ブルネイの強烈なスコール。モスクでの雨宿りはどこか絵になる風景
東南アジアの数ある航空会社の中でも異彩を放つロイヤルブルネイ航空。離陸前にはお祈りタイムが
東ティモールの田舎にある旧日本軍の塹壕。日本とは縁遠そうな国だがここも戦場になっていた
もはや完全に日本人の定番の旅行先になった東南アジア。もともと人気のディスティネーションだったタイやシンガポール、カンボジアなどはもちろん、ミャンマーやラオスといった秘境チックな国もどんどん観光客が増えている。
が、そんな東南アジアの中でもなかなか日本人になじみがなく、ベールに包まれた謎の国とみられているのがブルネイと東ティモールの盤石2トップ。以前ネットか何かで「山梨に行く用事を考えつく奴は天才だと思う」みたいな文章を発見して思わず笑ってしまったことがあるが(山梨県民の皆様ごめんなさい!私は何度も行っております!)、この2国も間違いなくそんなポジションだと思われる。
そんな謎の国でも私たちの心をつかむ何かがあるはず。「ブルネイに行く用事」、「東ティモールに行く用事」を見つけるため気合を入れて旅してまいりましたので、最後までお読みいただけると幸いです。
<金持ち国的華やかさとアジアの熱気が程良く混ざり合うブルネイ>
ブルネイは世界で3番目に大きい島、ボルネオ島にありマレーシアに囲まれた小さな国。面積は三重県ほどということで、三重県出身の私は勝手ながら親近感を持っていた。
ブルネイといえばお金持ちの国!小国ながら石油を産出するため経済が潤い、あらゆる税や教育費、医療費が免除。そして国王は世界有数の大富豪といわれ、5000台ものカーコレクションがあるとか誕生日にマイケルジャクソンを呼んで無料ライブを開催したとか異次元なエピソードがどんどん出てくる。
首都バンダルスリブガワンの街並みも期待通り他の東南アジアの都市に比べしっかり整備されており、オイルマネーの力を示すような豪勢な建造物が次々と現れる。
ロイヤルファミリー関係の貴重な品々が展示されたロイヤル・レガリア博物館
バンダルスリブガワン郊外のジャメ・アスル・ハッサナル・ボルキア・モスク(ニューモスク)
エスカレーター付きのモスクなんてはじめて見た!
この世のものとは思えないほど美しい、市内中心部スルタン・オマール・アリ・サイフディン・モスク(オールドモスク)のライトアップ
立派なショッピングモールで警備員に写真を撮ってもらう富豪っぽいおじさん
、、、とここまでは予想通りだったが、街を歩いてみると意外と庶民のにおいがする一面も発見。
いろいろ歩き回っていると東南アジア版ゲリラ豪雨のスコールがやってきたので、雨宿りがてら賑やかな雑居ビルに入ってみたのだが、、
この雑居ビル、中華系スーパーが3フロアにわたってドーンと入っていたり宝石店と安食堂が同じスペースに同居していたりとなかなかカオスでおもしろい。人種もマレー系ブルネイ人より中華系やインド系の方が目立つほどだった。昔の香港もこういう感じだったのかな。。
ブルネイ一の観光名所として名高いカンポン・アイール(水上集落)にはツアーではなく気ままに散策していったが、ここも観光地感は全くなくありのままの庶民の暮らしが広がっていた。住民に会っても大歓迎されるわけでも冷めた目で見られるわけでもなく、自然体の印象。
水上家屋と水上モスク
オイルマネーの潤いを感じる華やかな一面と、東南アジアらしいローカルな一面。相反するはずの二つの面が絶妙に混ざり、なかなか魅力的ではありませんか、、というのがブルネイの印象だった。
<ブルネイに行くならコレに合わせて!王宮訪問&国王謁見ができるビックリイベント・ハリラヤ>
そうはいってもやはり周辺の国に比べると観光地らしさでは劣るブルネイ。そんなわけで今回はあるイベントに合わせて滞在することにしていた。
イスラムの国ブルネイではマレーシアやインドネシア同様、断食のラマダンが明けたときにハリラヤという祝日がある。近所や親戚の家々を訪ねてご馳走を食べたり、子供たちがお年玉をもらったりするのが一般的な習慣だとか。
私も空港近くで会った超親切なおばさんに誘われ、イスラム教とは関係ないただの旅行者(しかも見た目が怪しいバックパッカー)なのにいきなりブルネイ人家庭にお邪魔させていただくことになった。
好きなだけ食べてって!と言ってくださる。恐縮です・・・
お部屋がいくつもある立派なお宅だった。さすがお金持ちの国、一般庶民でもレベルが違う!
