ヨルダン&エジプト遺跡巡り!ペトラ遺跡と中部エジプトを歩き尽くす旅

ヨルダン&エジプト遺跡巡り!ペトラ遺跡と中部エジプトを歩き尽くす旅




カタール航空で羽田から12時間でドーハへ。そしてアンマンへ約3時間。今回の目的は2つの憧れの遺跡を訪れること!その1つ目がペトラ遺跡です。
アンマン空港からペトラ遺跡の町ワディ・ムーサまで車で約3時間。ペトラの宿はペトラ遺跡に近いホテルにしたので、徒歩圏内でとても便利です。


ペトラ遺跡はヨルダンで最初の世界遺産で、紀元前1世紀~紀元後1世紀頃に建設されたナバタイ人の首都で、それ以降の遺跡も含めて巨大な遺跡群となっています。
ペトラにはナバタイ人より以前に、1万年前から集落があったようで、ジェリコ同様、中東で最古の歴史を持っています。その後、エドム人がユダヤとの争いを繰り返し、紀元後6世紀にはナバタイ人がペトラに定住し始めます。遊牧民族のナバタイ人やベドウィンは、インドから地中海に向かうキャラバン隊がこの地を通る際に安全を保証することで生活していました。ナバタイ人はアラビア語を話していたため、彼らの使うナバタイ文字は、その後アラブ圏に広まり、アラビア文字の起源となっています。アラビア文字はペルシャ語やウルドゥー語でも使われているので、現在では世界のあちこちで使われています。
また、ローマ帝国の時代にはその支配を受けたため、現在のペトラ遺跡にはローマらしい劇場や列柱通りも残っています。


入口から少しのところにジン・ブロックスと呼ばれる立方体の石のお墓や、エジプトのオベリスクのような塔を持つお墓が見えてきます。ここの景色だけでも充分見応えがあるのですが、さらにシークの入口が見えてきます。
シークとは1.2kmもある岩山の裂け目で、ここを通らなければ中には行かれないので、難攻不落の要塞と考えられていました。ナバタイ人はこの水の少ない地域で、治水に長けていて、紀元前4世紀末には地下貯水槽に雨水を貯め、広大な砂漠を移動しても不自由しなかったそうです。飲用水路と灌漑用水路に分け、飲料水の濾過や高低差で水圧を調整したりもしていたとか…その技術はローマ帝国に併合されてもローマが改良する余地のない程だと言うから、その時代の最先端だったのでしょう。シークの左右の壁沿いには、そんな高度な技術を持つナバタイ人の水路の跡が見られます。


この水路を辿って進んで行くと、狭くなった岩山の隙間から徐々にあれが見えてきます!

そう、待ちに待ったエル・ハズネ!高さ45mもの巨大な彫刻の壁が目の前に。細かな彫刻が美しく、ペトラ遺跡で最も壮麗と言われています。

映画「インディージョーンズ」の舞台として使われたのが有名ですね。映画ではこの奥に幾つもの罠が仕掛けられていて、聖杯へと辿り着くのですが、実際にはそんな空間はなく、広間とその奥にお墓がありますが、入ることはできません。でも入口だけでも綺麗で見応えがあります。
エル・ハズネからさらに進んだところで、左手の階段を上がって犠牲祭壇へ続くルートがあります。トレッキングコースではありますが、看板の雰囲気からしてそんなに遠くなさそうだったので、とりあえず行ってみることに。進んでみると、滑って落ちたら重傷は免れないと思われる崖沿いの道をひたすら登ります。


予想以上に長い。しんどい。途中でベドウィンがロバに乗らないかとしつこく話しかけてくる。ということで、もう疲れたし、犠牲祭壇の一部が見えたので、ここでやめました。


充分な景色だったし、引き返して次に行きます。
元のルートに戻って先に進むと、右手に王家の墓が5つ並んで造られています。一番右の壷の墓に登ってみたり。ここは景色が良いです。


柱廊通りを進み、カスル・アル・ビントと言われる神殿へ向かいます。この途中の大神殿も広くて、浴場があったり、床が六角形の石でできていたりと、面白いです。テメノス・ゲートで俗世から区別された神聖な神殿、カスル・アル・ビント。結構ボロボロで風情があるけれど、正面しかみることはできません。



