スリランカ旅行記

スリランカがどんな国かと聞かれれば、今までは仏教遺跡と紅茶くらいしか思いうかばなかった。申し訳ないがあまり興味がなく、モルジブの経由地くらいにしか思っていなかった。それが、何の縁か急に行くことになった。本社から1人と大阪の私との2人旅。スリランカ周遊の6泊8日間!
成田からコロンボ直行のスリランカ航空は、エコノミー席も全席モニター付きで、とてもきれいな機内。私はそんなにグルメじゃないが、ご飯も結構おいしい。スチュワーデスさんは、きれいな孔雀模様のオリエンタルな緑色のサリー。みんな浅黒い肌なので、ほんとうによく似合い、見とれてしまった。


1人の乗務員が「コロンボに行くのですか?」と私たちに話しかけてきて、なぜか日本語の話せるスリランカ人乗客1を紹介してきた。実際、これに乗っている日本人のほとんどがモルジブ・マーレへ行くらしい。スリランカへ行く日本人の女2人組みはめずらしいのだろうか。その人は、日本とスリランカを長年行き来しているらしく、本当に流暢な、ほとんど完璧な日本語。いろいろ話し込んでしまった。お酒がそうとう好きらしく、次から次と私たちの分まで注文してくれる。まあ、飛行機の中はただなんでいいんだけど・・。今回の日程を話すと、「モルジブは行かないの?」と言う。行った事ない。そして、スリランカにある、モルジブに匹敵するというビーチを教えてくれた。トリンコマリー。そして、私たちの日程を見て、こういう風にすれば行けると、日程のアレンジまで考えてくれる。この人はとても話し好きで、スリランカ滞在中に会えたら、またお酒飲んでしゃべろうと約束した。
空港に着いて出迎えてくれたのは、ガイドのリリーさん。(男性) こっちの人はやせている人が多いけれど、この人は色がとても黒くてがっちりしていて、ポリネシア人みたい。トリンコマリーの事を話したら、にっこり笑って「きれいですよー」ってこの人も言う。もう、決まり。行きたい!無理言って日程をアレンジ※してもらった。1日目ニゴンボ泊。
翌日ニゴンボを出発すると、すぐどしゃ降りが始まった。実際、島の南西はこの時期雨期。あーひどいな・・と思っていると、リリーさんはにっこり「よかった」と言う。ここでは水力発電らしく、雨が少ないと停電が毎日のようにあるらしい。そうか。めぐみの雨なのか。大雨の中をしばらく走り・・ダンブラの乾燥地帯に入ると、もうこっちは夏真っ盛りのような晴天!スリランカは北海道より少し小さいくらいなのに、地域によって気候や雨期乾期がぜんぜん違うらしい。強い太陽をいっぱいあびた豊かな緑のこの土地にはお花がいっぱい。ピンクのブーゲンビリアや黄色やオレンジ色の花。(名前はわからない) あと、他で見たこともないようなビビッドな赤い花が高い木に咲いている。リルニクスフィクシアという難しい名。別名、メイフラワー。もう5月は終わったけれど、満開なのを見られてよかった。真っ青な空に赤が映えて、なんてきれいなこと!その先しばらくいくと、軍の検問がやたらと多くなる。4月に停戦調停を結んだが、ここら辺はタミル・ゲリラの活動地域だった。
ビーチは地元の人でいっぱいだった!地元といっても、みんなスリランカの各地から車で来ているのだろうけど。外国人がほとんどいない。2か月前まではいわゆる危険地域で、ここに遊びに来る事ができなかったらしいので、みんな本当に嬉しいのだろう。波打ち際に入ってはしゃいだり、それを眺めたり、文字通りビーチに群がっている。まるで子供のように無邪気に騒ぐ人々。海に入っている女性はぜんぜん見かけなかったが、せっかくなんで泳いでみた。遠浅のビーチ。真っ白な砂。水はぬるま湯のように温かく、水中は白砂で煙ったようになり、ミルクの中を泳いでいるよう。ビーチでは砂地の魚しかいなかったが、ボートで沖の小島の方へ行けば、魚がいっぱいのスノーケルスポットもあるらしい。
帰り、フィッシュマーケットへ寄り道。魚を並べている市場のすぐ後ろは、漁港というか、漁をした船が着くビーチ。ここでは朝夕の2回漁をする。その様子をちょうど見られた。絵に描いたような大漁!原色でペイントされた小さな木の船が次々とビーチに着く。覗くと、その中には、あじのような銀色の魚がぴちぴちいっぱい!もう、籠からあふれるほどの魚を重そうに運びながらも、私がカメラを向けるとにっこり笑ってくれる。1メートル以上もあるまぐろを1人で担いでいる人もいる!その人の体重よりも絶対まぐろの方が重そう。みんな明るく楽しそうに働いていて、なんていうか、絵本の中の漁村みたい。いつまで見ていてもあきなかった。
