思想の缶詰イスラエルとパレスチナ~魅惑の土地を探索する3泊5日の縦断作戦~

思想の缶詰イスラエルとパレスチナ~魅惑の土地を探索する3泊5日の縦断作戦~

今年の社員旅行はイスラエル!こちらは先に出発したA班の旅行記です★
イスラエルと聞いて危ない、怖いというイメージを持たれている方も多いかと思われますが思いの外、安全に観光できるんです。
イスラエルは世界三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に共通する聖地であり歴史深い国のため、建国までの流れを簡易的に紹介します。
太古の昔、アメリカ大陸が未だ発見されていないころアジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸の中心(世界の中心)にイスラエルが位置するとされていました。

金色の屋根が神秘的な岩のドーム

嘆きの壁で祈る女性

ヴィア・ドロローサ14留(終点)イエスの墓


そのためこの地を支配した者は全世界を支配できると信じられ、当時から奪い合いの抗争の中心にありました。
そんな中で、唯一神ヤハウェの教えに沿うユダヤ教を民族宗教とするユダヤ人が勢力を伸ばし、およそ3000年前にダビデ王がエルサレムを首都にユダヤ人の国家を統一しました。
それから古代ギリシャ、ローマの支配下でキリスト教が布教されるとイエス・キリストにゆかりのあるエルサレムは聖地としてキリスト教徒にとっても重要な場所となります。
7世紀イスラム教が伝わるころ、ムハンマドの旅立ちの場所としてイスラム教にとっても聖地となりました。
11~12世紀になるとイスラム勢力が支配を広げる中、ヨーロッパでは十字軍が結成され聖地奪回のため戦いが各地で行われました。
このときエルサレムでは名将サラーフ・アッディーンが十字軍を鎮圧し、イスラム勢力が勝利します。
イスラム勢力の中でもオスマン朝の影響は絶大なもので、オスマン帝国として中近東の支配権を握ります。
第一次世界大戦のイギリスによる二枚舌外交により、この地でユダヤ人国家の樹立を目的とするユダヤ教徒(イスラエル)とアラブ人国家の樹立を目的とするイスラム教徒(パレスチナ)の衝突を生むこととなりました。
第二次世界大戦では抗争が続く中、ナチスドイツのユダヤ人迫害により多くのユダヤ人が犠牲となります。
外交に関わったイギリスでは収集がつかない事態となり、大戦終了後1948年に国連によってイスラエルの建国が認められます。
建国後もユダヤ人の国家に反発するイスラム教徒たちとの衝突は絶えず、中東戦争に発展するなどしながら1967年に現在のイスラエルとして統一されましたが未だにパレスチナ自治区との対立は、抗争まではいかずとも解消されぬままとなります。
宗教的に複雑な歴史を持つ場所であるため、未だに名前を聞くだけでも危ないのではないかと思われる方も多いかもしれませんが、基本的に観光地となっている街の様子は穏やかで、そんなイメージとは異なります。もちろんスリ等、他の国と同じように気を付ける必要はありますが現地の人々はフレンドリーな方も多く、愛嬌のある笑顔を見せてくれます。
*1日目*
空港到着後、ガイドさんと合流しエルサレムの歴史を聴きながら市内観光へ向かいます。
バスの外から見える景色はもう別世界。写真でしか見たことのなかった光景が実際に広がると夢でも見ているかのようです。

車窓から見えるイスラエルの街

別世界への入り口

市街地を見渡せるオリーブ山へ向かいます。
標高825メートルの山はユダヤ教徒にとって、終末の日が訪れるとメシアが立ち死者たちを復活させるといわれる、聖地巡礼の最終目的地。そのためユダヤ人の墓が山から谷にかけて多く存在します。現在もなお土葬を行なっています。ここはキリスト教徒にとってもイエスの足跡が残る重要な場所です。

