アッサラーム チュニジア -学生生活最後の旅-

アッサラーム チュニジア -学生生活最後の旅-

「チュニジア行ってくる。」私がそう言うと、友人のほとんどから返ってきた言葉が、「どこにあるの?」とか「それって国?」というものでした。そんな国チュニジアを、私は学生生活最後の旅先に選んだのです。
私のチュニジア滞在第一日目は、あいにくの雨でした。しかも予想以上の寒さに、日本から持ってきていたカイロを常に持ち歩いていました。


首都チュニスは、フランス植民地時代に建設された新市街と、昔のままの姿を残すイスラム都市、メディナ(旧市街)から成る町です。新市街を歩いていると、自分は今ヨーロッパのどこかの都市にいるんじゃないかと何度も思いました。広い通りにはオシャレなカフェやレストランが立ち並び、街を歩く若者たちも都会っ子という感じ。チュニジアは戒律の比較的ゆるやかなソフトムスリムの国だということは知っていたけれど、私が持つイスラム教のイメージと全く違って、それまでイスラム圏の国を訪れたことのなかった私は、「ここは本当にイスラム教の国!?」と言いたくなるほどでした。それほどにチュニスの新市街は西洋的なのでした。「せっかくアラブの国に来たのに・・・」と少し淋しく思いながらメディナの方へ歩いていくと、ありました!アラブ世界が!!チュニスは西洋とアラブが同居する町だったのです。メディナにはスークと呼ばれる市場があります。金物細工、みやげ物、衣類や日用品、スパイスなどを売る店が所狭しと並んでいて、いつも地元の人たちでいっぱい。路地は迷路のように入り組んでいて、気づいたら同じ所を何回もぐるぐる周っていた、ということもしょっちゅうでした。メディナの中にあるカフェも、新市街のカフェとは違ってアラブスタイル。どこからともなく聞こえてくるアラブ音楽と、通り過ぎるたびに声をかけてくる店のおじさんたち、所狭しと並ぶ色とりどりの品物と、買いたいものが何もなくても、メディナは歩いているだけでとても楽しいのです。
メディナの中には、チュニス最大で最高の聖地であるグランド・モスクがあります。私もイスラム世界を見てみようとモスクの中に入ろうとすると、警備員のようなおじさんに止められてしまいました。「なんで??」とわけがわからず辺りを見渡してみると、女の人はみんな、スカーフのような布で頭を覆っています。どうやらモスクの中に入るには、女性は髪を隠す必要があるようです。チュニスの街中で髪を隠している女の人を見かけることはあまりなく、ソフトムスリムの国だけあって服装の規制はそれほど厳しくありません。新市街を歩いているときは「ここって本当にイスラム教の国!?」などと思ったけれど、ここに来て初めて、チュニジアの人たちがイスラム教を信仰しているのだということを実感したのでした。チュニスから電車で30分ほどの所に、シディ・ブ・サイドという町があります。ここはチュニジアの中で最も美しい町だと言われていて、建物はすべて、白と青で統一されています。町全体が絵本の中のような世界で、どこを歩いていてもなんとなくワクワクします。丘の上にある町なので、地中海も見渡すことができました。地中海は、青や水色、緑や白といったふうに海がいろんな色になっていて、空との区別ができない所ぐらいまでずっと続いているのが、言葉では言い表せないほどにすごくきれいでした。

