秘境∧悲境 グルジア・カタール・クウェート・バーレーン4カ国周遊

秘境∧悲境 グルジア・カタール・クウェート・バーレーン4カ国周遊


世界の国の中には1年の観光客人数が一千万人単位の国や、渡航数は多くなくとも「一生に一度は行きたい国」でランクインする国もある。その一方で、治安上何も問題がなく交通手段が不便でもないのにかかわらず、そういったものには縁がなく箸にも棒にもかからない国もある。
今回、私はそういった「不遇」な国を周ろうと考えた。最初に思いついたのはカタール。
日本から乗り継ぎなしで行けるという大きなアドバンテージがありながら「世界でもっとも退屈な街」と不名誉極まりない称号を与えられたドーハを首都とする国だ。
そして同じアラビア半島のバーレーン、クウェート。カタール何となくイメージは湧くが、バーレーンやクウェートは果たして他のアラビア諸国とどのように違うのか見当がつかない。
アラビア3カ国だとあまりメリハリがないので他にもう一カ国、文化圏の違う所に行きたいと考えた。他の航空会社ではあまり就航していないグルジアがカタール航空では運航があると知り、尚且つ短い期間でも観光をこなせるとあってグルジアに決めた。コーカサスの国々も私はイメージが湧かないエリアである。かなりのタイトな日程だがこれらの国を10日間で周ることにした、
以下、グルジア・カタール・クウェート・バーレーン4ヵ国を4パートに分けて感想を述べたい。


PART1  グルジア2泊3日
1日目 カタール航空でトビリシへ
ドーハまで直行便となって初めてカタール航空に乗った。出発が夜遅いため仕事終わりに行ける中東系エアライン、その中でもカタール航空は中でも良く利用する航空会社である。これまで成田からドーハは関西空港経由となっていたので往復ともに2時間ほど時間のロスがあったが今年10月末からは成田と関西からそれぞれ直行便が飛ぶことになりますます便利になった。
2日目 トビリシ市内観光
朝4時半にドーハ到着。
飛行機から降り、バスに乗り換え、乗り継ぎターミナルへ。ドーハのトランジットエリアは店はあまりないが、WIFIも使えるし、有料だがラウンジも使える。
カタール航空のトビリシ行きの飛行機はアゼルバイジャンのバクー経由。ドーハからバクーまでは約2時間半。バクーからのお客を乗せてトビリシへは約1時間。
トビリシに到着。トビリシの空港は7年前(2005年)にできた近代的な建物だった。日本語ガイドさんと合流。通常個人旅行の場合は日本語ガイドさんをつけると相当料金が高くなるのだがグルジアに関しては比較的リーズナブルに日本語ガイドつけることができる。建国から3000年もの歴史を誇るグルジアの観光を日本語で聞けるのはありがたい。空港で現地通貨に両替して、約20分かけてトビリシ旧市街のホテルへ。
<シャルデニ>
この日のホテルはメテヒ教会のそばのシャルデニ。シオニ教会へは徒歩3分ほどの旧市街の中の抜群のロケーションを誇る3つ星ホテル。内装は美しく改装されており近代的。部屋は広くはないが観光メインであれば充分なホテルだ。シャワー、ミニバー、ドライヤーあり。バスタブやセーフティーボックスはない。室内ではWIFIが無料で利用可能(パスワードはフロントで)。私の部屋からはグルジア正教のジュヴァリス・ママ教会とアルメニア正教のノラシェン教会がよく見えた。

シャルデニ

ホテルでしばらく休憩した後、トビリシ市内観光へ。
<トビリシ>
トビリシ市内は本当に美しい。かつてマルコ・ポーロが「絵に描いたように美しい」と称えたとおり、一見の価値がある景色だ。トビリシの街並みを特徴付けているのはそのすり鉢状の地形といくつもの教会。山に囲まれた立地から気候は温暖で、外敵から攻められにくいという理由から5世紀にカルトリ王国のゴルガサリ(ワフタング1世)がここに町をつくり、6世紀にムツヘタから遷都した。またトビリシには4つの宗教(グルジア正教、アルメニア正教、イスラム教、ユダヤ教)に関連する施設がエリアごとに分け隔てなく混在し、トビリシの景観を独特な美しさに寄与している。
グルジアを扱うガイドブックは荒涼とした風景が多く、トビリシの街の写真があまり掲載されていないのが残念なところ。
<メテヒ教会>
ムトゥグヴァリ川のほとりの小さな丘に佇む6世紀に建てられたグルジア正教の教会。中には聖母マリアのイコンが掲げられ平日に関わらず、多くの地元の信仰者が祈りを捧げている。この教会は帝政ロシア時代には監獄として利用され、革命運動により、かの作家ゴーリキーもここに幽閉されたという。ソビエト後期には劇場として使用されていたという歴史もある。教会すぐそばにあるトビリシ遷都へ貢献したゴルガサリ(ワフタング1世)の像はメテヒ教会とならびトビリシ旧市街のシンボルとなっている。

ゴルガサリ(ワフタング1世)の像

メテヒ教会

<シナゴーク>
トビリシのユダヤ教信者は2パーセントとあまり多くはないが、ここトビリシにはシナゴークがある。旅行者に寛容であり、写真を取らせてくれ、資料など見せてくれた。
途中、パリ風の飲食店が続くシャルデニ通りを経由し200年続くというパン屋に立ち寄る。
地下のお店で階下から暖かいあまい匂いが漂ってくる。煉瓦造りの歴史を感じさせる店内では大きなお釜で、お父さんがパンを焼いている。私達が待っていると次から次へお客さんがやってくる。どうやら皆さん焼きたてが目当てのようだ。「お母さんのパン」という意味の「デダスプリ」というシンプルなパン。日本円で35円ほど。ナンを厚く大きくしたような形で、外はパリパリ、中はモチモチ。確かに美味しい。もうすぐ夕食だというのに2口目、3口目とつまみ食いが止まらなかった。ガイドさんは日本に留学した時はこれが恋しくてしかたなかったという。

200年続くパン屋さん

ガイドさんと「デダスプリ」

<シオ二教会>
パン屋からから歩いてすぐ。かつてグルジア正教の総本山(現在は2004年に建立したサメバ大聖堂がグルジア正教の中心となっている)。
内部はいくつものイコンと壁画で彩られている。シオニとはイスラエルのシオニ山から取られたそうだ。1年に一度しか公にされないという聖ニノの十字架は内部に保管されている。
<グルジア母の像>
その後、車で峠を登り、グルジア母の像へ。
旧ソ連時代に建てられた巨大な女性の像。街中からその姿を拝めることができる。アルメニアにも同じ形の像があるそうだ。右手に剣、左手にワインの杯を持っている。グルジアの女性の強さと優しさを象徴している。
<ナリカラ要塞>
グルジア母の像からあるいてナリカラ要塞へ。5世紀にトビリシを守るための要塞として建立され、その時代の街中の人々が中に入ることができるくらいの広さを持っている。現在は要塞内に聖ニコロズ教会が建てられている。ここからのトビリシの景色は美しく、多くのカップルで賑わっていた。