オリーブ山からの風景

オリーブ山にて

オリーブ山から見ても目立つ岩のドーム

山を下り、旧市街を囲む城壁と門を垣間見ながら麓にあるゲッセマネの園へ。
ゲッセマネとは、「油搾り」という意味のヘブライ語。

ゲッセマネの園にあるオリーブ園

かつてこの一帯がオリーブ林に囲まれており、現在残る8本の木ははるか昔から生きる大木で、木は枯れても根が生きており、そこから新芽が出て再び育ちます。

何度も再生されてきたオリーブの木

破壊されてもなお再生を繰り返すエルサレムを、このオリーブに例える人もいます。
ここはイエスが祈りのために頻繁に訪れていた場所。
ゲッセマネの園の隣にある教会は、万国民の教会といいイエスが最後の夜、苦悶しながら祈ったゲッセマネにそびえ立ち、別名を苦悶の教会とも言います。

万国民の教会

入口正面の美しいモザイク画

入り口正面の壁や教会内部には、非常に美しいビザンツ様式のモザイク画が施されており、イエスが祈りを捧げたとされる岩も祭壇の前に置かれています。信者の皆さんはこの岩に触れて祈りを捧げていました。

教会内部はステンドグラスも美しい


教会内部のモザイク画

イエスが苦しみながら祈りを捧げた岩

ゲッセマネをあとにし、市内ホテルのレストランで昼食を済ませます。イスラエルは野菜がたっぷり使われ、ヘルシーな料理が多かったです。

ご飯の時間はウキウキ♪

ビュッフェ形式で取り放題

ビールも美味しい!

いただきま~す

それから、嘆きの壁へと向かいます。
旧市街の門をくぐると、石畳の広がる街。エルサレムは、破壊されるたび街の上に新しく街を作ってきたために層のようになっており、まだ土に埋まっている場所もあります。

旧市街の城壁

嘆きの壁への入り口

それは嘆きの壁も該当します。
嘆きの壁は、かつて壁の奥の神殿の丘と呼ばれる場所に建っていた、ヘロデ王が改修したユダヤ教の神殿がローマにより破壊された際に西側の壁だけが部分的に残った場所。

嘆きの壁

周知の通り現在もユダヤ教徒にとって欠かすことの出来ない重要な巡礼地となります。
熱心なユダヤ教徒たちはここで、ユダヤ教の神殿および本来のユダヤ人の国(メシアによって建国が成り立った国)が無いことを嘆き、岩の間には願いを込めた紙を詰め時には聖書を読みながら、時には涙を流しながら祈っています。
今回も泣きながら祈る教徒の方を見ました。

大勢の人々が祈りを捧げる

聖書を読みながら祈るスーツ姿の男性はユダヤ教の超正統派


一緒に祈りを捧げる

ガイドさんの話によると、ひとくちにユダヤ人といっても、信仰の種類は世俗派・保守派・正統派・超正統派に分類されるとのことです。この中で特に世俗派はユダヤ教を信仰しておらず、超正統派はかたくなに教えを守り救世主が現れることを祈り続けています。同じユダヤ人でも、こんなに信仰心に違いがあることに驚きました。

祈りを捧げる超正統派の方

超正統派の方々は正装が特徴的なためすぐにわかります。美しく手入れされた黒いハットとスーツに加え、もみあげがカールしている方が多いです。とくにエルサレムの中の「メア・シェアリーム」という地区には超正統派の人々がより多く住んでいるため会える機会が多いようです。

嘆きの壁でも多くの超正統派の方を見ることができる

彼らは一生働かずに、祈りと聖書の就学により政府からの援助金を得て生活しており、同じユダヤ人でも世俗派の人々のなかにはそれを良く思わない人もいるそうでイスラエルの中でもわだかまりは少しあるようです。
でも、背筋をピシっと延ばして前を通り過ぎる超正統派の方々は格好よくつい一緒に写真を撮って頂きたくなるものです。きちんと許可を取れば、厳格そうに見えても笑顔で応じて下さる方もいます。

快く一緒に撮って下さる

岩のドームはより近くに見える

その後、ダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋を見て回ります。

街は綺麗で散歩に最適

王の墓は、入口が何度か改修され王に対し敬意を払いながら足を踏み入れられるようにわざと入口が小さく造られ、お辞儀をしながら入るようなかたちとなります。

墓の前にあるダビデ王の像

墓内部

この墓に隣接して、有名なイエス・キリストが処刑前夜に弟子を集めて最後の晩餐をしたという部屋があります。
現在はとても殺風景な空間で、特別広いわけでもなくレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を想像して訪れると少し寂しさを感じるかもしれません。
当時は、椅子に座って食事というよりも床に寝ころびながら食事をしていたそうです。太りそうですね。

薄暗く質素な部屋の中

イエスは、最後の晩餐を終えたあとこの日の最初に訪れたゲッセマネの園へ向かい苦しみながら最後の祈りを捧げたとのこと。
どこを見ても神秘的なこの地では、雨も降っていない青く晴れた空にいきなり虹だって上がります。これにはびっくり!

