だけに固唾をのんでその様子を見守った。
皆が火で暖をとり、シャーイ(エジプトの紅茶)を飲みながら就寝まで雑談し、テントの設営を眺める。テントはなんの特徴のないごくごく普通のテントで広くはないのだが、毛布も完備されており、チャックを閉めて寒さも凌げるのでご安心して頂きたい。
見上げれば満天の星、頻繁に見える流れ星、静まりかえる辺りの風景、砂漠に寝ている自分、何もかもが非現実的すぎて、そのスケールの大きさにただ驚くばかりである。
旅のクライマックス、まだあたりが暗い頃から起きてみて砂漠の夜明けを待つ。神秘的なその光景はもはや、綺麗とか、美しい、とかいった月並みな言葉では表現しきれない。
どんな美しい建造物でも自然の前ではちっぽけであり叶わないと思い知らされた瞬間であった。
2009年11月 南口