トビリシの夜景

その後、車に乗り換え夕食へ。
レストランはテレビ塔の麓にある雰囲気のよい場所だった。
まず「カズベキ」というビールを頂く。うまい。グルジアはワインも有名だがビールも美味しい。
テーブルにはサラダやパンなどの前菜がならび、暖かい家庭料理が順次運ばれてくる。

ハチャプリ チーズパン

オジャフリ「家庭の料理」という名のポーク、ポテト、トマトの炒め物。

グルジアワインと共に。ボトルで頼まなくともグラス売りのハウスワインもある。

グルジア料理と聞くとイメージが思い浮かばないが、ガイドさんが言うにはグルジアにくるお客さんは皆さんグルジア料理が気に入って帰られるそうだ。
本来はこの日にハマムにゆく予定だったが、ロングフライトの疲れとうまい料理とアルコールでこの日はバタンキュー。翌日に持ち越し。
3日目 ムツヘタと十字架峠を経てカズベキヘ
朝食を食べ、しばらく散歩したあと朝9時にガイドさんと待ち合わせ。
この日はムツヘタと十字架峠を経てカズベキを観光する。
まずはトビリシから約30分の世界遺産の街、ムツヘタへ。
<ムツヘタ>
ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の交差するほとり、世界遺産に指定された美しい景観を持つ街、ムツヘタ。5世紀にイベリア王国のゴルガサリがトビリシに遷都するまで、イベリア王国の首都であった。スヴェティ・ツホヴォリ大聖堂を中心とした石造りの素朴な街並みと車が入れない石畳の細い道は、まるで中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を与えてくれる。
スヴェティ・ツホヴォリ大聖堂はグルジアの教会の中でも由緒あるもので、世界で3番目にキリスト教を国教と定めたイベリア王国の王・ミリアン3世がこの場所にグルジア最古の木造聖堂を建立し、ここで洗礼を受けた。キリストの聖骸布がこの大聖堂の下に眠っているとも信じられている。
またムツヘタの町を見下ろすように小高い丘に建てられた十字架(ジュヴァリ)教会は毎週末結婚式が行われるほどムツヘタに住む人の心の拠り所であり人気のスポットとなっている。

十字架(ジュバリ)教会

十字架(ジュヴァリ)教会から見下ろすムツヘタの街並み

ムツヘタを越えて40分、アナヌリ教会へ
<アナヌリ教会>
軍用道路沿い、17世紀に建立されたジンヴァリ湖畔の要塞建築。城塞の中に2つの教会がある。山側の小さい教会がキリストに捧げた教会、湖畔側の大きな教会が聖母マリアに捧げた教会。入場できたのは聖母マリアの教会。教会内部には見応えのあるが同居している。ロシアが占領していた時期の影響が見て取れる。
アナヌリから車で30分、クダウリという小さな田舎町のレストランに到着。ガイドさん曰く「ここは田舎町だけどとても料理が美味しくてツアーでよく使うの」。その言葉どおり、昨日の洗練されたレストランとも引けを取らない料理を堪能した。

毎日出ても何故か飽きないハチャプリ(チーズパン)

これもよく出るマッシュルームのひまわり油炒め

オスタリ牛肉の煮込み

もう一つの代表的なグルジアビール ナカクタリ

白ワインもおいしい

昼食後車で約1時間、十字架峠へ。
<十字架峠>
トビリシからロシア内北オセチア共和国の首都であるウラジカフカスまでの210キロに及ぶ大動脈、軍用道路の中で最も高い位置(標高2,395m)に位置するのがこの十字架峠である。軍用道路という名がついているのは19世紀に帝政ロシアが、グルジアを占領した後、更に南下政策をめるべく、街道を整備したことから由来している。軍用道路はそれ以前からシルクロードの商人達に利用され馬もやっと通れるくらいの危険な道路として知られていた。十字架峠と呼ばれることになったのは11世紀のグルジア王ダヴィド4 世が北オセチアとの境界を示すために木の十字架を立てたのがきっかけと言われている。
十字架峠の付近は自然美に溢れており、冬は雪化粧をした峰々が美しく見渡す限りの銀世界となる。夏には一面の緑の絨毯の上にピンクや薄紫の花が咲き乱れる。かのロシアの詩人プーシキンや画家レールモントフをも魅了しあまりの美しさに作品の舞台として取り上げたという。

十字架峠

<カズベキ村>
砂利道が続く十字架峠を越えて更に1時間。
ロシアまであと25キロというところで、カズベキという小さな村に到着。
このカズベキ村からはグルジアで2番目に高い山(標高5,047m)で、コーカサス山脈の有名な山のカズベキ山を眺望できることで知られている。
14世紀に建てられたツミンダ・サメバ教会のある標高2,170mのクヴェミ・ムタ山頂までは村から徒歩2時間ほどで、登山途中に美しい針葉樹林や野花を鑑賞できる。クヴェミ・ムタ山頂では、背後にカズベキ山,眼下にはカズベキ村が広がる雄大な景色が楽しめるとあって夏にはヨーロピアンからの旅行者で大変賑わう景勝地なのだ。私が訪れたのは11月後半であったため、あまりお店も開いておらず、村の中の小さな教会などを見るだけだったが村人達の普段通りの生活を垣間見ることができた。

カズベキ山

カズベキ村を後にし、トビリシへ戻る(約3時間)。
<ヒンカリのレストラン>
そして夕食のレストラン、「タカロウダ」へ。
このレストランはヒンカリと地ビールで有名なレストランで夕方の6時前というのにすでに大勢の地元客で賑わっていた。
いつものようにサラダの前菜とパン。サラダがうまい。その後、温かい食事が順次運ばれてくる。

ボウストナウリスーピ野菜スープ

小籠包のようなグルジア家庭料理 ヒンカリ

このレストラン独自の地ビール こちらは黒ビール

<グルジアのワイン購入>
夕食後はお土産を買うためワイン屋さんへ。
テイスティングをして、ガイドさんにオススメを聞きつつワイン選び。
日本で買うと4000円ほどするブドウの種類のワインが1000円ほどで買えると聞くと、別にワイン通でもないのに財布に手が伸びてしまう。私は赤・白の2本を購入。日本への免税範囲は一人3本までだそうなのでご注意を。
*私はここで重大な過ちを犯したのでここで記しておく。この後カタール、バーレーンやクウェートというイスラム国にいくことを忘れていたわけではないがそれらの国が酒に対しては厳格な考えを持っていることを考慮していなかった。ワインを購入し、喜んでいたのも束の間、私はこのワイン達を日本に連れて帰ることは出来ないと悟った。結局、ガイドさんへのプレゼントとしたのは言うまでもない。グルジアから第3国に行く場合はご注意を。できれば最後にグルジアを訪れ、ワインを沢山持って帰りたいものだ。