入国してすぐに予想外のハートウォーミングな体験ができ、ブルネイ人への好感度がいきなりMAXになるとともにハリラヤに合わせて訪問してよかった!と心から思った。
しかし周りとは一味違う国ブルネイ、この国のハリラヤはこれだけでは終わらない。なんと王宮がオープンハウスとして開放され誰でも中に入ることができ、しかも国王と握手できるのだという。
ブルネイとは縁もゆかりもないどこの馬の骨か分からない日本人でも王宮に入れるなんて、しかも自分の何十万、何百万倍もお金を持っているはずのあの国王がわざわざ握手してくれるなんて、これは行くしかないでしょう!
王宮へは市内の中心からバスで約10分。
ブルネイ王宮は世界の数ある宮殿の中で最も広いといわれているそうで、一般人が迷子になるのを防ぐためか敷地入口からまたバスに乗ることになる。
(一人ぐらい迷子になってもわからないような・・・)
1788の部屋、257の浴室、1,500人収容のモスク、300台の車が停められる駐車場、5面のプールを有するという、一般人の頭ではよくイメージできないほどスケールがでかい王宮だがもちろん今回入れるのはちょっとだけ。まずは持ち物検査を受けた後(折りたたみ傘を預けられてしまった)、大広間でご馳走をいただくことになる。
いきなりとてつもない広さのお部屋なんですが
ブルネイ伝統料理のビュッフェを取っていく。いきなり現れた怪しい日本人(私)にも皆様優しく接してくださる
このご馳走はもちろん無料。ハリラヤは例年3日間の開催で約10万人訪れるそうで、全員分の料理を用意するとなるととてつもない手間と費用がかかりそうだがそこは王族。こんなので懐具合を気にしていてはロイヤルファミリーなんて務まらないのだ。たぶん。
正直なところ、これがブルネイで食べた料理で一番美味しかった!
食事を終えてさっそく握手会、じゃなかった謁見の会場へ向かう。
訪問客の殆どが家族や友人と来ているようでちょっと寂しかったが、近くにいたバングラデシュ出身の男性が声をかけてくれた。よくよく見ると外国人は自分だけでなく、おそらく出稼ぎ労働者であろう南アジア系や華僑らしい訪問客も多い。ただラフな格好が多い外国人に対してブルネイ人は男性も女性も子供も立派な衣装をしっかりと着飾っている方がほとんどで、ハリラヤへの気合の入りようが感じ取れた。
きっちりした場と思いきや、ゆるーいミュージックビデオが延々と流れる大広間
5,000人が着席可能という饗応室
ここから中庭を抜けてついに国王が待つ場へと歩いていくのだが、ここからは撮影禁止。
ドキドキしながらその場へ入ると、王族の方が5人ほど立って待っていた。しまった、国王の顔をちゃんと覚えていないから誰が国王か分からない・・・。
居心地は悪くなかったがキリッと引き締まった空気が流れ、とてもじゃないが「あなたが国王ですか?」とか聞ける雰囲気ではなかった。せめて日本から来ました、とか自己紹介でもできればなあと入場前に考えていたのだがロイヤルファミリーらしいただならぬオーラに圧倒されとてもそんな気は起らず、無言で皆さんと握手して終了。一瞬の出来事だった。
退場の際にスタッフからお土産とお手紙を渡され、外に出る。なお国王と握手できるのは男性のみで、女性は王妃をはじめ女性王族の方々と握手できるそうだ。
気になる国王のお土産とお手紙の中身は、、
王宮謹製ケーキ!そして国王イケメン!というかなぜこんなにラフな格好・・・。
