「聖地さえ 斜に構えれば USJ  異教徒女子の 秋、一人旅」 (心の短歌 ヨルダン・イスラエル・パレスチナ編)

「聖地さえ 斜に構えれば USJ  異教徒女子の 秋、一人旅」 (心の短歌 ヨルダン・イスラエル・パレスチナ編)


今回の旅行先はヨルダンとイスラエル。イスラエルから旅の感想を記載する。
この旅行記のタイトルで聖地をまるでUSJのように思えてしまった、という件に関してはマサダとヤルデニットだけなのでそれを最初に述べておく。
キリストが洗礼を受けたヨルダン川にまつわるエトセトラ
ガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出すヤルデニットと呼ばれる洗礼ポイントがあり、キリストがヨハネから洗礼を受けたとされる場所はさらに下流のジェリコ近郊にあるがこちらのほうがよく整備されていて巡礼者が多く訪れるのだ。洗礼を受けているところにビデオカメラを設け、その様子を出口で流し、希望者にはそのビデオを売る、というものだ。これってまるでウォータースライダーの写真を出口で見て記念に買うのと同じだ。もちろん信者たちは真剣で、一生記念として残るその様子を是非自国に持ち帰りたいというのが普通だと思う。出口にはヨルダン川の聖水や、洗礼を受けるときに着る衣装を売っていたり、またAHAVAの化粧品グッズが売っていたりと訪れる信者の気持ちと購買欲をくすぐる商品がいっぱい売っている。こうなると本当にUSJの「アトラクション」である。もちろん日本だって、神社のお参りだって同じじゃないかと言われてしまうかもしれない。確かにそうだ。でも日本のお寺や神社はもうちょっと厳かさがあって、少なくとも遊園地のアトラクションのようにはなっていない。またお参りする人の真剣さが全く違う。そこが私が違いを感じるところだった。

洗礼をうける信者達 それを見守る人々

洗礼の様子

聖水販売


ヤルデニットのお土産販売

みんなたくさん買っている

洗礼を受ける服の販売とその洗礼証明書

ヤルデニットの出口

巨大な要塞マサダ
マサダ国立公園は大きな標高400mの岩山の山頂に広がる遺跡で紀元前100年に造られた要塞だ。70年にローマ軍とユダヤ人が戦ったユダヤ戦争の最後の籠城戦でローマ軍への抵抗は2年以上も続いた。異教徒に辱めをうけることをよしとしなかった抵抗者は7人の女子供を除き、全員自決してしまう。ユダヤ人は全滅を再び繰り返さないという決意「ノー モア マサダ」というスローガンを語り継いできた。現在はここでイスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられるそうだ。

マサダの頂上へはロープウェイで行く

私が訪れたときにたまたまここでユダヤ人の成人式に幸運にも遭遇した。ユダヤ人の聖典トゥーラを持って練り歩く。家族や知人と楽団とともにマサダの要塞内を歌いながら練り歩く。歌詞の意味は分からないがたびたび「イスラエル」という言葉がでてくる。成人となる主役の男の子と目があったが何と幸せそうで誇らしげな顔だろうか。まっすぐにこちらを見つめる瞳とかわいい笑顔がとても印象的で今でも忘れられない。

13歳がユダヤ人男性の成人

家族知人で盛大に祝う

この要塞の頂上からみる景色は圧巻!