真っ青な空に突如現れた虹

観光を終えてホテルで一休み、自由行動。
イスラエルは女性におすすめのコスメ「サボン」の原産国です。日本の金額の半値くらいで購入できてしまうとあって大人気。出国の際にはしっかりと免税して頂いてお得に持ち帰りましょう。どれも良い香りで女子力が上がること間違いなしです。本場に行くならば、死海シリーズもおすすめ。死海の塩・泥・水・沿岸植物すべてを配合した美容製品は要チェックです!


可愛らしい商品がならぶサボンのお店

ホテルにて食事を終え次の日も朝が早いので就寝。夜も静かなエルサレムの街でした。

夜もビュッフェのご飯★

*2日目*
朝早くホテルを出て、パレスチナ自治政府のベツレヘムへ出発します!

バス待ちの間突如はじまった自転車レースの方々の準備運動に交じってみる

日本は未だにパレスチナを国とは認めていないためにパレスチナ自治政府と称しますが、世界のうちの136か国はパレスチナを国として承認しています。

分断壁に描かれたアート

そもそもパレスチナはどこを指すのかというと、エジプトと地中海に接するイスラエルの南西部に位置する「ガザ地区」およびヨルダンと国境を接する東側の「ヨルダン川西岸地区」の2つの地区から成ります。
今回訪れたのはこのうちの「ヨルダン川西岸地区」。イスラエルの軍事支配下にある地域もあり、その部分は巨大な壁に覆われた入植地となっています。イスラエル側は壁の建設をパレスチナ人の自爆テロ対策と発表していますが、実際は入植地を事実的な領土とするために建設しているという考えもあります。

バンクシーによる壁画アート

この壁の存在はパレスチナ人にとって生活を分断されることとなり、国際社会からの非難の声も大きいものです。
この壁に関連して有名な人物がイギリスの芸術家であるバンクシーの壁画です。
ロンドンを拠点にし、社会風刺的なグラフィティおよびストリートアートを世界各国で行って来た覆面アーティストの彼はここを訪れ、9枚の壁画を描きました。イスラエル兵士に威嚇射撃を受けつつも、最後まで完成させたとのこと。
分離壁には、バンクシーの絵画だけでなく世界各国からパレスチナの自由を願う思いが絵や文字となって表されています。

バンクシーのアート花束を投げる男性

バンクシーの絵で最も有名と言っても過言ではないこの、花束を投げる男性の絵。これは分断壁ではなく建物の壁に描かれたものです。
これを見たときはなんと言ったらいいか、感動を通り越してただ立ち尽くしてしまうようなそんな感覚でした。

同じポーズで写真を撮りたい!

きっと、この地に爆弾ではなく花束を投げ入れようという心暖まる風刺画であると思われますが、モノクロの男性が持つ花にだけ赤や黄色の色が彩られ、その色彩感や少し遠くを見つめる男性の眼差しにも心を奪われます。

同じポーズで写真を撮りたい!

ファイブスター★

ベツレヘムの街まで来ると周りはアラブ人の方が多くなり一気に雰囲気が異なります。

途中でスパイスと豆で出来た中東風コロッケのファラフェルをくれました!

この街は聖母マリアがイエス・キリストを産んだとされる地で、その伝説に因み生誕教会や生誕後に殺害の危機にあった彼を天使が逃したミルク・グロットなどがあります。
生誕教会までの道のりで、確信犯的なカフェを発見。

STARS & BUCKS CAFÉ

生誕教会は入口がとても小さく狭く、この近くに2000年前、イエスが生まれた馬小屋があったとされます。

狭い入口

中はアルメニア教会、正教会、カトリック教会とそれぞれの宗派の祭壇があり異色な光景。訪れた際は修復工事中でしたが、中は混み合っておりミサの声も聞こえてきました。




教会内部は多様な宗派が共存している

ミルク・グロットは建物の色合いや内装が可愛らしい女性向けの場所。幼いイエスを抱え、ヨセフとマリアがヘロデ王の兵士から逃れエジプトに渡るため隠れた洞窟があった場所とされます。

