エルサルバドル旅行記

エルサルバドル旅行記

4月中旬のある日「ここ行く?」、「どこですか?」、「エルサルバドル」、から始まった今回旅行。行くと決めたが、具体的な場所、地名が恥ずかしながら頭に浮かばない。地図も探してみたが、見当たらない。名前だけはなんとなく聞いたことがあり、内戦があった事も分かっていたが、国としてのイメージが浮かばない。このような状態で出発当日を迎えた。今回の旅行は在日エルサルバドル大使館の主催で、旅行会社を対象に日本からの観光客の誘致及び、ツアーの開発を目指し旅行会社にエルサルバドルを知ってもらう事を目的にしたものだ。


1日目:6月5日 東京→ヒューストン→サンサルバドル
在日大使と大使館員、旅行会社7社から7名、航空会社から1名の計10名で成田を出発した。今回のルートは中南米諸国の多くに就航しているコンチネンタル航空を利用した、ヒューストン経由だ。ヒューストンまでは快適なフライトで食事が2回に軽食1回が出た。ヒューストンでは大規模な雷雲が発生して、天候が不安定なため、しばらく上空にて待機した後、1時間ほど遅れて着陸した。急いでアメリカの入国手続きと税関の手続き(共に通過目的の乗り継ぎでも必ず行う)、乗り継ぎの手続きを行う。ヒューストンでは日本からの国際線が到着するターミナルから、中南米行きの便が出発するEターミナル(2003年6月4日にオープン)までは逆の位置にあたり空港内の移動距離が長く大変だ。ただし暫定的なものらしい。当然サンサルバドル行きの便も遅れて出発。機内は予想に反して現地の人たちで満席。観光やビジネスなどで有名な場所の路線でもないのにと不思議に思ったが、アメリカにはエルサルバドルからの移民が220万人いて、人や経済の交流が頻繁に行われているとのこと。日本から17時間かかりエルサルバドルの首都、サンサルバドルに到着。入国審査も中米の国らしく?なごやかな雰囲気で終了した。空港の外へでると人、人の集まり。乗客は140名程なのに、その3倍位の人が出迎えにきているか、見学に来ているだけなのか分からない。空港で、 エルサルバドル観光公社(CORSATUR)と在エルサルバドル日本大使館のスタッフ の出迎えを受けホテルへ向かう。空港はサンサルバドルの南42キロに位置しサンサルバドルまでは坂道をずっと登り1時間ほどで宿泊インターコンチネンタルホテルに到着。
ここで簡単にエルサルバドルについての説明したい
国名はエルサルバドル共和国、面積は21,040平方キロメートル(日本の四国ほど)、首都はサンサルバドル(標高680m)、人口は630万人(サンサルバドル49万人)、 公用語はスペイン語、通貨は米ドル、宗教はカトリック、主要輸出品コーヒー、砂糖、縫製繊維製品。この国も中米他国同様にスペイン人による統治を受ける1522年以前は、マヤ系の先住民が多く生活していた。1823年にスペインより独立。1970年後半から共産系左派グループによるゲリラ活動からクーデター、12年に及ぶ内戦へと発展し、惨劇を全土で繰り広げた。この時期のことはオリバーストーン監督により「サルバドル」で映画化された。内戦の国としてのイメージのほうが日本人にも深く浸透している。93年に内戦も終結。その後のことはあまり知られていないのが現実だ。大統領を元首とする立憲君主制を取る。マヤ文明時代の遺跡も多く、太平洋沿岸にはリゾート地なども多く開発が進んでいて、アメリカからの観光客が多いのが現状だ。
2日目:6月6日 サンサルバドル→日本大使館→国立D.Jグスマン博物館→カサブランカ 遺跡→ホヤデセレン遺跡→サンサルバドルピラミッド
朝食後、日本大使館へ向かい、ここで細野大使よりエルサルバドルの説明や、日本との関係について説明やエルサルバドルの観光ポイントとして、マヤ文明の最南端という特徴を生かした、メキシコ、グァテマラ、ホンジュラス等の近隣諸国の遺跡見学を中心としたもの、スペイン語研修ツアー、マングローブの林や山岳地帯を組み合わせたエコツアー等の提案を受ける。以後3日間の日程に同行していただく。
次に国立D.Jグスマン博物館へ行き、日本から派遣された研究員の柴田さんより、エルサルバドルの遺跡について説明を受ける。本日の日程に同行して説明をしていただく。