このハサナル・ボルキア現国王は現在御年72歳だそうだが、それにしても若い。しかも今でもポロを嗜まれるそうで、王宮内には冷暖房完備の厩舎や馬専用のジェット機などもあるそうだ。
会いに行けるアイドルならぬ会いに行ける国王、しかもイケメンで太っ腹。ブルネイではお店やホテルなどいたるところに国王の写真が飾られているが、そりゃ愛されるよなと納得だった。
<東南アジア最後の秘境東ティモールは想像を絶するラテンな国!?>
そんなブルネイよりさらに一段とマイナーな国、おそらく「山手線ゲーム・東南アジアの国」で確実に最後まで残る国、東ティモール。日本から1日では行くことはできず、東南アジアの中では日本人旅行者数ダントツ最下位だと思われる。
この国へのツーリストは、おそらく東南アジア制覇を目指す国巡り系旅行者がほとんどを占めるだろう。私も「独立国じゃなかったらわざわざこんな辺鄙なところに行かないよな」、と失礼ながら思っていた。まさに東南アジア最後の秘境、東南アジア旅行界最後の砦。
かかわりが無ければなかなかイメージしにくい国かと思うので、以下基本情報を書いてみる。
・2002年に独立した、21世紀最初の独立国かつ東南アジア最新の国
・インドネシア南東部のティモール島に位置し、島の西半分はインドネシア領で、南に500kmほど行くとオーストラリア大陸
・時差は日本と同じ
・シンガポールやオーストラリアのダーウィンからもフライトがあるが、バリ島からの便で入国するのが一般的
・通貨は米ドルだが、1ドル以下はセントコインではなく独自のコインがある
・1975年までポルトガル植民地で、その後独立を掲げるもインドネシアに占領される。以降独立運動は厳しく弾圧される
・公用語はローカル言語のテトゥン語とポルトガル語だが、インドネシア統治期に教育を受けた世代はインドネシア語も話せる
・国民の99%がキリスト教徒(カトリックが大多数)。
そして独立後も経済の低迷が続き、東南アジア最貧国とも呼ばれている。同じ東南アジアの小国でもブルネイとは真逆の国なのだ。一応東ティモールでも石油が出るが、海底油田があるエリアをめぐりオーストラリアと争っているとのこと。
とはいえ下調べしていてもやはりピンとこない国なので、さっそく入国してしまいましょう。まずは首都のディリを訪問。
ディリの街を歩いているととにかく目立つのが派手なミニバス。ただでさえ目立つのにさらに爆音でクラブ風ミュージックを流している。これだけでもほかのアジアの国とはまったく異質ということが分かった。ミニバスを追っかけてるだけでも飽きないぞ。
ピンクのミッキー
ポルトガルつながりでやっぱり人気のクリスティアーノロナウド
内部もなかなかエキセントリック。謎の芋虫のぬいぐるみ?がたいてい置いてあった
バスもド派手
それ以外で目に付くのは、やはり教会や南欧風の建物。
ディリで最も大きい大聖堂
十字架が目立つ政府宮殿
なんとスーパーマーケットのビールもポルトガルのものがメイン
一方、一般庶民のローカルな場に目を向けてみると、路上の物売りなど素朴な風景が印象的。東南アジアの首都にありがちな喧騒とは程遠い、のんびりとした空気が流れていた。
路上ココナッツ売り。ジュースだけじゃなくて果肉も美味しいんだよ、と教えてくれた
ビーチ沿いの魚売り
どうせインドネシアと変わらないんじゃないの?と思って来てみたが、自分の予想が完全に裏切られたことに気付く。失礼なこと思っていてごめんなさい!
