知られざる地球の絶景!!炎に包まれた地獄の門へ~中央アジア・トルクメニスタン周遊

知られざる地球の絶景!!炎に包まれた地獄の門へ~中央アジア・トルクメニスタン周遊


地獄の門を知っていますか?
40年以上燃え続けている炎のクレーターがこの世にあることを私はつい半年前まで知らなかった。
存在を知ってから間もなくトルクメニスタンに行ってその地獄の門の写真を撮るという幸運な機会が訪れた。
地獄の・・という呼称が忌まわしいのか、その成り立ちから観光地と呼ぶにふさわしくないからだろうか、ガイドブックや世界の絶景特集的な本でも見かけない。世界遺産でも何でもないので一般的な知名度は低く、旅行業界内でも知る人ぞ知る地味な存在だ。実態は派手だが・・・
その40年以上も燃え続けるガスクレーターの姿をただひたすらに確実にカメラにおさめて無事持ち帰ること、絶対にすべってはならないとても重要なミッション。
まずこのトルクメニスタンは入国にビザが必要。日本に大使館がないので事前にトルクメニスタン側から招待状を取らなくてはならない。それにはホテルやガイドの手配を済ませなければならなく、やや時間もかかるので他の国と比べてちょっと面倒くさい。巷に流れる国の情報量は相対的に少ない。そこで余計な先入観はかえって要らないだろうとの勝手な判断からあまり予習せずに出発した。
空路で入る場合は成田からトルコ航空のイスタンブール乗りかえで首都のアシハバードに入るルートが早いが今回はウズベキスタンも含んでいるので往復ソウルとタシケントを経由してウルゲンチまで行き、そこから陸路で入国する行程。ウルゲンチに到着後、半日ほどヒヴァの観光をして車でおよそ1時間、国境のある町シャバトまで向かった。


国境を越えてトルクメニスタンへ
ウズベキスタンの国境まではヒヴァのガイドがさんが一緒。

写真があれば入国の流れもわかりやすいのだがこの辺りから撮影禁止エリアになるので文章だけでお伝えしたい。
税関の書類を2枚提出したところでガイドさんとはお別れ。ゲートをくぐりしばらく歩いて次の建物でスタンプを押してもらい、さらに歩く。何度か見張り兵にパスポートの提示を求められる。これが鬱陶しい。この先は歩いても行けるらしいがゲートまでの距離感がつかめないので1ドルを払って観光客ではなさそうないわゆる地元の出稼ぎ風おばちゃんたちと乗合タクシーで中立地帯を走り、トルクメニスタンのゲートを目指す。恐らく歩けば15分はかかりそうな距離を車だと2分くらい、目指すゲートが見えてきた。現在の大統領の写真が掲げられた立派なゲートだ。地味なウズベキスタンに対しこっちは派手な印象を受ける。ちなみにこのゲートは24時間開いているということではない。きっちりお昼休みを取って午後は14時から開くので、その時間にあわせてスケジュールを組まなくてはならない。
建物の前までガイドさんが迎えに来てくれてまずはひと安心。ここでも書類を2枚書き、ビザ代として69ドルを払う。
そして待つことさらに30分。手続きに来ているのはさっきまで一緒だったおばちゃんたち3人だけのはずなのに、やけに時間がかかる。手続きが終わったら係官に呼ばれ顔をしげしげと見られる。その後荷物チェックを受け、ようやく自由になれた。結局ウズベキスタンの国境からここまで90分近くを要した。
最初の宿泊はダシュボウズという何もない、おそろしく静かな町。

ホテルは最小限のサービズが整っているレベル。ただ泊まるだけなのでこのくらいで不満はない。

トルクメニスタンでもスマフォを持っている人を多く見かけるがWIFIは首都のアシハバード以外は一切使えない。(2014年10月現在)
まだ明るいのでちょっと散歩に出てみた。交差点に掲げられた大統領の肖像画が気になる。

この国は街の至るところにこの肖像画が溢れているらしく国民のロイヤリティの高さを感じる。
世界遺産のクフナウルゲンチへ
翌朝は10時にホテルを出発。およそ1時間でトルクメニスタン最初の観光地、世界遺産のクフナウルゲンチへ。
地図で見ると国の北西部に位置する。10世紀から14世紀までの約500年、ホレズム王国の首都として栄えた場所。モンゴル帝国の侵略とアムダリヤ川の流路の変化に伴って衰退してしまったが、当時の建物が修復されながら保存されている。