ワイン屋さん

<グルジアのハマム>
そして昨日は眠くて断念した、ハマムへ。
ガイドさんのサポートを受け、ドーム型の建物に突入。ハマムの内部は日本の温泉のように少し硫黄の匂いがする。館内は銭湯のおばちゃんよろしく、愛想の良いちょっと太めのおばさま方。
入場料40ラリとマッサージとアカスリのオプション20ラリ、計60ラリ(3500円ほど)だ。安くはないが異文化交流と考えれば惜しくはない。私は通常3人部屋で使うお部屋を一人で使うので、もし2名や3名で利用すればもっと安くなる。しばらく部屋が空くのを待っていざ突入。通された部屋は浴室とは別にトイレや洗面所、ソファーなど脱衣所兼休憩所のようなつくりの部屋。そこで服を脱ぎ、早速浴室へ。・・・・全然熱くない。ガイドさんは熱くて室内には5分も入れないと言っていたので、日本男児このくらいどうってことねえよ!と調子にのっているとドアをノックする音が。マッサージ師だ。早速ドアをあげると胸毛の生えたたくましい男性が上半身裸で入り込んできた。まぁ女性ではないと思っていたけどちょっと男臭すぎるぞ。向こうは水着を履いていたが私は自分のものを隠すものは何も持っていない。私は裸でするの?とジェスチャーで確認すると、男性は当然のように早く浴室入るよう指示する。郷にはいれば郷に従えか、と全裸でアカスリとマッサージを受けることに。力強いアカスリとマッサージは気持ちいいというよりも少し痛い。気持ちいいか?というおじさんの問いには自分が全裸であることの恥ずかしさで早く終わって欲しい気持ちと、お金払ったんだからもうちょっと丁寧にやって欲しい気持ちで「イ・・・イエス」と曖昧に返事することしか出来なかった。マッサージとアカスリは5分くらいで終了。最後は全身の泡をシャワーで洗い流す。やっと終わったと安堵して振り返ると、先ほどまで水着を履いていたおじさんはなぜか水着を脱ぎ捨て全裸で仁王立ち。このわずかな間になにが彼をそうさせたのかと内心動揺していると、俺もシャワーを浴びるとのこと。何もシャワー待ちの間に全裸になることないじゃないか。おじさんはシャワーを浴びて何事もなかったように部屋を後にした。残された私はこの奇妙な出来事を頭の中で反芻し、これがグルジアスタイルなのかどうなのかということを考えあぐねていた。
※翌日ガイドさんに確認すると普通は浴室が40度以上の熱さにしているはずとのこと。季節によって温度を変えているのかもしれない。またマッサージ師に対して普通は全裸なのかを聞くと、一部そういう人もいるとは思うがハマムは通常グループで利用するので水着をつける人が多いらしい。私は一部の人だったようだ。ハマムにチャレンジする人は水着とホテルのタオルを持って行くことをすすめる。ハマム内でもタオルがあるが布団のシーツのようなものであまり水を吸い取らない。
4日目 グルジアワイン尽くし
朝9時にホテルに集合。
この日はグルジアのワインめぐり、カヘティ地方へ向かう。
<シグナギ>
トビリシから2時間。まずはシグナギという小さな山間の村へ。
シグナギは石畳と古い城壁の残る小さな村。旅行者の中にはここの雰囲気が気に入って1泊、2泊することもあるそう。

情緒のあるシグナギの街並み

<農家で家庭料理のランチ>
シグナギから1時間、ガバジ村に到着。地元の農家を訪問しランチ。
御宅を拝見すると早速おじいさんがお肉を炭火で焼いている。これはムツヴァディと呼ばれる豚肉のバーベキュー、本日のメインディッシュ。
農家のオーナーさんと早速ランチ。食事はすべてこの地のもの。パン、蜂蜜、果物、ヨーグルト、ロールキャベツ、鳥肉の煮物、魚の煮物、ヒンカリ、赤ワイン、白ワイン、ブランデー、そして先ほどのムツヴァディ。驚くべきことに買ってきものは一つとなくすべて自家製だ。夏になればこれにサラダが加わるらしい。味もレストラン顔負け。特にムツヴァディは美味でワインがすすむ。
オーナーの小さな娘さんが歌を披露してくれ、日本とグルジアの平和や子供達、商売に関して何度も乾杯を繰り返しているうちに結局ワイン1本を開けてしまった。
お土産に果物を沢山いただきにこやかな雰囲気の中、御宅を後にした。

すべて自家製のブランデー・白ワイン・赤ワイン

豚肉のバーベキュー ムツヴァディ

<カヘティ地方のワイナリー訪問>
農家の家から約30分。約300年続くというワイナリーを訪問。カヘティ地方はワインを古くからの作り、また500種類という豊富さからグルジアのワイン名産地として知られている。大きな壺を地中に埋めて何年も寝かせるという独特な熟成方法も特徴的だ。私は2年もの白ワインと13年もの赤ワインをいただいた。どちらも壺から汲みたてで渋みがありつつ何処かフレッシュな味わいのワインだった。トビリシからこのワイナリー訪れて直接ワインを譲ってもらう人々や、気に入ってペットボトルに入れて持ち帰る旅行者も多いそうだ。