そんなディリの最大の見どころといえば、郊外にあるキリスト像。なんとリオに次いで世界2位の大きさとのことで、東ティモール国民の信仰心の厚さを感じ取れる。
約600段の階段を登ってキリスト像の足元へ。うーん、デカい。
快く写真に収まってくれる東ティモール美女
ここからの眺めも絶景!
ただの観光地や信仰の場所だけではなくトレーニング場としても見られているのか、やたらこのあたりで運動している人が多いのが気になってしまったが・・・。
像のまわりで縄跳び&筋トレ
階段600段をうさぎ跳び。気合いだ!
そんなキリスト像よりさらに印象深かったのがすぐ下のビーチ。熱帯らしい美しいビーチが広がっているところで、、
やはり爆音でクラブ風ミュージックがガンガンかかり、大賑わいのダンシングタイム。皆さんノリノリで、いきなり現れた怪しい日本人(私)もすんなり仲間に入れてくれる。
やはりこの国、東南アジアにしては異質すぎる。カリブや南米あたりといったほうがしっくりくるのでは・・・。
そういえばこのダンシングタイム中に仲良くなりフェイスブックを交換した人の名前はアドリアーノ・ダ・シルバさん。これまでの首相の名もシャナナ・グスマン氏やジョゼ・ラモス=ホルタ氏など、完全にポルトガルやブラジルっぽい。なんだか聞くだけでサッカーが上手そうな名前でそのギャップがまたおもしろい。それはそれとして、いたるところで見せつけられるラテンのパワーに不意打ちされ、圧倒されたディリだった。
そのディリは、独立紛争の被害を大きく受け、悲惨な傷を負ってきた街でもある。悲しい歴史を後世に伝える貴重な場所も訪れてみた。
まずはサンタクルス墓地。1991年、独立運動に参加し反対派に殺害された若者の葬儀からデモへと発展し、デモ隊がこの墓地で到着したところでインドネシア軍が発砲。このサンタクルス事件で200人以上の死者が出たといわれ、より独立運動が激しさを増すことになった。
しかし東ティモールってお墓も派手なんだな・・・
市内中心部にはレジスタンス博物館があり、独立までの歴史やインドネシアによる迫害の実態を知ることができる。
東ティモールで1999年住民投票が行われ、独立が事実上決定した直後、インドネシアは軍を増兵し民兵とともに街の破壊や住民の虐殺が行われてしまう。街並みは荒廃し、文字通りゼロからのスタートとなった首都ディリは復興を成し遂げつつあるものの、そのときから放置されたと思われる廃墟らしい建物もときどき見られた。
東ティモールで厚く信仰されているカトリック教会は、長く続いた苦しい独立運動を精神面でずっと支え続けてきたとのこと。最初は意外に思った東南アジアらしくない雰囲気も、この街やこの国がたどってきた歴史をふりかえって考えると必然なのかもしれない。
<東ティモールは田舎がおすすめ!南欧の香りと伝統文化が混ざり合うバウカウとベニラレへ>
いくら東ティモールが小国とはいえ、面積は四国ほどありブルネイの約3倍。地方ならではの文化もあるようだ。
海外旅行のときは時間が許せば必ず首都や大都市以外のエリアも行くことにしているので、この東ティモールでもローカルバスに乗ってディリを離れ、東へ向かうことにした。
・・・が、このバスが満席にならないと発車しないグダグダなバス。もちろん時刻表なんてなく、乗車して1時間ほどたってから唐突に出発した。
怪しい物売りが入れかわり立ちかわり乗ってくる
想像通りボロボロなバスだったが、ずっと海沿いを走るため景色は最高!まだまだツーリスト産業が発達していないことが幸いして、リゾート開発の「リ」の字もないありのままの美しい海をずっと眺められる。
またどんなに小さい村でも必ず立派な教会があり、アジアでは珍しいキリスト教国であることをここでも実感する。