ここでは写真を撮るために先に2ドルを支払う。
ちなみにトルクメニスタンの通貨はマナット。米ドルはレートがあまりよくないが結構使えるが日本円はX。見どころは
①敷地内で最も大きい14世紀に建てられたテュラベクハン廟

内部のドームは昼夜24時間を表す12個の天窓と1年をあらわす365個の星などイスラム天文学が生かされている。

②同じ14世紀に造られた中央アジアで最も高いクトルグティムールミナレット

③とんがり屋根が特徴のイルアルスラン廟

ここで初めて、地元の女性から写真撮影の依頼があり感激した。

もちろん断る理由などない。他の国ではめったにない依頼に素直に喜んで応じる。
ツアー3日目、いよいよダルヴァザ・地獄の門へ
クフナウルゲンチからおよそ280キロ、4時間半かけて今回の最大の目的地、地獄の門のあるダルヴァザを目指す。
目的地の近くは何もないので途中の店でビールとメロンを買いこみ、カラクルム砂漠を南に進む。
アスファルトは滑らかで道路事情は思ったより良い。カラクム砂漠は黒砂漠で一般的にイメージする砂一色の砂漠ではなく石ころが散乱している荒野といった感じ。その単調な景色を眺めながら車は1本道を延々と進んでいく。

そろそろかな、という空気が流れたあと、いきなり左に折れて小さな路へ、アスファルトから砂利に変わる。道路標識もなく、もちろんカーナビもない。なんの目印もないようなフツーの風景、もし夜中だったら絶対に間違えるであろう地味で特徴のない道をさらりとハンドルを切って進むドライバーさんは凄い。

そして走ることおよそ5分、心とシャッターの準備がないまま、“着いたよ”と知らされる。
これがそうなのか? 何もない、荒野の真ん中にポッコリと口をあけた不気味な穴、という感じ。


まだ陽が明るい時間なのでイメージしていた炎は見えなく、ちょっと拍子抜け。車を降りて近づくと炎がちらちらと目に入る。地獄の門というのはキャッチーな表現かもしれないが個人的にはあまり適切と思わないし、第一印象は地獄と呼べるほどのものでなくあまりにも淡泊であった。 地獄と言えば閻魔大王とか奈落の底、または借金地獄といったワードが思い浮かぶ。また地獄の〇○というやや大袈裟なネーミングと炎のイメージは、私の世代のロック野郎ならKISSの一連のアルバムタイトルとジーンシモンズがステージで口から噴く炎をセットで連想するかもしれないがそれらのイメージとは真逆である。
話が逸れたがここであらためてウィキペディアなどで紹介されている地獄の門について簡単にふれてみたい。
そもそもトルクメニスタンは資源国でその天然ガス埋蔵量はイラン、ロシア、カタールに次いで世界第4位を誇る。
ここダルヴァザ付近の地下には豊富な天然ガスがあり、1971年に当時のソビエトの地質学者がボーリング調査をした。その際、偶然、天然ガスに満ちた洞窟を発見し、調査が始まった。しかしその調査の過程で落盤事故が起きてしまい採掘作業用の装置が置かれていた場所もろとも直径50から100メートルにもなる大きな穴が開いてしまった。
学者たちはそこから有毒ガスが放出されることを懸念してガスに火を放った。彼らはすぐにガスは燃え尽きて火は消えると見込んでいた。ところがガスが地下から絶え間なく吹き出るため40年以上経過した今でも燃え続けている。この学者たちの誤算によって誕生した地獄の門は天然ガスの埋蔵量を誇るトルクメニスタンの象徴となった極めて珍しい場所。のちにこのポッカリあいた穴を地元住民は”THE DOOR TO HELL”名づけた。現時点ではこの天然ガスの燃焼を食い止めることは技術的にとても困難と判断され、また天然ガスの埋蔵量自体が不明なため、今後いつまで燃え続けるのかもよく判っていない。現在でも消火するための解決手段は無く依然として燃え続けている。2010年にトルクメニスタンの大統領が現地を視察し、穴を封鎖または周囲のガス田開発のために対策を立てるように指示したという報道がある。現実的には様々な問題を抱えているらしく対策は非常に困難であるとされているがそのうち人為的に火が消される可能性が残されている。以上がネットでつかんだ知識。
これは自然と呼んで良いのか?それとも人工と呼ぶべきか? 成り立ちを調べると自然のようで人工、人工のようで自然という定義が曖昧で不思議なクレーター。