巨大な自然の要塞

遠くには死海が見える

住居跡なども残る

下の博物館やお土産屋さんの設備もすごく整っている。入ってから10分ほどのマサダについてのスライドショーがありその英語バージョンを見たのだが確か“WELCOME TO MASADA!”から始まってアメリカ英語でまさにUSJやディズニーランドのアトラクションばりの映像でそれを見たのちに先に進むようになっている。内容はユダヤ戦争でどのようにローマ兵士と戦ったかなど。お土産屋さんもアトラクションが終わったあとのグッズを売っている売り場とひけをとらない。「観光地」としての設備の充実具合、お金のかけ具合もパレスチナとはまるで違う。
イスラエルの入国事情
話は遡り、ヨルダンからイスラエルへ向かった日のこと。アレンビー橋での陸路で入国した。かの有名なイスラエルの入国で数時間かかるのは覚悟の上だ。ヨルダンにて出国税とバス代を払い、バスに乗って入国審査を行う。入国審査官は大きな体の男性で大きなボディピアスの穴が耳たぶにある。昔はやんちゃで悪さをしたけれど今となっては入国してくる人を厳しく取り締まる側になって、周りからは「あいつも変わったな、立派になったものだ」とか言われてるんだろうか、いや、ボディピアスはこちらではやんちゃなうちに入らないかも、でもユダヤ人の国家ならボディピアスはちょっとした不良がするに違いない、などとどうでもいいことを考えていたので、意外と緊張してなかったのだろう。あなたのピアスは超COOL!とか血迷ったことも言わないくらいの冷静さも残していた。私のパスポートは割と新しく、中東のスタンプもおされていないため、「ヨルダンの旅程は?イスラエルではどこに行くの?一人?エルサレムのホテルはどこ?英文の日程を見せて」などの質問くらいで割とすんなり入れた。残念ながらこれくらいの英会話ができない人はイスラエルには個人旅行ではなく添乗員がついている旅行をするしかない。もしかすると土曜のシャバット(安息日)のため彼らも早く帰りたかったかも?しれない。アンマンのホテルを出たのが08:00、エルサレムのホテルに到着したのが12:00だから割とスムーズにいったほうだとのこと。こんなとき丸顔でよかったと思う。丸顔は悪人には見られないのだ。
いよいよ憧れのエルサレム旧市街へ!!
今回エルサレムのホテルはオリーブツリー。4つ星ホテルで朝ごはんも充実していてネット環境も良い。すごく快適。ここの売店はAHAVAの製品が30%OFF で、AHAVAの死海の泥もしくは塩石鹸はここが一番安かったと思う。

欧米の団体客も多いオリーブツリー

到着した日は土曜日の正午くらいでちょうどシャバットだった。シャバットとは安息日で金曜の夕方から土曜の夕方まで。この間は全ての公共交通機関がストップする。車の通りもまばらだ。歩いて旧市街まで行ってみることにした。オリーブツリーの近くには有名なアメリカンコロニーホテルがあって、道路を挟むと正統派ユダヤ人のみがすむメア・シェアリーム地区。ダマスカス門まで歩いて10分から15分ほど。トラムが動いている時間だとダマスカス門駅まで二駅。ダマスカス門が近づくにつれ、アラブ色が強くなってくる。ムスリムが住むエリアはシャバット中も営業しているのだ。ダマスカス門に到着するとイスラエル軍の軍人が大きな機関銃をもって不審な人がいないかを見張っている。(476 シャバット中のダマスカス門の様子)怖い軍人に思えたが最後の方には慣れてきて聖墳墓教会(キリストのお墓があるところ)の道はこっち?など交番のお巡りさん扱いをしてしまう始末。でもびっくりしたのがヴィアドロロッサ(キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩いた道)を目の前にして、聖墳墓教会がどっちかその兵士はわからなかったのだ。たとえ所属1日目だとしても、ユダヤ人だからキリストのことをあまり知らないとしても、かの有名なヴィアドロロッサのどっちが聖墳墓教会に続くかはわかっているはずだろう。なんでだったんだろう。なぜこんなに多くの人が集まりこの道を往くのか考えないのだろうか。ダマスカス門から入った旧市街は他国のアラブの市場のよう。外国人用のお土産もあれば、地元の人用の生活用品、食品も売られていて懐かしいスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。ああ、やっぱり私はこの雰囲気、香り、このアラブのマーケット、世界が大好きだ。そして太古から聖地であるこのエルサレムの地に立っていることを思うと感動で体が震えるのであった。ヴィアドロロッサをいくとムスリム地区の商店街も通るのだがそれがこの聖地の複雑な歴史をも思わせる。最終日の自由時間もこの旧市街とヴィアドロロッサを歩き何時間も歩いてへとへとに疲れていたがキリストが歩いたのは重い十字架を背負って、何度もひざまずいて歩いたことを思ってこんな疲れが何だ、負けるな、がんばれ、と自分を励ましながら歩くのだった。

お土産屋さんも多い旧市街のムスリム地区

旧市街は迷路のよう

アルメニア人地区は人気も少ない

アルメニア地区

キリストのお墓にはたくさんの人が列をなしている

嬉しい偶然!有名人(?)に遭遇!
マハネー・イェフダー市場はエルサレムの台所。色とりどりの野菜や果物、スパイス、お菓子など歩いてみるだけで楽しい。ここで顔見知り(?)に遭遇!