聖人の像が建つ泉で休憩。ご利益があるのか?乗客が一斉に水を浴びる
どんどん東へ向かうにつれ、車窓が変わっていく。田園風景や茅葺の質素な家が目立つようになった。
景色は満足なのだが道はとにかく悪く、国を挙げて道路工事真っ最中のようで行程の8割が砂利道だった。エアコンなんてついていないためずっと窓は開けっぱなしで、終始車内に砂が入ってきてひどいときは視界がほぼきかないほどだった。乗客の皆さんは慣れているのか持参のスカーフやマスクでうまくガードしていたが、そんなものを持ち合わせていない私は体全体で砂を受け止めざるを得ず、バスを降りる頃には浦島太郎のお爺さんみたいになっていた。
終始ノロノロ運転のため思ったより時間がかかり、当初の目的地だった最東端の街ロスパロスに行くには時間が足りないことが分かったため途中にある国内第二の都市バウカウにひとまず滞在することに。あとで計算したらこのバス平均時速30キロも無いようだった。うーん、原付の方がよっぽど早い。さすが東南アジア最後の秘境、移動もなかなか一筋縄ではいかない。
バウカウにはポルトガル植民地時代の旧市街があるそうで、街歩きを楽しみにしていた。さっそく散策に出かけると、街の中心にいきなりコロニアル風の立派な建物が現れる。メルカード・ムニシパル、ポルトガル時代の市場跡だ。
敷地内立ち入り禁止のため中途半端な写真しか撮れないのが残念・・・
さらに散策してみると、感動!ってほどの街並みではないもののほどよい南欧の香りが漂う街だと気づく。そしてやはり旅行者が珍しいのか、街の人たちが陽気に声をかけてくれた。
自国国旗の次によく見かけるポルトガル国旗
旧市街内のゲストハウスで1泊を過ごし、翌日ほど近い教会に行ってみるとなにやらすごい人出でにぎわっている。
話しかけてくれた人に聞いてみると、この島に上陸した宣教師を称えてミサのようなものが開かれるとのことだった。親切にも中に入っていいといってくれたので、すこし見学させてもらう。
地元の言語なので意味はサッパリ分からないが、美しい讃美歌が響き渡っていた。カトリックにしては質素な教会だと思ったが、高床式倉庫のような家屋のミニチュアが前に置かれているのが気になる。これは東ティモールの伝統家屋を模したもので、この中にミサで使う用具が入っているとのことだった。キリスト教化以前の土着文化とうまく融合しているのだな、と見て取れる。
それにしても、礼拝者(特に女性)の色鮮やかな衣装が印象的。この国の伝統の織物タイスで織られた服を着て来るそうで、やはり東ティモール人にとって教会が特別な場なのだなと感じる。
教会の中に案内してくれた人によると、インドネシア統治下で独立運動が迫害されていた時は家より教会の方が安全といわれていたらしい。改めて東ティモール人の信仰の熱心さを思い知る。
バウカウからさらに田舎の、山間の村ベニラレに行くことにした。もうここまでくるとネットで得られる情報もほとんどなく、どんな村なのかよくわからない。期待と不安を胸に出発。
バウカウのミニバスもやっぱりド派手。子供には見せたくないキティちゃん号
こちらは本人には見せたくない寂れたクリスティアーノロナウド食堂
英語が全く通じないので所要時間もわからず、不安が期待を押しつぶしそうになった時やっと到着。
山間の村だけあって涼しく、「ここが国内第二の都市?」と本気で疑ってしまった規模のバウカウの街とも比べ物にならないほど小さい村。目の前にはポルトガル時代から時が止まったかのような、独特のオーラをまとう市場があった。ああ自分この村を好きになるな、と直感する。