噂の通り、転落防止の柵がない。また、いわゆる警告看板もない、このほったらかされ感が良いかもしれないがこれだけの場所をほったらかしにしていいのだろうか?という疑問もわく。もし落ちたら・・・もちろん助からないだろう。ちょうど穴も開いているのでこれぞ正真正銘の穴場だ。当然だが地獄の門と呼ぶのは私たち日本人だけで他国の旅行者は皆ガスクレ-ターという。ドアトゥーヘルとはあまり言わない。ガイドさん曰く、本当かどうかわからないが過去に一度も事故や自殺などの死亡者がいないそうだ。もしそれが真実ならついでにこれも奇跡と言えるのではないだろうか?
日も暮れてきたので暖を取りながらさっそく食事の準備。


食材などバーベキューのセットはあらかじめガイドさんが用意してくれている。また、火は羊飼いのおっちゃんがセッティングしてくれる。無口だが微笑みが素敵な人。野菜はガイドさんが担当。ナスやトマトは焼いた後、すりつぶしてニンニク等を混ぜてサラダとして食べる、これが結構美味しい。

肉は鶏肉でおっちゃんが担当。素手でつかんで鶏肉を焼く、例のジューッという音とともに煙が立ちこめ一気に食欲がアップ!うーん、うまそうだ。 が、当然素手なので油が指にべっとりつく。どうするのかな?とたまたま観察していたらいきなり指をちゅぱちゅぱ舐めて次の肉をつかんでいるではないか!!いかーん!ダメダメ。これを見て一気に食欲ダウン・・・見なくていいところを見てしまった。

でもまあいいか、空腹には逆らえなのでおっちゃんの味が沁みた肉をがぶりついた。特製タレ(?)使用のためか意外にジューシー。

皆でウオッカを飲みながらほぼ完食。

またデザートのメロンが美味い。
言葉が伝わらない不便はあるものの、目と目で通じあう、細やかな気配りと目配りを感じられてとても嬉しかった。
食後は健康のためにお散歩で、といきたいところをあえて車に乗って夜の炎見学へ繰り出す。


クレーターが近づいてくる。おっと、さっき見たのとは全然様相が違うではないか!
ついさっきは地獄というのはあまり適切でないと思ったが、これなら地獄と呼ぶに相応しいかもしれないほど鮮やかな炎に一瞬茫然としてしまう。

そして我に返って様々な角度から夢中になってシャッターを押しまくる。


ここで偶然出会ったノルウェーから来た人たちとキャビアとウオッカで酒盛りへと展開する。
彼らは「炎に捧げる!」と叫んで持っていたぬいぐるみを谷底に投げてしまった。


名前はファティマと言っていた。彼女(?)が最初の犠牲者なのだろうか?
何故犠牲にするのか、理由を訊いてみたがなんだかよくわからない返事で未だに謎のまま。
おやすみはテントで。

寝袋が用意されているが少し寒いのでフリースをまとって就寝。

個人で来る人の中にはテントではなく、あえて炎のすぐそばで寝る強者もいるようだが自分は寝相が悪くて落ちてしまいそうで怖い。ウォッカで体が温まっていたので眠りは良かったが真夜中から明け方にかけて特に冷える。尋常じゃないのでもっと着込むか携帯カイロを持って来るべきだった。寒さと尿意で何度も目が覚める。ちなみにトイレは無い。大小かかわらずすべて堂々と”自然に済ませる”ので女性は抵抗があるかもしれない。
そして朝。日の出前に撮影がしたくて起床。目覚しをセットし忘れたがまったく問題ない。寒さと尿意で自然に目が覚める。月と炎と水平線。





このうす暗い感じが一番美しいと思った。偶然にもまだ誰もいない。この誰もいないこのエリアに一人佇むと、月並みな表現だがまさに非日常の別世界に紛れ込んだ気分になる。
ついに夜明け。