ミルク・グロット




ミルク・グロット内部

伝説では、イエスに母乳を与えようとしたところ地面に滴り落ち、瞬く間にミルク色に染まったといいます。
以来、キリスト教徒のみならずムスリムの女性もこの教会を訪れるそう。
現在の建物は19世紀にフランシスコ派修道院により建てられたもので、整備もされ美しい状態です。

美しい教会内

女性におすすめの教会

その後、羊飼いが救世主の知らせを告げられたという場所に建つ羊飼いの野の教会を見学。入口では羊がお出迎えしてくれ、洞窟のようなシンプルな教会と柔らかい色合いで描かれた絵が美しい、新しく建てられた記念教会を見てまわります。

羊飼いの野の教会

ベツレヘムをあとにすると、断崖絶壁に造られた神秘的な聖ゲオルギウス修道院と世界遺産のネゲヴ砂漠を目指して出発!
エルサレムからエリコまで続くワディ・ケルトの渓谷沿いに位置する聖ゲオルギウス修道院。普通の道路を走っていたかと思うと、左手に道をそれた途端いきなり周りは岩砂漠のような景色に変わりました。

車窓からの景色

砂漠の間に出来た道を進んで行くと、何やら谷のようなものが見えてきます。これがワディ・ケルト渓谷。車を降りて目の前に広がる景色に感動を覚えながら下まで行きます。写真では伝わりきらないかもしれませんが、とにかく広大です。視界を埋め尽くす渓谷と青空のコントラストが美しいです。

周りの岩はとても大きい

みんなで下って行きます

あまり時間がなく、修道院の中まで入ることは出来ませんでしたが谷の向こう側の崖に埋め込まれた遺跡は遠くから見ても圧巻。

途中には十字架が立つ

教会の入り口


岩に埋まった修道院

こちら側の崖からモモンガのように飛んで行けたら気持ちよさそうなどと考えていると、ガイドさんがいそいそと次の目的地への準備をしているということで名残惜しくも修道院をあとにしました。



世界最古の街と言われるエリコの市街に入り、ケーブルカーで山に登ります。

3つ連なるケーブルカー



ケーブルカーにて

この山は誘惑の山と呼ばれ、イエス・キリストがこの山の荒野で悪魔から40日間の誘惑を受けたという伝説が残っています。
山の中腹には誘惑の修道院というギリシャ正教会の修道院があります。
修道院は巡礼の聖地の一つとして326年に制定され、ケーブルカーなど存在しない時代の信者たちは山の麓から何日もかけて巡礼のため登ってきたとのこと。

山の上のカフェにあった新鮮なフルーツ

中腹からの景色

ケーブルカーで街まで降りると昼食の時間ですが、ここで驚き。
アイン・シュタインの生き写しかと場がざわついた素敵なおじさまがお出迎え!
こんなところで出会えるとは。

せっかくなので記念撮影★

ポーズもしっかり決めてくれる

こちらもビュッフェの昼食

みんなで食べておいしいご飯

こんな大きなお肉もでてくる

昼食を終えると、アラビア語で「アッラー(神)の山」という意味の都市ラマッラーを目指しバスに乗り込みます。
1995年にパレスチナ自治政府がラマッラーに設置されて以来、パレスチナの政治的首都として機能している大型都市です。

アラファトの墓

ここにはパレスチナ自治政府の初代大統領ヤーセル・アラファトの墓と彼に関する博物館があります。
6年がかりで建設されたというこの博物館では、音声案内を借りて映像や関連資料をもとにシオニズム(ユダヤ人民族国家のパレスチナ樹立を目的地とした国家建設運動)の高まりから第二次世界対戦を経てイスラエルの建国、そして今に至るまでの歴史を振り返ることができます。内容はボリューミーで、小一時間では足りないくらいの資料が展示されています。

