イラン・栄華を誇ったイスファハン・ゾロアスター教徒の町ヤズド そして廃墟化したバムへ

イラン・栄華を誇ったイスファハン・ゾロアスター教徒の町ヤズド そして廃墟化したバムへ

イラン上空で夜が明けたとたん朝日に照らされた砂漠の風景が眼下にあらわれた。
とうとうここまで来たのかと感動を覚える瞬間だった。
今年4月ファイブスタークラブに入社し、初めての社員旅行である。
それも、私の頭の中には何の情報もインプットされていないイランである。
旅に出る前にイランについてのイメージを数人の友人に聞いてみた。すると、皆、一致していたのが、「怖い所に行くんやなあ」である。私自身もそんなイメージに近いものを持っていた。しかし、今回の旅を終えた後は、そんな印象を180°転換させた。


イランの歴史は古く、紀元前7000年までさかのぼる。紀元前3000年頃のメソポタニア文明の後、アケメネス朝ペルシャ・サーサン朝ペルシャなど数々の王朝がイランを征服し、その時々の文化や建造美が、今もなお各地に数多くのこされている。
イランは、決して近い国ではない。直行便も成田からしかなく、約12時間、しかも週2便。後は、ドバイ・クアラルンプール・ヨーロッパ各地を経由するしかない。今回の旅は、クアラルンプール経由である。一日目は、飛行機に乗りっぱなし、最初の目的地イスファハンに着いたのは、二日目の朝であった。
イスファハンは、まさにイラン国民自慢の街である。ユネスコの世界遺産にも登録され、イラン観光のハイライトと言っても過言ではない。かつてから、シルクロード貿易の要として栄えていたが、最も栄華を誇ったのが、サファヴィー朝のアッパーズ大帝1世のころである。この地を首都に定め、エマール広場を中心に街が出来あがっていった。
その中心地エマール広場に一歩足を踏み入れると、その広さに驚きを感じる。(縦510m・横163m)池を囲むように長方形に建物が建ち並び、青い空を突き刺すようなメナーレ(イスラム教寺院にある尖塔/光塔)・ドームに目を奪われる。最初に訪れたのが、アーリー・カーブ宮殿。なんと、当時では珍しかった7階建ての高層建物だ。見所は、大きな池があるバルコニーと最上階の音楽室である。バルコニーからの眺めは素晴らしく、広場全体を見渡すことができる。池のまわりを馬車が走り、芝生の上に腰をおろし休んでいる人などの光景を見ると心が休まる感じがする。洞窟みたいな急な階段で最上階へあがるとまず目を引くのが、華麗な装飾で飾られた天井部分である。壁や仕切りにさまざまな楽器の形をした穴が開いているのは、演奏の際に余分な音を効果的に吸収する働きがあるのだという。いったいどのような美しい音色を響かせていたのだろうか。
回廊部分の土産物屋を散策しながらマスジェデ・エマームへ、天井が鍾乳石で飾られたエイヴァーン(戸外に向かって大きく開いた屋根のかかった部分)をくぐり中庭へ、45度斜め奥にメッカの方角を向いたもうひとつのエイヴァーンがそびえている。そのエイヴァーン上のメナーレとメナーレの間をぬうようにドームが建っている。まるで人が祈っているかの様な佇まいである。エイヴァーン奥には中央礼拝堂があり、おもしろい事に天井が二重構造になっているため、中央の床の真中に埋められた床石で手拍子をするとドーム内全体に音がこだまし、神秘的な気分にさせられる。
最後に王族専用のマスジェド(イスラム教寺院)であったマスジェデ・シェイフ・ロトゥ・フォッラーへ、今まで見てきた寺院に比べ何かが違うと感じる。ドームの色からして青色が多い中、ここはベージュを基調としている。青いエイヴァーンとベージュのドームとのコントラストがとても素晴らしい。メナーレもなく豪華さはないがシンプルで私はなんとなく印象に残った寺院である。その分内装に工夫が見られ、窓から差し込む太陽の光でタイルに飾られた文字が浮かび上がる構造は、まさに別世界にいる感覚にみまわれる。寺院全体が400年前のまま残されていると言うのだから驚きだ。
イスファハンでのもうひとつの楽しみは、バザールでの買い物であろう。そこは活気にあふれ掘り出しものを見つけようとする観光客で賑わっている。店の人も気前が良く値切ればまけてくれる事まちがいなしだ。
三日目、イスファハンからバスにて約4時間、今もなおゾロアスター教の信者が住んでいる町ヤズドへ。四日目の朝、この町最大の見所、ゾロアスター教徒の墓場の意味を持つ沈黙の塔に訪れた。この地は、砂漠で覆われていて町全体がベージュ色という感じである。現在は、イスラム教と同じ土葬だが、1930年代レザー・シャーが禁止するまで鳥葬(風葬)が行われていた。それは、火葬は空気を汚し、土葬は土を汚すという事からだという。塔に屋根がないのは、鳥が食いつくし自然に返るのを待つためである。塔は小高い丘の上に円形に建っている。足場は、悪いがハイキング感覚で登れる。塔の入口は、2メートルぐらい上にあり、女性なら人の手が必要かも。塔の上からの景色は、また格別だ。あたり一面荒野であり、まるでアメリカ西部劇映画のワンシーンを見ているかのようだ。ここにはもうひとつ絵になる光景がある。ロバに乗ったおじいさんが観光客に塔をバックに写真を撮らせるのだという。なるほど、パンフレットにつかえそうな構図だと思った。
ヤズドから南東へケルマンを経由してバムへ、シルクロードより分岐するスパイスロード(香料の道)の要所にあたる為、この町の歴史は2000年前と古いが、1810年シラーズ軍の侵攻により町は完全に見放され廃墟となった。この代表的な建造物がアルゲ・バム(バム城砦)だ。現在残っているほとんどの廃墟がサファヴィー朝時代のものである。廃墟となったもうひとつの理由が、もともと水に乏しくここを統治する必要性・魅力が無くなったからだという。当時は城砦のまわりには水掘りがあったとの事だ。しかし、現在のバムの町は、意外と緑が多くナツメヤシに囲まれていて果物の栽培も行われている。
五日目の朝早くそのアルゲ・バムを観光、監視台の役割も果たしている門をくぐり右側の急な階段を上がると、そこからは、雄大なバム城砦が見渡せる。朝の日差しがセピア色の外壁をより良く反映させている。そして、ここは、夕暮れ時に来るのがベストらしい。夕日に廃墟が赤く染まりとてもロマンチックだそうだ。城砦内には、バザール・学校・チャイハネなどが点在していて、半日ぐらいかけてのそぞろ歩きが楽しそうだ。城の屋上へ上がるとアルゲ・バムの全貌そしてバムの町を見ることが出来、あらためて緑の多さに驚きを感じる。ここは黒いチャドル姿の女性が、セピア色に反映されとても良く似合う所だ。

イラン滞在最後の日、この社員旅行を親身になってお世話をしてくれたガイドさん07.jpg宅へ出かけた。テヘラン郊外、これから開発が進むであろう住宅街にあった。ホームステイも行っているという。将来的には、家の前に湖が出来るとの事だ。日本みたいにきゅうきゅうに詰め込んで家を建てるのではなく、心の癒しになるような環境造りも考えているのだろう。できれば、湖が出来上がる頃、もう一度イランを訪ねてみたい。
赤崎 新一
2002年11月

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