風向きによっては熱風が顔に当たり炎を直視できない程の火力を感じる。陽炎がユラユラ見える。そこで、煙草に火がつくかどうか、実にくだらない実験をしてみた。

かなり熱いと感じる位置に移動して挑戦したがダメだった。尤も煙草に火がつく=マユゲも焦げるはずだからそれはそれで危険な行為だ。
奈落の底に落ちる手前の写真。

誠に不謹慎ながらこのように今は観光地(?)として楽しめても、そのうち政府が本気になって対策を講じたら周囲は立ち入り禁止になるだろう。また、ガスの埋蔵量自体が不明であるなら、逆に考えるとそろそろガスが切れる可能性もあるのではないかと、つまりいつ行くの?今でしょ!ということになる。
この他、近辺には姉妹スポット(?)としてバブルクレーター

とウォータークレーター

もあるので見逃せない。なぜかこっちには柵がある。バブルクレーターは硫黄の匂いが少々きつい。
この2つは間違いなく暗ければ落ちる。地獄の門と違って柵のある理由をガイドに訊いてみたが知らないとのこと。
ただ単に灯りがないので暗い真夜中に落ちないために、なのだろうか?
白い首都・アシハバードへ
翌朝トルクメニスタンの首都であるアシハバードを目指して南下。ダルヴァザからは260キロ、車でおよそ3時間半かかる。1991年にソビエトから独立してからニヤゾフ初代大統領によって白亜の大理石の街へと変貌を遂げたため、旧市街や古い遺跡は残っておらず、綺麗で近代的な建物が多い。ゴミ1つ落ちていないほど清潔で、造られた白い都市といった印象を受ける。ちょっとドーハに似ているかもしれないと感じた。
①その大統領が家族のために建てたトルクメンバシーモスク

②トルクメニスタンは永世中立国。それを記念して造られた高さ75メートルの中立の塔

街中には大統領の肖像、初代大統領の黄金像などをいたるところで見かける。残念ながらところどころ撮影が厳しく、それを監視する警官が随所に立っている。車窓から撮影しているところを見つけられるとドライバーが罰せられる、なのでドライバーからはその都度注意をされる。つまり街歩きには適さない空気をひしひし感じる。
迂闊にシャッターが押せなく、いたるところに監視の目が光っている。そもそも出発前のインビテーションの申請からビザの取得に至るまで訪問客にはややうるさい、これがリトル北朝鮮と揶揄されるゆえんなのだろうか??

今回の旅の中で最も料理が美味しかったのはこのアシハバードでのランチ

ビール1本8ドルと、東京ドーム並みのボッタクリ感があるが、料理のレベルはそれに比例して高い。

ちなみにトルクメニスタンもウズベキスタンもビールの相場は1本3ドル。現地通貨で買えば円換算で200円くらいになる。

市内観光は簡単に済ませて、郊外にある人類最古の農耕集落のひとつと言われるアナウ遺跡へ。
ここは15世紀頃に城塞都市として栄えた。

20世紀の初頭に、紀元前3000年ごろから人類が定住していたのではないかと推測される彩文土器が見つかったことから人類最古の農耕集落の一つとされている。
1948年の地震で倒壊してしまったセイットジュマールアッディンモスクは鮮やかな青のタイルが特徴。

中央アジア最大の遺跡・メルブ遺跡へ
アシハバードの空港からトルクメニスタン航空の国内線に1時間ほど乗ってマーリへ到着。そこから車で40分くらいのところにメルブ遺跡がある。この遺跡も世界遺産に登録されている。ここはかつてペルシャと中央アジアを結ぶシルクロードの中継点として栄えた町。古い町が捨てられると隣接して新しい町が造られた経緯からそれぞれの異なった
時代の町跡がまとめて見られるのが特徴だ。