藍染めの実演最初にカサブランカ遺跡(CASA BLANCA)へと向かう。ここはサンサルバドル市から西80kmのアウアチャパン県とサンタアナ県の県境に位置し、約1時間の場所にある。ここはマヤ文明のチャルチュアパ遺跡群の1地区でその面積は6000平方メートルに及ぶ。まだ未発掘の遺跡が数多くあり日本政府の援助により遺跡の発掘研究中であり、現在京都外国大学メソアメリカ学研究センター調査団が発掘作業中。6基のピラミッド上の建造物が復元されており、資料館には発掘物を展示する他に当時の産業として発達した藍染め技術の復興をめざし、藍染色工房も隣接され日本からも専門家も派遣され研究にはげんでいる。藍染めの過程も見ることができるが、私達のようなゲストにも体験させてもらえるといいのだが。
住居跡続いて昼食を挟み、ホヤデセレン遺跡(JOYA DE CEREN)へ向かう。サンサルバドルから西に約35km、約1時間のリベルタ県に位置する。1976年に発掘が開始され、1993年にユネスコの世界文化遺産として登録される。マヤ文明の生活形態を知る上で、貴重な村落遺跡が残っている。3世紀頃から農耕が営まれて6世紀頃のロマカルデーラ火山が住居跡噴火し、村全体が火山灰に下に埋もれてしまった。1400年を経て1976年に穀物保存用のサイロを建設中に発見された。当時の生活の模様や農耕機具、土器類が発掘されており、住居跡で確認された建造物はすべて日干しレンガ造り、土を固めた土台や壁には細い竹ような植物が通されて鉄筋のような役割を果たしていた。台所、寝室などの間取りも解明されている。1部は公開されているが残念なことに説明を記した案内板がない。
3日目:6月7日 サンサルバドル→コスタデルソル→サンサルバドルコスタデルソル
サンサルバドル市から南東に54Kmに位置し、車で約1時間30分程のラパス県に位置する、コスタデルソル(COSTA DEL SOL)へ向かう。ここは太平洋に面したビーチリゾートで、内戦中でも一部の特権階級により栄えていたという。今も開発が続いている?というが、どこにもその傾向が見えない。ビーチリゾートというので青い海、白い砂浜が続く海岸を想像していたのだが、過去何年も続く火山の噴火による影響で黒い砂浜で太平洋の荒い波に巻き上げられ海水も黒く見え、日本の砂浜と一緒で残念だ。
バイアホテルビーチ沿いに3軒あるホテルを見学したが、皆、設備が古く3軒中1軒しか宿泊客がいなっかった。昼食後、その中の1軒、バイアホテルの見学をする。ここのホテルはコテージタイプで各棟毎に庭にジャグジーが備えられている。建物の色も青やピンクなど原色で彩られており強い日差しと青い空にとてもよく映えてとてもきれいだ。見学後にホテル内の桟橋よりマングローブ林への遊覧に出発する。
ここは川の河口地帯で海水と淡水が混じりあう汽水域。船はまず、河口へと向かう。河口付近は川幅が狭まっており太平洋からの潮流が狭い河口へと向かって、強い流れで入り込んでくる。引き続き、河に浮かぶ小島のタサヘラ島へ上陸する。ここには突然変異で三又に分かれた、珍しい椰子の木が栄えている。船に乗りマングローブの林へと向かう。ペリカンがマングローブに木に群れで休んでいたり、白鷺の巣が群れであったりと楽しめた。2時間位で終了。支流に入りもっと近くで見学できればと思う。三又の椰子マングローブ林
4日目:6月8日 サンサルバドル→ナウイザルコ→フアユア→サンタレチシアコーヒー 園→サンアンドレス遺跡→サンサルバドル
サンサルバドルから西へ約70Kmに位置し、車で約1時間30分のナウイザルコ(NAHUIZALCO)の町へと向かう。到着後、町を散策する。ここは籐を使ったかごや椅子等の籐家具が主な生産物で、通りの両側には民芸品店があり籐家具の他に日用品等も店先に並ぶ。カラフルなバス露天市場
町にはカラフルな塗装の市営バスが走り、道には頭上に買い物した品物を乗せて歩く女性も多い。今日は日曜日なので、露天市場が開かれており市場におじゃまする。狭い路地に露天がひしめき合い、店頭には地元で取れた果物や野菜、惣菜、衣類が並び地元の人で混雑していた。
教会続いてフアユア(JUAYUA)の町に向かう。ここは中南米の各都市のように教会を中心とした町並みとなっている。教会では礼拝が行われており、人々の信仰の強さが伺える。教会には黒いマリア像があった。普通は白いマリア像だが、黒いマリア像は珍しいとのこと。