中は厳重に守られている

頼んでみたら意外一緒に写真を撮ってくれる

アラファトミュージアム入口

20世紀後半、パレスチナ解放機構(PLO)を率いた指導者であるアラファトは、一時は攻撃的な姿勢でテロ行為にも手を染めましたがイスラエルとの暫定和平を実現し中東和平を築いたとしてノーベル平和賞を受賞している人物です。日本でも名前を聞くことは多かったかと思います。
ただ、もともと過激的な方針であったため平和賞受賞には様々な見解があるとのこと。




映像資料ひとつひとつも説明が盛り込まれ、全てまわるには十分な時間が必要です。
最後の部屋には博物館のお土産としてTシャツやトートバッグなども売っていました。
市内に戻り、大型マーケットで買い物をしてから夕食へ。



次の日も朝から遠出のためたくさん食べてゆっくり休みます。
*3日目*
この日は全体の観光や皆さんのテンションを振り返ってもハイライトのネゲヴ砂漠ツアー!
砂漠で四駆というワードだけでワクワクします。

白い四駆。カッコイ~

ネゲヴ砂漠はイスラエル南部に広がる、お香を運んだ交易ルートに発展した4つの砂漠都市が世界遺産として登録されている場所です。
南部アラビア半島や紅海付近、インドまで分布する乳香貿易で栄えました。

パノラマビューはこんな感じ!

途中までは舗装された道

砂漠が見えてくると、バスから専用の四駆とパノラマビューの車に乗り換え。
四駆に乗り換えてしばらくすると舗装された綺麗な道からいきなりそれて、ここに道があるのか?と疑ってしまうような砂漠の中へどーん!

パノラマの車は映画の撮影みたい!

ガイドさんの植物の説明に聞き入っています

この砂漠は、サラサラの砂でできた砂砂漠ではなく全体が堅そうな岩によって構成された岩砂漠です。
もちろん、舗装された道があるわけないのでごつごつの岩の間を大胆に乗り上げながら車を走らせます。想像はつくかと思いますが振動はもちろんのこと、窓は一見ついているようでついていないに等しいため、砂まじりの風が車内に吹き込んできます。これは四駆の屋根付き車の話ですので、パノラマビューの屋根なしはさぞエキサイトしたに違いありません!

言葉も出ません




加えて、運転手さんは慣れた手つきでスピードも速く凸凹の地面をどんどん進んでゆきます。絶叫系に力を入れている遊園地のジェットコースター並みに車内からは叫び声があがります。前髪もふっとぶ勢いで砂漠の道を進んでいきます。


そして砂漠の中心部にある必見スポット「ラモン・クレーター」で記念撮影。
クレーターという名がついていることで隕石が落ちた場所かと思いましたが、そうではなくかつて海だったこの土地が地殻変動により隆起し、むき出しになった地面に川が流れそれが繰り返されて浸食も進み、現在の窪地になったとのこと。
視界を埋め尽くすのは真っ青な空と、オレンジ色に広がる岩砂漠。こんな光景を日本で見ることはなかなか難しいです。






そこからさらに四駆で駆け抜け、砂漠の中で昼食をとります。
ガイドさんたちは車を止め、手際よくランチの準備をはじめます。どこに積んでいたのか、テーブルやレジャーシート、カセットコンロにたくさんの野菜、小麦と水だけでできている薄いナンのようなパンまで出てきてびっくり。

おっきいパン!

本当に手際よく、ものの30分程度で食事の準備が終わりました。しっかりとゴミも袋に詰めて、砂漠を汚さないよう配慮している様子。

どんどん料理ができていく

おいしそう~

レジャーシートの上でモリモリ!

素敵なランチタイム

新鮮な野菜がたっぷりのサラダと、パンに合うペーストがテーブルに並びます。
青空の下で食べる食事は別格の美味しさ!レモネードやコーヒー等もふるまってくれました。
お手洗いはたまに見かけますが、基本的には用意がないのでみなさん岩陰へこっそり隠れて行って参りました。

すごい道を進んでいく

再度車に乗り込み、まだまだツアーは続きます。
同じようにスリル満点な砂漠の道を進んで行くと、崖の断層が織りなす景勝地に到着。巨大すぎる断層の岩壁に囲まれ、記念撮影!

巨大な断層

素敵な3ショット★

空が青い!

360度カメラで交信中!