またもどる途中、巨大な湖のような貯水池を通りかかった時、ちょうど夕日時だったんで車を止めてもらった。日が落ちるのを眺めている人達が他にもたくさんいた。この国、特にこの地域は日本人がめずらしいのだろう。よく人々に見られる。決していやな感じではなく、素直な好奇心の目や、あるいは控えめな笑顔で。そしてこちらが笑いかけると、みんな美しいとしかいいようのない笑みを返してくれる。だいたいこの国は、美男美女がとても多い。彫りの深い顔立ち、大きな黒い目、長いまつげ。背もすらっとした人が多く、そしてみんな、すてきな笑顔。

夜、なんと機内で会った乗客1が合流できて、リリーさんもいっしょにみんなで飲んで、今日会った事をいろいろ話した。2人ともシンハラ人だけど、タミル人の友達もたくさんいるという。もちろんほとんどは普通の人で、テロをやっているのは一部の人。乗客1は、タミル・ゲリラの人と話しをした事があったらしい。彼らは頭がよく、おもしろく、いいやつらだったという。そして、今まで大勢の何十人もの人を殺してきたけれど、その度に自分も同じだけ苦しかったと言ったらしい。自分達と同じ人間だったと言った。そういった事がみんな分かり合えるなら。遅かれ早かれなんとかなるんだろう。
3日目、シギリヤロックへ。緑の樹海の中に、まるで空からごろっと落ちてきたようにある、黒っぽい岩山。それだけだったとしても、ほんとに奇妙で、観光地になっただろう。こんな光景見た事ない。そしてそこには、骨肉の争いで地位を奪った若い王が宮殿を造った跡がある。近づくと、ほとんどその垂直な岩に驚かされる。観光用に登れるように階段がつけてあるが、高所恐怖症の人は絶対無理だ。その当時使っていたと思われる階段は、普通の人間ではほとんど不可能な感じ。さすがに頂上は絶景。暑さか恐さでか、かいた汗に風が気持ちいい。ここはシギリヤレディと呼ばれる壁画が有名だけれど、その妖艶な美しさよりも、1,000年以上たっても、こんなにきれいな色が残っている事に驚いた。
午後はポロンナルワ観光。ここはアヌダラプーラより後の時代で、インドから来たタミル人の文化があった町。タミル人はヒンズー教。破壊された仏像が目立つ。
昨日から2泊連泊したディアパークは森の中のコテージ風。自然光が入るシャワールームや、オープンエアなレストランなど、自然を贅沢に満喫できるデラックスホテルだ。料理もおいしいし、スタッフがとてもにこやかだった。
4日目も晴天。ダンブラ石窟寺院へ。ここは、5つの大きな石窟の中に、かなり保存状態のいい仏像や壁画がある。大きな涅槃もいくつもある。壁に描かれた僧侶は、中国などで見たそれとはかなり雰囲気が違う。顔つきは彫りが深く描かれ、アラブ系にも見えるほどで、エキゾチック。見学している途中でお坊さんのお祈りの時間が始まった。激しく太鼓をたたいているのが聞こえる。にぎやかというか、けたたましいくらいに。祈りが終わると、お供え物の果物をみんなに配る。見学していただけの私にもくれた。私の大好きなパイナップルは、とても甘かった。
夜、ライトアップされた仏歯寺へ。ここでは、インドで死んだブッダの歯がまつられているという。その部屋をお参りするのに、大勢の人が並ぶ。子供連れの若い夫婦、制服におさげの女の子達、きれいな新品のサリーを着たおばあさん。みんな一生懸命祈る姿が印象的だった。そんなのを見て、私は思わず「この国をずっと平和にしてあげて下さい」と手を合わせてしまった。
次の日の朝、キャンディのホテルを出発する前に時間潰しに手相を見てもらった。ものすごい勢いでしゃべる手相のおじいさんの言葉をリリーさんに訳してもらった。私は遠くにいろいろ行く事に縁があるらしい。(旅行会社勤務だとは教えていないのに!) いろいろいい事ばかり言われたので、あたるかどうか分からないが、70過ぎに死ぬらしい。
それから植物園へ。ここはスリランカ人のデートスポット!大きな木の下なんかにあるベンチで、カップルがたくさん。楽しそう。中をぶらぶらしていると、かわいらしい制服を着た子供たちが。小学校の遠足かなんかみたい。この国の人はみんな目がぱっちりだが、子供たちの大きな目のきれいさったらない。お人形のように、バンビのように大きな目を好奇心できらきらさせている。どんな子供嫌いな人でも、つい微笑んでしまうだろう。私が大きなカメラを持って芝生の上に座っていると、子供が私の前に集まり始めた。きれいに横に並んで。それで、口々に友達をみんな呼び集めて、とうとうほとんど全員集まってしまい、それが私を中心にきれいな半円形になっているからびっくり。くすくす笑って、写真を撮って撮ってと言っている感じ。私はそのまま何枚か撮ったけれど、こんな無邪気にカメラに笑ってくれる子供達に胸がいっぱいになってしまい、かえってバシャバシャ撮ることができなかった。もう行く時間になったので、立ち上がってバイバイをした。みんな走り去りながら、「サンキュー!」と言ってくれた。かわいらしく「ホワッチュアネーム」とか尋ねてくる子もいた。本当に新鮮な感動。他の国では、写真を撮った後、チップを要求してくる子もいるのに。(それをやってはいけないと思っているわけではないが)