壺からワインを汲む

ワイナリーから2時間、トビリシ空港へ向かう。
グルジアの感想
あっという間の2泊3日だった、こんなに別れが惜しい国は久しぶりで私自身も驚いている。グルジアがこれほど心揺さぶる国だとは思いもしなかった。
ここには豊かな自然や歴史、美しい街に、優しい人々、美味しい食事。旅にはあらゆる目的があるものだがこのグルジアにはすべてが詰まっているといっても過言ではない。それに旅行者がまだまだ多くなく、素朴な雰囲気が残っているのがなにより気に入った。今度はアゼルバイジャンやアルメニアと合わせて、またグルジアにゆきたい。その時はしっかりしたスーツケースにワインをたんまり買って行こうと思う。また訪れた時にはグルジアワインのように深い味わいを残してくれるに違いない。
※グルジアには日本語ガイドが数名おり、歴史深い国なので日本語ガイドを強くオススメしたい。
※トビリシ空港の免税店にはワイン屋もある。買っている旅行者いたが、同じカタール航空のドーハ乗り継ぎのため手荷物検査があり、通常は没収されるはず。彼らが無事手荷物検査を通過したかはドーハ入国の私とはターミナルが違うため定かではない。
PART2  カタール2泊3日
トビリシを飛び立ち約5時間。ドーハに降り立つ。
<カタール入国>
カタール入国時に入国カードは必要なく、入国審査に並ぶ。管理官にはどこからきたか、泊まるホテルはどこか、など基本的なことを聞かれアライバルビザが欲しいというとその場でクレジットカードを決済してくれる。100カタールリヤル、日本円で2000円ほどだ。バゲージクレームにて荷物を引き取り、税関を抜けてゲート外へ。
日本から手配したドライバーさんと合流。
とりあえずカタールのお金がなかったのでATMで引き出す。
何度も乗り継ぎで訪れた空港だが、ドーハ空港を外から見るのは新鮮な気分だ。
空港からホテルは約10分。
ドーハ空港付近は広い道路が似合わないほど車の交通量が少ない。すでに1時をまわっているから当然といえば当然だがどうしてもドバイと比べると地味に感じた。
<ラ・ヴィラ・パレス>
ドーハ中心部に位置する3つ星ホテル。
ホテル自体は古め。室内にはドライヤー、セーフティーボックス、バスタブ、ドライヤー、湯沸かしポットあり。無料でWIFIも使える。冷蔵庫はあるが中身は入っていない。コンプリメンタリーのお水が嬉しい。泊まるだけであれば問題はないが2泊は3泊するのであればランクアップをオススメしたい。
5日目 ドーハ砂漠サファリと市内観光
朝食付きのプランではないため、朝散歩をしながら朝食ができそうなお店を探す。
ホテルで食べることもできるが一般のお店で食べる方が安い。 アル・アシュマフ・ストリート沿いを歩いていると銀行が立ち並ぶエリアの立体駐車場にサブウェイと感じの良いコーヒーショップを見つけた。インド系やパキスタン系の料理店が多い中、こういった旅行者でも入りやすいお店は助かる。サブウェイにてサンドイッチと水のボトルを17リヤルで購入。日本円で350円ほど。安い。
ホテルに戻るとすでに事前に予約していた砂漠サファリのドライバーが日産・パトロールで迎えにきていた。
<砂漠サファリ>
朝9時にホテルを出発、私の他にドーハに仕事で来たというマケドニアのビジネスマンの2人を乗せて砂漠へ出発。ドーハ市内から1時間。アスファルトの道路から砂利道になり、砂利道がやがてサラサラの砂となる。砂漠の入り口にはすでにいつくかのほかのお客さんを乗せたトヨタのランドクルーザーがスタンバイしており、タイヤの空気を抜く作業をしていた。観光客は車がスタンバイしている間にラクダに乗って楽しむことができる。
ドライバーが呼ぶ声が聞こえる。出発の準備ができたようだ。砂漠サファリはドバイで一度体験したことはあるがしばらくぶりなので緊張する。
ドーハの砂漠は白く美しい。360度見渡す限りの砂漠の真ん中にいると不思議な気持ちになる。
砂丘が大きいのもドーハの砂漠の特徴の一つだ。平坦な道が続くと思うとジェットコースター並に急降下する。


ドーハの砂漠のハイライトは何と言ってもインランドシーと呼ばれる内海。白い砂漠と透き通るような真っ青の海が織りなす風景は美しいの一言。こんな場所がこのドーハにあるなんて。
2回の写真ストップを挟みつつ、1時間半に及ぶ砂漠サファリの後は砂漠の真ん中に建てられたベトウィンスタイルのテントサイトヘ。ここで昼食の準備ができるまで皆思い思いに過ごす。コーヒーを飲んだり、砂丘でのソリ遊びを楽しんだり、簡単なサッカーコートやバスケットゴールもある(ドバイであったようなヘナや水タバコ、ラクダ乗りはなかった)。
食事は炭火焼のケバブやソーセージ、チキン。それにビリヤニや中華風焼きそば、サラダ数種,デザートや果物まである。昼食を終え、皆テントでくつろぐ。
時計の針が2時を回ったあたりで出発の声。
帰りも軽く砂漠サファリし、タイヤに空気をいれてからアスファルトの道へ。
マケドニアのビジネスマンに別れを告げて、この日のホテルのインターコンチネンタルを目指す。
せっかくドーハに来たなら多少ゴージャスな体験をしたいという気分だったというのと人気の海側のホテルに泊まり、そのエリアを探索したかったからだ。
砂漠サファリでお世話になったドライバーに別れを告げインターコンチネンタルへ。
<インターコンチネンタル ドーハ>
ドーハにはインターコンチネンタルは2つあるがこちらは海側の古い方のインターコンチネンタル。さすが世界に名だたるブランドだけあって非をつけようがないほどのホスピタリティ。今回はシービュールームに宿泊した。室内は清潔で広さも充分。セーフティーボックス、ミニバー(1缶50リヤルのビール2缶あり)、ドライヤー、湯沸かしポット、バスタブとは別のシャワーブースまである。コンプリメンタリーの水のボトルが2本ついてきた。WIFIは24時間使い放題で75リヤル。設備はジムにプールにテニスコートなど。ドーハで1番大きなショッピングセンターのシティーセンターや空港までの無料シャトルバスも嬉しい。巨大なホテルのため敷地外にでるには多少歩かないとならないが、新しいお洒落なスポット、「カタラ」まで徒歩圏内。どの年代の方にも安心してオススメできるホテルだ。
しばらくホテル付近を散歩して18時からドーハの半日観光に参加。
<ドーハ半日観光>
私が参加したのは伝統的なスークや新しい観光スポットを巡るオーソドックスな4時間ツアーである。ガイドさんはシリアからドーハに移り住み6年という男性。今回 、カタラ→ザ・パール→スーク・ワキーフという順番で訪問した。
<カタラ>
東京で例えればお台場のようなイメージの新興観光スポット。「世界が一つの村に」というコンセプトでローマ劇場を中心としてビーチを含むエリア一帯に各国のレストラン軒を連ね、レストランだけでなく博物館やモスクな様々な施設が複合している。海の見える雰囲気のよいレストランがいくつもありオススメ。コンビニもあり、気軽に買い物ができるのも嬉しい。ビールらしきものがあったので手に取るとノンアルコールビールだった。しかもイチゴ味やレモン味や様々。試しにレモン味のノンアルコールを買ってみた、ジュース感覚に飲めて美味しい。コンビニでのコーラの価格は一缶2リヤル(40円ほど)。リッチな雰囲気なのにドーハの物価の手頃さに改めて驚かされる。

カタラビーチ

カタラのレストラン

<ザ・パール>
2012年現在未だ建設中ではあるが完成が目前に迫った人工島。島内にはいくつもの高級マンションと高級住宅、ホテルやレストランにショッピングモールまで揃っている。すでにポルトアラビアというショッピングモールは完成し営業を始めている。モールには世界的なブランドからカタール地元ブランドまであらゆる高級品店が軒を連ねる。ベネチアをイメージしたような運河のある美しい街並みは「世界で最も退屈な街」だと評されたドーハにいることを感じさせないほどゴージャスだ。