ヨルダンからイスラエルを越えてきました。-私的聖地巡礼の旅-


FSCのスタッフ、山本がここに訪れた際のブログで後半にでてくるザクロをきるのがうまいおじちゃんを発見!!記念に一緒に撮影してもらった。

死海の浮遊体験
今回、ひょんなことで死海に浮くこととなった。ドライバーさんが一番おすすめなのがレオナルドクラブホテルの近くのビーチで、場所によっては死海の水は年々少なくなって水がビーチと水面が離れていて良くないとのことだ。以前ヨルダンに行ったときにも死海に訪れ、その時はデッドシースパに宿泊した。デッドシースパは下に泥がたまっていたけどここには泥はなかった。泥パックをする場合は買ってくる必要がある。死海に浮いたり、ビーチでのんびりしながらシーシャを吸ったりするのは楽しい。教会や遺跡めぐりだけではちょっと肩がこる、という人に是非おすすめ。(764 きれいなビーチ)(768 死海で浮いてみました)
イスラエルのコスメ事情
イスラエルのコスメで今日本でも人気なのがSABON だが、中でも一番人気の死海の塩を使ったボディスクラブは600グラムで日本では5500円だけど、エルサレムでは「SABON の会員登録をして二つ目が半額キャンペーン」みたいのをしていてそれを利用して半額くらいだ。海外に住んでいても問題ないそうで、金券クーポンみたいのをくれて「東京のSABONでもこの額面相当の金券として使えますよ」とのことだがそのクーポンはヘブライ語しか記載がないけど本当に日本のスタッフはわかってくれるかしら? いくつかコスメのお店を周ったけどみんな英語が上手で売り上手!しかもその売り子さんが美人で「私も使ってます」とか笑顔で言われたら買わないという選択肢はない。SABON 以外にも有名どころと言えばマドンナが愛用しているLARINEも旧市街近くのMAMILA MALLや繁華街のベン・イェフダー通りで手に入る。あと、ガミラシークレットというオリーブの石鹸も有名だそうなのだが残念ながらこちらは売っているところを見かけなかった。そもそもオリーブの石鹸が少なく、死海の泥石鹸、塩石鹸のほうが主流のようだ。ヨルダンの高速のサービスエリアでも死海グッズは売っているのだけどなんだろう、イスラエルのものは高級感が違う。どの国の女性もそうであるように化粧品は本当の効用よりもイメージが大事で「ここのブランドで、それなりのお金を払っているのだし効き目があるはず」と思いながら使うのが一番効果あるのだろう。見てくれもそれなりの高級感があって買う段階でわくわくさせてくれるようなのが売れる化粧品。それがヨルダンの死海コスメには足りないのだと伝えたい。余計なお世話かもしれないけど。
イスラエルの免税手続きについて
先述のマサダ国立公園やヨルダン川の洗礼のお土産屋さんの一角に有名なAHAVAの商品が置いてある。400シェケル(12000円くらい)以上の買い物が免税対象だ。以前日本に上陸したものの、いろんな団体の反対にあい撤退したようだ。この国での免税の方法は買ったお店でそれ用の書類を記入してもらう。それをチェックインする前の段階でVATの表示のあるカウンターにてその書類に判をおしてもらう。化粧品など液体の場合はこのあと預けるスーツケースの中に入れて、その書類だけ手元に残しておく。その後、航空会社のチェックイン、出国後に免税店エリアの一角にまたVATと書いたカウンターがあるのでそこに書類とパスポートを見せて、現金(USDかイスラエルシェケル)にて返してもらう。このような流れだった。
ヨルダン再訪の旅
ヨルダンの訪問は10年ぶり。前回はシリアとあわせて旅をしたがまたヨルダンに訪問することになるとは思わなかった。前回はぺトラと死海を旅行したので今回はワディラムで宿泊することとなった。
ワディラム宿泊のおすすめ!私だけのアラビアンナイト!
映画「アラビアのロレンス」の舞台となったワディラムの砂漠。4WDで砂漠を探検する。巨大な岩山と広大な砂漠の風景は進めば進むほど新しい表情を見せてくれ、かたときも目が離せない。