そこから3時間ほどかけてヌワラエリアへ。途中延々と紅茶畑が続く標高2,000メートルの山道。ぐったり疲れてしまったが、ここの涼しい空気は気持ちいい。イギリス植民地時代に避暑地とされ建てられた、それらしき建物がたくさんある。リトルイングランドと呼ばれるこの町は、今ではスリランカ人の避暑地になった。ここに住んでいる人々は、当時、紅茶栽培のためにインド南部から連れてこられたタミル人が多い。彼らの造る紅茶畑が今でも果てしなく続く。彼らは、シンハラ人より背が低めで、顔つきが険しい感じがする。
今日の宿は、コロニアルスタイルのセント・アンドリュース。100年前の建物の雰囲気をそのまま保っている。狭いフロントを抜けると、いくつかに仕切られたロビーのような部屋がたくさんある。一つひとつ違うクラッシックなソファ、暖炉、飾りだなにも歴史を感じる。ビリヤードの部屋やイギリススタイルのパブもある。重圧なダークブラウンの木をふんだんに使い、その雰囲気に圧倒されそう。(私はデラックスホテルに慣れていないのだろうか?)ここのダイニングレストランは、どう書き表して言いか分からないほど印象的だった。正統派なイギリス風クラッシックなんだけど、ありきたりな感じではない。天井がすごい。こげ茶で、浮き出た花のパターン模様は革張りのように見えるが、実際は真鍮に色を塗ったものらしい。薄暗いレストランの1番奥に、明るいオープンキッチンがある。まさに舞台のようだ。こういうデラックスホテルに泊まるような、金持ちというか、エリート層の人達は、スリランカ人同士でも英語でしゃべっている。なんだか不思議だ。こちらの大学というのは超難関で、進学率2パーセント程度らしい。医者・弁護士のようなエリート職の意識は相当なものなのだろう。そういった世界をちらっと垣間見れたホテルだった。
6日目。今日はまたコロンボへ帰る。延々と続く紅茶畑を今度は下って行く。またぐったりしてしまった。途中、休憩をした時に運転手さんがピンクのバナナを買ってくれた。甘くておいしくて、元気が出る。
それから、象の孤児院へ。象牙目当ての人災などで親を無くした子象が、人間に育てられているという説明だった。しかし、ここで育って大人になっても、再びジャングルには戻されないそうだ。鎖でつながれているのも気になる。ここを孤児院と呼ぶのに、ちょっと疑問を持つ人は大勢いるんじゃないだろうか。そういえば、2日目の海の帰り道で野生の象を見かけた事を思い出した。
そして、最終日。幼稚園を見学する機会があった。スリランカでは、小学校以上、なんと大学まで学費は無料らしいが、幼稚園だけは違う。見学にきたここは、人々の善意で経営されている、無料奉仕の幼稚園だ。当然、貧乏なうちの子が殺到したらしい。よほど貧相な栄養失調の子らがいると思ったら・・・私達が教室を覗くと、みんな小さな手を合わせて、元気に「アイボーン!」とこっち式の挨拶をしてくれる。うーん、いい子達だ!みんなお行儀がよくて、じっとこちらを静かに見ているその顔は、とても賢そう。その大きな目で、これからいろんな物を見て、育っていくんだろう。その後庭へ出て、7月にあるスリランカ最大の祭り・ペラヘラ祭りの踊りの練習を見せてもらった。先生の後をぴょこぴょこ着いていく姿が、無邪気でかわいらしい。月並みな言い方になってしまうが、この子らは正に、この国にとっての宝石の原石なのだろう。
スリランカをぐるっと一週間周ってきての印象は、「常夏の楽園の島」だ。
南国の豊かで美しい自然。そして、人々が信じられないくらい素朴な笑顔を向けてくれて、そこがまた、楽園のようだった!
※ツアーアレンジは、現地到着後にされると日程面・金銭面でトラブルが起こりやすいので、ご出発前に余裕を持ってお願いします。
松永 恵
2002年6月

インド・ネパール・パキスタン・スリランカ・ブータン・バングラデシュカテゴリの最新記事