「ドーハのベニス」と呼ばれるザ・パールの夜景

<スーク・ワキーフ>
オールド・ドーハの中心部に位置する大規模なスーク。カタールのお土産やお洒落なレストランやカフェなど観光客向けのものかと思えば地元の人々のためのスパイスや生活雑貨なども売られ伝統的な一面もある。さらに驚くべきことにラクダはもちろん鷹や馬まで売っていた。ガイドがついているとこういった鷹や馬のスークに気軽に入れる。
鷹はマスクで目隠しをさせられていて非常に大人しい。ハンティングに使われるだけあって確かに賢そうだ。鷹は一羽少なくとも40万円するとのこと。近くには3階建ての鷹専用の病院がある。嘘みたいだが人間の病院と同じくらいかそれ以上に立派だ。
次は馬のスークへ。牡馬は個別の馬小屋に入れられ、牝馬は数匹で放牧されている。放牧といってもここはオールド・ドーハの中心部、近くには「首長の館」などがある政治の中枢だ。日本で例えれば国会議事堂の見える位置に厩舎があるようなもの。アラビア馬は逞しさと共に美しさやしなやかさを兼ね備え、カタール人にとっては富と権力の象徴なのは疑いの余地もない。馬ちゃんたちはそんなことをいざ知らずのんびりしており居心地は良さそうだ。
馬のスークの中のベトウィンテントの中でしばしお茶のもてなしを受け休憩。
その後、スークをぶらぶらしてお土産を物色し、ホテルへ。あっという間の4時間だった。

ファルコン(鷹)のスーク

ファルコン(鷹)の病院

アラビア馬のスーク

イスラム文化センターとスーク・ワキーフ

別れ際、明日は朝早くクウェート行きの飛行機に乗るんだという話をすると、このガイドさんは人が良く、ホテル専属のタクシーを呼ぶと140リヤルほどでめちゃめちゃ高いからメーター式のタクシーを呼ぶようにホテルにアレンジしてくれた。感謝。
ホテルの18時スタートのツアーで終了が22時。夕食を食べる時間がなかったのでお腹が減った。体には悪いが夜遅く55リヤルのハンバーガーを食べて早めに就寝。
6日目 ドーハを出国しクウェートへ
電話の音で目が覚める。デジタル時計は4:25を表示していた。実はタクシーの手配を4:30で手配したのだ。少し待って下さいと電話を切り、慌ててフロアに散らばる荷物をバッグに詰め込む。
携帯のアラームを3:30にセットしたのだが・・・。シャワーを浴びて悠々準備しようと思っていたのに。しかし飛行機に乗り遅れたわけではない、気を取り直してホテルをチェックアウト。
運転手は辛抱強く嫌な顔一つせず待ってくれた。空港までは約20分、35リヤルだった。
カタールの感想
カタールでは全く「退屈」することがなかった。自由な時間が丸一日しかなかったが、あと1日、いや2日あったとしても「退屈」とは思わなかっただろう。これまでドーハを乗り継ぎでしかカタールに滞在しなかったことが悔やまれる。カタールはメインのディステネーションにはならないと思われるだろうが、それは間違いだと断言できる。カタールに興味を持った方には是非、砂漠サファリに参加をおすすめしたい。見渡す限りのインランドシーと白浜の砂漠は忘れることができない光景だ(個人的はドバイよりドーハの砂漠サファリが断然好きだ)。半日市内観光にも参加していただきたい。ガイドさんは街中に知り合いも多いため地元の方々との交流もできる。
率直に言えば、今後カタールが観光客の数でドバイを抜くことはないと思う。というのはやはりアルコールやビザの規律がUAEよりも一段階高いからだ。カタールは高級ホテルのレストランでない限りアルコールは飲めない。しかしドーハとドバイを天秤にかけ、ドーハを切り捨てるにはあまりにもったいない。
物価の安さもさることながら、美しいインランドシーにアラビアの伝統が残りつつ近代科学が融合した街並みは類するものがないほど。今後のカタール政府のブランディングによってはブレイクする可能性もある。観光客が多すぎないのも魅力のひとつではあるが・・。
カタール航空クウェート行きにチェックインして、私は次の目的地に向かった。
PART3  クウェート1泊2日
9時クウェート到着。
クウェートの空港でまず目に飛び込んできたのはスターバックスの看板。空港の中にはその後マクドナルドはもちろんKFCやピザハットなどのファストフードが目白押し。中東の国の中でもこれほどアメリカ系チェーン店が幅をきかせているのはクウェートのみだろう。
<クウェート入国>
入国するにはまずビザを取得する必要がある。ドーハの空港では入国カウンターでそのまま支払・取得ができたが、クウェートでは入国カウンターとは別にビザカウンターがありそこでビザの手続きをする。まずカウンターでパスポートのコピーをとってもらう。また申請用紙に必要事項を記入し、印紙を購入する。印紙は自動販売機で3クウェートディナール(KD)。近くに両替所やATMがあるのですぐに現金を引き出せる(日本円からの両替不可)。番号札を取り待つこと数分、それらの書類とパスポートを提出、パスポートに判を押さればビザの書類とともに返却される。

ビザカウンター

空港を出ると早速タクシーの客引き。市内ホテルまで5KD。ガイドブックの通りの値段だ。バスもあるようだが荷物が重いのでタクシーを利用することにした。
ドライバーが言うには早ければ15分で市内まで行くことができるそうだが、朝の渋滞が酷く1時間もかかった。
<リッツシャルク>
クウェート中心部の3つ星ホテル。シャルクマーケットやクウェートタワーまで歩いていけなくもないロケーション。部屋はかなり広め、造りは少し古い。バスタブ、セーフティーボックス、ミニバー、バスタブあり。WIFIは無料で24時間利用可能。ドライヤーはない。ホテルのスタッフは感じがよくいろいろ相談に応じてくれた。

リッツシャルク

ホテルの受付に市内ツアーに参加したいという旨を伝えたが、困った顔をされる。どうやらないようだった。そこまでクウェートの中心部は広くない上に観光スポットも多いわけではない。観光メインで訪れる人がおらず集まらないのだろう。空港から市内までの移動だけで5KD(1400円くらい)だからタクシーを1日チャーターするとかなりの大金になってしまう。歩ける場所はあるいてそれ以外はタクシーに乗ることにした。
<シャルクマーケット>
まず向かったのはクウェートで最も大きなショッピングモールでありシャルクマーケット。H&MやZARAなどの世界的なカジュアルブランドから日本未上陸のブランドのファッションストアに加え、マクドナルドにスターバックスはもちろんイタリアンからタイ、インド料理のフードコート、さらにはスーパーマーケットにシネコンまで備える。とりあえずここにくればクウェート人の暮らしを垣間見られる。面白いのはスーパーマーケットで日本未発売のノンアルコール仕様バドワイザーが売っていること。オリジナルとリンゴ味の2種類あった。まさにアルコールに厳しいイスラム教国且つ親米派のクウェートらしい飲み物だ。物価を確認すると、ノンアルコールビールが0.25KD(90円ほど)で水500mlのボトルで0.1KD(約30円)なので高くはない。しかしファストフードで昼食のハンバーガーセットを頼むと2.5KDした。大体700円だから外食は日本とそれ程変わらない。