すぐそこになんとツーリストインフォがあったので宿について聞くと、この村に一つしかない宿は女子校の併設。専門学校とのことで、生徒の実習としてゲストハウスを運営しているとのことだった。この村の好感度がますます上がってしまう。別に女子校に泊まれるからということではないのだが・・・。
突然現れた怪しい日本人(私)もにこやかに迎えてくれる生徒達。きっといいホテルウーマンになるはず
ベニラレの村は本当に小さく、砂利道のメイン通りを歩き終えるのに5分ほどなのだが、旅行者の心をつかむ印象深い光景が次々と現れる。
メイン通りの端まで来ると突如立派なコロニアル風建造物が現れ、思わずおおっと声が出てしまった。書いてある文字は「ESCOLA~」、ポルトガル語で学校。こんなに美しい学校が東ティモールにあったとは・・・。
あまりに見とれていたのか、先生が出てきて校内を案内してくれた
脱植民地後インドネシアの占領と独立運動の弾圧、そして多大な犠牲を払っての独立と復興。この半世紀で激動の歴史をたどってきた東ティモールで、見事なコロニアル建築が未だに生きているここベニラレは秘密の隠れ家のようだった。
そんな学校も子供にとってはただの遊び場。即席サッカーに入れさせてもらう
村はずれの道を歩いていくと、今度は見事な棚田が現れる。本当に心洗われる景色の連続だ・・・。
明けて翌日、この日は週2回だけ開かれるローカルマーケットの開催日にあたるそうで楽しみにしていた。
あの市場に行くと、さっそくの大賑わい。まわりの村からも大勢やって来ているようだ。
実はこれまで東ティモールにいながらこの国独特のものを口にしたことが無く、食べ物だけは他の東南アジアと変わらないのね、、と少し残念に感じていた。
そう思っていたところで、このマーケット内で野外居酒屋らしき場所を発見。ミネラルウォーターのボトルに入っている怪しげな白い液体が、勘で何となく地酒だとわかる。
さっそく飲ませてもらうと、さわやかな口当たりのヤシ酒だった。飲んでいるのはおじさんばかりで英語も全く通じなかったが、飲みニケーションの勢いでなんとなく会話する。
結局すすめられるがまま朝から飲みまくってしまい、フラフラのまま首都ディリに戻ることになったが、東南アジア最後の秘境で秘密の隠れ家を見つけてしまった!という充実感は最後まで消えることがなかった。
今のところ日本人旅行者の東南アジアブームに全く乗っかることなく、秘境好きにしか目を向けられていなさそうなブルネイと東ティモール。確かに辺境ならではの良さはあるものの、それ以上にこの2国でしか感じられない魅力、どんな観光客でも楽しめる魅力が潜んでいると知ることができた。
どんなにマイナーな国でも、訪れる旅行者の心を揺さぶるようなもの、感動できることが必ずあるはず。拙い文ですが、これからも知られざる国の知られざる魅力を伝えていければと思います。
【スタッフおススメ度】
●バンダルスリブガワン(ブルネイ) ★★★★
お金持ち国家らしい巨大モスクや博物館などがある一方、水上集落や市場などローカルな側面も見ごたえあり。王宮に入場でき、王族と謁見できるハリラヤの際にぜひ訪問を!
●ディリ(東ティモール) ★★★★
東ティモールの首都かつ玄関口。他の東南アジアのようなシティライフはなかなか期待できないが、どこかラテンっぽく感じる独特の雰囲気は居心地GOOD。
●バウカウ(東ティモール) ★★★
国内第二の都市だが、都会でもなく寂れてもいない、街歩きにちょうどいい規模の街。旧市街の中心にあるポルトガル植民時代の市場や教会は見ごたえあり。
●ベニラレ(東ティモール) ★★★★★
観光客はめったに来ない小さな小さな村だが、まるでずっとこの地に隠されてきたかのような美しいコロニアル風建造物は息をのむほどすばらしい。毎週水曜と土曜は大きいマーケットが開かれるのでぜひ行ってみたい。
(2018年6月 伊藤 卓巳)