そしてここがバシンレストラン。

お昼はここでランチにするか、ホテルでランチボックスを頼んで持ってくるか、だと思います。この先のエド・ディルまでの道のりが長いので、休憩しておくのがおすすめです。他にペトラ遺跡内で休憩できるのは、多くはないけれど所々にあるカフェや、お土産を売っているベドウィンのおばあちゃんがお茶を勧めてくれたりもします。シークから先の道中はほとんど日陰がなくて、特にお昼前後は日差しが痛いです。湿気が無いのであまり汗はかかないですが、帽子は必須です。


バシンレストランからエド・ディルまでは、砂で登りにくいところや、階段状の岩場で、この時が一番暑くてしんどかったです。

普段の運動不足を後悔しながら、休んだり、歩いたり、また休んだり。途中、ベドウィンのお土産屋さんが声をかけてきますが、登るのに必死でそれどころじゃないんです。ふと、風が強いところに出たと思ったら、前方にカフェを発見。カフェ前で人が写真を撮っていたので、そっちを振り返ると、エド・ディルだー!

息を切らして、カフェまでもうひと頑張り。私もエド・ディルの写真を撮って、エド・ディルを眺めながらしばし休憩。造りはエル・ハズネよりずっとシンプルだけど、エド・ディルの方が大きく、陽の光をあびてどーんと構えている感じがします。高台から観ると、さらに絵になります。
さらにカフェの裏にはパノラマスポットがあるらしいのです。疲れたので行くか迷ったけれど、カフェのおじさんに聞いたら歩いて5分だというので行くことに。
ここも滑って落ちたら、もう帰って来られなそうな崖が…でもこの先はトップオブザワールドらしい。
確かにすごい渓谷の景色。この崖の先端ならもっと見晴らしが良さそうだったのですが、強風に煽られて落ちるような気がしました。


帰りは空が曇ってきて暑くもなく、下り坂で気持ちにも余裕があったからか、あっという間にバシンレストランまで戻って来ました。夕方には風も強く肌寒くなり、ウインドブレーカーがあったら良いくらいでした。犬、猫など動物も結構います。



ペトラ遺跡内ではベドウィンのおにいちゃん達がロバや馬車、ラクダに乗らないかと、諦めずに話しかけてきます。日本のやっかいな客引きと同じか、それ以上に諦めが悪いです。でもベドウィンをまじまじと観察するチャンス。パイレーツオブカリビアンの船長みたいな人もいれば、ごく普通の若者も。


帰りは名残惜しく、エル・ハズネの前のカフェでしばらくゆっくりしてから、帰りました。バラ色に見えるかな?

ペトラでのごはんはビジターセンターから歩いて5分くらいの、ここのアラブ料理がおいしかったです。レンズ豆のスープに、ケバブ。


翌日はさらに天気が崩れ、朝から雨。外に出るとかなり寒く、セーターを持ってきて正解でした。
ペトラから死海への道中、寒いところでは気温はなんと0度。雪まで降ってきました。まさかヨルダンで雪を見るとは思ってもみなかったです。

標高の低い死海は気温も高く、17度ありましたが、それでも死海に浮かべる程あたたかくはなく、風も強くて、ビーチに観光客は皆無。とりあえず足まで入って、あとは死海の泥パックをしていました。



死海にぷかぷか浮かべなかったのは残念だけど、その後デッドシースパホテルで食べたランチが美味しかったので、だいぶ満足しました。ペトラのレストランではスイーツは切らしていると言われて、ありつけなかったのですが、死海ではバーミエ、アダイフ、たぶんフティールなど色々な種類を食べられました。

この日は悪天候でペトラ遺跡は入場不可になっていたそうなので、昨日行っておいてよかった。
その後、アンマン近くのジェラシという遺跡へ。雨が降ったり止んだりでしたが、人も多すぎず見応えのある興味深いローマ遺跡。途中で勝手にガイドし始めた少年にいらっとしましたが、遺跡内はちゃんとしたローカルガイドのマフムードさんがしっかり案内してくれました。