ツアーも終盤に差し掛かり、砂漠の道から舗装された道へと向かいます。
昼食も含めて約3時間のツアーで、たっぷりと砂漠を満喫することができみなさんご満悦。
服や髪はいつの間にか砂まみれになっていましたが、貴重な経験ができました。

断層ごとに色が異なる

バスの中ではレクもはかどる★

そこから3時間ほどかけてエルサレムのホテルに到着。
移動日が続き、3日目ともなるとさすがに疲労がでてきて夕食をとって就寝時はすぐに夢の世界へゆけました。

夕食時はクイズ大会

サプライズ後の記念撮影♪

*4日目*
この日は後発で向かったB班との合流日で、A班にとっては最終日。
ホテルをチェックアウトした後ロビーで待っていると、B班が到着しイスラエルにて感動の再会!
半日の市内観光と昼食まで、全員で一緒にまわります。

熱心に説明を聞いています

初日にも訪れた旧市街を再度訪れます。
旧市街に入り、ヴィア・ドロローサの道を巡ります。

第3留 イエスが最初に倒れた場所


屋台のように店が並ぶ市街地

ヴィア・ドロローサ(苦難の道)とは、その名の通りイエス・キリストが有罪と判決されたのち、ゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会がある場所)まで十字架を背負って歩かされたとする道になります。

第8留 イエスが嘆き悲しむ婦人たちに語りかけた場所

第9留 3度目に倒れた場所

ピラトによって死刑判決を受けたとされる第1留から、終点であるイエスの墓の第
14留までがヴィア・ドロローサにあたります。
信者たちは、それぞれの留でイエスがたどってきた人生のエピソードを想像しながら巡礼をしていきます。

この道は巡礼地ともあってか非常に混み合っており、細い商店街をぬけていくようなルートで練り歩きます。
最終地点のイエスの墓も、巡礼者や他の国から来た観光客で賑わっていました。
第9留までは旧市街の中ですが第10留~第14留は、聖墳墓教会内にポイントがあります。


聖墳墓教会の美しい内装

ゴルゴダの丘があったとされる場所に建つ聖墳墓教会は、紛れもなくイエスの墓。
世界中から信者たちが訪れるのも頷けます。
またここはキリスト教の中でもカトリック教会、正教会、アルメニア使徒教会、コプト教会等いくつもの修派が混在しており、正教会からは復活教会という名で崇められています。
内部には、各宗派がそれぞれに管理をする部分で区切られており宗派によって祭壇の内装が異なるため見応えがあります。

イエスの墓の前

14留の墓の前には信者のみなさんが行列を成して祈る順番を待っていました。
また、イエスが十字架から降ろされた場所にある石の周りにも大勢の人々が集まり、熱心に頭を深々と下げて祈り、石に口づけをする姿も見られました。

イエスが十字架から降ろされた石の周りに集まる人々

初日の嘆きの壁とともに振り返ると、改めてエルサレムのこの地は各宗教の総本山なのだと実感しました。残念なことにイスラム教の聖地岩のドームは、混み合っており中に入ることは出来ませんでしたが次に来ることが出来たならばこちらも訪れてみたいと強く思いました。
教会の見学を終えると、旧市街内のレストランで合同昼食です。
楽しいレクがあったり感動的なお知らせがあったりと、盛り上がりを見せイスラエル最後の食事を噛みしめます。








食事後は道のりの途中の丘から景色を堪能します。








帰路につき、飛行機の中で夢のような旅行の記憶を辿ります。
世界史の教科書や宗教の歴史学の中で度々目にしていたエルサレムを中心とする、イスラエルとパレスチナ。
今回3泊5日という短い期間ではありましたが、少しでもその実態に触れることが出来、それにより現在の世界から決して切り離して考える事のできない「宗教」というテーマについて改めて考えることの出来た意義のある時間を過ごせました。
加えて、この中東で何が起こってきたのか、エルサレムがどんな重要な都市なのか、ここでいまなお直面している宗教や人種間の問題はどんなものなのか、実際に訪れ自分の目で見て確かめることで知識を深めることが出来ました。


毎年恒例1年目の添乗員さんは英語も達者で気配りを欠かさず、みなさんをまとめてくれました!ありがとうございます★
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
おつかれさまでした!
次は絶対岩のドームへ潜入します!
(2017年10月 山口優)
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