シャルクマーケット

ノンアルコールのバドワイザー

<クウェートタワー>
私がクウェート滞在中最も楽しみにしていたクウェートタワー。シャルクマーケットから徒歩で約30分かけて向かったが、来年(2013年)までリノベーションのため休業。無念。しかしクウェート湾のビーチを望みつつ、12月初旬の優しい潮風を受けながらクウェートタワーまでの砂浜を歩くのはとても気持ちが良かった。時間があれば私も地元の人々とビーチ前のベンチで暮れなずむ夕陽を目的もなく見ていたかった。

クウェートタワー

クウェートタワーからタクシーを捕まえようと四苦八苦。なにせ休業中のタワーに車は止まるはずもなく仕方なく次の目的地に向かいながらタクシーを見つけることにする。しかし交通量の多いクウェート。タクシーの料金は交渉から始まるので後ろの車がつかえている場合は徐行しながらの交渉。うまくいくはずがない。またクウェートは英語教育が盛んなはずだがこの日のタクシーのドライバーは年配の方が多く英語が通じず交渉すらできなかった。この日は結局、クウェート国立博物館までを1時間以上歩いて移動した。
※次の日タクシーを何度か利用したがメーターはついているものもあるが料金はすべて相場が決まっているようだ。市内であれば3KDまで、市内から空港へは5KD。市内から出ると跳ね上がる。タクシーはバス停など路肩に止められるような場所で待つとすんなりつかまる。
<クウェート国立博物館>
織物の博物館「サドゥハウス」の脇道を入ったところにある国立博物館。敷地はかなり広く、いくつかの建物に分かれている。入場はすべて無料。紙幣や硬貨、壺に青銅器の出土品などが展示されている。中でも蝋人形を使って現代までのクウェートの歴史を再現しているコーナーは興味深い。またプラネタリウムもあり、こちらも無料で観覧できる。私が訪れた時は他のお客さんは2名だけだった。「国立」という国の威厳をかけている施設にしてはお客の入りは芳しくないようだ。
国立博物館を後にし、午前中に訪れたが昼休みのためはいれなかったクウェート現代美術館へ。
<クウェート現代美術館>
1950年代以降のクウェートと始めアラビア諸国の現代美術が展示されている。彫刻と絵画がメイン。戒律の厳しく思えるクウェートだが展示されているものをみるとタブー視されていると思われる暴力性や猥褻さを感じるものが多少見受けられた。芸術に関してイスラム教の国々はどこまで折り合いがつけられるのだろう、と考えさせられた。こちらも入場は無料。
夕食のために再びシャルクマーケットへ。スーパーでサラダのサンドイッチとコーヒーショップでホットコーヒーをテイクアウトで買う。途中、地元の方にKFCはどこかを聞かれる。なぜカメラをぶら下げ明らかに旅行者の格好をしている私に聞くのか、別に話しかけやすそうな愛想よい顔もしていないのに。海外にいくとこういう奇妙なことが度々ある(質問には答えられたが)。
7日目 クウェート観光
朝食を食べ、朝9時に荷物を置いてホテルを出る。
<テレコムタワー>
残念ながら昨日はクウェートタワーに登ることができなかったがクウェートにはもう一つタワーがあることが分かった。テレコムタワーという電話会社の電波塔だ。150mほどの高さでシャルクマーケットからよく見えた。ホテルから約30分かけてあるいて行ったが、受付嬢に聞くとこのタワーは2月25日と26日の2日間の祭日しか開放していないとのこと。クウェートタワーも登れなかったというと受付嬢は残念そうな顔をした。
タクシーを拾い次なる目的地へ。
<科学センター>
クウェート中心部から車で約15分。高級ホテルとショッピングモールが立ち並ぶ新興エリア、サルミア。ここに3Dスクリーンを搭載したIMAXに水族館、子供向けの科学館が一緒になった施設がある。それぞれの入場料は3.5KD、3.5KD、2KDとなっている。三つの施設が楽しめるコンボチケットは8KD(2400円ほど)。日本の相場から見ても安くはないが、せっかくなので私はすべて入場した。IMAXではナショナルジオグラフィックのチャンネルでやっていそうな自然ものを放映していた。特に興味深いのは水族館。水族館という名称がついてはいるが砂漠に生息する小動物に、鳥や蛇、化石まで見ることができる。
海辺を歩きながらマリーナモールへ。

猫とクウェート湾

<マリーナモール>
サルミア地区のショッピングモール。サルミアに住む富裕層向け。シャルクマーケットよりも高級な雰囲気。お洒落な雑貨屋や高級ブランドショップにフードコートには有名店が集う。アラビア湾に面したハーバーにハイセンスなカフェが立ち並び休憩にはもってこい。
マリーナモールからリッツシャルクホテルまでタクシーで2.5KD。
ホテルで預けていた荷物をピックアップ。空港にいく途中にアルクレイン・ハウスに立ち寄りたいと伝える。ホテルのスタッフはアルクレイン・ハウスを知らなかった。おそらくタクシーのドライバーも知らないだろうということで、ホテルから直接タクシーで呼んでもらい、ホテルのスタッフとガイドブックの情報を頼りに説明することにした。
やってきたドライバーは私達の意図を理解してくれて料金は10KD。高いが他に選択肢はない。早速アルクレイン・ハウスへ。
<アルクレイン・ハウス>
クウェート市内から車で40分ほど。クウェート郊外のアルクレインにある、湾岸戦争の時代にイラク軍とクウェート抵抗団の戦場になった一般住居。外壁には痛ましいほどの銃弾の跡。湾岸戦争の傷を物語る数少ない施設だ。入場は無料で内部には実際に使われた銃や弾丸の他に公文書などが展示されている。