ハドリアヌスの凱旋門の向こうには競馬場があり、その先のビジターセンターから遺跡内へ入っていきます。入ってすぐの南側にはゼウス神殿があり、フォルムと呼ばれる卵形の広場から、北門まで約600メートルの列柱通りが続きます。列柱通りから横に入って行くと、大聖堂やアルテミス神殿、幾つもの教会、もう一つの劇場が配置されています。全体はだいぶ広さがあるので、晴れていたらもっともっと歩き回りたかったです。


ヨルダンの次はエジプトへ。ずっと運転してくれたサミーさんともお別れです。ガイドさんと言ってもいいくらい、ヨルダンのことや観光地のことを教えてくれました。


アンマンからカイロまで、ロイヤルヨルダン航空でたった1時間半。日本語対応は流石に無いけれど、各シートにモニター付きで、簡単な機内食もまあまあ、そして機内が綺麗でした。
到着後、左奥の赤い看板のところで入場券のごとくお手軽にビザのシールを買って、ここで両替もできます。その後、右側の列に並んで入国。

エジプトではカイロの空港からほど近いホリデイ・イン・シティスターズに宿泊。館内はお部屋も含めWiFi無料です。カイロ最大のショッピングモール、シティスターズに隣接していて便利。このモールは夜24時まで営業していて、600近くもの店舗が入っているんです。ブランドの洋服や靴はもちろん、家電製品、本、お土産やちょっとしたスーパー、レストラン街やフードコート、ジュエリーや家具まで。平日でも大賑わいのショッピングモールです。

割と質の良いものが揃っていて、値札もついているのでぼったくられる心配もありません。新館と本館があり、広すぎて迷ってしまう程でが、お土産ものが集まっているエリアでお買い物したり、エジプト料理店も入っているので夜ご飯を食べに行ったり、帰りのフライトまでの空き時間にうろうろしたり、カイロっ子と仲良くなったり出来るところ。
そしてレストラン街にチョコレートスイーツのお店を発見。カイロの女子達が大皿に山盛りのパンケーキを囲んでいました。私はチョコレートブラウニーのクレープを。これで700円くらいなので、お腹いっぱい食べたいなら、コシャリなんかはもっと安い値段でたくさん食べられます。エジプト人の甘い物好きは女子に限らないようで、男子やファミリーでも甘ーいスイーツを囲んでいました。

街中のスイーツ屋さんはこんな感じ。店先で調理しているところも。



エジプト料理はトマトベースの鳥、豚、野菜など。モロヘイヤスープが美味しく、個人的に日本に帰ったら作りたいエジプト料理No.1!


エジプトでの今回の目的地は中部のミニヤの遺跡。カイロからミニヤまでは車で片道約4時間とちょっと長旅なので、なんと早朝5:30出発。カイロから離れると、安全のため警察も同行です。

まずベニハッサンへ。ここにはいくつものお墓が残っていて、そのうち4つの地方豪族のお墓に入ることができます。お墓まではこの階段を登らなければなりません。とは言っても、ペトラを歩いた距離に比べれば、大したことありせん。観光客が少ないので、おじさんが一緒に行って鍵を開けてくれます。


残念ながらお墓の中は撮影禁止。内部には地方豪族の生活が描かれています。壁一面に農業や漁業、ベッド作りなどの風景が描かれ、そしてそれらを捧げ物にする図になっています。なかでも特徴的なのが、この時期に流行ったらしいレスリングのレリーフ。かなりの種類がびっしりと描かれています。
現地の方にいただいた画像ですが、こんな感じです。