教会の前の広場では日本の縁日のようなものが催されていた。縁日では焼き鳥やお菓子が売られて、子供達にはおもちゃなどが売られている。
コーヒー選別の風景サンタレチシア(SANTA LETICIA)コーヒ-農園へ向かい、見学する。エルサルバドルのコーヒーは中米の中では主要な産業で有名であるが、日本ではなじみが薄い。230エーカーの広さのコーヒー農園では1965年に偶然にマヤ文明の3つの巨石が発掘された。それぞれ12t、10t、8tもあり人の頭が刻まれており、穏やかな顔立ちが当時を彷彿させる。
マヤ文明の遺産これら巨石はこの場所で作られたものではなく、運ばれてきたものだ。山の中までどうやって運んできたか不思議だ。このような場所に遺跡があるのは意表を突かれた。元々このコーヒ-農園付近にはこの他にも発掘されてない遺跡が多く、エルサルバドル全体でも発掘されてない遺跡が多いという。昼食は、宿泊施設のレストランで食べるここはコーヒー農園を中心として、ハイキングなどが楽しめる。昼食後、コーヒーの選別工場でコーヒー豆を選別して商品として出荷される過程を見学する。ここのコーヒーは最近日本でもはやりのコーヒーショップ発祥の地、米国のシアトルへと輸出されている。復元されたピラミッド遺跡群
その後はサンアンドレス(SAN ANDRES)遺跡へ向かう。サンサルバドル市内から西に約35Kmのリベルタ県にあり、車で約25分に位置する。まず博物館を見学、発掘された土器や人面土器、遺跡の全用の模型、頭蓋骨、水道の模型などが展示されている。
ステラマヤ時代の石碑(ステラ)を見学する。このステラにはレリーフが刻まれているが、マヤの神聖文字は刻まれていないのが謎とされている。続いてピラミッドを見学、全部で1910年に発見された15の築山があり、その他にも付近には手つかずの状態で放置されているのが見える。周囲は豊かな緑の森や草地が見渡せ、とても気持ちが良い。中心には高さ22mの1号神殿がありこの地の支配者も祀ったものとされている。この遺跡については発見から80年経った現在でも全容が解明されておらずマヤ文明を起源としていることまでは発掘物等で確認されているが、支配者の名や建設目的などは未だに分かっておらず、ミステリアスだ。
又、ピラミッド群の周囲では水路の跡や当時の産業でもあった藍染め工房の跡も見られ発達した文化が窺い知れる。
5日目:6月9日 サンサルバドル→インボッシブレ国立公園→サンサルバドル
エルサルバドルが観光促進に力を入れている中でも昨日までのような遺跡見学と並んでアピールしているのが、自然を組み合わせたコースがある。そのコースの一つサンサルバドルから西へ車で約2時間のグァテマラとの国境近くのエルインポッシブル(EL IMPOSHIBLE)国立公園へと向かう。
エルインポッシブル公園到着後公園のエコガイドの説明を受け、ハイキングへと向かう。公園内ではコース毎にテーマが決められており、比較的短い「生と死を知る森」と言うテーマのコースを選択した。コースの途中にはテーマに添った案内があり、森の生物の食物連鎖などが説明されている。片道1時間程で頂上へと到着。新緑の中を歩くのはとても気持ちが良い。公園の名前の由来だがグァテマラへの道路を作る際に、このあたり一帯の工事が困難を極め、工事は不可能と言われていた。完成したのを記念して難工事を忘れないようにと命名された。40分程で下山した。
サンサルバドル市内と戻り、エルサルバドルで著名な画家のFERNAND LIOTのギャラリーを立ち寄り、色鮮やかな抽象的な絵を見る。ここで販売されている絵葉書はお勧めだ。
続いて人が空に向かって両手を延ばしているデザインの内戦終結を記念した平和の塔を見学。民芸品店でショッピングをした。客引きなどしつこくなく買い物がし易い。FERNAND LIOTギャラリー平和の塔
6日目:6月10日 サンサルバドル→イロバスコ→スチトト→サンサルバドル
サンサルバドル民芸品店 朝ホテルにてエルサルバドル観光公社による現地旅行会社との懇談会に参加。エルサルバドルの観光資源についての説明やツアーの可能性について説明を聞く。日本からのツアー客はゼロに近い状態で、アジアだと国交のある台湾からが多いとのこと。また、団体客がまだ主流とのこと。私たち日本の旅行業者も日本語ガイドの育成のお願いをし、意見交換をする。日本からのツアー客が多く来て欲しいと期待を感じた。
