やっぱり幸せの国だった~2度目のブータンへ~

やっぱり幸せの国だった~2度目のブータンへ~


「バッドニュース。明日のデリー行きは定刻だって!」
「あ~残念。フライトキャンセルになったらいいのに。」
去年、ブータンから帰る前日に飛行機のリコンファームをしたガイドさんと私のやりとり。本当に帰りたくないと思った去年11月のブータン出張がすべて今回のブータン旅行につながっている。新鮮で、あたたかくて、共感した、あのブータンの文化ややさしい人たちにもう一度会いたくて、今度は少し長めに8泊10日の日程で行ってきた。



午前3時に起きてバンコク空港へ。朝6時という微妙な時間帯に出発するブータンのパロ行きのドゥルクエアに乗るため。ブータンは好きだけれど、このフライトスケジュールだけはちょっと・・・。今回の日程はブータンでもっとも美しいといわれるプナカゾン(ゾンは県庁と寺が一緒になっている施設)のあるプナカからさらに奥でブータンの伝統や文化が大切に守られているジャカル、そしてツルの飛来地ポプジカ、政府の規制が2001年に解かれ、外国人が自由に行けるようになったハを訪問。おまけでパロでサイクリングもした。
予想どおり今回もすばらしい旅行だった。エンドレスで語ってしまいそうなので、ジャカルとハでの1日をご報告したいと思う。


ジャカルは空港のあるパロから、3000メートルを超える峠を4つ越えたところにある。ブムタン地方といわれる中央部ブータンにある中心となる街。「白鳥の城」といわれるくらい真っ白なジャカルゾンといくつかのお寺、歩いて3分くらいで通り抜けてしまう商店街がある。ブータンの中でもまだ伝統的な暮らしが残っていてブータンの原風景が見られるところだった。標高が高いため、6月でもストーブが焚かれるくらい寒い。ホテルの部屋には薪ストーブが置かれ夜は大活躍。オイルヒーターが部屋にあったティンプーやパロと比べるとこの薪ストーブもいなか風。ブムタン谷以外にポプジカでもこの薪ストーブのお世話になり、古めかしいけど、エコロジーな一晩を過ごした。

ジャカルゾンは丘の上にあり遠くからでもよく見える。ホテルによってはジャッカルゾンビューを売りにするところもある。日本の航空会社の機内誌でも有名な写真家が遠くから撮影したジャカルゾンの写真が掲載されていたくらいなので、多くの人が遠くから見て美しいと感じる風景なのだろう。ゾンの中は県庁や裁判所、お寺が入っていてブータンの各地にあるゾンとつくりは同じだった。中の装飾ももちろん美しいが、確かに外からの眺めの方が幻想的だった。

ジャカルのクジェラカンは、ブータン人が大切にしているお寺のひとつ。仏教をブータンに伝えたパドマサンババがジャカルにやってきて瞑想はじめたのが、今のクジェラカンのあるところだったらしい。現在のブータン王室はこのクジェラカンを重要視していて、ティンプーから遠路やってこられるそうだ。今回行ったときもちょうど王様のお母さんがクジェラカンの横にある小さなロッジに滞在中とのことで兵士たちが警備をしていた。芝の生えた広場のようなところに3つの建物が並んでいる。ま四角でお寺とは思えないような建物だが中には仏間があって、お坊さんもいてやっぱりお寺だ。クジェラカンまではじゃカルの街から歩いていくことも可能。チャムカルチュといわれる街を流れる川沿いの道を30分。大きな木や建物があまりないので時期によっては相当暑いと思われるが、お寺や畑があってブータンの田舎の雰囲気を満喫できる。それにしてもティンプーから2日かけてクジェラカンまでやってくる王様たちも大変だ。ブータン2つ目の空港、ジャカル空港のオープンが待たれる・・・。今年の12月開港予定らしいが、まだ大きな石ころが転がっているばかりで空港の雰囲気はまったくなかった。



ジャカルのあるブムタン地方は農業や織物がさかんな地域で、りんごやはちみつ、そばなどがおいしい。りんごからはジュースだけではなく、ワインなどもつくられ、地ビールやヨーロッパ風のチーズの製造などもされていたりする。スイスが開発支援のため技術協力をしているそうで、ブムタン地方ではブータンの中でも地場産のいろいろなものが食べられるのも楽しいところだ。クレとよばれるそば粉のクレープは素朴な味。ブムタン産のりんごワインはワインというより発酵してスパークリングワインのよう。濾過が足りないのかちょっとにごっていたが、味はしっかりワイン。アルコール度数など何も記載がないので不明。ジャカルは高度が高いけど、それほど酔いがまわらないので一般的なワインのようなアルコール度数はないはずだ。

ジャカルの近くにあるチュメ村ではブータンらしいデザインと色とりどりのキラ用の織物、セーターやストールなどが工房で作られている。とても素敵な柄のキラ用のシルクの織物は1枚9万ヌルタム(日本円にして18万円)。ティンプーなどでみた織物は同じ大きさでもそれほどの値段はしなかったので、いかにこの地域の織物が上質なものなのかがわかる。それでも小物入れやスカーフなど小物なら手が届く値段で、買いやすいのでおすすめ。