高台からワディラムを見下ろす

ロレンスの家

ロックブリッジ

絶壁

日帰りではなく宿泊してじっくりその魅力に迫り、夜は降るような星空を楽しめるプランがおすすめだ。本日の宿泊は通常のキャンプサイトより奥地にあり、4WDでしか行けない砂漠の真ん中にあるナイトラグジュアリーキャンプ。今回の宿泊はとてもユニークなお部屋に泊めさせてもらった。昔、デパートの屋上で、空気でふくらませたビニールの巨大なドームみたいな中で子供がぴょんぴょんとべる遊具があったが、それと同じ原理で部屋の上半分くらいが透明になっていて、ベッドから星空を眺められるお部屋に宿泊した。部屋の中にトイレもシャワーもあり、外から空気が送られてくるので少し乾燥するものの、こんなわくわくするお部屋に泊まることとなりドキドキだ。ベッドに寝転び部屋内の電気を消すと星空しか見えない。(ちょっと砂埃で汚れていたから外と全く同じ、というわけにはいかないけれど)なんて贅沢でロマンティックなお部屋なんだろう!しかし部屋自体が大きな風船のようになっていて、入り口は二重になっているので出入りするときは必ずどちらかを閉めていないと空気が漏れてしまい、部屋自体がペチャンコになってしまうのでご注意を。あと、荷物を置く場所は限られていてスーツケースひとつくらいしかあけるスペースがないので、二人で泊まる場合は一人分のスーツケースにまとめて置くのがよいと思う。このタイプのお部屋はまだ一部屋しかないが部屋を増やすことを計画しているそう。

外観はこんな感じ

ベッドの上には星空が広がる

普通の部屋はベドウィンのテントをイメージし、中はこだわり抜いた家具や寝具と落ち着いた雰囲気で、ここが砂漠の真ん中であることを忘れさせてくれ、至福のひとときを与えてくれる。

テントをイメージしたお部屋

美味しい料理とテントのレストラン

共同のトイレ・シャワー

ベドウィンのテントのような外観の部屋

目の前にはワディラムの岩山の風景が広がる

美しき街サルトで家庭訪問!
アンマンは都会なんだけど何となく味気なくてさほど見どころも少ない。今回はアンマン近郊にある小さな街サルトで他にはない面白い体験ができるとのことなので訪れることとなった。サルトはヨルダンで最も古い街の一つで黄色い石造りの家々が丘に沿ってたつ美しい街なのだが、ここでなんとヨルダン人の家庭訪問をさせてもらった。お母さんが料理をふるまってくれたのだが、印象に強く残っているのがマクルーベという炊き込みご飯で大きな鍋に炊きたてのご飯を大きなお盆の上を頭にのせ、頭の上で鍋をひっくり返すのだ!チキンも入っていて優しい味で日本人の口にもあう。今回の旅行で一番美味しい食事だった。それをヨルダン人の家でお母さんと一緒にいただくのだから喜びもひとしお。食事の後の伝統衣装をきての写真撮影をさせてもらった。大きな布を帯やピンでとめていく。日本の着物も大きな布をまとうのだけど、出来上がりはこんなに違います。おもしろいなぁ。

頭の上で大きな鍋をくるり

マクルーベ、おいしそう!

お母さんと一緒にいただきまーす

こんなに大きな布を・・・

お母さんに着せてもらいます

お母さんと記念撮影

また歴史ある美しいこの街での散策も楽しい。迷路のように入り組んだ路地と階段の先にはこの街の全景がわかる素晴らしい景色が私を待っていたのだった。

サルトは丘の上に家々が建つ

きれいなサルトの街並み

サルトは階段が多い

ムスリムとクリスチャンが住む街

戦争を繰り返す国へ
ヨルダンはシリアの隣にあって「治安は大丈夫?」と思う人もいるかもしれないが、ヨルダン自体は安全そのもの。現地の人は「ヨルダンは中東のスイス」と例えていた。
私は大好きな朝ドラの「あさが来た」の言葉をこの国に、また戦争をしている国に伝えたい。あさは折り合いのつかない炭鉱夫たちにピストルで脅す形で働かせることとなってしまったのだが、その日、夫の新次郎はあさに下記のように言うのだった。「相手を負かしたろと武器もつやろ、そしたら相手はそれに負けんようにもっと強い武器をもって、そしたらこっちはもっともっと強い武器を、ってこれは太古の昔からあほの男が考えるこっちゃ。あさはそんな力づくの男のやることではなくてもっとあんたなりのやり方(女性らしい“柔らかい“やり方)があるんとちゃいますか。」
暴力には暴力で対抗するのではなく、誰の命もおとすことなく、また、ラビンとアラファトが握手をしたようにお互いの手と手をとって、話し合って解決できる日が早く来てほしいと願うばかりである。
★★★★★ エルサレムの旧市街 フリータイムに自分で散策が面白い!!
★★★★ ベツレヘム、ジェリコ パレスチナとイスラエルの違いを自分の目で確かめよう
★★★★ 日帰りで死海浮遊体験(イスラエル) 教会めぐりとは違った楽しさ
★★★★ ワディラム  宿泊して自分だけのアラビアンナイトを!!
(2015年11月 辻理恵子)
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