懇談会後、ホテルを出発、市内のバリオス広場(Plaza Gerardo Barrios)へ、国立宮殿(PALACIO NACINAL),以前に大統領府、省庁、最高裁判所があった建物。地下が国立古文書館として使用されている)、大聖堂(IGLESIA METROPOLITANA CATEDRAL、外側の壁面はエルサルバドルで著名な画家のFERNAND LIOTのカラフルな絵で装飾されている)を外側から見学。国立宮殿大聖堂
サンサルバドル(San Salvador)について
エルサルバドルの首都の標高680M、人口は49万人。近郊の都市などの首都圏で約200万人と全人口の約3分の1が集中する。サンサルバドルは聖なる救世主を意味する街にはアメリカ系の資本が入ったガソリンスタンド(テキサコ)、ファーストフード店(ビザハット、ケンタッキー)が見られ、中米諸国の中でも最大の規模を誇るメトロセントロ(METRO CETRO Y METOROSUR)を始めとした大規模なショッピングセンターが街中にあり経済の安定化を拝啓とした消費意欲の高さが感じられる。その一方で12年続いた内戦や86年に起こった大地震の影響もあり荒廃した建物の修復が進んでいないところもあり、貧富の差も拡大して治安の悪い面も見受けられ役所及び商店、邸宅の入り口には銃を持ったガードマンが配置されている。ホテルについては、レアルインターコンチネンタルホテル、ラディソンホテル、マリオットの外国資本やプリンセスホテルなどの地元資本のホテルが多くある。これらのホテルはセキュリティーがしっかりしているのでこのようなホテルに宿泊することをお勧めする。夜間の外出についても避ける。観光もサンサルバドル市内から近隣の都市へ出かけて、昼間はスコールを避けて、夜前にホテルへ戻るパターンが基本となるようだ。地方にはまだホテルがなく外国人が安心して宿泊できる場所は多くない。
イロバスコの民芸品店本日はハンドクラフトとコロニアルアートルートを見学する。サンサルバドル市内から車で約1時間、東にあるイロバスコ(ILOBASCO)の街に向かう、ここは陶器を生産しておりスペイン統治時代の建物を残す街並みを散策した、通りの両方にはお土産屋が並びカラフルな陶製のお面や壁掛けなどが売られていた。続いて陶器を生産する工房を見学し、粘土からろくろを回して制作する過程を見学し、ろくろ回しも体験できる。

ポサダホテルからの眺め次に、エルサルバドルの北44kmに位置し車で1時間のスチトト(SUCHITOTO)の街に向かう。ここもスペイン統治時代の建物が残り、人口の湖があり週末にはサンサルバドルからレジャーに訪れてにぎわう。湖を一望できる高台にあるポサダホテルのテラスにて休憩。
これで今回の研修旅行の全日程を終了しサンサルバドルへとスチトトのカテドラル戻る。
今日の夕食は地元のレストランで名物のププサを食べた。ププサはトウモロコシの粉を練った物の中にチーズや肉、フリホーレスと呼ばれる豚肉のペーストを入れて鉄板で焼いた、お好み焼きのような物。キャベツの酢漬けをトッピングしたり、トマトソースをかけたりして食べたが、おいしかった。食後に市内を見渡せる高台から夜景を見学した。 エルサルバドルでの日程は終了した。
7日目:サンサルバドル→ヒューストン
8日目:ヒューストン→
9日目:東京着

以上、日程に併せて印象等を記してきたが、あまり日本には知られてないが、全体の印象として、食事はおいしく、ホテルやレストラン等の施設は充実し、トイレなどは清潔。観光地の整備、開発が遅れているが、人達は明るく、誠実な印象を受けた。スペイン統治時代のコロニアル風の町並みと自然、国立自然公園などの、隣国と組み合わせれば、マヤ文明の繋がりを感じることが出来る。日本はアメリカを経由して行くことになり、帰路は乗り継ぎ関係で1泊は必要。近隣の国々を訪れた際に2~3日の滞在でも充分満足出来ると思うので、お勧めしたい国である。
羽鳥 貞昭
2003年6月

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