アルクレイン・ハウス

アルクレイン・ハウスから空港まで20分。
ちょうど2時間前に空港に到着(クウェートは慢性的に渋滞がひどいので少なくとも市内から空港への移動には1時間はみたほうがいい)。
ユナイテッド航空にチェックイン。ユナイテッド航空がなぜクウェート・バーレーン間を飛んでいるか疑問だったが、アメリカ軍基地の関係でワシントンからバーレーン経由でクウェートまで運行しているようだ。クウェート発、バーレーン行きのユナイテッド航空は中東だからかやけにセキュリティーチェックが厳しく感じた。
空港内でクウェート土産を探したがあまりいいものがない。免税店に申し訳程度においてある程度。サンドイッチを食べてクウェートを離れた。
クウェートの感想
クウェートは美しい港町だった。街中には高層ビルがいくつも立ち並び湾岸戦争の傷跡は全くというほど見当たらない。ショッピングモールの中には、スターバックスをはじめ日本でもお馴染みのアメリカ系チェーン店。食べ物に困ることはなく、快適に過ごすことができる。唯一アルコールは手に入らないが、日本では未発売のバドワイザーのノンアルコールビールやリンゴ味にレモン味のノンアルコールビールがあり興味深い。観光客はほとんどいないため市内観光のグループツアーはない。タクシーや徒歩で観光することになるが市内はそれほど広くはないので観光しやすい。7月・8月はアラビア湾の湿気を含んだ風が吹き高温多湿となるそうだが私の訪れた12月初旬は過ごしやすく、頬に吹きつける潮風は気持ちよかった。足が痛くなるまで歩いたのも久しぶりだ。
PART4 バーレーン2泊3日
クウェートから45分、バーレーンに到着。予定していた運行時刻は19:10発のバーレーン21:15着の約2時間の運航だったが結局出発が1時間遅れたのでほぼ定刻通りの到着だった。この予定時刻と実際の差は何なんだろう、ただ単に調整していただけなのだろうか。
<バーレーン入国>
実は一番心配していたバーレーン入国。2012年始めに外国人に対してアライバルビザの発給がなされないことがあった。事前にeVISAを取得して入国に臨んだ。列はバーレーンパスポート保持者とGCC(アラビア半島)国籍、それ以外の国籍の3種に別れていた。私は「それ以外の国籍」の列に並び順番を待った。管理官にパスポートと入国カード、eVISAのプリントアウトを見せると入国の目的を聞かれただけですんなりパスポートに判を押してくれた。カタールやクウェートよりもスピーディーで肩すかしを食らった気分だ。
税関を抜けると事前にオーダーした送迎のドライバーが待っていてくれた。両替を済ませ、マナーマのホテルへ向かった。
<ウインザータワー>
空港から車で5分。エキシビジョンアヴェニューという繁華街の大通りの脇道を入った場所にある3つ星ホテル。入ってすぐ目を疑った。イスラム教国らしからぬけばけばしいディスコやパブの広告。どうやらホテルに併設されているようだ。部屋は至って普通の内装。豪華ではないが質素すぎもしない。セーフティーボックス、ドライヤー、バスタブ、ミニバー(中には水やジュースの他にビール4瓶)はあり。WIFIは無料で使い放題。プールもある。ディスコは8階にあるので少し音が響く。チェックインの時パスポートをフロントに預ける。

ウインザータワー

ウインザータワー内のナイトクラブ

その後いろいろバーレーンについて調べていくとバーレーンはイスラム諸国の中でも戒律がゆるいようで戒律の厳しい近隣諸国で働いている欧米人やムスリム達が週末ともなると息抜きにやってくるらしい。と言ってもお酒が飲めるのはホテルや外国人が入るようなレストラン、パブ、ナイトクラブに限られている。そのため夜ともなるとマナーマはきらびやかなネオン街となる。私の心にバーレーン視察のため夜の街に繰り出さねばという使命感がムクムクと湧き上がってきた。外に出てエキシビジョンアヴェニューまで歩くとレストランやカフェの24時間営業の文字がネオンの上をピカピカと踊っている。ここを歩いているといろんな国籍の人々がいることがわかる。近隣アラブ諸国の人々、欧米人、タイ人にフィリピン人。私はメトロポリタンホテル近くのクラブに潜入した。入場料はワンドリンク込みで5BD(約1000円)。中には各国の男性達の他にアジア人やアバヤを脱ぎ捨てたアラブの女性達がいた。DJがダンスミュージックをプレイして、数人はフロアでダンスしていた。次にタイ人のヘヴィメタルバンドが現れ曲を演奏した。もうここがどこなのか分からなくなってくる。イスラム教国でもここまで開放的な国もあるんだなと感心しつつ、ワンパイントを飲み干しクラブをあとにした。
8日目 バーレーン遺跡ツアー
朝9時から始まるツアーに参加するためフロントでチェックアウトするも9:20になってもドライバーは現れない。
フロントに現地の旅行社へ電話をしてもらう。どうやら予約が入っていないという。ドバイの日本語緊急連絡先へ電話して対応していただいた。手違いがあったようで、結局予定から2時間遅れでツアーをスタートした。
私がこの日、参加したのはバーレーン・ヘリテイジ・ツアー。世界遺産のバーレーン・フォートを含む4時間のマナーマ近郊を巡るツアーだ。
<バーレーン・フォート>
2005年に世界遺産に登録された巨大な要塞。このエリアはメソポタミア文明とインダス文明を繋ぐ都市として発展し、ディルムン文明の中心地であったとされる。海に面した交易の要衝であることから、様々な強国が代わる代わる支配しディルムン文明の遺跡だけでなく、その後に支配した新バビロニア帝国、ペルシャ帝国、さらに大航海時代に16世紀に入植したポルトガルの様式まで、この地に幾重にも要塞を築き上げた。そのため、イスラム様式やポルトガル様式など多彩な様式の建造物群が一箇所の遺跡に蓄積しているのが特徴。最も古い遺跡だと少なくとも紀元前2300年まで遡ると言われている。現在はポルトガルが支配した時代の要塞の保存状態が良く、見学できるようになっており、ブラックハニーと呼ばれるデーツジュースを作る部屋があるなど当時の生活を忍ぶことができる。至る所にヤシの木が建築素材として利用されているのも興味深い。
バーレーン・フォートのそばには、遺跡から発掘された彫刻から壺や皿までが展示されている博物館が併設されている。(博物館は月曜日休館)

イスラム風建築のバーレーン・フォート

デーツヤシや貝殻の入った岩が土台として使われている。

<キャメル・ファーム>
その後、バーレーンの王族が所持するラクダ達が飼われている施設。子ラクダも含め、何十頭ものラクダを見ることができる。
<アル・ジャスラ・ハウス>
バーレーン王族が住んでいたバーレーンの伝統的な住居。中は当時の生活を再現したような博物館となっている。暑さをしのぐための様々な工夫が施されているのが興味深い。

アル・ジャスラ・ハウス

<アル・ジャスラ・ハンディクラフト・センター>
バーレーンの伝統工芸の制作過程を見たり、購入することができる施設。カラフルな壺からヤシの葉で編まれた入れ物や、花嫁道具にされるという金の装飾が施された引き出しなど様々な物が作られている。職人のおじさんが話をしながらヤシの葉でラクダやウマを編んでくれた。