①メルブ最古の場所であるドーナツ型のエルクカラは紀元前6世紀から4世紀頃のもので城壁の一番高い所から360度の展望が楽しめる。


②南方のギャウルカラ。世界最西端の仏教遺跡がありソロアスター教、キリスト教、イスラム教、仏教が共存したことが分かる。


③中心のスルタンカラにあるスルタンサンジャール廟。11~12世紀にトルコ系民族のセルジュク朝のあった場所でこれはその時代の最盛期の王の霊廟

④南西に聳える大小2つのキズ・カラ、残念ながら修復中で綺麗に撮れない。大きい方が乙女の城、小さい方が男の城と言われている。

嬉しいことにここで地元の子供たちに取り囲まれる。一人ずつ個別に撮影と握手したので時間がかかった。握手会でファンと接するタレントの気分ってこんな感じなんだろうか?日本では起こりえない出来事に感激した。


その中に極真空手を習っている少年がいて実演してくれた
再び国境を越えてウズベキスタンへ
マーリから車でおよそ5時間。トルクメンバードを越えて、ウズベキスタとの国境のあるファラブを目指す。

ドライバーさんとガイドさん

この道は4年前に間寛平さんがアースマラソンで走り抜けたらしく偶然にもこのドライバーのお兄さんが滞在時のお世話をしたらしい。ウズベキスタンーカザフスタンーキルギスー中国へと、普通の旅行でも体力が要るのによくあの年齢で走ったと、あらためて凄いと思う。

トルクメンバードの国境から出てウズベキスタンに再入国。このためにビザはダブルエントリーを取っておいた。
国境のイミグレーションは3か所あるらしい。出るのは入った時と比べればいたって簡単。ウズベキスタン同様、税関の申告書を2枚書いて並ぶ。ここからが長い。一人一人丹念にパスポートチェックをされる。そしてここでガイドとお別れ。その後は今度こそ歩いて行こうかと考えるも距離が測れないので1ドルの乗合タクシーをチョイス。フランス人のおばさまたちと一緒に中立地帯を走る。1分くらいで車を降ろされたので着いたかと思ったがただの乗換え。またまた鬱陶しいチェックを受けて別のタクシーに乗り換え、これまた1ドル払う。
ようやくイミグレーションが見えてきたが、誰もいないっ!!田舎のお店のように「ごめんくださーい、誰かいませんかー?」的な感じで声をあげると奥から眠そうな若い女性が出てきて申告書を書けとジェスチャーで命令してくる。素直に従って記入してパスポートを見せる。これまたやる気のなさそうなおにいさんが入国スタンプを押して、荷物チェックへ。くぐり抜けたところでさっきのおねえさんが堂々と寝ている!そっと入国してもおそらく気づかないほどの熟睡ぶりに驚いた。他ではありえないようなことがおそらく日常平然と行われているに違いない。
その後、無事にガイドとミートしてブハラに滞在し、シャルク号に乗ってサマルカンド経由でタシケントへ戻り帰国。
あっという間の9日間であった。やはり早朝の地獄の門の光景が瞼に焼き付いて離れない。

人の写真を撮るのはかなり積極的なのに自分の絡んだ写真となるとやや消極的。もっと自分が地獄の門にいたことを証明する写真を色々な角度から撮っておけばよかったと大いに後悔している。
最後まで読んで下さった方へ
中央アジアに初上陸して一番感じたのは人がやさしいことです。写真撮影も気軽に応じてくれますし
これほどいい気分になれる国も珍しいです。治安面も全く問題ないので安心して旅行できると思います。

地獄の門はいつ消えるかわからない、またいつ政府が対策を講じるかわからないので少しでも興味を持たれたら早めに行くことをお勧めします。そして行くなら昼ではなく是非テント滞在で夜を過ごしてください。
昼間は地獄とは呼べません。地獄体験は真夜中から早朝にかけてがベスト、その炎が織りなす光景は圧巻で感動的です。是非一人でも多くの方にこの感動を体験していただきたいと思います。
【スタッフおススメ度】
<地獄の門>★★★★★
行くなら泊まりで。深夜から早朝がベスト。
いつ消えるかわからないので思いたったらすぐにでも!
<メルブ遺跡>★★★★
中央アジアで最大の遺跡。
エルクカラに登り、城壁の一番高い所から
360度の展望が楽しめる!
<クフナウルゲンチ>★★★★
ホレズム王国の都として栄えたシルクロード最大の都市。
高さ67メートル、中央アジアで最も高いクトルグ・ティムールミナレットは必見!
2014年10月 櫻本竜市
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