ジャカルはパロやティンプーなどの西ブータンから車で1日で移動するのは厳しい距離だ。同じ道を往復するから行きも、帰りも必ずどこかで1泊することになる。割と道は整備されているのだが、山の中を走るため曲がりくねっていてスピードがでない。車だとやっぱり時間がかかる。それでも写真をとってとせがんでくるかわいい田舎の子供たちや、伝説の残る寺院や大切に守られているブータンの伝統的な生活や産業が見られるのが何よりの魅力。ぜひブータンでは中央ブータンまで足を運んでいただきたい。



ジャカルから戻り首都のティンプーで1泊した後はパロへ。少し遠回りをして、パロへの途中にまだ外国人にその門戸を開いて10年もたたないハを訪問した。ハは中国国境に近く、昔から軍事的な拠点となっていたところ。今もインド軍が駐留していて、ブータン軍と共同の軍事施設をおいている。今は軍事的問題で緊張がないので、基地や軍人さんの写真も取り放題、行動制限は特にない。軍人さんたちも道端に座り込んで話し込みながら(世間話?)警備をしていた。町自体の見所はラカンガルポ(お寺)と伝統的な家々の並ぶ商店街程度。観光の開発もまだまだ、外国人がランチを取れるレストランやホテルも町でひとつ。ガイドさん曰く、ハは「昔のブータンが見られる」ところだそうだ。ハの人は私たち外国人を興味深げに見るし、私たちもそんなハの人たちを見つめる、ティンプーやパロとは違う不思議な雰囲気の町だった。



ハへの道は2つあり、渓流の横をとおり小さい村々を縫うように走るコース、ハとパロの間にあるチェレラ(峠)を越えるコース。ティンプーから出発して、最終的にパロを目的地にするとこの2つのルート両方を楽しむことができる。弊社が手配を依頼している現地の旅行会社のオーナーをはじめガイドさんやスタッフはみな、ブータンで一番景色のきれいなところはハへの道だといっていたけど、そのとおりで畑や、遠くにお寺の見える景色はとても美しかった。行きは薄緑色の芝や畑が広がっていて、ほんとにマットを敷いて昼寝したくなってしまうような広々とした景色がどこまでも続いている。帰りはチェレラという峠を越えてパロに戻る。チェレラはブータンの自動車道路の最高地点で3800メートル。2700メートルだったハに比べるとやっぱり気温は低い。遠くには小さくパロが見える。峠にはダルシンと呼ばれる、お経が印刷された細長い布を竿につけた旗がたくさん立てられていて、スピリチュアルな雰囲気。ハへの道の途中にはこうしたダルシンが特にたくさん立てられているそうで、風が強いこのあたりで風が吹くたびにお経を唱えたことになると信じる地元の人たちがたくさん置くそうだ。本当に空が近くに見える峠で風に翻るダルシンはたくさんの願いや祈りを、天に届けてくれそうな気がした。

ティンプーから出発してパロへ戻るまで7時間、そんなに時間をかけてハまで行って何をしたの?と聞かれても正直なところ、これもやった、あれもみた、とはいえない。ハは軍事的に難しいところだったというところで、どこものんびりしていて平和なブータンで忘れてそうになる現実を感じさせてくれるところでもある。それでも普通の人々の暮らしはやっぱり仏教がベースにあって、お寺には村人全員が集まっているのではないかと思うくらいにたくさんの人が無心にお祈りをする人たちがいた。ハはそんな現実とブータンらしいおだやかさの間にある不思議なところだ。谷間を縫っていく細い田舎道、うっそうと茂る林や峠を越えていくハへの道は、もっと不思議なブータンの世界へつれていってくれる。パロやティンプーから日帰りができるところにこんな素朴なところがあった。


「何でそんなに短い期間で2度もブータンへ行くの?」今回の旅行の前にたくさんの人に聞かれた。「早くしないと、素朴なブータンがどんどん変わっちゃうからだよ。」
前にみたゾンではちいさなお坊さんが今も一生懸命勉強をしていたし、ゾンの中では熱心にお祈りをするたくさんの人たちがいた。ブータンの人は、自分の国のことが大好き。「いろいろあるけどこの国にいられて本当に幸せ」ってはっきり言いきってしまうそんな人々の姿。やさしくて穏やかなブータンの人々。ブータンの文化伝統、彼らの根底にあるものは前と何ひとつ変わらず、前と同じようにどこか違うところへタイムスリップしたような気分になった。やっぱりブータンは幸せの国だった。
「そんな急がなくても大丈夫だと思うよ!ブータンの人は今のこのブータンが一番好きなんだから」とガイドさんも言っていた。そうだよね、強いポリシーがあるからそんな劇的にこのブータンの雰囲気がかわるはずない・・・と思う一方で、目立った変化もあった。去年11月、パロ空港では手書きのボーディングパスを渡された。今回はコンピューターからプリントアウトされたチケットになっていた。2機しかなかった飛行機は、小さな飛行機がもうひとつ増えていた。パロの中心部は足場を組まれた建築中の家やホテルがたくさん。まだオープンしていないけれどティンプーにはガラス張りの現代的なオフィスができて、街並みが変わった。行ったのはたった半年前、でも特にブータンの中でも都会といわれるティンプーやパロの変化のスピードは、私が想像していた以上だった。前は「できるかも・・・」だった空港は、少しだけれども形ができていた。世の中はものすごい速さで変化しているから、ブータンもいろいろな面でこの世界の変化に対応しているのだろう。「時代の流れ」とはよく言われるけれど中央ブータンやハも時間の問題で、この先私たちが見るもの、見る風景はまた変わってくるはずだ。この先どんな風にブータンが変化していくのか、気になりつつ日本に帰った。
2010年6月 吉木

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