ハンディクラフトセンターの職人のおじさん

<burial mound(古墳)>
紀元前3000年前から600年前までにつくられたという1万から2万の古墳。それぞれの古墳に死者は副葬品とともに埋葬されている。
広大な荒野の中にポコポコの小さな丘が見える景観が圧巻だ。その小さな丘のすべて一人一人の墓である。
観光後はこの宿泊するホテルへ移動。
<エリートクリスタルホテル>
マナーマ中心地から少し離れたグランドモスク付近のエリアにある4つ星ホテル。5つ星でもおかしくないくらい部屋はセンスがよく、広め。設備も充実している。室内にはセーフティーボックス、冷蔵庫(中身はない)、ドライヤーあり。バスタブはない。WIFIも24時間利用可能。プールにジム、もちろんクラブやバーも併設されている。ホテルから南に5分程度歩くと賑やかな通りに出る。

エリートクリスタルホテル

夜は例によって街に繰り出すがこのエリートホテルの近くは少なくとも4つ星以上のホテルが多く襟なしサンダルでは入れなかった。ポロシャツすらも持ってこなかったので断念。ホテルのグレードが上がるにつれてナイトクラブのグレードも上がるらしい。
仕方なくホテルのバーでしっぽり過ごす。
9日目 バーレーン自然ツアー
朝食を食べ朝9時からのツアーにチェックアウトしてガイドさんを待つ。
昨日と同じガイドさんとドライバーさんだった。
私がこの日参加したのはバーレーン・ フローラ&ファウナ・ツアーつまり動植物がメインの4時間のツアーだ。昨日はマナーマ近郊を見たが本日は島の南部を目指す。
<アル・アリーン・ワイルドライフ・パーク>
マナーマから車で30分。パーク内をバスで一周(約45分)して、アラビア半島やアフリカ南部から保護されたフラミンゴ、ゾウガメ、ダチョウ、キリン、チーター、アラビアンウルフ、ハイエナ、スプリングボック、ヤマアラシなどなどの放牧された動物達の生態を見ることができる。特に面白かったのはファルコンを自分の腕に乗せて触れることができるサービス(0.5BD)。入場料は1BD。私が観光した当日は遠足だろうか、多くの子供達で溢れていた。

ファルコン(鷹)にも触れられる。おとなしい。

<ファースト・オイル・ウェル&ミュージアム>
バーレーンは1932年、アラビア半島の中で最も早く石油を発掘した国である。ここはその最初に開発された油井跡である。近くには1992年、発掘から60周年を記念して設立されたバーレーンの石油にまつわる歴史を解説した博物館がある。バーレーンの石油は残り20年も持たないと言われており、現在は隣国のサウジアラビアから輸入を行っている。
<生命の木>
砂漠の真ん中に1本だけ佇む不思議な大木。周りは何もない不毛の砂漠地帯であるのも関わらず、この木のみが400年間も変わらず生き続けている。触れるとご利益があると信じ、多くの観光客がこの木に集まってくる。

生命の木

ガイドさんの計らいで帰りの道すがらモスクに立ち寄ってくれた。
<グランドモスク>
正式名称はアハマド・アル・ファテフ・モスク。1980年代に建てられた比較的新しい、バーレーンで最も大きいモスク。イスラム教徒以外でも入場することができるが女性はアバヤのレンタルが必要。

グランドモスク

ホテルに戻りツアー終了。この日のバーレーンOUTは夜便のためその後は自分だけで観光。ガイドさんにショッピングモールに行きたいというと快く連れて行ってくれた。
<シティーセンター>
マナーマ郊外にあるバーレーンで最も巨大なショッピングモール。H&MやGAP、FOREVER21など日本にお馴染みのカジュアルブランドや巨大なフードコートにスーパーマーケット、シネコンはもちろん、なんとウォーターテーマーパークが併設されている。週末はサウジアラビアからの旅行者で駐車できないほどの賑わいになるそうだ。

バーレーンいち大きなモール

シティーセンターで昼食を食べた後は、マナーマのスークへ移動。
<スーク>
イスラム教の国であれば大抵あるスークだが、ここバーレーンにもマナーマ中心部に迷路のように存在している。スークの入口は中央郵便局。近くのケンタッキーが目印だ。スークには地元に住む人々(インドやパキスタン系)の日用品が売られている。下着、洋服に始まり、携帯電話や時計、野菜、果物、精肉まで。庶民的なものだけかと思うとすべてのテナントが貴金属販売店というなんともゴージャスなビルもある。

まるで迷路のようなスーク

タクシーで荷物を預けたエリートクリスタルホテルへ向かう。ここで思いもよらないハプニングが。タクシーに乗ったのは良いものの肝心のタクシーの運転手がエリートクリスタルホテルの場所を知らず通常30分以内でゆける距離を1時間半以上かけてもつかなかったのだ。バーレーンは交通量が多く大通りの曲がり角を一つ間違えて、道を戻ると逆方向の渋滞にまた巻き込まれるという負の連鎖が起こる。グランドモスクを曲がると何度も説明したのにそれをドライバーが誤って直進したところでヤキモキしてタクシーを降りて歩いてホテルまで向かった。
荷物をピックアップしホテルからはお世話になったガイドさんに予め頼んでおいたツアー会社の車を使い空港へ移動(5KD)。
空港に到着したもののここでトラブル2発目。
チェックインカウンタースタッフ曰く、なんとバーレーン→ドーハ→成田のルートのうちドーハ→成田がキャンセルされているという。カタール航空のオフィスで対応してもらいことなきを得た。
最後に心臓に悪いトラブルが2件あったが飛行機はバーレーンを発ち、私は日本に向け出発した。
バーレーンの感想
バーレーンはムスリムの楽園だ。バーレーンはどのアラビア諸国とも違った魅力を放っている。ディルムン文明の中心地であり歴史的に見るべきものが多いことに加え、アルコールを飲むことができることから規律の厳しいサウジアラビアやクウェートなど近隣諸国からの旅行者が集まり、夜にもなると街はきらびやかなネオンで彩られる。それはまるでここがイスラムの国ということを忘れそうなほど。あと20年で石油の採掘は底をつくと言われているバーレーン。その為、早いうちから観光客の誘致に力をいれており、今日もムスリム達が羽を広げにバーレーンにやってくる。
今回は4ヵ国を10日間で周るというハードスケジュールだったが非常に楽しめた。
グルジアは先に述べた通り誰にでも大変おすすめできる国であるが、カタール・クウェート・バーレーンのアラビア湾の国々がオマーンやUAEとはまた違った面白さを持っていたことは新発見だった。アラブの国なんてどこも同じでしょう?と思っていたら大間違い。是非、訪れてほしい。
2012年12月 橋本

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