道の脇を流れる運河の水面に向こう岸が写って、さらにその向こうにはナイル川の恩恵を受けた緑の地が広がる、綺麗な眺めです。

そして、ペトラ遺跡ともう一つの行ってみたかった遺跡、テルエルアマルナへ。ここはアマルナ芸術が栄えたかつての都です。元々はテーベ(ルクソール)に都を置いていましたが、神官の癒着が進んでいた為、新王国時代の第18王朝、アメンホテプ4世は、神官の影響力を弱めようと、都をテーベからテルエルアマルナへ遷しました。テーベではアメン神を最高神とする多神教だったのですが、遷都と共にアテン神の唯一神信仰に変え、王自身の名前もイクナートン(アクエンアテン)に改名ました。アメンホテプ4世の名前に「アメン」と入っていたのが、アクエンアテンでは「アテン」が入っていますこれは世界で最初の宗教改革と言われています。
彼の時代には、芸術の分野でも改革がなされ、それまでの理想的な形式にこだわった芸術様式から、自由な表現や写実的なものが重視されるようになった為、この時代固有の特徴的な顔立ちや描写がされた貴重な芸術でもあります。

(エジプト考古学博物館のイクナートン像)

しかし、アクエンアテンに反対する神官達によって彼は暗殺され、テルエルアマルナの都も壊されてしまったのです。彼の治世はわずか10年あまり。テルエルアマルナはその間だけの都で、破壊されて放棄されてしまいました。切ないですね。アクエンアテンの次の王が日干しレンガ (トゥト・アンク・アメン)です。名前からもアメン神信仰に戻ったのが分かります。
テルエルアマルナでは墓や宮殿跡を見ることができますが、ここもお墓の内部は写真に残せず、破壊された為に残る遺跡も多くはありません。それでも歴史的にとても意味のある場所なので、定期的に観光客がやってくるそうです。
チケット売り場でチケットを買うと、ここのお墓も普段は閉まっているので、おじさんも私達の車でお墓までついてきます。途中で電気の電源を入れて、お墓を開けてくれました。



これも現地の方に頂いた画像ですが、イクナートンの名前は削られても、左上の太陽は神を表すので残されて、神々しい光が描かれています。

日干しレンガの宮殿跡は道のすぐそばにありますが、ひとつひとつのお部屋や柱の跡、木材が残っている部分を見ることができます。

ガイドをしてくれたアビールさんが遺跡や歴史に詳しく、とてもとても楽しい観光でした。
ミニヤからの帰りは渋滞に巻き込まれ、カイロ市内からホテルまで2時間半近くもかかりました。普段は10分の道でも、渋滞すると数時間かかることもあるとか…
また、2度目のサッカラにも行ってきました。ジョセル王の階段ピラミッドのコンプレックスがやっぱりいいですね。階段ピラミッドは修復中です。





この日は霧がかっていて、道中でギザやアブシールのピラミッドは見えませんでしたが、ジョセル王のピラミッドのところから、ダハシュールのピラミッドがかすかに見えました。

最近、カイロのエジプト考古学博物館ではカメラチケットが導入されました。なんと50エジプトポンドで、館内の写真撮影がOKになります。ただしツタンカーメンの部屋と、別料金のミイラ室での撮影は禁止、フラッシュはどこもNGです。広い博物館は全部まわるには1日ではとても足りませんが、写真を撮っても良いというのが新鮮で楽しかったです。


(クフ王の小さな像)



カノポス壷(ミイラを作って、内蔵を入れる壷)は動物や神の顔が付いているものが多いですが、これは全部ツタンカーメンの顔。


あの有名なツタンカーメンの黄金の椅子。王妃アンケセナーメンとサンダルを片方ずつ履いている仲睦まじい場面。

かわいい動物シリーズ。動物のミイラもあります。





ペトラ&ミニヤの遺跡巡りはやっと行かれた場所で、私にとってはとにかく楽しい旅でした。十分満足したのですが、やっぱりまた行きたい、何度行っても良いんだよなぁと実感しました。
オススメ度
ペトラ・・・★★★★★ 何日もかけて見たいペトラ遺跡
死海・・・★★★ この時期はまだ寒かったけど、次回は浮いてみたい!
カイロ・・・★★★★★ 観光もショッピングも盛りだくさん!エネルギッシュな街
ミニヤ・・・★★★★★ 遺跡や歴史好きの人におすすめ。事前の下調べかガイドさんがいると良い。
サッカラ・・・★★★★★ 初期のピラミッドや遺跡がたくさんあって最高
(2016年2月 増田里紗)
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