バスに揺られること約9時間。チュニスを後にした私は、一気に南下して、砂漠の入り口の町、ドゥーズにやって来ました。
ここを訪れた理由はただ一つ、砂漠に行きたい!ということです。
その願望を果たすべく、翌日私は、ラクダにまたがってずんずん砂漠の中へと入って行きました。ラクダは乗っているだけなのに、けっこう疲れる乗り物(?)でした。歩くたびに上下に揺れるので、乗っている方もぐっと力を入れなければならないし、なんと言ってもお尻が痛かった!でもラクダは、お尻を痛がる私などお構いなしで、どんどん砂漠を歩き続けます。最初はガイドさんたちと楽しくおしゃべりしていたのですが、砂漠の静けさに、次第に私たちも黙ってラクダに揺られるようになりました。 ふと辺りを見てみると、見渡す限り、空の青と砂の白、この2色だけの果てしない世界が広がっていました。植物も動物も人間も、何もない、聞こえてくるのはラクダの歩く音と風の音ばかり。そんな世界の中で私は、この地球上に存在するのは自分ひとりだけ、そんな錯覚に陥ってしまいました。全てのことがどうでもよくなってきて、思わずため息がこぼれました。
2時間ほどラクダに揺られた所で小屋のようなものが見えてきました。どうやらここで夜を明かすようです。ガイドのお兄さんが作ってくれた食事を済ませて小屋の外に出た私が見たものは・・・空一面の星!!星ってこんなにたくさんあったのか、というぐらい数多くの星を目の前にした私は「すごい!」の連発で、ただひたすら叫んでいました。空が近くて、星に手が届きそうです。流れ星を何度見たかわかりません。これほどに無数の星をこの先見ることができるんだろうかと、私は砂の上に寝転がってずっとずっと星を見ていました。
ところでやはり、砂漠の夜は寒い!この夜はあまりの寒さに全く眠れませんでした。寒いと言って起きていたのは私たち外国人のみで、チュニジア人のガイドさんたちは、皮膚の造りでも違うのか、ぐうぐうといびきをかいて熟睡していました・・・。
砂漠の中にある小さな村にも訪れました。ラクダや羊がそこらじゅうにいて、子どもたちは裸足で、その動物たちといっしょになって駆け回っていました。店なんてものはもちろんなく、道という道もありません。人々が暮らす小さな家がポツリポツリと建っているだけです。
こんな所で生活している人もいるんだなぁと思うと、またしてもため息です。いろんなものが簡単に手に入る所で暮らしてきた私には、砂漠での生活は、不便じゃないのかとか、退屈しないのか、などと思えます。でもその村では、何もなくても子どもたちは元気に走り回っているし、大人たちはおしゃべりしながら、洗濯をしたり家畜の世話をしたり、のんびりと自分たちの仕事をしています。そこで見た人々は、大人も子どもも、おじいちゃん、おばあちゃんも、みんな穏やかな笑顔で私の心を和ませてくれました。ここでは本当に、すごくすごく、ゆっくりと時間が流れているのです。
ドゥーズでは砂漠のほかにもう一つ初体験がありました。それはハマム体験です。ハマムというのは公衆浴場のことで、チュニジア人たちの社交場となっている所です。自宅に風呂がある上流階級の人たちも、週に1回は通うというハマム。そんな場所なら私も是非行ってみたいとずっと思っていました。実は私はこのドゥーズで、ひょんなことからホームステイをさせてもらうことになって、そのステイ先のおねえさんに連れられて、ハマム体験が実現できることになりました。
ハマムは日本でいう銭湯のような所です。もちろん湯船はなく、蒸し風呂のような感じです。そこでみんなは何をしているのかというと、おしゃべりしながらせっせとアカスリをしているのです。アカスリ専門のおばちゃんもいて、気持ちよさそうに体をこすってもらっているおばちゃんもいました。
私がそんなハマムの中に入って行くと、みんな私に興味津々。
「これはこうやって使うのよ」とか、「こんな風に体を洗うのよ」などと教えてくれます。私も見よう見まねでやってみます。言葉が通じなくても、身振り手振りと、あとは笑顔だけでコミュニケーションは取れるんだなぁと改めて実感しました。こういう現地の人たちとの触れ合いが私はたまらなく好きです。だから旅はやめられないんです。
ハマムから出ると、サウナに入った後のようにへとへと。ビンのフルーツ牛乳を一気に飲みたい気分です。はぁ~気持ちいい!すっかりハマムのとりこになってしまった私は、そのあとも何度もハマムへと足を運んだのでした。

今まで知らなかった国を訪れるたびに、世界は広い!と当たり前のことながら、私はいつもしみじみと感じます。まだまだ知らない場所や知らない文化がたくさんあって、そこには私とは全く違う生活をしている人がいる、そう思うと、また今すぐにでも旅に出たくなってしまいます。もっともっと多くの人との出会いが、私を待っているような気がしてなりません。そしてそういう出会いが、自分自身を大きくしてくれるのだと思うのです。私が旅で得たこと、そしてこれから得られることを、たくさんの人に伝えていけるように頑張りたいと思います。
岡部 聖子
2003年3月

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